その後も病状(びょうじょう)は回復することはなく、弘安の役からわずか3年後の1284年4月に時宗は34歳の若さで亡くなりました。まさに元寇に明け暮(く)れた彼の生涯であったともいえますが、我が国の命運(めいうん)を一身に託(たく)されて見事にその役割(やくわり)を果(は)たした時宗の偉大(いだい)さは素晴(すば)らしいものがあったといえるでしょう。
さて、時宗亡き後の鎌倉幕府ですが、相手が外国だったために御家人たちに与えるべき恩賞(おんしょう)がなかったことなどもあって信頼を失(うしな)い、元寇から約半世紀後の1333年に滅びましたが、一時期を除(のぞ)いて武家政権はその後も長く続きました。それはなぜでしょうか。
カギを握(にぎ)るのは、幕府の象徴(しょうちょう)であった「征夷大将軍」の地位です。





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ぴーち こんばんは!
現代の日本の総理大臣も世界に類を見ない程、
激務だと伺った事があります。
この資源にも乏しく、戦力も持たない
小国が他の大国と肩を並べて生きていくには
足を使って頻繁に出向き、対話を重ねて
いくことが平和を維持していく大事な
お仕事でもあるでしょうから
仕方が無いのでしょうけれど・。
そんなこの国の行く末を任された人物は
重い責任を当然ながら背負うことになりますが
ましてや、外国から攻められたり、
戦いに明け暮れる日々が続いたりしたら
それこそ、想像を絶するストレスに晒されたことでしょう。
征夷大将軍という地位は、
その重責をも上回る自身への大きな勲章という事に
なるのでしょうか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国の政治(あるいは軍事)のトップは今も昔も激務です。
時宗の場合は亡国の危機が眼前にまで迫っていましたから、特に大変だったと思いますね。
もっとも、ここ数年の某政党のトップは例外だったようですが…。
征夷大将軍については次回以降も詳しく検討してみたいと思います。
北条時宗をなめてました
青田です。 黒田先生
青田です。
某国営放送の「北条時宗」を観て、
「北条時宗」は、臆病者のように思えていました。
あのドラマでは、逆に『クビライ』が、人格者に描かれていましたが、
結果論として、元を打ち破ったことも凄いですが、
驚いたのは、その年齢です。
いくら世襲制とはいえ、これは、凄すぎます。
〇 9歳(今なら、小学校2年生)の小侍所の別当。(今でいうと将軍の親衛隊の隊長)
〇 13歳(今なら、中学1年生)で連署。(現在でいうと副総理。)
〇 15歳(今なら、高校1年生)で、宗尊親王の廃位。惟康親王の擁立。
〇 17歳(今なら、高校3年生)で、執権就任。(内閣総理大臣)
これだけ観ると、世襲制のお飾りと勘違いしがちですが、父親の北条時頼は、北条時宗が13歳の時に亡くなっています。
私は、49歳のオッサンですが、自分の無能ぶりに情けなくなりました。
青田さんへ
黒田裕樹 いえいえ、私もオッサンですので(笑)。
時宗は若くして修羅場を潜り抜けた分、相当なストレスがあったのか、若死にしてしまいましたね。
その後、執権の北条氏が力をつけて源氏(げんじ)が滅び、征夷大将軍は名目(めいもく)だけの地位として摂関家(せっかんけ)や皇族(こうぞく)が就任するようになりましたが、元寇という有史以来最大の外敵(がいてき)、すなわち「夷狄(いてき)」を「征伐(せいばつ)」する「将軍」としての重責(じゅうせき)を鎌倉幕府全体で果たしたことが、我が国において武家政権が高い評価(ひょうか)を得ることにつながりました。
だからこそ鎌倉幕府が滅んだ後に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)によって建武(けんむ)の新政(しんせい)が一時は行われても、数年後に足利尊氏(あしかがたかうじ)が新たに征夷大将軍に任じられて室町幕府(むろまちばくふ)が開かれるなど、武家政権は頼朝以来700年近くにわたって続きました。
そして、19世紀後半に開国などによる混乱が続いた際に、江戸幕府(えどばくふ)が征夷大将軍として、つまり外国に対して武力以外も含(ふく)めた「攘夷(じょうい)を行う意思」を明確に示せなかったことが、結果として武家政権全体の信頼を失い、明治新政府の誕生を呼んだともいえるのです。





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ぴーち こんばんは!
攘夷を行う意思が無くなったという
事は、やはり
江戸時代が300年間も外国との関係を
封印していた事に大きな要因が
あったのでしょうか?
これは
すっかり平和ボケした成れの果て?
言い過ぎでしょうか・・・^_^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いえいえ、決して言い過ぎではないと思います。
江戸幕府がカトリックを排除するために行った制限貿易は、強大な軍事力(戦国時代が終わった直後だったからです)があったから可能でした。
ところが、太平の世に慣れ切ってしまった幕府が平和ボケしていたがゆえに外国の介入を許し、幕末の大混乱を招いてしまい、その際に攘夷の意思がなかった幕府が倒されてしまったわけですからね。
ちなみに、平和ボケであることは現代も同じですから、危機感をもっと持たないといけません。
ある程度強権も必要
青田 黒田先生
青田です。
この征夷大将軍ですが、戦時における、夷狄(いてき)を征伐するためにの強権が、慣習化したものというのは
裏を返せば、
武士道の
『常在戦場』(いつでも、戦場にいる気構えを持たないいけない。)
に繋がった気がします。
江戸幕府は、この『常在戦場』の精神は、なくなりましたが、
かろじて、薩摩・長州に残っていたころが、日本を救った気がします。(植民地にならないですんだという意味で)
しかし、
今は、非常時に強権を発令するどころではないですし(憲法9条)、
国民は、『常在戦場』の精神もなくなっています。
考えようによっては、鎌倉時代よりも、危機ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
逆に言えば、征服者にとって都合が良いからこそ、我が国に巣食うスパイ組織が憲法9条を守ろうとするのでしょう。
現在、我が国は第二次安倍晋三(あべしんぞう)内閣によって「アベノミクス」と呼ばれる経済政策(けいざいせいさく)を行うとともに、多くの国々と積極的(せっきょくてき)な外交を展開(てんかい)していますが、こうした様々な施策(しさく)に対して反発する国家も存在しており、その代表となっているのが中国(正式名称は中華人民共和国=ちゅうかじんみんきょうわこく)や韓国(かんこく、正式名称は大韓民国=だいかんみんこく)です。
両国は我が国と歴史問題などにおいて以前から対立しているほか、韓国は竹島(たけしま)を不法占拠(ふほうせんきょ)し、中国は尖閣諸島を自国の領土と主張するなど、我が国固有の領土に対して野心(やしん)をむき出しにしている傾向(けいこう)にあります。
今年(平成25年=2013年)の6月には中国の習近平(しゅうきんぺい)国家主席(こっかしゅせき)と韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領(だいとうりょう)とが首脳会談(しゅのうかいだん)を行うなど、両国は急接近(きゅうせっきん)しつつありますが、こうした流れが「21世紀の元寇」を生み出さないという保証はどこにもありません。
繰り返しますが「天は自ら助くる者を助く」といいます。今後の中国や韓国の動きを注視(ちゅうし)するとともに、気が付けば「間近(まぢか)に迫(せま)った亡国の危機」とならないためにも、我が国における「平成の征夷大将軍」の覚悟が今こそ問われているのではないでしょうか。
(※第37回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[9月1日]からは通常の更新[=昭和時代・戦前]に戻ります)





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ぴーち こんばんは!
仰るとおり、歴史は繰り返すもの・・だと
思いますので、いつまた両国は同じ過ちを繰り返すやも知れませんね。
元々日本国民は、上からの指示に対して服従する能力に優れている民族だと思います。
リーダー次第で
国民の気持ちはひとつにまとまり、向かってくる大きな悪意に太刀打ち出来るだけの力を秘めているものと思われます。
それ故に、カリスマ性に富み、強力なリーダーシップを発揮出来る存在は不可欠ですよね!。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
我が国を救う「征夷大将軍」の一日も早い出現を心より願っております。
オバrev 確かに中韓、特に中国については警戒が必要だと思います。
近々中国国内の体制がどう変わるか予断を許さない状況ですし、最悪の事態を想定した、危機管理体制は既にとっておく必要がるんじゃないでしょうか。
でも歴史問題は多くの国同士あることでしょうから、政治の具にはして欲しくないですね。それで得られるメリットよりもデメリットの方が遥かに大きいと思います。
中韓の言いがかりに惑わされることなく、妥協です、毅然とした態度で正論を貫くしかないかな?
解決することはないでしょうけど orz
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、警戒が必要だと思いますね。
中韓との間の問題の解決は難しいですが、一つ可能性があるとすれば「国家の体制がそっくり入れ替わる」ことでしょうか。