13世紀の世界は激動(げきどう)の時代でした。モンゴル高原(こうげん)にあらわれたチンギス=ハーンや彼の後継者(こうけいしゃ)によってアジアから東ヨーロッパにまたがる大帝国(だいていこく)が誕生(たんじょう)したからです。さらにはチンギス=ハーンの孫(まご)のフビライ=ハーンによって中国大陸や朝鮮半島(ちょうせんはんとう)まで支配(しはい)され、国号を元(げん)に改(あらた)めたフビライはついに我が国に服属(ふくぞく)を求めてきました。
しかし、若き権力者であった鎌倉幕府(かまくらばくふ)の8代執権(しっけん)の北条時宗(ほうじょうときむね)はこれらの圧力(あつりょく)に一切(いっさい)屈(くっ)せず、元との2度にわたる戦いを制(せい)し、神代(かみよ)から続く我が国を守り抜いたのです。
北条時宗がここまで戦う意思をあらわにしたのはなぜでしょうか。また、大帝国たる元軍の日の出の勢(いきお)いを、なぜ当時の我が国がはね返すことができたのでしょうか。
今回の歴史講座では、北条時宗自身の炎(ほのお)と燃えた生涯(しょうがい)や元寇にまつわる数々のエピソードを振(ふ)り返ることによって、我が国の歴史全体の大きな流れや、現代の我が国が抱(かか)える様々な問題などについて探(さぐ)っていきたいと思います。





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青田 黒田先生
青田です。
この元寇の役について、なぜか、日本史の中では
軽く、扱われている気がします。
今の日本人が、歴史離れもあると思いますが
元寇の役を知らない若者も多いと聞いたことがあります。
元軍が、大陸で、いかに残虐な事を知ると
元寇の役の重みが増すと思うのですが。。。
青田さんへ
黒田裕樹 > 元軍が、大陸で、いかに残虐な事を知ると
> 元寇の役の重みが増すと思うのですが。。。
軽く扱われている理由はこの一点が大きいでしょう。
要するに日本が被害者であっては都合が悪いのです。
平和とは
青田 黒田先生
青田です。
私の
小学校の時の歴史の教師は
『台風が吹いて、元軍が自滅しただけなのに
日本が自分の力で、勝ったと勘違いした。』で
終わりました。
これは、私が小学校の時ですから、今は、少しは
マシな教え方になっているとイイのですが。。
青田さんへ その2
黒田裕樹 まさに偏向教育そのものですね。
現在では「戦うべきでなかった」といも言われているようですし、そんな矛盾をこれから明らかにしたいと思いますので、ネタバレにならないようお願いします。
ぴーち こんばんは!
時々、現代の日本の状況下で
昔の武将の様なタイプの人間が政権を担っていたらどうなるのかと思うときがあります。
今回のお話も楽しみに伺わせてくださいね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 時々、現代の日本の状況下で
> 昔の武将の様なタイプの人間が政権を担っていたらどうなるのかと思うときがあります。
> 今回のお話も楽しみに伺わせてくださいね!
有難うございます。
確かに現代に北条時宗のような政治家がいれば、我が国がどうなるか興味がありますよね。
オバrev おぉ!これは楽しみです。
確かによく考えれば国の存亡をかけた戦いですよね。
歴史書的には神風が吹いて日本は守られたように理解していましたが、真実は、その歴史的意味はどないやってんでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > おぉ!これは楽しみです。
> 確かによく考えれば国の存亡をかけた戦いですよね。
有難うございます。
仰るとおり、国家の存亡をかけての戦いでした。それだけに負けが許されなかったですね。
> 歴史書的には神風が吹いて日本は守られたように理解していましたが、真実は、その歴史的意味はどないやってんでしょうか?
これこそが今回の講座の重要な部分ですね。
これからじっくりと探っていきたいと思います。
しかし、その環境には「朝鮮半島に『強力かつ大陸の帝国の言いなりにはならない』独立国家(どくりつこっか)が存在する」 という条件(じょうけん)がありました。なぜなら中国大陸の支配者が朝鮮半島を自己(じこ)の所有とした場合には、半島を経由(けいゆ)して我が国を攻(せ)めやすくなってしまうからです。
このため、我が国は昔(むかし)から中国と朝鮮半島との絶妙(ぜつみょう)な外交関係を非常に重視(じゅうし)してきました。例えば聖徳太子(しょうとくたいし)は朝鮮の高句麗(こうくり)や百済(くだら)と同盟(どうめい)を結んだうえで中国の隋(ずい)と対等外交を結ぶことに成功しており、また白村江(はくすきのえ、または「はくそんこう」)の戦いで我が国が中国の唐(とう)と朝鮮の新羅(しらぎ)との連合軍に敗(やぶ)れた後も、唐の反撃(はんげき)を恐(おそ)れて対岸の警備(けいび)を強化するとともに、朝鮮半島を統一(とういつ)した新羅と外交を回復させて唐への牽制(けんせい)としています。
さらに付け加えれば明治期の日清(にっしん)・日露(にちろ)戦争も、李氏朝鮮(りしちょうせん、後の大韓帝国=だいかんていこく)を中国の清(しん)やロシアの侵略から防(ふせ)ぐことで我が国の独立を守るためだったのが原因の一つでした。
このようにして我が国は朝鮮半島を緩衝地帯(かんしょうちたい)として巧(たく)みに独立を守り抜いてきたのですが、朝鮮が完全に他国の支配下に入ったことで侵略を受け、存亡の危機に立たされるという時期も存在しました。それこそが元寇だったのです。





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ぴーちぴーぴーぴーちから黒田裕樹さんへお返事です★ こんばんは!
そうですか・・
今も昔も日本はあくまで自国の存亡の危機を
逃れる為だけに他国に刃を向けて来た訳ですね。
それ以上の富や名誉を求めたわけでも無いのに、
いかにも日本はこれまで悪行を働いてきた悪者の様に取り沙汰されてしまうのは、本当に遺憾な事ですし、今でも
日本がそれこそ指一本動かしただけで、近隣諸国は蜂の巣を突いた様に大騒ぎをするんですから、内政干渉も甚だしく迷惑な話です。
ぴーちぴーぴーぴーちから黒田裕樹さんへお返事です★ 上のコメントを差し上げたのは、ぴーちです。
何故か、今回はnameの欄に名前を打ち込む事が出来ませんで、名無しとなってしまった事、申し訳なく
思います<m(__)m>
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国は常に自衛のためだけに他国と戦ってきました。
そんな歴史を知らずに(あるいは知っているのに知らないふりをして)、仰るとおり内政干渉をするなど言語道断です。
なお、お名前の件ですが、こちらには別名で登録されていますので、ぴーちさんの方でご修正いただければと思います。それにしても不思議ですね。
管理人のみ閲覧できます
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その後、我が国で鎌倉幕府が成立して間(ま)もない13世紀始め頃(ごろ)、中国大陸で金の支配下にあったモンゴル高原にテムジンが現れると、モンゴルはチンギス=ハーンと称(しょう)したテムジンによって統一されました。チンギス=ハーンはその後も征服(せいふく)を続けて、中央アジアから南ロシアに至(いた)る広大な地域(ちいき)を領有(りょうゆう)しました。
チンギス=ハーンの後継者であるオゴダイ=ハーンは遠くヨーロッパまで征服するとともに、1234年には金を滅ぼし、アジアから東ヨーロッパにまたがる大帝国を建設しました。チンギス=ハーンの孫のフビライ=ハーンは、中国を支配するために都を大都(だいと、現在の北京=ペキン)に定めて国号を元と改め、朝鮮半島の高麗(こうらい)を服属させました。
要(よう)するに中国大陸に広大な領土を持つ帝国が現れ、かつ朝鮮半島がその支配下に置かれたことによって、先述(せんじゅつ)のとおり周りを海で囲まれた我が国といえども、他国からの侵略にさらされる危険性(きけんせい)が高まったのです。





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ぴーち こんばんは!
確かに海に囲まれていると言え、人類は
海を渡る為の船を持つことも、空を超える飛行機を持ち、渡ってくることも可能ですものね。
この地球上に住む限り、完全に他国から攻め込まれない安全な場所を求めることは皆無でしょうね。安心、安全だという思いは大敵。
常に危機感を頭の片隅においておくことは大切でしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
この当時は高麗が元の支配下に入ったことで危機が高まりましたが、現代ではいつ危機が訪れるか分かったものではないですからね。
平和ボケしているヒマはありません。