翌々日の7月20日には陛下のご不例(ふれい、この場合は天皇のご病気のこと)が国民に公表され、日本国内は憂色(ゆうしょく)に包(つつ)まれました。多くの国民が陛下のご平癒(へいゆ)を願って続々と皇居に集まったほか、全国の神社や仏閣(ぶっかく)でもご病気平癒の祈願(きがん)が行われました。
しかし、明治天皇のご病状(びょうじょう)は悪化する一方で、ご持病(じびょう)であった糖尿病(とうにょうびょう)に加えて26日には尿毒症(にょうどくしょう)を併発(へいはつ)され、容易(ようい)ならぬご重態(じゅうたい)となられました。
多くの国民の祈りもむなしく、明治天皇は同年7月30日午前0時43分に61歳(満年齢59歳)で崩御されました。陛下の崩御を受けて、皇太子嘉仁親王(よしひとしんのう)が直ちに践祚されて第123代天皇(=大正天皇)となられ、元号(げんごう)も大正(たいしょう)に改(あらた)まりました。





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ぴーち こんばんは!
今でこそ糖尿病患者さんは、石を投げたら
直ぐに当たるくらい多くなってしまいましたが、
この当時はまだ珍しい病であったのでは無いでしょうか。糖尿病を悪化させる最大要因はストレスだと言いますので、やはり相当な心労とストレスを抱えていらっしゃったのでしょうね・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 明治天皇はご酒をお飲みになるのがお好きでいらっしゃいました。
糖尿病になられてからはワインを中心にお飲みになられたそうですが、仰るとおり相当なストレスがあったと思われます。
当時の日本国民にとって明治天皇の大喪の日であった9月13日は大いなる悲しみの一日でしたが、そのうえもう一つの大きなショックを受けることになってしまいました。なぜなら、この日に明治天皇のご信任(しんにん)が厚(あつ)かった陸軍大将(りくぐんたいしょう)の乃木希典(のぎまれすけ)が陛下の後(あと)を追うように夫妻ともに自刃したからです。
乃木大将は日露戦争での旅順攻略戦(りょじゅんこうりゃくせん)で多くの部下(ぶか)を死に追いやったことを深く自責(じせき)しており、明治天皇への戦後の報告の後(のち)に自刃しようとしましたが、それを察(さっ)せられた陛下から「今はその時ではない。どうしてもというのであれば、朕が世を去(さ)りたる後にせよ」とのお言葉を賜りました。
乃木大将はその後陛下より与えられた学習院長(がくしゅういんちょう)としての職責(しょくせき)と、皇孫殿下(こうそんでんか、後の昭和天皇)のご教育という重責を果たした後、明治天皇の崩御に接(せっ)して潔(いさぎよ)く殉死(じゅんし)の道を選んだのです。





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ぴーち こんばんは!
願わくば、乃木将軍には天寿を全うしていただきたかったですね。
深く自責の念があったのなら尚更、
生きることを選択し、自分が殺めた人間達の
供養に専従していただきたかったです。
自刃をするということは、自ら犯した責任を放棄してしまう意味でもありますからね。
応援凸
乃木将軍
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
乃木将軍は、日露戦争の旅順攻略の時、
2人の息子も亡くし、自分も死ぬ気だったと
思います。
そう考えると、乃木大将は、明治天皇にたいする殉死は、明治天皇によって、延ばしてもらった命だったという気持ちがあったのではないでしょうか。(既に盟友児玉源太郎もこの世にはなく。)
昔、司馬遼太郎の『明治という国家』という本を読んだのですが、
明治とは、大正・昭和とは、全く、違う国家だったとあらためて、感じました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにそういえますね。
責任の取り方は色々ありますが、生きてこそという思いもあります。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
大正、昭和(そして平成)は明治の御代あってこそでしたからね。
ぴーち >生きてこそという思いがあります
ありがとうございます。
きっと乃木将軍にとっては、生きることは
死を選ぶことよりも、辛い選択だったと思います。その辛い選択の方を諦めてしまった事は
非常に悔やまれます。
今、この国の自殺者が異常な程に多いという現実を考えると
そこには様々な理由が存在するとは思いますが、
それでも何かの責任を取るために自らの命を捧げるという考え方は人間の驕りに他ならないと思いますね。
けれど、もしも乃木将軍が自殺をすることに対して、死んだ後、地獄の苦しみを味わう事を承知であったとしたら・・。
自らを深く戒める事で許しを請うつもりでいたのかも知れません。
それでも、それでは殺された者も、乃木将軍も苦しみ続けるばかりで浮かばれません。互いの幸せを願うのなら、やはり少しでも長く生きて、懇ろに供養するという選択のほうが最良だったはずと思いますね。
ここまで、諄い程にコメントを差し上げてしまい
失礼致しましたm(__)m
応援凸
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 これは非常に大きな問題でもありますね。
現代の考えでは自殺の勧めなど絶対に許されませんし、できるはずがありません。
100年前の我が国でもやはり同じではなかったのではないか…。
生命の大切さを学ぶには大きな教訓になるのではと思います。
ありがとうございます。
カラリストりんこ 今年も残りわずかですね。
いつも興味深く読ませて頂いております。
大変お世話になりました。
また来年も、楽しみに読ませて頂きますね(^o^)
当ブログへも、来て頂いて大変感謝いたしております。
ありがとうございます。
よいお年をお迎え下さいませ

2013年が黒田さまにとって素敵な一年になりますようにお祈り申し上げます。
ありがとうございます。
応援ポチさせて頂きますね(^o^)
ではでは・・・・
カラリストりんこさんへ
黒田裕樹 こちらこそお世話になり、ありがとうございます。
来年もぜひよろしくお願いいたします。
それだけに明治天皇の崩御は「明治」という一つの時代の終焉(しゅうえん)を国民に強く印象づけることとなり、夏目漱石(なつめそうせき)は大正3(1914)年に発表した小説「こゝろ」の中で「其時(そのとき)私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終わつたやうな気がしました」と書き、また森鴎外(もりおうがい)は乃木大将の自刃に際して歴史小説「興津弥五右衛門(おきつやごえもん)の遺書(いしょ)」を書き上げました。
また、陛下の崩御直後から世界の新聞では明治天皇の治世(ちせい)を絶賛(ぜっさん)する記事が見られるようになり、英米などを中心に「偉人(いじん)中の偉人であった」 「世界の最大君主と同列に立つことを得たりし聖帝(せいてい)、いやそれ以上であった」 と明治天皇を称(たた)えています。
明治天皇は我が国のみならず、世界史的スケールにおいてどの君主にも勝(まさ)る稀代(きだい)の英雄として世界中から仰(あお)がれていたのです。





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- 黒田先生
こんにちは
青田です。
やはり、『明治の日』を早く、復活しないといけないですね。
『文化の日』というのは、どう考えても、訳がわりません。
GHQが、勝手に祝日を変えたことには、怒りを感じますが、
戦後65年経ってるのですから、明治の日にしないと、今の若者は、全く、理解できません。
ますます、日本の伝統の崩壊につながります。
しかし、
今度の政権の布陣を考えると、日本の伝統を取り戻してくれると期待しています。(●^o^●)
青田さんへ
黒田裕樹 そうですね。
明治の日に関しては日を改めて紹介することになりますので、今しばらくお待ちください。
ぴーち おはようございます!
そうですね。
ここまで明治天皇のお人柄について
僅かながら、知識を深める事が出来た事に感謝しますm(__)m
人の痛みをしっかり自分の事のように
感じ取れるということは、一国を統括する者の資質としては無くてはならない要素だと思います。
その資質を明治天皇は、しっかりと学び、身に着けていらっしゃられたからこそ、人望が殊更厚かったのかも知れませんね。
最近TOYOTAのCMキャッチコピーで「権力よりも愛」という文句が掲げられていますが、この文句に惹かれました。
権力ばかりを振りかざすよりも、人として相手を
思う気持ちに長けた生き方を目指して行きたいものです。
勿論、明治天皇にも欠点というのはあったかも知れませんが、総じて人として尊敬に値する人物であったことは間違いなかったのでしょう。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
国内でのひいき目を差し引いたシビアな結果が出る海外での評価こそが、明治天皇のお人柄を表しているのでしょう。
だからこそ、国内においても国民の自主的な運動が盛り上がりを見せるのです。
やがて両陛下とゆかりの深かった東京・代々木(よよぎ)の地に神宮(じんぐう)が建設されることが決定し、一から人工林(じんこうりん)を造営(ぞうえい)するなど多くの国民が自発的に労働奉仕(ろうどうほうし)を重ねた大事業が行われた後、大正9(1920)年に両陛下はご祭神(さいじん)としてご鎮座(ちんざ)されました。現在の明治神宮です。
また大正12(1923)年には乃木大将が自刃した邸宅(ていたく)の隣地(りんち)に乃木神社(のぎじんじゃ)がこれも国民の熱意によって創建(そうけん)され、さらに昭和2(1927)年には同じく国民の請願(せいがん)によって明治天皇のお誕生日(たんじょうび)である11月3日が「明治節(めいじせつ)」として祝祭日(しゅくさいじつ)になりました。
我が国に大きな興隆と繁栄とをもたらした明治の精神は後世(こうせい)の人々に受け継がれ、今もなお私たちの前に光り輝(かがや)いているのです。





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ボス。 先生! 今年も ありがとうございました


来年こそは、日時と休みの合うのに期待し、
先生に会いに行きたい

ボス。さんへ
黒田裕樹 こちらこそ今年もお世話になりました。
ボス。様のご参加を心待ちにしております。
来年以降はその機会が増えるかもしれませんよ(?)。
ぴーち おはようございます!
乃木将軍に関しては、存命中に築いた国民からの尊敬の思いが彼の最後に決断した結果を救ったのかも知れませんね。どんなに魂が浮かばれなくとも多くの国民が、彼の為に祈りを捧げれば、救われない魂も救われるという一縷の望みが訪れるとも言いますね。
人が生み出す力、想念のちからとは時に奇跡を
も齎しますからね。彼の御霊が祀られた神社に参拝なさる方は、是非とも懇ろに供養していただきたいものです。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうですよね。乃木神社の建立は将軍の鎮魂のためでもあります。
自決については意見が分かれるところではありますが、彼の功績を後世までたたえる意味でも、国民の自発的な力による神社建立は素晴らしいと思います。
RALLY NEW WAVE こんにちは。今年はいろいろとコメントさせて頂き充実でした!有難う御座いました!皆様来年も宜しくお願いを致します!好いお年をお迎えを下さいませ!
RALLY NEW WAVEさんへ
黒田裕樹 来年もよろしくお願いいたします。