明治天皇は国家の存亡(そんぼう)を懸(か)けた日清・日露両戦争において英邁(えいまい、人格や才知が特別にすぐれていること)なる元首として堂々とお振(ふ)る舞(ま)いなさいましたが、それ以外の突発的(とっぱつてき)な危機に際しても大御心をお示しになられました。
両戦争より前の明治24(1891)年、来日中のロシア皇太子ニコライ(後のニコライ二世)が滋賀県(しがけん)の大津(おおつ)で警備(けいび)を担当(たんとう)していた巡査(じゅんさ)の津田三蔵(つださんぞう)に斬(き)り付けられるという事件が起きました(大津事件)。
日清戦争すら経験していなかった当時の我が国にとって、皇太子が負傷(ふしょう)した報復(ほうふく)としてロシアが攻(せ)め込んでくるのではないかという恐怖感(きょうふかん)は現代の私たちが想像もつかないほど大きく、政府ですら周章狼狽(しゅうしょうろうばい、大いにあわててうろたえ騒ぐこと)する有様(ありさま)でした。
そんな国家存亡の危機に際して、明治天皇のご行動は実に機敏(きびん)でした。事件の一報(いっぽう)が皇居(こうきょ)に伝わるや、陛下は翌朝直(ただ)ちに列車でご移動され、その日のうちに京都へお着きになると翌日にはお自ら皇太子のニコライをお見舞いされたのです。





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ぴーち こんにちは!
なるほど、自国側に否が認められたら
直ぐ様出向いて謝罪する気持ち。
潔いですし、けじめとしては一番大切な
事ですものね。
そういう一つひとつの人間としての基本的な
通りを弁えて行動する事が、高い信用を得る材料となり、この国の危機を掬ってくれていたのですね。改めて日本の顔となる人物には
人間として恥じない生き方をされている方に
先導して行っていただきたい思いを新たにしました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
明治天皇の迅速なご行動が我が国存亡の危機を救われることになりますが、次回(25日)の更新でもう少し詳しく紹介したいと思います。
クラチー 遅くなりましたが、310000HITおめでとうございます!
どひゃー、凄い~!
(@皿@)
明治天皇とニコライ二世にそんな繋がりが…。
外国人にも優しい天皇陛下、素敵ですねぇ。
(*>w<*)
クラチーさんへ
黒田裕樹 有難うございますm(_ _)m
仰るとおり、皇族同士の深いつながりがあったんですよね。
意外と知られていないエピソードでもあります。
帰国当日、ロシア側から「天皇を軍艦に招待(しょうたい)したい」との申し出がありましたが、これが我が国側で大問題になりました。なぜなら、大津事件の報復として軍艦が明治天皇を乗せたまま出航(しゅっこう)する可能性(かのうせい)もあったからです。万が一にも陛下が拉致(らち)されるようなことがあっては取り返しがつきません。
しかし、明治天皇は「ロシアは先進文明国だから皆(みな)が心配するようなことをするはずがない」とご自身のご意思で軍艦へと行幸(ぎょうこう、天皇が外出されること)され、ロシア側の大歓待(かんたい)をお受けになられただけでなく、普段(ふだん)はそのようなご習慣(しゅうかん)がないにもかかわらず煙草(たばこ)入れをご持参(じさん)なさり、お自ら皇太子に煙草をお勧(すす)めなさったそうです。
大津事件と言えば「我が国における司法権(しほうけん)の独立を守った」ことで有名ですが、その陰には明治天皇のご誠実かつご迅速(じんそく)なご対応(たいおう)が相手の心を開かせ、結果として我が国存亡の危機を未然(みぜん)に防いだという事実も私たちは決して忘(わす)れてはならないでしょう。
※以下のニコニコ動画は平成24年12月24日更新分「大津事件での誠実なご対応 その1」~今回更新分「大津事件での誠実なご対応 その2」をまとめて映像化したものです。





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ぴーち こんばんは!
そうですか・・
お話を伺っているだけでも
心温まるエピソードですね^^
相手を深く知るには、時に大胆にも
相手の懐に入る覚悟も必要ですね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
明治天皇の懐のお深さは国家元首としてのみならず、我が国伝統の皇室のご存在そのものだと思います。