戦時に備(そな)えて陸海軍では軍事演習が度々(たびたび)行われましたが、明治天皇は大元帥(だいげんすい)として数多くの演習を直接統監(とうかん、全体をまとめて監督すること)され、その度毎(ごと)に将兵(しょうへい)の労苦(ろうく)を共(とも)に分かち合われるという大御心(おおみこころ)を示されました。
例えば、明治21(1888)年11月の埼玉県(さいたまけん)での近衛部隊(このえぶたい、天皇の身辺警護を担当する武装組織のこと)の秋季演習が豪雨(ごうう)の中で行われた際、明治天皇はいつもどおりの乗馬姿(じょうばすがた)で野外から演習に臨まれましたが、余りに激(はげ)しい雨にお付きの侍従が馬車(ばしゃ)をひかせたところ、明治天皇は「朕は乗らない」と仰られ、そのままの姿で最後までお過ごしになられたそうです。
また、明治27(1894)年に日清戦争(にっしんせんそう)が始まり、大本営(だいほんえい、戦時に設置される陸海軍の最高統帥機関のこと)が前線に近い広島(ひろしま)に移(うつ)されると、明治天皇は同年9月から翌明治28(1895)年4月まで半年以上もの間、大本営で日々を過ごされることになりました。





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ぴーち おはようございます!
先日私が軍は「癌」だとコメントさし上げた時に、そうとも限らないというお返事をいただいた理由はこちらでしたか^^
確かに発足した当初というのは、それが必要であったと思われたからこそ組織が生まれ、出だしは順風満帆であったのだとしても、その後の詳しい展開は存じませんが、同じ組織が長い間我が物顔に一国を統司する事となると、誰もそのものに楯突くものが居なくなると、そこには傲慢さや強引さという悪しき考えが生じて来てしまうのではないかと思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰る道理は確かにどの組織にも存在しますね。前回の総選挙で自民党が野に下らざるを得なかったのもそれが理由の一つでしょう。
軍部に関しては、明治の輝かしさが薄れていったことには軍部自身に責任があることは言うまでもありません。
ただ、それだけでないのもまた事実ですので、詳しいことは来年以降の通史で折に触れて紹介したいと思います。
西郷隆盛。
晴雨堂ミカエル 明治天皇は西郷隆盛の教えを律儀に守っている事を示すエピソードでもありますね。
戦があっても不浄の鎧兜は着ず、女官に囲まれ束帯や直衣姿で和歌を詠む帝から、自ら不浄の軍服を着て、体力が消耗しない輿や牛車や馬車には乗らず乗馬で臨まれる。
現代の感覚では「それがどないした?」でしょうが、皇室の歴史からすれば革命的変革、明治天皇の立場からすれば一大決心。
天皇が日本統合の存在であり続けているのは、この生真面目かつ果敢に責務を全うしようとする姿勢でしょう。
抜群の自制心は今上陛下や皇太子殿下にも引き継がれています。マリー・アントワネットのようなお馬鹿が君主だと連想する左翼は、まことの皇室の強さ恐ろしさを知らない。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、西郷隆盛の存在の大きさを示したエピソードだと思います。
陛下はお召(め)しの軍服が破れても「繕(つくろ)えば良い」と交換(こうかん)に応じられず、寒い冬にストーブを取り付けようとすると「戦地に暖炉(だんろ)があるのか」と許可されず、大本営が手狭(てぜま)なので増築(ぞうちく)しようとすると「出征(しゅっせい)した兵士が生命を犠牲にして困苦(こんく)しているのに比べれは此処(ここ)の不自由など何でもない」とお断(ことわ)りされたそうです。
また、野戦衛生長官(やせんえいせいちょうかん)が戦地の兵士たちの食事や健康状態などについてご報告した際に、陛下は真っ先に「兵たちの飯(めし)は日本米か、それとも外地米(がいちまい、日本産以外の米のこと)か。外地の米には小石が混(ま)じっているそうだが、兵たちはそれで歯を痛めたり、胃腸を悪くしたりしてはいないか」とお尋(たず)ねになりました。
長官が「外地米を食べておりますが、石を取り除(のぞ)く道具を使用しておりますので大丈夫(だいじょうぶ)です」と申し上げ、その道具をお見せしたことでようやく明治天皇はご安心なさったそうです。





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ぴーち おはようございます!
こうした天皇の姿勢を今の政治家サン達にも是非
見習っていただきたいと切に思いますね。
国民が第一だと看板を掲げて居ながら、私利私欲にまみれ、選挙の時にだけ平身低頭な素振りをする姿にはうんざりさせられます。何億、何百億というお金の単位しか知らない政治家さんたちに、1円、十銭の単位で一喜一憂している世界の人間の生活の感覚は到底想像すら出来ないでしょうね・・・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりと思います。
国民生活の感覚がわかっていない君主や為政者は身を滅ぼしかねませんね。善政を行うための必須条件だと思いますが…。
明治天皇はご苦悩(くのう)の末(すえ)に開戦にご同意されましたが、対ロシアへの宣戦布告(せんせんふこく)の詔(みことのり、天皇によるお言葉やその文書のこと)を発せられた際に、そのお苦しみのお気持ちを御製に詠まれておられます。
「よもの海 みなはらからと 思ふ世(よ)に など波風(なみかぜ)の たちさわぐらむ」(明治37年、「はらから」とは兄弟のこと)
以上の御製は後に昭和天皇が大東亜戦争(だいとうあせんそう、なお戦後にGHQによって太平洋戦争と名称を無理やり変更させられました)開戦時の御前会議の席上で詠み上げられたことでも有名です。





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ぴーち おはようございます!
なるほど、天皇は人類は皆兄弟であると思っているのに、何故にこのような戦いをしなければいけないのかと嘆いていらっしゃったんですね。
天皇の慈愛に満ちた一句ですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国の皇室こそが最大の「慈愛に満ちた平和を望まれるお考え」の持ち主なのです。
それはもちろん昭和天皇も、今上天皇も全くお変わりではありません。
それだけに、明治天皇の今後のご苦悩はますます深くなられるのです。
「さ夜(よ)ふかく ゆめをさまして さらにまた 軍(いくさ)のうへを おもひつづけぬ」(明治37年)
「ゆくすゑは いかになるかと 暁(あかつき)の ねざめねざめに 世をおもふかな」(明治38年=1905年)
戦地のことが気になられて満足にご就寝(しゅうしん)がお出来(でき)にならないご様子がうかがえます。
「しぐれして 寒き朝かな 軍人(いくさびと) すすむ山路(やまじ)は 雪やふるらむ」(明治37年)
「ふる雪も またれざりけり つはものの ※たむろの寒さ おもふ今年は」(明治38年) ※たむろ=陣営のこと
日清戦争における広島の大本営と同様に、明治天皇は現地の兵士とお心を共にしたいという思(おぼ)し召しから開戦と同時にストーブを焚(た)くことをおやめになられたそうです。





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オバrev あるセミナーで、日々の一挙手一投足が人格を作るということを言われましたが、それを思いましました。
天皇家の方々の持っておられる気品といいますかオーラは、やはり一朝一夕に作られたものではないのですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
皇居での勤労奉仕で陛下がお越しになられると、そのオーラに圧倒されて何もできなくなってしまうらしいですからね。我々常人ではありえない気品をお持ちなのでしょう。
ぴーち こんばんは!
今日は奇しくも天皇誕生日ですね。
お昼の番組で、今上天皇が被災された
方達の事を思い、ご自分でも心臓の病を
押してまでも被災地をご訪問し、労いの
お言葉を掛けられているお姿をテレビは
写していましたが、やはり自分の命を削られながらも、この国の国民の事を一番に案じて
いらっしゃるお気持ちは、非常に慈悲深く
そのお気持ちを私達ももっと知るべきだと
思いましたね・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 昨日(23日)は仰るとおり天皇誕生日でしたね。私も近くの記念式典に参加してきました。
陛下の慈悲深いお気持ちは、今上陛下も明治天皇も、もちろん他の陛下の皆様も全く同じです。
一部の国民が陛下のお優しさを理解していないのは悲しいですね…。
「いさましく 進みすすみて くにのため たふれし人の おほくもあるかな」(明治37年)
陛下の大御心は現地の兵士のみならず国民一人ひとりまでに及ぶと同時に、多くの兵士が毎日のように尊(とうと)い命を散らしていくことを大変悲しまれておられました。戦争前には黒々としていた御髪(おぐし)も、戦争中にめっきり白くなられてしまわれたということです。
「さまざまに もの思ひこし ふたとせは あまたの年を 経(へ)しここちする」(明治38年)
やがて我が国は大変な苦労を重ねながら大国ロシアを相手に辛(から)くも勝利を収(おさ)めることができました。以下の御製は東郷平八郎(とうごうへいはちろう)連合艦隊司令長官(れんごうかんたいしれいちょうかん)による横浜沖(よこはまおき)での凱旋観艦式(がいせんかんかんしき)を思われて詠まれたものです。
「いさましく かちどきあけて 沖つ浪(なみ) かへりし船を 見るぞうれしき」(明治39年=1906年)
これらのように、明治天皇は将兵の労苦と常に共にあろうとするお気持ちをことある毎に示されておられました。我が国が明治期の数々の困難(こんなん)な戦争を勝ち抜(ぬ)くことができたのも、一兵卒(いっぺいそつ)までが陛下の大御心に触(ふ)れたり、また伝え聞いたりしたことによって勇気百倍し、それぞれが獅子奮迅(ししふんじん、獅子がふるい立って暴れまわるように激しい勢いで物事に対処すること)の働(はたら)きを見せたからではないでしょうか。
※以下のニコニコ動画は平成24年12月19日更新分「戦時における陛下の大御心 その1」~今回更新分「戦時における陛下の大御心 その5」をまとめて映像化したものです。





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ぴーち そうですよね。
家族だとてそうだと思います。
親元を離れ、社会の荒波に
揉まれ、子供は苦難を乗り越えていくものですが、
たとえ遠くに離れていようが、自分を
いつも暖かく見守ってくれている
親や家族が居るというだけでも
心が落ち着くものですし、そういう拠り所が
有ると無いとでは、その人の人生は
随分と変わって来ると思います。
精神的に常に落ち着いて行動することは
成功出来る人生の大きな要因でもあるように
自分にとって心の拠り所がある事は
それだけで心強く、精神的に路頭に
迷うことが無くなるという事だと思いますからね。
応援凸
オバrev 陛下の国をそして国民を思うお気持ちは、何があっても揺るぎなく、ぶれない、強いものだということがよく分かります。
ポピュリズムに走り、軸がぶれまくっている某政党(複数)の混乱を見ていると、政治家にも国のために芯がしっかりしてぶれないことが求められているように思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、精神的な拠り所の存在の大きさを実感します。
日本国民の、そして兵士の一人ひとりが陛下の大御心を支えとして苦境に立ち向かい、結果として我が国を繁栄に導いていく。
現代にもつながる教訓だと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
来るべき新政権には「国益」を第一に考え、我が国発展のためにぶれずに行動を続けてほしいものですね。