祐宮さまは御年(おんとし)9歳の万延(まんえん)元年(=1860年)9月に父君(ちちぎみ)の孝明天皇から親王宣下(しんのうせんげ)をお受けになり、睦仁(むつひと)という諱(いみな、天皇など身分の高い人の実名のこと)を賜りましたが、当時はアメリカのペリーの浦賀(うらが)への来航(らいこう)がきっかけとなった開国をめぐって国内が混乱(こんらん)を極(きわ)めた真(ま)っ最中(さいちゅう)でもありました。
そんな中、孝明天皇は我が身を犠牲(ぎせい)になさるお覚悟(かくご)で我が国を守るためにひたすら祈られるとともに、多くの御製を詠(よ)まれましたが、睦仁親王はそんな父君の背中をご覧(らん)になられて成長されたのでした。
しかし、親王と父君との日々は長くは続きませんでした。慶応(けいおう)2年(=1866年)12月に孝明天皇が天然痘(てんねんとう)によって崩御されたのです。深いお悲しみの中、睦仁親王は翌(よく)慶応3年(=1867年)1月に御年16歳で践祚(せんそ、皇位の継承のこと)され、第122代天皇となられました。





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ぴーち おはようございます!
江戸時代末期の国内の混乱を目の当たりし、更に父君の苦悩を痛く心に刻んでいたからこそ、初心の決意も固かったのですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 父君であられた孝明天皇のご苦悩は本当にお深かったのではと思われます。
だからこそ、志半ばで崩御された父君にかわってご立派な君主になられようとされたのではないでしょうか。
新たに政治の実権を握(にぎ)った明治新政府には為(な)さねばならない課題が山積(さんせき)していましたが、なかでも最大の問題は「如何にして我が国の独立を守り、他国からの植民地化を防ぐか」ということでした。
明治維新が始まった当時の19世紀後半のアジアは帝国主義(ていこくしゅぎ、政治や経済、軍事などの面で他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策のこと)を標榜(ひょうぼう、主義や主張などをはっきりと示すこと)する欧米列強による植民地化が進んだ、いわゆる「草刈(くさか)り場(ば)」と化(か)していました。
何しろ東アジアの超大国(ちょうたいこく)と思われていた清(しん)ですらアヘン戦争の敗北(はいぼく)などによって、香港(ホンコン)などの主要都市を列強の支配下に置くことを認(みと)めざるを得ないという厳(きび)しい状況(じょうきょう)だったのです。





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ぴーち おはようございます!
仰るとおり、よくぞ日本はこれまで欧米諸国の事実上の植民地にならずに済んで来たものだと改めて感じました。やはりこの国には紀元前から脈々と受け継がれていきた天皇制という制度が存在していたからこそ、それぞれの時代で生じた国難を乗り越えて来られたというのが大きな要因なのでしょうかね・・?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、皇室のご存在が我が国にとって大きかったと思われますね。
以前にご紹介した昭和天皇もそうですが、明治天皇に関してもそのご存在の素晴らしさをこれから紹介していきたいと思います。
このままでは我が国も他国の植民地とされてしまいかねないという危機感(ききかん)を持った明治新政府は、欧米列強と肩を並(なら)べるためにも一刻(いっこく)も早い近代国家としての確立を目指さなければなりませんでした。
しかし、それまで260年以上も政治を行ってきた江戸幕府に比(くら)べ、産声(うぶごえ)をあげたばかりの新政府がいくら優(すぐ)れた政策(せいさく)を実行しようとしたところで、果たしてどれだけの国民がついてくるというのでしょうか。
そこで、新政府は我が国の元首であり長い歴史を誇(ほこ)る天皇の権威(けんい)を活用し、天皇の名の下(もと)で政治を行うことで多くの国民の支持を得ようと考えたのです。折(おり)からの尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)によって、皇室(こうしつ)に対する崇敬(すうけい、あがめてうやまうこと)の思いが国民の間で高かった当時の世情(せじょう)も新政府を後押(あとお)ししました。





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ぴーち おはようございます!
そうですよね。
今日の記事を読ませていただいた限りでも
カリスマ性を持ち合わせたリーダー的な存在がいてこそ国民の結束力、団結力が強まるものですよね。一国の政治を司る政治家の手腕、或いはカリスマ性がいかに大事なことか、改めて思いました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、人間が一致団結するためには良くも悪くもカリスマ性を持つリーダーが必須です。
今回の場合は見事にプラスに働くことになりますが、世の中にはその逆もありますからね。
五箇条の御誓文の主な内容としては公議世論(こうぎよろん、世の多くの人々の様々議論のこと)の尊重(そんちょう)や、攘夷(じょうい)をせずに開国和親を推進することなどが挙(あ)げられますが、これらは明治新政府にとってのいわゆるマニフェストでもありました。
五箇条の御誓文には明治新政府の当面の基本方針を天皇が神々(かみがみ)に誓われるというかたちにすることによって、国民に信頼感や安心感を与えるという意味も込(こ)められていました。そして、それだけの覚悟を決めたマニフェストは、21世紀の某政党(ぼうせいとう)のように簡単に破ることは許されず、絶対に実行しなければならないものだったのです。明治天皇ご自身も御誓文の後に「天皇自らが国難(こくなん)の先頭に立って我が国を護(まも)る」という内容のお言葉を発せられ、ご覚悟を明確に示されておられます。
五箇条の御誓文は明治以後の指導(しどう)精神として近代国家へ向けての様々な政策に受け継(つ)がれました。また、明治天皇の御孫(おんまご)にあたられる昭和天皇(しょうわてんのう)は、昭和21(1946)年元日の「新日本建設ニ関スル詔書(しょうしょ)」において五箇条の御誓文を引用され、御誓文の精神に立ち返って新たな国づくりに努めるご決意をなされておられます。
※以下のニコニコ動画は平成24年12月3日更新分「崩御100年にご遺徳を偲んで」~今回更新分「明治天皇のご誕生と激動の維新 その4」をまとめて映像化したものです。





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- 黒田先生
こんばんは
青田です。
この五箇条の御誓文は、中学時代に
歴史の授業で、学んだ時に、素直に感動できました。
① 天皇自らが、神に誓った約束であること。
それゆえ、絶対に実現するという重みが今の某政党のマニュフェストとは、違う。
② 非常にわかりやすく、普遍的である内容。
(長期的・根本的な内容であること)
未来の日本の青写真で
原理原則に近い普遍的なものなので、その土台の上に立って、世の中の状況の変化に応じても
実現していくことが可能。
某政党のマニュフェストのように今さえ良ければの具体的過ぎるマニュフェストでは、不確定要素が起きる世の中において、現実的ではない。(政治家は、預言者ではない。)・・地震・反日デモを予言した政治家はいない。
③ 5つと非常に少ないこと。
某政党のマニュフェストのように虫眼鏡で、わからないような細かいマニュフェストまで
読んでいるほど、国民は、暇ではない。
※ よく、選挙の時、政治家が演説で、『私は、このマニュフェストを実現するために命を懸けます。』と言いますが、実現しないで、切腹した政治家はいませんね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
命がけのマニフェストは単純明快でないと実行できるわけがありません。
公約を守らずして平気でいられる神経が信じがたいですね。
ぴーち おはようございます!
今日は何やら世論への批判的なコメントになってしまいまい、申し訳ありません。
最近特に感じるのですが、
現代に生きる人達は、口で言っている事と行動が一致しない人間が多すぎる様に思います。
自分の言葉に責任を持てない人間は、やがて信用を失うということは世の習いであり、信用を得るということは、どんな公約であれ、何が何でも命を掛けてもそれに向かって全力で努力し、行動していく姿が見られた時に初めて人は納得するものだと思います。
口と行動を一致させるのは簡単なもものでは無いですが、簡単では無い茨の道を自分の体を傷つけてまでも果たそうとする人間に人は感動し、ついていこうと思うものです。
大きな目標をわざわざ立てなくとも、どんなに小さな約束ごとでも、それを現実のものにしようと
する動きに大きな意義があるとおもいます。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も同感です。
明治天皇が神々に誓われてまで果たそうと為された五箇条のご誓文の精神を今こそ思い起こさねばなりません。
明治天皇の存在の重さ
- 黒田先生
おはようございます。
青田です。
この明治天皇について、考えると
奇跡的な明治時代の日本の超スピードの近代化
は、明治天皇という存在なしには、有り得ませんね。
私は、現代の日本人の最大の問題は、中心である
天皇陛下、ならびに、皇室への軽視です。
というのも、今のいろいろな問題の根本は
日本人の精神的支柱がないと思うからです。
◆ 自殺率は、世界5位で、年間3万人です。
(東北沖地震よりも多い数の人が自ら、命を絶っています。)
◆ うつ病100万人。
◆ 消費者は、made in Japanの製品よりも
安ければ、中国産でもイイと思って買います。
◆ 企業は、儲かれば、中国に会社を移せばそれでイイと思い、『愛国万歳』と言われても経済人は、中国大使のパーティーに平気で参加します。
(戦後の日本の復興という共通認識で、頑張った経済人とは、全く、違います。)
◆ 東京は、本当は帝都東京であるはずなのに
バラバラで、混在しているだけの都市になっています。
もちろん、GHQが、太平洋戦争(本当は、大東亜戦争)で、日本に抱いた日本人の精神性への恐怖心の解体という意味では、GHQの目論見は、
成功したわけですが。。。
現代は、自虐史観を受けた現代人によって、皇室の存在を軽視する方向で進んでいること。
(但し、保守系の方が今、頑張ってらっしゃるのは、救いですが)
今、日本人は、明治時代になぜ、あれだけの奇跡を起こせたのかを真剣に考えないといけない時期に来ている気がします。
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおりですね。
だからこそ今回の講座の意義を見出したいと思います。