例えば聖徳太子の母親が臨月(りんげつ)の際に馬小屋の前で産気(さんけ)づいたため、彼が生まれた後に厩戸皇子(うまやどのおうじ)と名付けられたという話がありますが、同じように「馬小屋の前で母親が産気づいた」とされるイエス=キリストとの共通性には興味を惹(ひ)かれます。
他にも幼少時から抜群に有能であったために10人による全く別々の話を同時に聞き分けることができたということなど、聖徳太子には様々な伝説があるのですが、それらがあまりにも浮世離れしているということで最近では「聖徳太子は実在しなかった」とか「聖徳太子の業績は大半がつくり話だ」などという学説も出てきています。
さらに最近では「聖徳太子」という彼の名前の呼び方についても意見が分かれているという状況にあることを皆さんはご存知でしょうか。





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晴雨堂ミカエル 厩戸皇子伝説については、キリスト教のネストリウス派が東アジアに伝播して、景教として日本に伝わったのが影響している説があります。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、キリストとの関係はそんなところにもあったんですね。
偉人伝説の共通性も面白いものです。
ぴーち おはようございます!
世の名を残す人物というのは、
生まれながらにして、奇特な話が多いですよね。
そしてどちらかというと裕福ではなく、貧困家庭に生を受ける。
他の方の解釈で恐縮ですが、貧乏な家庭に生まれる事は必然的な事であり、その後大出世することにより、人間は努力すればどんな生い立ちであろうと大成出来る可能性を秘めているということを身をもって世間に知らしめる為にそこに生まれる運命だったと
伺った事がありますが、なるほどなと思ったものでした。
科学や経済が進歩してくると、目に見えるものだけが常に信用され、目に見えないものは排除されてしまうような考え方に変化してしまいますが、これからも次第に人事を超えるような能力が本当に備わっていたとしても、そういう事実は無かった・・などともみ消されていってしまうような気がしますね(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 おっしゃる通りだと思います。
> 科学や経済が進歩してくると、目に見えるものだけが常に信用され、目に見えないものは排除されてしまうような考え方に変化してしまいますが、これからも次第に人事を超えるような能力が本当に備わっていたとしても、そういう事実は無かった・・などともみ消されていってしまうような気がしますね(^^ゞ
これは共産主義や社会主義を支える唯物史観にも同じことが言えますね。
そしてその影響は聖徳太子自身にも…。
すなわち、歴史教育では生前に使用された名前で表現すべきであるから聖徳太子ではなく本名の「厩戸皇子」あるいは「厩戸王(うまやとおう)」と呼ぶべきだというのです。確かに高校でよく使用される有名な教科書においては現実に「厩戸王」という表現が使用されています。
しかし、この理屈には無理があります。もし「歴史教育では生前に使用された名前で表現すべきである」とするのなら、歴代の天皇など、その死後に名前が贈られた人々はどのように呼べばよいのでしょうか。例えば今上陛下(きんじょうへいか)を含めてすべてを「天皇」と表現するのであれば誰が誰だか分からなくなってしまいますし、こんな人を馬鹿にした話はありません。
さらに、聖徳太子については不在説があるのは確かですが、今のところは断定できる段階まで研究が進んでいません。そのような歴史研究の場で未だに決着がついていない事柄を簡単に変えてしまってよいものでしょうか。ましてや後世の人間が「聖徳太子」という名を贈ったという重い現実を無視してまで呼び方の変更を急ぐ理由が他にもあるのでしょうか。
私には思い当たる節(ふし)があります。





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- 黒田先生
こんにちは
青田です。
この話を両親に話すと
(父親80才、母親75才)
に話すと
『そんな、アホな。』と固まってしまいました。
というのも、
両親にとっては、
1万円札は、聖徳太子だから、有り難かったからです。
「厩戸王」なら、昭和を生きた人の感覚も
ズレてしまうことになります。
私は、46歳ですが、もしかしたら、
私が受けていた『日本の歴史教育』(かなり、偏向だったとは、思いますが)と
今の『歴史教育』とは、かなり、違うのかもしれませんね。
さらに、それに拍車をかけているのは
私の時は、日本の時代劇の全盛時代でしたので
興味を持って別の本を読んだりましたが、
今は、時代劇がほとんどなくなり、(韓国の時代劇は、放送していますが)歴史に興味のない若者が多いです。
青田さんへ
黒田裕樹 「そんなアホな」という思い、私にもよく分かります。
これは立派な「後世による歴史の改悪」と言えるでしょう。
ではどうしてこういうことになったかというと、それは次回の更新で。
ぴーち おはようございます!
後の天皇家の話は度外視させていただくとして・・
私は「厩戸皇子」でも良かったのではないかと思います。なぜなら、前回コメントをさせていただいた内容の様に、例えそれが貧相な名前であったとしても、それが事実であるのだったら、生まれはそうであっても、その人の生き方、学び方によっては聖人と言われる人物にまで出世することが出来るのだという強烈なメッセージとなるように思います。
けれど、聖徳太子という別名を後の人々がその偉大なる功績を讃えて寄贈した名前であったのなら、それも立派な功績の一つでもあるので、結果的にそう呼ばれるような人物になったという、こちらも呼び名で証明されたようなものだと思います。
こういう問題は、どちらか一方が正しくて、どちらが一方は間違っているという判断よりも、どちらも事実であり、どちらの呼び名も彼であったのだと教育されるべきでは無いでしょうか。
これまでこういう問題はなかなか通常の授業では議論がされなかっただけに、今回の黒田さんの記事の内容は殊更、歴史の大切さを痛感させられ、また勉強になりました。ありがとうございますm(__)m
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こういう問題は、どちらか一方が正しくて、どちらが一方は間違っているという判断よりも、どちらも事実であり、どちらの呼び名も彼であったのだと教育されるべきでは無いでしょうか。
おっしゃることは私も理解できます。
もし聖徳太子の名前を厩戸皇子と呼ぶ理由がぴーちさんのようなお考えであれば、それはそれで問題はないのかもしれません。
しかし、皇位継承者である「皇子」ではなくただの皇族でしかない「王」を広めようとしか考えられない書き方である教科書を見ると、どうしても次回(27日)に紹介するような思惑があるのではないかとしか考えられないのもまた事実なのです。
さらには、最近の歴史教育にありがちな「隣国に配慮し、相手の価値観を重要視する」という姿勢が、聖徳太子に関する歴史について勝手に捏造(ねつぞう)するという結果をもたらしてはいないでしょうか。
現在、我が国と中国(=中華人民共和国)との関係は必ずしも良好とは言えません。もともと隣国同士の仲は世界中のどこにおいても悪いのが常識ではありますが、昭和12(1937)年12月における我が国による南京の攻略(こうりゃく)に関する「大虐殺(だいぎゃくさつ)」説や、我が国固有の領土である尖閣諸島(せんかくしょとう)に関する中国側による様々な不法行為などによって、最近の両国の関係は特に悪化しているように見受けられます。
一般的なマスコミや教科書における歴史観からすれば、これらの原因はすべて「先の大戦に関する我が国の反省と謝罪」が足りないからだというのが通説となっているようですが、もちろんそれは荒唐無稽(こうとうむけい、根拠がなく現実性のないこと)な話であり、捏造された歴史観や我が国固有の領土に対する不法行為には断固として抗議しなければなりません。
しかしながら、こんなご時世だからこそ、かつて隋に対して対等外交を突き付けて我が国の立場をはっきりと示したことで独立への道を拓(ひら)き、以後の長い年月における多大な国益へと導いた聖徳太子の「本当の姿」を明らかにするのは都合が悪いと勝手に解釈する人間が、もし我が国の上層部に存在するとすればどうなるでしょうか。





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中年の星 何故こうも長きに渡って日本が中韓に対して卑屈な外交姿勢を取り続けるのか?まさに日本の闇、いや世界の闇の部分につながる話かもしれませんね。
オバrev 工エエェェ(´д`)ェェエエ工~、その上層部って現政権党の実力者のことですか?
全く日本のこういう行動は、国際的に見て異様じゃないでしょうか。
経済的にあまりに強い結びつきを持ってしまった中韓ですが、立場はむしろ日本の方が強いと思います。
これからは経済も中韓に偏らず、東アジア圏という考え方に変えて(民間企業は既にその方向に舵を切っている)いけば何の問題もないと思います。日本の歴史観も明確にしていくべきじゃないでしょうか。
それで経済的交流が停滞して困るのは中韓でしょう。
根本的な問題
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
この問題は、根本的なことをわかってない人間が
多いことが原因だと思います。
それは、『歴史を学ぶ意味』です。
これを、日本の上層部の人間が理解していたとしたら
① 日本の歴史をしっかり、学ぶことで、不安で、心細い混迷を生き抜く『知恵』と『勇気』を得る。
② 仮に、中国が怖いなら、中国の歴史を学んでみる。(ねつ造された近現代史だけではなく)
そうすれば、中国という国が、どういう国かを理解できて、そこまで、過敏にならない。
(現代の日本人の価値観と同じと思って、中国に
接するから、日本の国家としての主体性がなくなる。)
ぴーち おはようございます!
なるほど、中国が日本に対して
敵対心を露わにする姿勢の根源は聖徳太子の時代から脈々と受け継がれて来た訳ですね。
いわゆる「生意気な奴!面白くない!」という一種の感情論が彼らの恨みの原動力であるから、抗議してくる内容に信ぴょう性が見られない発言が多いのですね。
応援凸
中年の星さんへ
黒田裕樹 > 何故こうも長きに渡って日本が中韓に対して卑屈な外交姿勢を取り続けるのか?まさに日本の闇、いや世界の闇の部分につながる話かもしれませんね。
私もそう思います。
我が国を覆う「闇の雲」を一日も早く振り払いたいものですね。そのためにも政治の刷新が重要かと思われます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 工エエェェ(´д`)ェェエエ工~、その上層部って現政権党の実力者のことですか?
> 全く日本のこういう行動は、国際的に見て異様じゃないでしょうか。
はっきり言って極めて異常ですし、私たち国民の目を背けさせようとする現状はもっと異常です。
> 経済的にあまりに強い結びつきを持ってしまった中韓ですが、立場はむしろ日本の方が強いと思います。
> これからは経済も中韓に偏らず、東アジア圏という考え方に変えて(民間企業は既にその方向に舵を切っている)いけば何の問題もないと思います。日本の歴史観も明確にしていくべきじゃないでしょうか。
> それで経済的交流が停滞して困るのは中韓でしょう。
全く同感です。中韓との経済交流がなくなったところで、我が国の経済の屋台骨が揺らぐことは全くありません。
インドやベトナムなど反日国でない国との交流を進めれば何の問題もないですし、内需拡大を目指して国内産業に力を入れるなど対策はいくらでも可能なはずです。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、歴史の価値観や主体性を他国にゆだねようとしている現状が今日の混迷をもたらしているのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、中国が日本に対して
> 敵対心を露わにする姿勢の根源は聖徳太子の時代から脈々と受け継がれて来た訳ですね。
> いわゆる「生意気な奴!面白くない!」という一種の感情論が彼らの恨みの原動力であるから、抗議してくる内容に信ぴょう性が見られない発言が多いのですね。
その通りです。
恨みからは何も建設的なことは生まれませんが、感情を左右できない(もしくはわざとコントロールしない)国家の現状は哀れですし、我が国がそれに付き合ういわれは全くもって存在しません。
適度な距離感
- 黒田先生
おはようございます。
青田です。
私は、『外交』とは、『対等関係のおける適度な距離』が必要だと思います。
これについても、歴史から、学べると思います。
つまり、外国とは、適度な距離感で、付き合うということです。
(その国がないと日本が困らない距離感。)
◆ 聖徳太子の隋との関係。
◆ その後の唐との関係。
◆ 平清盛と宋との関係。
◆ 日明貿易。
◆ 江戸時代の清との関係。
純粋に必要なものだけを貿易し合う関係。
戦後も、日本と中国とは、適度な距離を保っていた気がしますが
ここ、数年の日本の企業の中国依存は、異常です。
その結果
中国の経済力が伸びると軍事力が増大し、周辺諸国に侵略の魔の手を伸ばす。
かといって、中国経済が弱くなると、日本の企業は、過剰依存しているので、日本の企業も困る。
その原因は、マスコミ(特に経済評論家)の責任が大きいと思います。
散々、『これからは、中国の時代』と喧伝してきたからです。
まあ、これは、私の個人的な意見ですが
中国がそんなにイイ国と企業が思うなら
中国に移住して、中国人に帰化すればイイと思うのですが。。。。
青田さんへ その2
黒田裕樹 私も同感ですね。
帰化する覚悟もなく、いい加減なことばかり喧伝する行為は売国そのものでしょう。
聖徳太子は1000年を遥(はる)かに超える長い年月の間ずっと我が国の人々に語り継がれた立派な偉人です。近現代においても我が国のお札(さつ)の肖像画として何度も採用され、特に昭和33(1958)年から昭和59(1984)年までの26年の長きにわたって我が国の最高額紙幣(しへい)である一万円札に使用されたという事実が、聖徳太子の我が国における人気が途切れることなく続いているという明確な証拠となっています。
我が国の歴史は我が国のものなのですから、厩戸皇子に対して感謝や畏敬(いけい)、あるいは親しみを込めて「聖徳太子」と呼称することに何の遠慮が必要というのでしょうか。私たち日本人は今後もずっと「聖徳太子」という称号で彼の偉大な業績を讃(たた)えるべきです。
さらに付け加えれば、聖徳太子にまつわる話は決して過去の問題ではなく、現在においても大きな教訓として私たちの目の前に存在しています。我が国固有の領土である尖閣諸島を守るという日本国民にとって当然の意識も聖徳太子による対等外交の精神がそのDNAとなっていますし、もし彼の努力を無駄にするような政府が現在進行形で存在するのであれば、多数の国民が抗議の声を上げるのはむしろ当然の帰結なのです。
遥か昔の亡国の危機に際し、たった一人で内政面や外交面の両方から一大改革を成し遂(と)げ、結果として我が国を一流国へと引き上げた聖徳太子。彼が遺した実績から歴史に学ぶ姿勢こそが、混迷を極める我が国の現状に一条の光をもたらすことになるのではないでしょうか。
(※第32回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[10月29日]からは通常の更新[=大正時代]に戻ります)





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ぴーち おはようございます!
1000年も以前の人物の功績が今でも讃えられているというのは、本当に素晴らしいです!
裏を返せば、聖徳太子以上、或いは同等に優れた人物はこの1000年に間には出現しなかったということになるでしょうか(^_^;)
優れた人材は、1000年に一人、出るか出ないかと言うなれば、もうそろそろ現代の日本にも出現してもおかしくなさそうですが、その気配は
いかに・・・?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、聖徳太子以来の偉人が我が国に出現しているかどうかですね?
…現代には確かにいなさそうかもしれませんが、亡国の危機にこそ救国の英雄が現れるとも言いますからね。
言葉の重みに鈍くなっている日本人
青田 黒田先生
青田です。
この聖徳太子の話について、
あまり、反応しない日本人が多いようですが、
これは、『言葉の重み』の感じ方について
日本人と中国人とでは、全く、違うからだと思います。
たとえば、聖徳太子が、隋の煬帝に『天皇』という敬称を認めさせたことの重要性。
『聖徳太子』を『厩戸皇子』に変更させられていることの屈辱をあまり、一部の日本人以外は、感じていません。
それは、日本人が考えてない大前提があります。
世界で、日常で、使っている文字が漢字なのは、中国・台湾・日本だけであること。
古来、中国(シナ)では、漢字を使えることが中国人としての証明であったこと。
ベトナムは、昔、漢字を使っていましたが、今は、使っていませんし、
朝鮮半島の人達は、現在は、ハングル語で、漢字は、苗字くらいにしか使っていませんが、1400年以前は漢字を使っていました。
逆に言えば、中国にとっても、日本にとっても
漢字の呼び方が、外交上においても、民族的な意識においても大きな影響を及ぼすほど重要だということです。
これが、わかってないから、
中国の
『尖閣諸島の棚上げ』という言葉の解釈を使った
巧みな罠で、つけ込まれている気がします。
あらためて、『文字』(言葉)の重要性を痛感します。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、言葉は重要ですよね。
相手の言い分を鵜呑みにするほど愚かな行為はありません。