まず内政においては聖徳太子もその血を引いていた蘇我氏(そがし)による横暴(おうぼう)が激(はげ)しくなっており、なかでも我が国が仏教を積極的(せっきょくてき)に受けいれることを表明(ひょうめい)して、反対派だった物部氏(もののべし)との争(あらそ)いを勝ち抜(ぬ)いた蘇我馬子(そがのうまこ)は、自身と対立した崇峻天皇(すしゅんてんのう)を他人に命じて暗殺させていました。
また、当時は朝廷(ちょうてい)と蘇我氏のようないわゆる豪族(ごうぞく)とがお互(たが)いに土地や人民(じんみん)を所有していましたが、聖徳太子が摂政になった頃(ころ)には蘇我氏の支配地が朝廷をおびやかすほどに大きくなっており、政治上のバランスが不安定になっていました。
この状態を放っておけば蘇我氏の勢力が朝廷を大きく上回ることで、やがて両者に争いが起こって罪もない民(たみ)が迷惑(めいわく)するだけでなく、何よりも海の向こうに誕生(たんじょう)した「巨大な帝国(ていこく)」の介入(かいにゅう)すら考えられる大きな危機を迎(むか)えていたのです。





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- こんばんは。この度のビデオを拝見させていただきました、とある古代史家の端くれ者です。
突然ですが先生は、戦後日本古代史研究の出発点ともなった、石母田正『日本の古代国家』を、お読みになられていますでしょうか?本書はマルクス主義歴史学を基盤に据えて書かれているとはいえ、その古代国家の切り取り方には敬嘆する所があります。
特に今回の先生の講義で触れられなかった(がこの時代の日本の最重要課題であった)対朝鮮半島諸国との関係や、聖徳太子のカリスマ性、隋とのいわゆる『対等』外交などについては、詳しく述べられております。(第一章第二節・権力集中の諸類型 推古朝)今回の講義の内容により一層深みが生れると思います。
また古代国家成立期の対外関係(特に軍事と外交)を考える上でも、本書の第三章「国家機構と古代官僚制の成立」などは、教材研究においても、また現代の日本の置かれている状況を分析する上でも非常に参考になると思います。
「百済とは同盟関係で仲が良かったから白村江の戦いに出兵した」だとか、「悪者の蘇我氏が権力を独占した」といった安直な説明が罷り通っている現代の歴史教育において、大きな示唆を与える書であると、個人的には思っています。(当然ですが全部が全部を賞賛している訳ではありませんが)
もしまだ読まれていないということでしたら、ぜひ読んでみて下さい。(万一既読でしたらすみません。)
以上、長文失礼致しました。
名無しさんへ
黒田裕樹 この度は大変建設的なご意見を有難うございます。
ご紹介くださった書物は未読ですが、ぜひ拝読させていただきたいと思います。
なお、お名前をお書きでなかったゆえに「名無しさん」と表記させていただくことをご容赦ください。
ぴーち おはようございます!
現代も尚、海の向こうの巨大帝国からの
内政干渉やら、侵略行為やらで頭を悩まされている我が国ですね(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 現代も尚、海の向こうの巨大帝国からの
> 内政干渉やら、侵略行為やらで頭を悩まされている我が国ですね(^_^;)
仰るとおりです。
だからこそ、同じ状況で敢然と立ち向かった聖徳太子の実績を探る意義があると思います。
この事実はそれまで朝鮮半島(ちょうせんはんとう)で独立(どくりつ)を保っていた高句麗(こうくり)・百済(くだら)・新羅(しらぎ)の各国のみならず、我が国にも大きな衝撃(しょうげき)を与えました。なぜなら新(あら)たなる統一国家である隋の誕生によって、大陸の内に向けられていた巨大なエネルギーが外へ押し出されることとなり、東アジアの政治情勢(せいじじょうせい)が非常に微妙(びみょう)になってしまったからです。
果たして隋は陸続きの高句麗に積極的に遠征(えんせい)して国力(こくりょく)を高めようとしました。一度は隋の攻撃(こうげき)をはね返した高句麗でしたが、依然(いぜん)として危機にあることに変わりはありません。
隋の動向(どうこう)によっては朝鮮半島がすべて侵略(しんりゃく)されるばかりか、我が国にも攻(せ)め寄(よ)せる可能性が十分考えられました。もしそうなればまさに亡国(ぼうこく)の危機となることから、我が国は外交面においても非常に難(むずか)しい立場に追い込(こ)まれてしまっていたのです。





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晴雨堂ミカエル 韓国の右翼は、高句麗の旧領の領有権を主張しているようですね。南満州から沿海州にかけて。
ぴーち おはようございます!
なるほど、随の勢力が強かったからこそ
我が国も亡国の危機を逃れる為の対策がなされたわけですね。いくら海を隔てた所であっても
中国大陸はお隣の国。
「対岸の火事」だと安心はしていられませんものね(^_^;)
応援凸
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 聖徳太子とは直接的に無関係ですが、好太王(広開土王)の碑の存在を考えても高句麗の領土が南満州や沿海州あたりまで広がっていた可能性が高いですからね。
もっとも、当時の高句麗と現在の朝鮮民族との関連性の有無といった問題もあるかもしれませんが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、海を隔てた大国の存在が我が国の存亡に大きくかかわるようになってしまったのです。
海があるからといって安心することなく、速やかな「次の一手」を考える。これぞ政治ですよね。
まず内政面においてですが、蘇我氏による横暴を打開するためには最終的に朝廷がすべての土地や人民を所有する公地公民制(こうちこうみんせい)を目指(めざ)すという思い切った改革(かいかく)を行うしかないと決断しました。しかし、現状(げんじょう)でいきなり大ナタをふるえば蘇我氏などの豪族の猛反発(もうはんぱつ)を受けるのは必至(ひっし、必ずそうなること)であり、慎重(しんちょう)な手続きが必要であるとも同時に考えていました。
また、外交面においては何よりも大国である隋の実力を知ることが重要であると考えた聖徳太子は、600年に初めて遣隋使(けんずいし)を送ったほか、高句麗の高僧(こうそう)であった恵慈(えじ)などから東アジアにおける国際情勢を学びました。ちなみに恵慈は熱心な仏教徒であった聖徳太子によって我が国で仏教を広めるために高句麗から招(まね)かれたのですが、仏教を学ぶことは当時の最先端(さいせんたん)の情報や技術を入手する意味も込められていました。
こうして我が国の内政あるいは外交における立ち位置を正確につかんだ聖徳太子は、まずは内政面において大胆(だいたん)な政治改革を断行(だんこう)することになるのです。





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ぴーち おはようございます!
今何が国内で起きていて、まず何をするべきかを
慎重に見極めて判断する事こそ国の情勢を安定させることへの第一歩なのでしょうね。
仏の教えの基本は慈愛の心ですので、
例えば相手に対していつまでも憎しみ持ち、怒りの炎を燃やし続けるのではなく、相手を赦すエネルギーを精一杯燃やしていきたいものですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今何が国内で起きていて、まず何をするべきかを
> 慎重に見極めて判断する事こそ国の情勢を安定させることへの第一歩なのでしょうね。
仰るとおりです。
その意味においても聖徳太子がとった対策は万全でしたね。
> 仏の教えの基本は慈愛の心ですので、
> 例えば相手に対していつまでも憎しみ持ち、怒りの炎を燃やし続けるのではなく、相手を赦すエネルギーを精一杯燃やしていきたいものですね。
国内においてはその精神で間違いありません。
ただし(内政面を含む)対外的な問題に関しては、それだけでは通用しない時もあるのが現実でもあります。
聖徳太子の内政・外交策をじっくりとご覧いただいて、彼の「凄み」をご理解くださればと思います。
ぴーち おはようございます!
仰るとおり、相手を赦すという事は非常に難しい事ですし、私達凡人がその境地に達するには、様々な心の葛藤を経験し、苦しみ抜いてようやくたどり着く最上階の次元の心境だと思います。
我が国にはそれが理解出来る方が多くても、
他の国はまだまだ精神的に豊かになるまでには道半ばで、そう簡単には
理解されないことが多いでしょう。
ですので、そういう国に崇高な考えを語っても
馬耳東風でしょうから、こちらが次元を引き下げて相手と同等のレベルで対話しなけばなりませんよね。
経済的に豊かになることと、精神的に豊かになることはまるで違うように、経済的に豊かだからそこに住む人々が豊かだとは限りません。むしろ、正反対に下降して行くものかも知れません。
精神的に次元の高い国が、低い国と上手く共存し歩調を合わせていくには、我が国から階下に降りて行かなければいけない場合が多いので、世話が焼ける話ばかりです。
応援凸
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 仰るとおりであると私も思います。
現代の私たちが対外的にどのような行動をとるべきなのかを、聖徳太子の実績を鑑みながらじっくりと考察したいものです。