時にはお互いの命運をかけて激しく争うこともあれば、お互いの利害が一致することでかりそめの和平を結ぶこともある。また、国同士にも序列があって、上位の国の命令に逆らえずに苦しい思いをする国もあれば、軍事力や経済力を背景に、他の独立国家に平気で内政干渉(かんしょう)をする国もあり、またそれを相手のいうままに従ってしまう情けない国があります。
いわば権謀術数(けんぼうじゅっすう、相手をあざむくための数々のはかりごと)が渦巻(うずま)く、それこそ息がつまりそうな国際関係ではありますが、そんな中で、理屈(りくつ)抜きで親しく付き合える国家の存在は極(きわ)めて重要であり、大事にしたいものです。
ところで、皆さんは世界で屈指(くっし)の親日国家(しんにちこっか)が存在するのをご存知でしょうか。その国の名前はトルコ共和国といい、アジアとヨーロッパにまたがる国家です。トルコの国民の皆さんは、日本の国家と国民に、人一倍の親しみを今でも感じて下さっています。
では、なぜトルコはそこまで親日的なのでしょうか。その一番の理由は、今から120年前に起きた「ある悲劇」がきっかけでした―。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
そうですね。
色々な柵、利害関係で繋がっている
国よりも、理屈抜きに信頼関係が結ばれている国の存在は大切ですね!
個人の人間に置き換えても、やはり心の底から信じあえる、何でも言い合える友達が居る事の心強さはありがたく、大切な存在ですものね^^
ある悲劇・・なんでしょうか。。
それでは、応援凸
管理人のみ閲覧できます
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Masa 以前の記事を読んで、期待して待ったましたっ!!
トルコと日本がそんなに仲がいいとは知りませんでした。
学校で教えてもらった記憶もないです。
なので、いったいどうしてトルコが親日国なのか興味津々です。
寮にいて動画が週末しか見られないのは残念ですが、すっごく楽しみにしていますv
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですね。
> 色々な柵、利害関係で繋がっている
> 国よりも、理屈抜きに信頼関係が結ばれている国の存在は大切ですね!
> 個人の人間に置き換えても、やはり心の底から信じあえる、何でも言い合える友達が居る事の心強さはありがたく、大切な存在ですものね^^
仰るとおり、心の底から信じあえるような相手がどれだけ大切かということに、人間も国家も関係ありません。
今回の講座で、我が国とトルコとの絆の深さを皆様にもご理解いただければと思っております。
> ある悲劇・・なんでしょうか。。
次回(30日)から早速紹介することになります。ご期待下さい!
Masaさんへ
黒田裕樹 > 以前の記事を読んで、期待して待ってましたっ!!
有難うございます(^o^)丿
Masaさんのご期待に応えられることを祈っております。
> トルコと日本がそんなに仲がいいとは知りませんでした。
> 学校で教えてもらった記憶もないです。
> なので、いったいどうしてトルコが親日国なのか興味津々です。
そうなんですね。我が国とトルコとの絆の話が学校や教科書で紹介されないことは残念です。
これから2週間かけて、じっくりと紹介できればと思っております。
> 寮にいて動画が週末しか見られないのは残念ですが、すっごく楽しみにしていますv
動画も毎日配信していますので、ぜひご覧下さいね(^_^)v
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紗那 ヨーロッパを舞台にした、外交系ゲームをプレイしたこともあり、権謀術数の渦巻く……というのは、重々理解していますw
トルコは、それほど個人的になじみがないのですがー。120年ってことは、今年、記念式典があったりするってことですかね?(120周年ってことで)
紗那さんへ
黒田裕樹 > ヨーロッパを舞台にした、外交系ゲームをプレイしたこともあり、権謀術数の渦巻く……というのは、重々理解していますw
そういう系統のシミュレーションゲームがありますよねぇ。私も若い頃は夢中になっていたっけ(笑)。
> トルコは、それほど個人的になじみがないのですがー。120年ってことは、今年、記念式典があったりするってことですかね?(120周年ってことで)
なかなか鋭いですね(^^ゞ
講座の最後あたりで何らかの紹介ができるかも…?
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智里 1周年講座おめでとうございます♪
2周年講座の時は何処の国になるのか、いまから楽しみです(*≧艸≦)
トルコと日本が仲が良いとは知らなかったな~。
ましてや仲が良くなる事件があったとは、もっと知らなかったですよ(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
ある悲劇とは・・・いったい!?
智里さんへ
黒田裕樹 > 1周年講座おめでとうございます♪
> 2周年講座の時は何処の国になるのか、いまから楽しみです(*≧艸≦)
そうなんですよ。早くも1周年を迎えてしまいました。
2周年ですか(笑)。鬼が笑いそうですが、続けていきたいものですね。
> トルコと日本が仲が良いとは知らなかったな~。
> ましてや仲が良くなる事件があったとは、もっと知らなかったですよ(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> ある悲劇とは・・・いったい!?
次回(30日)から順次紹介していきますが、悲劇という不幸から、時として新たな絆をもたらすことがあるんですよね。
そして、不幸にもその心配が的中してしまったのです。9月16日の夜半(やはん)に、エルトゥールル号は折からの台風にあおられて、和歌山県の紀伊大島の樫野埼(かしのざき)に座礁(ざしょう、船が暗礁=あんしょうに乗り上げること)して爆発し、乗組員656人を乗せたまま沈没するという大惨事(だいさんじ)になってしまいました。
樫野埼には大きな灯台(とうだい)があり、その日も灯台守(とうだいもり)が勤務していました。16日の午後9時ごろ、真っ暗な海のほうから大きな爆発音が聞こえてきましたが、台風の際に波が崖(がけ)にぶつかって大きな音を発することがよくありましたので、まさかそんな大惨事が起きたと灯台守が夢にも思わなかったのは無理のないことでした。
その日の深夜、灯台に一人の訪問者がありました。灯台守が扉を開けると、全身傷だらけのうえに泥だらけで、かつ血まみれの外国人が息も絶え絶えに飛び込んできました。そのあまりの惨状(さんじょう)に、灯台守はこの人が海で遭難(そうなん)したことや、さっきの爆発音が船の沈没の音であったことを直感しました。




いつも有難うございます。
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明天会更美好 ついに始まりましたね。
トルコシリーズとても楽しみにしています。
黒田さんが日本とトルコのこの歴史的な関係をどう分析されるのかとても興味があります。
毎日訪問して勉強させてもらっています。
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ぴーち こんばんは!
黒田さんのお話は、まるでタイムスリップしたかの様に、目の前に
その情景が浮かんでくるんですよね^^
一人の心優しい燈台守の判断が、
その後の両国の関係に友好を齎すことに
なるような予感がしますね^^
それでは、応援させてくださいね!
また、お邪魔します☆
明天会更美好さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
歴史的事実とその背景から、私なりの見解を出すことができればと思っておりますので、これからもよろしくお願いします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 黒田さんのお話は、まるでタイムスリップしたかの様に、目の前に
> その情景が浮かんでくるんですよね^^
有難うございますm(_ _)m
歴史は物語でもありますから、できる限り皆さんにも同じ世界で物事をお考えいただけるようにと常々思っております。
> 一人の心優しい燈台守の判断が、
> その後の両国の関係に友好を齎すことに
> なるような予感がしますね^^
実際そのとおりになりますね。
灯台守の思いがやがて周囲の人々にも伝わって、大きな流れを形づくることになります。
明日(1日)以降の更新もご期待下さいね(^_^)v
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オバrev オスマントルコというのが頭の隅に残ってます。確か高校の世界史で習ったんでしょう・・・遠い昔(^^ゞ
結構大きな帝国だったと思いますが、日本へ来た目的はなんだったんでしょうか。
それに6月から9月までと、ちょっと長居してるように思いますが、当時ではこのくらいが普通なんですかね。
しかし、外交ってのは、こういう個人の信頼が元で、やがて国同士の信頼に繋がるんですね・・・うぅ~ん、となると今の外交は危ないんじゃないの(^^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > オスマントルコというのが頭の隅に残ってます。確か高校の世界史で習ったんでしょう・・・遠い昔(^^ゞ
私が学んだ頃もそうでしたが(笑)、最近では「オスマン帝国」というそうです。当時の帝国が自らを「オスマントルコ」とは呼ばなかったからだとか。
> 結構大きな帝国だったと思いますが、日本へ来た目的はなんだったんでしょうか。
エルトゥールル号の来日に先立って。我が国の皇族がオスマン帝国を訪問されており、それに応えるのが主な目的だったそうです。
> それに6月から9月までと、ちょっと長居してるように思いますが、当時ではこのくらいが普通なんですかね。
大歓迎を受けたということと、疫病が流行して乗組員がなかなか離日できなかったからとか。様々な事情が重なって、悲劇を生んでしまったんですね…(´・ω・`)
> しかし、外交ってのは、こういう個人の信頼が元で、やがて国同士の信頼に繋がるんですね・・・うぅ~ん、となると今の外交は危ないんじゃないの(^^;)
「個人の信頼なき外交」は、通常の人間関係を見ればいかに危ないかはまる分かりですからね。「トラスト・ミー」なんて簡単に口にはできないはずですが…。
トルコは私も好きです。
晴雨堂ミカエル 独身時代、大阪ミナミヘくりだしてトルコ料理店でベリーダンスを見ながら食事したものです。
イタリアやギリシアなどの地中海地方典型の料理ですが、中央アジアや中国の影響もかなりありますね。料理からトルコはもともと中国ウイグル地方の民族であることが覗われます。
さて、エルトゥールル号の話は私もよく知っています。
この事件後、1人の日本人が日土友好に奔走するのですが、講座で詳しく取り上げてくれたらと思います。
後にトルコ共和国初代大統領から日本語で「先生」と呼ばれ歓待される人です。
明治の日本人、河口慧海や南方熊楠、野口英世、白瀬中尉など、冒険心に富み強靭なバイタリティで海外に出て活躍され、相手国からも高い評価を受けている人物が多く輩出されています。
いま、世界情勢が厳しくなっているということもありますが、冒険心や一途な志を阻害する風潮が強まってきています。
トルコとの友好を考えると同時に、明治の人間の生命力を思い出すきっかけになってほしいと思います。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 詳しいお言葉有難うございます。
> 独身時代、大阪ミナミヘくりだしてトルコ料理店でベリーダンスを見ながら食事したものです。
> イタリアやギリシアなどの地中海地方典型の料理ですが、中央アジアや中国の影響もかなりありますね。料理からトルコはもともと中国ウイグル地方の民族であることが覗われます。
トルコ料理は有名ですよね。まだ機会はないですが、一度は食べてみたいものです。
> さて、エルトゥールル号の話は私もよく知っています。
> この事件後、1人の日本人が日土友好に奔走するのですが、講座で詳しく取り上げてくれたらと思います。
> 後にトルコ共和国初代大統領から日本語で「先生」と呼ばれ歓待される人です。
さすがに良くご存知ですね。晴雨堂ミカエルさんのご期待にお応えできると思いますよ(笑)。
> 明治の日本人、河口慧海や南方熊楠、野口英世、白瀬中尉など、冒険心に富み強靭なバイタリティで海外に出て活躍され、相手国からも高い評価を受けている人物が多く輩出されています。
> いま、世界情勢が厳しくなっているということもありますが、冒険心や一途な志を阻害する風潮が強まってきています。
> トルコとの友好を考えると同時に、明治の人間の生命力を思い出すきっかけになってほしいと思います。
仰るとおりですね。
明治の頃の古き良き時代を懐かしむと同時に、思い起こしたいものです。
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智里 おぉー!!
オスマン帝国(≧∇≦)
授業で習った記憶が有ります。
物凄い海軍をもってたんですよね。
その海軍の軍艦が日本なんて小さな国に来ていたとは!?
驚きッス(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そして、大きな海難事故を起こしていたのもビックリです。
智里さんへ
黒田裕樹 オスマン帝国は長い間君臨していましたが、残念なことに我が国を訪問した頃にはかなり勢力が衰えていたんですよね(´・ω・`)
先に我が国の皇族がトルコを訪問したので、返礼の意味も込めて来日したのですが、東洋の新興国である当時の我が国と誼(よしみ)を通じたいという思惑もあったのではないかと考えられます。
大きな事故が起きてしまったのは、やはり「台風銀座」の際に出国したのが大きな原因でしょう。我が国は止めたのですが…。
水兵は岩だらけの崖を40mも必死に登りました。そんなことをしなくても、ひょっとしたら灯台へ向かうための安全な道が別にあったのかもしれません。しかし周囲は真っ暗闇(まっくらやみ)のうえに地理不案内な外国です。「一刻も早く仲間を助けたい。そのためにも動ける自分が頑張らないと」。水兵の必死の思いが、一心不乱(いっしんふらん)に崖を登りきらせたのでした。
灯台守は水兵から詳(くわ)しい話を聞こうとしましたが、言葉が通じないためにできませんでした。手元にあった万国信号書(ばんこくしんごうしょ)に書かれた国旗を見せて、水兵がトルコ人であることがようやく分かり、また身振り手振りで、多数の乗組員が同じように遭難したことを知りました。
「何てことだ!」
灯台守は水兵を手厚く看護した後、灯台からいちばん近い樫野の人々に惨状を知らせに台風の中をずぶ濡(ぬ)れになりながら走り出しました。




いつも有難うございます。
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JJSG こんにちは。
今日は土曜日、ゆっくりしてます♪
このトルコ人のおはなし、以前にどこかで聞いたことがあります。
いい話ですよね♪
続きも楽しみにしてます。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > こんにちは。
> 今日は土曜日、ゆっくりしてます♪
我が国も今日からGWですからね。
ゆっくりし過ぎて(笑)、コメントが遅れてすみません。
> このトルコ人のおはなし、以前にどこかで聞いたことがあります。
> いい話ですよね♪
> 続きも楽しみにしてます。
有難うございます。この講座はまだまだ続きますので、よろしくお願いします。
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ぴーち こんばんは!
こうしてお話を伺っていると
言葉って何だろう・・って思いますね。正確に物事を相手に伝える手段としては、流暢に話せる外国語の勉強も大切ですが、言葉を知らないものが、判って貰う為に必死で身振り手振りを繰り返して、相手に理解して貰おうとする必死さ・・そう言う伝えようとする熱意と言うのが、今の外国との交流に欠けている部分ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
口先だけ、上辺だけの言葉の交流ではなく、心に訴えかける熱のある言葉を超えたもの。。
と・・すみません。。私の方が今日は熱が入ってしまい、まとまりのないコメントになり、失礼しました^^;それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いえいえ、仰る思いは良く分かるつもりです。
仲間を助けようと必死な水兵と、ただならぬ様子に懸命に意図を理解しようとする灯台守。二人のやり取りには、確かに言葉は不要でした。
相手に気持ちを伝えることと、相手の気持ちを理解しようとすること。これこそが人間にとって一番大事なことではないでしょうか。上っ面だけ理解しているつもりの人間が信用できないように、熱意のない人間ほど、当てにならないものはありません。
…私も熱くなってしまいましたね(^^ゞ
明日(2日)からの講座の内容も一段とヒートアップしますよ。
.
クメゼミ塾長 ふうむ…。
記事の内容、臨場感がありますねえ
何気なく訪ねた地(現場)ですが、とても印象に残っていますよ。
どこで縁が生まれるのか、一日一日、出会いの一つ一つを大切にしなければ
と思います。
ありがとうございます。
次の記事を楽しみにしています。
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 > ふうむ…。
> 記事の内容、臨場感がありますねえ
> 何気なく訪ねた地(現場)ですが、とても印象に残っていますよ。
> どこで縁が生まれるのか、一日一日、出会いの一つ一つを大切にしなければ
> と思います。
仰るとおり、人間の縁というのはどこで生まれるか分かりませんから、日々を大切に過ごさなければいけませんね。
> ありがとうございます。
> 次の記事を楽しみにしています。
こちらこそお言葉有難うございます。
.
智里 スゴイね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
自分も怪我をしてるのに、仲間を助けたい気持ちで40mの崖を登るなんて。
自分には多分真似が出来ない行動です。
そして、この灯台守の人もスゴイです。
言葉が通じなくても、たくさんの人が大変な事になってるを他の人に伝えるなんて。
スゴイとしか言いようがないです。
智里さんへ
黒田裕樹 本当にそう思います。
通常でも登るのをためらう大きな崖を、ケガをして、しかも深夜で、なおかつ台風による横殴りの雨風が吹くという極めて悪条件の中を登りきったのですから、尋常な精神力ではとてもできなかったことでしょう。
灯台守の人の素早い行動もたいしたものですね。
台風ですから、駆けつけるだけでずぶ濡れになりますし、ましてや足元不如意ですから滑って怪我をしかねないというのに。
こういった「自己犠牲」の精神を多くの人が持っていたからこそ、次回(2日)以降の感動的な行動につながっていくんですよね。
明治19(1886)年、同じ紀州沖においてイギリスの貨物船ノルマントン号が沈没しましたが、この時にイギリス人の乗務員が全員脱出した一方で、乗っていた日本人の船客23人が見殺しにされるという悲劇が起きました。
明治政府は当然のように抗議しましたが、当時の我が国はイギリスと不平等条約を結ばされていた関係で、イギリス側に治外法権(ちがいほうけん)が認められており、我が国で起きた事件でありながら、我が国の法律で船長以下の乗組員を裁くことができなかったのです。
領事裁判権(りょうじさいばんけん)の不当さを見せ付けられた我が国と国民にとっては忘れられない事件となりましたが、同じ紀州沖で再び起きてしまった悲劇に対して、一人でも多くの生命を助けたいという悲壮(ひそう、悲しくも勇ましいこと)な思いが、海の男たちを動かしていたのでした。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
治外法権ですか。。
そんな事件がそれ以前にあったのですね・・。しかも日本人が全員見殺しにされてしまったなんて、居た堪れない事件でしたね。
治外法権と言えば、今ある米軍基地内で何かしら日本人が巻き込まれてしまった事件は、日本の法律では裁けないなんて事を伺った事がありますが、外国人が絡む事件は、今でもなかなか困難だなと思いますね。
日本で犯罪を犯しても、自国へ逃亡してしまえば、犯罪者では無くなってしまうなんて話も聞いた事があります。理不尽と言うか、そういう事がまかり通ってしまうのも、怖いものです。
応援凸
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吉田彦九郎 こんばんは!
ノルマントン号事件のことは詳しくは知りませんでしたが、”同じ悲劇を繰り返さない”との想いで、樫野の人々がエルトゥールル号の乗組員を懸命に救助したことはすばらしいことですね。台風の最中であり荒海に漕ぎ出すことを躊躇しそうなものですが樫野の漁師の勇気にも感服させられました。
私もトルコの人々を助けた樫野の人たちの人情と勇気を見習いたいと思いました。
勉強になりました。ありがとうございました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、外国人が事件に絡むと、現代においても国際関係上難しいものがあります。
ましてや不平等条約を無理やり結ばされたうえに、日本近海でありながら、自国人の生命のみを優先して日本人を見殺しにしたという事実は許しがたいものがあったでしょう。
そのうえで「同じ悲劇を繰り返してはならない」と外国人の救助に向かった樫野の漁民の皆さんの男意気には、本当に頭が下がる思いがします。
吉田彦九郎さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
樫野の人々の心意気には私も同じ思いです。
そして、彼らの勇気と友愛の精神は、この後にこそ大きく発揮されることになります。
明日(3日)以降の更新もぜひご覧下さい。
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智里 治外法権ってズルイよね!!
自分の国に有利で、日本にして見れはただ犠牲を払うだけだもの。
おかしな条約です(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
この海の男達は素晴らしいです!
同じ悲劇を繰り返さない。
それだけで嵐の海に出ることができるんだから。
真似したくても出来ませんよ!!
智里さんへ
黒田裕樹 > 治外法権ってズルイよね!!
> 自分の国に有利で、日本にして見れはただ犠牲を払うだけだもの。
> おかしな条約です(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そのとおりです。
江戸幕府の度重なる失政が生んだ不平等条約でもありますが、こういった不条理を見せ付けられることで、当時の日本人の「負けてたまるか!」という反骨精神が強まっていったのではないかと思います。なお、治外法権については明治27(1894)年にようやく撤廃されます。
> この海の男達は素晴らしいです!
> 同じ悲劇を繰り返さない。
> それだけで嵐の海に出ることができるんだから。
> 真似したくても出来ませんよ!!
当時の日本人の勇敢さと責任感の強さ、何よりもかけがえのない生命を大切にするために自己犠牲を問わない行動力には本当に頭が下がりますね。
「おい、しっかりしろ!」
「国へ帰るんだろ? 家族が待っているんだろうが!」
男たちは必死で呼びかけましたが、冷たくなった乗組員の遺体が自ら動くことはありませんでした。遠い国からやってきて、日本の海で死んでいく。百戦錬磨(ひゃくせんれんま、戦いを通じて経験豊富なさまのこと)の海の男たちの目からは、自然と無念の涙があふれ出していました。
そんな中、奇跡が起きました。
「おい、彼は息があるぞ!」
大怪我をしながらも、懸命に生命の灯を燃やし続けている人々がいました。しかし、長い間の遭難で体温が極端(きょくたん)に下がり、いつ燃え尽きてもおかしくない状態でした。男たちは自分も裸になって乗組員を抱き起こし、自らの体温で彼らを温めはじめました。
海の男たちのまさに身体を張った救助活動によって、69人の乗組員の生命が救い出されました。村人たちは助かった乗組員を救護所へと運びましたが、遭難者の生命を守るための戦いは、実はここからが本番だったのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
なるほど、感動極まって思わず
涙が出そうになりました(TT)
そういえば、雪国の人は寝る時に
あえて衣服をつけずに寝ると、とっても温かく寝られるんだよ・・なんて仰られている方がおりました
応援凸
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ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、感動極まって思わず
> 涙が出そうになりました(TT)
有難うございます。真実だからこそ実感できる感動がありますね。
> そういえば、雪国の人は寝る時に
> あえて衣服をつけずに寝ると、とっても温かく寝られるんだよ・・なんて仰られている方
寒いですからね。体温であったまるということなのでしょうか。
.
智里 樫野の漁師には脱帽です。
きっと物凄い状況だったんでしょうね。
約1割の人しか残らなかったけど、樫野の漁師たちがいなかったら・・・・
きっと誰も生きていることが出来なかったでしょう。
生きて帰す・・・その想いってスゴイことです。
智里さんへ
黒田裕樹 周囲には軍艦の破片だらけのみならず、変わり果てた多くの人々の無残な姿…。
平和な環境に慣れた私たちには想像もつかない状況だったことでしょう。
そんな中から69人の生命を救い出した海の男たちには本当に脱帽ですね。
「必ず生きて帰す」という心意気が生んだ奇跡でもあったと思われます。
懸命の看護の中で、やはり食糧はすぐに尽きてしまい、残されたのは村人たちが非常食用に飼っているニワトリだけでした。これを食べさせたら自分たちの食糧が…。しかし、結果として村人たちは進んでニワトリを遭難者のために提供しました。
遠い異国の地からはるばる我が国にやってきて、帰ろうとしたら遭難して生命の危険にさらされている。これ以上の「非常時」が他にあるというのか―。そんな村人たちの心意気によって、69人の生命を取り留めることができたのでした。
エルトゥールル号の遭難は、紀伊大島の村長から和歌山県知事の手を経て、明治天皇に言上(ごんじょう、目上の人に申し上げること)されました。心を痛められた天皇陛下は直ちに医者や看護師を現地へ派遣されるとともに、体調が回復した生存者全員を、我が国の軍艦である「金剛」(こんごう)や「比叡」(ひえい)に乗せて、トルコまで送還されました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今回もなんと感動的なお話なんでしょうか(TT)
自分達の一番大切にしている鶏を
潰してまでも、尽くそうとするその
献身的な態度に心打たれます。。
まるで子を思う母親の深い愛情にも似た無償の愛。なかなか出来る事ではありません。
そういう経緯があったのですね。
自分の用事はさておき、すぐに駆けつけてくれる。自分の大切にしているものを投げ打ってまでも、相手に捧げてくれる。そんな思いを受け取った側は、一生、或いは末代までも
その恩義は語り次がれて行くのでしょうね。
良いお話をありがとうございます^^
それでは、応援凸
.
紗那 同じ船人だったからこそ、伝わるものがあったんでしょうか? だとしたら、素敵なことですね。
.
智里 非常用にとっておいた鶏を惜しげもなく食べさせる。
食料が無くなれば、自分達が生きるか死ぬかの世界なのに・・・・
人間、自分が1番可愛いのに、まずは異国の人にと思う気持ち、感動します。
そして明治天皇もスゴイ人ですよね。
自分の国の最高機密がぎっしりの軍艦に乗せて帰す。
どこで日本の秘密がばれるか分からないのにね。
樫野の人達、明治天皇、どちらもスゴイ人達です。
.
オバrev 損得抜きで、自腹を切って、今最もやるべき事は何かを瞬時に判断し、実行された樫野の方達の心意気はあっぱれです。
それは誰しもの胸をうち、天皇陛下まで言上されたわけですが、天皇陛下の取られた行動も素晴らしいですね。
これだけで、日本とトルコの友好は大きく前進したことでしょうし、現在にも大きく影響しているんでしょう。
しかしこういう事実はほとんどの日本国民は知らないと思います・・・私は初耳でした。
近隣の外国から歴史認識を非難されたり、800兆円の借金やら不景気やら、37兆円しか税収がないのに、信じられないことに海外に住む外国人のために子供手当を配ることを決めたり、自虐的になってしまいそうな日本ですが、もっと日本人として誇りと自信を持てるような歴史教育をお願いしたいね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりと私も思います。
トルコにとっては不幸極まりない大惨事だったのですが、どん底の中で、自己犠牲も問わずに献身的な介護をしてくれた日本人に対する恩義の大きさが、やがて別の感動を生むことになります。
講座はまだまだ続きますので、最後までよろしくお願いします。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 同じ船人だったからこそ、伝わるものがあったんでしょうか? だとしたら、素敵なことですね。
そうですね。職業が似通っている分だけ、遭難の際の苦労が分かっているからこそ、より救助活動に力が入ったというのは十分考えられると思います。
智里さんへ
黒田裕樹 これぞ「自己犠牲」だと思います。
名もない村人から明治天皇まで、当時の日本人の気高い精神には、平和なご時世に慣れた私たちが見失った何かを見出せるのではないかと思います。
それだけに、こういった事実は多くの人々に知っていただきたいし、歴史教育では必ず取り上げるべきではないかと考えております。
オバrevさんへ
黒田裕樹 我が国の「影」の部分はことさら取り上げることが多い一方で、このような「真実の物語」が無視される傾向には大いに疑問を感じます。
> もっと日本人として誇りと自信を持てるような歴史教育をお願いしたいね
私が教師を目指すことになったきっかけのひとつでもあります。
早く何らかの形で復帰したいですね。
.
天然中尉 なかなか、コメントを残せずに面目ないです。
エルトゥールル号の話は聞いたこともなかったです。村人達の覚悟には今の日本人にはない情熱を感じます。また、明治天皇という人物についてもほぼ見識がなかったのでとても勉強になる上に、お優しい御方と知れてよかったです。
天然中尉さんへ
黒田裕樹 > なかなか、コメントを残せずに面目ないです。
いえいえ、お忙しい中を有難うございます。
> エルトゥールル号の話は聞いたこともなかったです。村人達の覚悟には今の日本人にはない情熱を感じます。また、明治天皇という人物についてもほぼ見識がなかったのでとても勉強になる上に、お優しい御方と知れてよかったです。
本当にそうですよね。現代の私たちが忘れかけている情熱や優しさが、昔の日本人には備わっていました。そして、それらを我が国の象徴であられる明治天皇もお持ちであったという事実は、誇るべき歴史のひとつであると思います。
ロシアはユーラシア大陸の広い範囲を支配下に置くとともに、領地の拡大を目指して東西に勢力を伸ばしていました。このため、当時のトルコを支配していたオスマン帝国は、ロシアの南下政策によって「百年戦争」とも呼ばれる長く激しい戦いを続けてきました。
一方、我が国も極東に不凍港(ふとうこう、冬においても海面が凍らない港のこと)を求めて南下するロシアに手を焼いていました。日清戦争(にっしんせんそう)の勝利によって我が国が領土として手に入れた遼東半島(りょうとうはんとう)を、ドイツやフランスと共謀(きょうぼう)したロシアの三国干渉(さんごくかんしょう)によって無理やり清国(しんこく)に返還させられたりするなどの被害を受けました。
我が国はロシアの南下を食い止めるとともに自国の独立を守るため、明治37(1904)年から日露戦争(にちろせんそう)を戦い、辛(かろ)うじて勝つことができましたが、同じくロシアに悩まされ続けたトルコは、日本の勝利を我が事のように喜び、その頃に生まれた男子には、当時の我が国の軍人である「ノギ」(=乃木大将)や「トーゴー」(=東郷大将)の名前がつけられたそうです。




いつも有難うございます。
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紗那 なるほど、両国間の外交的関係だけでなく、もっと広い意味での軍事・外交的な味方ができたんですね!
しかし、トルコ人の方たちは、心がやさしいんでしょうねー。名前に日本人のをつけるくらいですから。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、両国間の外交的関係だけでなく、もっと広い意味での軍事・外交的な味方ができたんですね!
そのとおりです。東西に広い領土を持ち、それぞれに触手を伸ばそうとするロシアだからこそ「敵の敵は味方」の格言どおりに両国は結ばれる運命にあったんでしょうね。
> しかし、トルコ人の方たちは、心がやさしいんでしょうねー。名前に日本人のをつけるくらいですから。
それだけ感謝の気持ちが高かったんでしょうね。トルコの国民性というのも大きいと思いますよ。
.
HANA子 ノンマルトル号事件のことは確か世界史の教科書にも掲載されていたと思うのですけど、エルトゥールル号事件は掲載されてなかったような(記憶が定かでありませんけど)
それにしても他国の成功を我が事のように喜んでくれるトルコのような国をもっと大切に出来ないものでしょうか
.
智里 大帝国ロシアに悩まされていたのは、日本だけじゃ無かったんですね!
ロシア的には不凍港の日本とトルコ(オスマン帝国)の地中海港が欲しかったんですね。
自分達も危うい状態なのに、日露戦争で勝った日本を喜んでくれるなんて・・・
なんて親日なんでしょう!!
そう言えば、トルコにはトーゴー通りが有るって中学の社会の先生が言ってました。
この時付けたものなんでしょうかね?
.
ぴーち こんばんは!
両国の絆の他に
これまた「共通の敵国」が存在することが更に関係をより強固なものにした訳ですね~。
ロシアは既にこの頃から、北方四島を狙っていたんですかね?
そういえば、以前にも書かせていただいたかしら?巨人のクロマティ選手が、当時尊敬していた桑田選手のクワタというのを自分の息子の名前にしたという事ですが、日本人の名前が尊敬されて現地でつけられると言うのは、同じ日本人として名誉な話ですね^^
乃木将軍に関しても、当地でも縁の深い人物だけに、何だか嬉しいですね~^^
応援凸
HANA子さんへ
黒田裕樹 > ノンマルトン号事件のことは確か世界史の教科書にも掲載されていたと思うのですけど、エルトゥールル号事件は掲載されてなかったような(記憶が定かでありませんけど)
私も記憶はないですねぇ。世界史どころか、高校の日本史の教科書にもほとんど紹介されたことがないような気が…(´・ω・`)
> それにしても他国の成功を我が事のように喜んでくれるトルコのような国をもっと大切に出来ないものでしょうか
やはり最大の問題は「教育の場面において紹介されていない」ことでしょう。無知であればどうしようもないですが、無知のまま放っておくのは問題があると思います。
智里さんへ
黒田裕樹 > 大帝国ロシアに悩まされていたのは、日本だけじゃ無かったんですね!
> ロシア的には不凍港の日本とトルコ(オスマン帝国)の地中海港が欲しかったんですね。
> 自分達も危うい状態なのに、日露戦争で勝った日本を喜んでくれるなんて・・・
> なんて親日なんでしょう!!
本当にそうですよね。
エルトゥールル号がきっかけとなって、似たような境遇から親しみを感じられたからこそ、日本の勝利を我が事のように喜んで下さったのでしょう。
> そう言えば、トルコにはトーゴー通りが有るって中学の社会の先生が言ってました。
> この時付けたものなんでしょうかね?
イスタンブルにあるトーゴー通りですね。詳しい経緯は存じませんが、状況から考えて間違いないと思われます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> 両国の絆の他に
> これまた「共通の敵国」が存在することが更に関係をより強固なものにした訳ですね~。
> ロシアは既にこの頃から、北方四島を狙っていたんですかね?
仰るとおり、両国の絆が深くなる事情が重なったということですね。
当時は千島樺太交換条約によって千島の全島が日本領でしたが、北海道を中心に我が国の領土を虎視眈々と狙っていたと十分に考えられますね。
> そういえば、以前にも書かせていただいたかしら?巨人のクロマティ選手が、当時尊敬していた桑田選手のクワタというのを自分の息子の名前にしたという事ですが、日本人の名前が尊敬されて現地でつけられると言うのは、同じ日本人として名誉な話ですね^^
> 乃木将軍に関しても、当地でも縁の深い人物だけに、何だか嬉しいですね~^^
仰るとおりですね。我が国の偉人の名前をつけて下さるのは非常に光栄なことです。
寅次郎は、我が国とトルコとの間に正式な国交がなかった時代の「民間大使」ともいえる活躍ぶりを見せ、大正14(1925)年には日土貿易協会(にっとぼうえききょうかい)を設立するなど、我が国とトルコとの友好関係の強化に尽力しました。
寅次郎が晩年の昭和6(1931)年に再びトルコへ訪問した際には、共和制となった新生トルコのムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領と会見しましたが、実はアタテュルク大統領は若い頃に寅次郎に日本語を教わっていたという縁があったそうです。
ちなみに山田寅次郎は茶道(さどう)の家元でもあり、家元継承後は山田宗有(やまだそうゆう)と名乗っています。また、寅次郎に日本語を教わったとされるアタテュルク大統領の執務室(しつむしつ)には明治天皇の写真が掲(かか)げられ、ことあるごとに明治維新の話をしていたそうです。そんな大統領が「トルコ建国の父」として現代に至るまでトルコ国民に尊敬の眼差(まなざ)しを浴びているのですから、トルコの親日度が深いのも、ある意味では当然といえるのかもしれません。




いつも有難うございます。
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智里 なるほど~(。・ω・)
そう言うこともあって、親日度が深まっていったんですね。
それにしても、民間の人間が貿易の基礎を作ったり、大統領と謁見したり・・・
すごいですね~。
そして、大統領が事あるごとに明治維新の話をしてるってのもスゴイですね。
.飛んでイスタンブゥールゥ~♪
ぴーち こんばんは!
山田寅次郎・・
なにやら、「山田洋二監督」と「車寅次郎」の関係を連想させるようなネーミングですね(笑)
日本人にも、外国にまで名前を轟かせている「寅さん」がいらっしゃったなんて、すばらしい事ですね!
義理人情に厚い映画の中の「寅」さんは、もしや、この方がモデルだったりして(^^A
まあ、私の勝手な想像ですが、
それにしても、トルコの方のお名前って、舌を噛みそうになるお名前ですね^^;
とても一度聞いただけでは、覚えられない様なお名前です。
今日は記事の本筋とはかけ離れたコメントで、失礼いたしましたm(__)m
それでは、応援凸
智里さんへ
黒田裕樹 > なるほど~(。・ω・)
> そう言うこともあって、親日度が深まっていったんですね。
遭難事故をきっかけとして、多くの人々の善意が様々な形で広がっていくんですよね。凄いことだと思います。
> それにしても、民間の人間が貿易の基礎を作ったり、大統領と謁見したり・・・
> すごいですね~。
> そして、大統領が事あるごとに明治維新の話をしてるってのもスゴイですね。
正式な国交がなくても、民間同士でここまでの外交に結びつくわけですから、当時の日本人やトルコ人の親愛の深さがうかがえますね。天皇陛下の役割も大きかったと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 山田寅次郎・・
> なにやら、「山田洋二監督」と「車寅次郎」の関係を連想させるようなネーミングですね(笑)
> 日本人にも、外国にまで名前を轟かせている「寅さん」がいらっしゃったなんて、すばらしい事ですね!
> 義理人情に厚い映画の中の「寅」さんは、もしや、この方がモデルだったりして(^^A
そういえば同じ「寅さん」ですね(笑)。
関連性までは分かりませんが、義理人情の厚さは確かに同じ匂いがします。
> まあ、私の勝手な想像ですが、
> それにしても、トルコの方のお名前って、舌を噛みそうになるお名前ですね^^;
> とても一度聞いただけでは、覚えられない様なお名前です。
大統領の名前ですが、ケマルは後につけられたニックネームで、アタテュルクは「父なるトルコ人」という意味で、大統領になってから呼ばれた姓だそうです。名前ひとつにも歴史がありますね(^^♪
> 今日は記事の本筋とはかけ離れたコメントで、失礼いたしましたm(__)m
> それでは、応援凸
いえいえ、いつもお言葉有難うございますm(_ _)m
:黒田裕樹さん.
りら 黒田裕樹さん
私は今までどうしてトルコと
日本が親日国家と言われるのか謎でした
またまた楽しく謎が解けました
黒田先生は私にとって、知恵のマジシャンです
出来の悪い生徒をこれからも
宜しくお願いします
りらさんへ
黒田裕樹 りらさんの謎の解明のお役に立てて光栄です(^_^)v
マジシャンですか(^^ゞ
確かに今まで聞いたことのない知識を学ぶというのは驚きを伴いますね。
毎日のように来て下さるご姿勢が、すでに優秀な生徒さんですよ(^^♪
こちらこそよろしくお願いしますm(_ _)m
.
オバrev トルコと言えば2002年ワールドカップサッカーで、日本が敗れた国ですよね。未だに記憶に残ってます(^^;)
でもこの話を読んで、すごくトルコに対して親近感が湧きました。
残念ながら、南アフリカ大会には出場できなかったようですが、現在の日土関係ってどうなんでしょうか?もっとトルコのことを知りたいですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > トルコと言えば2002年ワールドカップサッカーで、日本が敗れた国ですよね。未だに記憶に残ってます(^^;)
> でもこの話を読んで、すごくトルコに対して親近感が湧きました。
8年前の話でしたね。この戦いの際に、エルトゥールル号の話がインターネットで結構話題になったんですよ。
> 残念ながら、南アフリカ大会には出場できなかったようですが、現在の日土関係ってどうなんでしょうか?もっとトルコのことを知りたいですね。
今回の講座では省略しておりますが、新潟県柏崎市の市長を初めとする役所の怠慢で日土関係にひびが入ってしまったのが残念です。その後は少しずつ関係修復に向かっているようですが…。
.
kenちゃんマイド 山田寅次郎はしりませんでした。日本・朝鮮・モンゴル・トルコ。これらの国々の言葉の文法が同じだときいていますが(ウラルアルタイ語圏)どうしてそうなったのか?先生ご存知でしたらお教えください。
kenちゃんマイドさんへ
黒田裕樹 確かに文法などが似ていますが、日本語自体の起源についても不明な点が多いですからね。
残念ながら私にも良く分からないのが実情です。
要するに「民間機であろうが無関係に撃墜(げきつい)する」という恐ろしい声明だったのです。この非常事態に、イランにいた在留外国人の多くは、それぞれ自国が準備した飛行機に乗って、イランの首都テヘランにあった空港から次々と脱出していきました。
しかし、我が国日本の対応は後手(ごて)に回りました。外務省は日本航空に緊急の救援機の派遣(はけん)を求めましたが、航空側が「帰路の安全が保障できない」ことを理由に派遣を断ってしまったのです。あわてた日本政府は各国の航空会社に派遣を求めましたが、どの国も自国民を優先することを理由に断ってきました。相手の国の立場になって考えれば無理もない話です。
かくして、タイムリミットが刻一刻と迫るなか、200人以上の日本人がいまだにテヘランの空港に留(とど)まったままでいました。もはや万事休すか。取り残された人々の多くは絶望感に打ちひしがれていました。その時―。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
その時ー。
すみません、答えて宜しいでしょうか?(笑)
まさに干天の慈雨、地獄で仏に会った様・・・。
救いの手が、○○コ政府から、
あった訳ですね^^
応援凸
.
アクア 面白いですね。
そんな声明が、、、
つづきが気になります!
このブログをきっかけに
また勉強しよっかなぁ
実は受験以来勉強してないんです。。。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 (児○清風に)
「そのとおり!」ですね(^ω^)
詳しくは明日(8日)をお楽しみに!(^^♪
アクアさんへ
黒田裕樹 > 面白いですね。
> そんな声明が、、、
> つづきが気になります!
明日(8日)には更新しますので、楽しみにお待ち下さいね(^_^)v
> このブログをきっかけに
> また勉強しよっかなぁ
> 実は受験以来勉強してないんです。。。
きっかけにできるものは何でも使いましょうか(笑)。
勉強は大切ですよ。
.
アクア 楽しみにしておきます。
結構文字ばっかで入りずらいと
思ってたんですが、
しっかり見てみると面白いですね。
読みやすいというか、流石
教員免許取得者というか。
(上から目線っぽくてすいません)
一応受験前は
一日5.6時間は勉強してたんです。
アクアさんへ その2
黒田裕樹 > 楽しみにしておきます。
ハイ、よろしくお願いします(^ω^)
> 結構文字ばっかで入りずらいと
> 思ってたんですが、
> しっかり見てみると面白いですね。
> 読みやすいというか、流石
> 教員免許取得者というか。
> (上から目線っぽくてすいません)
有難うございます。
お蔭さんで私のブログは様々な世代の皆さんにご覧いただいているんですが、やはり現役の学生さんの一言がいちばん励みになりますね。
上から目線は、それがアクアさんの流儀であれば良いんではないでしょうか(^^♪
> 一応受験前は
> 一日5.6時間は勉強してたんです。
受験勉強は大変ですからね。
当ブログがお役に立てれば幸いです。
.
HANA子 この頃わたしはまだ物心もついていなかった頃(ホントですよ~)なんですが、
その後このエピソードを知って感動した覚えがあります
第一印象が子供らしいというか、なんというか・・・・・・w
その感想についてはまた次回でw
.
アクア 流儀というか、まぁ、汗
自分では説明しきれなかったんです。
それよりも、
すいませんでした。
リンクし忘れてました。
部活で忙しくてというのは言い訳になりますが、
とにかくすぐにリンク入れます。
今後気をつけます。
HANA子さんへ
黒田裕樹 私は高校生だったんですが(本当)、残念ながら全く記憶がないんですよね。
当時はトルコとの歴史も知らなかったからなぁ…(´・ω・`)
HANA子さんのご感想、私も楽しみです(^^♪
アクアさんへ その3
黒田裕樹 了解しました。
こちらもまるで催促したみたいで済まなかったですm(_ _)m
改めてよろしくお願いしますね(^_^)v
在留日本人全員が搭乗(とうじょう)手続きを済ませると、飛行機はトルコに向けて急ぎ出発しました。タイムリミットまで後1時間少ししか残されていません。果たして間に合うのでしょうか?
飛行機はイランとトルコの国境にあるアララット山を無事に越えると、パイロットが機内に向けてアナウンスをしました。
「日本の皆様、トルコへようこそ!」
アナウンスを聞いた日本人は大歓声をあげ、自分たちが助かったことに喜びを爆発させました。中には感極まって号泣する人も多かったそうです。
それにしても、なぜトルコ航空は自国民よりも、日本人の救出を優先させるために、わざわざ危険なイランまで飛行機を派遣したのでしょうか?




いつも有難うございます。
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アクア …
際どいとこで止めますね、、、
気になる泣
アクアさんへ
黒田裕樹 アクアさんに明日(9日)もお越しいただきたくて止めました(笑)。
それはともかく、真相については明日(9日)以降に詳しく紹介しますので、またお越しくださいね(^^♪
管理人のみ閲覧できます
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.
智里 続きが気になる(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
そして、残り1時間の際どい時にトルコ航空の勇気ある行動!
自分がその場にいたら、感極まって泣くタイプですね(〃 ̄ω ̄〃ゞ
智里さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、期限ギリギリのトルコ航空の勇気ある行動。
帰路の安全が保障できない以上、機長他の添乗員は「死をも覚悟した」らしいですからね。
日本人のために…。
そして地獄寸前からの奇跡の生還。
私も感極まる方だと思います(´;ω;`)
いずれにせよ、間違いなくいえることは、トルコが自国民よりも日本人の安全保障を優先したという厳然(げんぜん)たる事実です。飛行機に乗れなかったトルコの国民は、何と車で何日もかけて自国であるトルコへ帰っているのです。
しかも、自国民よりも日本人を優先したトルコ共和国の決断に対して、熱狂的な愛国者が多いとされるトルコのマスコミも、さらには国民からも抗議らしい抗議が全くといっていいほどなかったのです。これは実に驚くべきことではないでしょうか。
トルコの人々の日本人に対する「何としても助けたい」という思い。その背景にあったのは、まぎれもなく「エルトゥールル号遭難に際しての日本人の自己犠牲に対する感謝の気持ち」でした。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
今日のお話も鳥肌が立つ思いがしました(TT)
感度的なお話です!
日本人から受けた恩義や親切心をトルコ国民が皆、良心的に捉えていて、それを忘れない・・という心の持ちようもなかなか出来ない事だと思います。
日本人の功績も素晴らしいことだと思いますが、その恩を忘れないと言うことも、素晴らしい事だなと改めて感じました。
感動に浸ることが出来る温かいお話ですね^^
ありがとうございます♪
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本人から受けた恩義や親切心をトルコ国民が皆、良心的に捉えていて、それを忘れない・・という心の持ちようもなかなか出来ない事だと思います。
> 日本人の功績も素晴らしいことだと思いますが、その恩を忘れないと言うことも、素晴らしい事だなと改めて感じました。
仰るとおりですね。トルコ国民の「恩を忘れない」という精神が今回のような素晴らしい物語につながったわけですから、現代の私たちも大いに見習う面があると思います。
> 感動に浸ることが出来る温かいお話ですね^^
> ありがとうございます♪
こちらこそ、お言葉有難うございます。
黒田先生.
RISH りらの妹のRISHです。
今日は母の日で実家に帰っています。
RISHの曲を聴いて下さりありがとうございます。
コメントうれしく拝見しました。
これからも姉のりらともども
宜しくお願いします。
.
智里 120年後の恩返しですね。
自分達は危険な道を車で戻ってでも、現地にいた日本人の安全を優先してくれる。
感動としか言いようがないです。
どちらの説が正しいのかは分かりませんが、トルコ政府、トルコ国民に感謝ですね。
RISHさんへ
黒田裕樹 ご本人様からの直接のお言葉、恐縮とともに感激です。
こちらこそよろしくお願いします。
そして、このコメントをご覧の皆様にもRISHさんの歌声を聴いていただければと思います。
http://erikamomo.blog47.fc2.com/blog-entry-192.html
智里さんへ
黒田裕樹 100年近くという長い間、ずっと我が国からの「恩」を忘れなかったトルコ政府と国民。
だからこそ、自分達を危険な身にさらしてでも日本人の安全を優先して下さった。
仰るとおり感動の物語であり、私たちもトルコ政府と国民に感謝です。
.
アクア 恩義を重んじて生きる
かっこいいですね。
日本もアメリカへの恩義を考え
普天間がどうとか
以前の事を考えるべきですよね?
今は何処に基地を作るかは問題じゃないきがします。
なんか関係ない話になりましたね。笑
.いい話ですねT-T
waravino 初めて知りました。
自己犠牲というのは。
やはり感動致しますね。
それにしても。日本側が飛行機を。
用意できなかったのは。情けない話です。
こちらのほうが。問題ですね(笑
アクアさんへ
黒田裕樹 > 恩義を重んじて生きる
> かっこいいですね。
確かにそうですね。国柄も国民性も素晴らしいと思います。
> 日本もアメリカへの恩義を考え
> 普天間がどうとか
> 以前の事を考えるべきですよね?
> 今は何処に基地を作るかは問題じゃないきがします。
なるほど、そういう見方もありますか。
日米の軍事同盟の場合はお互いの利害で動いているような感がありますからね。
トルコのような関係であればどれだけ幸せなことでしょうか…。
> なんか関係ない話になりましたね。笑
いえいえ、様々な感覚を持つことは良いことですよ。
waravinoさんへ
黒田裕樹 > 初めて知りました。
> 自己犠牲というのは。
> やはり感動致しますね。
本当にそうですよね。お互いに利害関係のない、純粋な気持ちにこそ人は感動するのだと思います。
> それにしても。日本側が飛行機を。
> 用意できなかったのは。情けない話です。
> こちらのほうが。問題ですね(笑
これについては様々な事情が考えられると思います。
今回の講座に対しては反響も大きいので、番外編の作成を検討中です。
日本はその後も義捐金を届けてくれたり、また民間人が長くトルコに留まって日本語を教えたりするなどの様々な貢献(こうけん)があったこと、日本が共通の敵であるロシアに戦争で勝ったこと、あるいは日本の明治維新につながる精神で共和制という近代化に成功したことなど、トルコの人々は、日本に対してどの国よりも親近感を抱くと同時に「いつか必ず恩返しをしなければならない」と思い続けていました。
だからこそ、イラクのフセイン大統領によって「民間機撃墜の危機」が発生した際に、かつて樫野の村人が非常食のニワトリを惜しげもなく遭難者に提供したように、自国民よりも進んで日本人の生命を救うという決断を下したのでした。
ちなみに、エルトゥールル号の遭難事件とその後の我が国の貢献に関して、トルコでは子供の頃から教科書で取り上げるなどして教えており、事件やその後の経緯について知らないトルコ国民はいないそうです。教育の成果の素晴らしさに国境は存在しないという好例でもありますね。
その一方で、トルコが救援機を我が国に派遣した際に、その理由を「日本からの長期資金援助を当て込んだからだ」という、非常に情けない報道をした新聞社がいることは本当に残念です。




いつも有難うございます。
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ゆえ 日本とトルコとのお話は、なんだか心がほわっとしましたww
.
オバrev 新聞報道の件は、歴史教育は何の目的で行うのか、ということを問われているような出来事ですね。
現在の我々は長い歴史の上に生きている訳ですから、それを正しく認識することが、現代を生きる上での基本にもなると思います。
もしその新聞記者が、そういうトルコとの歴史を知らないで書いたとしたらプロとしては失格でしょう。
プロならば、陰でしっかり調べてから記事にするだろうし、会社からの事実でない恣意的なものがあったとしたら、プライドをかけて断固突っぱねるはずです。
それにしても先生の記事を読んでいると、正しい歴史教育の重要性がよく分かります。
まずはこの歴史講座でがんばって下さいね(^^;)
.
アクア いやぁ
感動しました。
とてもいい話ですね。
逆にその新聞記者には
苦情が来た事でしょう。
ゆえさんへ
黒田裕樹 > 日本とトルコとのお話は、なんだか心がほわっとしましたww
それは良かったです。
こんなご時世だし、せめて心を和ませるようなエピソードがあってもいいですからね。
.
ぴーち こんばんは!
損得勘定抜きで、純粋に人助けを
したい!と言う気持ちを踏みにじる
報道。
余程、それを書いた記者は
歪んだ人生感をお持ちなんですね。
それを報道としてメディアに公表許可した新聞社自体も情けない思いが致します。
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 新聞報道の件は、歴史教育は何の目的で行うのか、ということを問われているような出来事ですね。
> 現在の我々は長い歴史の上に生きている訳ですから、それを正しく認識することが、現代を生きる上での基本にもなると思います。
> もしその新聞記者が、そういうトルコとの歴史を知らないで書いたとしたらプロとしては失格でしょう。
> プロならば、陰でしっかり調べてから記事にするだろうし、会社からの事実でない恣意的なものがあったとしたら、プライドをかけて断固突っぱねるはずです。
仰るとおり、歴史を知らないことは単なる無知では済まされません。ましてプロのジャーナリストを自負するのであれば、単なる自分や上司の主義主張で勝手に脳内変換された提灯記事を書くなどもっての外です。
しかし、現実には必ずしもそうではないことが残念ではありますが…。幸い私は、今回の新聞記者とは真逆(まぎゃく)の立場にいる報道関係者にお会いすることができたことが嬉しかったです。
> それにしても先生の記事を読んでいると、正しい歴史教育の重要性がよく分かります。
> まずはこの歴史講座でがんばって下さいね(^^;)
励ましのお言葉、有難うございます。
日々の更新は決して平坦ではありませんが、皆様のご支援が何よりの力です。
アクアさんへ
黒田裕樹 > いやぁ
> 感動しました。
> とてもいい話ですね。
本当にそうですよね。皆様からのご意見をお聞きして私も嬉しいです(^o^)丿
> 逆にその新聞記者には
> 苦情が来た事でしょう。
いや、それがですねぇ…(´・ω・`)
当時の他のマスコミも、我が国の識者も国民も、エルトゥールル号の悲劇を知っている人がほとんどいなかったので(私もその一人ですが)、苦情らしい苦情はなかったようなんですよ。
トルコの人々に対して申し訳ないです…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 損得勘定抜きで、純粋に人助けを
> したい!と言う気持ちを踏みにじる
> 報道。
> 余程、それを書いた記者は
> 歪んだ人生感をお持ちなんですね。
> それを報道としてメディアに公表許可した新聞社自体も情けない思いが致します。
全くもってそのとおりです。
歴史を知らないことも大罪ですが、それにも増して「援助を当て込んで」と勝手に邪推するなんて…25年前の話ですが、トルコ政府の真心に泥を塗る卑劣な行為には、今でも憤りを覚えますよ。
「報道の自由」うんぬん以前のあまりにも情けない、悲しい事実です。
黒田先生.
りら このお話ですが
トルコでは有名な話ですが
日本ではあまり知られていません
どうしてでしょう
もっと報道されて良い話ですよね
黒田先生がこの講座で、皆さんに広く知らしめて下さり感謝しています
りらさんへ
黒田裕樹 > このお話ですが
> トルコでは有名な話ですが
> 日本ではあまり知られていません
> どうしてでしょう
> もっと報道されて良い話ですよね
はっきりとした答えは今のところ出せませんが、考えられるとすれば、
1.救援機を出せなかった日本政府の恥になることなので、文科省としても公にしにくい
2.救援機派遣に反対したのが組合などの勢力であり、その背後にいる特定の政党に気兼ねしている
3.(考えたくないのですが)我が国の歴史にとって「是」となる内容を公表したがらない。その一方で「非」に関しては…
といったところでしょうか。
> 黒田先生がこの講座で、皆さんに広く知らしめて下さり感謝しています
お言葉有難うございます。今回の講座に対する反響の大きさを重く受け止めております。
事故の翌年である明治24(1891)年には、大島村と和歌山県知事によって最初の墓碑(ぼひ)が建てられ、昭和4(1929)年には山田寅次郎が設立した日土貿易協会によって追悼碑(ついとうひ)が建立(こんりゅう)されると、和歌山を行幸(ぎょうこう、天皇の外出のこと)された昭和天皇(しょうわてんのう)が墓碑に手を合わせられました。
天皇陛下が行幸されたことを伝え聞いたトルコ共和国初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクは、エルトゥールル号の墓地の大改修とトルコ式の慰霊碑(いれいひ)の建立を決断し、昭和12(1937)年に完成しました。慰霊碑は昭和天皇が行幸された同じ6月3日に除幕され、50周年の追悼祭も2年繰り上げて合わせて行われました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
やはり日本国の天皇の地位と言うのは(一般的な言い方で失礼します
)世界的にもトップかそれに等しい位だと伺った事がありますが、(ローマ法王と同等?)
その天皇が直々に行幸され、墓碑に手を合わせられたという事事態も
トルコにとっては只事では無い事だったのでしょうね。
凸
黒田先生.
りら 皇室外交は日本人が思うより
遥かに外国との親睦に繋がって
行くように現代でも思われます
先生はどう思われますか
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > やはり日本国の天皇の地位と言うのは(一般的な言い方で失礼します
> )世界的にもトップかそれに等しい位だと伺った事がありますが、(ローマ法王と同等?)
> その天皇が直々に行幸され、墓碑に手を合わせられたという事態も
> トルコにとっては只事では無い事だったのでしょうね。
お言葉、まさしくそのとおりです。
天皇陛下が全世界のトップであるローマ法王と肩を並べる地位として君臨されておられるのは、実は物凄いことなんですよ。我々日本人が誇るべき皇統であり、気づかないのはその日本人だけです。
それだけに、昭和天皇が墓碑に手を合わせられたという事実は、トルコにとっては衝撃的であるとともにどれだけ有難かったことでしょうか。この重みは外国人でないと分からないのかもしれません。
りらさんへ
黒田裕樹 > 皇室外交は日本人が思うより
> 遥かに外国との親睦に繋がって
> 行くように現代でも思われます
> 先生はどう思われますか
仰るとおりです。世界的な権威のトップとして君臨される天皇陛下の外交は、ともすれば腹の探り合いに終始しそうな一般人とは異なり、我が国の真意と誠意を諸外国に明らかにすると同時に、親睦を深めるのにまたとない機会でもあります。
失礼な物言いながら、その価値はまさにプライスレス。皇室の偉大さに気づかないのは日本人だけというのが皮肉でもありますね。
周囲に困った人がいれば、例え見ず知らずの相手であっても広く優しい心で接することができる。そんな思いに国境は関係ありません。そして、打算や妥協(だきょう)とは無縁な気高(けだか)い精神は、相手の魂(たましい)を揺(ゆ)さぶるとともに、かけがえのない友情を育(はぐく)むことになります。
折(おり)しも今年(平成22年)はエルトゥールル号の遭難事件から120年目の節目での年であり、また「2010年トルコにおける日本年」でもあります。我が国とトルコとの間にできた勇気と友情の固い絆(きずな)を、私たちもいつまでも忘れることなく、未来永劫(みらいえいごう)、子々孫々に至るまで伝えていきたいものですね。
(第13回歴史講座の当日の内容はこれで終了ですが、次回に補足の記事を載せます。)




いつも有難うございます。
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佐佐木あつし こんにちは。
エルトゥールル号の事は少し聞きかじった事があるくらいで、
その背景にこんなに感動的なドラマがあったとは知りませんでした。
ホントにいい勉強になりました。
ありがとうございます。
これからもドシドシ
こういった歴史の中の
知られざる話を
お教えくださいね(≧∇≦)b
_(._.)_
佐佐木あつしさんへ
黒田裕樹 こちらこそお言葉有難うございます(^^♪
歴史講座の中でご紹介できるお話はまだまだありますので、次回以降もご期待いただければと思います。
もちろん東京の再演も…(^^ゞ
.
ぴーち こんばんは!
この事件のお話を一通り伺っていて、国同士がこんなにも固い友情で結ばれた事実がある事に、しかも、わが国がその相手国であるという事に、改めて誇りに感じますね~。
花壇と言えば、よくゴミを不法投棄される場所に花壇を作り、奇麗な花々を植えた所、ゴミは一切捨てられなくなったと言うある自治体の話を思い出しました。人は綺麗な場所には、ゴミは捨て辛くなるものですからね。
四季折々の花々は人の目を和ませてくれる事だし、上手い人間心理を突いた一石二鳥のアイディアだなと思いました^^
これからもトルコと日本の友情。
永久に続いて貰いたいものですね^^
応援凸
黒田先生
りら 串本は日本の最南端でしたよね
綺麗な風景のようですね
その場所で美しい人間のお話
感動しました
あまりにも醜い事件が多い中
心が休まります
時々こんなお話をアップして下さい
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この事件のお話を一通り伺っていて、国同士がこんなにも固い友情で結ばれた事実がある事に、しかも、わが国がその相手国であるという事に、改めて誇りに感じますね~。
そうですよね。誇りに思うと同時に、よその国ではなく我が国の話なのですから、私たちももっと詳しく知っていてもよいはずです。
> 花壇と言えば、よくゴミを不法投棄される場所に花壇を作り、奇麗な花々を植えた所、ゴミは一切捨てられなくなったと言うある自治体の話を思い出しました。人は綺麗な場所には、ゴミは捨て辛くなるものですからね。
> 四季折々の花々は人の目を和ませてくれる事だし、上手い人間心理を突いた一石二鳥のアイディアだなと思いました^^
仰るとおり、綺麗に整えられている場所に対しては人はゴミを出しません。と同時に、地元の人々の心を込めた清掃がずっと続けられていることも素晴らしいことだと思います。
> これからもトルコと日本の友情。
> 永久に続いて貰いたいものですね^^
私もそう願っています。願わくば同じ日本人から両国の友情にヒビが入らないように…。
りらさんへ
黒田裕樹 > 串本は日本の最南端でしたよね
> 綺麗な風景のようですね
> その場所で美しい人間のお話
> 感動しました
串本の海は美しいとともに、台風などの自然の脅威を感じさせます。
それだけに、かの地からの勇気と友情の物語に私たちは心惹かれるのでしょう。
> あまりにも醜い事件が多い中
> 心が休まります
> 時々こんなお話をアップして下さい
有難うございます。
折を見てご紹介できればと思います。
エルトゥールル号の遭難事件の後、日本政府やトルコ政府から樫野(かしの)の漁民や医師に対して、遭難者の救助や看護にかかった費用を請求して下さい、という連絡がありました。貧しい漁村で非常食のニワトリまでを遭難者に進んで提供しただけに、実に有難い申し出だったはずなのですが、地元の人々は請求を辞退しました。
「私たちはお金が欲しいために救助したのではありません。もし私たちに費用を支払って下さるというのなら、遭難者やその家族のための義捐金(ぎえんきん)として役立てて下さい」。
今から120年前の日本人の何と素晴らしいことでしょうか。ついつい目先の利益に走ってしまう(私自身も含めた)現代人にとって、見習うべきであると同時に、自身の行動を恥(はじ)と思って深く反省しなければいけません。
最後に、今回の講座にも関連する有名なフラッシュを紹介しましょう。私自身も何度も拝見しておりますが、見るたびに未(いま)だに目頭(めがしら)が熱くなるのを感じます。




いつも有難うございます。
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海のいるか 当時の日本人の心意気、なんというか見事ですね。
そして、100年近くたっても恩を忘れないトルコの人々。
色々と便利で平和な世の中になりましたが、本来の人間が持っている素晴らしさ、無くしたくないですね。
自分自身を振り返るいいきっかけに
なりました。
いいお話をありがとうございます。
コメント、ありがとうございました。
とても励みになりました(*^^*)
(^^)
kana なんどもお邪魔させて頂いていますが、今回が初コメです。
この、日本とトルコ ~固い絆(きずな)の物語、とても楽しみの拝見させていただきました。
今日の締めのエピソードも、読んで涙が・・・
私も、こうでありたいと思いました。
お話が聞けて良かった。
これからも頑張ってください。
海のいるかさんへ
黒田裕樹 > 当時の日本人の心意気、なんというか見事ですね。
> そして、100年近くたっても恩を忘れないトルコの人々。
> 色々と便利で平和な世の中になりましたが、本来の人間が持っている素晴らしさ、無くしたくないですね。
当時の日本人も、25年前のトルコ人も、仰るとおり人間の素晴らしさを我々に教えて下さってますね。いつまでもなくすことなく大事に持っていたいものです。
> 自分自身を振り返るいいきっかけに
> なりました。
> いいお話をありがとうございます。
こちらこそ、お優しいお言葉を有難うございます。
> コメント、ありがとうございました。
> とても励みになりました(*^^*)
色んな人間がいて大変だとは思いますが、頑張っていきましょう!
黒田先生
りら 「120年前の日本人の何と素晴らしいことでしょうか」
の先生のご意見に共感します
日本は元々は心の豊かな国民です
いつのまにかこんな時代になってしまったのでしょう
こんな先祖がいたのですから
反省し この時代にも その時の心を取り戻したいですね
.
智里 最後のムービー、良かったです(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
120年前の借りを返しただけ・・・
そうかも知れませんが、それを自分達と同じ国の人達を残してまでも返す。
感動です!!
樫野の人達が行った行動が、日本人のピンチを救った。
あの時のことが無かったら、いまはどうなっていたんでしょうか?
自分も樫野の人達の行動を常に心にとどめて、行動しようと思います。
kanaさんへ
黒田裕樹 > なんどもお邪魔させて頂いていますが、今回が初コメです。
> この、日本とトルコ ~固い絆(きずな)の物語、とても楽しみに拝見させていただきました。
> 今日の締めのエピソードも、読んで涙が・・・
はじめまして。お言葉有難うございます。
我々の先祖は、私たちに素晴らしい贈り物を残してくださいました。私たちの世代で失わせてしまうわけにはまいりません。
> 私も、こうでありたいと思いました。
> お話が聞けて良かった。
> これからも頑張ってください。
今回の講座に関しては、皆様から数々のお言葉をいただきました。
これからも、心に残る内容の講義を続けていければと思っております。
りらさんへ
黒田裕樹 > 「120年前の日本人の何と素晴らしいことでしょうか」
> の先生のご意見に共感します
> 日本は元々は心の豊かな国民です
> いつのまにかこんな時代になってしまったのでしょう
> こんな先祖がいたのですから
> 反省し この時代にも その時の心を取り戻したいですね
仰るとおりだと思います。
「こんな時代」になってしまったのは、戦後の教育とともに、上に立つ者の覚悟の違いが大きいのではないかと個人的には思います。
約束を平気で破る政治家のトップがいる国ですから…。
上がだらしない分、私たちがしっかりしなければいけませんね。
智里さんへ
黒田裕樹 > 最後のムービー、良かったです(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 120年前の借りを返しただけ・・・
> そうかも知れませんが、それを自分達と同じ国の人達を残してまでも返す。
> 感動です!!
仰るとおり、単なる「借りを返す」だけであのような勇気ある行動を起こせるはずがありません。トルコの人々の我が国に対する熱い思いが伝わるからこそ、ムービーの内容に感動できるのでしょう。
> 樫野の人達が行った行動が、日本人のピンチを救った。
> あの時のことが無かったら、いまはどうなっていたんでしょうか?
> 自分も樫野の人達の行動を常に心にとどめて、行動しようと思います。
想像できないし、想像したくもないですね。
でも、現代の私たちに同じことができるでしょうか。
もしできなければ、今度はどのようなことになるのか…。
私も心してかからないといけませんね(`・ω・´)
.
アクア 日本人も
やるときはやるんですね。
まぁその当時はお金
あったのでしょう。
しかし
こんなことがあったなんて、
勉強になりました。
アクアさんへ
黒田裕樹 > 日本人も
> やるときはやるんですね。
> まぁその当時はお金
> あったのでしょう。
そうですね。樫野の人々は、お金をもらう代わりにプライスレスな人間の存在を私たちに示してく下さいました。
> しかし
> こんなことがあったなんて、
> 勉強になりました。
世知辛い世の中ですが、こんなときこそ昔の人々の良心を胸に刻んで頑張っていきたいものです。