現代の我が国での宗教は、法事などの一定の行事の際に、お坊さんが有難いお経(きょう)を読むなどの「平和の象徴」という印象が強く、宗教が政治に深く関わるというイメージは希薄(きはく)になっていますが、我が国でこうした宗教のイメージが定着したのは、実は江戸時代以降のことなのです。
それまでは、国を挙げて仏教を信仰するなど、我が国の宗教は、政治と深く関わっていました。当初は単なる儀式などの形式的なものや、仏像や寺院などの文化の面が強調されていましたが、いわゆる「政教一致」(せいきょういっち)の状態が続いたことで、宗教勢力は次第に武力を持つようになり、やがては巨大な圧力団体と化していったのです。
では、そんな圧力団体と化した宗教勢力が、現代のように「大人しい」存在となったのはなぜでしょうか。実は、戦国時代を終わらせ、我が国に平和をもたらした織田信長(おだのぶなが)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)、徳川家康(とくがわいえやす)のいわゆる三英傑(さんえいけつ)が、政教分離の実現に深く関わっているのです。
今回の講座では、我が国に政教分離の原則が定着した過程を、三英傑それぞれの政策を振り返りながら探っていきたいと思います。




いつも有難うございます。
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智里 政教分離してから、たった400年しかたってないんですね。
でも良く宗教と政治が分かれる事が出来たもんです。
あれだけ力を持っていた仏教に政治的介入を許す事がなくなったのって気になりますね(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
でも、一向一揆なんかは明らかに宗教的な反乱だよね~。
う~ん、今後の講座が楽しみ♪
智里さんへ
黒田裕樹 > 政教分離してから、たった400年しかたってないんですね。
> でも良く宗教と政治が分かれる事が出来たもんです。
そのとおりです。政治と宗教との深いかかわりを断ち切るには、それなりの「大手術」も必要でしたし、権力者による「仕掛け」などの権謀術数(けんぼうじゅっすう)もありましたね。
> あれだけ力を持っていた仏教に政治的介入を許す事がなくなったのって気になりますね(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
> でも、一向一揆なんかは明らかに宗教的な反乱だよね~。
> う~ん、今後の講座が楽しみ♪
有難うございます。最近の教科書では一向一揆を肯定的に取り上げているところが多いようですが、それによって被害を受けた人も大勢いますし、なるべく公平な目で紹介できればと思っております。
.
スカイラインV35 この時代は政教分離や刀狩の兵農分離など、意外と現代にもつながっている事が多いんですね。
三英傑はやはり傑出した存在だったんでしょうね。
そして、講座の内容とは直接の関係は無いですが、現代の靖国神社、大喪の礼や大嘗祭、建国記念の式典など、余力があれば講座と並行して、一寸考えてみたいと思います。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > この時代は政教分離や刀狩の兵農分離など、意外と現代にもつながっている事が多いんですね。
> 三英傑はやはり傑出した存在だったんでしょうね。
そうですね。三英傑の誰か一人が欠けても、政教分離は成し得なかったでしょう。
> そして、講座の内容とは直接の関係は無いですが、現代の靖国神社、大喪の礼や大嘗祭、建国記念の式典など、余力があれば講座と並行して、一寸考えてみたいと思います。
確かに直接関係はないですが、最後のあたりで…まぁ、あとのお楽しみにしましょうか(笑)。
スカイラインV35さんのお考えも是非拝聴したいと思います。
.こんばんは
りら 政教分離
日本ではこの頃から始まっていたんですね
現在も日本は政教分離がよく行なわれれている国に思えます
それに宗教の自由が認められています
当り前のようでいて世界中では当たり前では無い国が多いですよね
.今の日本をどう思われますか?
ぽっきー 公明党、幸福実現党、など等、他国から、カルト指定されている党が堂々と、政党として存在して、多大な権力を行使している現実は、政教分離できていると言えるのですか、
テストには出ないけど不思議に思っていたのでお聞きします。
阿修羅と言う掲示板を見ました、今の日本は大丈夫なのか、大変なことになってるのではと、私たちの将来が不安になりました。
りらさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、政教分離の原則とともに、信仰の自由は国民にとって大切な原則ですね。
我が国では当たり前のことが、海外では認められていない。恵まれているがゆえに気づかないことが、この国では多いような気がします。
ぽっきーさんへ
黒田裕樹 他国が認定しているからといって、我が国にそのまま適用できるとは限りませんから一概には言えないですが、不思議に感じておられる皆さんも多いようですね。
我が国で議席を持っている公明党の場合は「宗教団体の政治参加」であり、「宗教団体が国家的権力を握って立法権や司法権を支配する」ところまでには至っていないので問題ないとする通説がある一方で、批判も多いようです。
ぽっきーさんのお歳(とし)を存じないので軽々しいことは申せませんが、我が国に対する不安を一掃するには、遠くても「過去の歴史に学ぶ」ことが一番の近道と信じております。
我が国の独立を守るために父祖が成しとげてきたことや、あるいは失敗したことなどを自分の糧として行動することと、自分たちが先祖からのバトンを受け継いでおり、それを時代につなぐ責務があることを自覚すること。それさえできれば、我が国もまだまだ大丈夫だと思います。
.
りら 夜分にお邪魔致します
今日 月下美人が咲きました
お時間がある時で結構ですので
りらのお城までお越し下されば
幸いです お待ち致しています
りらさんへ
黒田裕樹 先ほど訪問させていただきました。
本日(4月1日)限定のすがすがしい記事を有難うございます(^^♪
6世紀になって、朝鮮半島の百済(くだら)から仏教が伝えられると、当初は古来の神道(しんとう)との間で激しい争いが起きましたが、聖徳太子(しょうとくたいし)が憲法十七条(けんぽうじゅうしちじょう)で仏教を厚く信仰するように定めた頃からは、次第に国の宗教として定着していきました。
時は流れ、平安時代初期の弘仁・貞観文化(こうにん・じょうがんぶんか)の頃になると、仏教は神道と調和し融合(ゆうごう)することで、神社の境内(けいだい)に神宮寺(じんぐうじ)を建てたり、寺院の境内に守護神(しゅごしん)をまつり、神前で読経(どきょう)したりするという、いわゆる神仏習合(しんぶつしゅうごう)が見られるようになりました。
国風文化の頃にはさらに進化して、我が国の八百万(やおよろず、非常に多いという意味)の神々は、実は様々な仏が化身(けしん、仮の姿という意味)として現れたとする、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が唱(とな)えられるようになり、仏教は我が国の風土に完全に合致(がっち)するようになりました。
しかし、仏教が国の保護を受けて定着していった一方で、朝廷を悩ませる新たな問題も発生していたのでした。




いつも有難うございます。
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伝次郎 昔も今も、おそらくこれからも日本の神道は苦難の道になりそうですね。
欧米の宗教と一緒にしてはいけないし、外国から誤解されるのも注意が必要ですね。
伝次郎さんへ
黒田裕樹 > 昔も今も、おそらくこれからも日本の神道は苦難の道になりそうですね。
> 欧米の宗教と一緒にしてはいけないし、外国から誤解されるのも注意が必要ですね。
確かにそうですね。神道を宗教と誤解するところに、我が国の不幸があるのかもしれません。
敗戦の爪あとはまだまだ残っているということでしょうか。
.
ぴーち こんばんは!
宗教の話は正直難しいですよね^^;
それぞれの宗派により、教えが異なりますし。多神教国でいられるというのは、「和」を持って尊しとなすと言う日本人ならではなのかも知れませんね。
特に仏教は厳しく、教えが深いので、国の宗教として長続きさせるというのは困難だったのでは無いでしょうか。
それともまた、違った理由があるのかしら・・・?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 宗教の話は正直難しいですよね^^;
> それぞれの宗派により、教えが異なりますし。多神教国でいられるというのは、「和」を持って尊しとなすと言う日本人ならではなのかも知れませんね。
我が国では、存在するすべてのものに神様がついているという教えがありますから、外来の仏教も「和」の中で自然と溶け込んでいったといえるでしょう。
> 特に仏教は厳しく、教えが深いので、国の宗教として長続きさせるというのは困難だったのでは無いでしょうか。
> それともまた、違った理由があるのかしら・・・?
前の文章とかぶりますが、国の宗教として定着させるには、古来の神道と融合するのが一番の近道だったと思われます。
もっとも、仏の道を究めるのは厳しい修行が必要だったのですが、それも時代とともに変化していきました。このあたりは今回の講座終了後に紹介できると思います。
.
HANA子 宗教戦争っていうと日本には縁がない話のように言われてますけど、実際我が国も宗教が関わる争いは“普通に”多いんですよね
それこそ聖徳太子の時代の蘇我氏(仏教)と物部氏(神道)の抗争、
中臣鎌足(藤原鎌足)以降の藤原氏による仏教弾圧。
戦国時代でのお話に至るまでも色々あるわけで、その後にもまた色々と
考えてみると、日本人と宗教って関係が薄いわけではないんですよね
これもまた無関心・・・知ろうとされていないだけで
今回のセンセの講義も楽しみにさせていただきます!
HANA子さんへ
黒田裕樹 実際そのとおりでして、本文にもあるように仏教伝来時は蘇我氏と物部氏との勢力争いにからんだりなど、トラブルが結構あったんですよね。
仏教が時代とともに変化を遂げることで我が国に受け入れられ、完全に定着するまで長い年月がかかっていますし。
しかも、この後には政治に口出しすることで様々な問題が待ち受けていますから。
それなのに、仰るように「無関心」になるのにもまた理由がありまして…このあたりは講座を毎日お聞きくださればご理解いただけると思いますので、よろしくお願いします。
.
てっちゃん中尉 こんにちは☆
神仏習合…学力が乏しい中尉としては新出単語です(笑)
そんなことがあったとはいやはや、勉強になります。
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > 神仏習合…学力が乏しい中尉としては新出単語です(笑)
> そんなことがあったとはいやはや、勉強になります。
有難うございます。平安時代の中でも取り上げたことがあるのですが、やはり今回のような「流れ」の中で紹介したほうが良さそうですね。てっちゃん中尉さんのお役に立てて嬉しいです!(^ω^)
.
智里 面白いですね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
神道と仏教が上手く共存出来たのは、そういった事があったからなんですね。
大抵の宗教は、新しいモノが古いモノを追い出そうとして、宗教抗争になったりしてますもんね。
そう考えると、日本は独自の宗教観が出来あがってるんですね。
前の講座の時に、聖徳太子が仏教を政治の手法の1つに使ってたのを覚えていたので、今回の講座に出てくると思ってました。
智里さんへ
黒田裕樹 > 面白いですね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 神道と仏教が上手く共存出来たのは、そういった事があったからなんですね。
> 大抵の宗教は、新しいモノが古いモノを追い出そうとして、宗教抗争になったりしてますもんね。
> そう考えると、日本は独自の宗教観が出来あがってるんですね。
有難うございますm(_ _)m
本来は相容れないはずの仏教と神道を見事に融合させる。「何事であっても我が国の風土に合わせる」という、我が国の大きな特長でもありますね(^^♪
> 前の講座の時に、聖徳太子が仏教を政治の手法の1つに使ってたのを覚えていたので、今回の講座に出てくると思ってました。
見抜かれてしまいました(笑)。
歴史のみならず、講座同士もつながることで、皆様のご理解につながればと思っております(^_^)v
その後、軍隊廃止の代わりに置かれた警察組織に相当する検非違使(けびいし)によって、朝廷周辺では曲がりなりにも治安が保(たも)たれるようになりましたが、それ以外の地方の警察力は全くといっていいほど存在せず、それゆえに治安が悪化して犯罪が増加するという結果を生みました。
治安が乱れたからといって、いつまでも泣き寝入りをしているわけにはいきません。全国各地の豪族や農民たちは、外部からの侵略(しんりゃく)に対抗して自分の身を守るために、それぞれが武装するようになりました。これが武士の起こりです。
寺院や神社とて例外ではなく、信仰の自由を守るために僧兵(そうへい)を組織するなどして、宗教勢力も武装するようになりました。しかし時が流れると、宗教勢力は武装していることを逆手(さかて)にとって、自らの要求を通すために神木(しんぼく、神社の境内に植えられた神聖な木のこと)や神輿(しんよ、神社の祭礼に使用する「みこし」のこと)を先頭に立てて京都へ乱入し、朝廷へ強訴(ごうそ)する機会が増えました。
長期間にわたって院政(いんせい)を行った白河法皇(しらかわほうおう)が「賀茂川(かもがわ)の水と、双六(すごろく)の賽(さい、サイコロのこと)の目、それに山法師(やまほうし、延暦寺の僧兵のこと)だけは自分の意にならない」という言葉を残されるなど、当時の為政者(いせいしゃ)は寺社の強訴に手を焼きましたが、それでも朝廷や幕府などの我が国を支配した政治組織がしっかりしていた時代は、宗教勢力を抑えることも可能でした。
しかし、15世紀後半に応仁の乱(おうにんのらん)が起こって当時の室町幕府(むろまちばくふ)の影響力が低下し、戦国の世(よ)と化して以降は、宗教勢力が飛躍的(ひやくてき)にその影響力を強めていったのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
武士は元々は豪族や農民から登場した存在だったのですね^^
そして、その武士の起こりがそのような理由だったという事を初めて知ることが出来、感謝致しますm(__)m
応援凸
.
紗那 うぅ、しばらく苦手な感じです。コメしづらい内容なのです。。。
ROMってますが、ちゃんと読んでますよー……!
ふむふむ、確かに 情勢が不安定になると、宗教というのは人々の心に入り込んでいくイメージがありますが。
今晩は.
りら 私はいつもこれまで不可解だったの
は白河法皇のように院政を行なう
方が多いことです
院政をするくらいなら
なぜ天皇の位を降りるのですか?
月下美人見て下さりありがとう
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 武士は元々は豪族や農民から登場した存在だったのですね^^
> そして、その武士の起こりがそのような理由だったという事を初めて知ることが出来、感謝致しますm(__)m
世の中が平和であれば、武士が誕生する余地はなかったはずなのです。
軍隊を廃止すれば平和になるのではなく、かえって世の中が乱れるもととなり、ついには武士に政権を取られてしまう…。皮肉なものですね。
紗那さんへ
黒田裕樹 > うぅ、しばらく苦手な感じです。コメしづらい内容なのです。。。
> ROMってますが、ちゃんと読んでますよー……!
大丈夫ですよ(^^♪
足あとで承知しております。内容的にはこれから面白くなるかもしれませんよ(^^ゞ
> ふむふむ、確かに 情勢が不安定になると、宗教というのは人々の心に入り込んでいくイメージがありますが。
宗教を深く信仰される人の中には、そういう方もいらっしゃるようですね。
人それぞれとはいえ、考えさせられるものです。
りらさんへ
黒田裕樹 院政のねらいは「政治の実権を摂関家から取り戻す」ことにありました。それまで摂関家に政治の実権を奪われ、名ばかりの存在と化していた天皇が、上皇となられることで「天皇の父(または祖父)」という権威で政治の実権を取り戻すことに成功されたのです。
祭祀などのご公務でお忙しい天皇と違って、「ご隠居」である上皇には時間に余裕があるとともに、法や慣例にこだわらずにフリーハンドな立場で政治を行えるという利点がありました。それだけに平安末期の院政は、白河法皇→鳥羽法皇→後白河法皇と100年あまりも続いたのです。
なお、院政については以前にも当講座で紹介しております。下記のリンク先から順にお進みください。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-292.html
> 月下美人見て下さりありがとう
いえいえ、こちらこそ楽しいひと時を有難うございます。
こんばんは
スカイラインV35 成る程。鎌倉時代というと日本仏教の華、室町時代は一休禅師などのイメージですが、実際はこの時代の仏教を漢字一文字で表すと、”暴”とか”強(し)”いる、とかも一面なのかもしれないですね。
そして、現代の靖国神社(その他、忠魂碑や建国記念式典)などの問題ですが、私的にはGHQの神道指令の影響が残っているのではと思いだしました。
まだ考えを整理しつつありますので、現在進行形でお付き合い願えたらと思います。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 成る程。鎌倉時代というと日本仏教の華、室町時代は一休禅師などのイメージですが、実際はこの時代の仏教を漢字一文字で表すと、”暴”とか”強(し)”いる、とかも一面なのかもしれないですね。
一面的な歴史ばかり追っていては見失ってしまいかねない真実ですね。
現代のイメージに惑わされることなく見極めたいものです。
> そして、現代の靖国神社(その他、忠魂碑や建国記念式典)などの問題ですが、私的にはGHQの神道指令の影響が残っているのではと思いだしました。
> まだ考えを整理しつつありますので、現在進行形でお付き合い願えたらと思います。
近現代史はスカイラインV35さんから学ぶことが多く、感謝しております。
今後の更新にも期待しています。
.
ウミタク 入試後日本史を若干離れていたので・・武士の起こりが、あった!あったけどなんか懐かしいなとい感じです。
また黒田先生の講義で思い出さないとですな(´ω`)
一応コメント返しに乗せておいたのですがYou Tubeのプラグイン方法ですね。
公式プラグインからフリーエリアを追加してのせたいYou Tubeの埋め込みコードを貼り付けたら完成です(注)自動再生はされません。
この話であってましたです?
ウミタクさんへ
黒田裕樹 > 入試後日本史を若干離れていたので・・武士の起こりが、あった!あったけどなんか懐かしいなという感じです。
> また黒田先生の講義で思い出さないとですな(´ω`)
武士の起こりは結構重要なのですが、なぜか詳しく紹介されませんからね。私の講座で思い出して下さったら光栄です(^^♪
> 一応コメント返しに乗せておいたのですがYou Tubeのプラグイン方法ですね。
> 公式プラグインからフリーエリアを追加してのせたいYou Tubeの埋め込みコードを貼り付けたら完成です(注)自動再生はされません。
> この話であってましたです?
早速試してみたらOKでした(^_^)v
ブログの装いがまた一つ増えて嬉しい限りです!(^o^)丿
有難うございましたm(_ _)m
信者たちは各地で一揆(いっき)を起こして戦国大名に対抗し、中でも加賀国(かがのくに、現在の石川県南部)の一揆衆は大名を追放して、一向宗を組織する本願寺(ほんがんじ)が約1世紀にわたって実効支配(じっこうしはい)をするようになりました。1488年に起きたこの一揆は、加賀の一向一揆(いっこういっき)と呼ばれています。
本願寺はこの頃、本拠地を京都の山科に置いていました。相次ぐ戦乱で傷(いた)めつけられてはいたものの、やはり我が国の首都であり、人も物資も集まる京都こそが布教活動の中心だったのですが、そう考えていたのはどの宗教勢力も同じでした。
京都で一向宗が幅を利かせていたのを苦々(にがにが)しく思っていた日蓮宗(にちれんしゅう)は、1532年に山科の本願寺を焼討(やきう)ちして、一向宗の勢力を京都から追放することに成功しました。これを法華一揆(ほっけいっき)といいます。




いつも有難うございます。
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HANA子 しかし、この宗派間の争いを文章で書いてみると、
「○○宗」と「○○の国」の宗と国を入れ替えてみても何にも違和感がありませんねー
スタンダールの小説「赤と黒」で、主人公は出世の手段として軍人(赤)と宗教家(黒)を用いようとしますが、
乱世でのしあがれる、あるいは羽振りのいい存在っていうのは、やはりその二者だっていう証明なんでしょうか
と、少々こじつけが過ぎますかね?^^;
HANA子さんへ
黒田裕樹 いえいえ、こじつけなんかではなく、仰るとおりだと私も思いますよ。
戦国時代に宗教が政治と深く関わっていた証拠でもありますね。おまけに「武力さえ持っていれば何でもあり」の時代でしたから、こうした戦乱が起きるのは避けられないという環境もありました。
少々話が先走りますが、こうした争いを止めさせようと思えば、どうしても「荒療治」が必要になりますね。
.
智里 そう言う事でしたか~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
権力欲しさに宗教間での争いが有り、ついには本願寺を焼打ちしちゃったんだ。
法華の人はいいけど、何も知らない民衆は大変ですよね。
ただでさえ戦乱の世なのに、自分達が信じてる宗教でも戦乱が起きてるなんて。
なんて時代だったんでしょうね。
智里さんへ
黒田裕樹 > そう言う事でしたか~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 権力欲しさに宗教間での争いが有り、ついには本願寺を焼打ちしちゃったんだ。
> 法華の人はいいけど、何も知らない民衆は大変ですよね。
まさしくそのとおりです。無辜(むこ)の民が虐(しいた)げられるのがこの世の常とはいえ、それを宗教団体がやるというのは、我が国では珍しいですからね。
> ただでさえ戦乱の世なのに、自分達が信じてる宗教でも戦乱が起きてるなんて。
> なんて時代だったんでしょうね。
まさに「無常」とでもいいましょうか…。
こうなると「何のための信仰」であるのかが分からなくなってきますね(´・ω・`)
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1536年、延暦寺側は京都にあった日蓮宗の寺院をことごとく焼き払い、日蓮宗の勢力を京都から追い出すことに成功したのですが、寺院を焼いた火の延焼(えんしょう)によって、京都全体が焦土(しょうど)と化してしまいました。その被害は応仁の乱よりも上回っていたとされるこの争乱(そうらん)は、天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)と呼ばれています。
戦国時代にはこうした宗教勢力同士の争いが絶えなかったのですが、そんな勢力を維持する原資となっていたのが、布教地における関所の通行税や、商売を許可するための税金でした。僧兵を雇(やと)って軍事力を高めるために税金を集め、利益が上がれば他の勢力に奪(うば)われないように武力を強化し、武力を強化して資金が不足すれば税金を上げたりするという繰(く)り返しによって、宗教勢力は気がつけば政治力や資金力を持った巨大な圧力団体と化してしまっていたのです。
強大な武力を持つようになった宗教勢力には誰も逆らうことができず、また勢力同士の争いで焼け野原になるなど、いつしか宗教勢力は人々の暮らしや商業の発達に大きな障害となっていました。従って、当時の人々の多くは、大きな障害と化してしまった宗教勢力を追放して、元の過ごしやすい世の中に戻してほしいと熱望していました。
そんな中で現れたのが、戦国大名の一人であった織田信長だったのです。




いつも有難うございます。
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星月冬灯 宗教と信仰の違いが如実に表れて
いますよね、特にこの頃のお寺は。
宗教の違いdお互いを攻撃し合う
ことはまさに仏の教えに反してい
るのに、恐ろしい争いだと思います・・・。
信長は「あれは僧侶」ではないと
きっぱり言うのも解ります。
僧侶とはいえ、僧兵ですし。
平気で人を殺め、精進もしない。
武士よりもひどいと思います。
国の宝を焼いてしまったのはいただけないけれど、信長の荒療治も
必要だったと思います^^
星月冬灯さんへ
黒田裕樹 この頃になると、仏の教えを広めるよりも自己の勢力を拡大することに、文字どおり血道をあげることになりますから、完全に「本来の信仰」の道から外れていますね。
こうなってしまえば、もはや「僧侶」でないことは、信長でなくても実感したことでしょう。とはいえ、巨大な勢力と化した宗教勢力はそう簡単には倒せない。だとすると…というわけですね。
.
智里 比叡山延暦寺も、やってることは一緒なんですね。
しかも京都を焦土にしてしまうようなことをするとは・・・
なんか、どの宗教も権力欲しさで仏の道を外しまくってますね。
そして、ここから比叡山と信長との関係が始まるんですね!
何を思い、比叡山を焼き払ったのか!
う~ん、気になるわ(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
智里さんへ
黒田裕樹 > 比叡山延暦寺も、やってることは一緒なんですね。
> しかも京都を焦土にしてしまうようなことをするとは・・・
> なんか、どの宗教も権力欲しさで仏の道を外しまくってますね。
自分たちの欲望のためには、都を焦土と化そうが一向に構わないわけですからね。
仏の道はどこへいってしまったのか…。
> そして、ここから比叡山と信長との関係が始まるんですね!
> 何を思い、比叡山を焼き払ったのか!
> う~ん、気になるわ(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
ハイ、次回(5日)からいよいよ信長が登場です。
比叡山が焼かれたのにも「信長なりの理由」がちゃんと存在していますので、そのあたりもご理解いただければと思います(^^♪
.
オバrev 私は浄土真宗ですが、この頃の一向宗は結構過激ですね。
キリスト教やイスラム教などの一神教とは異なる仏教ですので、これだけ激しく戦っていたとは意外です。
全国統一のためには、信長でなくても誰かが手をつけなくてはいけなかったんでしょうね。
.
紗那 あ、あれ?信長さんの焼き打ちがそこまでひどいものとは思えなくなってきた……? 目から鱗ー(何
宗教勢力、おそるべしですね……
こんばんは
スカイラインV35 何か分かってきました。あまり僧兵が活発に戦いまくるイメージが湧かないのは、テレビ等でそのような場面を見た事がないからかもしれません。
武士はもう存在しませんが、宗教は現役ですものね(クレーム対応とか大変そうです)。
歴史講座はYouTubeで一気に見るのもいいのですが、少しずつブログで見るのも、毎日新たな発見になります。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 私は浄土真宗ですが、この頃の一向宗は結構過激ですね。
> キリスト教やイスラム教などの一神教とは異なる仏教ですので、これだけ激しく戦っていたとは意外です。
「死ねば極楽へ行ける」と教えられた人々が、命を捨てて戦いを挑んでくる。これほど恐ろしい敵はないといわれます。
このような厚い信仰心が、一神教にも負けない「激しさ」を生んだのかもしれません。
> 全国統一のためには、信長でなくても誰かが手をつけなくてはいけなかったんでしょうね。
仰るとおりと思います。ただ、信長のような発想の人間でなければ、あそこまで激しく、かつ見事に戦いを収めることはできなかったでしょう。明日(5日)以降に詳しく紹介します。
紗那さんへ
黒田裕樹 > あ、あれ?信長さんの焼き打ちがそこまでひどいものとは思えなくなってきた……? 目から鱗ー(何
> 宗教勢力、おそるべしですね……
後ほど紹介しますが、もし信長の行為を「言語道断」と非難するのなら、今回のような彼らの行為はどうやって評価するのでしょうか。
歴史教育にとって大事な基本の一つである「公平性」が問われるところだと思います。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 何か分かってきました。あまり僧兵が活発に戦いまくるイメージが湧かないのは、テレビ等でそのような場面を見た事がないからかもしれません。
> 武士はもう存在しませんが、宗教は現役ですものね(クレーム対応とか大変そうです)。
確かにその一面はありますね。でも、普段から「○○の真実の姿を見せよ!」という人々もいますから、何事もありのままを見せても差し障りがないとも思いますが(^^ゞ
> 歴史講座はYouTubeで一気に見るのもいいのですが、少しずつブログで見るのも、毎日新たな発見になります。
有難うございます。皆様思い思いの方法でお楽しみいただければ幸いです(もうすぐ「もう一つの楽しみ方」をご案内できるかもしれませんが)。
宗教勢力は信長の申し出を拒否したのみならず、1570年に信長が妹婿(いもうとむこ)の浅井長政(あざいながまさ)の裏切りにあって窮地(きゅうち)に陥(おちい)った際に、天台宗は浅井・朝倉(あさくら)軍に比叡山を前線基地として提供し、また本願寺は当主の顕如(けんにょ)の決断によって信長に敵対したばかりでなく、動けない信長を尻目(しりめ)に各地で一向一揆を起こし、信長の弟を切腹に追い込みました。
つまり、信長は宗教勢力によって弟を殺されたばかりか、自身の生命すら奪われかねない危機に見舞われたのです。これらの仕打ちに激怒した信長は、1570年の危機を何とか脱出すると、自衛の意味も兼ねて、宗教勢力に対して当然ともいえる報復行動を開始しました。
1571年9月、信長軍は比叡山延暦寺の焼討ちを敢行(かんこう)しました。業火(ごうか)に焼かれて逃げ惑(まど)う僧兵や僧侶、あるいは避難(ひなん)してきた老若男女(ろうにゃくなんにょ)を問わず、延暦寺に味方した者は、信長軍によってことごとく首をはねられました。
かくして、最澄(さいちょう)による開山(かいざん)から700年以上の歴史を誇り、政界に対して巨大な影響力を持ち続けた延暦寺は、信長によって武装解除(ぶそうかいじょ)を余儀(よぎ)なくされたのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
文章を読ませていただいただけでも、
恐ろしい地獄絵図が浮かんでくるような
場面ですね
大汗)
弟を殺害されてしまった信長の怒りは相当なものだったのでしょうけれど、宗教勢力が信長の申し出を断っただけには収留まらず、信長の弟まで殺めてしまった経緯が気になる所ですが・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 文章を読ませていただいただけでも、
> 恐ろしい地獄絵図が浮かんでくるような
> 場面ですね
> 大汗)
そうですね。現実はもっとおどろおどろしかったことでしょう(>_<)
それが時代とはいえ、悲しい出来事です。
> 弟を殺害されてしまった信長の怒りは相当なものだったのでしょうけれど、宗教勢力が信長の申し出を断っただけには収留まらず、信長の弟まで殺めてしまった経緯が気になる所ですが・・。
一つはやはり権益を手放すことが惜しかったからでしょう。もう一つは信長の身分が(当時は)低かったことで「あいつごときに何ができる」と見下していたとも考えられます。そんな流れの中で、信長が窮地に陥り、滅ぼす絶好の機会と思ったのでしょう。
しかし結果として失敗に終わったことで、延暦寺や本願寺は途方もなく大きな「代償」を支払うことになります…(´・ω・`)
.
智里 なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
折角の保護を蹴って信長を追い込んだのに、逆にやっつけられちゃったんですね。
信長が、なんで比叡山延暦寺に火を放ったか?
無差別殺略をしたのか?
本当のことを何も知らなったので、すっごく勉強になりました!!
怒り任せにやったのではなく、今後の宗教団体の脅威をなくすためだったんですね。
それなら比叡山も焼き打ちに有ってもしかたがないです。
宗教が政治に介入して権力を持つと、ろくな事にならないんですね。
智里さんへ
黒田裕樹 > なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 折角の保護を蹴って信長を追い込んだのに、逆にやっつけられちゃったんですね。
寺院側は「信長ごときに何ができる!」と思ったのかもしれませんが、敵に回ってしまったのはやりすぎでしたね。
> 信長が、なんで比叡山延暦寺に火を放ったか?
> 無差別殺略をしたのか?
> 本当のことを何も知らなったので、すっごく勉強になりました!!
> 怒り任せにやったのではなく、今後の宗教団体の脅威をなくすためだったんですね。
> それなら比叡山も焼き打ちに有ってもしかたがないです。
本文にもありますが、申し出を断ったのみならず、先に手を出したのは寺院側ですからね。信長の一見残虐な行為にも筋が通っているわけです。
いつものことですが、私たちは一方的な立場でしか物事を見ない、あるいは見せてもらえないことが多すぎますね(´・ω・`)
> 宗教が政治に介入して権力を持つと、ろくな事にならないんですね。
残念ながらそのとおりと言わざるを得ませんね。
業(ごう)を煮(に)やした信長は、1574年の伊勢長島(いせながしま、現在の三重県桑名市付近)の一向一揆の勢力を陸地からだけでなく海からも取り囲み、一揆勢を徹底的に殺戮(さつりく、多くの人をむごたらしく殺すこと)したのみならず、降伏した人々を老若男女を問わずに焼き殺しました。
その後、信長は一向一揆の本拠地である石山本願寺を攻め立てましたが、山科での焼討ちの教訓から寺院を城並みに改築していた本願寺の防衛力は高く、また海から毛利家(もうりけ)の水軍によって物資が絶えず輸送され続けたこともあって、信長軍は苦戦しました。
信長は、船の周囲に薄(うす)い鉄の板を巻くことで防御力を高めた鉄甲船(てっこうせん)を建造して、1578年に毛利水軍を追い出すことに成功しました。物資が届かなくなったことで本願寺側は徐々(じょじょ)に追いつめられると、1580年に顕如が信長に降伏し、石山を退去しました。また、本願寺が降伏したことで、加賀の一向一揆の勢力も滅ぼされ、100年近くに及んだ支配にピリオドが打たれました。
こうして、信長は約10年の歳月と、数え切れないほどの多くの血を流した末に、巨大な圧力団体と化した本願寺の武装解除に成功したのです。




いつも有難うございます。
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まり姫 黒田さんこんばんは☆
つまらないことかもしれませんが、できれば拍手ボタンを設置していただけないでしょうか(*^.^*)エヘッ
そうしていただけると拍手コメもできますので御一考くださいませ(。^p〇q^。)プッ
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智里 信仰の為に死をも恐れぬ人達・・・
いまもどこかの国ではこんな人たちがいますね。
当時の日本にもそんな人たちが、内戦をおこしていたんですね。
信長にしてみれば1人でも残したら、またその人が先頭を切って一揆を起こしかねないから、皆殺しにしたんでしょうね。
本願寺も比叡山が落ちた時に、素直に武装を解除していれば、死ななくてもいい人がたくさん居たのにね。
仏の道を学んだ僧侶がそんな事に気付かないなんて・・・悲しいですね。
.
ぴーち こんばんは!
今日は誕生日の温かいメッセージをいただき、ありがとうございましたm(__)m
今日のお話は、昨日にも増して
凄まじいシーンが想像されますね(><)
信長の恨みに満ちた形相が浮かんで参ります(^^A
しかし、一口に10年と言っても
その歳月は長いですね。
それだけ、信長の野望は強かったのでしょうね。(あれ?何処かで聞いたような
タイトル?)
それでは、応援凸
まり姫さんへ
黒田裕樹 拍手ボタンですか…。そういえば置いていませんね。
通常のコメ返しに専念するつもりで当初から設けなかったのですが、そのまま続いていますね。そろそろ考える時期かも…。
智里さんへ
黒田裕樹 > 信仰の為に死をも恐れぬ人達・・・
> いまもどこかの国ではこんな人たちがいますね。
> 当時の日本にもそんな人たちが、内戦をおこしていたんですね。
> 信長にしてみれば1人でも残したら、またその人が先頭を切って一揆を起こしかねないから、皆殺しにしたんでしょうね。
確かに存在しますね。百歩譲って信仰のために自裁するのは仕方がないとしても、何の罪もない人々の生命を奪うことは絶対に許されません。
そのためにも、根絶やしにするしか他に方法がなかったというのは的を射ているといえるでしょう。
> 本願寺も比叡山が落ちた時に、素直に武装を解除していれば、死ななくてもいい人がたくさん居たのにね。
> 仏の道を学んだ僧侶がそんな事に気付かないなんて・・・悲しいですね。
まさに仰るとおりです。顕如の決断一つで、敵や味方を含めて、どれだけ多くの人々の生命が助かったでしょうか。歴史の結果は時として残酷です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> 今日は誕生日の温かいメッセージをいただき、ありがとうございましたm(__)m
いえいえ、記念日を祝う習慣は大事なものですからね(^o^)丿
> 今日のお話は、昨日にも増して
> 凄まじいシーンが想像されますね(><)
> 信長の恨みに満ちた形相が浮かんで参ります(^^A
> しかし、一口に10年と言っても
> その歳月は長いですね。
確かに想像したくない場面ですね(´・ω・`)
10年はいかにも長すぎます。それだけ信長の恨みや目的達成のための執念が凄かったともいえるでしょう。同時に顕如の決断があまりにも遅すぎたことが残念でなりません。
> それだけ、信長の野望は強かったのでしょうね。(あれ?何処かで聞いたような
> タイトル?)
私も若い頃は良くやってましたっけ(^^♪
.
HANA子 宗教というものは基本的に排他的なものですよね
自分達の教えが正しい、信じないと救われないぞ。
まして他宗派を信じるなんて事は間違った神(仏)を信じることになるんだから最も重い罪になるぞ・・・
ですもんね
そういう存在が武力を持ち、政治力を持つことがいかに恐ろしいことかっていうことなわけで
先だっての講座でお話された、キリスト教が欧州列強の外征の手段であったことを合わせると、その恐ろしさに背筋が寒くなります
「虐殺者」と呼ばれようとも臆することなく、断固たる決意で宗教勢力の排除を行った織田信長の精神的タフネス・・・やはり常人ならざる凄さを持つからこそ”英雄”と呼ばれるんでしょうね
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 宗教というものは基本的に排他的なものですよね
> 自分達の教えが正しい、信じないと救われないぞ。
> まして他宗派を信じるなんて事は間違った神(仏)を信じることになるんだから最も重い罪になるぞ・・・
> ですもんね
> そういう存在が武力を持ち、政治力を持つことがいかに恐ろしいことかっていうことなわけで
> 先だっての講座でお話された、キリスト教が欧州列強の外征の手段であったことを合わせると、その恐ろしさに背筋が寒くなります
排他的+武力+政治力ですからまさしく最強といえるでしょう。今でも続いていたらと思うと、確かに背筋が寒くなりますね。
> 「虐殺者」と呼ばれようとも臆することなく、断固たる決意で宗教勢力の排除を行った織田信長の精神的タフネス・・・やはり常人ならざる凄さを持つからこそ”英雄”と呼ばれるんでしょうね
英雄の条件は「強靭(きょうじん)な精神力」もその一つで間違いないですね。
パイオニアはいつの世も周囲に理解されないものですし。信長はやはり世界史級の英雄です。
しかし、当時は「食うか食われるか」の戦国時代であるうえに、信長は宗教勢力によって先に生命を狙(ねら)われたのみならず、弟を殺されているのです。だとすれば、信長の行為には当然ともいえる報復という一面も存在しますし、また信長には「宗教勢力を解体して国民の希望する平和な世の中を実現する」という大義名分もありました。
従って、信長の行為は単純に虐殺(ぎゃくさつ)と決めつけられるものではなく、歴史の大きな流れの中では、やむを得ない決断という見方もできるのではないでしょうか。
また、信長は自分に逆らう宗教勢力には容赦(ようしゃ)なく牙(きば)をむきましたが、宗教そのものは決して弾圧(だんあつ)していません。例えば、延暦寺の焼討ち後も天台宗の禁教令(きんきょうれい)は出していませんし、一向宗が石山本願寺を明け渡した際にも、今後の布教は自由としているのです。




いつも有難うございます。
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智里 一般的に信長は残虐行為をした!って言われてますが、それにはそれなりの理由が有ったんですね。
一概に信長を一方的に悪く言うのは間違ってますね。
自分を追い込んだ宗教団体にも、その後の布教の自由を与えたのは、流石としか言いようが有りません。
智里さんへ
黒田裕樹 > 一般的に信長は残虐行為をした!って言われてますが、それにはそれなりの理由が有ったんですね。
> 一概に信長を一方的に悪く言うのは間違ってますね。
現代ならともかく「理由なき殺人」などは通常ならあり得ませんからね。ましてや「報復」という大義名分のある信長の考えには聞く耳を持つべきです。
> 自分を追い込んだ宗教団体にも、その後の布教の自由を与えたのは、流石としか言いようが有りません。
「信仰としての宗教」と「圧力団体と化した宗教」とを明確に区別していますからね。これが政教分離の原点になったことは間違いありません。
トップの器
オバrev 信長は、現状を正確に分析して、やり方は残虐ではありますが、最も最短で効果的な方法をとったのかもしれません。
そして、ビジョンもはっきりしていたので、宗教弾圧ということはしなかったのかな。
これは明治維新に匹敵するような大きなエネルギーを伴う改革かもしれませんね。
こういう大幅な改革には、トップの強いリーダーシップ=独裁が必要であるというのが歴史的事実なでしょうか。
となると、国家のためにというビジョンのしっかりしたトップならいいけど、私利私欲をあらわにするようなト器の小さいトップだったら悲劇ですね(>_<)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 信長は、現状を正確に分析して、やり方は残虐ではありますが、最も最短で効果的な方法をとったのかもしれません
> そして、ビジョンもはっきりしていたので、宗教弾圧ということはしなかったのかな。
> これは明治維新に匹敵するような大きなエネルギーを伴う改革かもしれませんね。
私もそう思います。
2月の講座でも紹介しましたが、信長には後の世で「英雄」と呼ばれるための要素がそろっていたといえるでしょう。それゆえに信長は世界史級の人物であり、我が国の歴史を大きく変えたと考えております。
> こういう大幅な改革には、トップの強いリーダーシップ=独裁が必要であるというのが歴史的事実なでしょうか。
> となると、国家のためにというビジョンのしっかりしたトップならいいけど、私利私欲をあらわにするようなト器の小さいトップだったら悲劇ですね(>_<)
悲劇よりもある意味「喜劇」かもしれませんよ(他の国にとっては)。
.
HANA子 信長の宗教勢力への対応は、とかく殲滅戦、虐殺の側面ばかりがクローズアップされていますけど、では他に手段があったかって話なんですよね
宗教的熱狂に支えられた集団、いわば今で言う「カルト」に対しては、相手の言うがままの「妥協」か、徹底的な「対決」の道しかありえない訳で、信長には屈服と同義の妥協の道はありえなかった
であるから、信長の対応は対決勢力は禍根を残すことなく徹底的に叩くという戦争の大原則を信長は守ったというだけのことなんですよね
結果として信長は宗教的軍事勢力の政治への介入の根を摘み取ることが出来たと
このエピソード、歴史上の事象を現代の目線で見てはならないという原則の例の一つではないかと思うわたしです
HANA子さんへ
黒田裕樹 現実として認められないという人もいるかもしれませんが、HANA子さんのお考えには私の同意しますね。妥協するか、さもなくば殺されるか。選択肢が限られていた以上、仰るとおり禍根を断つためにも抹殺するしか手段はなかったでしょう。
現代の目で過去の歴史を見てはならない、一つの典型的な例ですね。
.初めてコメントさせていただきます
へたおば 学生ではなくなって大分経ってから
歴史というものが、楽しく思えるようになりました。
みなさんのコメントを読ませて頂くと、私みたいなノー天気なものが、コメントしていいのかしら?とも思いますが・・・軽く流して下さい。
というのも、信長は歴史上の人物で一番好きです。(ばかっぽいですね)その時代に必要とされた逸材だったんですよね!時代が違えば、極悪犯罪者になっていたかも(笑)私はとても『機』というのを大事にします。カリスマ性と力と機が揃わなければ覇業は成しえないんじゃないかしら(って偉そうに)
これからも、楽しく訪問させていただきます。
へたおばさんへ
黒田裕樹 > 学生ではなくなって大分経ってから
> 歴史というものが、楽しく思えるようになりました。
> みなさんのコメントを読ませて頂くと、私みたいなノー天気なものが、コメントしていいのかしら?とも思いますが・・・軽く流して下さい。
はじめまして!
いえいえ、何を仰います。皆様からのお言葉は大歓迎ですよ。よろしければ、今後も是非コメントされて下さいね。
> というのも、信長は歴史上の人物で一番好きです。(ばかっぽいですね)その時代に必要とされた逸材だったんですよね!時代が違えば、極悪犯罪者になっていたかも(笑)私はとても『機』というのを大事にします。カリスマ性と力と機が揃わなければ覇業は成しえないんじゃないかしら(って偉そうに)
仰るとおりと私も考えております。信長は時代が生んだ覇者であり、英雄でもあります。無論綺麗事ばかりで片付けられませんが、彼がやらなければ、結果としてもっと大勢の人々の血が流されたかもしれませんし。
> これからも、楽しく訪問させていただきます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
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虫@貯蓄 いつも拝見させてもらってます(*´ω`*)
虫は信長の覇王としての徹底した所は物凄く好きでした(ノ´∀`*)
今と違って報復が容易に行われる世の中なのですから、
危険な者は処分しておくのが生きる為には必要なことだと思います(*ノ∀ノ)
虫@貯蓄さんへ
黒田裕樹 > いつも拝見させてもらってます(*´ω`*)
有難うございますm(_ _)m
> 虫は信長の覇王としての徹底した所は物凄く好きでした(ノ´∀`*)
> 今と違って報復が容易に行われる世の中なのですから、
> 危険な者は処分しておくのが生きる為には必要なことだと思います(*ノ∀ノ)
仰るとおりだと私も思います。
当時の物の見方であれば、信長の手法がいちばん後に尾を引くことがなかったことでしょう。
現代とは時代が違うということを、私たちは肝に銘じなければなりません。
「信長による大量虐殺」という結果のみをとらえて歴史を判断することは、歴史の流れや物事の本筋を見極めることなく、現代の感覚で一方的に断罪してしまうという間違いを犯(おか)すことになりますので、くれぐれも注意が必要です。
さて、信長によって解体された宗教勢力でしたが、信長が天下統一目前で暗殺されたことで、再び勢力を拡大することも予想されました。また、この当時に広まり始めたカトリックも、欧州(おうしゅう)の白人至上主義(はくじんしじょうしゅぎ)と結びつくことによって、我が国への侵略を虎視眈々(こしたんたん、じっと機会をうかがうこと)と狙っていました。
宗教勢力を政治と関わらせないための戦いは、信長から天下統一事業を引き継いだ秀吉によって、第二ラウンドを迎えようとしていました。




いつも有難うございます。
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智里 信長から秀吉へ、いよいよ第二幕の幕開けですね。
そして、宗教も仏教からキリスト教。
比叡山延暦寺の事件よりも大きな事件が起こるんですね!
日本を変える大きな事件・・・楽しみですね~♪
智里さんへ
黒田裕樹 > 信長から秀吉へ、いよいよ第二幕の幕開けですね。
> そして、宗教も仏教からキリスト教。
> 比叡山延暦寺の事件よりも大きな事件が起こるんですね!
> 日本を変える大きな事件・・・楽しみですね~♪
確かに我が国の行く末を決める大きな事件が続きますね。
朝鮮出兵については前回の講座で紹介しましたから、今回は国内の「事件」が主体となりますが、皆様がご存じないことも多いかもしれませんね。どうぞお楽しみに!(^o^)丿
.
ぴーち こんばんは!
政教分離という意味では、現代よりも
この頃の時代の方がむしろ、厳格に分離させて考えるべきだと言う思いが強かったのでしょうか?
現代の政治と宗教は、特に日本は政教分離を謳ってはいるものの、(
正確にはどこにも書いてはいないかも知れませんが)内情は宗教がらみの政治団体はあるものですしね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 政教分離という意味では、現代よりも
> この頃の時代の方がむしろ、厳格に分離させて考えるべきだと言う思いが強かったのでしょうか?
> 現代の政治と宗教は、特に日本は政教分離を謳ってはいるものの、(
> 正確にはどこにも書いてはいないかも知れませんが)内情は宗教がらみの政治団体はあるものですしね。
少し前に他の方のコメ返に書かせていただきましたが、現代では宗教団体の関係者が政治活動をさせないことは法の下の平等に反する、という定説があります。とへいえ、仮にそんな政党が国の実権を完全に握ったら、政教分離とはいえなくなる、という仮説も成り立ちますね。難しいものです。
別の視点から
JJSG こんにちは。
毎日続けて読んでます♪
とっても勉強になっています。
ありがとうございます。
信長の視点からの歴史観、学ばせて頂きました。
逆に民衆の視点からの歴史観もあるので、それについて言いたい書きたい心を我慢して、読ませていただきました。
浄土真宗(一向宗)の立場にたてば、また違う歴史の見え方がしますよ♪
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 毎日続けて読んでます♪
> とっても勉強になっています。
> ありがとうございます。
いえいえ、こちらこそ連日ご訪問下さって有難うございます。
> 信長の視点からの歴史観、学ばせて頂きました。
> 逆に民衆の視点からの歴史観もあるので、それについて言いたい書きたい心を我慢して、読ませていただきました。
> 浄土真宗(一向宗)の立場にたてば、また違う歴史の見え方がしますよ♪
仰ることはごもっともと思います。
もうすぐ浄土真宗が誕生する経緯についてブログで紹介する機会があるかと思いますので、その際にはまたお言葉をいただくことになるかもしれません。
秀吉は、返す刀で同じ真言宗の高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)に対して、抵抗すれば焼討ちにするぞと脅(おど)しをかけて武装解除を迫りました。先に比叡山延暦寺が焼討ちされ、根来寺が滅ぼされたのを間近(まぢか)で見ていた金剛峯寺は、秀吉の脅しが本当であることを察(さっ)して、戦わずして武装解除に応じました。
秀吉は、降伏してきた金剛峯寺の私有地(しゆうち)である荘園を没収する代わりに、新たに寺領(じりょう)を与えました。これは、秀吉という国家権力によって、寺院が領地面においても支配されることになったことを意味しました。
また秀吉は、京都の方広寺(ほうこうじ)に木造の巨大な大仏を建立(こんりゅう)することを決断し、そのための釘(くぎ)などの材料のために利用することを口実(こうじつ)として、農民から刀狩(かたながり)を始めました。
一般には「天下統一のモニュメント」としての性格が強いとされる木造の大仏ですが、実は、もう一つの大きな目的があったのです。




いつも有難うございます。
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智里 比叡山延暦寺を見ても、根来寺は向かっていたんですね。
そして滅ぼされる・・・。
それを見ていた金剛峯寺は無益な争いをしなかったのは賢かったですね。
そしてそれを寺領にした秀吉は賢い(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
さらに大仏を造る名目で刀や武器を取り上げるやり方もいいですね。
武器がなかったら、無益な争いをさけれますからね!
刀狩りにはそう言った意味もあったんですね~。
管理人のみ閲覧できます
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智里さんへ
黒田裕樹 > 比叡山延暦寺を見ても、根来寺は向かっていたんですね。
> そして滅ぼされる・・・。
> それを見ていた金剛峯寺は無益な争いをしなかったのは賢かったですね。
> そしてそれを寺領にした秀吉は賢い(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
おそらく根来寺は鉄砲を持っていたことで対抗できると思っていたのでしょう。それでも秀吉には勝てなかった。それを見た金剛峯寺が、無益な殺生や伝統の破壊を防ぐために降伏したのは、確かに賢明ですね。
また、武装解除をしたということは、秀吉の命令には無条件で従うということですから、寺領を唯々諾々(いいだくだく)と受け取るしかなく、今後も秀吉に逆らうことができなくなった。秀吉の作戦勝ちであると同時に、武装解除の末路を考えれば背筋が寒くなりますね(´・ω・`)
> さらに大仏を造る名目で刀や武器を取り上げるやり方もいいですね。
> 武器がなかったら、無益な争いをさけれますからね!
> 刀狩りにはそう言った意味もあったんですね~。
仰るとおりです。大仏は「刀狩の口実」「天下統一のモニュメント」という側面があるのですが、実はもう一つ、いちばん重要なのがあるんです。それが何かというと…次回(10日)をお楽しみに!(^_^)v
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ぴーち こんばんは!
そうですか。
刀狩りは辛うじて習った覚えがありますが、大仏建立を理由にしていたとは、驚きです!
しかしながら、もう一つの理由はと問われると・・。
自分の力を誇示する為でしょうか?
でも、それって「天下統一のモニュメント」と言う意味と重なってしまうんでしょうかね?
応援凸
.でた!
オバrev でた!秀吉と言えば検地と刀狩り。
刀狩りは、方広寺の大仏を建造するという名目で、農民から武器を取り上げたんですね(._.) φ メモメモ
物事を行うためには、納得させる大義名分が必用ですからね。それがないと反乱が起きるし、こういう人心把握が秀吉は秀でていたでしょうね。
ところで方広寺と言えば、後にその鐘の文面で家康からいちゃもんをつけられたお寺ですかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか。
> 刀狩りは辛うじて習った覚えがありますが、大仏建立を理由にしていたとは、驚きです!
口実はいくらでもつくれるものですからね。これも秀吉の作戦勝ちといったところでしょうか。
> しかしながら、もう一つの理由はと問われると・・。
> 自分の力を誇示する為でしょうか?
> でも、それって「天下統一のモニュメント」と言う意味と重なってしまうんでしょうかね?
ヒントは…今回の「政教分離」と関連があるかもしれませんね(^^♪
明日(10日)の更新をお楽しみに!
オバrevさんへ
黒田裕樹 > でた!秀吉と言えば検地と刀狩り。
> 刀狩りは、方広寺の大仏を建造するという名目で、農民から武器を取り上げたんですね(._.) φ メモメモ
> 物事を行うためには、納得させる大義名分が必用ですからね。それがないと反乱が起きるし、こういう人心把握が秀吉は秀でていたでしょうね。
「人たらし」の秀吉の面目躍如と言ったところでしょうか。
秀吉の政策にはこういったウイットな面が多いですね。
> ところで方広寺と言えば、後にその鐘の文面で家康からいちゃもんをつけられたお寺ですかね?
さすがに良くご存知ですね(^^♪
この講座でも紹介する機会があるかも!?
管理人のみ閲覧できます
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結局、ほとんどの宗派が秀吉の招待に応じましたが、その中で出仕(しゅっし)を断固として拒(こば)んだ宗派がありました。日蓮宗の不受不施派(ふじゅふせは)です。
日蓮宗は自己の宗派以外は一切認めないという排他的(はいたてき)な性格を持っており、そのために自派以外の人間に対しては施(ほどこ)しをしない(=不施)という思想がありました。その一方で、他の宗派の人間からの施しは受けいれようとする考えが広まりましたが、それすらも認めずに、他派からの一切の施しを拒否する(=不受)という主義を貫(つらぬ)いたのが不受不施派でした。
これは、権力者側から見れば国家による統制を受けないどころか、国家権力そのものを認めないという危険な思想になります。方広寺の落成供養は、宗教勢力が秀吉に、すなわち国家権力に屈するかどうかを試される「踏(ふ)み絵」の性格を持っていました。そして、この踏み絵によってあぶり出された日蓮宗の不受不施派は、この後に国家権力による弾圧を受け、江戸時代にはキリスト教とともに禁止されてしまいました。




いつも有難うございます。
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智里 落成の記念に、すべての宗派を呼ぶなんてスゴイですね!!
自分の力の誇示をこう言った形で見せるなんて(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そして日蓮宗不受不施派もある意味、自分達を貫き通すとはこれもスゴイ!!
どんな権力にも屈しないのはちょっとヤバイですよね。
それで圧力を受けて禁止になったんですね。
お見事
オバrev 方広寺建立によって、刀狩りで農民から武器を取り上げ、全国の宗派を招待して、秀吉に従わない宗派をあぶり出すとは・・・
鮮やかというか、お見事ですね。
やられた方も、こりゃ、しかたないなと諦めざるを得ないでしょうね ^^;
智里さんへ
黒田裕樹 > 落成の記念に、すべての宗派を呼ぶなんてスゴイですね!!
> 自分の力の誇示をこう言った形で見せるなんて(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
全国の宗派が自分に従うかを見定めるには絶好の機会でしたからね。秀吉クラスの天下人でないととても実行できなかったであろう大きなスケールだと思います。
> そして日蓮宗不受不施派もある意味、自分達を貫き通すとはこれもスゴイ!!
> どんな権力にも屈しないのはちょっとヤバイですよね。
> それで圧力を受けて禁止になったんですね。
この当時は封建社会でしたから、国家権力に逆らう宗教を弾圧するのは仕方がなかったと思います。結果としてあぶりだされることになってしまった日蓮宗不受不施派が気の毒な気もしますが…。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 方広寺建立によって、刀狩りで農民から武器を取り上げ、全国の宗派を招待して、秀吉に従わない宗派をあぶり出すとは・・・
> 鮮やかというか、お見事ですね。
方広寺の大仏建立という一つのイベントだけで、ここまでの大きな成果を挙げるわけですから、確かに非常に効率的ではありますね。さすがに天下を統一できる人物だけのことはあります。
> やられた方も、こりゃ、しかたないなと諦めざるを得ないでしょうね ^^;
ここで主張を曲げては自分たちの信心に反することになりますから、どうすることも出来なかったでしょう。いつの世も、国家権力に対抗するにはそれなりの覚悟が必要ということですね。
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HANA子 秀吉にしろ家康にしろ、相手を退く事も進む事も出来ない状況に追い込んで大義名分を作り、敵を叩く戦略をよく用いてました
その事の是非はともかく、「勝ち易きにして勝つ」という兵法の大前提を実践しているという一事ですでに将帥としての非凡を表していると思います
そういえば、今回の件は小田原攻めでの大名達の恭順を測った一件と似てますね
こんばんは
スカイラインV35 やはり豊臣秀吉の戦略が目を引きますね。天下統一には体力、気力と共に頭脳も猛烈に使うんでしょうね。
そして、不受不施派のエネルギーも猛烈だったんでしょうね。
為政者も社会を安定させるのにも命懸けですね。
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 秀吉にしろ家康にしろ、相手を退く事も進む事も出来ない状況に追い込んで大義名分を作り、敵を叩く戦略をよく用いてました
> その事の是非はともかく、「勝ち易きにして勝つ」という兵法の大前提を実践しているという一事ですでに将帥としての非凡を表していると思います
そのとおりですね。勝ちを確実に得るためには、相手を追い込むことも重要ですから、優秀な武将であることの証左と言えます。
> そういえば、今回の件は小田原攻めでの大名達の恭順を測った一件と似てますね
確かに似ていますね。圧倒的な兵力差だからこそ出来る「王者の戦い」なのかもしれません。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > やはり豊臣秀吉の戦略が目を引きますね。天下統一には体力、気力と共に頭脳も猛烈に使うんでしょうね。
私もそう思います。すべてにおいて他人より抜きんでていないと、時代を動かす英雄には成り得ないということでしょうか。
> そして、不受不施派のエネルギーも猛烈だったんでしょうね。
> 為政者も社会を安定させるのにも命懸けですね。
他人の施しを受けないというのは、相当な覚悟がないと出来ませんからね。それだけエネルギーが強いからこそ、為政者も警戒して弾圧したと考えられます。
いつの世も政治は命がけでないと成し得ないものなのでしょう。
.
ぴーち こんばんは!
確かに日蓮の教えの流れを受け継ぐある宗派は、他の宗派を邪宗と呼び、排他的な思想である為にその分、信者は他の宗派よりも少人数であり、あらゆる弾圧にも屈しない為に「針金宗」という俗称もあるほどですよね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに日蓮の教えの流れを受け継ぐある宗派は、他の宗派を邪宗と呼び、排他的な思想である為にその分、信者は他の宗派よりも少人数であり、あらゆる弾圧にも屈しない為に「針金宗」という俗称もあるほどですよね。
仰るとおり、日蓮宗の排他性は他の宗教よりも一層激しいうえに、宗派をかえることを断固として拒否しますから、権力にも屈しない強い信仰心がありますね。それだけに、不受不施派が当時は目の敵にされやすかったということなのかもしれません。
秀吉はこの他にも、前回(第11回)の講座で詳しく紹介したように、我が国の侵略への手段と化していたカトリックを禁止し、侵略に対抗する手段の一つとして、先制攻撃の意味を含めて朝鮮出兵(ちょうせんしゅっぺい)も行いました。カトリックに対する我が国の強硬(きょうこう)な態度は、秀吉の後に天下の覇者(はしゃ)となった徳川家康にも引き継がれ、江戸幕府によってキリスト教は徹底的に弾圧されました。
こうして国家権力に忠誠を誓わされることになった宗教勢力ですが、かつて信長に長年対抗した本願寺の勢力は未(いま)だに健在であり、1592年に顕如が亡くなったことで、石山退去の際に徹底抗戦(てっていこうせん)を主張した教如(きょうにょ)が本願寺を継承(けいしょう)するなど、不穏(ふおん)な気配が漂(ただよ)っていました。
しかし、思わぬトラブルが発生したことで、鉄の結束(けっそく)を誇った本願寺の土台が大きく揺(ゆ)らぐことになるのですから、世の中というのは本当に分かりません。




いつも有難うございます。
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JJSG こんにちは。
石山戦争において、和戦と抗戦の意見対立をきっかけとして本願寺が東西に二分されてしまうんですよねぇ。。。
所詮愚かな人間ですから、意見対立、ケンカは避けられませんが、悲しいことです。
そして、仏教、親鸞聖人の教えについまで分裂していってしまい、今日に至る。
親鸞聖人の教えは一つしかないので、そこで結束せねばならないと思いますが、それがまた難しい。。。
続きをまた楽しみにしてます♪
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 石山戦争において、和戦と抗戦の意見対立をきっかけとして本願寺が東西に二分されてしまうんですよねぇ。。。
> 所詮愚かな人間ですから、意見対立、ケンカは避けられませんが、悲しいことです。
さすがに良くご存知でいらっしゃいますね。
この講座でも次回(12日)から詳しく紹介させていただきます。
> そして、仏教、親鸞聖人の教えについまで分裂していってしまい、今日に至る。
> 親鸞聖人の教えは一つしかないので、そこで結束せねばならないと思いますが、それがまた難しい。。。
> 続きをまた楽しみにしてます♪
有難うございます。
分裂は確かに残念なことですね。
.
HANA子 なるほど、東と西への・・・ってもう言われちゃってましたorz
歴史上どんなに強大な国家も跡目争いで揉めると脆いもんですもんね
本願寺も例外ではないってことですか~
HANA子さんへ
黒田裕樹 > なるほど、東と西への・・・ってもう言われちゃってましたorz
> 歴史上どんなに強大な国家も跡目争いで揉めると脆いもんですもんね
> 本願寺も例外ではないってことですか~
言われてしまいました(笑)。
基本的には仰るとおりだと思いますが、お家騒動が起こったとしても、自主的に解決できる道もあったはずなんですよね。それをわざとこじれさせたのが…というわけなんです(^^ゞ
秀吉は如春尼からの申し出を受けて、遺言状は本物であり、正式な継承者は准如であるとして、教如に対して当時京都にあった本願寺からの退去を命じました。教如は抵抗したかったのですが、裁定が本願寺側からの申し出であり、また我が国の絶対的な支配者であり、数十万の兵力を動かすことのできる秀吉の命令だったこともあって、結局は泣く泣く准如に宗主の座を譲(ゆず)って引退しました。
時は流れ、我が国の支配者の座が秀吉から家康に移ると、1602年に教如は家康に呼び出されて、従来の本願寺のすぐ近くに土地を与えられ、新たに「本願寺」を建てました。当時の我が国史上最大の教団であった本願寺は、この日から二つに分裂(ぶんれつ)したのです。
一つの勢力が二つに分かれると、お互いの勢力争いを始めることで、それまで外に向かっていたエネルギーが内へと流れる傾向(けいこう)があります。本願寺の場合も例外ではなく、これ以降は本願寺同士の争いが中心となり、国家権力に対抗することはなくなりました。本願寺側にとっては失礼な物言いになるかもしれませんが、秀吉と家康による本願寺の「分割統治」(ぶんかつとうち)が見事に成功し、それが未だに続いているといっても過言ではないのです。
なお、現代では准如側が「西本願寺」(にしほんがんじ)で「浄土真宗本願寺派」(じょうどしんしゅうほんがんじは)、教如側が「東本願寺」(ひがしほんがんじ)で「真宗大谷派」(しんしゅうおおたには)と呼ばれています。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
西本願寺と東本願寺の違いが理解出来ました!ありがとうございます♪
応援凸
.
紗那 本願寺が2つあるのは知ってましたが、なるほど。西と東のそれぞれの開祖(?)は知りませんでした。
宗教勢力を解体するのに、これだけの労力がかかるんですね。。。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 西本願寺と東本願寺の違いが理解出来ました!ありがとうございます♪
本願寺が二つに分かれている理由については、意外と知られていないようですからね。
お家騒動があったのは事実ですが、その背景には家康の巧妙な計算があったのです。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 本願寺が2つあるのは知ってましたが、なるほど。西と東のそれぞれの開祖(?)は知りませんでした。
> 宗教勢力を解体するのに、これだけの労力がかかるんですね。。。
確かに開祖ですね(^^ゞ
分割統治に至るまでにかなりの時間がかかっていますからね。政教分離への道は一筋縄ではいかなかった、ということです。
.
オバrev なるほど~!
秀吉と家康によって、東本願寺と西本願寺に分かれたんですね。
いずれが狐か狸か、いずれにしても百戦錬磨の2人にかかれば、国内最大の教団も赤子同様?
安芸門徒は西本願寺ですが、その始まった経緯を初めて知りました(^^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど~!
> 秀吉と家康によって、東本願寺と西本願寺に分かれたんですね。
> いずれが狐か狸か、いずれにしても百戦錬磨の2人にかかれば、国内最大の教団も赤子同様?
(信心深いかどうかは疑問ですが)門徒の一人としては残念ながら、天下統一の英傑の前では敵ではなかった、というところでしょうか。
> 安芸門徒は西本願寺ですが、その始まった経緯を初めて知りました(^^;)
私も西本願寺派です。なぜ二つに分かれていたかは長年の疑問だったのですが、理由を初めて知ったときは唖然としました(^^ゞ
.
りら はげましのコメント有難うございました。とても嬉しかったです
お返事遅れましたが今日書きました
先生のアップと関係の無い内容で
すみません。パソコンで疲れてしまいました。機械音痴なので!!
りらさんへ
黒田裕樹 復活おめでとうございます!
良かったですね(^_^)v
またブログに訪問させていただきます。
江戸幕府はキリスト教を弾圧する手段の一つとして、全国の各寺院に隠(かく)れキリシタンの探索(たんさく)を依頼しました。寺院側が協力に応じると、その見返りとして幕府は寺院周辺の住民を檀家(だんか)として、寺院への参詣(さんけい)や父祖(ふそ)の法要(ほうよう)、あるいは寺への付け届けを義務付けて、これらに応じなければキリシタンとみなすという制度を取り入れました。
この制度によって、国民は必ずどこかの檀家にならねばならず、また離脱(りだつ)する自由も認められなくなった一方で、寺院側はそれこそ「何もしなくても」檀家の参詣や法要、あるいは付け届けで生計が立つようになったのです。一見すれば「寺院が住民を支配している制度」ですが、その裏で国家権力が寺院に「権益」を与えて逆に統制することで、宗教が政治に関わる必要を一切なくしてしまったのでした。
かくして我が国では宗教が政治に関わることがいつしか「あり得ない」こととなり、政教分離の原則が完全に定着しました。そして、これらの影響は現代においても続いているのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
キリスト教弾圧の一環として行われた檀家制度が、果ては政教分離にも一役買うとは、さすがに家康ですね。
一石二鳥とも言えるこの現象は、
家康の当初の
意図的なものだったのですか?それとも偶然に生まれた産物だったのでしょうか?
確かに何もしなくても、お金が入れば、宗派も必要以上の野望を持たなくて済むかも知れませんしね。
では応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > キリスト教弾圧の一環として行われた檀家制度が、果ては政教分離にも一役買うとは、さすがに家康ですね。
> 一石二鳥とも言えるこの現象は、
> 家康の当初の
> 意図的なものだったのですか?それとも偶然に生まれた産物だったのでしょうか?
> 確かに何もしなくても、お金が入れば、宗派も必要以上の野望を持たなくて済むかも知れませんしね。
檀家制度は家康の死後の話ですが、おそらくは家康の遺志を受け継いで考え出された最高傑作でしょう。政教分離の究極の形として、練りに練って考え出されたと私は思っています。
こんばんは.
りら 檀家制度がキリスト教弾圧の手段だった事は知りませんでした
今でも習慣的に続いている檀家制度
いつの時代にも宗教が政治に利用されてきましたよね
悲しい事ですよね
いつも先生の講座で自分の無知に気が付きます これからも宜しく
お願い致します
りらさんへ
黒田裕樹 > 檀家制度がキリスト教弾圧の手段だった事は知りませんでした
> 今でも習慣的に続いている檀家制度
> いつの時代にも宗教が政治に利用されてきましたよね
> 悲しい事ですよね
宗教が政治を支配するのではなく、政治に利用されるのも、政教分離のもう一つの姿ですね。
確かに悲しいことかもしれません。
> いつも先生の講座で自分の無知に気が付きます これからも宜しく
> お願い致します
いえいえ、りらさんもご復活何よりです。こちらこそよろしくお願いします。
こんばんは
スカイラインV35 確かに日本の政教分離は、西洋より先進的な感じが私はします。日本独力でやってもいますし。
しかし、現代の日本政府と神道の関係など、私の中ではモヤモヤが解決出来ない感じがしています。
アメリカの大統領就任式などは、聖書も登場するし、神に誓う事もやっていると聞いていますが、日本では首相が神社に行く為に、公用車か否か、玉ぐし料は公費かポケットマネーか、などやっている。。。
何かがモヤモヤします・・・
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 確かに日本の政教分離は、西洋より先進的な感じが私はします。日本独力でやってもいますし。
家康や江戸幕府の巧妙な手法は、一神教にとらわれた西洋に比べればかなり先進的でもありますからね。
> しかし、現代の日本政府と神道の関係など、私の中ではモヤモヤが解決出来ない感じがしています。
> アメリカの大統領就任式などは、聖書も登場するし、神に誓う事もやっていると聞いていますが、日本では首相が神社に行く為に、公用車か否か、玉ぐし料は公費かポケットマネーか、などやっている。。。
> 何かがモヤモヤします・・・
そうですね。私の見解については、最終回(14日)で紹介したいと思います。
お久しぶりです
h.hamauzu こんばんは。
政教分離は、個人的には良いことだと思いますが、
こんなウラ話があったのですね。
むしろ利用されたという。
なんだか、坊主丸儲け、
という言葉が浮かんできたり、、、w
でも宗教の名のもとに、どんぱちやらかすの国を思えばいいのかな~
ウーン、取り留めのないコメントですみません(^^;;
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 > 政教分離は、個人的には良いことだと思いますが、
> こんなウラ話があったのですね。
> むしろ利用されたという。
> なんだか、坊主丸儲け、
> という言葉が浮かんできたり、、、w
確かに「坊主丸儲け」ですね(^^ゞ
仰るとおり、この時代の宗教団体は、利益を与えられることで完全に利用されています。
> でも宗教の名のもとに、どんぱちやらかすの国を思えばいいのかな~
> ウーン、取り留めのないコメントですみません(^^;;
いえいえ、お言葉をいただけて感謝しておりますよ(^_^)v
利用されるのが良いとは言えませんが、政治上の宗教による対立で血で血を洗う戦いが現代も続いていることを考えれば、どちらが幸福かはおのずと答えが出てきそうな気がします。
しかし、その一方で、我が国では国民の宗教に対する意識が低下して、いわゆる「無神論者」(むしんろんしゃ)が増えているのも現実です。日本人の宗教観のなさや、宗教に関する無関心さが、宗教を重んじる外国人との間でトラブルを引き起こしており、国内外で問題となっています。
また、政教分離を強調するあまり、我が国古来の風習である「神道との関わり」のすべてが否定される傾向があり、総理大臣や知事、市長などの公人(こうじん)が、役職名で神社に参拝したり、あるいは玉ぐし料を支出したりすることなどが憲法違反とみなされています。
政教分離に至る歴史の重みというものを、現代に生きる私たちがしっかりと受け止めるだけでなく、日本人として当然に持つべき宗教観の育成も、我が国にとっては重要な課題であると私は思います。そのためにも、宗教に対する知識や理解を深める一方で、杓子定規(しゃくしじょうぎ)な解釈(かいしゃく)で宗教との関わりを一切断ったりするようなことがないように私たちは心掛けるべきではないでしょうか。
(第12回歴史講座の記事はこれで終了です。)




いつも有難うございます。
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智里 歴史に大きな革命をもたらした政教分離。
だけども、いいことばかりじゃないんですね。
そうですね~、最近は若い人たちに「無神論者」が増えてきました。
かく言う自分もそうなのかもしれませんね。
ココ数年、総理や大臣がお参りすることが騒がれていますよね。
すべてを否定しないで、認め無いとダメな事はきちんと解釈して欲しいですね。
今回の講座はホント面白かったです!!
途中参加できませんでしたが、ちゃんと読む&見てましたよ。
次の講座も楽しみです♪
.
ぴーち こんばんは!
確かに宗教観と言うのは、かなり薄れていますよね。宗教観とまでは行かないかも知れませんが、昔は子供に親が、「悪いことをすれば、地獄へ落ちるよ」とか「閻魔様に舌を抜かれる」とか、「天知る、地知る、子知る、我知る」などと言われる様に、事ある毎に死後の世界や、天国、地獄の存在を教えていく事で、悪事を働けば、必ずその報いは身に降りかかると教えられたものでした。今、その様な宗教的な戒めが薄れている中、死んだらそれで終わり。あの世で報復などは無いなどと認識されているのが悲しいですね。
死ぬとその肉体は滅びても、魂は永遠に存在し、また、この世に生まれ変わるという「三世の生命』の教えなども、しっかりと子供達に教えてあげられたら、もっと治安も良くなり、自殺も無くなるのではないでしょうか。
応援凸
.
オバrev なるほど、政教分離が無神論者を生む根本にあるというという考えは、確かにあるかもしれませんね。
しかし神道まで否定するのはどう考えてもやりすぎでしょう( -ω-)
仏教伝来よりはるか以前からの、日本人の考え方そのものじゃないんでしょうか?
が、何事も杓子定規にやり過ぎるというのも日本人ならではですかねエッ?
智里さんへ
黒田裕樹 > 歴史に大きな革命をもたらした政教分離。
> だけども、いいことばかりじゃないんですね。
> そうですね~、最近は若い人たちに「無神論者」が増えてきました。
> かく言う自分もそうなのかもしれませんね。
私も「浄土真宗本願寺派」の人間ですが、そこまで信心深いわけではないですからね。宗教への無知は、国際社会では不利に働くことが多そうです。
> ココ数年、総理や大臣がお参りすることが騒がれていますよね。
> すべてを否定しないで、認め無いとダメな事はきちんと解釈して欲しいですね。
「政教分離」と「文化としての宗教との関わり」は似て非なるものだと思います。神道や仏教、キリスト教などにかかわらず、私たちの暮らしに根付いている宗教的行為に対して寛容であるのも我が国の伝統だと思うのですが…。
> 今回の講座はホント面白かったです!!
> 途中参加できませんでしたが、ちゃんと読む&見てましたよ。
> 次の講座も楽しみです♪
有難うございます。明日(15日)からは鎌倉新仏教が始まりますので、こちらもお楽しみに!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに宗教観と言うのは、かなり薄れていますよね。宗教観とまでは行かないかも知れませんが、昔は子供に親が、「悪いことをすれば、地獄へ落ちるよ」とか「閻魔様に舌を抜かれる」とか、「天知る、地知る、子知る、我知る」などと言われる様に、事ある毎に死後の世界や、天国、地獄の存在を教えていく事で、悪事を働けば、必ずその報いは身に降りかかると教えられたものでした。今、その様な宗教的な戒めが薄れている中、死んだらそれで終わり。あの世で報復などは無いなどと認識されているのが悲しいですね。
我が国で古くからいわれ続けている「バチ当たり教」ほど、道徳面で役立ったものはないですよね。それに比べれば、今の世の中はあまりにも無機質で唯物論過ぎます。これも一種の思想統制なのでしょうか…。
> 死ぬとその肉体は滅びても、魂は永遠に存在し、また、この世に生まれ変わるという「三世の生命』の教えなども、しっかりと子供達に教えてあげられたら、もっと治安も良くなり、自殺も無くなるのではないでしょうか。
自分の命は自分ひとりのものではないですからね。魂の話などが、例えば総合学習の時間などでもっと取り上げられてもいいような気がします。
.
スカイラインV35 確かに戦国の3英傑でさえ宗教そのものは弾圧していないというのに、現代のほうが退化してしまったような気さえしてしまいます。
というか、神道の中でも特に戦争を連想させるものは、目の敵にされているような印象があります。正月の首相の伊勢神宮、明治神宮の参拝は問題なく、その他にも年間を通して、地方の寺社仏閣にも立ち寄っていると思われますが、新聞も取り上げない。
この辺は占領時代の歪んだ洗脳が、いまだに効いているのかもしれません。
先生の仰るとおり、日本人としての宗教観の育成は非常に大事だと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど、政教分離が無神論者を生む根本にあるというという考えは、確かにあるかもしれませんね。
宗教への理解のなさが結局は無知につながり、宗教との関わりが薄くなることで宗教を信じなくても生きていけるという誤解を生むのだと思います。信心深いことは良いことなのですが…。
> しかし神道まで否定するのはどう考えてもやりすぎでしょう( -ω-)
> 仏教伝来よりはるか以前からの、日本人の考え方そのものじゃないんでしょうか?
> が、何事も杓子定規にやり過ぎるというのも日本人ならではですかねエッ?
仰るとおりで、仏教と神道とを見事に融合させる国民性があるのですから、何が何でも否定するという考え方は我が国の性に合わないと思います。それこそ外国的な匂いがしますね。
その一方で「回れ右」のごとく、一億総○○という気質もあるのが我が国のユニークなところですが(苦笑)。
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スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 確かに戦国の3英傑でさえ宗教そのものは弾圧していないというのに、現代のほうが退化してしまったような気さえしてしまいます。
封建社会では国家権力を維持するために逆らう勢力を弾圧する一方で、従順な勢力に対しては武力を背景に保護しましたからね。現代のように「気に入らないから弾圧」というのとは気質が全く異なりますし、仰るように我が国全体が幼稚になっているような気がします。
> というか、神道の中でも特に戦争を連想させるものは、目の敵にされているような印象があります。正月の首相の伊勢神宮、明治神宮の参拝は問題なく、その他にも年間を通して、地方の寺社仏閣にも立ち寄っていると思われますが、新聞も取り上げない。
> この辺は占領時代の歪んだ洗脳が、いまだに効いているのかもしれません。
仰るとおり、GHQの神道指令が我が国の足を引っ張り続けていますね。続けられているということは、そのことで利益になる勢力がいるということでもありますが、果たしてどんな存在なのでしょうか…。
> 先生の仰るとおり、日本人としての宗教観の育成は非常に大事だと思います。
有難うございます。宗教の専門家というにはあまりにもおこがましいですが、現代社会(=公民)の教師の端くれとして、我が国の国益にかなった宗教観の育成に賛助できればと常々考えております。
Masa 先生が述べていたように
宗教=平和のイメージがありましたが、
それはかの有名なお三方がもたらして下さったものだとは、
という、新たな発見(というか知識)を得ることができました。
毎回毎回、先生の講座はぼくの興味をくすぐる時代ばかりのチョイスありがとうございますw
次回以降並びに通常更新も楽しみにしています。