1837年には大塩平八郎の乱(おおしおへいはちろうのらん)が起きて、一家が焼け出されてしまうという不幸を経験しましたが、それにもめげることなく久重は同じ年に無尽灯(むじんとう)を発明しました。
無尽灯は菜種油(なたねあぶら)に空気の圧力を加え、管(くだ)をつたって灯心(とうしん)に昇(のぼ)らせるように工夫したものであり、長時間にわたって安定したともし火を供給(きょうきゅう)することが可能になり、商売や生活水準の向上に大きな貢献(こうけん)をしました。
久重はその他にも仕掛け花火の工夫をしたり、約10メートルの高さまで水を噴(ふ)き上げたとされる消火用ポンプの雲竜水(うんりゅうすい)などを発明したりして「からくり儀右衛門」の名に恥(は)じない活躍を続けました。




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ぴーち おはようございます!
何も電気だけがものを動かす原動力ではないということを、改めて感じた今日のお話です。
工夫次第で、地球環境へも十分配慮出来る生活が
出来るものですよね。
余りに人類は発展すること、進化することに固執し、急ぎすぎて
逆に全ての寿命を縮めているように思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
工夫次第でいくらでも柔軟な発想ができるのに、何もせずに安易な便利さに頼っている現代こそ、何かと「不都合」な時代なのかもしれません。
新たな知識を自分のものとした久重は、日の出と日の入り(夜明けと日暮れ)の間をそれぞれ6等分するという、季節によって時間の長さが上下する我が国独特の不定時法(ふていじほう)に合わせた和時計(わどけい)である須弥山儀(しゅみせんぎ)を1850年に製作しました。
さらに翌1851年にはからくり時計の最高傑作(さいこうけっさく)となる万年自鳴鐘(まんねんじめいしょう)を完成させました。通称(つうしょう)を「万年時計」として知られるこの時計は、21世紀の平成16(2004)年に復元されて翌17(2005)年の「愛・地球博」にレプリカが展示(てんじ)される予定でしたが、あまりに精巧(せいこう)な技術を使用していたため解析(かいせき)に時間がかかり、博覧会の開催(かいさい)までに完全な復元が間に合わなかったそうです。
万年時計によって久重がさらに名を挙(あ)げたこの頃、1853年にはアメリカのペリーの黒船が来航して世は幕末(ばくまつ)となり、西洋に負けない技術力が必要となっていました。そんな時代に合わせるかのように、久重の人生にもやがて新たな進展が見られるようになっていくのです。




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オバrev 職人、名工を通り越した素晴らしい才能と実績、まさに天才ですね。
しかも50才になってもまだ進化し続けるとは・(゜o゜;
風満帆とも言える人生だと思いますが、黒船来航で何が変わるんでしょうね。
新たに西洋の知識や技術を吸収して、とんでもないものを作ることになるんでしょうか?
それともそういう職人仕事とは関係のない所で、荒波が打ち寄せてくるんでしょうか??
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 職人、名工を通り越した素晴らしい才能と実績、まさに天才ですね。
> しかも50才になってもまだ進化し続けるとは・(゜o゜;
本当にそうですよね。
あくなき向上心と不断の努力の賜物だと思います。
> 風満帆とも言える人生だと思いますが、黒船来航で何が変わるんでしょうね。
> 新たに西洋の知識や技術を吸収して、とんでもないものを作ることになるんでしょうか?
> それともそういう職人仕事とは関係のない所で、荒波が打ち寄せてくるんでしょうか??
さすがはオバrevさん、なかなか鋭いですね(^^ゞ
次回以降にご期待下さい!
ぴーち おはようございます!
やはり一度開花した才能というのは生涯を通して
活かされていくものなんですね^^
磨き続ける事で次第に研ぎ澄まされていく
技術力。素晴らしいお話です。
新たな進展にも興味があります^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
「偉人伝」として歴史に残る人々は、努力し続けることで実力をいかんなく発揮されているということですね。
新たな進展にも素晴らしいものがありますよ(^^♪