藤原氏といえばやはり奈良・平安時代の印象が強いと思われますが、政治の実権を完全に失った後も細々と存続していました。そのことが戦国や江戸時代、ひいては我が国の運命を変えた近現代史にまで大きな影響を与えるのですから、歴史というのは本当に分かりません。
また、藤原氏が政治の実権を失った後も武家政権などに滅ぼされることがなかったという、一般的な外国との大きな違いも特筆(とくひつ)すべきではないかと思います。皇室と同様に「権威と権力との絶妙な分配」が、我が国の歴史の伝統なのかもしれません。
私が常々(つねづね)口にしております「歴史の大きな流れを理解することの大切さ」を実感しながら、今後も歴史教育の実践に末永く携(たずさ)わっていきたいと願っております。




いつも有難うございます。
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ろっぽん 権威と権力との絶妙な分配」が、我が国の歴史の伝統なのかもしれません。
ですが、戦前の日本が悪いことだけやったんではないとする議論は語られてはいるけど。
日本史のターニングポイントも教えられて来なかった気がします。
世界史の大づかみの見方は貴族:騎士の対立騎士の勝利=封建社会→大航海時代→帝国主義→産業革命→民主主義革命→社会主義革命
というように革命というように前政権の全否定、
急速な変革というような流れだと思います。
私達の学校時代は唯物史観の研究者が強かった時代ですから、世界的常識的流れで見る先生が多かった。日本的保守的、保守とは単に自民党的というのではなくて、急速に変革というのは危険なことも多いだ。昔からの風習伝統を守って徐々に世の中を変えてゆくのがいいとする保守的風土、
そういう意味では、この藤原氏ことやもっと
南朝:北朝時代、なぜ織田信長は暗殺されたか
織田信長に本当に天下を取らせれば天皇の排除し
西欧的な歴史の流れになっていたかもしれないと思います。今度、橋本氏が大阪市長撰に出るらしいが彼自身も言ってるように「変革に大切なことは独裁だ!」だと言ってるように信長的な考えと
同じくわかりやすい変革論だ!
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 確かに保守的な風土と変革との違いがありますね。
閉塞感を感じる世では人々は変革を求めますが、新しい枠組みが定着した後には独裁者を排除する傾向があるようです。
それゆえに信長は暗殺され、家康は独資者を出さないシステムで江戸幕府を長持ちさせたのかもしれません。