なぜなら、通常であれば藤原氏のようなややこしい立場をとらずに、前の皇帝や国王を追放(あるいは殺害)して、自身が王位に就(つ)くのが当然だからです。現実に洋の東西を問わず、日本以外の国では何度も同じようなことが行われてきました。
それなのに、なぜ藤原氏は自身が天皇になろうとしなかったのでしょうか。その理由としては、先述した宇佐八幡宮神託事件の際に「皇位は神武天皇以来の皇統が継承すべきである」と決められたことが挙(あ)げられます。
また、事件の以前であっても蘇我入鹿のように皇位を狙(ねら)った人物が目的を達成できないままこの世を去ったように、神武天皇やその祖先である天照大神(あまてらすおおみかみ)の血を引く人物でなければ天皇になれないという不文律(ふぶんりつ、文章で表現されていない法律や約束事のこと)が存在していました。
つまり、藤原氏といえどもその不文律を破ることが出来ず、この後に天下を取った源氏(げんじ)や足利氏(あしかがし)、あるいは徳川氏(とくがわし)も皇室についてはアンタッチャブルのままだったのです。加えて藤原氏には、その出自(しゅつじ)から天皇に逆(さか)らって自身が皇位を継承することが許されない宿命(しゅくめい)がありました。
その根拠(こんきょ)が、実は神話(しんわ)にあるのです。
(※下記の映像において系図などを詳しく書いておりますので、是非ご覧下さい。)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
そうですか・・やはり宿命には誰も逆らう事は
出来ないですので、それを何とかしてもぎ取ろうとする野望の強さに脅威さえ感じますね(^^ゞ
アンタッチャブルですか・・英語だとやたらにかっこ良く聞こえますね(´∀`*)ウフフ
私は映画を思い出してしまいました^^
ロバートデニーロのアル・カポネ・・かっこ良かったです(*^_^*)←脱線してしまい、ごめんなさい(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 宿命は意外なところにあるものですよね。
アンタッチャブルの映画は有名ですよね。もっとも、現実のアル・カポネはまた違うようですが、藤原氏の場合はどうだったのでしょうか?
明日(17日)の更新で明らかにしたいと思います。
足利義満は皇位簒奪を考えていた?
晴雨堂ミカエル 足利義満は皇位簒奪を考えていたとの説があります。れっきとした清和源氏の流れですから先祖は天皇、拡大解釈すれば足利家も皇統の端くれといえなくもない。
しかし物理的に権威と権力両方を握るのは負担ですね。余程の能力がなければ、後醍醐天皇のように失策して混乱をまねきます。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > 足利義満は皇位簒奪を考えていたとの説があります。れっきとした清和源氏の流れですから先祖は天皇、拡大解釈すれば足利家も皇統の端くれといえなくもない。
仰る説は有力ですね。清盛や頼朝と比べれば数少ない例外といったところでしょうか。あるいは義満の「失敗」を学んだ家康がアンタッチャブルを貫き通したということも考えられます。
> しかし物理的に権威と権力両方を握るのは負担ですね。余程の能力がなければ、後醍醐天皇のように失策して混乱をまねきます。
私もそう思います。義満も正確には「子を天皇にして自分は上皇となる」という考えのようでしたから、天皇の権威を借りるという点では同じかもしれません。
神髄に迫る!
EgloffMeiko 「実は、世界史的に見ればこの形式は有り得ないのです。」そうです!あいつら(失礼)はこのような時間のかかることはしません。
「やっちまえ~」で終わりですから。
この「不文律」の存在、つまり「血で繋ぐ」こそが日本の国柄の神髄であると思います。
大変内容の濃い授業!ありがとうございます。
EgloffMeikoさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
我が国独自の血統による平和的なシステムは、世界に誇れますよね。
藤原氏の「神髄」にも迫ってみたいと思います。
深い英知
EgloffMeiko 黒田先生、こんにちは!
『日本国体学会 天皇とは」
を読んでいましたら、次のような記述がありました。黒田先生のことを思い出しましたので、ここにご紹介させていただきます。
http://www.kokutaigakkai.com/ronbun4.html
『外国の歴史でみれば、幾百年の長きにわたり、藤原氏ほどに実質的大権を連続的に掌握していれば、いつの間にか革命が行われるのが常例である。(中略)まさに、世界的常識である。
しかるに日本は、前後四百年の政権を独裁した藤原氏の勢力ですら、いかにしても、皇統皇位を奉ずるの外に道はなかったのである。
個々の歴代天皇に対して、どのような横暴不臣の態度をとったにもせよ、皇統の一方によって充足、表現、体証される万世一系の天皇を無視することは、絶対的に為し得なかったのである。
これ万世一系の天皇の統治実の不滅なる活動、すなわち日本民族生命体系の内在する自爾(じに)の大法則に服するほかになかったからである。』
自爾(じに)という言葉を始めて目にしました。日本人の深い英知を感じました。
では、お元気で!
EgloffMeikoさんへ
黒田裕樹 天皇という我が国における気高いご存在がよく分かりますね。
お知らせくださって有難うございます。
また、天照大神の命によって皇孫(こうそん)の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原(たかまがはら)から日向(ひゅうが)の高千穂(たかちほ)に天降(あまくだ)りなさったという天孫降臨(てんそんこうりん)の際に、天児屋根命は瓊瓊杵尊に付(つ)き従(したが)ったとされています。
つまり、藤原氏は神話の代から皇室に忠実に仕(つか)える家であると決められていました。そんな思いがあったからこそ、藤原氏の権勢がどれだけ強力なものになろうとも、自分が天皇になろうとは思わない、いや思えなかったのです。
また、武家として初めて政権を握った平氏や源氏も、古くは皇室の血を引いていましたから、本家を侵(おか)すことが出来ずに朝廷をそのまま残しましたし、その考えが足利氏以降の武家政権にも脈々(みゃくみゃく)と受け継がれています。
我が国では長い間神話というものが常に意識されてきました。そんな思いが長年の伝統として自然と皇室を尊敬する気持ちを高めるとともに、藤原氏自らが天皇になるという道を閉ざしてきたのです。
(※下記の映像において系図などを詳しく書いておりますので、是非ご覧下さい。)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
今日のお話を伺っていて、私は全く違う事を想像してしまいました(^^ゞ
神話が野望の歯止めになっていたというのなら、
その神話的な存在が今の日本の憲法9条にも該当するように感じました。黒田さんはどう思われますか?
私の見当違いでしたら、お許し下さいm(_ _)m
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 神話が野望の歯止めになっていたというのなら、
> その神話的な存在が今の日本の憲法9条にも該当するように感じました。黒田さんはどう思われますか?
なるほど、争いを好まずに話し合いで解決するとすれば確かに一理ありますね。
この場合、国内であれば通用しますが、国外では相手国次第になってしまう可能性があるのが残念ではあります。
なおまゆ こんばんは!
この話は初めて知りました。
天皇家がどうして残ったか、納得です。
いわゆる『革命』が起きなかったのも日本人の潜在意識に『神話』があったからなんでしょうね。
織田信長が天皇家を超えようとしたという説もありますが、私は信じていません。
豊臣秀吉は、明を征服して天皇家を移動させようと計画しましたよね。しかしながら、姓を下賜された事実から、秀吉にも天皇家を超える気はなかったと思っています。
私なりですが、一層、歴史をおもしろく感じました。
ティーグ 初めまして。
神話が日本の歴史に大きく影響している点については私も同感です。
ただ藤原氏が皇室に忠実であったかどうかに関しては疑問に思っています。
平安時代の代表的な建物に平等院鳳凰堂がありますが、これは藤原氏の個人的別荘でした。同時期、平安京の正門である羅城門は荒れ放題でした。
羅城門は天皇家のものであり皇室の忠実な家来であればそれよりも豪華な鳳凰堂のような建物を建造せずに羅城門の修復に力を費やしていたのではないでしょうか。
また道長は法成寺建立の際に羅城門の礎石を盗んだと小右記に書かれていますが、これについてはどのようにお考えでしょう。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、神話は長い間我が国の背骨となって存在していました。
潜在意識の深さが、藤原氏が皇室を超えることを拒んだのでしょう。
信長や秀吉の解釈については、色々なお考えがあって当然と思います。
ティーグさんへ
黒田裕樹 はじめまして。お言葉有難うございます。
藤原氏の祖先が皇室に忠実な豪族であったことは間違いないですが、その意識は時代が流れるにつれて薄くなったことは私も同感です。
小右記における道長の行為も、皇室に対する尊敬の薄さを物語っていると思います。ただ、藤原氏に流れる「皇室に忠実な部下」という血が、皇室を超えることをためらわせて一線を越えさせなかったのではないかと考えております。
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神話の伝承
青田 黒田先生
青田です。
私は、若い頃は、日本の神話について
否定的で、馬鹿にしていた面がありました。
それは、心の中で、
『どうせ、創作』だと思っていたからです。
それゆえ、日本の古代史が、大嫌いでしたが、
最近、古事記を読むとハマってしまいました。
天照大神の『3つの教え』とは
① 人々を大切にする。
② 皇位継承を守る。
③ 平和を愛す。
だったんですね。
これがあるから、藤原氏以降の政権も
● 天皇を越えようとしない。
● 戦いの大義名分が『平和のため』が正義になる。
(西洋では、戦うための大義名分が『自由のため』が正義になっている。)
そう考えると、日本の歴史教育について、根本から、見直しが必要な気がします。
というのも、神話を全く、教えていないからです。
私は、伝承としてでも、絶対に日本の神話は、歴史教育で、教えるべきだと思います。
そうしないと、皇室についてだけでなく、
地名・官職名・建築物などで、辻褄が合わないことがたくさん、出てきます。
青田さんへ
黒田裕樹 私も仰るとおりかと思います。