たとえば、家康が薄氷を踏む勝利を収めたと言う見解については「東軍に不利であった関ヶ原を戦いに選んだことは、西軍に自軍が有利であると思わせて誘い出すため」であり、また小早川秀秋の寝返りの他に、秀頼や西軍の名目上の総大将であった毛利輝元を大坂城から出さなかったことも家康の優れた謀略であったというご意見をいただいております。
関ヶ原の戦いについてはこれまでに数多くの皆様が独自の見解を出されており、私が今回この講座で紹介したこともそれらの一つにすぎないのかもしれません。ただ、このように過去の歴史の事実について検証を重ねることが、今後の私たちの未来における有効な判断にもつながるものであり、今後もこういった研究を大いに続けたいと思っております。
さて、今回の講座で「もし西軍が勝って家康が死ねば外国の侵略を受けて我が国が滅亡の危機を迎える」としましたが、その具体例については実際の講座では簡単に紹介したものの、文面においては書き切れていませんでした。次回(20日)に詳しく記(しる)しますので、ぜひご覧下さい。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
実際に起こった事実は変える事は出来ませんが、それまでに行き着いた経緯や、それぞれの人物の思惑というのを想像する事は大いなる歴史のロマンでもありますよね。
しかし、ロマンという言葉に留まらず、より真実に近い現実を探ろうと皆さん、色々な仮説を立てながら辿り着こうというご努力には頭が下がる思いです。
是非、黒田さん始め、歴史研究家の方々の今後の
ご活躍を期待させていただきたく存じます^^
応援凸
上杉の動き
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
よく、『関ヶ原の戦い』の戦いばかりが注目されがちですが
『関ヶ原の戦い』のキッカケは、上杉征伐ですよね。(小山評定は、反転して西に向かったわけです。)
とすると、上杉の動きも重要になると思いました。上杉は、120万石で、動員可能兵力4万です。(西軍の毛利120万石も大きいですが、)
伊達政宗は58万石程度しかありません。
(1)上杉軍が関東に進軍すると流れが変わってきたのではと思いました。
→ 伊達政宗は、一応、東軍ですが、家康にたいする忠誠心がなく、野心家なので、共同作戦も可能。
江戸は、秀忠38000の本隊が関ヶ原の向かって留守、家康も不在状態。
(2)徳川軍と上杉軍との戦いが、始ってから、石田三成が挙兵していたら、流れが変わっていたのでは。。
挙兵時期が早すぎた。
それにしても、関ヶ原の戦いの後、上杉が取り潰しにならなかったのは、不思議です。
やはり、120万石(減封で30万石になりますが)の兵力が残っているのは、家康にとって、脅威だったのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
今回の講座については皆様から様々な説をいただきまして、大いに参考になりました。
今後とも、このような双方向による研究を続けられればと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、上杉征伐も関ヶ原に複雑に絡んでいますね。
範囲が大きすぎるので今回は割愛しましたが、上杉の動向によってはまた違った結果が生まれたかもしれません。
しかし、これが政情不安定となると一変します。誰もが天下人になれるかもしれないと思えば、どんな手を使ってでも他の大名よりも先んじようとするのが普通ですし、また周囲に攻め立てられて追いつめられた大名は、どんな手を使ってでも助かろうとするでしょう。
いずれ当講座で改めて紹介しますが、幕末の場合も同じようなものでした。薩長ら討幕派はイギリスの、幕府はフランスの支援をそれぞれ受け、武器や弾薬の提供を受けています。しかし、両者は「それ以上の支援」を結果として断りました。
「それ以上の支援」とは何でしょうか。武器や弾薬は買えば入手できますが、量が増えれば当然相手は何らかの「担保(たんぽ)」を要求するでしょうし、また兵力が不足していれば、当然のように外国の兵力を借りようとするか、あるいは外国の方から提供を申し出るでしょう。
実は、これこそが「滅亡への入り口」なのです。




いつも有難うございます。
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涅槃 秀吉が、キリシタンの侵略を気付いた証拠が示されていません。他に余り深く検証もされていないので、まるでゆとり教育の教科書のような内容で大変残念です。次回に期待しております。
涅槃さんへ
黒田裕樹 はじめまして。この度はご意見ありがとうございます。
> 秀吉が、キリシタンの侵略を気付いた証拠が示されていません。
当講座では、第11回歴史講座「太閤殿下の夢」や通史での「秀吉の対外政策と朝鮮出兵の真実」によって、秀吉がキリシタンの侵略(詳しくは「カトリックを利用した欧州による侵略」)に気付いた証拠について明らかにしております。簡単に紹介させていただくと、
1.長崎がキリシタン大名の大村純忠によってイエズス会に寄進されていたこと
2.キリシタン大名の領内において無数の神社や寺が焼かれていたこと
3.ポルトガルの商人が多数の日本人を奴隷として強制連行していたこと
以上の3つが証拠として挙げられ、秀吉はこれらの行為が「イエズス会による布教活動に秘められた欧州による我が国侵略への野望」とみなして禁教政策へと大幅に転換しています。
詳細は下記のURLをご覧下さい。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-812.html
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-813.html
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-814.html
私がブログを始めて2年半近くになりますが、今までご覧になっていただいた読者の皆様に対して、あまり同じことを繰り返し説明しては、かえって新たな分野のご理解への妨げになると思い、また通史での秀吉の行動については今年の2月に紹介したばかりで日が浅いので、今回は省略しておりました。
しかしながら、今回初めて私のブログをご覧になった皆様には、秀吉のいきさつについてはご存じない方も当然いらっしゃるでしょうし、涅槃さんのようなご指摘もある意味当然かと思われます。
> 他に余り深く検証もされていないので、まるでゆとり教育の教科書のような内容で大変残念です。
他の分野がどの範囲を指しておられるかは存じませんが、秀吉の場合と同様に、これまでに紹介した範囲が多いので省略させていただいておりますことをご容赦いただければと思います。
> 次回に期待しております。
当講座の今後といたしましては、以前に紹介した範囲であったとしても、できる限りリンク先を明らかにして、初めてお越しになった皆様にも分かりやすい内容を目指したいと思います。
大変貴重なご指摘ありがとうございました。もしできましたら、私のブログを「ゆとり教育の教科書」と断じるだけの涅槃さんの素晴らしいご賢察をご披露いただければと期待していますし、また必ずやそうなさっていただけると信じております。
わろ それ以上の支援?すごく気になります><
武器だと、船を売りつければかなりの金額になるとは思うのですが、そういえば幕末って南北戦争のあおりで武器がお安入手できたとか本当なのでしょうか?
個人的に、明治維新は、色んな意味ですごく良いタイミングで起きたのでは?と思います。
もしも、鎌倉時代にペリーが来航したら、とりあえず交渉で執権に謁見したペリーを斬首♪なノリがおきそうですえ恐ろしいです^^;
わろさんへ
黒田裕樹 血なまぐさいところにはいつの時代も武器商人が暗躍しますからね。
支援にもいろんな種類がありますが、度を超してしまうとその「見返り」も当然大きくなる、ということです。
鎌倉時代だとペリーを斬首ですか(^^ゞ
本当にやりそうで恐ろしいですね。明治維新は確かに時代に合っていたかもしれません。
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関ヶ原で西軍が勝って家康が死んだ場合も、いずれは室町時代の応仁の乱のような大混乱の世の中が待っていると考えられます。そうなれば、応仁の乱の頃とは違って外国の勢力の存在をいずれの大名も知っているのですから、切羽詰(せっぱつ)まった大名の中には、後先(あとさき)のことを考えずに外国から領土の割譲(かつじょう)を条件に武器や弾薬、あるいは兵力を借りる者も必ず現れるでしょう。一度そうなってしまえば、後に待っているのは我が国滅亡の危機なのです。
過去の歴史をひも解いても、外国の侵略を受けて滅亡する国は決まって国内が混乱状態にあります。家康の思惑(おもわく)はともかくとして、徳川幕府が結果として長い間の平和をもたらしたことは、我が国にとって想像以上の貢献(こうけん)をしているのかもしれません。
もっとも、その幕府が外交上やむを得ず行った制限貿易を鎖国(さこく)と見なし、時が流れて世界情勢が大きく変わってもその仕組みを変えようともせず、結果として幕末の混乱をもたらしたことは何とも言えない皮肉ではありますが―。
(※次回[22日]より通常の更新を続けます)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
なるほど、確かに
外国の力を借りようとすれば、その代償に
金銭によって長い間賠償していかなければ
ならなかったり、領土の一部が奪われる羽目に陥ったりと、日本国にとってはその後の国益にも、或いは存続にも関わる大きな問題へと発展してしまうということをその場凌ぎの浅はかな感情に任せず、じっくりと考えていかなければいけませんね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
国益に反してまで我欲を通そうとすれば、そのしっぺ返しは国全体にまで及んでしまうところが恐ろしいですね。
この教訓は、もちろん現代にも通じるものであると思います。
伊達正宗
ろっぽん ~も外国の力を借りて制覇しようと考えていましたからね
でも現在の日本の外交下手は鎖国の影響があるかも知れませんネ
元外交官で鈴木宗雄の関係で逮捕された外務省主任分析官の佐藤優氏が言ってますが
防衛のもう一つの柱は外交で,
もっと外交官を増やすべきだと。つまりCIAのような日本
の情報機関をつくるべきだと思います。
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 我が国の外交下手は鎖国や島国であった環境が原因であると思われます。
聖徳太子のような天才的な外交もあったのですが…。
確かに情報機関は必要ですが、スパイ防止法がない現状では情報が筒抜けになってしまい、より悪化するだけかもしれませんね。