しかし、関ヶ原の辛勝(しんしょう)によって江戸時代の長い平和の日々が続き、その歴史や文化が現代の私たちの暮らしを支えています。すなわち、関ヶ原の戦いについて学ぶことで、現代にもつながる大きな歴史の流れが見えてくるのです。
また、関ヶ原の戦いに関する「豊臣家の落日」や「歴史のif」を考えることなど、歴史にまつわる多くの事実や考証を学ぶことは、自分の知識のみならず、人生の幅を広げることにもつながります。
今回の講座では「関ヶ原の戦い」に光を当てて検証しましたが、私は今後も教師としての活動やブログ上における通史の更新だけでなく、我が国の歴史を楽しく学び、また楽しく教えることで、皆さんとともに我が国の今後を支えることが出来る一助(いちじょ)となれば、こんな嬉(うれ)しいことはありません。
様々な思いや願いを込めて、今後も歴史講座を時間の許す限り続けていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(※第25回歴史講座の内容はこれで終了ですが、次回[8月19日]に補足の記事を載せます)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
仰るとおり、これまで歴史については
まるで無頓着でした私でさえ、黒田さんの歴史講座にお邪魔させていただくようになり、これまでそれが歴史の真実と思い込んでいた様な事も、実は真逆であったり。悪名高い人物が実は、日本国の為に懸命に生きようとしている人物だったりと、誤解していた部分が多々あることに気付かされました。簡潔でありながら、丁寧に解説くださり本当にありがたく存じております。
これからも、黒田さんのご活躍を陰ながら、応援させていただきたいと思っております。
頑張ってくださいね(^^)v
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 こちらこそ、丁寧なお言葉有難うございます。
これからも真実に基づいた分かりやすい歴史を目指していきたいと思います。
サムライ銅像研究会 こんばんわ。
今回の関ヶ原講座、拝見させていただきました。なるほど仰る通りで仮に西軍が勝っていた場合はまとめ役がおらず、日本に西欧列強が入り込んでいたかもしれませんね。
徳川家康が最後の戦国武将として確固としたカリスマ性をもっていたことも納得です。
ただ、秀吉の唐入りが西欧列強へ先手を打った行為というのはやや首を傾げましたが。当時の独裁者が今のように公約(それもまもられませんが・・)を発表する訳ではありませんから。その内なる思いは残された資料は類推するしかないですね。
今後とも熱い講義をお願いします。ついでですが、当方のブログもにほんブログ村に登録いたしました。よろしくご教示お願いいたします。
サムライ銅像研究会さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
秀吉の朝鮮出兵の真の理由には確かに証拠がありませんから何とも言えません。ただ、初めから朝鮮を侵略する目的で出兵したわけではないのは間違いないと考えられますし、当時の西欧の侵略への恐怖から類推できると思います。
ブログ村ですね。今後も相互に応援できればと思います。