関ヶ原の戦いに勝利した東軍の徳川家康(とくがわいえやす)はその後天下人(てんかびと)としての道を着実に歩んで1603年には朝廷(ちょうてい)から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任じられて江戸幕府(えどばくふ)を開きました。
一方、敗れた西軍の石田三成(いしだみつなり)は処刑(しょけい)され、彼が懸命(けんめい)に支えようとした豊臣家(とよとみけ)はその後没落(ぼつらく)の道を歩むことになり、1615年の大坂の役(おおさかのえき)でついに滅(ほろ)ぼされてしまいました。
徳川家の栄光と豊臣家の没落とが関ヶ原の戦いではっきり位置付けられたことは間違いないといえるでしょう。その一方で、関ヶ原の戦いに至(いた)るまでの大きな流れをつかんだり、関ヶ原の戦いでもし西軍が勝っていればと想像したりすることは、歴史の研究心を高めるとともに、現代にもつながる大きな教訓を得ることにもなるはずです。
今回の歴史講座では、関ヶ原の戦いを題材に様々な人間模様や「歴史のif」について探っていきたいと思います。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
久しぶりに黒田さんの活気溢れるお声を拝聴させていただきました^^
仰る通り、映画やドラマ、小説などでは有名なお話ではありますが、東軍と西軍、どうして東軍が勝利し、西軍が負けたのか・・
私もこれから勉強させていただきたく思います^^
応援凸
サムライ銅像研究会 こんばんわ。
初めて拝見しました。福島正則公も参加されておられるのですね。もうすこしいじってあげて!と思ってしまいましたが。
毎日楽しみに拝聴させていただきます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 久しぶりに黒田さんの活気溢れるお声を拝聴させていただきました^^
光栄です(^^♪
今回から画質も向上していますよ(^_^)v
> 仰る通り、映画やドラマ、小説などでは有名なお話ではありますが、東軍と西軍、どうして東軍が勝利し、西軍が負けたのか・・
> 私もこれから勉強させていただきたく思います^^
お言葉有難うございます。
これから18回に分けてじっくり解説していきますので、よろしくお願いします。
サムライ銅像研究会さんへ
黒田裕樹 > 初めて拝見しました。福島正則公も参加されておられるのですね。もうすこしいじってあげて!と思ってしまいましたが。
> 毎日楽しみに拝聴させていただきます。
正則公はお疲れのため、いじらずにそっとしておきました(笑)。
今後ともよろしくお願いします。
ひぎゃぁ
クラチー 東京講演の方が貼られてるぅ~!
あのときの懐かしい思い出とともに、
「アレ」が一緒に映ってるし…!
(Д)゜゜
こ…公開されても恥をかかないようにするには、
どうすればいいんだ…ガタガタ。
{{(・m・;)}}
ひーん、いろいろ申し訳ないです!
本当にありがとうございますー!
クラチーさんへ
黒田裕樹 「アレ」は先に行った大阪講演にも貼られていますので…(^^ゞ
インパクトを考えれば、やっぱり東京の方ですよね。
こちらこそ講座に華を添える「アレ」を有難うございます(^ω^)
智-chisato-里 関ヶ原・・・
日本の歴史の中では、絶対に外せない項目ですよね。
もし(if)関ヶ原の戦いが無かったら・・・
もし(if)西軍が勝っていたら・・・
もし(if)秀吉が生きていたら・・・
日本はどう変わっていたんでしょうね?
天下の台所と言われた場所が、現在の日本経済の拠点になっていたのか?
江戸は存在しなかったのでは?
もしかしたら、もっと早くに外国の文明が入って来ていたのかも?
歴史のifは面白いですよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
智-chisato-里さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国にとって大きなターニングポイントとなった関ヶ原の戦いについてあれこれ考えることは非常に重要ですね。
今回の講座では、私なりの歴史のifについて検討してみたいと思います。