答えは大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)です。この憲法は明治時代に定められたことから、別名を明治憲法(めいじけんぽう)といいます(今回の講座では、明治憲法という名称で統一します)。
さて、この明治憲法ですが、皆さんがこれまでに学習した過程においては、どのような評価がなされているのでしょうか。また、その評価は本当に正しいのでしょうか?
憲法のような重要な法律を評価する場合には、その条文(じょうぶん)の意味を詳細(しょうさい)に解釈(かいしゃく)して、立法趣旨(りっぽうしゅし、その法律がつくられた目的やねらい)を明らかにするという公民的な考察(こうさつ)のほかに、憲法が国内、あるいは国外のどのような情勢においてつくられたのかという歴史的な経緯(けいい)も重要となります。
公民的な考察に歴史的な経緯という二つの作業を必要とする今回の講座ですが、公民と歴史の二つの教員免許を有する私こと黒田裕樹が、明治憲法に秘められた真実を探ってみたいと思います。




いつも有難うございます。
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うにた いいテーマですね。
今こそ国民が知らなければならないテーマです。
とても興味深い。
楽しみにしています。
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智里 公民的な考察と歴史的な経緯・・・
公民と歴史の2つの免許を持つ黒田さん的講座。
これからが楽しみですね♪
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ぴーち こんばんは!
大日本帝国憲法は、確か
ドイツのワイマール憲法を参考に
制定されたという事だけは、覚えているのですが、やはり外国の憲法を日本に当てはめた事自体に最初から、無理があったのでしょうかね・・?
黒田さんの詳しいご高察に期待します!
応援凸
うにたさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
憲法に関する論議が高まる昨今ですから、明治憲法の意義や真実を、一人でも多くの皆様にご理解いただきたいと考えまして、今回の講座を決意しました。
これから約二週間続きますので、今後ともよろしくお願いします。
智里さんへ
黒田裕樹 有難うございます(^o^)丿
歴史の講座が続きましたが、今回の講座で「公民の先生」らしさもお見せすることができればと思います。
よろしくお願いしますm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いつもご訪問ならびにコメント有難うございますm(_ _)m
ワイマール憲法は第一次世界大戦後のドイツで1919年に公布された憲法で、国民主権や生存権(=社会権)などが規定されており、日本国憲法などの20世紀の民主主義憲法の先がけになった憲法です。
明治憲法は、仰るとおり外国の憲法を参考にしております。そのあたりの経緯についても、講座の中で紹介していきますので、よろしくお願いしますね(^_^)v
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HANA子 宗教的に、文化的に、思想的に、民族的に西欧文明と異質の社会に生きてきた日本人
近代国家として国民の統合を行うための根幹となる概念さえ持っていなかった日本が近代化を成し遂げていく試行錯誤の中で、
その成功の為の試金石になったのが明治憲法成立の過程ではなかったかというのがわたしの考えなのですが、さてさて
黒田センセの講義、楽しみにしてます!
HANA子さんへ
黒田裕樹 さすがはHANA子さんですね(^^♪
仰るとおり、明治憲法の制定が我が国の近代化への大きな一歩になったのは間違いないと思います。
明日(5日)からは、憲法制定までの歴史的経緯について紹介していくことになりますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
明治憲法では天皇が最高の権力者であり、帝国議会(ていこくぎかい、現在の国会のこと)や内閣・裁判所も天皇を助ける機関に過ぎませんでした。また、天皇は軍隊を統率(とうそつ)・指揮し、条約の締結権を持つなど、天皇大権(てんのうたいけん)と呼ばれる大きな権限を有していました。国の主権者は天皇であり、臣民たる国民の自由や権利は制限付きでしか認められませんでした」。
多少の差異はあったとしても、上記の内容がこれまでの歴史教育における明治憲法の姿といって差し支(つか)えないでしょう。憲法の条文の内容についても、大筋で同じような見方であるといえます。
この内容における明治憲法のポイントは、第一に、天皇は「最高の権力者」であるとされていること、第二に、議会・内閣・裁判所のいわゆる三権(さんけん)は存在こそするものの、国家的な位置づけとしては天皇による政治を「助ける」機関でしかないこと、第三に、国民のあらゆる権利が「制限付き」であり、不十分なものであったこと、といえるでしょう。
しかし、これらは事実に照らして本当に正しいことなのでしょうか。明治憲法は国民にとって本当に満足のいく内容ではなかったのでしょうか?
この謎を解き明かすためにも、まずは明治憲法が定められた歴史的経緯について考察してみます。




いつも有難うございます。
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オバrev ふむふむ、ここは法学部出身で司法書士事務所勤務経験を持ちながら、社会科の教員資格も持っているという黒田先生ならではの講義ですね。
楽しみにしています♪
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ぴーち こんばんは!
天皇が最高の権力者、国民のあらゆる権利が「制限付き」というのが、やはりその時代にそぐわないものだったんでしょうか。。
その後の展開に期待します。
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
現場を離れて数年になりますが、法律の解釈にはまだまだ自信を持っておりますので(笑)、今後の展開にご期待ください!(^_^)v
なお、公民的解釈は講座の後半になります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 天皇が最高の権力者、国民のあらゆる権利が「制限付き」というのが、やはりその時代にそぐわないものだったんでしょうか。。
今回紹介した解釈が「事実」であれば、仰るとおりに時代にそぐわなかったかもしれません。
しかし、もし事実でないとすれば…。
> その後の展開に期待します。
有難うございます。まずは明日以降の歴史的経緯から紹介させていただきますね。
.記憶があいまいですが・・
伝次郎 ドイツの人が明治時代憲法発布に喜ぶ民衆、ただ滑稽なのは中身を知らない。といった風刺していたと思います。
「憲法発布に喜ぶ民衆」これは絵があったと思います。
ヘンなコメントですいません。
伝次郎さんへ
黒田裕樹 > ドイツの人が明治時代憲法発布に喜ぶ民衆、ただ滑稽なのは中身を知らない。といった風刺していたと思います。
欧米からすれば、我が国が憲法をつくったことが信じられず、いわんや国民がその中身を知るはずがないという思い込みがあったと思われます。今では別な意味に解釈されているようですが。
> 「憲法発布に喜ぶ民衆」これは絵があったと思います。
確かにありますね。国民にとってはやはり喜びだったのでしょう。
> ヘンなコメントですいません。
いえいえ、色んな意見が聞けて有難く思います。
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shana 僕は、とりあえず憲法が制定されたと言うだけでも一歩前進なんだ、っていう風に歴史の授業中に捉えていたのを覚えています。
まぁ、ただこくみんはとりあえずお祭り騒ぎしてただけだった。なんて話もありましたが。 まぁ、でも世界の列強と同じ立場に立てたわけですから、国民もそういう点ではすごく喜んだんだろうなと思います。
むしろ僕としては、憲法9条みたいに現実にそぐってない憲法の方が残念な気がします
.
ラズベリー 初めて動いてる黒田裕樹さん見ました!!w
なんかすごいですー^∀^
強弱(?)をつけて話してらっしゃるのでとても分かりやすいです★
ラズベリーのがっこーの社会の先生になってもらいたいです...!!笑
shanaさんへ
黒田裕樹 > 僕は、とりあえず憲法が制定されたと言うだけでも一歩前進なんだ、っていう風に歴史の授業中に捉えていたのを覚えています。
そのとおりです。いずれ講座の中で明らかにしますが、維新以来たったの20年強で憲法制定までこぎつけるところが凄いと思いますね。
> まぁ、ただこくみんはとりあえずお祭り騒ぎしてただけだった。なんて話もありましたが。 まぁ、でも世界の列強と同じ立場に立てたわけですから、国民もそういう点ではすごく喜んだんだろうなと思います。
これも仰るとおりで、当時の国民は、たとえ憲法の中身は知らなくても「憲法制定によって世界の列強と肩を並べられる」ことを肌で知っていたんだと思います。
> むしろ僕としては、憲法9条みたいに現実にそぐってない憲法の方が残念な気がします
日本国憲法第9条については、変えるにしても残すにしても、まずは国民が納得できるまで、改正の是非について様々な議論があってもよいと思います。
それは、黒船来航以前から開国のチャンスがいくらでも存在したにもかかわらず、鎖国(さこく)の状態が我が国の祖法(そほう、先祖の代から守るべきしきたりのこと)であるという誤解を信じ込み、何の手も打たなかった江戸幕府の失政でもありました。
開国から明治維新(めいじいしん)までの十数年間、我が国は未曾有(みぞう、今までに経験したこともないこと)の混乱期を経て幕府が倒れ、新しい政府が樹立(じゅりつ)されることになりますが、こうした経緯には「失政をした幕府に政権は任せられない」という大きな流れが背景にあったといえるでしょう。
さて、幕府に代わって政治の実権を新たに握った明治新政府には、なさねばならない課題が山積(さんせき)していましたが、なかでも最大の問題は「いかにして我が国の独立を守り、他国からの植民地化を防ぐか」ということでした。




いつも有難うございます。
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伝次郎 幕府側の我が国の祖法というのは、思うに、主に江戸幕府の歴史を守ることだと予想します。
新・政府側は欧米の国家体制を多分に取り入れたと思っています。
ブラス面は神道の復活。
私の持論は愛郷心、愛国心の両輪が日本国民としてバランスよく動くとベストだと思います。
当時の欧米との格差は絶望的な程あったと思いますが、諦めず国家の将来を思い描けたと感心します。
この変革時は、色々興味深く感じます。
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なみなみ こんにちは!
明治憲法といえば、
やっぱり、シビリアンコントロールの欠如でしょうかw
陸海軍大臣の人事から、
内閣を簡単に操れたりして、
制度上の欠陥が目立つような気がします。
でも、憲法自体は今と変らない
権利が保障されていたりして、
当時としてはリベラルな側面も
数多くあったと思うんです。
ただ、結果は全体主義が吹き荒れる時代となりました。
なぜ憲法のリベラルな側面は成長しなかったのか?
そういうところにも焦点をあてて書いていただければ嬉しいです!
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ぴーち こんばんは!
日本人は伝統を重んじ、先祖が守り通して来たものを大切に継続していこうとする気持ちは時には大切だと思いますが、それに余りにも固執してしまうのは、どうかなとは思いますね。(今回の相撲理事問題にも通じるものが)
明治新政府の他国からに植民地化問題は、確かに深刻ですよね。
黒田さんが、常日頃から懸念されている問題でもありますね。
応援凸
伝次郎さんへ
黒田裕樹 幕府の歴史を守ることは決して悪いことではありませんが、行きがかりの都合で鎖国状態になってしまったことで、あたかも「一国平和主義」に走ってしまったことがそもそもの失敗だったと思っております。
無論、平和なのは素晴らしいことですが、せめて世界の流れにもっと目を向けることで自主的に開国が出来ていれば、江戸幕府の運命は違ったものになっていたでしょう。
新政府については今後の講座の中で明らかにしていきますが、伝次郎さんのお考えには共感できるところがあると感じております。
なみなみさんへ
黒田裕樹 シビリアンコントロールは、明治憲法を語るうえで欠かせないキーワードだと私も思います。
明治憲法における様々な権利も、意外と知られていないんですが重要な問題ですね。
いずれにせよ、講座では歴史的経緯を述べた後の公民的考察の中で明らかにしていく予定ですので、なみなみさんのご期待に添えられればと思っております。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本人は伝統を重んじ、先祖が守り通して来たものを大切に継続していこうとする気持ちは時には大切だと思いますが、それに余りにも固執してしまうのは、どうかなとは思いますね。(今回の相撲理事問題にも通じるものが)
仰るとおり先祖伝来にこだわりすぎるのも問題ですし、鎖国状態のように、家康が考えもしなかったことを「祖法」と頭から信じ込んでいるんですから、その点での幕府の失政は動かしがたい事実だと思います。相撲協会ももっとしっかりして欲しいですね。
> 明治新政府の他国からに植民地化問題は、確かに深刻ですよね。
> 黒田さんが、常日頃から懸念されている問題でもありますね。
当時は「力こそ正義」の世の中でしたから、余計に恐怖感があったと思います。
明日(6日)以降で詳しく紹介していきますので、またお越しくださいね(^^♪
それにしても、植民地化の問題は水面下ではどこの国でもいつ危機状態になってもおかしくないような気がしますね(無論我が国も例外ではありません)。
黒田裕樹さん.
りら 日本が鎖国制度を取らなかったら
どんなに良かったかと思います
「いかにして我が国の独立を守り、他国からの植民地化を防ぐか」
なんて心配はなかったでしょう
そして戦争する必要も無かったと思います 信長が生きていたら
鎖国はしなかったろうと思う事があります
明日は江戸時代から小江戸と呼ばれた佐原アップします
お知恵拝借お願いします
りらさんへ
黒田裕樹 鎖国をするならするで他にもっとやり方があったはずですし、史実のような「なしくずし」の鎖国状態ではあまりにもデメリットが大きすぎました。
詳しくは今日(6日)の講座で紹介しますが、明治新政府の当時の苦悩は私たちの想像の域をはるかに超えたものであっただろうと察します。
信長であれば、仰るとおり鎖国はなかったでしょうし、逆に日本人が世界中に進出していた可能性がありますね。
りらさんの次回の記事を楽しみにしております。
そんな大変な時期に、我が国の命運を託(たく)された明治政府の責任感や重圧、それに周囲を外敵に囲まれての心細さは、現代の私たちには想像もつかないほど大きかったのではないでしょうか。
このままでは我が国も他国の植民地とされてしまう―。危機感をもった明治政府は、欧米列強と肩を並べるためにも、一刻も早い近代国家の確立を目指さなければなりませんでした。その政策の中には強引な手段もありましたが、植民地化を防ぐという大義のためにはなりふり構(かま)っていられないのがその実情でした。
しかし、版籍奉還(はんせきほうかん)から廃藩置県(はいはんちけん)、あるいは四民平等(しみんびょうどう)などという、維新の功労者であるはずの士族(しぞく)にとって不利となる政策には反発も多く、全国各地で不平士族の反乱が相次ぎました。その最たるものが、明治10(1877)年に起きた、西郷隆盛(さいごうたかもり)を中心とする西南戦争(せいなんせんそう)でした。
そして、西南戦争の終結後には士族の反乱が治まり、代わって議会の開設などを求める自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)が活発化し、その圧力によって政府は憲法制定に取りかかった―と従来の歴史教育では語られてきましたが、これは事実ではありません。
実は、明治政府はその成立の段階から、将来の憲法制定に向けての布石(ふせき)を着実に打っていたのです。




いつも有難うございます。
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ケンシロウ こんにちは。
お江戸での講座1週間前ですね。
今日の名古屋は雪が降っております。
先生の方からお江戸に向かうには
関ヶ原の辺りの雪が心配ですね。
無事に当日の講座を迎えられることを
お祈りいたします。
(;゚д゚)アッ....関ヶ原の合戦の跡地を見ようと
米原で途中下車しないようにw
.
まり姫 黒田さんこんにちは☆
明治憲法の見方については私と少々違いがありますから、コメントは差し控えますけど、東京での歴史講座が成功するといいですね~
私の地方は大雪です^^
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 いつもご心配いただきまして有難うございます。
確かに東海地方は雪のようですね。
大阪は晴れてこそいますが、風がメチャクチャ冷たいです(´・ω・`)
講座当日は朝から新幹線で移動しますが、雪で遅れないことを祈っております。
関ヶ原は…在来線の方が近くまでいけそうですね(笑)。
まり姫さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
東京講座まであと一週間と迫ってまいりましたが、しっかりと準備をして当日に備えたいと思います。
雪で新幹線が遅れていましたからね…。一週間後がちょっと心配です(^^ゞ
.
shana おー!
違うのですか?士族叛乱→国会の流れは間違いなのですか?
うわー、騙されたー(笑)
これは今後の記事に期待なのです。
いつもいい意味で期待を裏切られますけどw
shanaさんへ
黒田裕樹 > おー!
> 違うのですか?士族叛乱→国会の流れは間違いなのですか?
> うわー、騙されたー(笑)
「士族叛乱→国会の流れ」は、残念ながら正確な答えとはいえません。
現状の歴史教育では、自由民権運動が有力視されるあまり、当時の政府の行動を正しく評価していない一面がありますから、今回の講座ではそのあたりをしっかりと見極めたいと考えております。
> これは今後の記事に期待なのです。
> いつもいい意味で期待を裏切られますけどw
有難うございます(^o^)丿
今回もshanaさんのご期待にお応えできると思っておりますよ(^^♪
「政治をなすには広く会議を行い、公(おおやけ)の議論によって決めるべきである」という意味のこの御誓文は、新政府による強権的な政治ではなく、公の議論、つまり議会政治によって何事も決めるべきであるという強い決意を、天皇が神前(しんぜん)にて誓われるというかたちで示されたものです。
つまり、明治政府は当初から議会政治を前提にした政策を目指していたのです。また、同年に出された政体書(せいたいしょ)においても、五箇条の御誓文を国家の基本方針と改めて規定し、近代憲法の基本方針である三権分立が規定されています。
加えて、岩倉具視(いわくらともみ)を団長とする使節団(しせつだん)が欧米各国を訪問した際には、我が国と諸外国との大きな差を痛感するとともに、従来の不平等条約を解消し、我が国が近代国家として諸外国と肩を並べるためには、憲法などの国の基本となる法律の制定が不可欠であることを思い知りました。
しかし、その頃の政府には不平士族の反乱への対策などの解決すべき問題が山積しており、憲法制定や議会開設に着手するどころではなかったのです。




いつも有難うございます。
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オバrev 五箇条のご誓文という言葉は記憶にありますが、中身は記憶の彼方に・・・○十年も前のことですので(^^;)
しかし、短い言葉で根本をついている、なかなか素晴らしい文章ですね。今でもそのまま通用しますというより、今こそ政治家にはこの言葉をかみしめて欲しいです。
原案やこれをまとめた人物の理念や歴史観などに興味が起こりますね。
この状況でできた明治憲法もじっくり読んだことないので、その解説が楽しみです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 五箇条のご誓文という言葉は記憶にありますが、中身は記憶の彼方に・・・○十年も前のことですので(^^;)
五箇条の御誓文が出されたという歴史上の事実としては以前から有名ですが、肝心の中身についてはなぜか歴史教育では触れられないんですよね…。我が国における民主政治の根本が秘められているのですが。
> しかし、短い言葉で根本をついている、なかなか素晴らしい文章ですね。今でもそのまま通用しますというより、今こそ政治家にはこの言葉をかみしめて欲しいです。
> 原案やこれをまとめた人物の理念や歴史観などに興味が起こりますね。
私もそう思います。権謀術数は国家としての戦略あってこそであり、党利党略、あるいは売国のためではありません。
五箇条の御誓文を起草したのは由利公正(ゆりきみまさ)であり、最終的にまとめたのが木戸孝允(きどたかよし)といわれています。
> この状況でできた明治憲法もじっくり読んだことないので、その解説が楽しみです。
有難うございます。これからいよいよ本題に入っていくことになります。
.
ぴーち こんばんは!
岩倉具視のお名前で思い出したエピソードですが、
当時のこの一団は、英会話が余り堪能では無かった為に、終始、言葉少なめに交渉を推し進めていたらしいですが、そんな無口な日本人をアメリカ人は、威厳のある人物と捕らえて、深く敬ったと伺った事がありました。今の日本人は語学に精通し過ぎて、余計な事までしゃべり過ぎ、逆に足元を見られている傾向があるのでは無いでしょうか。
黙っていて、何を考えているのか判らない態度が、当時の日本人の腹の内を探る手立てが困難で、威風堂々とした貫禄を印象付けていたように思いました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、確かに必要以上のことを話さないほうが、相手にとっては何を考えているのか分からずに警戒するとともに、畏敬の念を抱くという側面がありますよね。
だとすればおしゃべりな私は失格かもしれません(笑)。
いずれにせよ、明治の人間が各国から尊敬を受けたことが、その後の我が国にとっては良かったことなのでしょうね。
.
満柚子 コメありがとうございます!
怪我は不思議と全くないので
大丈夫ですよ(*^∀^*)
五箇条の御誓文は知ってますが
詳しいことまでは知りませんでした~
勉強になります♪
満柚子さんへ
黒田裕樹 > コメありがとうございます!
> 怪我は不思議と全くないので
> 大丈夫ですよ(*^∀^*)
それは良かったですね(^^♪
身体が丈夫なようでうらやましいです。
> 五箇条の御誓文は知ってますが
> 詳しいことまでは知りませんでした~
> 勉強になります♪
有難うございます。単なる暗記だけでない、歴史的な真実を皆さんにもっとご理解いただかないといけませんね。
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欧米視察団
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
この欧米視察団が凄いことは
① 政府の主要メンバーが中心になっていた。
(岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文)
② 海外の長所だけではなく、短所もしっかり
学んできた。
◆ アメリカで、外交の難しさを痛感。
◆ イギリスで、資本主義の光と影を観る。
(貧富の格差の激しさ、金融の怖さ)
◆ ベルギーが小さな国なのに、なぜ、経済力が
成り立っているのか、その秘密を知る。
◆ 元々、後進国家だったプロイセンのビスマルクから、『国際ルールは、大国が勝手に創ったこと。工業化で、大事なこと。』を学ぶ。
今の日本の政治家のように安易に北欧型がイイと
考えるのとは、全く、違いますね。
外国から、学ぶことは、大事ですが、
それが、日本に適応しやすいものがどうかと
いうことを考えないと、国が混乱するだけです。
黒田先生は、どう思われますか?
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
鹿鳴館などで誤解されがちですが、明治政府は「何が何でも」と闇雲に近代化を推し進めたわけではありませんでした。
明治憲法一つにしても、どの国の方式が一番我が国に合っているかを慎重に考えた末に制定されています。
戦後の「何でもアメリカナイズ」と決定的に違っていますし、その結果は皆さんご存じのとおりですね。
それでも政府は翌年の明治8(1875)年に漸次立憲政体樹立の詔(ぜんじりっけんせいたいじゅりつのみことのり、詔とは天皇の命令による文書のこと)を出して憲法制定に向けての意欲を示し、西南戦争が終わった後の明治14(1881)年には国会開設の勅諭(ちょくゆ、天皇による訓示に相当)が出され、明治23(1890)年に国会を開設することを公約するなど、憲法制定に向けて着実に前進していきました。
つまり、政府は自由民権運動に押されて仕方なく憲法制定や議会政治を目指したわけではなかったのです。また、両者の最終目的にも大きな差はなく、政府主導による「上からの改革」と、自由民権運動が目指す「下からの改革」との違いがあっただけでした。
政府の立場で考えてみれば、諸外国による植民地化を防ぎながら、あらゆる分野において近代化を進めなければならないという厳しい情勢のなかでは、政府による強い権限で何事も実行しなければならないという信念がありました。それゆえに、急進的に近代化を進めようとする自由民権運動とはしばしば対立関係となり、反体制運動に対する政府の厳しい取り締まりもあったのです。




いつも有難うございます。
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りら 自由民権運動真の意味がやっと分かりました
明治時代は激動の時代で歴史を語る
に面白いですよね
私は今江戸時代 水郷を利用して
江戸へ荷物を運んで栄えた
佐原をアップしています
当時の繁栄が今もしのばれました
りらさんへ
黒田裕樹 自由民権運動に関しては、反体制運動という姿勢が理想とされるのか、過大評価されすぎているような気がします。
平和な時代とは異なり、一歩間違えれば植民地化という危機のもとでは、強い政府による政治主導も致し方ないと考えなければなりません。そして、その原因は政府ばかりでなく、開国のチャンスをみすみす潰して我が国を極度の混乱に巻き込んだ江戸幕府にもあります。
まさに激動の歴史ですね。
佐原の風景は昔の面影が残っていて素晴らしいですね(^o^)丿
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欧州各国の憲法を調査した結果、伊藤博文が選択したのはプロイセン(現在のドイツ)型の憲法でした。憲法制定以降も条約改正などの問題が山積している情勢では、政府主体で引き続き強い意思で政治を行う必要があり、そのためにも君主が現行の政府に任命するという形式の憲法にしたほうがよいと判断したからです。なお、明治憲法が欽定憲法(きんていけんぽう)となったのもこうした経緯からであり、天皇に強い権限を与えるという意味ではありません。
伊藤博文の帰国後、明治18(1885)年に内閣制度が設けられて憲法制定後の政治路線が明確化される一方で、憲法も時間をかけて慎重に草案(そうあん、下書きや原案のこと)が練(ね)られ、明治21(1888)年につくられた枢密院(すうみついん)で審議するという着実な段階を経た上で、明治22(1889)年2月11日、明治憲法はついに公布されました。この瞬間、我が国はアジア初の立憲国家(りっかんこっか、憲法を持つ国家)となったのです。
憲法発布の当日は祝賀行事が各地で行われ、国民がこぞって憲法の発布を祝いました。普段は反政府的な立場をとっていた新聞でさえ、「聞きしに優(まさ)る良憲法」「大体においては実に称賛(しょうさん)すべきの憲法」と評価しており、また自由民権運動家でもっとも急進的な私擬憲法(しぎけんぽう、憲法発布以前に民間で検討された憲法試案のこと)を発表したことで知られる植木枝盛(うえきえもり)も、我が国に憲法ができたことを祝福する言葉を残しています。
さらに、有色人種のアジア人の国家が憲法を、それも明治維新からわずか20年余りでつくったことに対して、欧米諸国からは感嘆(かんたん)の声が上がるとともに、憲法に対して高く評価しました。明治憲法の発布は、世界史上においても燦然(さんぜん)と輝く、画期的な出来事だったのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
明治憲法は、20年余り・・と在りますが、むしろ、私は「20年も掛かるものなのか!」という思いを抱きました^^;
けれど、確かに一国の憲法を制定するという事は、大変な時間と労力を要するものなんですね。
制定された後までも、後々、その時代にそぐわなくなって来てしまう場合もありますものね^^;
勉強になりました(^0^
応援です凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 明治憲法は、20年余り・・と在りますが、むしろ、私は「20年も掛かるものなのか!」という思いを抱きました^^;
なるほど、いわれてみれば確かに「逆もまた真なり」ですね。新政府の樹立からそれだけ苦労を重ねてきたわけでもありますが…。
> けれど、確かに一国の憲法を制定するという事は、大変な時間と労力を要するものなんですね。
> 制定された後までも、後々、その時代にそぐわなくなって来てしまう場合もありますものね^^;
> 勉強になりました(^0^
有難うございます(^o^)丿
明治憲法までの我が国、そして時の政府の苦労を思えば、憲法制定までの道のりがもっと評価されてもいいと個人的には思っています。ただ、どれだけ素晴らしい法律であっても、仰るとおり時代とともにそぐわなくなってくる部分もあるんです。
そのあたりについては講座の最後の方で紹介できると思います。
非常に健全な日本の歴史
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
最近、
『アメリカ史の真実 なぜ「情容赦のない国」が生まれたのか』を読みました。
その本を読んで、逆に日本の歴史が非常に健全なプロセスを辿っていると感じました。
神話→古代→中世→近世→近代(明治憲法の成立)
という流れがあります。
しかし、アメリカの歴史は
いきなり、
近世→近代になっています。
つまり、人間の精神的な過程に影響を及ぼす
神話の時代、中世の歴史もないわけです。
だから、古代エジプトで認められていた奴隷制度として、時代錯誤の黒人奴隷をつい100年前まで、近代国家を標榜するアメリカで存在していました。
それに
第二次世界大戦後の東京裁判などのアメリカの
騎士道精神が全くないことが何となく、理解できました。
余談ですが、中国は、逆に
古代中国→ 中世の中国
その中世の中国のまま、カタチだけ市場経済を導入。(1回も選挙をしたことがなく、憲法もない国)
こう考えると、歴史というのは、単なる過去の話ではなく、国家の成長の記録ですね。
(赤ちゃんが、スグに大人になれないとの同じように)
『歴史とは、国の成長の物語り』と思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
国の健やかな成長をうながした我が国の長い歴史。
その歴史を抹殺すれば、その後どうなるかは自明の理のはずですが…。
第一条 大日本帝国ハ万世一系(ばんせいいっけい)ノ天皇之(これ)ヲ統治ス
「天皇が統治する」という字面(じづら)だけを見ると、天皇絶対主義と理解できそうですが、実は「統治」の意味が現代とは異なっています。
「統治ス」は、憲法の原案では「治(シラ)ス」と書かれていました。「治ス」とは「お知りになる=公平に治める」という意味の大和言葉(やまとことば)であり、それを漢語化したのが「統治ス」です。公平に世の中を治めるということは「権力を私有せず、公共のために世の中を治める」という意味であり、従来の天皇のお立場を成文化したものであると解釈できます。
つまり、明治憲法は初めの第一条から「天皇主権」を明確に否定しているのです。




いつも有難うございます。
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りら 明治憲法は初めの第一条から「天皇主権」を明確に否定しているのです。
知らなかったです
びつくりしました
勉強になります
ありがとう
私の今日のアップは伊能忠敬です
ご意見拝借出来れば幸いです
りらさんへ
黒田裕樹 日本国憲法との対比において、明治憲法はなぜか「天皇主権」といわれ続けているのですが、真実は第一条から明確に否定されています。
法律の解釈という作業はあるものの、なぜこのような「誤解」がまかり通っているのでしょうか。
当講座では、明日以降も条文の解釈を通じて明治憲法の真実に迫ってみたいと思います。
> 私の今日のアップは伊能忠敬です
> ご意見拝借出来れば幸いです
有難うございます(^o^)丿
早速訪問させていただきますね。
.
ぴーち こんばんは!
なるほど、明治憲法から
天皇主権を明確に否定しているんですね。そして、現代の憲法の
「天皇は国の国民の象徴である」に
発展、移行して行ったんですね!
大和言葉を漢語化して。。だなんて
日本人はいつも複雑な操作を試みますよね(^^A
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、明治憲法から
> 天皇主権を明確に否定しているんですね。そして、現代の憲法の
> 「天皇は国の国民の象徴である」に
> 発展、移行して行ったんですね!
そのとおりです。
現在の象徴天皇制は、戦後になって初めて導入されたわけではなく、我が国の伝統に沿ったかたちで明治憲法にも生かされていたんです。この流れは明日以降も詳しく紹介することになります。
> 大和言葉を漢語化して。。だなんて
> 日本人はいつも複雑な操作を試みますよね(^^A
仰るとおりですね。でも、その繊細さがまた日本人らしいんですよね(^^♪
.
倫清堂 天皇主権が否定されている。これは重要なことです。
いまの学校教育では、
明治憲法=天皇主権=悪
戦後憲法=国民主権=善
という教え方をしており、捏造の事実をもって明治憲法を貶めています。
学者は「統治=主権」と主張しますが、実際は現憲法の「象徴」に近い語彙ですね。
もし条文をそのまま「統ス」としていれば、このような混乱は起きなかったわけで、それに反対した伊藤博文は失敗したと冥界で嘆いていることでしょう。
倫清堂さんへ
黒田裕樹 確かにそういう面が見られますね。
現行の日本国憲法を理解させやすくするためという目的があるのかもしれませんが、少なくとも「ウソ」を教えるべきではないと思いますし、歴史の教師だからといって、こういう公民的な要素を持たないことには生徒の前で恥をかくことになると思います。
幸い私は法律系事務所の勤務経験があるのですぐに間違いに気がつきましたが…。
伊藤博文は全体のバランスや、明治憲法が外国語訳されることを見越して漢語体にしたのかもしれませんね。失敗といえば失敗ですが、意味を曲解されるとは、さすがの伊藤博文も想定外だったと考えられます。
.
HANA子 そういえば憲法制定の主導権を最終的に握ったのはもちろん伊藤博文なのですが、最初期において憲法制定の必要性を論じたのは大久保利通であった・・・という資料があったのを思い出しました
冷たい政略家の側面が強調される大久保卿が欧米回覧の際にビスマルクと出会って“開明的立憲主義”を志したというお話
その辺り、今回のお話とつながる部分があるのかもしれませんね
それにしても、この辺も自分なりに書いてみたいお話です
大久保卿の“開明的立憲主義”を伊藤公が受け継ぎ、その伊藤公が憲法制定を成し遂げて、さらに日本初の政党も作った
うん、やっぱり歴史は面白いです^^
HANA子さんへ
黒田裕樹 大久保利通がもし生きていれば、憲法制定ももっと早かったかもしれませんね。
現実の歴史では暗殺されてしまった大久保利通。しかし、その流れは伊藤博文がしっかりと引き継いでいたんですね。
HANA子さんの書かれる物語に大いに期待したいです(^_^)v
.スタートで
オバrev 統治するという意味が現代と当時では違っていたとは・・・最も重要な第一条のスタートでつまずいていた訳ですね。
野球で例えるなら、打ったバッターが3塁へ向かって走りだしたって感じでしょうか。
そうなると全く解釈が違ってきますね。
昔も天皇は象徴であるという考え方であったと解釈してもいいんでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 統治するという意味が現代と当時では違っていたとは・・・最も重要な第一条のスタートでつまずいていた訳ですね。
> 野球で例えるなら、打ったバッターが3塁へ向かって走りだしたって感じでしょうか。
さすがオバrevさん、野球の例えが上手いですね(^_^)v
入り口で間違えていてはどうしようもないです。
> そうなると全く解釈が違ってきますね。
> 昔も天皇は象徴であるという考え方であったと解釈してもいいんでしょうか?
仰るとおりのお考えで差し支えないと私も思います。
象徴という我が国の伝統を受け継いだ憲法であるといえるでしょう。
そして、その流れは今後紹介する他の条文にも活かされています。
ここで問題になるのは「統治権の総攬」の解釈でしょう。総攬とはただ単に「とりまとめて持つ」という意味であり、これを「我が手に握って実権を持つ」と解釈するのは強引過ぎます。しかも、「此ノ憲法ノ条規ニ依リテ」と書かれているように、仮に実権を握っていると解釈できたとしても、天皇ご自身も憲法の規定に従わなければならないと明記されているのです。
では、天皇といえども従わなければならない「憲法の規定」にはどのようなものがあるのでしょうか?
第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛(きょうさん)ヲ以テ立法権ヲ行フ
従来は「議会は天皇を助ける機関に過ぎない」と教えられてきました。しかし、協賛とは「賛成して協力する」という意味ですから、条文を素直に読めば、「天皇が立法権を行うには議会の賛成や協力が必要である」という解釈となり、天皇が勝手に立法権を行使することは憲法上許されていないという意味になります。
その後の歴史を見ても、憲法制定後に立法権を実際に行使したのは議会であり、天皇は議会が決めた法律や予算に署名(=サイン)するのが主な職務でした。これは、天皇の国事行為について定めた、日本国憲法の第七条と同様の意味を持ちます。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
明治憲法の良い所を、そのまま
日本国憲法へ移行させた箇所があるのですね。
確かにテレビでも、天皇がサインされているお姿をたまに拝見することがあります。
それでは、応援凸
また、お邪魔しますね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 明治憲法の良い所を、そのまま
> 日本国憲法へ移行させた箇所があるのですね。
> 確かにテレビでも、天皇がサインされているお姿をたまに拝見することがあります。
そのとおりです。
明治憲法にも良いところはもちろん存在して、その理念は現在の日本国憲法にもしっかりと受け継がれています。
わたしたちはこういった事実にももっと目を向けるべきでしょう。
陛下はご高齢の現在も、日々公務に励んでおられます。時には深夜に至ることもおありとか…。
.
kikuzi 実にすばらしいです。
大日本帝国憲法の講義がこんなにおもしろいなんて・・・。
憲法と言えば、旧皇族の竹田恒泰さんも憲法学を学んでおられましたね。
竹田さんも日本国憲法発布以前から、天皇陛下は象徴なのだと、仰っておられました。
天皇陛下と国民は西洋的な対立の関係ではなく、神話から綿々と続く親子の関係なんだなあと、改めて実感致しました。
今後の展開が楽しみです。がんばって下さい!がんばりましょう!
kikuziさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
明治憲法に関する誤解を解くだけでなく、内容も理解しやすく、また面白いと思っていただければ幸いです。
公民的考察はまだまだ続きますので、ご期待下さい(^^♪
第二項 凡(すべ)テ法律勅令(ちょくれい)其ノ他国務ニ関(かか)ル詔勅(しょうちょく)ハ国務大臣ノ副署(ふくしょ)ヲ要ス
まず第一項ですが、輔弼とは補佐して助言することを意味しており、ここでは第五条と同じく「天皇の行政権は国務大臣(=内閣)の補佐や助言が必要である」と解釈すべきです。第二項において、天皇は勅令(天皇からの命令)や詔勅(天皇のお言葉を文章化したもの)を出すことが出来ましたが、これも大臣の副署(署名のこと)が必要とされており、実際に天皇が直接命令を出しても、後に大臣が署名しなければ効果がありませんでした。
つまり、行政権の責任は内閣にあり、天皇は内閣が決めた政治の進め方に署名(=サイン)するのが主な職務でした。これも議会と同様、天皇の国事行為を定めた日本国憲法の第七条と同様の意味を持っています。
第五十七条 司法権ハ天皇ノ名ニ於(おい)テ法律ニ依(よ)リ裁判所之ヲ行フ
この条文は「天皇の名において」の解釈が問題になると思いますが、常識的に考えて、法律の知識をお持ちでなければ、いくら天皇といえども人を裁くことが出来るはずがありません。
従って、ここでの「天皇の名において」とは「天皇の権威をもって」裁判所が法に基づいて、天皇の代わりに審理するというように解釈すべきなのです。つまり、天皇は司法権もお持ちでないことが明文化されていることになります。
ここまで立法権や行政権、司法権に関する条文を検討しましたが、結果的に天皇は三権のいずれもお持ちでなく、議会や内閣、裁判所が決めたことに従われるのみということが良く分かりますね。しかし、大きな問題となる条文がまだ残っています。それは第三条です。




いつも有難うございます。
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ケンシロウ こんにちは。
明日はお江戸へ向かわれる日ですね。
天気も午後からは回復方向なので一安心ですね。
おいらは明日仕事となりました。
お互い頑張りましょう。
.
ぴーち こんばんは!
第三条の内容が気になりますね^^
明日はいよいよ東京講座ですね!
成功をお祈り致しておりますm(__)m
それでは、応援凸
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 いつもお心遣い下さって有難うございます。
どうにか体調を崩すことなく当日を迎えられそうです。
天候もそれほど悪くなさそうですが、寒そうですね(^^ゞ
頑張ってきます!
ケンシロウさんもお身体大切に。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 第三条の内容が気になりますね^^
そうですね。他の条文も重要ですが、特に第三条が一番「勘違い」しやすい条文ですから、皆さんにご理解いただけるように私も心しないといけません。
> 明日はいよいよ東京講座ですね!
> 成功をお祈り致しておりますm(__)m
有難うございます。
頑張ってきますね(^_^)v
.意図的に曲解されてた?
オバrev 憲法の条文をしっかり読めば、確かに仰るとおりですね。
しかいこういう、基本となる解釈について、学会のような所で、問題になったりはしなかったんでしょうか。
それとも意図的にそうされてしまったんでしょうか。
何となく政治的な臭いがしますが・・・(?_?)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 憲法の条文をしっかり読めば、確かに仰るとおりですね。
そのとおりです。法律の専門的知識うんぬんよりも、国語力の問題として十分理解できるはずなのですが…。
> しかしこういう、基本となる解釈について、学会のような所で、問題になったりはしなかったんでしょうか。
> それとも意図的にそうされてしまったんでしょうか。
> 何となく政治的な臭いがしますが・・・(?_?)
あまり考えたくはありませんが、明治憲法の印象を悪くすることで現行の日本国憲法をよく見せるために、こういう理論がまかり通っているのかもしれません。
そもそも日本国憲法が素晴らしい憲法であれば、わざわざ明治憲法と比較するまでもないと思うのですが…。
ただ、ネタバレになりますが、明治憲法にももちろん欠点があり、それがかなり深刻な問題をもたらしたのも事実です。そのあたりは講座の最後で紹介する予定ですが、おそらくはこの欠点の悪しき印象が、明治憲法を必要以上におとしめている原因の一つかもしれません。
.
shana あれ?この記事を読んでると、なんでこんな間違った解釈をしてたのか、すごい不思議です。 僕も落ち着いて考えれば、ここまで読み解けたはずなのに……
あれですね、一度刷り込まれるとなかなか考え方って変わらないもんなんですねぇ…… このブログのおかげで歴史の認識が150度くらい転換してる気がします!
shanaさんへ
黒田裕樹 そうですね。刷り込みとか先入観といったものが頭の中に入ってしまうと、なかなか脱出できないという一つの例になるかもしれません。それだけに、教え手側の責任の重大さを改めて実感しますね。
150度ですか。あと30度を私も頑張らねばなりませんね(^^ゞ
第三条 天皇ハ神聖(しんせい)ニシテ侵(おか)スヘカラス
第三条でのいわゆる「神聖不可侵」(しんせいふかしん)を字面どおりに解釈して「天皇は憲法によって神の扱いを受けていた」と主張する人が多いですが、これはとんでもない誤解です。
そもそも「神聖」とは「尊(とうと)くておかしがたいこと、清浄(せいじょう)でけがれがないこと」であり、それに「不可侵」が加われば「尊厳(そんげん)や名誉(めいよ)を汚(けが)してはならない」という意味になります。
つまり、天皇の尊厳や名誉を汚さないために「天皇に政治的責任を負わせない」というのが正しい意味なのです。これは「国王は君臨(くんりん)すれども統治せず」とする立憲君主制(りっけんくんしゅせい)の考え方そのものでもあります。
結局、明治憲法においては、天皇には政治的な権力は何も持たされなかったのが本当のところなのですが、権力とは全く別の概念(がいねん)として、天皇は我が国の長い歴史における権威(けんい)をお持ちでした。その一方、近代国家として歩むために絶対に必要な憲法を制定した政府でしたが、明治維新から20年余りしか経っていない現状では、後ろ盾(うしろだて)となる権威がどうしても不足していました。
そこで、歴史的なパワーをお持ちの天皇が、憲法における様々な手続きに署名されるという重い現実によって、憲法自身や、あるいは憲法によって規定された議会や国務大臣(=内閣)、裁判所などの決定に「正当性」を加えようとしたのです。これこそが「天皇によって国がまとまる」という立憲君主制の理想であり、そこには日本国憲法における「象徴天皇制」(しょうちょうてんのうせい)と大きな差はありません。




いつも有難うございます。
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HANA子 おはようございます、もといこんにちは
。勤明けのぼけた頭でやってまいりました
国外から明治憲法を見た人々のあげた声が
「ドイツ帝国憲法のマネ」
だったことはよく知られてますけど、
その一方で
「イギリスの憲法:立憲主義と議会制政治に受けた影響も大きい」
と言われていたのも事実なんですよね
実際本文で語られているように三権と天皇大権は明確に分離されていますし、
日清・日露の両戦争も明治帝ははっきりと反対の立場におられていながら政府と議会の決定に従って開戦の詔を発しておられるわけですし
それにしても明治憲法をはじめ、明治・大正・昭和初期は自ら進んで学ぼうとしないとわからないことが多すぎますね
.なるほど
伝次郎 神聖不可侵を文字通り、漢字どおり受け取ると外国の宗教の一神教と誤解する人が出そうですね。
天皇は昔から制度がなくとも庶民にとっても世俗の権力者にも権威的存在だったと認識しています。
いわゆる戦中派辺りの年代に誤解した天皇観の人が多いように思えます。
もう1つ興味があるのは、ゴッドを訳すと神、しかし日本の信仰、宗教観ではカミ。
外国語を日本語訳する時どの漢字をあて意味をどのように訳したかです。
テレビで「権利」はもともと「権理」と漢字あてていて、rightを主張するにも道理がいる。
と言うのを見ました。
明治時代の翻訳事情も興味深いです。
お邪魔しました。
奇跡の国
kikuzi 天皇陛下の権威は日本の歴史にバランスをもたらしているように思います。
遥か昔から、近代化の準備が出来上がっていたのだとも考えられて、少し畏いくらいの感動を覚えました。
アジアの国々で近代化を達成出来たのは日本だけですが、それって当たり前ぐらいの事なんですね。
これだけ下地が有ったんですから。欧米に負けない、いやそれ以上の発展が出来たんですね。
そう考えると、今を生きる私たちも、百年後、五百年後の日本人の為になるような生き方をしないといけないと、痛感致しました。
.
りら HAPPY VALENTINE FROM PRINCESS RIRA
りら姫のお城にご招待致します
お時間 おありでしたら 御出で下さい
お待ちしています
.
なみなみ こんばんは!
釈迦に説法をしてしまいますが、こういう問題は現代でも、
もっともっと議論されていいと思いますので、
あえて少し反論を・・・w
天皇の主権を否定していると断ずるのは少し議論の余地があると思います。
実際の歴史の中で、天皇機関説をも否定する憲法解釈をしていましたし、
天皇主権の否定と断ずるのは、難しいと思います。
また、天皇に主権が無いのなら、どこに主権があるのか明確ではありません。
否定しているよいうよりは、天皇主権をぼやかしていると表現した方が適当ではないでしょうか。
あと、現在の象徴天皇と大きな差がない、というのも少し違和感を感じます。
全体主義に対して、天皇を中心とした宮中勢力は明らかに抵抗していますし、
実際、天皇の意向を汲んで内大臣や元老はある程度動いていたと思うのです。
最後には「御聖断」も下していますし、
現在の「象徴天皇制」とは少し違う存在だったような気がします。
憲法に定義されていながら、
憲法外の存在でもあった、と私は勝手に解釈してます;
しかし、今回の記事の憲法解釈が本来の姿だとしたら、
実際の憲法運用はかなり歪んだものになっていたと私は思います。
それだけ隙のある憲法だった、ということでしょうか。。。
.
MAHHYA 今日のセミナーでは、ありがとうございました。
熱い講義、説得力のある説明、お話がスンナリと入っていきました。
とってもとっても、参考になりました。
「目先の利益に走って・・・」の件りで、それって私のことかも、とふと思ってしまいました(>_<)
自分の本当の目標に向けて、またがんばろうという気持ちになりました。
ありがとうございました。ブログでも、ご紹介させていただきます。
お会いできて、うれしかったです(^_^)
.祝 東京初講座!!
nyaaomi とても楽しみにしていたのに
仕事が入ってしまい参加できなく残念です。
内容はまたブログを拝見させて頂きたいと思っています。
HANA子さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、プロイセン(ドイツ)の憲法の影響を受けているとともに、イギリスの議会制も巧みに導入していますね。単なる「西洋のマネ」で終わるのではなく、我が国の風土に合うように工夫しているのがよくわかります。
明治天皇のエピソードは有名ですね。同じことは昭和天皇の第二次大戦への参戦の際にもいえます。
> それにしても明治憲法をはじめ、明治・大正・昭和初期は自ら進んで学ぼうとしないとわからないことが多すぎますね
私もそう思います。
本来は筋の通った公平なモノの見方の教育があって差し支えないはずなのですが…。
伝次郎さんへ
黒田裕樹 確かに、外国語の和訳によって印象がかなり変わってくると思います。godとカミとでは全く異なるのですが、このあたりは西洋文化への深い理解が必要でしょうし、またそれ以外に訳しようがなかったのかもしれません。
いずれにせよ、難しい問題ですね。
kikuziさんへ
黒田裕樹 そうですね。憲法ができたから近代化を達成できたのではなく、天皇のご存在が憲法による近代化を後押ししたといえるでしょう。
歴史はつながるものですから、仰るとおり私たちの世代もしっかりとしなければいけませんね。
明治憲法における「臣民の権利と義務」は、第十九条から第三十五条まで規定されており、それらを簡潔にまとめると以下のとおりとなります。
第十九条 誰でも平等に公務員になれる権利
第二十条 兵役の義務
第二十一条 納税の義務
第二十二条 居住や移転の自由
第二十三条 不当な逮捕(たいほ)の禁止
第二十四条 裁判を受ける権利
第二十五条 住居不法侵入(しんにゅう)の禁止
第二十六条 手紙の秘密を守る権利
第二十七条 財産権 第二十八条 信教の自由
第二十九条 言論、出版、集会、結社の自由
第三十条 政治に意見を言う権利(=請願権)
第三十五条 選挙権
19世紀末に制定されたという事情を考えれば、かなり多くの権利が認められているといえるのではないでしょうか。ちなみに生存権(=社会権)がないのは、それ自体が20世紀に考え出された権利だからであり、明治憲法に含めるのは無理がある話です。
実は、明治憲法は多くの権利や自由を国民に認めた「進んだ憲法」と世界中の当時の学者から評価されており、逆に近代化を始めたばかりの我が国が「これだけ国民の権利を認めて国としてやっていけるのか?」と心配されたというエピソードが残っているのです。
では「法律による制限」という概念はどう解釈すべきでしょうか?




いつも有難うございます。
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ケンシロウ こんにちは。
本日の記事が書かれているところを見ると
無事に戻られたようですね。
昨日の講座も盛況だったことと察します。
第二十条 兵役の義務・・・もう一度復活させて
今の若者を鍛え直すのは如何でしょう?
こんなことを書くと若い方から非難を受けそうですね。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > 本日の記事が書かれているところを見ると
> 無事に戻られたようですね。
> 昨日の講座も盛況だったことと察します。
有難うございます。
本日の更新は予約投稿でして、今現在(14日午後)も東京にいます(笑)。
講座の方はお蔭様で大盛況でした。詳しい内容は帰宅してからご紹介しますね。
> 第二十条 兵役の義務・・・もう一度復活させて
> 今の若者を鍛え直すのは如何でしょう?
> こんなことを書くと若い方から非難を受けそうですね。
独特のご意見ですね。
実際の兵役は難しいかもしれませんが、現行の自衛隊あたりの体験入隊なら…って、同じですよね(^^ゞ
.
伝次郎 生存権が20世紀にできた価値観とは知りませんでした。何かと日本を否定する人がいるのでこういう一つ一つのことを知ることがとても大事だと思いました。
ちなみに兵役復活は賛成派です。
あと本来の武道の復活に断固賛成です。心身の健康、鍛錬のためにも。
講道館では外国の人が多いようで、年輩の方もされるそうです。
日本人が武道をスポーツ視しているのが大問題です。(色々言いたいことが噴出しそうなのでここまでで止めます。)
アメリカでは徴兵制が廃止となり、そのあとは傭兵など寄せ集めの軍隊になり非常に野蛮になったそうです。軍人は自国民で責任を持ってやるべきです。人任せは危険です。
.
ぴーち こんばんは!
東京講座、無事に終えられ、
大盛況であった事を伺い、私もブログ上だけのお付き合いとはいえ、自分の事の様に大変嬉しく存じました^^
また、後ほど、動画でそのご様子を
確認させてくださいね^^
大変、お疲れ様でした!
記事に関係ないコメントにて、失礼いたします。
応援凸
伝次郎さんへ
黒田裕樹 生存権(=社会権)については、第一次大戦後のドイツのワイマール憲法で初めて定義されたといわれますから、明治憲法にルーツを求めるというのは無茶な話です。こういった一つ一つの真実を確実に押さえていく必要がありますね。
最近は武道が見直されてきているのは良い傾向ですが、仰るとおり単なるスポーツの扱いで済まされるのは困った話ですね。我が国の誇れる伝統や文化でもあるのですが…。
傭兵の弱点は、仰るとおり責任感の欠如ですね。実は東京講演でも少々触れておりますので、そちらでもご覧いただければ幸いです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私の講座の成功を我が事のように喜ばれるぴーちさんのお気遣いに感謝いたします。
講座の内容は18日から順次紹介していきますので、楽しみにお待ちくださいね!(^o^)丿
.
紗那 ああ、そうか。二十世紀の憲法じゃないんだった・・・・・・
確かにそうやって考えると、ぜんぜん日本国憲法にもひけをとらないものですねー。なるほど。ちゃんと見れば分かるのか・・・・・・
法律のryの話にも期待してますー
紗那さんへ
黒田裕樹 > ああ、そうか。二十世紀の憲法じゃないんだった・・・・・・
> 確かにそうやって考えると、ぜんぜん日本国憲法にもひけをとらないものですねー。なるほど。ちゃんと見れば分かるのか・・・・・・
そのとおりです。繰り返しになりますが、どうして先入観だけで物事を決め付けてしまうのでしょうか…。正当な教育の重要性を改めて思い知りますね。
> 法律のryの話にも期待してますー
今日(15日)の講座で内容を明らかにしましたよ。
是非お読み下さいね(^_^)v
.
HANA子 金子堅太郎の恩師で、後の連邦最高裁判所裁判官オリバー・ホームズが明治憲法に対して、
「日本古来の歴史、制度、習慣に基き、而してこれを修飾するに欧米の憲法学の論理を適用せられたるにあり」
と賞賛して、なおかつ君主権の制限と国民の政治参加を成り立たせたと、この明治憲法が日本のみならず世界の発展に寄与するものだと言っています
ホームズ氏だけでなく、このように明治憲法を手放しで賞賛している著名な法律家や政治家は多いのですけど、
やっぱり・・・・・・ほとんど人に知られていないンですよねぇ・・・・・・
HANA子さんへ
黒田裕樹 国内での評判が悪い、あるいは無視されているのに、世界での評判は高い。
明治憲法に限らず、我が国でこのような扱いを受けている法律や出来事がいかに多いことでしょうか…(´・ω・`)
同じようなある歴史上の事実について、早ければ4月にも講座で取り上げる予定です。我が国の隠された本当の歴史を、多くの皆様に知って欲しいと切望します。
また、これも少し考えれば理解できることですが、この世に「無制限の権利や自由」なんてそもそも存在するのでしょうか?
もしそんな権利があるとすれば、結局は無秩序(むちつじょ)な世界となってしまい、平安時代や戦国時代のように「力あるものが勝つ」という、実に住みにくい社会になってしまいますよね。つまり、近代法治主義(きんだいほうちしゅぎ)の原則から考えれば、権利や自由が「法律により制限されている」のはむしろ当然であるといえるのです。
さらに、この原則は日本国憲法においても例外ではなく、「公共の福祉」(こうきょうのふくし)の名のもとに権利や自由が制限されているのは有名な事実です。
これまで述べてきたように、明治憲法には「天皇大権」など存在せず、むしろ日本国憲法の「象徴天皇制」に近い制度であったことや、国民の権利や義務も現在とさほど変わらず、法律による制限も当然のことであると理解できるようになりましたが、どんな法律にも欠点があるものです。明治憲法も、制定の際には考えもつかなかった欠陥(けっかん)によって、我が国が戦争へと進むきっかけをつくってしまったのでした。
いわゆる「統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)問題」のことです。




いつも有難うございます。
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桃源児 講座、拝見しました。大変わかりやすく、惹きつけられました。
近代史にはそんなに強くなく、明治憲法もよく知らなかったのですが、日本国憲法とあまり差がないというのは、意外な気がしました。
今後、日本も自主憲法の制定ということが起こるかもしれませんが、その時には、これら二つの憲法を越えるものであって欲しいです。
桃源児さんへ
黒田裕樹 > 講座、拝見しました。大変わかりやすく、惹きつけられました。
有難うございます。私にとっては何よりも勇気づけられるお言葉です。
> 近代史にはそんなに強くなく、明治憲法もよく知らなかったのですが、日本国憲法とあまり差がないというのは、意外な気がしました。
> 今後、日本も自主憲法の制定ということが起こるかもしれませんが、その時には、これら二つの憲法を越えるものであって欲しいです。
明治憲法に対する誤った(?)イメージが完全に定着していますからね。もっとも、それには明日から述べる理由もからんでいるのですが…。
自主憲法の制定は、占領からの脱出以来の我が国の悲願でもありますからね。もし実現できるのであれば、是非とも我が国の風土や伝統、それに国益にかなう内容の憲法であって欲しいものです。
.
HANA子 以前の記事で問題点があるって指摘があった時、多分この統帥権のことなんだろうなぁと思っていたんですが・・・やっぱりこれでしたね
後に日本の先行きを狂わせてしまったコレ
もちろんこれだけが原因ではないにしろ・・・・・・これがなかったらと思わずにはいられない気持ちがします
実は今書いてる日露戦争のお話、これに軽く触れて〆とするつもりでいるんです
あとどれくらいしたら終るのか、ホントのところ自分でも見えてないのはヒミツです^^;
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 以前の記事で問題点があるって指摘があった時、多分この統帥権のことなんだろうなぁと思っていたんですが・・・やっぱりこれでしたね
> 後に日本の先行きを狂わせてしまったコレ
> もちろんこれだけが原因ではないにしろ・・・・・・これがなかったらと思わずにはいられない気持ちがします
私もそう思います。物事には「想定外」のハプニングが多いとはいえ、この問題が発生してしまったことが、我が国の運命を大きく狂わせる原因の一つになってしまったのは、残念ながらまぎれもない事実ですからね…(´・ω・`)
さらに無念なのは、この問題はひょっとしたら「自然消滅」した可能性があるんですよ。それに火をつけたのは…。
> 実は今書いてる日露戦争のお話、これに軽く触れて〆とするつもりでいるんです
> あとどれくらいしたら終るのか、ホントのところ自分でも見えてないのはヒミツです^^;
それは楽しみですね。足しげく通わねばなりません(^^♪
.
りら バレンタインにりらのお城に来て下さり
ありがとう御座います
コメント嬉しかったです
またご訪問お待ちしています
りらさんへ
黒田裕樹 こちらこそ、素敵なバレンタインを有難うございました。
もちろん次回以降も参りますので、よろしくお願いします。
.
tursiops 一日遅れですが、お誕生日おめでとうございます。
これからも更新楽しみにしております。
tursiopsさんへ
黒田裕樹 > 一日遅れですが、お誕生日おめでとうございます。
> これからも更新楽しみにしております。
有難うございますm(_ _)m
楽しみにお待ち下さる皆様のご期待を裏切ることのないよう、今後も更新を続けますね(^^♪
.
てっちゃん中尉 コメントが遅れて申し訳ないです。お誕生日おめでとうございます!!
黒田さんのパワーで厄がぶっ飛んで楽しい一年になりますように
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > コメントが遅れて申し訳ないです。お誕生日おめでとうございます!!
> 黒田さんのパワーで厄がぶっ飛んで楽しい一年になりますように
有難うございます。ブログでも紹介して下さって、嬉しい限りです(^o^)丿
本厄ですけど、確かにパワーで吹っ飛ばせれば痛快ですね(笑)。
いっちょう頑張りましょうか!
条文を素直に読めば、統帥権(=軍隊を指揮する権利)は天皇のみが有するという規定ですが、実際にはもちろん天皇ご自身が指揮を取られることはなく、議会や国務大臣(=内閣)、裁判所と同様に、陸軍や海軍の責任者が握っていました。
この条文が他と独立して設けられたのには、戦争を決断したり、あるいは終わらせたりするのは政治家の職務ですが、戦争開始後の指揮権は軍人に任せた方がよいであろうという判断からくるものでした。これを「統帥権の独立」といいます。
明治憲法が制定された当時は、明治維新の元勲(げんくん、国家に尽くした大きな功績のある人のこと)であった、いわゆる元老(げんろう)が大きな力を持っているのみならず、西南戦争などの不平士族の反乱から生き残った、経験豊富で精強な軍隊もしっかりした国家観を持っており、統帥権の独立など全く問題になりませんでした。
しかし、時が流れるに従って元老のほとんどが死亡し、また軍隊も経験不足であるうえに頭脳が優秀な人々が多くなったことや、第一次世界大戦後の世界各地で軍縮の動きが活発になり、相対的に軍隊の価値が下がったことで、軍人の不満が次第に大きくなっていきました。
そんな折の昭和5(1930)年にロンドン海軍軍縮会議が行われ、我が国が各国と海軍の補助艦(ほじょかん)の数を制限する協定を結んだことが明らかになると、軍部は「海軍軍令部長の同意を得ないで政府が勝手に軍縮条約を調印した行為は、憲法に定められた統帥権の干犯(=干渉して他者の権利を侵すこと)である」として政府を攻撃しました。




いつも有難うございます。
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イルカ お久しぶりです^^
あ。
そういえば…
ロンドン軍縮会議とワシントン会議って
違いますよねっ!?
↑
友達に聞かれて困りました。。。汗
.
なみなみ こんばんは!
前回はややこしい反論に丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。
元老が軍部に影響力を持っていた時代は、それほど問題は起こらなかったんだと思います。
でも、最後に残った元老は軍部に影響力を持つことが出来なかった。
そういう状況になったとき、
制度上の欠陥があらわになったのだと思います。
元々、超然主義を標榜する藩閥政治のために作られた憲法の、そこが限界だった、
と思うのですが、いかがでしょう?
イルカさんへ
黒田裕樹 > お久しぶりです^^
お久しぶりです(^^♪
コメント復活ですね!(^o^)丿
> あ。
> そういえば…
> ロンドン軍縮会議とワシントン会議って
> 違いますよねっ!?
> ↑
> 友達に聞かれて困りました。。。汗
ワシントン会議には色々ありますが、ロンドン軍縮会議と紛らわしいのは1922年の会議が有名ですね。
この会議で第一次大戦の戦勝国の利益調整が行われました。
我が国では主力艦の制限を認めたワシントン海軍軍縮条約を結んだほか、中国における権益をアメリカと認め合った石井・ランシング協定が締結されたことが有名です。ただ、長年続いたイギリスとの日英同盟が廃棄されたのは、我が国にとっては残念なことでした。代わりに結んだ日米英仏の四カ国条約は日英同盟に比べると弱く、後の米英との対立につながっていくんですよね(´・ω・`)
なみなみさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> 前回はややこしい反論に丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。
いえいえ、建設的なご質問は大歓迎です。私も勉強になります。
> 元老が軍部に影響力を持っていた時代は、それほど問題は起こらなかったんだと思います。
> でも、最後に残った元老は軍部に影響力を持つことが出来なかった。
> そういう状況になったとき、
> 制度上の欠陥があらわになったのだと思います。
まさに仰るとおりだと思います。我が国は維新の成功を重視するあまり、元老に任せきりだった一面がありますね。
> 元々、超然主義を標榜する藩閥政治のために作られた憲法の、そこが限界だった、
> と思うのですが、いかがでしょう?
憲法そのものは非常に民主的だったと思いますが、議会開設当時は対外戦争が二度も起こるなど我が国を取り巻く環境はまだまだ不安定で、藩閥中心の「強い政府」にならざるを得なかったと思います。大正になってようやく民主政治が実現できるのですが、その間に憲法の制度上に欠陥を補正できなかったことが悔やまれます。
どんなに立派な法律でも、運用次第で国を危うくする。このことは何も戦前に限らず、21世紀の現代でも十分警戒する必要があるでしょう。
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りら 統帥権の独立
なんて初めて知りましたよ
毎日 学生に戻った気分です
明日も楽しみにしています
黒田さん 映画好きですか?
私は大好きです
今日の私のアップはインビクタス
です ノンフィクションです
お時間ある時ご訪問くださいね
りらさんへ
黒田裕樹 現代の我が国では「統帥権」の言葉そのものが珍しくなりましたからね。
平和なのは良いことですが…。
普段は忙しくて映画をなかなか見ることはないのですが、
まずはりらさんのブログで勉強ですね(^o^)丿
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ケンシロウ こんにちは。
遅くなりましたが4年1組の誕生日おめでとうございます。
先生にとって素敵な一年になると良いですね。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > 遅くなりましたが4年1組の誕生日おめでとうございます。
> 先生にとって素敵な一年になると良いですね。
そういえばようやく存在しない「0組」から脱出したんでしたね(笑)。
ケンシロウさんらしいお言葉、有難うございます(^_^)v
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HANA子 この統帥権云々の問題を持ってきて、明治憲法は軍部の独走を防げなかった欠陥憲法で大日本帝国は非民主的な悪辣国家だった
なんて論陣を張る人や団体もいますが、
実際の所、日清・日露戦争の例を見てみると、きちんとシビリアンコントロールも働いていて、少なくとも軍部の力が強くはあっても、政府が制御できている国家ではあったんですよね
明治が良くて、昭和が総て悪いなんてことは言いませんけど、明治期の日本は独裁国家でも全体主義国家でもなかった・・・
いいかげん「大日本帝国は始まりから終わりまで暗黒国家だった」みたいな極端な与太話はうんざりなところです
ところが、時の野党である立憲政友会(りっけんせいゆうかい)が「与党の攻撃材料になるのであれば何でもよい」とばかりに統帥権干犯問題を政争の具として軍部と一緒になって政府を攻撃したことで、話が一気に拡大してしまったのです。ちなみに、この時に政府を激しく非難した政友会の議員の一人である鳩山一郎(はとやまいちろう)は、鳩山由紀夫首相の祖父です。
条約そのものは何とか批准(ひじゅん、国家が条約の内容に同意すること)出来たのですが、当時の首相であった立憲民政党(りっけんみんせいとう)の浜口雄幸(はまぐちおさち)が、東京駅で狙撃(そげき)されて重傷を負うという事件が発生してしまいました。
その後の我が国は、国家としての統制のとれない二重政府(にじゅうせいふ)の状態と化してしまったことによって、統帥権を盾(たて)にした軍部の暴走を政府が止めることができず、やがては「昭和の悲劇」ともいえる戦争状態へと突き進む原因の一つになってしまいました。
統帥権の独立は明治憲法の重大な欠陥だったのでしょうか。あるいは解釈や運用の誤りだったのでしょうか。ただはっきりといえることは、統帥権干犯問題が戦争の引き金となり、我が国が敗戦したことによって、明治憲法はその存在を否定され、連合国軍最高司令官総司令部(=GHQ)の命令によって日本国憲法が新たに制定された、ということです。
では、日本国憲法の制定に関する経緯や、その内容についてはどうなのかという問題が気になるところですが、これらについては、いずれ機会があれば改めて紹介したいと思っております。
※第9回歴史講座の記事はこれで終了です。なお、明日(2月18日)からは第10回歴史講座の内容の更新を開始します。




いつも有難うございます。
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Masa 今回の歴史講座、すべて拝見させていただきました。
とても面白かったです。
学校の教科書の知識だけでは、表立って話すのは恥ずかしいですねw
「明治憲法」が、実はその当時の憲法としてとてもすばらしいものだったということに、とても驚きました。
楽しい講座をありがとうございました。
明日からも期待していますv
.
オバrev きっちり解釈すると、明治治憲法に対する認識がこうも違っていたとは驚きです\(◎o◎)/!
国家的重要事項を、政争の道具としてしまったことに、悲劇的な大戦に突っ走ってしまった一つの要因があったんですね。
与野党ですから政治的対立はあるでしょうが、根本的な事に関しては、政治家ならある程度同じはずなのにと思います。
繰り返して欲しくないですが、現在も同じ過ちを繰り返しつつあるような気もします(^^;)
.はじめまして
クメゼミ塾長 通信教育で教員免許を取得・・・
⇒ 努力されているのですね
私の兄弟や甥っ子は、教師が多いです
教師復帰、頑張ってください
応援します~♪
.
ぴーち こんばんは!
重大な欠陥があっても、20年も掛けて構想を練り制定された憲法をおいそれとは、改定出来るわけもなく、昭和の悲劇である「戦争」という大きな深手を負うことで、日本国憲法へと新たな新法へ改定する事となったわけですか。
改定されるまでの代償は余りに大きかったですね(><)
応援凸
Masaさんへ
黒田裕樹 > 今回の歴史講座、すべて拝見させていただきました。
> とても面白かったです。
有難うございます。お気に召していただいて光栄です。
> 学校の教科書の知識だけでは、表立って話すのは恥ずかしいですねw
> 「明治憲法」が、実はその当時の憲法としてとてもすばらしいものだったということに、とても驚きました。
教科書の知識は必要最小限のみですからね。それでも正しければ何の問題もないのですが…。
通常の歴史教育のみならず、様々な知識を持つことは決して無駄ではないと思います。
> 楽しい講座をありがとうございました。
> 明日からも期待していますv
明日からは東京講演の「信長と信玄」が始まります。是非お越し下さい(^o^)丿
オバrevさんへ
黒田裕樹 > きっちり解釈すると、明治憲法に対する認識がこうも違っていたとは驚きです\(◎o◎)/!
残念ながら、現状の歴史教育や公民教育では、なぜかこういう結果になってしまいます(´・ω・`)
通常の解釈による明治憲法の論議がもっと盛り上がればいいのですが…。
> 国家的重要事項を、政争の道具としてしまったことに、悲劇的な大戦に突っ走ってしまった一つの要因があったんですね。
そのとおりです。第二次大戦への参戦、そして敗北に至る道のりは非常に複雑ですが、少なくとも統帥権干犯問題が原因の一つであることは疑いありません。
> 与野党ですから政治的対立はあるでしょうが、根本的な事に関しては、政治家ならある程度同じはずなのにと思います。
> 繰り返して欲しくないですが、現在も同じ過ちを繰り返しつつあるような気もします(^^;)
「政争の具のためなれば何でも良い」「党利党略のためなら国益を損なおうとも一向に構わない」。
これこそいわゆる「いつか来た道」ではないかと思うのですが…。歴史に学ぶことはいくらでもあるはずです。
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 はじめまして。当ブログへのご訪問ならびにお言葉有難うございます。
> 通信教育で教員免許を取得・・・
> ⇒ 努力されているのですね
いえいえ、好きで始めたことですから。
一時でも教師になれて、良かったと実感しています。
> 私の兄弟や甥っ子は、教師が多いです
> 教師復帰、頑張ってください
> 応援します~♪
有難うございます。
今後ともよろしくお願いします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 重大な欠陥があっても、20年も掛けて構想を練り制定された憲法をおいそれとは、改定出来るわけもなく、昭和の悲劇である「戦争」という大きな深手を負うことで、日本国憲法へと新たな新法へ改定する事となったわけですか。
> 改定されるまでの代償は余りに大きかったですね(><)
我が国では一度制定された憲法は、他の法律と違っておいそれと改正できないようですね。
それが昭和の悲劇を生む原因の一つになりました。ひるがえって現行の憲法はどうでしょうか…。
.黒田裕樹さん
りら 連合国軍最高司令官総司令部(=GHQ)の命令によって日本国憲法が新たに制定された、ということです。
いくら戦争に負けたからといって
勝手に日本の国の憲法を他国で作っ
ことについては 以前より不満です
りらさんへ
黒田裕樹 > いくら戦争に負けたからといって
> 勝手に日本の国の憲法を他国で作っ
> ことについては 以前より不満です
りらさんのお気持ちももっともだと思います。
独立国でありながら、占領時に「押し付けられた」憲法をいただくことへの不満。
とはいいながらも、60年以上もその憲法を遵守(じゅんしゅ)しているという現実。
日本国憲法を語るには、私自身も更なる理解が不可欠だと感じております。