「先の戦争によって先祖(せんぞ)からの領土や国民の多くの生命を失い、大変な災厄(さいやく)を受けた。この際、私としてはどうすればよいのかと思い、退位も考えた。しかし、よくよく考えた末(すえ)、全国を隈無(くまな)く歩いて国民を慰め、励(はげ)まし、また復興(ふっこう)のために立ち上がらせるための勇気を与えることが自分の責任と思う」。
「このことをどうしても早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官(くないかん、宮内省の役人のこと)たちは私の健康を心配するだろうが、自分はどんなになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかはまったく考えることなくやってほしい。宮内官はその志(こころざし)を達するよう全力を挙げて計画し実行してほしい」。
今までに経験したことのない敗戦を喫(きっ)して、大きく傷ついた国民を励まし、復興へ向けて立ち上がらせる勇気を持たせたい。そのためには自分の生命がどうなってもかまわない―。そんな昭和天皇の崇高(すうこう、気高く尊いこと)なるお考えを、GHQが理解できるはずがありませんでした。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
去年、新型インフルエンザの猛威が日本を襲いましたが、日本はインフルエンザの場合は学校保健法で定められている出席停止措置がとられ、本人は数日間完治するまで学校を休まなければなりませんが、その当時、ある中国人の学生さんのブログに、日本がインフルエンザで学級閉鎖や、学校閉鎖までも行う事に疑問を感じ、日本はなぜにそこまで人の命を大切に思うのだろうか・・という様な疑問を投げかけていた文章を思い出しました。日本人はこうしてみると、昭和天皇の崇高なお気持ちには敵わないにしても、他人の事を思いやる気持ちを持ち、他人の為なら自分の命さえ、投げ打ってまで相手を助けてあげたいという気持ちを嘗ては持ちあわせていたように思います。
それがいつしか他の国からの受け売りや批判やらに同調して、本来の日本人らしさが失われて来ているのが嘆かわしくもあります。日本人の良さを見失われてしまっているのが、残念ですね。
けれどインフルエンザに話を戻させていただくと、自分が経験した苦しい思いを他にうつしてしまうのは心苦しいとか、それ以上広がらない様にしなければならないという気持ちを持ち、他人に迷惑をかけまいと気遣いをする心はまだ廃れた訳ではないことが唯一の救いでもあります。
そういう日本人の思いやりは、昔も現代でも外国人には理解し難い事なのだなとつくづく感じます。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、日本人にとって当たり前だった「生命を大切にする思い」「自分の生命よりも他人の生命を優先する」という考えが失われつつあるのが残念ですね(無論、他人のことは言えないのですが)。
昭和天皇のお考えは、多くの日本人の思いよりもさらに深いものであるがゆえに、GHQに分かるわけがありません。だからこそ、次回(8日)のような誤解を生んでしまうんですよね…。
紗那 たしかにこのような、自分の命をなげうってでも他人を助ける、という考え方は、日本特有とまでは言わなくても、かなり日本的な考え方ですよね……
単純に国民を煽ろうとしている、という風にGHQは受け取ったんでしょうか……
紗那さんへ
黒田裕樹 > たしかにこのような、自分の命をなげうってでも他人を助ける、という考え方は、日本特有とまでは言わなくても、かなり日本的な考え方ですよね……
仰るとおり、日本的ですね。私たちは自然と受け入れられるのですが…。
> 単純に国民を煽ろうとしている、という風にGHQは受け取ったんでしょうか……
なるほど、そういう解釈もありますね。
GHQは最終的にご巡幸を許可するのですが、その理由は…次回(8日)に分かります。
HANA子 この辺の内容は本で読んだ覚えがあります
GHQ高官の思惑や言葉に憤った覚えも
明日の…もう今日ですが、更新で語られるのでしょうね
話は変わりますが最近原武史氏の「大正天皇」を読み始めました。
これまでの大正という時代への見方が変わるとともに、この時代があって昭和という時代、昭和天皇という存在をより深く受け止めることが出来そうな気がします。
HANA子さんへ
黒田裕樹 > この辺の内容は本で読んだ覚えがあります
> GHQ高官の思惑や言葉に憤った覚えも
> 明日の…もう今日ですが、更新で語られるのでしょうね
はい、今日(8日)の更新で明らかになります。
国によって環境や考えが異なるというのがよく分かりますね。
> 話は変わりますが最近原武史氏の「大正天皇」を読み始めました。
> これまでの大正という時代への見方が変わるとともに、この時代があって昭和という時代、昭和天皇という存在をより深く受け止めることが出来そうな気がします。
大正天皇はご病弱ということもあってご生涯が結構謎に包まれていますね。
でも、仰るとおり大正時代があってこその昭和ですから、短くとも重要であったと思います。
それだけに、陛下のご巡幸の計画を聞いたGHQも、当初(とうしょ)は「天皇の意図(いと)がわからない」と怪(あや)しみましたが、やがて一つの確信を得るに至って、敢(あ)えて許可したのでした。
「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだから、旅先で石のひとつでも投げられればいいのさ」
「ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背(ねこぜ)の小男(こおとこ)であるということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、ということをね」
「それこそが生きた民主主義の教育というものだよ」
GHQの役人たちには、昭和天皇がご巡幸によって多くの国民から無視され、蔑(さげす)まれ、疎(うと)まれ、あるいは暴力をもって迎えられるといった惨(みじ)めな姿しか想像できませんでした。しかし、彼らの期待は別の意味で大きく裏切(うらぎ)られることになるのです。




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晴雨堂ミカエル イッセーオガタ氏の「太陽」でもアメリカ人(というより世界標準)の感覚がよく出ていますね。
昭和天皇が背広を着た姿がチャップリンに似ている事から、進駐軍兵士たちはチャーリーと渾名し、昭和天皇もそれに応えて米兵の前で仕草を真似たり。
マッカーサーは「子供みたいな男だ」と感想をもらす場面があります。
世界の常識で解釈された昭和天皇とマッカーサーの会見、とみるべきでしょう。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、相手国の歴史などを知らないが故のGHQの解釈でしょう。占領政策において自国の価値観を強引に押し付けたことも影響していると思います。
もっとも、戦後の我が国も歴史を知らないことで、官民ともに諸外国で常識では理解できない行動をとることがあるのは以前にお伺いしたとおりですが…。
ぴーち こんばんは!
歴史に疎い私如きが言える事ではありませんが、
それまで天皇陛下というお名前を聞いただけでも、
そこの居合わせた国民の緊張感は只ならない事であり、ましてや、天皇陛下は神だと崇められていた存在であった状況で、
戦争に惨敗したからと言って直ぐ様その結果を天皇のせいにするというのは、とても考えにくい事だと同じ日本人として感じます。
単純に日本が負けたのは、相手国のせいだと思いたい程です(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 歴史に疎い私如きが言える事ではありませんが、
> それまで天皇陛下というお名前を聞いただけでも、
> そこの居合わせた国民の緊張感は只ならない事であり、ましてや、天皇陛下は神だと崇められていた存在であった状況で、
> 戦争に惨敗したからと言って直ぐ様その結果を天皇のせいにするというのは、とても考えにくい事だと同じ日本人として感じます。
> 単純に日本が負けたのは、相手国のせいだと思いたい程です(^_^;)
仰るとおり、日本人の感性は他国とは全く異なるところがありますからね。
その背景には連綿と続く我が国の歴史があり、歴史の浅い他の国にはなかなか理解できないでしょう。
当然GHQにも分かるはずがなく、本文のような対応になったと思われます。
最初のご巡幸先である昭和電工の付近は終戦後にアメリカ軍が接収(せっしゅう、権力機関が個人の所有物を強制的に取り上げること)しており、我が国の中でも占領色が一段と濃(こ)い場所でした。それだけに、会場には外国のカメラマンやアメリカ兵たちがひしめき合っており、彼らによって昭和天皇はあちこち引っ張られるなどもみくちゃにされました。
しかし、陛下は全く意に介(かい)されずに社長の説明を静かにお聞きになり、また工員たちには「生活状態はどうか」「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」など細(こま)かくお尋ねになりました。外国人から何をされても「耐(た)え難(がた)きを耐え」、また口先だけとは考えられない陛下の工員たちに対するお優しいお姿に、涙が止まらない人もいたそうです。
「わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民(たみ)の心を うれしとぞ思ふ」
昭和21年のご巡幸の際における陛下の御製です。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今上天皇、または皇太子が〇〇へご視察されましたというニュースをよく耳にしますが、昭和天皇が現地へ訪問、視察という習慣を最初に築かれた訳ですね。
いくら昭和天皇は「神」では無いと宣言されても、やはり崇高なお考えでいらっしゃっるお心は内面から自然に滲み出るものですよね。そのお姿を目の当たりにされた国民は、より一層天皇陛下への尊敬の念を新たにされた方も多かったのではないかと黒田さんの記事から、感じました^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今上天皇、または皇太子が〇〇へご視察されましたというニュースをよく耳にしますが、昭和天皇が現地へ訪問、視察という習慣を最初に築かれた訳ですね。
> いくら昭和天皇は「神」では無いと宣言されても、やはり崇高なお考えでいらっしゃっるお心は内面から自然に滲み出るものですよね。そのお姿を目の当たりにされた国民は、より一層天皇陛下への尊敬の念を新たにされた方も多かったのではないかと黒田さんの記事から、感じました^^
有難うございます。
仰るとおり、昭和天皇のお心はそのお立ち振る舞いから自然とにじみ出ていたと思われます。だからこそ、真摯なお姿に涙する国民もいたのでしょうね。
しかし、陛下は「戦災(せんさい)の国民のことを考えれば何でもない。十日ぐらいは風呂に入らなくてもかまわない」と全く気にされることもなく、元気にご巡幸の毎日をお過ごしになられました。
昭和22(1947)年8月の暑い盛(さか)りに福島県の炭坑(たんこう)をご巡幸された際には地下450mの地底まで降りられ、さらに40度を超える炎暑(えんしょ)の坑内(こうない)を150mも歩かれて、居並(いなら)ぶ坑夫(こうふ)たちを激励(げきれい)されました。
当時は石炭(せきたん)が貴重(きちょう)なエネルギーでしたが、陛下のお出ましに感激した坑夫たちによって、その後の出炭率(しゅったんりつ)が急上昇したそうです。以下は当時の情景(じょうけい)を詠まれた御製です。
「あつさつよき 磐城(いわき)の里の 炭山に はたらく人を ををし(=雄々し)とぞ見し」




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
まさか天皇陛下が地下450mもの地下のしかも40度もある場所に坑夫を激励に訪れるなどとは思っても見なかったでしょうね( ´゚д゚)(゚д゚` )
それだけに喜びや感激は一入だったのでは無いでしょうか。
ここでは天皇陛下のお話ですが、やはりその時代時代で有名な方が目の前に来て、(例えば映画スターなど)激励の言葉などを掛けてくれたら、それこそ一生忘れられない思い出となりますもの^^
所で今日は奇しくも東京大空襲の日ですね。
この場をお借りしまして、改めて哀悼の意を表したいと思いますm(__)m
私などは幸いにも、戦争を知らない世代に生まれましたが、色々な話、或いは映画などを鑑賞させていただくとやはり戦争の恐ろしさや愚かさをひしひしと感じます。これからの世も戦争という最悪なシナリオが日本の歴史に刻まれませんように切に願いたいものです。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > まさか天皇陛下が地下450mもの地下のしかも40度もある場所に坑夫を激励に訪れるなどとは思っても見なかったでしょうね( ´゚д゚)(゚д゚` )
> それだけに喜びや感激は一入だったのでは無いでしょうか。
> ここでは天皇陛下のお話ですが、やはりその時代時代で有名な方が目の前に来て、(例えば映画スターなど)激励の言葉などを掛けてくれたら、それこそ一生忘れられない思い出となりますもの^^
仰るとおり、一生の思い出でしょうね。
だからこそその後の出炭率が急上昇したのでしょう。やる気はいつでも重要ですね。
> 所で今日は奇しくも東京大空襲の日ですね。
> この場をお借りしまして、改めて哀悼の意を表したいと思いますm(__)m
> 私などは幸いにも、戦争を知らない世代に生まれましたが、色々な話、或いは映画などを鑑賞させていただくとやはり戦争の恐ろしさや愚かさをひしひしと感じます。これからの世も戦争という最悪なシナリオが日本の歴史に刻まれませんように切に願いたいものです。
アメリカによる、我が国に対する信じがたい無差別な虐殺ですね。
いつの世も戦争に巻き込まれるのは無辜の国民です。
願わくば戦争などあってほしくはないのですが…。
奉迎場(ほうげいじょう、身分の高い人をお迎えする場所)となった護国神社(ごこくじんじゃ)の跡地(あとち)には、何と7万人もの人々が集まりました。昭和天皇はマイクを使用されて以下のお言葉を発せられました。
「このたびは皆の熱心な歓迎を受けてうれしく思う。 本日は親(した)しく市内の災害地を視察するが、広島市は特別な災害を受けて誠(まこと)に気の毒に思う。広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献しなければならない」。
陛下の激励に対して、7万の群衆(ぐんしゅう)が一体(いったい)となって「天皇陛下万歳(ばんざい)!」と何度も何度も叫(さけ)びました。GHQの関係者は、特に天皇を恨(うら)んでいる者が多いと思っていた被爆地(ひばくち)の広島でのこの様子に驚(おどろ)くとともに恐(おそ)ろしくなりました。翌昭和23(1948)年にご巡幸は一旦(いったん)中止となりますが、多くの国民の熱意によって昭和24(1949)年に再開されました。以下は広島における陛下の御製です。
「ああ広島 平和の鐘も 鳴りはじめ たちなほる見えて うれしかりけり」




いつも有難うございます。
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オバrev この講演を聴きながら何度涙したことでしょう。特に広島編では大涙(ToT)
陛下の広島ご巡幸は、広島市民よりの強い要望があってのことだと聞いています。
広島市だけでなく、戦艦大和を生んだ軍港呉へも立ち寄られ、多くの方々を励まされたそうです。
戦後の復興に果たした陛下のお役割は相当なものだったと思います。
これは長い歴史の中で培われた国民との信頼関係があるからこそではないでしょうか。
GHQには理解できなかったでしょうね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この講演を聴きながら何度涙したことでしょう。特に広島編では大涙(ToT)
有難うございます。オバrevさんは広島にお住まいですから、特に印象深かったのではないでしょうか。
> 陛下の広島ご巡幸は、広島市民よりの強い要望があってのことだと聞いています。
> 広島市だけでなく、戦艦大和を生んだ軍港呉へも立ち寄られ、多くの方々を励まされたそうです。
> 戦後の復興に果たした陛下のお役割は相当なものだったと思います。
> これは長い歴史の中で培われた国民との信頼関係があるからこそではないでしょうか。
> GHQには理解できなかったでしょうね。
仰るとおりですね。
我が国における天皇と国民との絆の深さは、他国から受けた戦争の傷跡で壊れるようなものではないことを、歴史の浅いGHQに理解できるはずがありません。
本当に報道して欲しいこと
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
3月11日にテレビの報道番組で、どこの放送局も
『まだ、2年経って、復興が進んでない被災地』ばかりを報道していました。
私は、もちろん、それは、問題だと思いながら、その時、どうも違和感を感じてしまいました。
というのも、どこの放送局も
戦後、日本が
何十万人も死んで、一面、焼け野原から、どう
(広島では十七万人、東京では一回で十万人が亡くなりました。)
復活したかを報道する番組も評論家もいないかったからです。
終戦では、義捐金、補助金、助成金も全く、ありませんでした。
それでも、当時の日本人は、泣いて、恨んでいる余裕もありませんでした。
それでも、日本人は、復活しました。
もう、評論はいいので、戦後の日本人がいかに
復興したかの物語を昭和天皇の御生涯とともに
放送して欲しいと思います。
そして、多くの日本人に『絆』の意味をわかって欲しいですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰ることはごもっともだと私も思います。
昭和24年5月22日、佐賀県にお入りになった昭和天皇は、主に満洲(まんしゅう、現在の中国東北部)で両親を亡(な)くした孤児たちを預(あずか)った因通寺(いんどおりじ)の洗心寮(せんしんりょう)にお越(こ)しになりました。
寮の各部屋の孤児一人ひとりに対して声をかけられた陛下は、一番最後の部屋で父と母の位牌(いはい)を抱いていた女の子に目を留(と)められ、お尋ねになりました。
「(位牌をご覧になって)お父さん、お母さん?」
「はい、そうです」。
「どこで?」
「父はソ満(そまん、ソ連と満洲のこと)国境で、母は引き揚げ(ひきあげ、国外で生活していた者が生活環境を捨てて自国に戻ること)の途中で亡くなりました」。
じっと女の子の顔をご覧になった陛下は、悲しそうなお顔をされてお言葉を続けられました。
「おさびしい?」
「いいえ、さびしくはありません。私は仏(ほとけ)の子供ですから、お父さんやお母さんに会いたいと思えば、み仏様の前に座(すわ)って呼びかければ、そばにやって来てそっと私を抱きしめてくれます。ですから私はさびしくはありません」。
昭和天皇は女の子の前に歩み寄られ、二度三度と頭をなでられると、
「仏の子供はお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」。
そう仰った陛下の目から、はたはたと涙が流れ落ちました。
「みほとけの 教(おしえ)まもりて すくすくと 生(お)ひ育つべき 子らにさちあれ」
上記の御製は、因通寺の境内に碑(ひ)となって建てられています。




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えめる このお話を読んで、涙が出ました。
温かい思いやりのお言葉と、答えた子どもの芯の強い気持ち。
その両方がそろってこその感動。
この時代だからこそ培われた心なのでしょうか。
いいえ、いまにおいても持ちえると思います。
私も、震災の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
世界中から援助の申し出があるとか。ありがたいですね。
えめるさんへ
黒田裕樹 > このお話を読んで、涙が出ました。
> 温かい思いやりのお言葉と、答えた子どもの芯の強い気持ち。
> その両方がそろってこその感動。
> この時代だからこそ培われた心なのでしょうか。
> いいえ、いまにおいても持ちえると思います。
有難うございます。
私も、現代においても通じる話だと信じております。
こんなときこそ、国民が一致団結して困難に立ち向かうべきでしょうから。
> 私も、震災の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
> 世界中から援助の申し出があるとか。ありがたいですね。
原発も含めて被害が深刻化している現状を鑑みれば、本当に有難いと私も思います。
ぴーち こんばんは!
黒田さんには、今回ご心配をお掛けいたしましたが、余震も少しずつ回数が減り、お陰様で平穏さが次第に戻りつつあります。
しかしながら、今回の未曾有の震災で尊い命が沢山奪われてしまった事に対し、ご冥福を心よりお祈り致します。
震災の影響で原発爆発放射能拡散問題も浮上し、今後の行方が気になる所です。
こちらの問題も正直、恐い話です。
それでは、記事とは関係ないコメントで
恐縮ですが、これにて今日は失礼致しますm(_ _)m
応援させていただきますね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 黒田さんには、今回ご心配をお掛けいたしましたが、余震も少しずつ回数が減り、お陰様で平穏さが次第に戻りつつあります。
> しかしながら、今回の未曾有の震災で尊い命が沢山奪われてしまった事に対し、ご冥福を心よりお祈り致します。
> 震災の影響で原発爆発放射能拡散問題も浮上し、今後の行方が気になる所です。
> こちらの問題も正直、恐い話です。
仰るとおり余震の心配や原発の情報など不安は尽きませんが、堂かこれ以上の災害が起きないことを切に願っております。
> それでは、記事とは関係ないコメントで
> 恐縮ですが、これにて今日は失礼致しますm(_ _)m
> 応援させていただきますね^^
事情が事情ということもございますから、もちろん結構ですよ。
ぴーちさんもどうぞお気をつけて。
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なおまゆ 涙がでるお話です。
今、地震で被災しておられる方々に、必要なのは、こうした精神的な支えですよね。テレビ画面で泣き叫ぶ子ども達をみると特に哀しくなります。不安ばかりですが、こういうときこそ、日本人であるという誇りと思いやりを持って行動しようという気持ちになります。
スーパーでは食品の買占めが横行しています。
空っぽの棚に寂しさを感じました。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > 涙がでるお話です。
> 今、地震で被災しておられる方々に、必要なのは、こうした精神的な支えですよね。テレビ画面で泣き叫ぶ子ども達をみると特に哀しくなります。不安ばかりですが、こういうときこそ、日本人であるという誇りと思いやりを持って行動しようという気持ちになります。
そうですよね。
こうした国難の際に、精神的な支えほど私たち国民の力になる者はないと思います。
過去の震災においても、両陛下のお越しでどれだけの国民が勇気を頂戴したことでしょうか。
> スーパーでは食品の買占めが横行しています。
> 空っぽの棚に寂しさを感じました。
震災における被害の大きさが、国民をパニックに陥れているようですね。
こういう時こそ冷静さを求めたいものです。
古代の天皇には、高いところにのぼって国を見渡し、その様子を褒(ほ)め称(たた)えることによって、天皇のお言葉で国を良くするという「国見」の風習がありました。例えば、仁徳天皇(にんとくてんのう)は宮殿(きゅうでん)から人家(じんか)を眺(なが)められた際にかまどから煙(けむり)が立ち上(のぼ)っていないことに気が付かれると、すぐさま3年間税を免除(めんじょ)されました。
そして、3年後に再び国見をなさると、人家のあちこちのかまどから煙が立ち上っていました。国民が食事を出来るようになって良かったと天皇は満足げにその様子を見つめられ、以下の御製をお詠みになったと伝えられています。
「高き屋(や)に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民(たみ)のかまどは にぎはひにけり」




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
天皇のご巡幸という行事は古くから
行われていたんですね。
はい、
確かにかまどから煙が上がり、食事の支度が出来る事はある程度生活が安定している証拠でもありますよね。
街灯が灯り始める夕暮れ時、夕飯の支度の為に台所辺りからいい匂いが外まで流れてきたときなど、何となく幸せを感じる時がありますもの^^
そんな様子を眺められ安堵していた時代もまた
良い時代だったのではないかと思われます。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仁徳天皇のお話は古墳時代の伝説ではありますが、歴代の陛下のお考えとも共通するお優しい御心だと思います。
特に大阪では仁徳天皇陵が存在するだけに、昔から人気が高いですよ。
日本の民主主義
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
青山繁晴さんが、この「仁徳天皇のかまど」の話について、
いつも、この精神が明治憲法につながる日本型民主主義の原点だと語っています。
青山氏曰く、
「この話を神話ということをいう人間もいる。
しかし、神話なら、もっと凄い。なぜなら、世界の王族、皇帝で、こんな神話がある国はないから。」と言っていました。
よく、考えたら、世界の王族・皇帝の神話は、
自分の権威を高めるものばかりで、
民が困っていて、そのために税金を免除するという神話(それが神話としても)は、ありませんよね。
日本人は、アメリカ型民主主義が、本当の民主主義と思いすぎです。
そもそも、民主主義の定義自体が抽象的で、曖昧だからです。
なぜなら、日本の明治憲法は、世界に冠たる立派な民主主義だからです。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国の民主主義は他のどの国も真似のできないものです。
2670年続く天皇を中心として、国民が等しく団結する。こんな幸せな国に生まれたことの喜びは、おそらくは自身ではわからないものなのでしょうね。
豊かさによる麻痺
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
私は、車椅子の社長である春山満氏のラジオ番組を聴いているのですが、
春山氏曰く、「戦後の復興を遂げた日本人と
今の日本人とは、全く、違う。
戦後の日本人は、アメリカから、憲法を押し付けられても、復興ために、ぐっと堪えて、
少しでも、豊かにしようと頑張った。
しかし、今の日本人は、豊かで、平和なのに文句ばかり言っている。」
今こそ、日本人が、先人の歴史を真摯な気持ちで、学び(単なる事実ではなく、その時の日本人が、どれほど、心細く、不安で、辛かったか)
それぞれが、元気を出すことで、日本を変えることが大事ですね。
マスコミでは、まず、出てこない言葉ですが、
私は、あえて、こう言いたいです。
「日本大好き。」
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおり、様々な勢力によるネガティヴキャンペーンによって我が国はすっかり元気をなくしていますね。
しかしながら、こうした澱んだ「空気」は公平な歴史観を持つことによって一掃できると確信しております。
それこそが私のような歴史教育を担当する者の使命ですね。
「大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見をすれば 国原(くにはら)は 煙立ち立つ 海原(うなばら)は 鴎(かまめ)立ち立つ うまし国そ 蜻蛉(あきづ)島 大和(やまと)の国は」
[現代語訳:大和には多くの山があるが、とりわけ立派なのは天の香具山であり、その頂(いただき)に登り立って国見をすれば、国土には煙が立ちのぼり、海上には鴎(かもめ)が羽(は)ばたいている。なんと豊かで美しい国であろうか、この大和の国は]
[※「蜻蛉島」は「大和」にかかる枕詞(まくらことば)です]
このように、古代から天皇は国見をなさることによって我が国が永久(とわ)に栄えることを願われ続けてこられているのです。昭和天皇ももちろんそのお一人であり、ご巡幸における陛下の大御心(おおみこころ、天皇のお心のこと)は、やがて我が国に大きな繁栄(はんえい)をもたらしました。
それは戦後の復興や、昭和30年代を中心とする空前(くうぜん)の高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)のことです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
計画節電の実施があやふやで、今のところ混乱しているようですが、とりあえず今の時点では、正常に電気が供給されているようなので、今のうちにお邪魔させていただいています。
天皇がご巡幸なさったその後には国の繁栄や復興がまるで約束されているかのようですね^^それだけ天皇という存在が我が国にとって偉大であるという事なのかもしれませんね!
黒田さんがご紹介下さりましたサイトはまだ拝見させていただいておりますが、折を見て覗かせていただきますね^^
応援凸いつもありがとうございますm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんにちは!
> 計画節電の実施があやふやで、今のところ混乱しているようですが、とりあえず今の時点では、正常に電気が供給されているようなので、今のうちにお邪魔させていただいています。
有難うございます。そちらは何かと大変なようですね…。
> 天皇がご巡幸なさったその後には国の繁栄や復興がまるで約束されているかのようですね^^それだけ天皇という存在が我が国にとって偉大であるという事なのかもしれませんね!
このように国の繁栄を願い、実現していくことができるのは、やはり天皇陛下以外にはありえないでしょう。
まさに我が国特有の「まつりごと」だと思います。
> 黒田さんがご紹介下さりましたサイトはまだ拝見させていただいておりますが、折を見て覗かせていただきますね^^
> 応援凸いつもありがとうございますm(_ _)m
こちらこそ、お気に召していただければ嬉しいです(^^♪
また、日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)の締結(ていけつ)によって、我が国はいわゆる「アメリカの核(かく)の傘(かさ)」に入ったことで、安全保障面では他国よりも優位に立って軍事予算を抑(おさ)えることが可能になり、その分経済政策にかなりの予算を活用することができたという一面もありました。
しかし、考えてみて下さい。例えば親が我が子の学業成績を良くしようとして優秀な家庭教師をつけたり、勉強以外に雑用(ざつよう)をさせないようにしたり(これはこれで問題がありますが)、あるいは内容が理解しやすい参考書を与(あた)えたりしたところで、それだけで成績が上がるものでしょうか?
どれだけ勉強しやすい環境(かんきょう)をつくったところで、一番重要であるはずの「本人のやる気」がなければ、所詮(しょせん)は「絵に描(か)いた餅(もち)」で終わってしまいます。戦後復興や高度経済成長にしたところで、国民全体をやる気にさせる「何か」がなければ、ここまでの経済大国に成長できることは有り得なかったでしょう。では、国民を「やる気にさせた」ものとは一体何だったのでしょうか。
実は、これこそが「昭和天皇のご巡幸」によるものなのです。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル あくまでご巡幸は一助になったと捉えるべきで、過大な評価は昭和天皇も今上陛下も困惑されるでしょう。
また物事には必ずマイナス面もあります。先進諸国の中で日本が最も農業を蔑ろにしてきました。
国策として農業を生殺しにし、第一次産業から第二次産業へ労働力が流入するよう仕向けた。食糧自給力を犠牲にしての経済発展でもあります。
日本人の基礎学力と労働者資質を考えたら、食糧自給力犠牲の下で力を集中させれば高度経済成長はむしろ当然でしょう。
昭和天皇をはじめ皇室の方々は自然科学に親しみ日本の山河や農業を誇りに思っていらっしゃるはずですから、自民とアメリカの政策には内心思うところあると私は見ています。
黒田裕樹 ご意見有難うございます。
確かに高度経済成長には功罪ともにありますからね。次回では功の部分を、次々回以降では罪の部分を詳しく紹介いたしますが、陛下のご巡幸が国民のやる気を引き起こしたことは間違いないと考えております。
ぴーち こんばんは!
今回の東北大震災で天皇陛下が被災地ご訪問をご検討されているというニュースが流れていましたが、今のところはまだまだ現地へ出向く事は
困難な状況でしょうけれど、やはり陛下のお言葉
が被災された方々の大きな心の支えとなる事でしょうね・
昨日黒田さんからご紹介いただいたサイトを覗かせていただきました。
仰る通り、力強く、それでいて心優しい言葉の数々に私も心打たれました。
素敵な言葉をいただき、私も感謝させていただきます^^
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今回の東北大震災で天皇陛下が被災地ご訪問をご検討されているというニュースが流れていましたが、今のところはまだまだ現地へ出向く事は
> 困難な状況でしょうけれど、やはり陛下のお言葉
> が被災された方々の大きな心の支えとなる事でしょうね・
阪神・淡路大震災の際、陛下はわずか二週間後に被災地へお越しになりました。お連れの人は最小限に、そしてヘリコプターで直接かけつけられ、多くの被災者を励まされたそのお姿は、今でも印象深く残っております。
> 昨日黒田さんからご紹介いただいたサイトを覗かせていただきました。
> 仰る通り、力強く、それでいて心優しい言葉の数々に私も心打たれました。
> 素敵な言葉をいただき、私も感謝させていただきます^^
お気に召して良かったです。
「心に残るつぶやき」
http://prayforjapan.jp/tweet.html
皆様もぜひご覧下さい。
BJのぶ 弊ブログの足跡から参りました。ご訪問ありがとうございます。
全然違う観点からコメントさせていただきますが、
最終的には本人のやる気、当たり前と言えば当たり前なのですが、そういう身近なものが忘れられていると思います。要はみんな「コンビニ化」してしまって「楽な方法」「簡単な方法」を求めてしまうんですよね。
自分も外国語でメシを食っている者なので、
(ブログだけ見るとそうは思われないでしょうがw)
外国語の勉強も王道はなし、よく「何でそんなの何ヶ国語も話せるんですか?」と聞かれるのですが、「本人のやる気でしょ」とサラリと答えてます。聞く側にとっては「何か秘策かウルトラCでもあるのではないか?」と期待しているみたいですが、そんなものは元々ないですし、ないものは出せません(笑
戦後、確かに日本は復興して豊かにはなりました。しかし、その分日本人の生活はおろか、頭まで「コンビニ化」してしまったのはマイナスかもしれませんね。
最近の20代を見ているとそう思えてなりません。
BJのぶさんへ
黒田裕樹 こちらこそ、ご訪問並びにお言葉ありがとうございます。
仰るとおり、物事を為そうと思えば本人の「やる気」「根気」が必要不可欠なはずなのですが、便利すぎる世の中では忘れ去られてしまっているようですね。
世の中の「コンビニ化」は、根気や応用力などの人間にとって重要な要素をなくしてしまっているような気がしますし、最近に若い人々の無気力にもつながっているような思いがします。
そんな若者たちに対する教育が、今後ますます重要視されることでしょう。責任の重さを痛感いたします。
ご巡幸において人々を励まされ、人々と共(とも)に悲しまれ、そして涙を流された昭和天皇のお姿を間近(まぢか)に拝見(はいけん)した国民は大いに感激するとともに、陛下の大御心に恥(は)じないように自分たちも頑張(がんば)らなければいけないという気持ちが自然と芽生(めば)えていきました。
多くの国民が共通して抱(いだ)いた熱意は、陛下がご巡幸を終えられた昭和30年代になって一気に爆発(ばくはつ)して復興への目覚(めざ)ましいエネルギーとなり、国民全体の大きな「やる気」となって我が国を引っ張り、高度経済成長、そして経済大国への道を切り開いたのです。
何事においても、物事の結果には必ずその原因が存在します。我が国の戦後復興の根本(こんぽん)には昭和天皇のご巡幸があることを、私たちは感謝するとともに決して忘れてはいけませんね。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
戦時中は天皇陛下というお名前を発しただけでも、恐れ多いこととしてその存在は絶対的であり、更に神として崇められてきた存在だっただけに、陛下が直接国民の前に立たれて励ましの言葉を発せられるという行為は、奇跡に近い事であってより心に深く刻まれた思いだったのでしょうね。
今でも勿論、被災という大きな痛手を受けて心が落ち込んでいる状態に陛下に直々にお言葉を掛けていただくことは非常に感慨深いことだと思います。
今日は被災地には雪が降っていますね。
燃料も毛布も不足している状態で、自然は
何処まで
彼らを苦しめるのでしょう。。
本当に心苦しく感じます。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 戦時中は天皇陛下というお名前を発しただけでも、恐れ多いこととしてその存在は絶対的であり、更に神として崇められてきた存在だっただけに、陛下が直接国民の前に立たれて励ましの言葉を発せられるという行為は、奇跡に近い事であってより心に深く刻まれた思いだったのでしょうね。
> 今でも勿論、被災という大きな痛手を受けて心が落ち込んでいる状態に陛下に直々にお言葉を掛けていただくことは非常に感慨深いことだと思います。
仰るとおり、現代であっても陛下のお姿やお言葉に勇気付けられることが多いですから、ましてや終戦直後の国民にとってはなおさらのことだったでしょう。仰るとおり、感慨深く心に刻まれたことと思います。
> 今日は被災地には雪が降っていますね。
> 燃料も毛布も不足している状態で、自然は
> 何処まで
> 彼らを苦しめるのでしょう。。
> 本当に心苦しく感じます。
私も同じ思いです。
一日も早く、気候のうえばかりでなく本当の「春」が被災地の皆様に訪れることをただただ祈っております。
天皇陛下のお言葉
青田です。 こんにちは
いつも、歴史講座に参加し、質問をしている
青田です。
まず、最初に、
3月11日、東北関東沖地震の
被害に見舞われた皆様には心よりのお見舞いを申し上げます。
被災地の皆様のご無事と、一刻も早い復興を心より祈念いたします。
私も阪神大震災の経験者の兵庫県民だけに胸が痛みます。
ところで、皆様、本日の天皇陛下のビデオメッセージをご覧になられましたでしょうか。
私は、観ていて、涙がでそうになりました。
避難所では、食糧・水が不足していることが
深刻化していますが、
そえれよりも、精神的な障害のほうが大きいと
聞きます。
こういう時に、天皇陛下のビデオメッセージは
本当に大きな力になりますね。
実は、本日は、朝から、天皇陛下のメッセージが
あるという気がしていました。
これは、『今、天皇陛下のお言葉があるとどれだけ
被災者が勇気つけられるだろう。』という願いが
叶った気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 私も拝見しました。
何というもったいないお言葉でしょうか。
被災者の皆様を始め、我が国民が一つとなって、復興へと力強く進みたいものです。
陛下のメッセージはこちらでもご覧いただけます。
http://www.youtube.com/watch?v=Y7PNP-mYDkM
心配していること
青田です。 こんにちは
青田です。
テレビのニュースで、心配していることがあります。
それは、『首都圏』で、『食糧の買い占め』『燃料を買い占め』をしている人がいるとのことです。
食品や他の物品が、被災地へ届かなくなってしまうことは、避けなければいけません。
黒田先生の歴史講座で
『天明の大飢饉』で、老中の田沼意次が、
西日本のコメを東日本に廻そうとして、松平定信がコメを買い占めて、東日本で、餓死者が続出したのを思い出しました。
黒田先生は、どう思われますでしょうか。
青田さんへ その2
黒田裕樹 昭和40年代終盤のオイルショックのような状況になってきましたね。
今は被災者の支援が何よりも大切ですから、自分のことよりも周囲に目を向けてほしいのですが…。
買い占めやめよう作戦
青田です。 黒田先生
お疲れ様です。
青田です。
現在、首都圏で、買い占めが起こり、被災地に
十分な物資が行かない危険性があるそうです。
Twiter上で、『買い占めやめよう作戦』が広がっています。
このポスターは、本当によく、出来たポスターだと思います。
http://japan.zdnet.com/sp/eq2011/35000628/
このポスターを
黒田先生は、どう思われますか?
青田さんへ その3
黒田裕樹 よくできたポスターですね。
啓発にふさわしいとは思いますが、後は国民の意識次第ですから…。
トップの言葉
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
管総理が原発事故の処理をする消防隊にたいして
現場から、離れたから厳罰に処すと言ったそうです。
それにたいして、石原知事は、『現場の消防隊員の
気持ちを考えずに何ということを言う!』と抗議し、管総理は、謝罪したそうです。
http://www.sanspo.com/shakai/news/110322/sha1103220507015-n2.htm
私は、自分の命をかけて、原発事故に対処した現場の人間には、勲章を与えるべきだと思います。
彼らは、本当の英雄だからです。
大量の放射能の近くで、活動する作業員は、どれだけ不安で、つらかったか。
作業員とその家族のことを思うと胸が痛みます。
マスコミももう少し、その作業に当たった人達に
感謝の内容を報道して欲しいと思いますが
黒田先生は、どう思いますか。
青田さんへ その4
黒田裕樹 後方で指揮をとる人間よりも、現場で命がけで働いている人々のほうがはるかに凄いですからね。
仰るとおり、もっと感謝できるような報道があってもよいとは思いますが…。
フィルターを通しているような報道姿勢には問題があるでしょうね。