いわゆる「人間宣言」に相当するものは、昭和21年元日に昭和天皇が発表された「新日本建設ニ関スル詔書(しょうしょ)」ですが、この中に「人間」「宣言」という言葉は一切使用されていません。それもそのはず、人間宣言という名称は後日にマスコミや出版社が勝手に名づけたものだからです。
ではなぜ私たちは「人間宣言」に対して思い違(ちが)いをしているのでしょうか。その謎(なぞ)を探(さぐ)るために、そもそも「新日本建設ニ関スル詔書」が発表された経緯(けいい)を振(ふ)り返ってみましょう。
昭和20年12月、GHQは我が国と神道(しんとう)とのつながりを断(た)ち切るために、国家が神道を支援(しえん)したり、あるいは普及(ふきゅう)させたりすることを禁止する神道指令(しんとうしれい)を発しましたが、その次の段階として天皇の神格化を否定しようと考えました。しかし、これをGHQの主導で無理やり行えば日本国民の反発を招(まね)き、占領政策に影響が出るのは確実でした。
そこでGHQは昭和天皇が自主的に神格化を否定することを期待し、またその意を汲(く)んだ宮内省がGHQを納得させることができる詔書の作成に取りかかりましたが、昭和天皇は元々(もともと)自らが現人神(あらひとがみ)であることを否定されておられたので、特に問題には思われませんでした。なぜなら、天皇と国民とのつながりは、神格化によってのみ保(たも)たれるような弱いものではないとお考えだったからです。




いつも有難うございます。
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サクラ 中学校の時、組合の先生が、
「今、お前らは、天皇が神じゃないって当然思っとるがん。お前ら、自分の親が『お前は自分の子供じゃない』って言われたら、驚くだら? だから人間宣言出した時、日本人は驚いたんだよ」
って、教えていました。
当然、教室はざわめきました。
しかし私はそれが誤りだと、早い段階から気付いていましたよ。
よく祖母に、戦時中の話を聴いていたんで。
或る日、「陛下を神だと思ってた?」と訊いたら、「人だと思ってた」と答えていました。
ただ新聞などで皇室のことを書くときは、「陛下は~しあそばされた」というように、凄く回りくどい表現をつかっていたそうです。
なので新聞で、「陛下は~した」という表現があると、今でも肝を冷やすと言ってました。(笑
「人間宣言」に論を展開されると思っていましたよ。
晴雨堂ミカエル 世間一般の右も左も、欧米の歴史観や価値観に毒され過ぎています。
コロンブスの「新大陸発見」を鵜呑みにしている事然り、君主制やや民主主義の概念然り。
男尊女卑とて、もともと日本は欧米や中国ほど男女の権利格差はひどくありませんでした。ひどくなったのは、むしろ明治以降からでしょう。
男性家長が絶対だった欧米で発生したリブ運動を鵜呑みにしたフェミニストが日本で行うから、逆に浮いてしまう。
皇室の帝王学とて、ヨーロッパの君主とは全く違うものです。
昭和天皇にしろ、今上陛下にしろ、皇太子殿下にしろ、敢えて失礼を申せば非常に訓練されています。
圧政をしいた独裁者や暴君と同列に論じて天皇制批判を行う限り、左翼はますます矮小化したカルトに陥るでしょう。
ぴーち こんばんは!
結局、GHQは日本国民が天皇を神として崇め続けるということを、いづれアメリカに対して反逆を起こすきっかけとなる事に繋がるものだと恐れたのでしょうか。
しかしながら、日本人は随分と侮られていたものですね。とかく我々の国は「島国根性」だと揶揄される事がありますが、そういう島国であるという利点はまた逆に存在するもので、日本の心の連帯感は、そう簡単に崩れ去る事は無いということですね。
応援凸
サクラさんへ
黒田裕樹 失礼な物言いになるかもしれませんが、「歴史の生き証人」のお言葉は重いですね。
天皇は神様だから尊敬されていたわけではないことが、お婆様のお考えからはっきりします。
最近のマスコミや教科書における、皇室の方々への表現は何かと論議を呼ぶことが多いですね…。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 先を読まれてしまいましたね(笑)。
仰るとおり、我が国と諸外国との決定的な違いを理解しようともせず何事も同列に語るという無茶な考えは、国民からの支持を失うことはあっても、決して広がることはないでしょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 結局、GHQは日本国民が天皇を神として崇め続けるということを、いづれアメリカに対して反逆を起こすきっかけとなる事に繋がるものだと恐れたのでしょうか。
> しかしながら、日本人は随分と侮られていたものですね。とかく我々の国は「島国根性」だと揶揄される事がありますが、そういう島国であるという利点はまた逆に存在するもので、日本の心の連帯感は、そう簡単に崩れ去る事は無いということですね。
仰るとおり、島国における影響は悪いことばかりではありません。
神話の世界を含めれば2670年を超える我が国の国民同士の連帯感は、GHQの横やり程度では崩れるはずもありません…はずなのですが、戦後の我が国の変化を考慮すると、いささか自信がなくなってくるような気がしますね(^^ゞ
黒田裕樹さん
風早 りら 昭和21年元日に昭和天皇が発表された「新日本建設ニ関スル詔書(しょうしょ)」ですが、この中に「人間」「宣言」という言葉は一切使用されていません。それもそのはず、人間宣言という名称は後日にマスコミや出版社が勝手に名づけたもの
この事実は かなり 驚嘆しました
詳細を 明日 伺いたいと 思います
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 昭和21年元日に昭和天皇が発表された「新日本建設ニ関スル詔書(しょうしょ)」ですが、この中に「人間」「宣言」という言葉は一切使用されていません。それもそのはず、人間宣言という名称は後日にマスコミや出版社が勝手に名づけたもの
> この事実は かなり 驚嘆しました
> 詳細を 明日 伺いたいと 思います
ご存じでいらっしゃいませんでしたか。
しばらくの間「人間宣言の真実」についてお話したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
「天皇ヲ以(もっ)テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越(ゆうえつ)セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有(ゆう)ストノ架空(かくう)ナル観念ニ基(もとづ)クモノニモ非(あら)ズ」。
この文章だけ読めば、昭和天皇が自らの神格化を否定されたと見なすことも不可能ではないですが、これは詔書のほんの一部分に過ぎませんし、陛下が本当に仰りたい内容は、実はこの文章の直前にあるのです。
「然(しか)レドモ朕(ちん)ハ爾等(なんじら)国民ト共ニ在(あ)リ、常ニ利害ヲ同(おな)ジウシ休戚(きゅうせき、喜びや悲しみのこと)ヲ分(わか)タント欲(ほっ)ス。朕ト爾(なんじ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互(そうご)ノ信頼ト敬愛トニ依(よ)リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依(よ)リテ生ゼルモノニ非(あら)ズ」。
陛下は常に国民とともに存在(そんざい)し、国民と利害を同じくして、喜びも悲しみも一緒に分かち合いたいと仰ったうえで、天皇と国民との間の紐帯、すなわち強い絆(きずな)は単なる神話や伝説によってではなく、相互の信頼と敬愛とによって結ばれているとされておられるのです。




いつも有難うございます。
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とさを商店 この終戦時、占領時は昭和史のキモですね
ぴーち こんばんは!
これまで黒田さんの記事から勉強させて
いただいた中で、自らを神だと宣言していた戦国時代の武将達も居れば、自分は神ではなく、国民と共に一緒の目線で生きていきたいと述べる昭和天皇の様なお考えもありますが、
やはり人間は所詮、神にはなることが出来ないという事を一番よくご存知でいらっしゃったのではないでしょうか。。
そしてその人として生きるべく大切な謙虚・謙遜という言葉を深く身に付けた方だったのでしょうね。昭和天皇は、黒田さんの尊敬なさっている歴史上の人物のお一人ですか?
応援凸
とさを商店さんへ
黒田裕樹 > この終戦時、占領時は昭和史のキモですね
仰るとおりです。
この頃は現代にもつながる、昭和史にとって最も重要な分野のはずなのですが、なぜか詳しく紹介されることは少なく、あったとしても我が国にとってあまりにも一方的な話が多すぎるのは残念ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > これまで黒田さんの記事から勉強させて
> いただいた中で、自らを神だと宣言していた戦国時代の武将達も居れば、自分は神ではなく、国民と共に一緒の目線で生きていきたいと述べる昭和天皇の様なお考えもありますが、
> やはり人間は所詮、神にはなることが出来ないという事を一番よくご存知でいらっしゃったのではないでしょうか。。
お考えのとおりだと私も思います。
「自らは神でない」ことを一番理解されておられたからこそ、無私のお心で様々な難題を生命をかけて取り組まれたのでしょうね。
> そしてその人として生きるべく大切な謙虚・謙遜という言葉を深く身に付けた方だったのでしょうね。昭和天皇は、黒田さんの尊敬なさっている歴史上の人物のお一人ですか?
天皇という我が国の長い歴史を誇る元首でいらっしゃることを、誰よりも強くご自覚なさっておられたと私も思います。
第21回の講座の冒頭で紹介しましたように、昭和天皇は私が尊敬すると同時に、彼らがいなければ今の我が国の繁栄は有り得なかったと確信している三人の歴史上の人物のひとりです。ちなみにあとの二人は聖徳太子と織田信長です。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-759.html
ぴーち こんばんは!
リンクを貼ってくださった記事は読ませていただいておりませんでした(^^ゞ
失礼致しましたm(_ _)m
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > リンクを貼ってくださった記事は読ませていただいておりませんでした(^^ゞ
> 失礼致しましたm(_ _)m
いえいえ、どうぞお気になさらないで下さい。
こちらこそお言葉をいただいて恐縮です。
神とは
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
たとえ、かりに軍部が昭和天皇を神格化したとしても、それは、守り神または、国民のことを見守る存在としての神の意味であったのであってキリスト教社会の神とは、全く、違います・
あれから、本を読んで、知ったことなのですが、
キリスト教社会の神=Godと
日本の古来の神とは、全く、そのニアンスが違うようですね。
キリスト教社会における神とは、全智全能の絶対的な存在なのに対して、
日本の古来の神は、七福神、山の神、火の神、学問の神のようにどちらかと言えば、精霊に近いような気がします。
それを、現代の歴史教育で、キリスト教社会の神の概念で、日本の神というものを考えるから、
否定的に感じるだけだと思います。
日本には、それまでの風土から、積み重ねてきた文化・歴史・大和言葉があるのに、それを今の価値観で、否定的に考える現代人は、好きになれません。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり「カミ」と「god」では全く異なります。
言わば精神論のような内容をごちゃまぜにしてしまったのは、明治維新以後の「西洋に追いつき追い越せ」のどさくさで日本人自身が研究する暇がなかったかもしれません。
明治政府の方針によって我が国は欧米からの侵略を免れたのですが、急速な近代化で失ったものも大きそうですね。
ところで「新日本建設ニ関スル詔書」の最初に明治天皇(めいじてんのう)による「五箇条のご誓文(ごかじょうのごせいもん)」が紹介されているのを皆さんはご存知でしょうか。詔書に五箇条のご誓文を付け加えられたのは昭和天皇ご自身のお考えであり、このことこそが陛下が詔書において本当に仰りたかったことなのです。
昭和52(1977)年、昭和天皇は記者からの質問にお答えなさるかたちで、詔書の始めに五箇条のご誓文が引用されたことについて以下のようにお言葉を発せられました。
「それが実はあの詔書の一番の目的であり、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇(ほこ)りを忘れては非常に具合(ぐあい)が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです」。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
五箇条の御誓文は存じておりましたが、昭和天皇ご自身が付け加えられたというのは、初めて知りました。ありがとうございます!
外国の受け売りではなく、民主主義はそれ以前から
日本にはあったものだという事を訴えたかった訳ですね。日本の誇りはいつまでも持ちあわせていきたいと思いますが、日本全体を見渡した時にその思いが次第に薄れてしまっているのではないかと残念に思うこの頃です。(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 五箇条の御誓文は存じておりましたが、昭和天皇ご自身が付け加えられたというのは、初めて知りました。ありがとうございます!
> 外国の受け売りではなく、民主主義はそれ以前から
> 日本にはあったものだという事を訴えたかった訳ですね。日本の誇りはいつまでも持ちあわせていきたいと思いますが、日本全体を見渡した時にその思いが次第に薄れてしまっているのではないかと残念に思うこの頃です。(^^ゞ
わざわざ初めにお付け加えになられたあたりが昭和天皇の強いご意思を感じさせますね。
仰るように、我が国そして国民が誇りを失わないようにという陛下のご配慮が、最近は必ずしもうまくいっていないことに私も不安を感じております。
明治の自由民権運動家も欧米の受け売りではありません。
晴雨堂ミカエル 民権運動家たちが作成した憲法草案は、当時の欧米の憲法より遥かに進んでいます。特に植木枝盛は世界有数の行動する理論家。
どういうわけか、現在の多くの護憲派はアメリカ人のベアテは評価するが枝盛は見ない。
高知の護憲派は、枝盛たちを弾圧した政府をアメリカが潰してくれた。日本国憲法は民権派の悲願という認識です。
明治天皇も含め明治の日本人の凄さをもっと評価すべきでしょう。枝盛は「西洋、おそるるに足らず」と、受け売り留学生たちを軽蔑していました。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 明治の人々は官民がそれぞれ非常に進んだ考えをお持ちであったということなんですね。
私たちは自分の国の近代史をもっと再評価しても良いと思います。
五箇条のご誓文
青田です。 黒田先生
青田です。
よく、考えれば、『五箇条のご誓文』は、
廃止されてないので、
現在でも有効だと思うのですが、
それを言うと、また、騒ぐ人間がいるでしょうね。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
もっとも、こういった考えは、日本国憲法の施行と同時に我が国が新たにつくられたという革命思想にも由来していますが…。
それなのに、マスコミや出版社の多くが「天皇が神格化を否定した」という、詔書のほんの一部に過ぎず、かつ陛下の本当のご意思とは全く異(こと)なる部分だけを取り上げて「人間宣言」ともてはやし、ついには歴史教科書にまで記載(きさい)されてしまっているのです。なぜこのような誤解(ごかい)が生まれてしまっているのでしょうか。
さて、同じ昭和21年の正月における歌会始(うたかいはじめ)において、昭和天皇は以下の御製(ぎょせい、天皇による和歌のこと)をお詠(よ)みになっておられます。
「ふりつもる み雪にたへて 色かへぬ 松ぞ雄々(おお)しき 人もかくあれ」
終戦直後の絶望感が漂(ただよ)う中であっても、雪の中の青々とした松のように国民も強く生きて欲しいという、昭和天皇の国民への思いやりが込(こ)められています。またこの頃、陛下は国民を慰(なぐさ)めるためには自分がどうすればよいのかをお考えになり、そのための行動に移ろうとされておられました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
なるほど、単に明治天皇のご意思を尊重する
という意味合いではなく、国民の傷ついた心に配慮する気持ちをそこに託された訳なんですね。
しかしマスコミとは、いつの世も事実をその通り
に報道するのではなく、都合の良い様にデフォルメしたり、或いは真実とは真逆な事まで平然と言ってのけてしまう恐ろしさを持ちあわせていますね(^_^;)
ましてや、純粋に国民の為にこれほどまでにお考えになっていた気持ちをゴシップ記事に仕立てあげた意図は何だったのでしょうか。
美談として報道出来なかったという事は、なにやら陰謀を企む輩が居たのでしょうか?
(考えすぎですかね(^_^;))
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、単に明治天皇のご意思を尊重する
> という意味合いではなく、国民の傷ついた心に配慮する気持ちをそこに託された訳なんですね。
仰るとおりです。
この詔書には、傷ついた国民を励ましたいという昭和天皇のお優しいお気持ちにあふれているんですよね。それなのに…。
> しかしマスコミとは、いつの世も事実をその通り
> に報道するのではなく、都合の良い様にデフォルメしたり、或いは真実とは真逆な事まで平然と言ってのけてしまう恐ろしさを持ちあわせていますね(^_^;)
> ましてや、純粋に国民の為にこれほどまでにお考えになっていた気持ちをゴシップ記事に仕立てあげた意図は何だったのでしょうか。
> 美談として報道出来なかったという事は、なにやら陰謀を企む輩が居たのでしょうか?
> (考えすぎですかね(^_^;))
あながち考え過ぎでないかも…(^^ゞ
それはともかく、いつの世も自分の言いたいことが正しく報道されないのは困ったものですね。
当時はGHQにおもねったとしても、独立を回復した後はいつでも修正ができるはずなのですが…。
その当時の写真集が出ていましたね。
晴雨堂ミカエル 数年前でしたか、その当時の写真集が出ていました。ご覧になりましたか。
GHQ秘蔵のカラー写真です。ですから、終戦間もない時期の映像なのに、まるで最近撮影されたかのような鮮明なカラーでした。
アメリカは凄い。
「はだしのゲン」のエピソードでもありましたね。主人公ゲンは当然のことながら反天皇です。問題の場面も、あっという間に通り過ぎてしまって、ますます皇室への不信を強めてしまう展開でした。
仕方が無いですな。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 終戦直後の写真集は残念ながら未見です。
アメリカは当時からカラーフィルムをふんだんに使っていましたか。当時における物量の差を嫌でも感じさせてくれますね。
「はだしのゲン」については、当時の世相を色濃く反映しているとも言えますが、終戦直後は果たしてどうだったのか、今後の展開から類推できるかもしれませんね。