一方、我が国に存在する自衛隊(じえいたい)に関して、政府は交戦権を伴(ともな)う自衛戦争と個別的自衛権に基づく自衛行動とは別であるとして、また憲法上自衛権は否定されておらず、国際法上我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然に認められているとの見解を示していますが、いずれにせよ現状の第9条のままでは、その拡大解釈に疑問が感じられることは否定できません。
これらの問題とは別に、大阪国際空港(おおさかこくさいくうこう、通称を伊丹空港=いたみくうこう)の騒音や公害などの問題によって、良好な環境で生活を営(いとな)む権利である環境権(かんきょうけん)が新しい人権として認知されつつありますが、現状では第13条のいわゆる「幸福追求権(こうふくついきゅうけん)」の拡大解釈とされており、憲法上における正式な条文化が望まれるところです。
このように、憲法を改正することで現状では通説としか認められていないことを成文化したり、あるいは長年の論争に決着をつけることが期待されたりしていながら、我が国の伝統ともいえる「律令を残しながら他の制度や法律で正当化する」考えが足を引っ張っているような思いがするのは私だけでしょうか。




いつも有難うございます。
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サクラ 昨日のコメですが、伝統を守るというより、朝廷の存在がアンタッチャブルだったから律令が改正されなかったのではないでしょうか。
いかに幕府が実権を握っていようとも、当時の日本人からすれば、律令は天子様の決めた事ですから。
朝廷に実権が戻ってようやく廃止することができたのだと思います。
日本国憲法が改正されないのも、第九条がアンタッチャブルな存在だからだと思います。
「軍隊ができれば戦争が起こる」という強迫概念が、戦後日本人には植え付けられていますから。
(九条以外が改正されないのは、国民意識が薄い政だと思います)
アンタッチャブルな存在のあるがゆえ、法を拡大解釈する「伝統」が日本に生まれても変ではないでしょう。
しかしこれは伝統でしょうか?
律令と日本国憲法は、また違う土俵に立っていると思うのですが――。
保守もさることながら左翼護憲派も陥っています。
晴雨堂ミカエル もともと護憲派市民も左翼系市民も改憲派なんですね。一条から八条までを削除し天皇制を廃止すべし、という考えだったはずです。
保守右翼は軍事を疎かにする国は普通の国ではないと主張していいますが、左翼・護憲派も日本を異常な国と以下のように非難しています。
フランスやロシアでは皇帝や国王は処刑されているのに、なんで戦争の最高責任者である天皇は処罰されないのか? 百歩譲って処刑されなくても市井の人間になるべき、なのに一部の宮家のみを市井にしただけは、異常で無責任国家だ。「国家元首」という立場をなんと心得るか!
しかし変化を嫌う日本人の性質、保守的な国民性を鑑みて、改憲で運動したのでは九条が守れない、そういう戦略的見地から「護憲」で納まっていました。
ところが長い年月で、いつの間にか本来のスタンスを忘れ、護憲ありきになってしまっています。不本意ながら護憲であったはずなのに、護憲が目的になっている。
挙句に、お経みたいに「憲法があるから日本は平和なのだ」「九条があるから平和なのだ」を連呼する始末です。
日本が平和だったのは、国際情勢の絶妙なバランスの上で、たまたま戦争に巻き込まれずに済んだだけの話ですが。
左右・保革、立場が違えど悪い意味で同じ日本人ですね。
サクラさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
仰るとおり、アンタッチャブルな一面があるがゆえに律令がそのままにされたといえますね。政権を握ってない以上は問題なかったということでしょうか。
後半のご意見ですが、律令は外国が基本とはいえ一応国産なのに対して、日本国憲法は完全な外国産という違いはありますが、基本法を塩漬けにして、解釈や特別法で乗りきろうとする姿勢は同じであり、それゆえの伝統ではないかと私は考えております。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
護憲派といえども、すべての条文をかたくなに守ろうとするわけではないですね。仰るとおり、護憲が目的となっているあたりが、言霊信仰のように唱えることで平和が達成されると信じられている点も合わせて、一種の宗教に近いイメージが感じられます。
個人の思想の自由は断固として守らなければいけませんが、国民全体の目から見た場合にどう映るかを考える必要もあるのではないでしょうか。
詳しくは次回(4日)に書きますが、そのためにも憲法の改正が望まれると思います。
ぴーち こんばんは!
9条に関しては、人それぞれのご意見があるでしょうけれど、現状として事実、自衛隊が存在し、必要最低限の自衛権も認められているということで、その部分の正式な条文改正は行われるべきだとは思います。私個人の意見としては、日本もある程度の年齢に達した時に、数年の徴兵制度があっても良いくらいだとは思っています。
後半の環境権も、
制定当初には想像も付かなかったであろう騒音問題も、人類の文明の進化と共に新たな問題が、浮上してきますね(^^ゞ。この問題についても対策が急がれますね・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 9条に関しては、人それぞれのご意見があるでしょうけれど、現状として事実、自衛隊が存在し、必要最低限の自衛権も認められているということで、その部分の正式な条文改正は行われるべきだとは思います。私個人の意見としては、日本もある程度の年齢に達した時に、数年の徴兵制度があっても良いくらいだとは思っています。
貴重なご意見を有難うございます。
9条に関しては、自衛権について賛成にせよ反対にせよ、中途半端な現状を打開するために何らかの決着をつけるべきではないかと思います。そのために憲法改正の条文が存在するんですから。
ぴーちさんのお考えも、同じ日本人、あるいは同じ日本で暮らす人間として自然な思いの一つではないかと思いますし、何よりも今は様々な意見が交換されるべきでしょう。
> 後半の環境権も、
> 制定当初には想像も付かなかったであろう騒音問題も、人類の文明の進化と共に新たな問題が、浮上してきますね(^^ゞ。この問題についても対策が急がれますね・・。
こちらこそ、真っ先に憲法で成文化すべきですね。
条文の拡大解釈だけではいつまで経っても「本当の権利」が認められません。
黒田裕樹さん
風早 りら 現状の第9条のままでは、その拡大解釈に疑問が感じられることは否定できません
私もこの問題に ついては
かなり 興味があります
先生の この見解を これからも
お気きしたいと 思います
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 現状の第9条のままでは、その拡大解釈に疑問が感じられることは否定できません
> 私もこの問題に ついては
> かなり 興味があります
> 先生の この見解を これからも
> お聞きしたいと 思います
有難うございます。
今回の記事に関する反響の大きさを考えまして、私自身の見解を補足のかたちで紹介したいと思います。
まずは5日まで続く本編記事をご覧下さい。
例えば明治憲法においても、統帥権干犯が軍部の暴走を招(まね)く原因の一つとなりましたが、この問題が表面化する前に憲法を改正し、文民統制(ぶんみんとうせい)、いわゆるシビリアン・コントロールを定着させていれば起こらなかったかもしれず、そう考えれば残念なことです。
翻(ひるがえ)って現代を見ても、先述の憲法第9条や環境権の他に、憲法を改正させることで一気に決着できる問題がいくらでもあります。例えば、永住外国人に地方参政権を与えるのであれば第15条を、朝鮮学校の授業料を無償化するのであれば第89条をそれぞれ改正すれば良いのであり、いずれの問題においても、推進派は今ひとつ分かりにくい拡大解釈で済ませるのではなく、憲法改正を認めるよう積極的に運動すべきではないでしょうか。
何しろ、憲法改正は国会の決議だけでは効力を持たず、その後に行われる国民投票における過半数の賛成で初めて成立するのですから、推進派がよく用(もち)いる言葉である「民意の反映」にもふさわしいはずなのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
確かに外国から見れば、日本の曖昧な表現は
判り辛く、次第に信用を失う結果になり兼ねませんよね。
永住外国人の地方参政権に関しては、黒田さんが普段からご懸念されている内容でもありましたよね。
いくら国際化を進めると言っても、外国人に対しての参政権は安易に与えてよいものかどうか・・。そこの所は慎重な検討が必要になってくるのではないかと思います。
今でも当たり前のように反日感情を持つ方も多いと聞きますので。
応援凸
なおまゆ まさしく仰るとおりです。
外国製の憲法を後生大事に一度の改正もなく『守っている』ことの愚かさにあきれる思いです。
昔から、基本法の他に例外の暫定法を作る事が好きなような国民性(政権担当者だけでしょうが)にそろそろ『お別れ』しましょう。
憲法9条は早急に改正したいものです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに外国から見れば、日本の曖昧な表現は
> 判り辛く、次第に信用を失う結果になり兼ねませんよね。
仰るとおりです。
我が国の伝統は守らなければいけませんが、その一方で国際社会の一員としての責任も果たさなければいけませんからね。
> 永住外国人の地方参政権に関しては、黒田さんが普段からご懸念されている内容でもありましたよね。
> いくら国際化を進めると言っても、外国人に対しての参政権は安易に与えてよいものかどうか・・。そこの所は慎重な検討が必要になってくるのではないかと思います。
> 今でも当たり前のように反日感情を持つ方も多いと聞きますので。
こちらも仰るとおりです。
我が国の主権にかかわる問題ですから、拙速に事を進めると必ずや後悔することになるでしょう。
国民投票を含めた憲法改正を訴えることで、国民すべてが真剣に事態を考えることになる。これこそが国民主権です。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > まさしく仰るとおりです。
> 外国製の憲法を後生大事に一度の改正もなく『守っている』ことの愚かさにあきれる思いです。
> 昔から、基本法の他に例外の暫定法を作る事が好きなような国民性(政権担当者だけでしょうが)にそろそろ『お別れ』しましょう。
> 憲法9条は早急に改正したいものです。
国民性は時として我が国の将来に影響を与えることになりますね。
憲法改正を早急に行えるようなシステムを構築することで、生き馬の目を抜く国際社会に勝ち抜ける力を維持することにつながることでしょう。
黒田裕樹さん
風早 りら 「憲法を改正せず、拡大解釈のみで乗り切る」
今まで 日本は このあいまいの
見解で 色々と してきたように思います
かなり以前より 疑問です
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 「憲法を改正せず、拡大解釈のみで乗り切る」
> 今まで 日本は このあいまいの
> 見解で 色々と してきたように思います
> かなり以前より 疑問です
曖昧も時と場合によりけりといったところでしょうか。
我が国では、特に政治的判断が「曖昧だらけ」だと言えます。
そのツケを払わされる身にはたまったものではありません。
かつては井伊直弼もそうでしたね。
しかしながら、拡大解釈をいつまでも続けていては、かつての明治憲法における統帥権干犯のような、問題があると思われる解釈がまかり通ることによって、悲劇(ひげき)が繰(く)り返されるという可能性も十分に考えられます。
また、永住外国人に地方参政権を与える法案など、我が国の主権にかかわる法律の可否は、国民全体で広く議論する意味においても、憲法改正によって決着をつけるべきでしょうし、何よりも主権国家であるはずの我が国が、GHQによって無理やり制定させられたという苦(にが)い歴史の産物である日本国憲法を、そのままのかたちでいつまでも受けいれる必要があるといえるのでしょうか。
過去の歴史に決着をつけ、我が国が新しく生まれ変わるためにも、自主的な憲法改正が望まれるところであると私は考えます。
(※第22回歴史講座の当日の内容はこれで終了ですが、次回に補足の記事を載せます。)




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 憲法もさることながら、条約などの国際法規も拡大解釈はよく行われます。その代表的な例が日韓条約でしょう。
むかし、知人の在日コリアン氏らと飯を食べたとき、日韓条約や従軍慰安婦の話題になりました。
もちろん、私は従軍慰安婦の問題は日韓条約で決着済みなので蒸し返すのは良くないと主張、同席していた人々全員から失笑と顰蹙をかい、反論非難の集中砲火を受けました。
意外に在日コリアン氏の批難は柔らかかったのですが、「間違っている」「国益優先の考えは理解しているが」と言われました。同席の左翼系日本人たちも彼に同調されました。(左翼系日本人がかえって在日コリアン以上に過激発言になる事が多々ある。在日コリアンから良く思われたい気持ちがあると私は疑っています)
違和感を持ったのは、「間違っている」と言い切られた事。どう考えても「間違っている」と否定されなければならないほど論理的にも道義的にも逸脱も破綻もしているとは思えない。
たしかに「国益」の問題も考慮してはいるが、私が一番に問題にしたのは、日韓条約という国と国とが交わした契約・法規を拡大解釈する屁理屈が罷り通ってしまったら、現行憲法の9条でも十分再軍備核武装が可能になってしまうぞ、ということでした。周囲は軽蔑の表情で「はあ?」という反応でした。
みんな、あまりにも自分の理屈しか考えない。近視眼的考察にはうんざりです。それでよく多様性社会云々を主張できるものです。
多様性を許容しているのは、むしろ保守中道ではないか、左翼系が忌み嫌う皇室が許容しているのではないか。
皇太子殿下の愛読書はロマン・ロランと聞いていますが、保守で学生運動を弾圧した亀井静香氏がチェ・ゲバラを尊敬していると同じくらい驚きです。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 拡大解釈に慣れきっていると、仰るような「自分独自の拡大解釈」が当たり前になり、結果として周囲が見えないという悪影響をもたらしているようですね。
我が国のはっきりとした主張を明らかにするためにも、拡大解釈に頼らない真摯な議論を望みたいものです。
ぴーち こんばんは!
今日のお話の内容を伺って
少々違う方向へ話が転換してしまいますが、日本の国歌、すなわち「君が代」の事を思い浮かべてしまいました。
君が代も、長い間日本の国歌として親しまれて来た反面、君=天皇を指す言葉として、軍国主義を色濃く象徴している内容だ・などと制定にあたり賛否両論の意見が飛び交って来ましたが、正式に国歌として制定されたのは、ほんの数十年前の話です。
一度はっきり制定されたのなら、(中には真っ向から反旗を翻す方もおりますが、)それに従い遂行されていくものです。
その意味でも、黒田さんの仰るとおり、拡大解釈せずに、しっかり憲法として制定されるべきだと思いました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、日の丸や君が代も法制化によって正式に国旗や国歌として認知されるようになって、学習指導要領における教育面でもはっきりと規定されるようになりました。この効果は非常に大きなものがあるといえるでしょう。
同じように、今日では拡大解釈によってでしか認められていない、あるいは拡大解釈によって真意が捻じ曲げられている問題においても、憲法改正によってはっきりと黒白をつけたいものですね。
黒田裕樹さん
風早 りら 過去の歴史に決着をつけ、我が国が新しく生まれ変わるためにも、自主的な憲法改正が望まれるところであると私は考えます
この問題は 友達とも 話をしています
皆 先生のご意見に 賛成です
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 過去の歴史に決着をつけ、我が国が新しく生まれ変わるためにも、自主的な憲法改正が望まれるところであると私は考えます
> この問題は 友達とも 話をしています
> 皆 先生のご意見に 賛成です
有難うございます。憲法改正について少しでも多くの皆様が前向きになってお考え下さることによって、重要な事柄を先送りすることなく、将来の我が国のために真剣になって議論できる国家になれると確信しております。