しかし、中国の政治制度を基本として制定された律令は次第に我が国の風土(ふうど)にそぐわないようになってきたことで、平安時代に入ると、現実的な政治課題に対応できるように律令の規定に含まれていない官職(かんしょく)が次々と誕生しました。これを令外官(りょうげのかん)といいます。
令外官の一つに、東北地方の蝦夷(えみし)を征伐(せいばつ)する臨時の役職である征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)がありました。当初は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)がそうであったように、純粋(じゅんすい)な蝦夷征伐のための役職でしたが、朝廷(ちょうてい)の許可なく現地で徴税権(ちょうぜいけん)や徴兵権(ちょうへいけん)が与えられていたために、次第に「朝廷から委任されて東国を支配する」という意味に変化していきました。
やがて平家(へいけ)を倒して新たに武家の棟梁(とうりょう)となった源頼朝(みなもとのよりとも)が征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府(かまくらばくふ)を開いたことによって朝廷は政治の実権を奪(うば)われ、さらに源氏から実権を引き継いだ北条氏(ほうじょうし)によって御成敗式目(ごせいばいしきもく)が制定されたことで、律令とは全く異なる法令が当時の基本法になるという逆転現象まで生まれてしまいました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
風早 りら 我が国で初めての本格的な律令は
中国の政治制度を基本として制定されていたんですね
教科書では 習ったのでしょうか
忘れてしまいました
日本独自の 法律だと思っていました
勉強になりました
有難う御座います
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 我が国で初めての本格的な律令は
> 中国の政治制度を基本として制定されていたんですね
> 教科書では 習ったのでしょうか
> 忘れてしまいました
> 日本独自の 法律だと思っていました
> 勉強になりました
> 有難う御座います
律令は中国の政治制度にならったものです。
飛鳥から奈良時代の頃、我が国はまだ大陸の影響を深く受けていました。
しかし時代が進んで我が国が独自の政治制度を確立するようになると、律令制度が我が国に合わなくなってしまうんですよね。その後の律令がどうなったかといいますと…詳しくは次回(2日)をご覧下さい。
ぴーち こんばんは!
養老律令。このワードは記憶しております!
そうですか。
しかし、こうして振り返ると
日本は中国や、プロイセン憲法(ドイツ)を参考にしたという大日本帝国憲法などの例をみると
随分と外国の憲法に頼って作られて来たんですね。
日本国憲法もアメリカのGHQ関連の意向が強いと言いますし。
そういえば、日本国憲法は、ドイツのワイマール憲法を参考にした・・というのを勉強した記憶があるのですが、そこら辺の経緯がどうも混乱していますm(_ _)m
応援凸
おねこ なるふぉど~と、いつもふぉぅふぉぅしながら読ませていただいておりますー。
憲法の背景、ナントもびっくら強引でいい加減な成り立ちに驚きです。
これを何十年もかたくなに守り続けて成長してきたきた日本って、
それはそれですごいことでしたね。
でも、経済成長第1だったから、ってのもあるのか。
経済が揺らぐ今、本質からナントカせねば、そんな感じでしょうか。
政治家先生さまー。この講座をみてくだされー、国民のためにー。
とネコは思うのです。ほんと。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 我が国にないものは外国のものを活用して、その後に我が国独自のものをつくり出す。
他国には見られない潔さが我が国の魅力でもあります。
律令も当初はそうだったのですが次第に我が国に合わなくなっていったんですね。
問題はその後です。律令そのものはほったらかしにして、全く関係ない武家法が律令がわりに利用される。
この傾向は、この後ますます顕著になっていきます。
日本国憲法については数日前の講座で紹介したように、下敷きとなったマッカーサー法案はありとあらゆる近代憲法を参考につくられています。その中にワイマール憲法があってもおかしくはないですね。
おねこさんへ
黒田裕樹 憲法については、仰るとおり経済成長を優先してきたがゆえに、改正問題がほったらかしにされてきました。
現代の私たちはそのツケを払わされているような気がします。
改正が万能であるとはもちろん申しませんが、閉塞感漂う現代であるからこそ、我が国が上向く何らかのきっかけが欲しいですね。
なおまゆ 我が国は律令国家なんですよね。
自衛隊は正しく令外の官ですし。
例外を作って、なんとなく追認してきた歴史を感じます。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > 我が国は律令国家なんですよね。
> 自衛隊は正しく令外の官ですし。
> 例外を作って、なんとなく追認してきた歴史を感じます。
仰るとおりです。
「令外官」としての歴史に今後も迫っていくことになりますので、よろしくお願いします。
しかし、この時代においても律令そのものは廃止されていなかったのです。正式に廃止されたのは、何と制定以来1100年以上が経過した明治維新(めいじいしん)になってからでした。
つまり、国の基本法である律令制度とは別に、時代の流れに沿(そ)って令外官や武家の基本法などを次々に成立させ、両者を並立(へいりつ)させるかたちで律令を形式的にではあっても存続させたのです。いわば律令を拡大解釈(かくだいかいしゃく)することで、律令そのものを変更したり、あるいは廃止させたりせずに長続きさせたのでした。
そして、これと同じことが明治憲法や日本国憲法においても行われているのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
サクラ 律令制というのは明治まで廃止されていなかったのですか!
はやり将軍を天子が任命する形だったとはいえ、実質の支配者は幕府だったのですね。
律令が(形骸化しても)長いあいだ廃止されなかったのは、ひとえに朝廷が定めたものだったからですか?
ぴーち こんばんは!
一国の基本法を根本から廃止し、
また新たに作り直すとなると、それ相当の
年月も要するでしょうから、
その基本法にその都度、その都度、手直しを加える事で、その時代に沿う制度として通用していく事が出来るのなら、
それに越したことはありませんよね。
そういう所からも、日本は伝統を重んじ
それ故に改革を嫌う国なのかなとも思います。
応援凸
サクラさんへ
黒田裕樹 > 律令制というのは明治まで廃止されていなかったのですか!
> やはり将軍を天子が任命する形だったとはいえ、実質の支配者は幕府だったのですね。
そうですね。特に江戸幕府は禁中並公家諸法度で天皇や朝廷を厳しく規制しました。
ご立腹された後水尾天皇が抗議の譲位をされたほどですからね。
> 律令が(形骸化しても)長いあいだ廃止されなかったのは、ひとえに朝廷が定めたものだったからですか?
それはあると思います。伝統を守る、といえば聞こえがいいですが、結論を先送りしただけ、という考えも…。
次回(3日)以降でまた考察してみます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そういう所からも、日本は伝統を重んじ
> それ故に改革を嫌う国なのかなとも思います。
そのとおりです。
ただ、その伝統が世界に通用するか、という問題もあるんですよね。
次回(3日)でその流れを探ってみたいと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 制定以来1100年以上が経過した
律令廃止
何だか 今の国会を見ているかのようです
日本人の特性でしょうか?
元首も形骸化しますね。
晴雨堂ミカエル 従一位とか正二位とかの位階はまだ残っていますね。たしか中曽根元総理は従六位だったような。鳩山由紀夫氏の祖父一郎氏は正二位。
下手したら、細川護煕氏は裏で源護煕なんて呼ばれているかもしれませんね。織田信成君は園遊会で平信成と呼ばれていたりして。(笑)
日本の国家元首も形骸化しますね。天皇は早くから象徴になって摂政関白が実験を握り、その摂政関白も国家元首からバチカン市国のように変質した京都の宮廷の代表になり、代わりに坂東植民地に駐屯している遠征軍総司令官でしかなかった征夷大将軍が元首になり、その征夷大将軍もやがて実権を失って大老や老中首座が国家元首を務める。
日本の総理大臣も一時期は自民党の実力者の子分に成り下がっていましたから、そんな体質なんでしょう、日本国民は。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 制定以来1100年以上が経過した
> 律令廃止
> 何だか 今の国会を見ているかのようです
> 日本人の特性でしょうか?
歴史は繰り返すといいますからね。
日本人の特性といえるかもしれませんが、国際社会でいつまでも我が国の独自性が保てるかどうか、という問題もあるような気がします。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 従一位なんて、いったい何年続いているんでしょうね。
仰るような体質が、この国にはしみついているのかもしれません。ただ、それが外国に理解されるかというと別問題のような気がしますね。