そして2月13日にマッカーサー草案を提示した際、ホイットニー民政局長は松本大臣に対して「この改正案(=マッカーサー草案)を受けいれなければ天皇の地位を保証することができない」と通告しました。これはすなわち、昭和天皇(しょうわてんのう)の御身柄(おみがら)と引き換(か)えにマッカーサー草案の受け入れを迫(せま)るという事実上の脅迫(きょうはく)でした。
さらに、ホイットニーらが会合の場所である外務大臣官邸(がいむだいじんかんてい)から一旦(いったん)庭に出た際に、一機のB29爆撃機(ばくげきき)が大きな轟音(ごうおん)を響(ひび)かせて飛んでいきました。これも「言うことを聞かなければ日本に爆撃を加えるぞ」という、政府に対する心理的な圧迫(あっぱく)でした。
加えて、ホイットニーはGHQと政府との連絡役を務(つと)めていた白洲次郎(しらすじろう)に対して「我々は戸外(こがい)に出て、原子力エネルギーの暖(だん)を取っているのだ」と言い放(はな)ちました。この発言も、広島や長崎に次いで三番目の原爆投下(げんばくとうか)を行う可能性があることを示したものであると考えられています。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
GHQは天皇制そのものを廃止する
という条件ではなく、天皇の命を盾に草案の決定を迫ったわけですね。
随分と卑劣な手段をアメリカは取りましたね。
しかしながら、この草案を辛くも飲んだからこそ、この半世紀以上もの間、日本が平和を保っていられたのかと思うと、当時の日本の判断は正しかったのかなとも思いますが、いかがなものでしょうか。特に天皇のご覚悟には、感謝しなければいけないものだと改めて感じました。
応援凸
黒田裕樹さん
風早 りら ホイットニーはGHQと政府との連絡役を務(つと)めていた白洲次郎(しらすじろう)に対して「我々は戸外(こがい)に出て、原子力エネルギーの暖(だん)を取っているのだ」と言い放(はな)ちました。この発言も、広島や長崎に次いで三番目の原爆投下(げんばくとうか)を行う可能性があることを示したものであると考えられています。
この事実が どうして 今まで
私は知らずにきたのでしょう
私のように 知らない人が多いと思います
これからも 先生が このように
ブログで 取り上げて下さる事を願います
オバrev うぅ~ん、このような過程で日本国憲法草案が作られていたとは思いもしませんでした・・・その割にはよく出来ているとは思いますが^^;
TVなどで憲法改正について論じていますが、このような歴史的背景を抜きにして、我々一般国民を説得することは出来ないと思います。
なぜ改正が必要か、歴史も含めて、現在の国際情勢、将来の日本をどう考えるか、ということで提示してもらいたいです。
ってなことを言っても、今の志のないマスコミには期待できませんから、是非黒田先生には期待したいですよ・・・政界進出?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに、我が国の政府の判断は正しかったと思います。
ただ、陛下を人質するという、我が国にとって一番卑劣な手段をどこが取ったかという事実を、許す許さないは別にして、私たちは忘れてはいけないのではないでしょうか。
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> ホイットニーはGHQと政府との連絡役を務(つと)めていた白洲次郎(しらすじろう)に対して「我々は戸外(こがい)に出て、原子力エネルギーの暖(だん)を取っているのだ」と言い放(はな)ちました。この発言も、広島や長崎に次いで三番目の原爆投下(げんばくとうか)を行う可能性があることを示したものであると考えられています。
> この事実が どうして 今まで
> 私は知らずにきたのでしょう
> 私のように 知らない人が多いと思います
> これからも 先生が このように
> ブログで 取り上げて下さる事を願います
有難うございます。
日本国憲法に関する「事実」を、私たちは今まで知らされなさすぎてきているのです。
憲法の意義について正々堂々と議論するためにも、隠された事実を明らかにすべきだと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > うぅ~ん、このような過程で日本国憲法草案が作られていたとは思いもしませんでした・・・その割にはよく出来ているとは思いますが^^;
急ごしらえとはいえ、64年も使われているという事実も重いですからね。
不完全なものならここまで長持ちはできないでしょう。
> TVなどで憲法改正について論じていますが、このような歴史的背景を抜きにして、我々一般国民を説得することは出来ないと思います。
> なぜ改正が必要か、歴史も含めて、現在の国際情勢、将来の日本をどう考えるか、ということで提示してもらいたいです。
そのとおりです。
憲法制定に至る歴史的事実を知らずして、将来の憲法改正、ひいては我が国の将来についての考察などできるはずがありませんからね。それこそ時間の無駄でしょう。
> ってなことを言っても、今の志のないマスコミには期待できませんから、是非黒田先生には期待したいですよ・・・政界進出?
以前にも仰ってましたね(^^ゞ
自分にそんな実力があるとは到底思えませんが、いずれ救国の英雄が必ず現れてほしいと期待しておりますよ。
また、憲法改正における重要な審議である憲法改正小委員会は非公開とされ、すべてがGHQの思惑(おもわく)どおりに進められたうえで、若干(じゃっかん)の変更を加えたのみで衆議院と貴族院で相次(あいつ)いで可決され、昭和天皇の裁可(さいか)を経(へ)て昭和21年11月3日に日本国憲法が公布されたのでした。
しかも、新しく制定された日本国憲法がマッカーサー草案を下敷(したじ)きとしていることはGHQによって機密事項(きみつじこう)とされ、我が国が独立を回復する昭和27(1952)年まで一切公表されませんでした。国民が全くあずかり知らないところで、気が付けば新しい憲法が誕生していたのです。そこには、本来許されるべき日本人による自由な憲法批判が全く認められないという閉鎖性(へいさせい)が秘(ひ)められていたのでした。
数年もの準備期間を経たのみならず、枢密院(すうみついん)での審議にも一年近くを費(つい)やして完成した明治憲法に対して、憲法の素人が一週間で書き上げた、しかも外国製の憲法を、国会での審議とは名ばかりでGHQによって無理やり制定させられた日本国憲法。憲法に対する我が国での自由な議論は大いになされるべきですが、少なくとも両憲法の成立過程を十分に理解したうえで進めるべきではないでしょうか。
GHQによって日本のプライドを大いに傷つけられたと感じた白洲次郎は、以下の言葉を残しています。
「『今に見ていろ』という気持ちを抑(おさ)え切れず、密(ひそ)かに涙す」。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今日のお話は、驚くべき内容の事ばかりですね。
(昭和27年まで公表されなかったことや、GHQの了承を得なければ、修正出来なかったことなど)
今までこの憲法が一度も改正されなかった事に関しては、アメリカの呪縛が継続的に現在までも
続いているという証拠なのでしょうか。
確かに今の日本はアメリカの存在抜きにしては、自国の安泰は約束されない状態が続いていますものね。白洲次郎の無念の気持ち、分からなくもありません。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、日本国民が自国の憲法についての秘密を一切知らされなかったという事実は衝撃的でもあります。
憲法改正に関しては、次回(31日)以降について改めて考察することになりますが、いずれにせよ白洲次郎の無念の思いを忘れてはいけないと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 白洲次郎 いよいよ 活躍しそうですね
彼は とても 人気があります
今後の彼の活躍を 楽しみにしています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 白洲次郎 いよいよ 活躍しそうですね
> 彼は とても 人気があります
> 今後の彼の活躍を 楽しみにしています
残念ながら白洲次郎の話はこの講座ではここまでなんです。
仰るとおり、彼は人気がありますし、人物にも非常に興味があります。
戦後史を研究する際には彼の名を耳にする機会もあるでしょう。
しかし、憲法改正のためには第96条によって「衆議院および参議院(さんぎいん)の各総議員の3分の2以上の賛成」がまず必要となっており、そう簡単には改正できませんでした。加えて、昭和35(1960)年に日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)の改定をめぐって国内で大規模な暴動(ぼうどう)が起きたことが、より大きな騒動(そうどう)を引き起こす可能性がある憲法改正への論議をためらわせる傾向になってしまいました。
かくして我が国では主として経済成長がその後の課題となり、憲法改正に対する論議がほとんど起きないまま、施行以来64年が経過しようとする現在においても、憲法の条文は全く改正されていません。もっとも、これは明治憲法においても同様であり、日本国憲法が公布されるまでの約57年間ものあいだ、一切改正されませんでした。
なぜ我が国では国の基本法たる憲法の改正が行われないのでしょうか。その背景には、我が国古来の「ある法律」における途方(とほう)もなく長い寿命(じゅみょう)があるのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
「事なかれ主義」と言うのは、
日本国民の特有の体質とも言うべきでしょうか。
特に戦後の日本人はこの考え方が顕著だと
思うのは、私だけでしょうか。
もしかして、これは戦争というこの上ない悲劇を
味わった者が、平和な世の中を誓った矢先、少しのいざこざでも避けたいという思いから始まったのでしょうか。
「ある法律」とは聖徳太子の時代にまで
遡ったものなのでしょうかね?
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「事なかれ主義」と言うのは、
> 日本国民の特有の体質とも言うべきでしょうか。
> 特に戦後の日本人はこの考え方が顕著だと
> 思うのは、私だけでしょうか。
> もしかして、これは戦争というこの上ない悲劇を
> 味わった者が、平和な世の中を誓った矢先、少しのいざこざでも避けたいという思いから始まったのでしょうか。
安保改定の際の暴動で懲りてしまったのでしょうね。
それ以降は仰るとおり「何もなかったことにする」という事なかれ主義がまかり通って、その場のいざこざは避けられたものの、大きなツケが私たちにのしかかっているような気がします。
これは、あたかも江戸末期の開国による大混乱の繰り返しのような思いがしますね。
> 「ある法律」とは聖徳太子の時代にまで
> 遡ったものなのでしょうかね?
憲法十七条ですね。
もう少し後の時代です。次回(1日)には紹介しますよ。