詔書の内容については機会を改めて紹介しますが、一番大事な部分は、実は最後に記されていることを皆さんはご存知でしょうか。
「爾(なんじ)臣民(しんみん)其(そ)レ克(よ)ク朕(ちん)ガ意(い)ヲ体(たい)セヨ」
(現代語訳:我が国民は以上の私の意思に基づいて行動してほしい)
この最後のお言葉があったからこそ、敗戦後に連合国軍が上陸しても、軍人は粛々(しゅくしゅく)と武装解除に応じ、国民も黙って現実を受け入れたのです。
前篇の最後に、昭和天皇が終戦の頃に詠まれたとされる御製の四首を紹介しましょう。
「爆撃に たふれゆく民の 上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも」
「身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて」
「国がらを ただ守らんと いばら道 すすみゆくとも いくさとめけり」
「海の外(と)の 陸(くが)に小島に のこる民の うへ安かれと ただいのるなり」
こうして我が国は終戦を迎えましたが、昭和天皇の「国と国民を護る」ための日々は、この後も長く続くのでした。
[後篇(第23回歴史講座)に続きます。なお、次回(23日)は「大東亜戦争終結の詔書」を掲載します。]




いつも有難うございます。
なお、今回の講座の内容の一部につきましてはリンク先の「ねずきちの ひとりごと」様の記事を参考にさせていただきました。借用を快諾して下さったねずきち様、有難うございました。この場を借りて御礼申し上げます。
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風早 りら 最後のお言葉があったからこそ、敗戦後に連合国軍が上陸しても、軍人は粛々(しゅくしゅく)と武装解除に応じ、国民も黙って現実を受け入れたのです。
この事は 私も以前より 深く 想うことでした
この御言葉があればこそ
武器の解除が 順調にいったのだと思います
このような 例は 他国では あまりないこと
ではないでしょうか
ぴーち こんばんは!
「終戦の詔書」に関しては、これまでドラマやドキュメンタリー番組、映画等で何度となく耳にして来ましたが、冒頭の部分は良く聴いていたりしますが、最後の部分というのは意識して聞いたことがありませんでした。
この当時、私の両親などはまだまだ幼く、周りの大人が粛々と涙を流しながら拝聴している姿を意味も判らずに聞いていたという話を聞いたことがあります。
当時大人の中にも天皇のお言葉を全部理解する事が出来なくて、とりあえずは「日本は戦争に負けた。戦争が終った」という事だけは理解出来たと証言している方もいるくらいに独特な言い回しを理解することが難しく、(黒田さんが現代語訳を記してくださっているので、私は理解させていただきましたが)実際の所、全国民には最後の天皇の本意は思うように伝わらなかったのかもしれなかったのではありませんかね・・?
応援凸
mochimochi これから終戦の日はもう少し厳粛に過ごそうと思います。
また映画の事ですが、”日本の一番長い日” を見た事がありますか?(私はまだ見た事がありませんが。。。)
もしあれば感想を聞きたいのですが。。。
それと私の勝手な解釈ですみませんが、陛下が四月に鈴木首相を選ばれた時から既に終戦の計画が始まってた、と考えたらだめですか?
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 最後のお言葉があったからこそ、敗戦後に連合国軍が上陸しても、軍人は粛々(しゅくしゅく)と武装解除に応じ、国民も黙って現実を受け入れたのです。
> この事は 私も以前より 深く 想うことでした
> この御言葉があればこそ
> 武器の解除が 順調にいったのだと思います
> このような 例は 他国では あまりないこと
> ではないでしょうか
仰るとおりだと思います。
昭和天皇のお言葉で国民が動く。陛下と国民の絆の深さがうかがえますね。
他国には見られない、我が国独特の素晴らしい絆です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ラジオの放送そのものは聴き取りにくさもあって、確かに全文の意思は伝わりにくかったようですが、同日に発行された新聞に詔書の全文が掲載されていたので、そちらで理解した人々も多かったようです。
当時の国民は、教育の成果もあって漢文に対する知識が深かったので、現代語に訳さずとも理解できたそうですよ。逆に今の教育は…もっと頑張りたいですね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > これから終戦の日はもう少し厳粛に過ごそうと思います。
> また映画の事ですが、”日本の一番長い日” を見た事がありますか?(私はまだ見た事がありませんが。。。)
> もしあれば感想を聞きたいのですが。。。
> それと私の勝手な解釈ですみませんが、陛下が四月に鈴木首相を選ばれた時から既に終戦の計画が始まってた、と考えたらだめですか?
「日本の一番長い日」は残念ながら未見ですが、単なる戦争への非難の映画ばかりでない作品は結構ありますよね。
陛下が元侍従長の鈴木貫太郎を首相に選んだご意思は、仰るとおり終戦へと導くお考えがあったと思われます。ただし、首相も阿南陸相も当初は徹底抗戦を主張していました。当人の意思がどこにあったかは分かりませんが、結果として長い長い計画を実現したことになりますね。
昭和天皇の御製の和歌
青田 黒田先生
青田です。
昭和天皇の御製の四首を詠まれたということの
本当に『重み』と『意味』が、わかっていませんでした。
最近、天皇について、いくつかの本を読み、その重みと意味が、さらにわかりました。
日本というのは、古来から
『祈り』と『言葉=言霊』の文化だったんですね。
それは、
先人達が『飢饉・疫病・自然災害を経験し、世の中には、
人間の力では、どうすることも出来ない不条理で、理不尽なことがあることを知っていて、
だから、祈るという気持ち、言葉の力が、
どれだけ重要かを知っていた気がします。』
お恥ずかしい話ですが、私も唯物論者になっていたようです。
さらに天皇陛下が
『祈り』の『御言葉』を臣民、英霊にたいして
和歌にされることが、日本以外の国にはない素晴らしいことだと確信しました。
私も、まだまだ、無知なオッサンです。
青田さんへ
黒田裕樹 私もまだまだ無知ですし、唯物論者の考えが時折顔を出します。
だからこそ人間は絶えず成長しなければならないんですよね。