そして、同じ9日にはソ連が、それまでの日ソ中立条約を一方的に破って我が国に参戦してきました。このままでは北海道をはじめとする我が国北部の領土がソ連に奪われてしまいます。まさに絶体絶命(ぜったいぜつめい)でした。
こうした非常事態を受けて、8月9日の夜に鈴木首相はポツダム宣言を受け入れるかどうかを決めるために、昭和天皇の御前で会議を開くことを決めました。いわゆる御前会議(ごぜんかいぎ)のことです。会議は鈴木首相の他に阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣、東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣など合計7人で行われ、東郷外相は宣言受諾を、阿南陸相はいわゆる本土決戦(ほんどけっせん)も辞さないと徹底抗戦(てっていこうせん)をそれぞれ主張し、いつまで経っても平行線が続きました。
やがて日付も10日に変わり、開始から2時間経ったある時、鈴木首相は立ち上がって昭和天皇に向かい、こう言いました。
「出席者一同がそれぞれ考えを述べましたが、どうしても意見がまとまりません。まことに畏(おそ)れ多いことながら、ここは陛下の思し召し(おぼしめし)をおうかがいして、私どもの考えをまとめたいと思います」。




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ぴーち こんばんは!
ソ連が参戦してきたお話がありましたが、
北方領土もそうですが、北海道本土自体も
危うく二等分されてしまう危機があったと
聞いた事がありました。
北方領土問題も、ソ連の堂々たる主張を
裏付ける根拠は何かあるのでしょうか。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 北方領土については、江戸末期に我が国が当時の帝政ロシアと初めて条約を結んだ際に、千島列島のうち国後・択捉・歯舞・色丹の四島は日本領、得撫島以東はロシア領と、両国合意のもとで決められています。
そんな歴史があるというのに、ロシア(当時はソ連)が大東亜戦争末期のゴタゴタを奇貨として強引に実効支配をしているのが現実です。
取り戻すのは至難の業ですが、あきらめたら終わりですからね。今年ももうすぐ北方領土の日(2月7日)がやってきます。
サクラ 停戦への会議は、原爆投下・ソ連参戦を受けて、初めて行われたことなのですか?
投下以前から日本の上層部は停戦に向けて動いていたから、原爆投下は戦争を早く終わらせたことにならない――という主張を、事あるごとに聞くのですが。
けれど陛下が東京を離れたがらなかった時に、松代の工事が進んでいたんですね。
――ねじれてる、って言うんでしょうか。
上層部が水面下で行っていた議論を(ことにポツダム宣言受諾の主張を)、他の者がやったら売国奴扱いですから。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 停戦への会議は、原爆投下・ソ連参戦を受けて、初めて行われたことなのですか?
> 投下以前から日本の上層部は停戦に向けて動いていたから、原爆投下は戦争を早く終わらせたことにならない――という主張を、事あるごとに聞くのですが。
御前会議が開かれたのは原爆投下とソ連の侵攻が直接の引き金ですね。確かにそれ以前から水面下で工作していた可能性はありますが、私は逆に「先に計画していたからといって、原爆投下の影響がないはずがない」と考えております。
> けれど陛下が東京を離れたがらなかった時に、松代の工事が進んでいたんですね。
> ――ねじれてる、って言うんでしょうか。
> 上層部が水面下で行っていた議論を(ことにポツダム宣言受諾の主張を)、他の者がやったら売国奴扱いですから。
確かにそうですね。こういった重要な議論は、当時は昭和天皇の御前でないと進められなかったでしょう。
黒田裕樹さん
風早 りら アメリカによる非戦闘員を対象とする空前の大虐殺も許しがたいことですが
ソ連がそれまでの日ソ中立条約を一方的に破って我が国に参戦してきたことも同じように許しがたいことです
それを今だに 両国が認めない事実が信じられないことです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > アメリカによる非戦闘員を対象とする空前の大虐殺も許しがたいことですが
> ソ連がそれまでの日ソ中立条約を一方的に破って我が国に参戦してきたことも同じように許しがたいことです
> それを今だに 両国が認めない事実が信じられないことです
戦勝国の道理と敗戦国の呪縛(じゅばく)が、真実を明らかにすることを拒否しているのでしょうね。
いずれにせよ、私たちはこの事実をもっと知る必要があります。
mochimochi 今だからそんなことがあったんだ、って私は思いがちですが、本当に歴史的な会議ですね。
阿波陸相はどうしてそんなに決戦にこだわったのでしょうか?
やはり、天皇陛下の地位の事を思われたからですか?
陸相は当時大きな権力を持っていたのでしょうか?
学校では教えてくれない講義をしていただいてありがとうございます。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 今だからそんなことがあったんだ、って私は思いがちですが、本当に歴史的な会議ですね。
> 阿南陸相はどうしてそんなに決戦にこだわったのでしょうか?
> やはり、天皇陛下の地位の事を思われたからですか?
> 陸相は当時大きな権力を持っていたのでしょうか?
> 学校では教えてくれない講義をしていただいてありがとうございます。
こちらこそ有難うございます。
阿南陸相は陸軍のトップでした。ということは(内心はともかく)表向きには陸軍の強硬な主張を繰り返すしか手段がなかったのです。なお、阿南陸相の真意については後日明らかになります。
ちなみに、当時の陸相は軍部大臣現役武官制によって事実上首相よりも高い地位を誇っていました。この事実が、阿南陸相に複雑な生涯を送らせることになるのです。
なおまゆ 謝罪という言葉は政治の中にはないのですね。アメリカ、ソ連共に人道的にも、国際法的にも許されざることをしてきました。勿論、他の白人諸国も同様です。
何故、日本だけが謝罪し、莫大な補償金を支払わなくてはならないのでしょうか?
歴史が明らかにしてくれる『事実』に則り、日本政府は外交をすべきですよね。
まさか総理大臣だから『アイムソーリー』というギャグなら哀しい物があります。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > 謝罪という言葉は政治の中にはないのですね。アメリカ、ソ連共に人道的にも、国際法的にも許されざることをしてきました。勿論、他の白人諸国も同様です。
> 何故、日本だけが謝罪し、莫大な補償金を支払わなくてはならないのでしょうか?
> 歴史が明らかにしてくれる『事実』に則り、日本政府は外交をすべきですよね。
> まさか総理大臣だから『アイムソーリー』というギャグなら哀しい物があります。
日本人同士の感覚と諸外国との丁々発止(ちょうちょうはっし)のやり取りとは全く別物です。
相手に先駆けて謝罪するという行為は、外国に対して「なめられる」ことに他なりません。
これまでに何度も痛い目にあっているというのに、いつになったら我が国の首脳は目を覚ますのでしょうか。
「それなら意見を言おう。私の考えは外務大臣と同じ(=ポツダム宣言を受諾する)である」。
昭和天皇のお言葉が発せられた瞬間、大臣らの目から涙がこぼれ落ち、やがて号泣に変わりました。陛下も涙を流されながら、お言葉を続けられました。
「念のため言っておく。今の状態で阿南陸相が言うように本土決戦に突入すれば、我が国がどうなるか私は非常に心配である。あるいは日本民族はみんな死んでしまうかもしれない。もしそうなれば、この国を誰が子孫に伝えることができるというのか」。
「祖先から受け継いだ我が国を子孫に伝えることが天皇としての務めであるが、今となっては一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人々に我が国の未来を任せる以外に、この国を子孫に伝える道はないと思う」。
「それにこのまま戦いを続けることは、世界人類にとっても不幸なことでもある。明治天皇の三国干渉(さんごくかんしょう)の際のお心持ちを考え、堪(た)えがたく、また忍(しの)びがたいことであるが、戦争をやめる決心をした」。
昭和天皇のご聖断によって、我が国は「国体(こくたい、ここでは天皇を中心とする我が国の体制のこと)を護(まも)る」という条件を付けることでポツダム宣言を受諾することを連合国側に通知しました。




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風早 りら 「念のため言っておく。今の状態で阿南陸相が言うように本土決戦に突入すれば、我が国がどうなるか私は非常に心配である。あるいは日本民族はみんな死んでしまうかもしれない。もしそうなれば、この国を誰が子孫に伝えることができるというのか」
「祖先から受け継いだ我が国を子孫に伝えることが天皇としての務めであるが、今となっては一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人々に我が国の未来を任せる以外に、この国を子孫に伝える道はないと思う」
昭和天皇のご聖断
このような 詳しいことは 今まで
知ることが出来ませんでした
日本のこの戦争に対する 私達にもっと
詳細に 誰でもが 分かるように
説明が 何処かでなされるべきことだと感じます
黒田先生の講座を 知らなければ
生涯知らずに 終わる処です
この国の そのような政府のあり方にも疑問を感じます
mochimochi 陛下のお言葉を読んで、なんだか涙が出てきました。
陛下と大臣達の日本と日本国民を守る覚悟が感じられるようです。
陛下は日本を守るために恥も受け入れなければならなかったのですよね。
大変悔しく思います。
本当に日本は天皇陛下あっての国だと思います。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇のご聖断
> このような 詳しいことは 今まで
> 知ることが出来ませんでした
> 日本のこの戦争に対する 私達にもっと
> 詳細に 誰でもが 分かるように
> 説明が 何処かでなされるべきことだと感じます
> 黒田先生の講座を 知らなければ
> 生涯知らずに 終わる処です
> この国の そのような政府のあり方にも疑問を感じます
仰るとおり、昭和天皇のご聖断に関する情報が少なすぎます。
戦争の「悪」の面については細かいところまで教えながら、「善」ともいうべき内容は一切教えられない。
どう考えても恣意的なものが感じられるといわざるを得ないですね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 陛下のお言葉を読んで、なんだか涙が出てきました。
> 陛下と大臣達の日本と日本国民を守る覚悟が感じられるようです。
> 陛下は日本を守るために恥も受け入れなければならなかったのですよね。
> 大変悔しく思います。
> 本当に日本は天皇陛下あっての国だと思います。
昭和天皇の並々ならぬご決意が感じられるお言葉ですね。
今までにない国難の時期に、このようなご立派な君主がおられる。
我が国は本当に幸福だと思います。
ぴーち こんばんは!
天皇にとって、耐えがたく、忍びがたい戦争をやめる決心というのも、苦渋の選択だった事でしょうね。
この時の天皇の本意を知らずに
今の時代に生きる私たちは平和であることを当たり前の様に感じ、感謝する気持ちさえも薄れてしまっている事に改めて反省させられます。
今、また改めて戦後の原点に立ち返り、
日本が本当に進むべく道筋を天皇の意思と
共にお浚いしていくべきだと痛感させられました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 天皇にとって、耐えがたく、忍びがたい戦争をやめる決心というのも、苦渋の選択だった事でしょうね。
> この時の天皇の本意を知らずに
> 今の時代に生きる私たちは平和であることを当たり前の様に感じ、感謝する気持ちさえも薄れてしまっている事に改めて反省させられます。
> 今、また改めて戦後の原点に立ち返り、
> 日本が本当に進むべく道筋を天皇の意思と
> 共にお浚いしていくべきだと痛感させられました。
平和の尊さをただ受け取るだけでなく、その重さをかみしめることは本当に重要ですね。
昭和天皇のご意思に背くことは、日本人として大事なものを失ってしまうような気がします。
オバrev 黒田先生、まさに号泣です。
こういう、あの当時を日本のために必死に生きていた我が国の祖先の歴史や、天皇家の歴史に関わる歴史的事実は、しっかり伝えてもらいたいですね。
そう考えると、やはり戦後の東京裁判の評価や我が国の教科書も含めた教育内容の見直しが是非とも必要と思えてきます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 黒田先生、まさに号泣です。
> こういう、あの当時を日本のために必死に生きていた我が国の祖先の歴史や、天皇家の歴史に関わる歴史的事実は、しっかり伝えてもらいたいですね。
> そう考えると、やはり戦後の東京裁判の評価や我が国の教科書も含めた教育内容の見直しが是非とも必要と思えてきます。
私も同感ですし、今回の場面でも実際に参加された皆様は涙を流しておられました。
いわゆる「東京裁判史観」は、我が国がGHQによって支配されている頃の「洗脳」の遺物です。
独立を果たしてから59年が経とうとしていますが、いつになったら見直してくれるのでしょうか…。
せめて、小さくとも民間から声を上げていかなければなりませんね。
想像の域を出ませんが…
関東の誠 昭和のある時期、防衛論議の際某国が戦闘行為に及び、日本の国土に侵攻・上陸して来たらどうするか。ということが話題になりましたが、ある野党は「最後まで平和を訴え続けて最後は逃げればいい。」と発言していたように思います。
これは日本国民に国土を捨て難民になれというように聞こえ呆然としたものでした。
ポツダム宣言の受諾は戦勝国の上陸を受け入れる意味で、戦後の防衛論争と似ていたと思います。
外国の侵攻を受けた国の元首は亡命するか、国民に吊し上げられるのが大方の外国の価値観かと想像します。
この点で日本の天皇家は諸外国とは違い国民の安全を優先にお考えになり、仮に国民が難民となって国土から去る場面であっても最後まで国土にお残りになるお考えなのでは?。と想像します。
昭和天皇の思し召しをしっかり理解できる日本人でありたいと思っています。
そういえば、最近「殿下」や「妃殿下」という言葉を聞く機会がなくなったように思います。
長くなり失礼しました。
関東の誠さんへ
黒田裕樹 仰るような話は私も聞いたことがあります。
個人の思想はともかく、政治家の発言としてはにわかに信じがたいですね。
色々と議論すべき問題があると思います。
この条件では我が国が連合国の属国になってしまう危険性があり、また何よりも天皇の地位の保証が不完全なままでした。この内容でポツダム宣言を受け入れるべきか、外務側と軍部側で再び意見が対立しましたが、ソ連による我が国侵略の脅威(きょうい)が間近(まぢか)に迫った現状では時間がありませんでした。
そこで、鈴木首相は14日に改めて御前会議を開きました。会議では自らの意見を述べる者も、またそれを聞く者も、すべてが泣いていました。陛下も意見をお聞きになりながら何度も涙を流され、しばしば眼鏡を押さえられました。そして、昭和天皇による2度目のご聖断が下りました。
「私の考えは、この前言ったことに変わりはない。相手方の回答に対する不安もあるだろうが、私はそのまま受け入れて良いと思う。また玉砕して国に殉ずる思いもよく分かるが、私自身はいかになろうとも、国民の生命を助けたい」。
ご聖断が下った後、阿南陸相は耐え切れずに激しく慟哭(どうこく、悲しみのあまり声をあげて泣くこと)しました。昭和天皇はそんな阿南に対して優しく声をおかけになりました。
「阿南、お前の気持ちはよく分かっている。しかし、私には国体を護れる確信がある」。




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ぴーち こんばんは!
この当時の日本軍は玉砕を崇拝していた様ですが、天皇のご決断のお話を伺って、硫黄島の戦いで総司令官を務めた「栗林中将」の玉砕禁止を思い出してしまいました^^;(知識が浅くて申し訳ありませんが・・汗)
死を選択することを美化せずに、出来ることなら、一人でも多くの命を繋ぐことで一国を守ろうとするお考えには賛成です。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この当時の日本軍は玉砕を崇拝していた様ですが、天皇のご決断のお話を伺って、硫黄島の戦いで総司令官を務めた「栗林中将」の玉砕禁止を思い出してしまいました^^;(知識が浅くて申し訳ありませんが・・汗)
> 死を選択することを美化せずに、出来ることなら、一人でも多くの命を繋ぐことで一国を守ろうとするお考えには賛成です。
死ぬことよりも、生き抜くことで我が国の未来に貢献できるようにする。
これも一つの立派な生き方ですよね。
そして、実務のトップに君臨するある首脳の責任の取り方は…。
黒田裕樹さん
風早 りら 「私自身はいかになろうとも、国民の生命を助けたい」
このお言葉あってのこその
今の日本があるのでしょう
明日の講座 楽しみにしています
15日の 詳細を お聞きしたいです
おねこ のそり。
勝たなければいけないこと、辱めより死を選ぶこと。
戦争ってのは、命をつかってゲームの駒を動かしているんですよね。
負けることで、命を守る、とても尊い決断だと思いました。
今も、あちこちが戦争してるけど、一体どういうことなんだいっ?
戦争は金儲けビジネス。恐ろしい考えですよね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「私自身はいかになろうとも、国民の生命を助けたい」
> このお言葉あってのこその
> 今の日本があるのでしょう
> 明日の講座 楽しみにしています
> 15日の 詳細を お聞きしたいです
仰るとおり、陛下のまさに一身をなげうった覚悟があったからこそ、戦争を終えることができたといえます。
いよいよ終戦ですが、その前に軍部を止めるための「もう一つの一身をなげうった行動」があります。
おねこさんへ
黒田裕樹 > のそり。
> 勝たなければいけないこと、辱めより死を選ぶこと。
> 戦争ってのは、命をつかってゲームの駒を動かしているんですよね。
> 負けることで、命を守る、とても尊い決断だと思いました。
そのとおりですね。
これ以上犠牲者を出さないためにも、生きて辱めを受ける覚悟を決める。
言うことはたやすいですが、なかなかできる決断ではありません。
> 今も、あちこちが戦争してるけど、一体どういうことなんだいっ?
> 戦争は金儲けビジネス。恐ろしい考えですよね。
戦争は確かに良くないことですが、攻められれば受けなければいけません。
難しいですね。
mochimochi ”昭和天皇は日本史にとても影響した人” と黒田先生が仰った意味が分かりました。
失礼かもしれませんが、陛下は私のヒーローになってしまいました!
国民みなさんに陛下の事をよく知ってもらいたいです!
mochimochiさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、昭和天皇は私たち日本国民にとってヒーローであり、恩人でもあります。我が国には天皇陛下がいらっしゃって本当に幸せですね。
陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、陸相は「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」と一喝(いっかつ)しました。
その後の閣議では昭和天皇による「終戦の詔書」の内容についても審議されましたが、阿南陸相は黙って閣議の決定に従いました。そして鈴木首相に別れの挨拶を告げると、すべての責任を取って翌8月15日午前4時40分、昭和天皇から拝領(はいりょう)したワイシャツを身に着けて割腹(かっぷく)しました。
想像を絶する痛みや苦しみのなか、阿南陸相は介錯(かいしゃく、とどめを刺して楽にすること)を断り、午前7時10分に絶命しました。以下は血染めの遺書に残された阿南陸相の最期の言葉です。
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉(たてまつ)ル 神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ」




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ぴーち こんばんは!
腸は「第二の脳」などと言われる位に、脳と同じ様に重要な器官でもあり、例え脳死状態に陥っても、腸だけはしっかりと正常な動きが出来るといいますが、昔の人はその事を知っていたのでしょうか。断腸の思いなどという言葉は非常に苦しい様子を表す言葉ですが、それ程に「割腹」をするという事は非常に苦しく、痛々しい状況であった事でしょうね(><)
自分の命を持ってして、この国を存続させていきたいという切実な思いが、割腹という形と共に表現された場面はその場に居合わせた人物の脳裏には強烈なメッセージとなった事でしょうが、
昔の軍人さんは、常に死と隣合わせでいたためか、覚悟が違いますね・非常に壮絶な話ですが・・。
応援凸
mochimochi 涙なしに読めませんでした。。。
”神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ”
大変重い言葉だと思います。
私も神州は美しいので守っていきたいと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、陸相は「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」と一喝(いっかつ)しました
このお話も初めて聴きました
阿南陸相には よく言ってくれたと
伝えたい気持ちです
ぴーちさんへ
黒田裕樹 すべての責任を取って割腹した阿南陸相。
いくら死と隣り合わせの軍人とはいえ、仰るとおり壮絶な話ですね。
そんな陸相の思いは、別の意味で我が国を救うことになります。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 涙なしに読めませんでした。。。
> ”神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ”
> 大変重い言葉だと思います。
> 私も神州は美しいので守っていきたいと思います。
割腹してまで我が国の未来を託した阿南陸相。
仰るとおり、私たちが守っていかなければいけませんね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、陸相は「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」と一喝(いっかつ)しました
> このお話も初めて聴きました
> 阿南陸相には よく言ってくれたと
> 伝えたい気持ちです
私もそう思います。
阿南陸相の決死の思いが我が国を救ったという事実の重さを、私たちはしっかりと受け止めなければいけませんね。
HANA子 阿南惟幾陸相は確かにあまり知られていないのが惜しい人物なんですよね
平凡な人物とされながらも、誠実な人柄は多くの人に慕われていたと聞きます
226事件の際にも決起将校たちに
「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」
と軍人は政治に関わるべきではないという自説を叫んでいましたし
陸相自身は抗戦派だったようですが、抗戦を主張する青年将校たちの決起を押し留めていたことも鑑みるに、最後まで天皇陛下の臣であることをを貫かれたのでしょうね
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 阿南惟幾陸相は確かにあまり知られていないのが惜しい人物なんですよね
> 平凡な人物とされながらも、誠実な人柄は多くの人に慕われていたと聞きます
> 226事件の際にも決起将校たちに
> 「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」
> と軍人は政治に関わるべきではないという自説を叫んでいましたし
仰るとおり、人望の厚い立派な人物でしたようですね。
このことが、彼の死後に一つの大きな実を結ぶことになるのですが。
> 陸相自身は抗戦派だったようですが、抗戦を主張する青年将校たちの決起を押し留めていたことも鑑みるに、最後まで天皇陛下の臣であることをを貫かれたのでしょうね
私もそう思います。
軍人としてよりも、天皇陛下に対する忠臣、すなわち国家のために殉じる覚悟を持っておられた。
それゆえの割腹自害だったのでしょう。本当に惜しい人物です。
今でも根強い誤解
青田 黒田先生
青田です。
私の父親は、80歳なのですが、
終戦の時、14歳でした。
今でも、父親は、口にするのは
『もっと、早く、天皇陛下が戦争を終わらせていたら、こんなことにならなかったのに。』と言いだします。
私が、明治憲法について、説明しようとすると
???になります。
戦後教育には、もちろん、問題はありますが、
今の70代は、戦争中、戦争直後は、小学生、中学生なので、真実を知らない老人も多いですね。
特攻隊の平均年齢が19歳ですから、
本当は、今、生きている真実を知るその世代が
次の世代に真実を語り継ぎ、真実を風化させないようにしないといけなかったと思います。
(私は、小学生の時、実際に戦争に行った叔父から、真実を聞きました。ただ、学校で、また、洗脳されましたが)
あの戦争を知っている世代が、どんどん亡くなって、違う方向に歪められているのが、今の日本ですから
青田さんへ
黒田裕樹 確かにその通りですね。
ただ、現在はネットという手段がありますし、真実を広める手段はまだまだあると思います。
「阿南には阿南の考えがあったのだ。気の毒な事をした」。
事実、人望が厚かった阿南陸相の割腹自害は陸軍全体に大きな衝撃(しょうげき)を与え、若干(じゃっかん)の離反(りはん)はあったものの、その後の徹底抗戦への動きを封じることができました。阿南陸相は昭和天皇のご聖断を確かなものにするため、自ら命を絶つとともに、責任の重さから介錯を断って、最期を迎えるまで苦しみぬいたに違いありません。
陸軍の最高責任者として、戦争への責任などが何かと問題視される阿南陸相ですが、昭和天皇のご聖断を受けて陸軍全体をまとめ上げ、最後にはすべての責任を一人で取ったその潔(いさぎよ)い姿勢は、立派なものであったというべきでしょう。
また、陛下の侍従長として長く仕えたことで、昭和天皇とまさに阿吽(あうん)の呼吸でご聖断を導き出し、本土決戦による我が国滅亡の危機や、ソ連の参戦による北海道などの侵略をギリギリのタイミングで防ぎきった鈴木首相の政治力も素晴らしいものがありました。
国民のことのみを考え、自らを顧(かえり)みずに下された昭和天皇のご聖断の背景には、こうした「忠臣」による我が国への無私の行動もあったのです。




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晴雨堂ミカエル イッセー・オガタ氏が昭和天皇に扮した「太陽」はご覧になったことがありますか?
ぴーち こんばんは!
昨日に引き続き、割腹自害のお話ですね・・
武士の美学として一番見苦しくない自害の方法だと伝授されてきたこの死に様も、介錯があってこそ見苦しくない死に様だと美化され、完結されるものを、わざわざ介錯を断り、壮絶な死に様を世に示した阿南陸相の覚悟は相当なものだったことでしょう。
勿論、天皇のご聖断を決定付ける手段としての役割も果たせた事で無駄死にではなかったでしょうけれど、同時に割腹自害の悲惨で、見苦しい姿を見せてくれた事が、自殺を美化することがいかに間違いであるかという事実にも世間は気付いていただきたかったものですが。。
応援凸
黒田裕樹さん
風早 りら ソ連の参戦による北海道などの侵略をギリギリのタイミングで防ぎきった鈴木首相の政治力も素晴らしいものがありました。
私が常に 思っていることの一つがこのソ連の
参戦です もしここで このまま 戦争を
終わらしていなければ 日本は ドイツの
ように アメリカとソ連との支配下に置かれ
たのではと想定していることです
考えただけでも 恐ろしいことです
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > イッセー・オガタ氏が昭和天皇に扮した「太陽」はご覧になったことがありますか?
他の方からもご質問がありましたが、残念ながら未見です。
海外からの陛下の評価は貴重ですから、ぜひ拝見したいと思っているのですが…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 戦時中の話でしたから、阿南陸相の自害の件は一般に知られていなかった可能性もありますからね。
自害そのものは分かっていても、介錯を断ったことまではどうだったのでしょうか…。
いずれにせよ、相当な覚悟を決めての自害であり、だからこそ陸軍も矛を収めたのでしょうね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> ソ連の参戦による北海道などの侵略をギリギリのタイミングで防ぎきった鈴木首相の政治力も素晴らしいものがありました。
> 私が常に 思っていることの一つがこのソ連の
> 参戦です もしここで このまま 戦争を
> 終わらしていなければ 日本は ドイツの
> ように アメリカとソ連との支配下に置かれ
> たのではと想定していることです
> 考えただけでも 恐ろしいことです
仰るとおり、このタイミングで終戦を迎えたことで、北方四島は奪われてしまったものの、北海道そのものは辛うじて守ることができました。
とはいえ、終戦後もソ連の侵攻は続き、千島列島の占守島(しゅむしゅとう)などで壮絶な戦いが続いているのですが、いずれは当講座でも紹介したいですね。
オバrev 強権による独裁・恐怖支配ではなく、下の者の意見をしっかり聞き、国民のための決断をくだされるという、信頼と人望があったからこそ、忠臣も生まれ、ここぞという時にそれぞれが無私の行動をとったのだと思います。
独立国家として平和な日本が現在あるのも、このような歴史があったからなんですね。
やはり被虐的歴史教育から、事実に基づいた歴史教育に転換する必要性を痛感します。それによって日本人が自信を取り戻し、結果として経済的効果もあると思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 強権による独裁・恐怖支配ではなく、下の者の意見をしっかり聞き、国民のための決断をくだされるという、信頼と人望があったからこそ、忠臣も生まれ、ここぞという時にそれぞれが無私の行動をとったのだと思います。
> 独立国家として平和な日本が現在あるのも、このような歴史があったからなんですね。
> やはり被虐的歴史教育から、事実に基づいた歴史教育に転換する必要性を痛感します。それによって日本人が自信を取り戻し、結果として経済的効果もあると思います。
私もそう思います。
理念なき経済発展は、一時的な効果はあっても大きなツケとなって返ってきますからね。現代の我が国が不況から脱出できないのも、自民党や民主党に関係なく、現代の政治に問題があるからではないでしょうか。
65年前の陛下や政治家の覚悟を少しでも理解していれば、このようなことにはならないはずですが…。
mochimochi 日本のために戦い、独立を自分たちの命で守り抜いた方々に感謝を捧げたいと思います。
どうしてこういう人達のことを学ぶ機会が日本に無いのでしょうか?
私が無知なことを学校の先生の責任にするのは間違っていますが、余りにもおかしいと思います。
”日本はすごく悪い事をしたけど、アメリカの恩によって独立が許された”って今まで思っていました。
事実アメリカ人も間違った認識をしています。
話は変わりますが、天皇陛下の神格化について質問があります。
アメリカ人によりますと、日本の民衆は天皇陛下の事を不死身の神だと完璧に信じ込んでいたと言っています。
日本人の事を馬鹿にしてるように聞こえるのですが。
そもそも、日本には万物に神が存在するというようなアイデアがありますよね。日本の思想を知らないで天皇の神格化について述べるのは間違っていると思います。
でも、実際どうだったのですか?
mochimochiさんへ
黒田裕樹 日本人の奥ゆかしさ、悪く言えばお人よしは財産でもありますが、国内ならともかく、生き馬の目を抜く国際社会では、もっと自己主張すべきだと思います。
そうでないと、仰るように外国人にまで間違えて歴史認識を植え付けることになりますから、百害あって一利なしです。
天皇に対する神格化は明治維新以後の国策であったことは事実ですが、それ以前から神格化はともかく、国民が天皇に対する畏敬の念を持っていたことは間違いありません。そうでないと国策だからといって定着するわけがありませんからね。
我が国に限らず、外国のことを知る際にはもっと研究してほしいですね。まして我が国は2000年を誇る歴史を持っているのですから。