「峰つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり」
厚い雲のように世界全体を巻き込んだ戦争が早く終わってほしい、という陛下の切実なお祈りのお気持ちを私たちは知ることができます。しかし、我が国は緒戦(しょせん、戦いの始めのこと)こそ勢いがあったものの、長期戦への準備がなかったことや、物量ともに勝(まさ)る連合国軍との圧倒的な戦力の差はどうしようもなく、徐々(じょじょ)に劣勢(れっせい)に立たされていきました。
そして昭和18(1943)年5月29日には、アメリカ領アラスカ州西のアリューシャン列島の先にあるアッツ島にて日本軍が全員死亡するという、いわゆる玉砕(ぎょくさい)の悲劇が初めて起きてしまいました。
翌5月30日に悲報を耳にされた昭和天皇は、報告に来た参謀総長(さんぼうそうちょう)に対して「アッツ島部隊は最後までよく戦った。そういう電報を打ってほしい」と仰(おっしゃ)いました。しかし、現地の部隊は盗聴(とうちょう)を防ぐため、玉砕の直前に無線機を壊(こわ)しており、もはや無線は通じないですし、何よりも電報を受け取る相手が誰もいません。
参謀総長がそう指摘すると、陛下は「それでも構(かま)わないから、電報を出してほしい」と重ねて仰いました。やがて参謀総長が陛下のご真意に気付くと、涙があふれて止まらなくなってしまいました。
なぜ参謀総長は男泣きしたのでしょうか。そして、昭和天皇が通じない相手への電報にこだわられたのはどうしてでしょうか。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
今年の歌会始のお題は「葉」だそうですね^^
今年はどんなお歌が詠まれることでしょうか。
ところで黒田さんの最後のお題の件ですが、
参謀長の涙と昭和天皇が電報を打つように懇願した理由ですが、その当時の前後に起こったことや天皇のその時のお立場などが私としては、把握し切れていないので、この場合のご心境を記事からのみ解釈させていただくと、天皇が電報を打つように念を押したのは、勿論、玉砕した兵士達への鎮魂の思いもあったでしょうし、本当の意味で戦争に終止符が打たれたのだという証しを示す意味として一方通行の電報に拘られたのかな。。などと単純に解釈してしまいました^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今年の歌会始のお題は「葉」だそうですね^^
> 今年はどんなお歌が詠まれることでしょうか。
私も毎年気になっていますし、楽しみにしております(^^♪
> ところで黒田さんの最後のお題の件ですが、
> 参謀長の涙と昭和天皇が電報を打つように懇願した理由ですが、その当時の前後に起こったことや天皇のその時のお立場などが私としては、把握し切れていないので、この場合のご心境を記事からのみ解釈させていただくと、天皇が電報を打つように念を押したのは、勿論、玉砕した兵士達への鎮魂の思いもあったでしょうし、本当の意味で戦争に終止符が打たれたのだという証しを示す意味として一方通行の電報に拘られたのかな。。などと単純に解釈してしまいました^^;
詳細なご見解を有難うございます。私自身も大いに検討させていただく意義があったと感じております。
不遜ながら、私なりに忖度(そんたく)した見解を次回(13日)に述べますので、またお越し下さい。
黒田裕樹さん
風早 りら 「峰つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり」
この御歌には 感動しました
昭和天皇のお苦しみは どれ程
大きなものでしたでしょう
その頃の軍部の 横暴さを感じずには
いられません
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「峰つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり」
> この御歌には 感動しました
> 昭和天皇のお苦しみは どれ程
> 大きなものでしたでしょう
> その頃の軍部の 横暴さを感じずには
> いられません
御製に託された陛下のお気持ちを、当時の軍部は考慮したことがあったでしょうか。
軍事がすべて悪とは申しませんが、統帥権を握っているはずの陛下のお考えに従ってこその軍部のはずですからね。このあたりの齟齬(そご)が我が国の悲劇かもしれません。次回(13日)の結果を知る者として、切なく思います。
そして、目の前に息を引き取ったばかりの遺体が横たわっていれば、子は親の、親は子の名を何度も叫びながら泣き崩(くず)れます。何度呼びかけようが二度と返事をすることがないことなど分かりきっていますが、それでも呼びかけずにはいられない…。
昭和天皇のご真意もそこにありました。我が国のために命をかけて戦い、そして散っていった兵士の一人ひとりが、陛下にとってはかけがえのない生命なのです。だからこそ、親が亡くなった子に対してそうするように、昭和天皇は二度と聞くことのかなわない、ねぎらいのお言葉を兵士たちにかけられたのでした。
やがて我が国の戦局はますます悪化し、昭和19(1944)年10月25日には爆弾(ばくだん)を載(の)せた飛行機が、敵の軍艦(ぐんかん)めがけて体当たりで突撃(とつげき)するという、いわゆる神風特別攻撃隊(かみかぜとくべつこうげきたい)による攻撃が始まりました。
翌26日に作戦実行をお聞きになった昭和天皇は「そのようにまでしなければならなかったのか!」と叫ばれ、しばし絶句(ぜっく)された後に「しかしよくやった」と仰いました。このお言葉は決して特攻隊を称賛(しょうさん)するのではなく、国のために生命を散らした兵士たちの尊(とうと)い犠牲に対する労(いたわ)りのお気持ちが込められていると考えるべきでしょう。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
仰るとおり、子供の最大の罪は親よりも早く先立つことで、親にとっては最大の不幸でもありますね。逆さ仏という現象は出来れば、経験したくはありませんが、これも親子であっても個人個人の寿命は皆、違いますので、仕方が無い事ですが、それにしても、昭和天皇という方は何処まで慈悲深い方だったのでしょう。。
今日は天皇のエモーショナルな部分を垣間見ることが出来、これまでの昭和天皇の印象がまたいい意味で変えさせていただいたことに感謝します^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 仰るとおり、子供の最大の罪は親よりも早く先立つことで、親にとっては最大の不幸でもありますね。逆さ仏という現象は出来れば、経験したくはありませんが、これも親子であっても個人個人の寿命は皆、違いますので、仕方が無い事ですが、それにしても、昭和天皇という方は何処まで慈悲深い方だったのでしょう。。
私もそう思います。
昭和天皇の慈悲深いお心に、私たち日本人がどれだけ勇気づけられたことでしょうか…。
> 今日は天皇のエモーショナルな部分を垣間見ることが出来、これまでの昭和天皇の印象がまたいい意味で変えさせていただいたことに感謝します^^
こちらこそ有難うございます。
これからの昭和天皇のエピソードにもご期待いただければと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 昭和天皇の
「 そのようにまでしなければならなかったのか!」の御言葉
「しかしよくやった」の御言葉
先生の説明で よく理解出来 心にしみました
ですが 事後報告には 疑問を感じます
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇の
> 「そのようにまでしなければならなかったのか!」の御言葉
> 「しかしよくやった」の御言葉
> 先生の説明で よく理解出来 心にしみました
> ですが 事後報告には 疑問を感じます
お言葉有難うございます。
事後報告についてですが、戦争の作戦遂行は軍部や内閣が独断でやっていたということになるのでしょうか。
時が経つにつれて、陛下のお役割は重要になっていきます。
mochimochi 言葉にできないようなことですね。。。
心が痛くなります。
ちなみに、こういうエピソードは初耳の方が多いのではないでしょうか。
多くの人に知ってほしいものです。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 言葉にできないようなことですね。。。
> 心が痛くなります。
そうですね。
陛下のお気持ちを思うと、何も言えなくなってしまいます。
> ちなみに、こういうエピソードは初耳の方が多いのではないでしょうか。
> 多くの人に知ってほしいものです。
このエピソードをもっと多くの人に知っていただくために、当ブログがほんの少しでもお役に立てれば嬉しいですね。
オバrev 黒田先生、昭和天皇のお話そしてお言葉、涙なくして聞けませんし読めません。
マスコミ、N教組やS派がよく使った、言葉尻を捉えたり、自分たちの都合良いように曲解した恣意的な話ではなく、陛下の本意をきっちり伝えてくださったことに感謝いたします。
私自身は戦後の生まれですが、戦争を体験している方のお話を聞きますと、本当に日本を守るために老若男女が必死だったことがよく分かります。そのことを批判することは誰にもできません。
その真実を後世に伝えていく義務が我々にはあると思います。
民主党政権の功罪の功の部分としてあえてあげれば、このようなことを真剣に国民が考えるようになったことかもしれません(^^ゞ
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 黒田先生、昭和天皇のお話そしてお言葉、涙なくして聞けませんし読めません。
> マスコミ、N教組やS派がよく使った、言葉尻を捉えたり、自分たちの都合良いように曲解した恣意的な話ではなく、陛下の本意をきっちり伝えてくださったことに感謝いたします。
有難うございます。この場面では、実際の講座の参加者の皆様の多くが涙されておられましたし、講演する私も、心の中で同じ思いでした。
> 私自身は戦後の生まれですが、戦争を体験している方のお話を聞きますと、本当に日本を守るために老若男女が必死だったことがよく分かります。そのことを批判することは誰にもできません。
> その真実を後世に伝えていく義務が我々にはあると思います。
誰だって命がけとなれば必死で抵抗します。その過程で仮に命のやり取りをしたとしても、誰が批判などできましょうか。澄んだ目で学ぶ、伝えることができる環境が大切ですね。
> 民主党政権の功罪の功の部分としてあえてあげれば、このようなことを真剣に国民が考えるようになったことかもしれません(^^ゞ
仰るとおりだと思います。人間は追い詰められて初めて気が付くもの。自民党政権のままでは永遠にこの機会を失っていたかもしれませんね。
また、国民の多くが食糧不足に悩(なや)まされている現実をお考えになった昭和天皇は、ご自身のお食事も国民と同じ配給を強くお命じになられ、代用食や水団(すいとん)などを進んでお召(め)し上がりになりました。
物資不足だけなら、苦しくても国民はまだ生きていけます。しかし、空から敵の軍隊に攻撃されてはひとたまりもありません。そして、その恐るべき事態が現実となる日がやって来てしまいました。
3月9日の夜から10日にかけて、アメリカのB29爆撃機(ばくげきき)が東京に大挙(たいきょ)して襲来(しゅうらい)し、あちらこちらに爆撃を行いました。いわゆる東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)であり、わずか1回の空襲で約26万戸の家が焼かれ、12万以上の人々が死傷し、100万人を超える人々が焼け出されるという甚大(じんだい)な被害をもたらし、世界史上でも例を見ない非戦闘員に対する大虐殺(だいぎゃくさつ)となりました。
空襲後、昭和天皇はご自身で被災地を訪問したいと希望なされ、約1週間後の18日に実現しました。空襲から間もない東京は焼け野原と化しており、焼け死んだ人々の遺体もそのままになっていました。陛下は被災者をお励ましになりながら、東京の変わり果てた姿に胸が痛む思いでいらっしゃいました。もはや一刻(いっこく)の猶予(ゆうよ)もなく、一日も早く戦争を終わらせないといけない―。
そして、その直後の4月に昭和天皇は次の内閣総理大臣に元侍従長の鈴木貫太郎を指名されました。ご自身との縁が深い鈴木ならば、この戦争を終わらせることができると期待されたのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
mochimochi 当時の状況がよくわかる講義で感謝します。
でも正直、想像を絶する光景で信じられません。
なんというか、しつこいようですが、もう一度その期間の歴史を世界中の人が研究してほしいと思います。
私も微力ですが、いろいろと話し合うきっかけをつかんでいこうと思います。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 当時の状況がよくわかる講義で感謝します。
> でも正直、想像を絶する光景で信じられません。
有難うございます。
飽食の時代、平和ボケの時代には考えられない出来事ですね。
わずか65年前の同じ我が国なんですが…。
> なんというか、しつこいようですが、もう一度その期間の歴史を世界中の人が研究してほしいと思います。
> 私も微力ですが、いろいろと話し合うきっかけをつかんでいこうと思います。
謎も多く、また時代背景も複雑ですから、まとめあげるのも大変かと思われますが、私も何とか頑張ってみます。
ぴーち こんばんは!
戦中はきっと
非鉄、鉄に関わらず、物質不足だった事でしょうね。以前、「がばいばあちゃん」という映画作品を鑑賞した際に、おばあちゃんが外出して歩く時に、腰に磁石を着けた紐を括り付けて、歩く姿がありましたが、そこへついてきた鉄も貴重なものであった事でしょう。
おばあちゃんは、生活の足しにしていたようですが。。
それにしても、地獄絵図と化した空襲の惨劇を目の当たりにした陛下のご心痛は、察するに余りあるものです。
私などは戦後の高度成長期に生を受けた人間ですので、幸か不幸か戦争の悲惨な状況も経験も全くありません。不幸というのは、勿論、戦争の悲惨さを実際に知らないという事の怖さです。
恐怖を知らない人間は、戦争の本当の怖さを知らないので、安易に平和の大切さをも忘れてしまいがちです。むしろそういう人間が増えてくることこそ、怖いものだと思います。
月並みですが、こういった話は非常に重要なお話ですので、黒田さんの講座で少しでも多くの皆さんにも何か感じていただきたく思いました。
応援凸
、
ぴーちさんへ
黒田裕樹 戦時中の物資不足は、現代の私たちには想像もつかないことですね。
思い起こせば、平成5年にコメ不足になった際には外国米を輸入して急場をしのぐことができましたが、日本米の方がいいといって随分もめたことがありました。戦時中の人々がこれだけ苦労なさっておられるのに、罰(ばち)が当たりますね。
戦争の悲惨さと平和の尊さとは、体験しないと本当に理解できないかもしれませんね。
現在の我が国を取り巻く情勢を思えば、過去の悲劇を繰り返さないためにも「国を守る」ための様々な知恵が求められていると思います。東京大空襲のような悲劇は二度と御免ですからね。
黒田裕樹さん
風早 りら 100万人を超える人々が焼け出されるという甚大な被害をもたらし世界史上でも例を見ない非戦闘員に対する大虐殺となりました
非戦闘員への大虐殺
今だに 世界に 理解しえない現実を憂います
空襲後昭和天皇はご自身で被災地を訪問したいと希望なされた
この事実は知りませんでした
知らない人は 多いと思います
先生の講座の影響は 強いです
これからも 期待しています
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 100万人を超える人々が焼け出されるという甚大な被害をもたらし世界史上でも例を見ない非戦闘員に対する大虐殺となりました
> 非戦闘員への大虐殺
> 今だに 世界に 理解しえない現実を憂います
大昔ならともかく、近現代では国際法によって非戦闘員への虐殺は厳しく禁じられています。
にもかかわらず、はっきりと記録に残るかたちで大虐殺を行ったアメリカ。
しかも、虐殺はこれだけではありません…。
>> 空襲後昭和天皇はご自身で被災地を訪問したいと希望なされた
> この事実は知りませんでした
> 知らない人は 多いと思います
> 先生の講座の影響は 強いです
> これからも 期待しています
有難うございます。
国民が空前の被害を受けたことに対して、陛下は非常にご心配なさっておられたと伝えられています。
国民の平和と安寧を祈り続けられるからこそ、目の前の惨状を黙ってご覧になられるわけにはいかなかったのでしょう。
mochimochi 昭和天皇にまつわるエピソードを思い出しました。
”昭和天皇のお食事” 渡辺 誠著をご存知でしょうか?
宮内庁管理部大膳課に勤務されてた渡辺さんがどんな料理を天皇陛下が召し上がっていたか書いた本です。
その中で、両陛下と召使いがピクニックに行かれたときのエピソードがありました。(もちろん戦後の話です)
陛下はイチゴジャムサンドイッチが好きで一番先に2、3個食べたようです。
そして、まだ手のつけてないたくさんのサンドイッチを召使いに渡しました。”皆で食べなさい”と言う意味です。召使いが困って、みんなの手に渡るように配ると、陛下の食べる分がなくなるといったら、それでも良いとのことでした。
陛下は皆で一緒に同じ食事をしたかったようです。
これを読んで、すごいなぁと感じたことを思い出しました。
それと、もう一つ”暗黒大陸中国の真実”をご存知でしょうか?
私はこれを読んで、アメリカ人の宣教師が反日を煽動したことを知ってすごく腹が立ちました。
アメリカ人宣教師には何度も会ったことありますけど、その時は全然こういう事実を知らなかったので、今度会ったら絶対問いつめよう!と思っています。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 貴重なエピソードを有難うございます。
両方とも未読ですが、時間があればぜひ読んでみたいですね。
アメリカの行動については、次回(16日)以降にさらに詳しく紹介することになります。
アメリカの残虐性
青田 黒田先生
青田です
私は、アメリカという国は、決して、嫌いな国では
ありませんが、
戦争における残虐性においては、ぞっとします。
◆ 東京大空襲
・・・まず、東京周辺に爆撃を加えて、女性・子供・老人が東京から、出られないようにしてから
焼夷弾を集中投下して、火災で、多くの人間が死ぬようにした。
◆ 原爆投下
・・原爆の効果を知るために、
一度も空襲を受けたことがない都市で、
市街地の原爆を投下した。
一説には、第三の原爆は、『京都』になる予定と言われています。
ここまでのことを、『正義』の名において
出来るアメリカには、逆に背筋がぞっとします。
※ 戦前の日本軍を鬼のように騒ぐ人間もいるようですが、それを言うなら、アメリカ軍は、悪魔ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
現在のアメリカにどのような感情を抱こうがその人の自由ですが、歴史的事実を踏まえたうえで対応すべきだと思います。
そして5月25日から26日にかけて東京が空襲にあった際には皇居にも飛び火し、明治天皇以来の宮殿が焼け落ちると、昭和天皇は「そうか、焼けたか。これでやっとみんなと同じになった」と仰られ、その後は昭和36(1961)年末に新しい御所が完成するまで、防空壕(ぼうくうごう、空襲の際に避難するため地中に造る穴や構築物のこと)としてつくられた御文庫(ごぶんこ)でお過ごしになりました。
後に終戦を迎えても、我が国の経済が回復し、国民の生活が向上するまでは新しい御所の造営をお認めにならなかったのです。国民の安寧な暮らしを常に願われていた昭和天皇の御心をうかがい知ることができるお話ですね。
さて、昭和20年に入ってからも我が国の戦局は悪化するばかりであり、6月23日には沖縄における日本軍の守備隊が全滅しました。そして7月26日にはアメリカ・イギリス・中華民国(実際にはソ連)の3ヵ国によるポツダム宣言が出されました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
昭和天皇とマッカーサー元帥のお話を思い出しながら、拝見させていただきました。
天皇は、「私一人が悪いのであり、日本国民や、軍人が悪いのではありません。責任は私一人にあるのです」と、自分の命と引き換えに平和を願ったという発言も、強ち、眉唾ものの話ではなかったように思いました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇とマッカーサー元帥のお話を思い出しながら、拝見させていただきました。
> 天皇は、「私一人が悪いのであり、日本国民や、軍人が悪いのではありません。責任は私一人にあるのです」と、自分の命と引き換えに平和を願ったという発言も、強ち、眉唾ものの話ではなかったように思いました。
仰った話も有名ですね。
後篇で詳しく紹介することになりますので、またご覧いただければと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 「 私は国民とともにここで苦楽を分け合う 」
「 そうか焼けたかこれでやっとみんなと同じになった 」
陛下のこのお言葉 感動しました
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「 私は国民とともにここで苦楽を分け合う 」
> 「 そうか焼けたかこれでやっとみんなと同じになった 」
> 陛下のこのお言葉 感動しました
有難うございます。
真実の話だからこそ、私たちは陛下のお姿に感動できるんですよね。
いつの時代であろうとも、天皇なくして我が国の将来はありません。このため、我が国ではポツダム宣言を受諾(じゅだく)するかどうか、態度を明確にしないまま連合国軍の出方をうかがうことにしたのですが、この裏にはアメリカによるとんでもない謀略(ぼうりゃく)が隠(かく)されていました。
実は、当初の宣言文には「日本が降伏すれば天皇の地位を保証する」と書かれていたのです。駐日大使(ちゅうにちたいし)の経験者で我が国の実情をよく知っていたグルーによって、我が国が宣言に応じやすいようにつくられていたのですが、土壇場(どたんば、最後の場面という意味)でアメリカ大統領のトルーマンが削除しました。
トルーマンが削除した宣言が発表されたことによって、アメリカは宣言以前に決まっていた計画を実行に移しやすくなったのです。その計画こそが、悪名高い「原子爆弾(げんしばくだん)の日本への投下」だったのでした。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
mochimochi アメリカは過去も現在も汚い。
ちなみに、TPPのことをご存知でしょうか?
アメリカがまた日本を破壊しようとしてます。
詳しくは
TPPアメリカの真の狙いは!?
http://www.youtube.com/watch?v=aV4fmGVP3kw
をご覧になってください。
背筋がぞっとします。
ぴーち こんばんは!
なるほど、全体的な「無条件降伏」ではなかったのですね。
それにしても痛い所を見事に突いて来ますね。
そう考えると、アメリカは日本の野山を焼け野原にして、日本古来の雑木林を失わせて、代わりに成長が早いアメリカ杉を植樹することで、新たに花粉症という病気で、日本人を苦しめている。
計算ずくとは言い難いですが、アメリカのやり方にはいつでも悩まされる事が多いですね。
その反面、個人的にはマッカーサー元帥のように、日本贔屓のアメリカ人も存在して、情に脆く、話の判る人間もいるという事も忘れてはいけないようにも思います。
応援凸
mochimochiさんへ
黒田裕樹 自分の国益を考えるのはどの国も同じですが、やり方が露骨なのはいただけないですね。
我が国のように「お人よし過ぎる」のも問題があると思います。
もっと強くあってほしいですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 他国との付き合い方にも色々ありますね。
仰るように、我が国をヒイキにしてくれる人間がいる一方で、とんでもないことを考える人間もいます。
マッカーサーについては、後篇で詳しく考察してみたいと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 「原子爆弾の日本への投下」
この事実は 私達 日本人の
どれだけの人が知っているのでしょう
知る権利を 思いました
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「原子爆弾の日本への投下」
> この事実は 私達 日本人の
> どれだけの人が知っているのでしょう
> 知る権利を 思いました
原爆投下という現実に変わりはなくとも、仰るとおりその「過程」にどのような謀略があったかを知る必要があると思います。
そのことが、現在のアメリカとの同盟の「意義」をより深く知ることになるでしょう。
mochimochi TPPについての動画がもう一つありました。
11:54 ~ 20:20
上記の箇所見る価値あると思います。
mochimochi http://www.youtube.com/watch?v=bqwvNJBlaQA&feature=related
動画を貼付けるの忘れました。
すみません。
mochimochiさんへ その2
黒田裕樹 ご教授有難うございます。
今後の参考にさせていただきます。
これからも有益な情報がございましたら、ぜひお知らせ下さい。
ポツダム宣言の??
青田です。 黒田先生
青田です。
ポツダム宣言で、納得できないのは
第6条もあります。
「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないから。」
→ 日本が世界征服に乗り出す~
日本は、仮面ライダーのショッカーではありません。