この事件の首謀者(しゅぼうしゃ)は、当時の中華民国(ちゅうかみんこく)から我が国が租借(そしゃく、他国の領土の一部を一定の期間を限って借りること)していた遼東半島(りょうとうはんとう)の一部である関東州(かんとうしゅう)に配属されていた、我が国の陸軍である関東軍(かんとうぐん)の大佐(たいさ)でした。
事件発生に驚(おどろ)かれた昭和天皇は、直ちに当時の内閣総理大臣であった田中義一(たなかぎいち)に関係者の厳正(げんせい)な処分と軍の綱紀粛正(こうきしゅくせい、国家の規律や秩序あるいは政治のあり方や政治家・役人の態度を正すこと)を命じられました。
しかし、田中首相は陸軍などの強い反対を受けて関係者を処罰(しょばつ)することができず、結局事件をうやむやにしたうえで、翌昭和4(1929)年6月27日に調査結果を昭和天皇に上奏(じょうそう、天皇に意見や事情などを申し上げること)しました。
まだ28歳とお若かった昭和天皇のお顔の色がにわかに変わり、お怒りの声を発せられました。
「この前の約束と話が違うではないか!」




いつも有難うございます。
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吉田彦九郎 明けましておめでとうございます。
ご無沙汰いたしております。
しばらく休ませていただいておりましたが、今年から再スタートしたいと思います。
黒田先生の足元にも及びませんが、少しずつ更新していきたいと思います。
『黒田裕樹の歴史講座』にも時々お邪魔して勉強させていただきます。
よろしくお願いいたします。
ぴーち こんばんは!
我が国の軍の大佐の仕業といえども
他国のものを暗殺したとなれば、
個人の問題だけでは済まされなくなりますので、
その処分を直ちに執り行なうということは、正しい判断だと思いますし、当然、速やかに行うべき問題だと思いますが、軍の圧力によって天皇の意向が捻じ曲げられたと言うことは、天皇自身のお気持ちの上でも非常に遺憾な
ことだったと思います。(遺憾に思うところではなかったのでしょうけれど)
この当時の軍の権力・権限とは、天皇よりも上だったのでしょうか。
応援凸
吉田彦九郎さんへ
黒田裕樹 明けましておめでとうございます。
お元気そうで何よりですね。
こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、昭和天皇のお気持ちを理解するどころが捻じ曲げようとする姿勢に、陛下のお怒りが爆発されたのは無理もないことだと思います。そのお怒りが、更なる出来事を生み出してしまうところが何とも言えないのですが…。
当時の軍部は統帥権干犯問題が表面化する一歩手前でしたが、次第に内閣や政府の言うことを聞かなくなっていました。その背景には「ある思想」があるのですが、これについては日を改めて紹介することになります。
黒田裕樹さん
風早 りら 昭和天皇が 次第に軍に 利用されて
いく様子が これから 顕著になっていくでしょう
それは昭和天皇のお気持ちとは 全く
相反することだったと 私は思っています
第二次世界大戦への道のりの
真実 黒田先生に期待しています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇が 次第に軍に 利用されて
> いく様子が これから 顕著になっていくでしょう
> それは昭和天皇のお気持ちとは 全く
> 相反することだったと 私は思っています
仰るとおりです。
陛下のためと口にしながら、陛下にとって大事な人々を犠牲にするという大きな矛盾が、この後明らかになります。
> 第二次世界大戦への道のりの
> 真実 黒田先生に期待しています
有難うございます。
今回は真実について直接問いかけることはありませんが、陛下のお立場を中心に側面から眺めてみたいと考えております。
mochimochi 立憲君主制の重み
本当にその通りですね。
素人的な意見ですが、私は立憲君主制のバランスが悪かったのは、天皇が誠実すぎるお方だったかもと思っています。
というのは、イギリスも立憲君主制ですが、かなりの(?)腹黒さで、二枚舌で、イメージ的には日本は小学一年生でイギリスは太ってひげを生やしたしぶといお爺さんという感じがします。
今の日本は中学一年生くらいのイメージでしょうか?
とにかく日本は歴史をしっかり勉強して、騙されないようにしてほしいです。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 確かに世界には煮ても焼いても食えない君主も存在していますね。
我が国の天皇も125人存在されておられるので、中には豪傑の名にふさわしい方もおられるようですが、近現代ではむしろ「誠実な陛下」の印象が強いように感じられます。
君主が誠実なお方であっても、その下の政府が維新の元勲のように「食わせ者」であれば大丈夫なんですが、昭和の初期はどちらも真面目すぎるような思いもします。
せっかく過去に成功したとは言い難い歴史があるのですから、しっかり学んで二度と騙されないようにしたいものですね。
そのためには軍隊であっても当然規則を守らねばならないはずなのに、大きな事件を起こしたばかりか、その結果をうやむやにしようとする田中首相の報告を、昭和天皇はお許しになれなかったのです。そして、そのお怒りがさらなるお言葉を生み出してしまいました。
「辞表を出してはどうか」。
昭和天皇から直接辞職を迫(せま)られた田中首相は大きなショックを受けて、5日後の7月2日に内閣総辞職をすると、それから3ヵ月も経(た)たない同年9月29日に死亡してしまいました。
後に田中義一の死去をお知りになった昭和天皇は、お心の中で「しまった」と思われました。なぜなら、天皇陛下が行われたことは、結果的に明治憲法で定められた立憲君主制に反することだったからです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
なるほど、立憲君主制であるが為に
天皇は苦悩されたわけですね。
これが絶対君主制(専制君主制ともいうのでしょうか・・)なら、天皇の発言は絶対的効力を発したのでしょうけれど。。
天皇といえども、法律に従わなければいけないのがお辛い所だった事でしょう・・。
それにしても田中首相の死因は何だったのでしょうかね・・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、立憲君主制であるが為に
> 天皇は苦悩されたわけですね。
> これが絶対君主制(専制君主制ともいうのでしょうか・・)なら、天皇の発言は絶対的効力を発したのでしょうけれど。。
> 天皇といえども、法律に従わなければいけないのがお辛い所だった事でしょう・・。
専制君主であれば自分のやりたい放題ですから何も気にする必要がありません。
昭和天皇は明治憲法を厳格に守られておられましたし、そもそも立憲君主制は武家政治でのお立場など、我が国で長い間定着してきましたからね。
> それにしても田中首相の死因は何だったのでしょうかね・・
急性の狭心症と伝えられていますが、心因的な影響があっても不思議ではないですね…。
黒田裕樹さん
風早 りら 田中首相の死が それからの
昭和天皇の立場を悪くして
しまったのでしょう
悲しいことですよね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 田中首相の死が それからの
> 昭和天皇の立場を悪くして
> しまったのでしょう
> 悲しいことですよね
仰るとおりですね。
因果関係は不明にしても、あまりにもタイミングが悪過ぎました。
その後の昭和天皇のお考えについては、次回(8日)の更新で明らかにします。
mochimochi どの君主にも言えると思えますが、責任感が重いし孤独でしょうね。。。
それにくらべ、今の内閣は責任感が無さすぎます。
無いのに偉そうにしているので見ているだけで腹立たしくなってしまう。。。
これからは変わってほしいです。。。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > どの君主にも言えると思えますが、責任感が重いし孤独でしょうね。。。
私もそう思います。そんな中でも君主の責任を全うされようとする陛下は素晴らしいですね。
> それにくらべ、今の内閣は責任感が無さすぎます。
> 無いのに偉そうにしているので見ているだけで腹立たしくなってしまう。。。
> これからは変わってほしいです。。。
現内閣か、あるいは次の内閣かどうかは分かりませんがそうであってほしいですね…。
まして、ご自身の発せられた言葉が内閣を総辞職させ、首相を死に追いやったかもしれないという結果が、日頃から責任感のお強かった昭和天皇に大きな影響をもたらすことになりました。
この事件以降、昭和天皇はご自身に誓(ちか)われました。
「今後、内閣が私に上奏することは、たとえ自分の考えと反対の意見であったとしても裁可(さいか)を与えることにしよう」。
昭和天皇にとっては、立憲君主というご自身のお立場をお考えになってのご決断でしたが、時代は統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)に関する問題が深刻(しんこく)になっており、陛下のご決断は皮肉にも、結果として軍部の暴走を黙認(もくにん)されることにつながってしまいました。
これ以降、昭和天皇は内閣とは無関係にご自身で政治的な問題に決断されることが2回ありました。そして、その2回ともが我が国の運命を大きく変えることになるのです。
昭和8(1933)年12月23日にご待望の男児である明仁親王(あきひとしんのう、現在の今上天皇=きんじょうてんのう)のご誕生という慶事もありましたが、1回目のご決断の機会は、その2年2ヵ月後に起きた大事件の際に訪れたのでした。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
そうですか。
昭和天皇のお気持ちを思うと
何とも居た堪れなくなるような思いがします。
その当時の日本の軍は天皇のお言葉も聞き入れられない程、それまでの戦争の勝利に酔いしれ、思い上がっていたんですね。
そして天皇の責任感の強さが、飛ぶ鳥も落す勢いの当時の日本には仇となってしまったのはとても残念でした。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか。
> 昭和天皇のお気持ちを思うと
> 何とも居た堪れなくなるような思いがします。
陛下としては法律を厳格に守ろうとなされると、反対意見でもだまって通さざるを得なくなる。本当にお辛いですよね。
> その当時の日本の軍は天皇のお言葉も聞き入れられない程、それまでの戦争の勝利に酔いしれ、思い上がっていたんですね。
> そして天皇の責任感の強さが、飛ぶ鳥も落す勢いの当時の日本には仇となってしまったのはとても残念でした。
軍部の暴走には、単なる思い上がりだけでなく複雑な理由があります。次回(9日)の更新でその流れや暴走の結果として起きた悲劇について紹介したいと思います。
国内で自給自足(じきゅうじそく)できる国ならそれで良いかもしれません。しかし、我が国のように資源に乏(とぼ)しく外国との貿易に頼っている国家にとって、ブロック経済は深刻な打撃になりました。その一方で、建国されてから日の浅い共産主義国のソビエト連邦(現在のロシア)による政策は、貧困の生活にあえぐ、特に優秀な軍部の青年将校にとっては魅力的に映りました。
かくして軍部では天皇を中心とする社会主義思想が主流となり、地主や資本家などの富裕層(ふゆうそう)や、彼らと癒着(ゆちゃく、好ましくない状態で強く結びつくこと)していると思われた政党政治家(せいとうせいじか)を激しく憎(にく)むようになりました。先に紹介した張作霖爆殺事件や統帥権干犯の問題、あるいは昭和7(1932)年に首相の犬養毅(いぬかいつよし)が暗殺された五・一五事件(ご・いちごじけん)も、こうした流れの中で起きたのです。
我が国での社会主義思想は、やがて陸軍における皇道派(こうどうは)と統制派(とうせいは)との派閥(はばつ)争いをもたらし、昭和11(1936)年2月26日の未明、皇道派の青年将校らが首相の岡田啓介(おかだけいすけ)や大蔵大臣(おおくらだいじん)の高橋是清(たかはしこれきよ)、内大臣(ないだいじん)の斎藤実(さいとうまこと)、そして侍従長(じじゅうちょう、天皇側近である侍従の長官)の鈴木貫太郎(すずきかんたろう)らを次々と襲(おそ)いました。
いわゆる二・二六事件(に・にろくじけん)の始まりです。




いつも有難うございます。
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mochimochi いろいろな流れを説明してくれたので、わかりやすいです。
ありがとうございます。
歴史は繰り返すってよく言われますよね。
今も昭和4年と同じじゃないですか?
素人の私が言っても現実味がないと思いますが。。。
自給自足してほしいと思います。
そしてしつこいようですが歴史を徹底的に勉強してほしいです。
特に学生と政治家に。
黒田先生頑張ってくださいね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 こちらこそお言葉有難うございます。
確かに歴史は繰り返します。
今の状況は、混乱の大きさを考えれば戦前でもあるようですし、幕末でもあるような気がします。
いずれにせよ我が国が乱世に差し掛かっていることに間違いはありません。
普段は「昼行灯」であっても、ここぞとばかりに実力を発揮する人が必ず出てくるはずです。
しかし、その実力を持続させるには後継者の育成が必須であり、そのためには一にも二にも教育です。
私もほんの少しでもお役に立ちたいですね。
ぴーち こんばんは!
今現在の日本も450品目もの関税の値上げを実施し始めていますが、これもこの当時行ったブロック政策と同じ方式を展開しているのでしょうか。そうだとすると、日本の経済の益々の弱体化は否めませんね。
軍部の青年将校が事件を起した理由はそういう思いからなんですね。
確かに原因無くして、事は起こりませんものね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今現在の日本も450品目もの関税の値上げを実施し始めていますが、これもこの当時行ったブロック政策と同じ方式を展開しているのでしょうか。そうだとすると、日本の経済の益々の弱体化は否めませんね。
貿易と経済は密接に関係しています。そして、微妙な国際関係とも…。
自国の経済も大切ですが、他国を不当に追い込んでまで繁栄をもたらそうとすると、いつの世も手痛いしっぺ返しを食らうということですね。
> 軍部の青年将校が事件を起した理由はそういう思いからなんですね。
> 確かに原因無くして、事は起こりませんものね。
一般的に知られている軍部の暴走にも深い理由があるのです。
そして、その行為が昭和天皇に、さらには我が国にどのような影響をもたらすことになるのでしょうか。
それだけに昭和天皇のお怒りは激しいものがあり、直ちに「速やかに暴徒を鎮圧(ちんあつ)せよ」と命じられました。首相の安否(あんぴ)が分からないことで、内閣不在で混乱が生じてもおかしくない事態を、陛下のお言葉によって収めることができたのです。
もし陛下の素早(すばや)いご決断がなければ、我が国は皇道派によるクーデターによって政権が乗っ取られ、その後の運命がどのように変化したか分かりません。ただ、二・二六事件によって示された軍部の実力は、その後の内閣にも大きな影響を与え、事件後に組閣された広田弘毅(ひろたこうき)内閣によって軍部大臣現役武官制(ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい)が復活してしまいました。
これは陸軍や海軍の大臣は必ず現役の軍人に限るという制度であり、もし内閣が軍部の意向に逆らうようであれば、軍部側は大臣を辞めさせたうえで後任の人選を拒否することで、内閣を総辞職させることができるというカラクリがありました。つまり、内閣は常に軍部の影響下に置かれてしまうという制度だったのです。
ところで、二・二六事件で重傷を負った鈴木貫太郎でしたが、とどめを刺(さ)されるところを、鈴木の妻の懇願(こんがん、ひたすらお願いすること)によって一命を取り留めました。この妻こそが「鈴木たか」、つまり幼年期の昭和天皇のお世話をした「足立たか」だったのです。たかによって生き長らえることができた鈴木は、やがて歴史の大きな舞台に再び登場することになります。




いつも有難うございます。
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オバrev いやぁ~、知らないことばかりです!
私が高校のときの日本史はご高齢ののんびりした先生で、授業は明治時代の途中までしかすすまず、後は自分でやって下さいと言われました(>_<)
ただ、おそらく大阪の大学には土地柄現代史専門の先生が少ないのか、たまたま受験した大学では現代史は出題されませんでした(^^ゞジツハワカッテマシタ
それにしてもこれだけの内容となると、当然高校で教える範囲を大幅に越えていると思います。
黒田先生は法学部出身ですから、特別日本史を深く学ばれた訳ではないでしょうから、おそらく独学で色々な資料を研究された結果じゃないかと推測するのですが、いかがでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
オバrevさんの仰るとおり、通常の近代史で学ぶ範囲を超えている可能性が高いですね。
しかしながらすべてが重要なところなので、削ろうにも削れないのがもどかしいところです。
ここまでの勉強も、仰るとおり独学からスタートしています。
教師になる決断をする以前から、自分の趣味の範囲で様々な文献を読んでいたのですが、研究すれば研究するほど奥が深いですね。
今回の段階での研究発表の意味も込めて講座を行っておりますが、数年後にはよりパワーアップしているかもしれませんよ(^^ゞ
ぴーち こんばんは!
陛下の一言で一旦は治まったかに見えた一連の事件も、やはりいかにこの時代の日本の軍部の勢い盛んな様子がうかがい知れますね。
あの「たか」さんは、ここで登場するのですね!
人間、渾身の思いを込めて相手にぶつかれば道は必ず開けるものなんだなと改めて感じました。
たかさんの真剣な思いがきっと相手の心を打ったのでしょう・・。感動的です。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 陛下の一言で一旦は治まったかに見えた一連の事件も、やはりいかにこの時代の日本の軍部の勢い盛んな様子がうかがい知れますね。
軍部によるクーデターこそ免れましたが、軍部大臣現役武官制を復活させたことで、軍部によるコントロールが決定的になりましたからね。この影響は大きかったと思います。
> あの「たか」さんは、ここで登場するのですね!
> 人間、渾身の思いを込めて相手にぶつかれば道は必ず開けるものなんだなと改めて感じました。
> たかさんの真剣な思いがきっと相手の心を打ったのでしょう・・。感動的です。
たか夫人は、軍刀でとどめを刺そうとした将校に対して「老人ですからとどめは刺さないで下さい。どうしてもというなら私の手で」と大声で叫んで止めたそうです。その後、病院に運ばれ鈴木の心臓が停止した際にも必死で夫の名を呼び続けたことで奇跡的に息を吹き返したとか…。まさに献身の夫婦愛が鈴木の生命を救ったことで、その後の歴史が大きく動くことになるんですよね。
mochimochi "たか”さんのお陰で命をとりとめた鈴木さんのその後が楽しみです。
独学とはすばらしい!
今は、インターネットの時代ですが、やはり本を読むべきですよね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > "たか”さんのお陰で命をとりとめた鈴木さんのその後が楽しみです。
そうですね。この歴史の流れはまだまだ続きます。鈴木氏がなぜ生命を長らえたのか。この答えがやがて大きな舞台で明かされるんですよね。
> 独学とはすばらしい!
> 今は、インターネットの時代ですが、やはり本を読むべきですよね。
有難うございます。歴史系のサークルに入った経験もありますが、もともとは独学でしたからね。
仰るとおり、地道な読書を続けることが一番重要だと思います。
昭和16(1941)年12月8日、日本軍はアメリカ領であるハワイの真珠湾(しんじゅわん)を攻撃し、大東亜戦争(だいとうあせんそう・※注)が始まりました。これに先立って、戦争開始の閣議決定の裁可を求められた昭和天皇は、ご自身のお気持ちを封印(ふういん)され、立憲君主制に基づく明治憲法の規定どおりにお認めになりました。
戦争開始に伴(ともな)い、昭和天皇は開戦の詔書(しょうしょ、天皇の意思を表示した公文書のこと)を発表されました。漢文体で書かれた文面は、当時の東條英機(とうじょうひでき)内閣によって原案が作成されましたが、昭和天皇はその文面をご覧になった後に、あるお言葉を付け加えられました。そのお言葉を拝読した際に、私たちは陛下の本当のお考えを知ることができます。
「豈(あに)朕(ちん)ガ志(こころざし)ナラムヤ」
(現代語訳:どうしてこれが私の望むところであろうか、いや望むところではない)
※注:「大東亜戦争」は当時の我が国が決定した正式な名称です。ただし、戦後にGHQ(=連合国軍最高司令官総司令部、れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)によって「太平洋戦争」と名称変更を強制され、今日に至っています。今回の講座では、当時の雰囲気を重視する意味も込めて「大東亜戦争」と表記いたします。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
陛下の苦悩がよく表現されたお言葉ですね。
最初に日本が真珠湾を攻撃せざる負えなかったいうのも、何か避けて通れなかった理由があるということを以前、聞いたことがありましたが、
そこら辺の事情も是非、教えていただきたく存じます。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 陛下の苦悩がよく表現されたお言葉ですね。
ご自身としては戦争をさせたくない、しかし内閣の決めたことには従わなければならない…。
陛下はどれだけ苦悩なさったことでしょうか。
> 最初に日本が真珠湾を攻撃せざるを得なかったというのも、何か避けて通れなかった理由があるということを以前、聞いたことがありましたが、
> そこら辺の事情も是非、教えていただきたく存じます。
大東亜戦争に至る道のりは非常に複雑ですが、真珠湾の奇襲攻撃については、在アメリカ日本大使館員の怠慢が引き起こした「人災」であると伝えられています。
本来はアメリカに対して正式な断交通知書を手渡したうえで真珠湾を攻撃するはずでした。ところが日本大使館員が通知書をアメリカへ手渡すのが遅れてしまい、真珠湾攻撃が先になってしまったことで、奇襲攻撃とみなされてしまったのです。返す返すも残念な話ですね。
黒田裕樹さん
風早 りら 「どうしてこれが私の望むところであろうか、いや望むところではない」
昭和天皇の苦渋の程が伺える 文面で
私も お心を 思い 切ない想いで
読ませて頂きました
これらも このように 国民が知らされて
いない ことが一杯ありると思います
それを 明白にして下さることを
望んでいます
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「どうしてこれが私の望むところであろうか、いや望むところではない」
> 昭和天皇の苦渋の程が伺える 文面で
> 私も お心を 思い 切ない想いで
> 読ませて頂きました
> これらも このように 国民が知らされて
> いない ことが一杯ありると思います
> それを 明白にして下さることを
> 望んでいます
陛下のご心中、お察しするに余りありますね。
これから大東亜戦争の時代に入っていくわけですが、この後、陛下のご苦悩はさらに深まられていくことになります。
国民の多くが知らされていない、戦時中の陛下のエピソードを次回(12日)から詳しく紹介しますのでご期待下さい。
管理人のみ閲覧できます
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mochimochi 真珠湾攻撃がどんな形で始まったかは、色々な説がありますが(その大使館の話も聞いたことがあるのですが、本当なのですか?)、攻撃しなければいけなかった原因はABCD包囲なんとかにあるのですよね。
たしか、ヘレン ミアーズの”アメリカの鏡・日本”にそう書いてあったと思います。
個人的に、全アメリカ人にこの本を読んでほしいと願っています。
この本は結構史実に基づいてますよね。。。(私はあまり詳しくないので、この本を信じているのですが。。。)
なんというか、みんな戦争の話をする時に、なぜその戦争が起こったのかあまり話さないような気がします。
原因を探れば、より良い世界を作るきっかけになると思うのに。。。
2011年は歴史の架け橋が創られたら良いなと勝手に願っています。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 真珠湾の直接の原因は大使館の話だといわれていますが、その流れは実に複雑です。
仰るとおりABCD包囲網もその一つですし、最後通牒のハル・ノートも有名ですね。
それに、自由主義国家同士の日本とアメリカがなぜ戦わなければならなかったのか、両国が戦った結果、漁夫の利を得た国がいなかったのか―など、枚挙にいとまがありません。
人間は失敗をする動物ですが、失敗した後に反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることが大切です。そのためには失敗の原因を研究することが何よりも重要なはずなのですが…。
「アメリカの鏡・日本」については読みたいと思っていながら、なかなか時間が取れません。
いつかじっくりと読んでみたいですね。
なおまゆ 教科書検定で天皇陛下という敬称が省略された教科書が採用されたとのニュース。
呼び方位どうでも良いという方もいらっしゃるが、何か、日本人にとって大切なものを失ってしまう気がします。
天皇陛下がこれまで成し遂げてこられたこと、国民に対する優しい思いを知れば、人情としてもそんなことはできないと思います。
天皇陛下あっての日本であることに気づかないのでしょうか?
黒田さんのブログはそのことを確信させてくれます。今後の展開が楽しみです。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 私も昭和天皇をはじめとするこれまでの天皇陛下の方々のお話を存じているだけに、近ごろの教科書の扱い方には戸惑いと悲しみを感じます。
我が国にとって、天皇の存在がいかに大きいことか。
そして、天皇なくして我が国があり得ないという、大切なことであり恐ろしくもあること。
これらは、歴史を大きな流れでとらえれば当たり前のように理解できることのはずです。
「昭和天皇・前篇」の講座は後半に入ります。
我が国が避けて通ることのできなかった大きな悲劇に対して、真正面から立ち向かわれた昭和天皇のお姿が大きくクローズアップされていきますので、ぜひご覧になって下さい。