お七夜(しちや)にあたり、端午の節句(たんごのせっく)の日でもあった同年5月5日には、ご称号を迪宮(みちのみや)、御名(おんな)を裕仁(ひろひと)と命名されました。「ゆたかに広く、おおらかな心で国を治め、人類の幸せのために尽(つ)くすことができるように」という願いを込(こ)めて明治天皇がお名付けになったといわれています。
裕仁親王はお健(すこ)やかに成長され、幼年期の頃(ころ)から厳格(げんかく)な明治天皇の御前(おんまえ)でも決してひるまれることなく、また伊藤博文(いとうひろぶみ)などの明治の元勲(げんくん)が挨拶(あいさつ)に参上しても、物怖(ものお)じなさらず堂々と応対されるなど、未来の天皇陛下にふさわしいそのお姿に、親王が幼い頃からお世話をしてきた侍女(じじょ)の足立(あだち)たかは涙がこぼれそうになったと後に語っています。
ところで、本編とは無関係かつ不遜(ふそん)な話で申し訳ないですが、私(=黒田)の名前(=裕樹、ひろき)に昭和天皇の御名と同じ漢字である「裕」が使われていることは、私の密(ひそ)やかな誇りでもあります。また、昭和天皇がご幼少の頃からお世話を続けた侍女の「足立たか」という名は、この後に思わぬところで私たちの目に留(と)まることになります。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
昭和天皇に即位された後のお話は
有名な話が多いですが、幼少の頃の
お話というのは、初めて伺ったように
存じます。
それにしても裕が同じであると言うことは、黒田さんが仰るまで気付きませんでした^^;
もしかして、昭和天皇のお名前に肖って付けられたのですか?
侍女の方のエピソードは存じませんので、
明日のお話が楽しみです♪
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇に即位された後のお話は
> 有名な話が多いですが、幼少の頃の
> お話というのは、初めて伺ったように
> 存じます。
あまり知られていないエピソードですからね。
歴史に残る人物は、地位や身分に恥じないご行動を、幼少の頃から身につけておられるんですね。
> それにしても裕が同じであると言うことは、黒田さんが仰るまで気付きませんでした^^;
> もしかして、昭和天皇のお名前に肖って付けられたのですか?
聞いたことがないので、おそらく偶然だと思います。
もし因んでつけられたのであれば、あまりにも畏れ多いです(^^ゞ
> 侍女の方のエピソードは存じませんので、
> 明日のお話が楽しみです♪
侍女についてはもうしばらく後に、本当に意外な場面で出てきますよ。
歴史のつながりの素晴らしさ、あるいは凄さを目の当たりにすることになります。
新年
てのりぱんだ あけましておめでとうございます。
いつも面白いお話をありがとうございます。
今年も楽しませていただきますね・・^^
mochimochi お名前の漢字が同じなのは本当に偶然だったのでしょうか?
偶然でもとてもすばらしいことですね。
私は日本がこれだけサバイブできたのは、多神教と天皇制があったからだと思います。
多神教は全てに神が宿っているから全てを尊敬するというアイデアを日本人に与え、天皇制は自制心を日本人に与えたと思います。
尊敬と自制のバランスが日本を強くしたと思います。
(あくまでも個人的な意見です。)
てのりぱんださんへ
黒田裕樹 > あけましておめでとうございます。
> いつも面白いお話をありがとうございます。
> 今年も楽しませていただきますね・・^^
お言葉有難うございます。
今年も分かりやすい歴史教育を目指して頑張ります。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > お名前の漢字が同じなのは本当に偶然だったのでしょうか?
> 偶然でもとてもすばらしいことですね。
どうやら偶然のようですが、非常に光栄なことだと思っております。
> 私は日本がこれだけサバイブできたのは、多神教と天皇制があったからだと思います。
> 多神教は全てに神が宿っているから全てを尊敬するというアイデアを日本人に与え、天皇制は自制心を日本人に与えたと思います。
> 尊敬と自制のバランスが日本を強くしたと思います。
> (あくまでも個人的な意見です。)
mochimochiさんのお考えもごもっともだと思います。
多神教の存在は大きいですね。
風早 りら 迪宮裕仁様のお名前の由来は
ゆたかに広くおおらかな心で国を治め人類の幸せのために尽くすことができるようにと
昭和天皇のために明治天皇がお名付けになった
そうですが 素晴らしい 発想だと感嘆いたしました
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 迪宮裕仁様のお名前の由来は
> ゆたかに広くおおらかな心で国を治め人類の幸せのために尽くすことができるようにと
> 昭和天皇のために明治天皇がお名付けになった
> そうですが 素晴らしい 発想だと感嘆いたしました
私もそう思います。
明治天皇の裕仁親王に対するご期待の大きさが感じられますね。
そして、そんな明治天皇のご期待に十二分に、いやそれ以上に応えられた昭和天皇の偉大なるご生涯も素晴らしいと思います。
明治45(1912)年7月30日、裕仁親王が11歳の時に祖父の明治天皇が崩御(ほうぎょ)され、その大葬(たいそう)の日であった9月13日に乃木は妻とともに殉死(じゅんし)しましたが、その数日前に乃木は裕仁親王に山鹿素行(やまがそこう)の名著である「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」を差し上げ、素晴らしい本であるから熟読(じゅくどく)されるように、と勧めました。
いつもと違い、ただならぬ気配が漂(ただよ)う乃木の様子に、裕仁親王は「院長閣下(=乃木)はどこかへ行かれるのですか?」と聞かれたそうです。後で乃木の殉死をお知りになり、祖父の明治天皇に続いて、大切な院長閣下まで失われた親王のお悲しみは、たとえようもないほど深かったに違いありません。
しかしながら、父君の大正天皇が即位され、ご自身は皇太子になられた裕仁親王は、その責任の重さをかみしめられながら、お悲しみを乗り越えられて勉学に励まれ、やがて成人された皇太子殿下は、大正10(1921)年にご病弱であられた大正天皇に代わって、20歳で摂政(せっしょう)になられました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
初歩的な質問で恐縮ですが、
どうして皇族方は学習院初等科(学習院大学等)
へ入学されるのですか?
皇族とのご関係が密な理由はあるのでしょうか・・
乃木大将は、私の住む県にも縁の深い人物では
ありますが、その一端を伺っただけでも、立派な人物であったことが判ります。
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 初歩的な質問で恐縮ですが、
> どうして皇族方は学習院初等科(学習院大学等)
> へ入学されるのですか?
> 皇族とのご関係が密な理由はあるのでしょうか・・
学習院は戦前では文科省(当時の文部省)ではなく宮内省(現在の宮内庁)の管轄とされていた関係で、華族など身分の高い子女のみを原則として受け入れていたんですね。皇室との深いつながりも、当時の慣例が流れとして残っているのです。
もっとも、最近では悠仁親王殿下が別の私立幼稚園にお通いになるなど、変化が生じているようですね。
> 乃木大将は、私の住む県にも縁の深い人物では
> ありますが、その一端を伺っただけでも、立派な人物であったことが判ります。
乃木大将は素晴らしい将軍でした。
日露戦争における旅順戦で多くの犠牲者を出したことで、一般にはその指揮能力に疑問符がつけられていることが多いようですが、これは完全な誤解です。いずれ機会を見て紹介できればと思います。
ところで。
晴雨堂ミカエル 小林よしのり氏が盛んに天皇論を漫画で述べています。個人的には共通認識があり、左翼系市民がことさらステレオタイプの権力者イメージを喧伝する事への効果的応酬になると評価しておりますが、黒田氏はどう思われますか?
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > 小林よしのり氏が盛んに天皇論を漫画で述べています。個人的には共通認識があり、左翼系市民がことさらステレオタイプの権力者イメージを喧伝する事への効果的応酬になると評価しておりますが、黒田氏はどう思われますか?
小林氏の活動は、皇室の重要性を再認識する意味では効果があると思っております。
ただ、同氏の考察をそのまま鵜呑みにするのではなく、一人一人が日本人として(もちろん外国人の立場から見た皇室観を含めて)どう生きていくかを知るための一里塚とすべきではないかと考えております。
黒田裕樹さん
風早 りら 乃木希典大将の裕仁親王への
ご教育は それは 稀に見る見事な
ことだったようですね
昨今の学習院初等科の教育について
考えさせてれるものがあります
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 乃木希典大将の裕仁親王への
> ご教育は それは 稀に見る見事な
> ことだったようですね
> 昨今の学習院初等科の教育について
> 考えさせられるものがあります
明治天皇のご信任厚かった乃木大将だからこそ成し得たことだったのでしょうね。
近年の学習院初等科は愛子内親王殿下をはじめとした様々な問題があるようで、残念に思います。
年が明けた大正13(1924)年、摂政宮は以前より婚約されていた良子女王(ながこじょおう、後の香淳皇后=こうじゅんこうごう)とのご結婚式を行われ、震災の悪夢に打ちひしがれていた国民がこぞって喜ぶ慶事となりました。
しかし、禍福(かふく)はあざなえる縄(なわ)のごとし。大正15(1926)年12月25日、かねてより療養(りょうよう)されていた大正天皇が47歳の若さで崩御されました。深いお悲しみのなか、皇太子裕仁親王は直(ただ)ちに践祚(せんそ、皇位の継承のこと)され、第124代天皇となられました。
同時に元号も「昭和」と改められました。昭和の由来は、中国最古の歴史書である書経(しょきょう)の「百姓昭明 協和萬邦」であり、国民の平和と世界の繁栄への願いが込められていました。なお、江戸時代(1764年、田沼時代の頃)に同じ出典から「明和(めいわ)」という元号が制定されています。
昭和3(1928)年11月10日、新しい時代にふさわしく、京都御所で即位の礼(そくいのれい)が華(はな)やかに行われましたが、その一方で昭和2(1927)年には金融恐慌(きんゆうきょうこう)が起きるなど、我が国全体に不穏(ふおん)な空気が漂いつつありました。そして昭和4(1929)年には、昭和天皇にとって最初の大きな試練が訪れるのです。




いつも有難うございます。
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オバrev まさに激動の時代を生きてこられた昭和天皇のお話、今までまとまった話は全く聞いたことがありません。我々昭和生まれとしては是非とも知っておきたい事です。ありがとうございます。
昭和天皇は天皇に即位される前に、摂政になられていましたが、これは現在なくなってしまったのでしょうか。ご高齢の今上天皇の体調によっては摂政が代役をするという形ができないかと思いますが。
満柚子 遅くなりましたが
あけましておめでとうございます♪
今年もよろしくです(*^w^*)
毎日お疲れ様です!!
ぴーち こんばんは!
以前、平和を願う元号が使われた時代というのは、皮肉な事に波乱万丈、激動の時代であることが多いなどと伺った事がありますが、昭和という時代は、そういわれる所以の最たる時代だったのかも知れませんね。
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 > まさに激動の時代を生きてこられた昭和天皇のお話、今までまとまった話は全く聞いたことがありません。我々昭和生まれとしては是非とも知っておきたい事です。ありがとうございます。
こちらこそお褒めのお言葉有難うございます。後篇に向けて大きな励みとなります。
> 昭和天皇は天皇に即位される前に、摂政になられていましたが、これは現在なくなってしまったのでしょうか。ご高齢の今上天皇の体調によっては摂政が代役をするという形ができないかと思いますが。
現行憲法にも摂政の規定はありますが、今まで置かれたことがないですね。昭和天皇が晩年にご不例だった際には、国事行為臨時代行として今上陛下(当時は皇太子殿下)がお就きになられています。
満柚子さんへ
黒田裕樹 > 遅くなりましたが
> あけましておめでとうございます♪
> 今年もよろしくです(*^w^*)
明けましておめでとうございます(^o^)/
こちらこそよろしくお願いします。
> 毎日お疲れ様です!!
有難うございます(^ω^)
今年もお互い頑張りましょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 以前、平和を願う元号が使われた時代というのは、皮肉な事に波乱万丈、激動の時代であることが多いなどと伺った事がありますが、昭和という時代は、そういわれる所以の最たる時代だったのかも知れませんね。
残念ながらその傾向があるようですね。
平和の「平」が使われている現在の元号下ではどうなるのでしょうか…。
黒田裕樹さん
風早 りら 昭和天皇が若くして 即位なされ
それ以前にも身体が ご丈夫ではなかった
大正天皇の代わりとして
色々な 国事に携われていたことは
有名な事柄ですよね
長い間 どれだけ ご苦労されたことでしょう
その中でも 第二次世界大戦は それは
大変なことです 明日を期待しています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇が若くして 即位なされ
> それ以前にも身体が ご丈夫ではなかった
> 大正天皇の代わりとして
> 色々な 国事に携われていたことは
> 有名な事柄ですよね
> 長い間 どれだけ ご苦労されたことでしょう
> その中でも 第二次世界大戦は それは
> 大変なことです 明日を期待しています
摂政の時代を含めれば67年以上ですからね。
歴代の天皇に比べても長いご在位ですから、仰るとおり大変なご苦労だったと思われます。
第二次世界大戦のエピソードはいずれ紹介しますが、次回(6日)はそれ以前のお話をさせていただきますのでご期待下さい。
HANA子 あけましておめでとうございます
お久しぶりですHANA子です。旧年中は長いことご無沙汰しておりました
色々とありまして、ネットにつなぐことさえ覚束ない有様だったのですが、最近ようやく身の回りが落ち着きまして、またこうして御うかがい出来るようになりました
どうぞ今後ともよろしくです
>>最初の大きな試練
1929年といえば“暗黒のアレ”でしょうか
それとも4・16事件?
次回も楽しみにさせていただきますね♪
それと過去記事を漁らないとですw
HANA子さんへ
黒田裕樹 明けましておめでとうございます。
お久しぶりですね!
お元気そうで何よりです。
昭和4年といえば…実は前年の事件の結果です(これでお分かりかもしれませんね)。
過去記事ですか?
毎日更新ですのでぜひお楽しみいただければと思います(^^♪