なぜ肥前藩が他の雄藩と肩を並べるようになったのでしょうか。そのカラクリは、実は「最新鋭の武器」にありました。肥前藩が所有していたアームストロング砲による砲撃の威力は当時としては凄(すさ)まじいものがあり、戊辰戦争では上野の彰義隊(しょうぎたい)を一日で壊滅(かいめつ)させ、また会津藩との戦いにおいては鶴ヶ城(つるがじょう)の落城(らくじょう)に大きく貢献しました。
こうした功績が認められて、明治維新以後のいわゆる藩閥政府(はんばつせいふ)において、肥前藩は他の藩に並び称されるようになったのですが、これは最新鋭の武器をいち早く導入した、藩主である鍋島閑叟(なべしまかんそう)の指導力が功を奏(そう)したものでした。
閑叟はどうして最新鋭の武器の導入を急いだのでしょうか。その原因は、明治維新から約60年前に肥前藩が受けた「屈辱(くつじょく)」にありました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
そういえば、先日「アームストロング砲」の
お話が少しだけありましたよね!
そうですか~。肥前の国の鍋島さんの手柄だったのですね。(さん付けはおかしいでしょうか?笑)
それにしても、60年前の屈辱とは一体
どんなものだったのでしょうか。。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そういえば、先日「アームストロング砲」の
> お話が少しだけありましたよね!
> そうですか~。肥前の国の鍋島さんの手柄だったのですね。(さん付けはおかしいでしょうか?笑)
そのとおりです。
戊辰戦争が薩長側の圧勝で終わったのも、最新鋭の武器があったればこそなんです。
まさに隠れた功績ですね。
> それにしても、60年前の屈辱とは一体
> どんなものだったのでしょうか。。
薩長がそうであったように、外国がからんでいます。
それも不意打ちで…。
次回(24日)の更新をお楽しみに!
黒田裕樹さん
風早 りら 明治維新から約60年前に肥前藩が受けた屈辱
とても 興味深いです
次回を楽しみにしています
私は今日24日は 夕方から夜間まで仕事です
楽しい 聖夜を過ごされることを 祈っています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 明治維新から約60年前に肥前藩が受けた屈辱
> とても 興味深いです
> 次回を楽しみにしています
> 私は今日24日は 夕方から夜間まで仕事です
> 楽しい 聖夜を過ごされることを 祈っています
屈辱は人間を、ひいては藩を大きくしますね。
肥前藩もかつての屈辱をバネに歴史を大きく変えました。
今年の聖夜は明日(25日)の準備に追われています(笑)。
皆様に素敵なクリスマスプレゼントができればよいのですが。
フェートン号はオランダ商館を襲って食糧などを奪(うば)うなどの乱暴(らんぼう)を働きましたが、最新鋭の設備を誇(ほこ)ったフェートン号の前に幕府も肥前藩も何ら抵抗することができず、当時の長崎奉行が責任を取って切腹するという悲劇をもたらしました。これをフェートン号事件といいます。
事件の後に幕府から叱責(しっせき)を受けた肥前藩は、汚名返上を目指して軍備を整えていきました。薩摩藩や長州藩よりもずっと前から攘夷の不可能を理解していた肥前藩だったからこそ、他の藩に先駆(さきが)けて最新鋭の武器を開発し、やがては維新の元勲として君臨するという流れがつくられたのです。
ちなみに、フェートン号事件後の肥前藩では藩士の教育にも力を注ぎましたが、その余りにも厳しい内容に反発する藩士が現れ、自由な学問を求めた彼は、明治になってから自身で学校をつくりました。
その人物こそが大隈重信(おおくましげのぶ)であり、学校は現在の早稲田大学(わせだだいがく)のことです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
日本の外国苦手意識をうまく利用されたかのような事件だったんですね(><)
しかし、イギリスもやってくれましたね(>0<)
それでもそんな事件があった事で
教育が強化されて、そこから反発するものが
現れたことで、w大が創設されることになるなんてその事件の関係、繋がりを思うと不思議です。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本の外国苦手意識をうまく利用されたかのような事件だったんですね(><)
> しかし、イギリスもやってくれましたね(>0<)
確かにしてやられましたね(^^ゞ
奉行の切腹という悲劇をもたらせてしまったのが残念です。
> それでもそんな事件があった事で
> 教育が強化されて、そこから反発するものが
> 現れたことで、w大が創設されることになるなんてその事件の関係、繋がりを思うと不思議です。
これぞ「歴史の流れ」ですね。
早稲田大学にまでつながっているのが凄いと思います。