島津家は、戦国時代にはあわや九州全土を統一するかの勢いだったのですが、豊臣秀吉(とよとみひでよし)によってその野望は打ち砕(くだ)かれ、現在の鹿児島県に相当する薩摩・大隅(おおすみ)の2ヵ国を中心とする領地に閉じ込(こ)められました。
秀吉の死後、関ヶ原(せきがはら)の戦いでは西軍に属(ぞく)して、敗戦後は中央突破を強行し、最後にはわずかな手勢(てぜい)となりながらも無事に帰国して、その後も徹底抗戦(てっていこうせん)の意思を示したことによって、島津家の武力を恐れた徳川家康(とくがわいえやす)から所領を安堵されたのですが、実は島津家は、始めは家康に味方しようとしていました。
関ヶ原の戦いの前哨戦(ぜんしょうせん)として伏見城(ふしみじょう)の戦いがありますが、島津家はこの際に伏見城に入り、城主の鳥居元忠(とりいもとただ)を助けるつもりでした。しかし、事前の根回しが不足していたため、裏切りを恐れた鳥居元忠から拒否されてしまったのです。




いつも有難うございます。
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風早 りら 今回の講座で 薩摩藩が
徳川幕府の倒幕を 企てたのは
幕末のことであっても
そのずっと 以前から 伏線は
あったのだと 実感しました
幕末のお話は興味深いです
楽しみです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 今回の講座で 薩摩藩が
> 徳川幕府の倒幕を 企てたのは
> 幕末のことであっても
> そのずっと 以前から 伏線は
> あったのだと 実感しました
> 幕末のお話は興味深いです
> 楽しみです
仰るとおりです。
幕末になって急に討幕を企てたわけではなく、長い時間をかけて雌伏していたんですよね。
この流れを理解できて、初めて薩摩藩の真意が見えてくると考えております。
ぴーち こんばんは!
守護→戦国→外様。
大名にも段階があり、様々な種類が
あったのですね!
(それすらもよく理解していませんでした^^;)今回は島津家が出世していった流れの概要を掴むことが出来、勉強になりました!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 守護→戦国→外様。
> 大名にも段階があり、様々な種類が
> あったのですね!
> (それすらもよく理解していませんでした^^;)今回は島津家が出世していった流れの概要を掴むことが出来、勉強になりました!
島津家の場合は、守護大名がそのまま戦国大名になった数少ない例ですね。それだけに歴史もあり、プライドも高かった。そして、その流れが関ヶ原で道を誤ることになってしまうんですよね…(´・ω・`)
サクラ ああ! 関が原前夜の事件って、倒幕の伏線だったんですか!
私にとっては、全く関係のない二つの事件とばかり思っていました。
何しろ、250年の隔たりがあったので。
幕府は必死になって外様やら譜代やらを配置したのに、外様から崩れていったんですね。
サクラさんへ
黒田裕樹 > ああ! 関が原前夜の事件って、倒幕の伏線だったんですか!
> 私にとっては、全く関係のない二つの事件とばかり思っていました。
> 何しろ、250年の隔たりがあったので。
そうなんです。
歴史の流れは意外なところでつながっています。250年という一見長い年月も、歴史という名の大河の流れではほんのひと時でしかありません。
> 幕府は必死になって外様やら譜代やらを配置したのに、外様から崩れていったんですね。
崩れる時はあっけないものですよね。ただ、幕府の崩壊は「自己責任」に原因があるともいえます。いずれ明らかにしますよ。
ねずきち 黒田さん、こんばんは。
リンク、しておきました^^
今後ともよろしくお願いします。
ねずきちさんへ
黒田裕樹 > 黒田さん、こんばんは。
> リンク、しておきました^^
> 今後ともよろしくお願いします。
早速のお聞き届け、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
mochimochi こういう話は初耳です。
続きが楽しみです
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > こういう話は初耳です。
> 続きが楽しみです
有難うございます。
薩摩藩の話はこれからも続きますので、どうぞお楽しみ下さい。
この後の島津家は、所領を安堵してくれた幕府に対して表向きは恭順(きょうじゅん、命令につつしんで従う態度をとること)の姿勢を示すものの、関ヶ原での恨(うら)みを忘れることはなく、幕末になると時には幕府と協力して討幕派を抑(おさ)えながら、最終的には自(みずか)らが討幕を果たして明治維新の元勲(げんくん)として君臨するようになります。
要するに幕末における薩摩藩は、関ヶ原での反省という前提に立ったうえで情報収集や情勢判断をしっかりと行い、常に主役側に回ることで、最終的には歴史の勝者となったのでした。薩摩藩の歴史は、いわゆる「失敗から学ぶ」という、歴史学習の原点に根差(ねざ)したものだったのです。
また、薩摩藩は幕末になって急に成長したわけではなく、それ以前にも大きな歴史の流れが存在していますが、中でも大きな転機(てんき)となったのは、外様大名出身の女性が徳川将軍家の正妻(せいさい)、つまり御台所(みだいどころ)になったことでした。どうしてこのような事態が起きてしまったのでしょうか?




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
面従腹背の心を持つものが
この世で一番怖い存在かも知れません。
しかし乱世の時代なら尚更、
そういう気持ちを持ち合わせながらも
相手に取り入り、従う振りをして
倒す戦略が一番利口な手口であったのでしょうね。
話は飛びますが、
韓国のサムソン電機は日本のソニーをも
脅かす存在にまで(というか、既に超えている?)躍進しているようですね。
今や日本は電機でも諸外国から取り残され
始めているようですね・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 面従腹背の心を持つものが
> この世で一番怖い存在かも知れません。
> しかし乱世の時代なら尚更、
> そういう気持ちを持ち合わせながらも
> 相手に取り入り、従う振りをして
> 倒す戦略が一番利口な手口であったのでしょうね。
そのとおりだと思います。
薩摩藩は過去の苦い失敗を見事に生かして、長い年月をかけて主役の座をつかみました。
一つの手本になりますね。
> 話は飛びますが、
> 韓国のサムソン電機は日本のソニーをも
> 脅かす存在にまで(というか、既に超えている?)躍進しているようですね。
> 今や日本は電機でも諸外国から取り残され
> 始めているようですね・・。
外国との競争は熾烈ですから、我が国の独自性を保ちながらも巻き返してほしいですね。
サクラ 西軍についたからって、ネチネチと外様大名として苛めていたのが原因かもしれませんね。
あれ? けど正妻にまでなったんですよね?
次回の更新を楽しみにしております。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 西軍についたからって、ネチネチと外様大名として苛めていたのが原因かもしれませんね。
イジメはいつの時代も人間の恨みを買いますからね。
復讐の機会をひそかにうかがっていたとしてもおかしくはありません。
> あれ? けど正妻にまでなったんですよね?
> 次回の更新を楽しみにしております。
外様大名の女性が、普通は将軍の正妻になれるわけがないんですよ。
ではなぜ正妻になれたのか…。次回(8日)の更新をお待ち下さい!
黒田先生
風早 りら 「 外様大名出身の女性が徳川将軍家の正妻 」
この経緯は 大河ドラマを見ていても
いまだ 納得いかないものがあります
それまでは 公家の出の姫宮が
正妻に迎えらることが多く
その処が 未だ よく 理解出来ません
明日 楽しみにしています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「 外様大名出身の女性が徳川将軍家の正妻 」
> この経緯は 大河ドラマを見ていても
> いまだ 納得いかないものがあります
> それまでは 公家の出の姫宮が
> 正妻に迎えらることが多く
> その処が 未だ よく 理解出来ません
> 明日 楽しみにしています
仰るとおりで、将軍家の正妻がなぜ外様出身なのか、理解しがたいところがありますね。
そのカラクリは、次回(8日)の更新でハッキリとさせたいと思います。
オバrev 外様大名から正室というあり得ないことが起こった、と言うのは2つしか考えられません。
まずその女性がクレオパトラか楊貴妃かはたまた小野小町かという絶世の美女だったか、もしくは薩摩藩が幕府の弱み、特に将軍の女性関係の弱みを握ったからじゃないでしょうか?チガウカナ(^0^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 外様大名から正室というあり得ないことが起こった、と言うのは2つしか考えられません。
> まずその女性がクレオパトラか楊貴妃かはたまた小野小町かという絶世の美女だったか、もしくは薩摩藩が幕府の弱み、特に将軍の女性関係の弱みを握ったからじゃないでしょうか?チガウカナ(^0^;)
なるほど、お考えになりましたね(^_^)v
果たして正解かどうかは、次回(8日)の更新で明らかになります。
それにしても、男性は美女には弱いですよね(^^ゞ
mochimochi 負けるということはある意味良いかもしれませんね。
ソニーも一度負けたら今度はすごい形で復活するかも。
それに、最近は企業の勝ち負けは昔の勝ち負けと意味が違ってきてると思います。
もちろん日本の名誉もあるのでぜびとも日本企業にがんばってほしいですけど。
あまり良く覚えてませんけど、黒田先生は以前九州は朝鮮半島や中国に近いので情報収集力が強かったと言ってませんでしたか?だから先見の目があったとか。。。
いづれにしても九州の人たちの活躍ぶりはすごいと思います。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 負けるということはある意味良いかもしれませんね。
> ソニーも一度負けたら今度はすごい形で復活するかも。
> それに、最近は企業の勝ち負けは昔の勝ち負けと意味が違ってきてると思います。
> もちろん日本の名誉もあるのでぜびとも日本企業にがんばってほしいですけど。
まさに「失敗から学ぶ歴史」ですね。
私たちも一度や二度の失敗でめげてる場合ではないかもしれません。
> あまり良く覚えてませんけど、黒田先生は以前九州は朝鮮半島や中国に近いので情報収集力が強かったと言ってませんでしたか?だから先見の目があったとか。。。
> いづれにしても九州の人たちの活躍ぶりはすごいと思います。
どこで書いたかはすぐには思い出せませんが、九州は大陸や朝鮮半島から地理的に近い分、様々な文化がいち早く伝わったことで結果として情報処理能力に長(た)けていたとも考えられますからね。
御三卿と外様大名との婚約でしたから、当時は特に問題にならなかったのですが、この後に将軍家の血筋が途絶(とだ)えるというアクシデントがあり、後継者として家斉が指名されたことから、話がややこしくなってしまいました。
しかし、一度婚約を行ったものを破談させるわけにもいかず、重豪の娘は公卿(くぎょう)の養女となったうえで予定どおり家斉の正室(せいしつ)となり、外様大名出身の女性が将軍家の御台所になるという前代未聞(ぜんだいみもん)の事態となったのでした。
ちなみにこれが前例となって、後の第13代将軍の徳川家定(とくがわいえさだ)の御台所にも、島津家の娘(ただし養女)が選ばれています。彼女こそが、平成20(2008)年の大河ドラマの主役になった篤姫(あつひめ)、すなわち天璋院(てんしょういん)です。




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ぴーち こんばんは!
篤姫と聞くと、つい最近NHKの大河ドラマで演じた「宮崎あおい」を思い浮かべてしまいます^^;
TVの影響とは恐ろしいものですね(汗)
きっと、これからは「坂本龍馬」=福山雅治なんだろうな~なんて思いますねぇ(笑)
私は坂本龍馬というと、何故か武田鉄矢さんを
思い浮かべてしまいます^^;
海援隊の影響でしょうかw
(今日はだいぶ、反れましたww)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 篤姫と聞くと、つい最近NHKの大河ドラマで演じた「宮崎あおい」を思い浮かべてしまいます^^;
> TVの影響とは恐ろしいものですね(汗)
> きっと、これからは「坂本龍馬」=福山雅治なんだろうな~なんて思いますねぇ(笑)
> 私は坂本龍馬というと、何故か武田鉄矢さんを
> 思い浮かべてしまいます^^;
> 海援隊の影響でしょうかw
テレビの影響は確かに大きいですね。
私も「龍馬=武田鉄矢」のイメージが強いですよ。金八先生の苗字は「坂本」ですからね(^^♪
オバrev なるほど~、いざという時にこのような対応ができる柔軟性を持っていたことが、徳川が長続きした理由の一つかもしれませんね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど~、いざという時にこのような対応ができる柔軟性を持っていたことが、徳川が長続きした理由の一つかもしれませんね。
そうですね。原則を時には曲げた方が組織が長持ちすることはよくあります。
ただ、組織そのものが崩壊に向かっているときには、小手先ではどうしようもなくなることがあるんですよね…。話が先走りますが、幕末がまさにそんな状態でした(´・ω・`)
調所は斉興の期待に応(こた)え、江戸や大坂(おおさか、後の大阪)などの大商人からの多額の借金を250年間の無利子返済という事実上の棚上(たなあ)げとすることを強要したほか、奄美諸島(あまみしょとう)特産の黒砂糖(くろざとう)の専売を強化したり、事実上支配していた琉球(りゅうきゅう、現在の沖縄県)を通じて密貿易(みつぼうえき)を行ったりしました。
特に密貿易は大胆(だいたん)に行われ、当時の江戸幕府の貿易収支が赤字に転落したほどでした。幕府は薩摩藩の密貿易に疑いを持ちましたが、将軍の御台所が島津家出身だったために強く抗議(こうぎ)することができませんでした。こんなところにも「将軍家と縁続き」という大きな効果があったのです。
調所はやがて密貿易の責任を問われて自殺に追い込まれますが、彼の功績によって薩摩藩の財政は回復し、その財力を活用して幕末に英明な藩主が登場することになります。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
家臣「調所」は大胆な密貿易を展開したのですね~。ここまで大胆だと、もはや「密」とは呼べませんね(^^A
しかし、やはり出過ぎた事をすれば、身の安全の保障はない訳ですね。けれど、島津家というお家の為に懸命に心血を注いだ分、薩摩藩の財政回復したのなら、調所の魂も少しは救われたかもしれませんね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 家臣「調所」は大胆な密貿易を展開したのですね~。ここまで大胆だと、もはや「密」とは呼べませんね(^^A
それまで安定した黒字をたたき出していた幕府の貿易収支が一気に赤字になったんですから、ばれない方がおかしいですよね(^^ゞ
> しかし、やはり出過ぎた事をすれば、身の安全の保障はない訳ですね。けれど、島津家というお家の為に懸命に心血を注いだ分、薩摩藩の財政回復したのなら、調所の魂も少しは救われたかもしれませんね。
調所の最期は哀れではありましたが、彼の功績がやがて討幕という形で実を結ぶわけですから、いわゆる「以って瞑すべし」といったところでしょうか…。
調所
よんちゃん こんにちは。
今年読んだ本の一つに、佐藤雅美「薩摩藩 経済官僚」があります。
調所笑左衛門が主人公です。
この本を読んで、幕末の薩摩藩の勇躍の基礎は、重豪と調所にあることがわかりました。
よんちゃんさんへ
黒田裕樹 こんにちは、お言葉有難うございます。
> 今年読んだ本の一つに、佐藤雅美「薩摩藩 経済官僚」があります。
> 調所笑左衛門が主人公です。
> この本を読んで、幕末の薩摩藩の勇躍の基礎は、重豪と調所にあることがわかりました。
調所の功績は、最近になってようやく見直されてきたようですね。
ご紹介いただいた書籍につきまして、私は未読ですが機会があればぜひ拝読したいと思います。
西欧諸国(せいおうしょこく)に対抗するためには鉄製の様々な武器などを必要としましたが、当時の我が国の製鉄技術は、西欧のそれと比べて遅れていました。このため、西欧風の製鉄を行うために反射炉(はんしゃろ)の建設が急がれたのですが、斉彬はいち早く本拠地(ほんきょち)の鹿児島に反射炉を築造(ちくぞう)しました。
斉彬は他にも造船所やガラス製造所を次々と建設し、また砲術(ほうじゅつ)などの洋式の軍事訓練を行って軍事力の強化にも努めました。ちなみに現在の鹿児島の名産として知られるガラス細工の薩摩切子(さつまきりこ)は、この頃がルーツとなっています。
この他、斉彬は当時広まったばかりの写真技術にも興味を示し、本人の写真が残されているほか、自ら城の撮影を行ったとされています。また、我が国の国旗である「日の丸」は、幕末に諸外国との条約を結んだことで、外国船と区別するための標識(ひょうしき)として考案されたものでもありますが、その際に日の丸を提案した者のひとりとして斉彬の名が伝えられています。
こうして薩摩藩における様々な改革を行い、結果として我が国の近代化にも大いに貢献(こうけん)した斉彬でしたが、1858年に急死してしまい、藩主の地位を継(つ)いだ島津忠義(しまづただよし)の父であり、斉彬の異母弟(いぼてい、腹違いの弟のこと)でもあった島津久光(しまづひさみつ)が藩政の実権を握(にぎ)ったことで、薩摩藩は再び保守的な行動をとるようになりました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
日の丸は島津斉彬が関与していたのですね!
日の丸もそうですが、世界の国旗には
中心に丸印があるタイプは多いですね~
色的には比較的原色が主に使用されているようですが、中間色、或いは今でいうパステルカラーなど作り出すのは意外と難しいと聞いた事があります。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日の丸は島津斉彬が関与していたのですね!
> 日の丸もそうですが、世界の国旗には
> 中心に丸印があるタイプは多いですね~
> 色的には比較的原色が主に使用されているようですが、中間色、或いは今でいうパステルカラーなど作り出すのは意外と難しいと聞いた事があります。
確かに国旗には原色が多いですよね。
個人の感情の問題かもしれませんが、原色で描かれた強さが、国旗の雰囲気に合っていると思います。
その意味でも、真っ赤な太陽というイメージのある我が国の日の丸は非常に魅力的ですね。
一方、西郷の親友であった大久保利通は久光に取り入り、側近(そっきん)として重用(ちょうよう)されましたが、決して久光の保守的な考えに賛同したわけではありませんでした。いずれ時代が西郷を必要とするようになると先を読み、あえて猫をかぶっていたのです。
やがて利通の読みは当たり、久光の行列をイギリス人が馬で横切ったことから殺傷(さっしょう)されるという生麦事件(なまむぎじけん)の悲劇の後に薩摩藩がイギリスと衝突して薩英戦争(さつえいせんそう)が起きると、このような非常事態に対応できる人物は彼しかいないということで、西郷は再び歴史の表舞台に登場するようになりました。
この後の薩摩藩は、それまでの幕府に対する中立的な立場から、西郷らによって次第に武力討幕へと政策が転換され、1866年には土佐藩(とさはん)の坂本龍馬や中岡慎太郎の仲介によって、長州藩(ちょうしゅうはん)の桂小五郎らといわゆる薩長同盟(さっちょうどうめい、別名を薩長連合=さっちょうれんごう)を結び、討幕への機運が一気に高まりました。




いつも有難うございます。
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紗那 お久しぶりです。
この辺りは篤姫で見ていました。
こうやって見ると、大河ドラマというのはよく構成されてますねー
中学までの授業だと、この辺の流れもほとんど無視されてます……
黒田先生
風早 りら 西郷隆盛という人は 要領の悪い人の
ように 以前から感じていましたが
やはり 先生の講座を 受けてそう
思いました
哀れな 感じがします
暫く 体調不良で 講座に参加出来ず
残念でしたが また 参加させて頂きますね
紗那さんへ
黒田裕樹 > お久しぶりです。
ご無沙汰しておりますm(_ _)m
> この辺りは篤姫で見ていました。
> こうやって見ると、大河ドラマというのはよく構成されてますねー
大河ドラマは他に比べて、歴史の流れをしっかりと描いていると思います。
やはり1年もかければ、時間の余裕も生まれますからね。
> 中学までの授業だと、この辺の流れもほとんど無視されてます……
大河ドラマと比べると、時間があまりにも短いですからね(´・ω・`)
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 西郷隆盛という人は 要領の悪い人の
> ように 以前から感じていましたが
> やはり 先生の講座を 受けてそう
> 思いました
> 哀れな 感じがします
西郷隆盛は一徹の人でもありました。
その強さは、支持してくれる人々がいてこそ輝くんですよね。
その意味でも大久保利通の存在は大きかったです。
> 暫く 体調不良で 講座に参加出来ず
> 残念でしたが また 参加させて頂きますね
ご回復何よりです。
よろしくお願いします。
サクラ 西郷隆盛って、ほんわかしたイメージだったんですが、そんな波乱に満ちた半生があったんですね。
勿論、これからもまた波乱万丈になるわけですが。
薩英戦争で敗北したとはいえ、薩摩は英国にのっとられたわけではないんですね。
このへん、西郷さんの力量によるものでしょうか?
サクラさんへ
黒田裕樹 > 西郷隆盛って、ほんわかしたイメージだったんですが、そんな波乱に満ちた半生があったんですね。
> 勿論、これからもまた波乱万丈になるわけですが。
西郷隆盛の人生は苦難の連続です。
それゆえに人間も大きく、私たちはいつの時代も彼の生き方にひきつけられるんですよね。
> 薩英戦争で敗北したとはいえ、薩摩は英国にのっとられたわけではないんですね。
> このへん、西郷さんの力量によるものでしょうか?
西郷の力量だけでなく、当時イギリスの事情(植民地経営はインドで手一杯だったことや、何よりもアジアで安定した貿易相手がほしかったこと)もあったと思います。
この時代になると、一国の思惑だけでは何事も進まなくなるんですよね。日本史でありながら、世界史の目で歴史をながめる必要もあるんです。
ぴーち こんばんは!
西郷さんが、自殺未遂をですか?
今の今まで全く知らずにいました^^;
勉強になります!
大久保利通と西郷さんは幼馴染だとは聞いていましたが、二人の目指している考えには次第にズレが生じてくると習ったことがありましたが、私の聞き間違いだったのでしょうか・・・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 西郷さんが、自殺未遂をですか?
> 今の今まで全く知らずにいました^^;
> 勉強になります!
西郷にとっては理想の藩主であった斉彬が急死したことは、自殺を図るほどの大きな衝撃だったんですね。その後も、斉彬とは全くタイプの違う久光によって遠ざけられ、忍耐の日々を過ごすことになります。
> 大久保利通と西郷さんは幼馴染だとは聞いていましたが、二人の目指している考えには次第にズレが生じてくると習ったことがありましたが、私の聞き間違いだったのでしょうか・・・
ズレが生じてくるのは維新後です。欧米を視察して海外との国力の違いを痛感した利通と、国内に残ってそれが理解できなかった西郷との差が、二人の仲に悪影響を与えてしまったんですよね。
この後は討幕派と佐幕派(さばくは、幕府を支持する立場のこと)とのせめぎ合いが続き、同年12月9日の王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)から小御所会議(こごしょかいぎ)を経(へ)て、慶喜の内大臣(ないだいじん)としての地位と徳川家の領地の返上を討幕派が認めさせました。
しかし、その後の佐幕派の巻き返しで小御所会議の内容が骨抜きにされ、慶喜の実権が温存されそうになると、西郷らは最後の手段として、江戸の商家を薩摩藩という身分を隠(かく)さずに片っ端(かたっぱし)から襲(おそ)って幕府を挑発し、慶喜の名誉が回復する前に幕府と討幕派とを戦わせることに成功しました。
これら一連の流れが、翌1868年(慶応4年=明治元年)旧暦1月の鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)から始まる戊辰戦争(ぼしんせんそう)の引き金となったのです。この戦いの結果、幕府はその実権を完全に失い、薩摩藩などを中心とする明治新政府が誕生することになったのでした。
ちなみに、戊辰戦争においては朝廷から下(くだ)されたいわゆる「錦の御旗(にしきのみはた)」や、最新鋭のアームストロング砲が大いに役立ったのですが、これらのキーワードはいずれ重要な場面で再登場することになります。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
こうしてみると西郷さんの瞬時の判断は
見事に功を奏していったのですね。
こうした臨機応変な対応能力があったからこそ、目的が
達成されていったのですね。
最新鋭のアームストロング砲。。
恥ずかしながら、初めて伺いました^^;
応援凸
紗那 この大政奉還の辺りはうまく幕府側が立ち回ったように思えます。だからこそ、この後の展開の読みミスが残念で仕方ないのですが
西郷さん、臨機応変過ぎますね……!自分たちの身分を明かして襲撃するという一見すると奇策にしか思えないのに。。。
サクラ 錦の御旗――まるで水戸黄門の印籠ですね。
ああ、けど成敗されるのは葵の御紋という。
倒幕戦争とは、250年間の兵器の停滞を一挙打破する時期だったんですね。
その後外来銃を排して、日本は村田銃を開発するわけですが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こうしてみると西郷さんの瞬時の判断は
> 見事に功を奏していったのですね。
> こうした臨機応変な対応能力があったからこそ、目的が
> 達成されていったのですね。
そうですね。歴史教育上では王政復古の大号令で素直に討幕派に実権が転がり込んできた印象を受けるのですが、実際には西郷による一か八かの駆け引きがあったわけです。賭けに勝つあたりが、西郷の運の強さを感じますね。
> 最新鋭のアームストロング砲。。
> 恥ずかしながら、初めて伺いました^^;
歴史上に埋もれていることが多いですからね。
でも、これがあったからこそ戊辰戦争を勝てたのであり、また「薩長土肥」が勢ぞろいしたんですよ。
詳しくは今後の展開をお楽しみに(^^♪
紗那さんへ
黒田裕樹 > この大政奉還の辺りはうまく幕府側が立ち回ったように思えます。だからこそ、この後の展開の読みミスが残念で仕方ないのですが
> 西郷さん、臨機応変過ぎますね……!自分たちの身分を明かして襲撃するという一見すると奇策にしか思えないのに。。。
本当にそうですね。西郷の挑発にまんまと乗ってしまうあたり、幕府の戦略ミスが際立っているような気がします。もっとも、幕末から常に後手後手に回っている幕府ですが…(´・ω・`)
サクラさんへ
黒田裕樹 > 錦の御旗――まるで水戸黄門の印籠ですね。
> ああ、けど成敗されるのは葵の御紋という。
考えてみればそうですね。見事なパラドックスです(^^ゞ
> 倒幕戦争とは、250年間の兵器の停滞を一挙打破する時期だったんですね。
> その後外来銃を排して、日本は村田銃を開発するわけですが。
そうですね。この頃の西欧の火力は凄まじいものがありました。
でも、それをあっという間に自国のものにしてしまう我が国の技術力の高さは素晴らしいですね。
黒田裕樹さん
風早 りら 戊辰戦争の経緯は 今まで
かなり 複雑で わかりずらかったのですが
今回の先生の詳細な ご説明で
大分理解出来るようになりました
明日も楽しみにしています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 戊辰戦争の経緯は 今まで
> かなり 複雑で わかりずらかったのですが
> 今回の先生の詳細な ご説明で
> 大分理解出来るようになりました
> 明日も楽しみにしています
ご理解いただけて、私もうれしいです。
次回(13日)より長州藩の話が始まりますので、こちらにもご期待下さい!
綾小路江府士麿 幕末の騒動は興味引きます。
特に秘話が好きで、表舞台に出てこない
長州藩内での親幕派と統幕派の争いで、
わずか20数人で親幕派に立ち向かって
勝利した戦いなどは、晋作の戦略の凄さが
感じられます。
綾小路江府士麿さんへ
黒田裕樹 > 幕末の騒動は興味引きます。
> 特に秘話が好きで、表舞台に出てこない
> 長州藩内での親幕派と統幕派の争いで、
> わずか20数人で親幕派に立ち向かって
> 勝利した戦いなどは、晋作の戦略の凄さが
> 感じられます。
お言葉有難うございます。
幕末には歴史に埋もれた数々の秘話がありますよね。
今回の講座は全般を扱っているので紹介しきれないのが残念ですが、いつかは紹介したいと思います。