当時の今川家は三河(みかわ、現在の愛知県東部)から遠江(とおとうみ、現在の静岡県西部)、さらには駿河と広大な領地を持っていたのみならず、これらの地域は気候が温暖で収穫(しゅうかく)も多く、海の幸(さち)にも恵まれ、さらには金山もあるという、経済力豊かな「おいしい」場所でもありました。
通常の戦国大名であれば、何も考えることなくこれらの領地を狙うことでしょう。しかし、実際には信長は「おいしい」領地には目もくれず、徳川家康(とくがわいえやす)と同盟を結び、家康に今川家の攻略を任せたうえで、自(みずか)らは美濃(みの、現在の岐阜県南部)の征服(せいふく)を目指しているのです。
なぜ信長はこのような手段を選んだのでしょうか。実は、この選択こそが信長が描(えが)いていた「天下統一へ向けての明確なビジョン」だったのです。




いつも有難うございます。
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オバrev うぅ~ん、信長はそんな美味しい領地を目の前にして、家康に譲ったんですか(゚゚;)エエッ
私なら、絶対に真っ先に手に入れようとしたと思います。
やっぱ要所での生き方が、天才たる所以でしょうか。しかし凄いですね。
こういった上司に仕えた秀吉は、戦国時代をむしろ楽しんだような気がします。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > うぅ~ん、信長はそんな美味しい領地を目の前にして、家康に譲ったんですか(゚゚;)エエッ
> 私なら、絶対に真っ先に手に入れようとしたと思います。
> やっぱ要所での生き方が、天才たる所以でしょうか。しかし凄いですね。
通常の武将ならまずそうしたでしょう。しかし、信長の目標を考えれば…というわけです。
やはり彼は天才ですね。
> こういった上司に仕えた秀吉は、戦国時代をむしろ楽しんだような気がします。
秀吉にとっては、頑張れば頑張るほど出世できるのですから、これほど理想的な上司はいなかったでしょうね。
ぴーち こんばんは!
「おいしい領地には目もくれず」
え~っと。。
このフレーズ。以前、黒田さんのお話に中で
語られていたのを覚えているのですが、
誰だったかしら・・。
すみません、忘れてしまいました(>0<)
やはり皆と同じ考え、同じ行動をしていては出世は出来ないと言うことでしょうかね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「おいしい領地には目もくれず」
>
> え~っと。。
> このフレーズ。以前、黒田さんのお話に中で
> 語られていたのを覚えているのですが、
> 誰だったかしら・・。
> すみません、忘れてしまいました(>0<)
今年の2月の初めての東京講演である第10回の歴史講座でも同じような場面が出てきていますから、そちらかもしれませんね(^^♪
> やはり皆と同じ考え、同じ行動をしていては出世は出来ないと言うことでしょうかね。
仰るとおりです。他人を出し抜くには独自の、しかも評価される行動をとるということなんですよね。
紗那 んー、こうやって戦国時代で天下統一するためには……を分かっていても、私は今川の領土を取りに行ってしまう気がしますw
私たちですらそうなのに、答えがわからないことを自信満々にやってのける信長はやはりかっこいいです
♪
紗那さんへ
黒田裕樹 > んー、こうやって戦国時代で天下統一するためには……を分かっていても、私は今川の領土を取りに行ってしまう気がしますw
> 私たちですらそうなのに、答えがわからないことを自信満々にやってのける信長はやはりかっこいいです
> ♪
私だってそうですよ(^^ゞ
信長のこういった自信はどこから来るのでしょうね…。天才の頭脳は天才にしか分からないのでしょうか?
黒田裕樹先生
風早 りら 「信長は「おいしい」領地には目もくれず徳川家康と同盟を結び 家康に今川家の攻略を任せたうえで自らは美濃の征服を目指しているのです」
やはり 信長はカッコ良いです
今日も信長ファンの友達と黒田先生の
信長の講座の話で盛り上がりました
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「信長は「おいしい」領地には目もくれず徳川家康と同盟を結び 家康に今川家の攻略を任せたうえで自らは美濃の征服を目指しているのです」
>
> やはり 信長はカッコ良いです
> 今日も信長ファンの友達と黒田先生の
> 信長の講座の話で盛り上がりました
それは光栄です。
お友達の方にも是非この講座をご覧になっていただければと思います。
天才児:織田信長
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
この織田信長は、天才すぎます。
私も、ビジョンを持とうとしますが
やはり、目の前のことで、精一杯で、
なかなか、未来のビジョンを考えられません。
今の日本の政治家にビジョンがないと、よく、言われますが、
やはり、目先の政局のことだけで、精一杯なのでしょうね。
ましてや、織田信長の時代は、戦国時代で
どこの大名も、余裕がなく、今日を生きるのに
精一杯です。
そんな時に、ビジョンを考えられた織田信長は
凄すぎます。
おそらく、織田信長は、人生の諸行無常を
非常に達観して観ていたのではないかと
思います。
それは、織田信長の愛した敦盛の内容ですが
『人間五十年、化天[1]のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ。』これが信長の思想の根底にあったと
思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、信長の見通しの良さは誰にも真似できないですね。
彼一人の人生の達観ぶりがこの世を動かしたのかと思うと胸が熱くなりますが、それ故に本能寺の変を招いてしまったのかもしれません。
ということは、今後は信玄や北条氏から自己の領地を守るために、常に大軍を彼らとの隣接地に置かねばならないことになりますから、そんな「防衛するのが精一杯(せいいっぱい)」の情勢において、天下統一を目指して上洛(じょうらく、京へ向かうこと)を目指すようなことが果たして可能でしょうか?
こうしたことが頭にあったゆえに、信長は奪えるかもしれない今川家の領土をあっさりと捨てて、家康に三河の攻略を勧めるという、いわば三河を「クッション」として自領の尾張を「安全地帯」にしたうえで、後顧(こうこ)の憂(うれ)いをなくして美濃を攻め取り、上洛への道を確保しようと考えたのです。
天下統一のためには目先の利益にこだわらずに常に長期的なビジョンを持つという信長の一貫した姿勢が、今後の彼の人生やその方針を大きく変えたのでした。




いつも有難うございます。
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佐佐木あつし こんにちは。
信長はその性格も大好きで
あの日本人離れした気質の一面には
男惚れする思いですw
やはり、大きな事をなさんとする人は
常人のはるか遠くを見据えてなければ
いけないんですね。
器の広さが仕事の大きさを
作るのかもしれないと思うと
もっと切磋琢磨しなければと
焦るばかりの思いです(;・∀・)
佐佐木あつしさんへ
黒田裕樹 > 信長はその性格も大好きで
> あの日本人離れした気質の一面には
> 男惚れする思いですw
私も憧れますね。ただ、実際に仕えた家臣は大変でしたでしょうけど(^^ゞ
> やはり、大きな事をなさんとする人は
> 常人のはるか遠くを見据えてなければ
> いけないんですね。
> 器の広さが仕事の大きさを
> 作るのかもしれないと思うと
> もっと切磋琢磨しなければと
> 焦るばかりの思いです(;・∀・)
私も同じ思いです。
教師として、また歴史の語り部としてはまだまだ修行が足りないことを痛感しております。
ぴーち こんばんは!
なるほど!
車で例えると
三河を「エアバック」にし
尾張を「シートベルト」にしたんですね^^
目先の利益に拘らずに・・ですか。
信長は「先見の明」に長けていたんですね。
俗に将棋の棋士が相手の10手先まで
読みながら、将棋を指すと言われているようですが、そんな能力もそれまでの人生経験から生まれたんでしょうね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど!
> 車で例えると
> 三河を「エアバック」にし
> 尾張を「シートベルト」にしたんですね^^
これは絶妙な例えですね(^^♪
参考にさせていただきますm(_ _)m
> 目先の利益に拘らずに・・ですか。
> 信長は「先見の明」に長けていたんですね。
> 俗に将棋の棋士が相手の10手先まで
> 読みながら、将棋を指すと言われているようですが、そんな能力もそれまでの人生経験から生まれたんでしょうね。
先見の明がいかに大切かということですね。
本物の勝負師の凄みを感じます。現代の政治家にも見習ってほしいものですよね。
黒田裕樹さん
風早 りら 「 天下統一のためには目先の利益にこだわらずに常に長期的なビジョンを持つという信長の一貫した姿勢 」
やっぱり 信長は カッコ良いです
今日 映画 「桜田門外の変」見ました
歴史好きで信長大好きな友達とみました
信長が殺されなければ 鎖国はなかったでしょう
返す返す 残念です
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「 天下統一のためには目先の利益にこだわらずに常に長期的なビジョンを持つという信長の一貫した姿勢 」
>
> やっぱり 信長は カッコ良いです
> 今日 映画 「桜田門外の変」見ました
> 歴史好きで信長大好きな友達とみました
> 信長が殺されなければ 鎖国はなかったでしょう
> 返す返す 残念です
桜田門外の変は今年話題の映画の一つですね。
その他にも時代劇の傑作が多いのがうれしいです。
秀吉や家康と違って、開放的な信長であれば鎖国政策はとらなかった可能性がありますね。
仰るとおり残念なことだと思います。
宝の山
たぬき 駿河 遠江 三河が宝の山との指摘ですが
太閤検地で
駿河 15万石
遠江 25万石
三河 29万石
尾張 57万石
美濃 54万石
伊勢 57万石
単に宝の山と呼ぶなら、美濃や伊勢の方が隣接国としては適当。実際に美濃や伊勢に出兵している。
美濃の斉藤家とは道三の死後1556年から断続的に係争状態にあるから、桶狭間の戦いのあとも美濃とは戦わざるをえない。
上記の係争があるということは、対美濃工作は進行しているだろうが、対三河に関しては、桶狭間の前の段階では係争が薄い。
桶狭間の戦いのあと、情報が薄い三河に向かうより、情報の濃い美濃に向かうのが妥当だと思うのだが、別に宝の山とか、上洛を目指してというようなことを指摘しなくても。
たぬきさんへ
黒田裕樹 ご指摘ありがとうございます。
確かに石高を考えれば西へ向かう方が妥当であったかもしれません。
ただ、この場合に分岐点となったのは、今川家の将来をどう見るか、ということであったと考えております。
義元亡き後の今川家は凋落が激しかったことで、領地を拡大するのであれば、7年もかかった美濃よりも比較的攻めやすく、またその他にも本文にあるような地形的な条件がそろったことで、奪いやすい方から奪っていくという方法を、通常の戦国武将なら考えはしないかという観点から講座を進めております。
しかしながら本文を読み返してみれば「宝の山=領土」というイメージが強く、ご指摘のようなお考えを持たれるのも自然かと思われます。
私を含めて、現代人は歴史を結果から見る傾向があります。現代から見た「価値があり、情報がある方から攻める」イメージと、戦国時代の「大名が弱ったところから攻める」イメージとの互換性も視野に入れながら、今後の勉学に励みたいと思います。
mochimochi 講義からも勉強になりましたが、みなさんのコメントからも勉強になりました。
良いサイトですね。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 講義からも勉強になりましたが、みなさんのコメントからも勉強になりました。
> 良いサイトですね。
有難うございます。
一方的に自己の見解を述べるだけではなく、皆様から頂いたご意見をもとに双方向へ幅広い知識や理解を深めていくことが、私のブログに対するモットーであり、同時に教師の心得の一つとも思っております。
これからもぜひお越し下さい。