こうした行為に対して眉(まゆ)をひそめる人々が多いのも事実ですが、時は戦国時代であり、食うか食われるかの厳(きび)しい毎日であったことを考えれば、信長の行動にもそれなりの理由があったと考えるべきでしょう。
城主といってもまだ若く、行動力もある信長にとってはそれこそ「自分で領内の様子を確認する」必要があり、その際に形式ばった衣装(いしょう)では領民の本音(ほんね)を聞くことができないという考えから、あのような行動をとったと思われます。要するに信長は、領地や領民を守るためには「生きた情報」を得ることが何よりも重要であることを、若いうちから肌(はだ)で感じていたのではないでしょうか。
こうした信長の「情報を重視する」姿勢は、後の彼の生涯に何度も襲(おそ)いかかる危機に対しても大いに役立つことになるのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
こうして伺っていると
織田信長の若い頃は「野生児」と言った
印象を受けました。
是非、黒田流、織田信長風口上を
拝聴したかったですねぇ(笑)
抹香をわしづかみに投げつける劇場も^^
仰るとおり、様々な意見を聞いて歩くという
ことはその人にとってはなによりの勉強に
なる事ですし、またその経験や情報が
後々の人生に役立ってくるものでもありますよね^^
私も「かわいい子には旅をさせよ」の精神を尊重して行きたいと思います(気持ち的に)
応援凸
オバrev 信長は非常に興味ある人物で、その評価は面白可笑しくではなく、キッチリとした評価が知りたいと思っていましたので、期待しています(^^)
まずその手始めですが、生きた情報ということは言い換えれば現場の情報ですよね。
机上の空論ばかりで、現実味のない政策を繰り返す今の官僚にも是非読んで頂きたいですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こうして伺っていると
> 織田信長の若い頃は「野生児」と言った
> 印象を受けました。
> 是非、黒田流、織田信長風口上を
> 拝聴したかったですねぇ(笑)
> 抹香をわしづかみに投げつける劇場も^^
あぁ、その手がありましたねぇ(笑)。
「喝!」とか言うのも良いですが、先に自分が喝を入れられそうです(^^ゞ
> 仰るとおり、様々な意見を聞いて歩くという
> ことはその人にとってはなによりの勉強に
> なる事ですし、またその経験や情報が
> 後々の人生に役立ってくるものでもありますよね^^
> 私も「かわいい子には旅をさせよ」の精神を尊重して行きたいと思います(気持ち的に)
青年期の信長は生きた情報の中で過ごしたことで、通常の城主とは全く異なる道を歩むことになりましたが、これが彼の人生に良い意味で大きな影響を与えましたからね。
やはり苦労は若いうちからした方がいいのかもしれません。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 信長は非常に興味ある人物で、その評価は面白可笑しくではなく、キッチリとした評価が知りたいと思っていましたので、期待しています(^^)
有難うございます。ご期待に沿えるように頑張ります!
> まずその手始めですが、生きた情報ということは言い換えれば現場の情報ですよね。
> 机上の空論ばかりで、現実味のない政策を繰り返す今の官僚にも是非読んで頂きたいですね。
仰るとおりだと思います。
某人気番組ではないですが「事件は現場で起きている」わけですから。
紗那 確かに信長の行動には革新的なものを感じますよね♪
特に、領民と対等の立場で話をする、というのは当時では画期的な考え方だったんだろうと思います
だからこそ、現実に沿ったよりよい新しい政策を立案できたのでしょうね。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 確かに信長の行動には革新的なものを感じますよね♪
> 特に、領民と対等の立場で話をする、というのは当時では画期的な考え方だったんだろうと思います
> だからこそ、現実に沿ったよりよい新しい政策を立案できたのでしょうね。
そのとおりですね。
信長の革命的なおかつ先進性あふれる行動が我が国の新しい時代を切り開く源(みなもと)となったわけですから、青年時代にすでにその片鱗(へんりん)を見せていたというのもうなづけます。
黒田裕樹さん
風早 りら 織田信長 カッコ良いです
彼が現代に生きていたとしても
人気 抜群 だったことでしょう
今日は 凄く 楽しかったです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 織田信長 カッコ良いです
> 彼が現代に生きていたとしても
> 人気 抜群 だったことでしょう
> 今日は 凄く 楽しかったです
信長は美男子と伝えられていますし、行動力もありますから、仰るとおり人気者になっていたかもしれませんね。
楽しんでいただけて何よりです。
おきばりください
sohya ■黒田裕樹さま。
お早うございます。
bittercup氏からのご縁ということですが、
よろしくお願いいたします。
このFC2というのはアメリカに籍のある会社ですが、
よく出来ているレンタルサイトだと思います。
ただ最近会員が多くて編集コントロールのところが
とてもビジー状態になっていて速度がのろく嫌ですね。
よろしくお付き合いください。
コメントを置かなくても覗いていますから。
では、また。
sohyaさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
FC2同士で交流を深められることは素晴らしいですね。
よろしくお願いいたします。
駿河(するが、現在の静岡県東部)を本拠地(ほんきょち)とする戦国大名の今川義元(いまがわよしもと)が、1560年に尾張を狙(ねら)って侵攻(しんこう)してきたのです。2万5千ともいわれる今川の軍勢に対して、信長が動員できる人数はそのわずか10分の1以下の2000人程度でした。まともに戦っては勝ち目がありません。
家臣からは籠城(ろうじょう、城に立てこもって戦うこと)を勧(すす)める意見もありましたが、信長は動きませんでした。しかしその後、今川軍の攻撃開始を聞くと信長はすぐさま出陣(しゅつじん)し、熱田神宮(あつたじんぐう)で戦勝祈願(せんしょうきがん)を行いました。
実は、信長は家臣からもたらされる「ある情報」を待っていたのです。そして、その情報こそが、圧倒的に不利と思われた情勢を一気に逆転できる唯一(ゆいいつ)の手段でもありました。




いつも有難うございます。
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Kei おっ
いいところで終わりましたね。。。
続きは明日ですね。。。
信長好きの息子に<ねえ、これ知ってる?>と
自慢したいので、、、
明日も確実にお邪魔いたします(笑)Kei
ぴーち こんばんは!
信長に限っては
「多勢に無勢」は通用しない様ですね!
さてさて、どんな戦法を打ち出すのか。
そして、どんな情報を得るのか。
楽しみです♪
応援凸
Keiさんへ
黒田裕樹 > おっ
> いいところで終わりましたね。。。
> 続きは明日ですね。。。
> 信長好きの息子に<ねえ、これ知ってる?>と
> 自慢したいので、、、
> 明日も確実にお邪魔いたします(笑)Kei
Keiさんがお子様に自慢できますように(笑)、明日(29日)以降もご期待に沿えればと思います。
続きもぜひお楽しみに!(^^♪
紗那 この桶狭間の話は有名ですね♪
とはいえ、このように、情報戦で信長が勝ったという認識は今までにしたことがなかったです^^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 信長に限っては
> 「多勢に無勢」は通用しない様ですね!
> さてさて、どんな戦法を打ち出すのか。
> そして、どんな情報を得るのか。
> 楽しみです♪
有難うございます。
「情報を巧みに利用した戦法」でも言っておきましょうか(^^ゞ
次回(29日)をお楽しみに!
紗那さんへ
黒田裕樹 > この桶狭間の話は有名ですね♪
> とはいえ、このように、情報戦で信長が勝ったという認識は今までにしたことがなかったです^^;
戦国時代の戦(いくさ)といえば「力と力の激突」という印象がありますからね。
情報戦がどのような作用をもたらすのか、ぜひご覧いただきたいと思います(^^♪
黒田裕樹さん
風早 りら 信長ファンには 堪らない 今日の講座ですね
まるで 映画のワンシーンを見ているみたい
「圧倒的に不利と思われた情勢を一気に逆転できる唯一の手段でもありました」
その後は 皆さん ご存じでしょうが
やはり 先生の 講座でお聞きしたいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 信長ファンには 堪らない 今日の講座ですね
> まるで 映画のワンシーンを見ているみたい
> 「圧倒的に不利と思われた情勢を一気に逆転できる唯一の手段でもありました」
> その後は 皆さん ご存じでしょうが
> やはり 先生の 講座でお聞きしたいです
確かに映画のワンシーンにふさわしい光景ですね。
次回(29日)の更新を思う存分堪能(たんのう)いただければと思います。
後の世で「桶狭間の戦い」と呼ばれたこの戦(いくさ)は、信長による大逆転の勝利だったわけですが、戦後の論功行賞(ろんこうこうしょう、功績を論じ程度によって賞を与えること)では、それまでの慣例とは異なる現象が起きました。
義元の首を実際に打ち取った家臣よりも、義元が桶狭間を行軍中であるという情報を知らせた家臣の方が一番手柄(いちばんてがら)であるとして、より多くの褒美(ほうび)を与えられているのです。その背景には、刀や槍(やり)による手柄よりも情報戦を制することが戦勝につながるという信長の考えがありました。
さて、義元の死によって今川家は急速に勢力が弱まっていったのですが、ここで信長は通常の戦国大名とは全く異なる路線を歩むことになります。なぜ信長がそんな行動をとったのかを理解することによって、彼の生涯をかけた「大きな目標」を私たちは目(ま)の当たりにすることができるのです。




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Kei なるほど。。。
情報を持ってきた家臣のほうが、褒美が上。。
信長すごいですね。
それが、桶狭間で勝利に導いたんですね。
今日もいいところで終わってしまいました。。
また、明日来ます。
毎日、分かりやすくお勉強させていただきありがとうございます。Kei
mochimochi 本当に自分も信長と一緒に桶狭間に行くような臨場感のある講座でとてもおもしろかったです。
ぴーち こんばんは!
今でこそ情報化社会と言われていますが(或いはそれ以上に
「情報過多」時代でもあるかな?(笑))
信長の時代は、情報の伝達速度も、量も少なかったのではないのかと推測いたします。
それ故、少ないだけにとても貴重なもので、ましてや、それが確実なる情報だったとしたら、仰るとおり、刀や槍の手柄よりも、価値は高かったのでしょうね。
関係ない話ですが、刑事事件なども、やはり情報ありきですものね。
応援凸
紗那 なるほど、信長は情報戦のうまい武将でもあったわけですね。
確かに考えてみると、奇襲というのは一般に弱い立場の者が強い立場の者に仕掛けるわけで、それを成功させるためには情報が絶対必要ですよね。完全に盲点でした。
此処から先の信長の行動も当時では考えられないような行動ですよね^^;
Keiさんへ
黒田裕樹 > なるほど。。。
> 情報を持ってきた家臣のほうが、褒美が上。。
> 信長すごいですね。
> それが、桶狭間で勝利に導いたんですね。
単なる力関係だけではなく、情報戦で相手を制する。
圧倒的な兵力差を打開するにはこれしかないですよね。
> 今日もいいところで終わってしまいました。。
> また、明日来ます。
> 毎日、分かりやすくお勉強させていただきありがとうございます。Kei
有難うございます。
明日(30日)もぜひお越し下さい。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 本当に自分も信長と一緒に桶狭間に行くような臨場感のある講座でとてもおもしろかったです。
講師冥利に尽きるお言葉、有難うございます。
今後もぜひお越し下さい。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今でこそ情報化社会と言われていますが(或いはそれ以上に
> 「情報過多」時代でもあるかな?(笑))
> 信長の時代は、情報の伝達速度も、量も少なかったのではないのかと推測いたします。
> それ故、少ないだけにとても貴重なもので、ましてや、それが確実なる情報だったとしたら、仰るとおり、刀や槍の手柄よりも、価値は高かったのでしょうね。
> 関係ない話ですが、刑事事件なども、やはり情報ありきですものね。
現代のようにかえって情報過多の時代になりますと、その有難みも薄れてしまっているようですが、当時の確かな情報は何物にも勝る宝だったと思います。
だからこそ信長は一番手柄を認めたのでしょう。
仰るとおり、現代の刑事事件においても「確かな情報」をもとに慎重に捜査を進めてほしいものです。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、信長は情報戦のうまい武将でもあったわけですね。
> 確かに考えてみると、奇襲というのは一般に弱い立場の者が強い立場の者に仕掛けるわけで、それを成功させるためには情報が絶対必要ですよね。完全に盲点でした。
そうなんですよね。
情報戦を勝ち抜くことが数万の兵を動かすことよりも重要なことを信長は見抜いていたのですから、やはり彼は天才ですね。
> 此処から先の信長の行動も当時では考えられないような行動ですよね^^;
仰るとおりですね。
次回(30日)から詳しく紹介しましょう(^^♪
黒田裕樹さん
風早 りら 「情報戦を制することが戦勝につながるという」
この考え だから 信長は好きですね
一番手柄が 誰か よく 理解しています
やはり 信長は 頭 相当良いです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「情報戦を制することが戦勝につながるという」
> この考え だから 信長は好きですね
> 一番手柄が 誰か よく 理解しています
> やはり 信長は 頭 相当良いです
私もそう思います。
信長の配下からしてみれば、この上なく心強い存在ですよね。