しかし、当時の世界情勢は白色人種(はくしょくじんしゅ)による帝国主義(ていこくしゅぎ、政治や経済、軍事などの面で他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策のこと)の真っ只中(まっただなか)にあり、我が国は欧米諸国(おうべいしょこく)からの侵略(しんりゃく)や植民地化を免(まぬが)れるために、ありとあらゆる手段で近代化を進めていきましたが、広大な東アジアの中で、我が国だけがいくら頑張(がんば)ったところで限界がありました。
そんな我が国の生命線を握(にぎ)っていたのが朝鮮半島の存在でした。もし朝鮮半島が白人、特に当時のロシア帝国に奪われてしまえば、我が国の安全保障(あんぜんほしょう)が風前の灯(ふうぜんのともしび)と化してしまうのは明白だったのです。
そこで、明治政府は当時の李氏朝鮮(りしちょうせん)に近代化を進めるように働きかけました。朝鮮半島に独立国が誕生すれば、朝鮮の人々のためになると同時に我が国の安全度も増すと判断したからです。
政府は早速、当時の朝鮮国王である高宗(こうそう、または「コジョン」)に対して外交文書を送ったのですが、ここで両国にとって不幸な行き違(ちが)いが発生してしまったのでした。




いつも有難うございます。
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風早 りら 朝鮮半島が当時のロシア帝国に奪われていたとしたら 大変です
共産圏にいずれ 日本は囲まれてしまう事になります
怖いくらいです
戦争に負けた時 せめてもの救いは ロシアに占領されなかった事だと思っています
もし そうなら 日本は 今ころ北朝鮮のように なっていたかもしれません
ぞっとします
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 朝鮮半島が当時のロシア帝国に奪われていたとしたら 大変です
> 共産圏にいずれ 日本は囲まれてしまう事になります
> 怖いくらいです
> 戦争に負けた時 せめてもの救いは ロシアに占領されなかった事だと思っています
> もし そうなら 日本は 今ころ北朝鮮のように なっていたかもしれません
> ぞっとします
私も同感です。
ロシアが共産主義のソ連と化したのは20世紀ですが、それまでに朝鮮半島がロシアの支配を受けていれば同じことだったでしょう。
第二次大戦の敗北後、我が国はアメリカの一国支配を受けたことで大きな影響を受けましたが、仰るとおりまだアメリカで良かったのかもしれませんね。
今回の講座で重要なのは、当時の我が国の為政者がりらさんのような恐怖感を抱きながら毎日を生きていかなければならなかった、ということです。
国民の生活そっちのけで政争に明け暮れる現代とはわけが違います。
このことを肝に銘じながら、講座を進めていきたいと思います。
ぴーち こんにちは!
白人至上主義。
どうしていつも白人が優位な立場なんでしょうかね?
個人的には白人には何の恨みもございませんが、
白人、黒人、黄色と
見た目で優劣を付けて、
優越感に浸る・・。
ようやく現代になりアメリカもオバマ大統領の
例にもあるように、黒人であうとなんであろうと
大統領としての才覚の有無で地位を獲得出来るようになったのは、非常に進歩的な事ですけれど。
韓国と日本の行き違いは何だったのでしょうか。
また、続きを楽しみにお邪魔させてくださいね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 白人至上主義については全く同感です。
人種差別ほど馬鹿馬鹿しいものはありません。
にもかかわらず、黄色人種であるゆえに叩かれる日本。本当に悔しいですよね。
行き違いは文書のなかの「言葉」から始まりました。
この行き違いが、やがて我が国の国論をも二分してしまうのです。
詳しくは明日(5日)をご覧下さい(^^♪
サクラ リンクに加えさせてもらいました。
それにしても、西欧の植民地だった国々は何も文句を言わないんですね(文句を言うほうが非常識と言うべきか)。なおかつ英連合なんて作ってますし。
本当は日本も近隣諸国との強い関係を作るべきなんですけどね。先進諸国からの見えない包囲網なんて、今も健在ですから。
ご無沙汰しています。
しきしま 久しぶりにコメントします。
テンプレートが変わって爽やかになりましたね。
実は近現代史ですが、分からない事も多々ありますので勉強させて頂きます。
「両国にとって不幸な行き違(ちが)い」、、、ですか。
確か、、、朝鮮政府は当初、明治新政府を正式に認めていなかったような(朝鮮通信使を送っていた徳川幕府を正式とみなしていた?)、か又は、朝鮮は中国の冊封体制に組み入れられていた為、日本を対等とみなしていなかったとか?
ちょっと今回(も)、当てずっぽうでコメントしてしまいました。
サクラさんへ
黒田裕樹 > リンクに加えさせてもらいました。
有難うございます。こちらからも相互リンクさせていただきますね。
> それにしても、西欧の植民地だった国々は何も文句を言わないんですね(文句を言うほうが非常識と言うべきか)。なおかつ英連合なんて作ってますし。
> 本当は日本も近隣諸国との強い関係を作るべきなんですけどね。先進諸国からの見えない包囲網なんて、今も健在ですから。
考えられるとすれば「第二次大戦の後遺症」というべきでしょうか。悲しいかな、戦勝国と敗戦国の違いというべきなのか…。近隣同士の憎みあいは世の常でもあるんですけどね。
しきしまさんへ
黒田裕樹 > 久しぶりにコメントします。
> テンプレートが変わって爽やかになりましたね。
お久しぶりです。お蔭様で良いテンプレを借りることができました。
> 実は近現代史ですが、分からない事も多々ありますので勉強させて頂きます。
> 「両国にとって不幸な行き違(ちが)い」、、、ですか。
> 確か、、、朝鮮政府は当初、明治新政府を正式に認めていなかったような(朝鮮通信使を送っていた徳川幕府を正式とみなしていた?)、か又は、朝鮮は中国の冊封体制に組み入れられていた為、日本を対等とみなしていなかったとか?
> ちょっと今回(も)、当てずっぽうでコメントしてしまいました。
さすがしきしまさん、鋭いところを突いておられますね。
明日(5日)の更新までお待ちください。
関東の誠 おはようございます
日韓併合、「併合」という言葉に接する機会すら殆どなかったように思います。今年の夏、私にとって初めてテレビでこの出来事を扱った番組に出逢いました。なかなか客観的視点で語られることのない出来事なので、この機会に勉強させて頂きます。
※36年前に製作されながら上映中止なった映画「氷雪の門」のニュースを見ながらコメントさせて頂きました。
そうめん 朝鮮半島は日本の生命線を握っていたんですか・・。
これは参考になりました。
有難う御座います。
日本がロシア帝国に奪われたりしたら大変な事になっていたんですか・・。
もしこうなったら日本はどんな事になっていたんでしょうかね・・。
もしかしたらですが日本の存在が無かったかもしれません。
怖いですね。。。
もちろん、我が国にそんな意図(いと)はありません。明治新政府となり、我が国が天皇中心の新たな中央集権国家に生まれ変わったという意味で、形式的に「皇」や「勅」の字を使用したに過ぎなかったのです。我が国は朝鮮に対して理解を求め、新たに「皇」や「勅」の字を使用しない外交文書を送るなど懸命の努力を重ねましたが、態度を硬化(こうか)させた朝鮮は首を縦(たて)に振りませんでした。
我が国と朝鮮とが国交断絶の状態となった一方で、朝鮮を属国としていた清国と我が国との間では、明治4(1871)年に対等な条件の日清修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)が締結されていました。宗主国(そうしゅこく)である清国が我が国と国交を結んでいるのに対して、属国である朝鮮が国交を結んでいないということは、裏(うら)を返せば「朝鮮は明治政府を承認していない」という意思表示でもありました。
このような朝鮮の排他的(はいたてき)な外交態度に対して、明治政府の内部から「我が国が武力を行使してでも開国させるべきだ」という意見が自然と発生しました。いわゆる征韓論(せいかんろん)の始まりだったのですが、その背景には「朝鮮との外交問題を早く解決しないと、いつロシアが南下(なんか)して朝鮮半島を占領するか分からない。もしそうなれば我が国にとって死活問題になる」という焦(あせ)りもありました。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 左翼護憲市民の認識は、欧米列強が日本に対してやったことと同じ事を日本が中国朝鮮にやった、と信じて疑いません。
また、欧米列強の世界侵略が常態となっている時代に国境線がロシアと接しようとしている事態は極めて危険で、できるだけ戦線を本国から遠くに設定しようとするのは当時の国策として限られた選択肢の中の一つ、なんて言えば吊し上げです。
ところで、興味深い事に家康秀忠親子の思いきった軍縮、動員兵力と鉄砲保有数は世界トップクラスの軍事力に惜し気もなく大鉈ふるい、朝鮮との国交回復に尽力した事は、左翼護憲市民は高く評価しなければならないのに、殆んど無視されています。
しかし朝鮮学校の歴史教育には家康の平和外交は紹介されています。
まっ、これは利害関係からいって至極当然。自分達にとって利益になる、味方になる存在を記憶するのは当たり前です。
また、金大中は当時の朝鮮の閉鎖的外交を批判し、日本の幕末明治維新を高く評価しています。
つまり、何が言いたいのかというと、左翼護憲市民の歴史感は自虐以前に、「日本」の否定なのです。
朝鮮学校にしろ、韓国の政治家にしろ、日本を批難しながらも利害関係に基づいた冷静な分析を忘れていません。ところが護憲市民は感覚としてバランスを失っているのです。
サクラ あ、なるほど。
みことのりが問題だったんですね――今気づきました。
小学校の頃は江華島事件などのことを聞いて、「ひどいなー」なんて思っていたんですが、当時の事を考えてみれば仕方ありませんよね。
地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く
紗那 んー、征韓論!懐かしい響きですw
しかし、この征韓論が登場してくる過程が、教科書ではあまりに強引にこじつけられてる気がして、なっとくできなかったのですが、やっとその疑問も氷解しました!
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、仰るとおり是は是、非は非ということで、かの国々の方がバランスが取れているといいうわけですね。
そんな無茶な論理が通用する世の中とは思えないのですが…それが通用するのでしょうね、彼らには。
サクラさんへ
黒田裕樹 > あ、なるほど。
> みことのりが問題だったんですね――今気づきました。
そういうことです。属国の立場としては、言葉一つにでも神経を使わなければいけなかったんでしょうね。
> 小学校の頃は江華島事件などのことを聞いて、「ひどいなー」なんて思っていたんですが、当時の事を考えてみれば仕方ありませんよね。
江華島事件は明日(6日)の更新で登場しますが、今回の背景を思い起こせばその通りになるでしょうね。
> 地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く
な、なんと大胆な一句ですね…(^^ゞ
紗那さんへ
黒田裕樹 > んー、征韓論!懐かしい響きですw
> しかし、この征韓論が登場してくる過程が、教科書ではあまりに強引にこじつけられてる気がして、なっとくできなかったのですが、やっとその疑問も氷解しました!
そういえば征韓論の背景についてはほとんど紹介していませんよね。
いきなり攻め込むわけがないのですから、今回のような理由があったことを紹介しても差し支えがないと思うのですが…ひょっとして遠慮?
ぴーち こんばんは!
慎重に相手国の状況や文化、言葉の違い、歴史などを
調査せずに、性急に取り掛かろうとした結果が命取りとなってしまったんでしょうね。
そういえば、昔アメリカに留学していた学生の
家に強盗が入り、相手の要求どおり、手を挙げて
抵抗しないそぶりをしたにも関わらず、殺害されてしまった事件がありましたが、なまじ英語が達者であった為に余計な一言を発してしまった事での惨事だった様ですが、言葉を知っていても、その正しい使い方を誤れば、自分の意図した事とはまるで違う結果になってしまうという恐ろしい例でした。
そして、やはり何事も焦りは禁物なんですね^^;
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、国際関係の構築には、相手の国の風習の理解が必要な場合がありますよね。
焦りは禁物ですが、相手国の意図を早く察してくれる必要もあると思います。話せば分かることだってあるんですから…って、こういう発想は日本人ならではですよね(^^ゞ
黒田裕樹先生
風早りら 今回のこの講座は 一日も
かかせません
学校の教科書では全く
教えてもらっていない事だと思います
いつも 日本が 悪者にばかりされています
このように 韓国でも
教えて欲しいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 今回のこの講座は 一日も
> かかせません
> 学校の教科書では全く
> 教えてもらっていない事だと思います
> いつも 日本が 悪者にばかりされています
> このように 韓国でも
> 教えて欲しいです
お言葉有難うございます。
教科書にはそれらしい記載はあるものの、詳しく解説しないことには意味が分からないでしょう。
一方的な価値観からではなく、公平な目で教えないと全体像が見えてきませんからね。
ただし、西郷のような政府の重鎮(じゅうちん)が国交のない国に出かけて万が一のことがあれば、朝鮮とはそのまま戦争状態となってしまうのは明らかでした。結局、征韓論は明治6(1873)年に欧米諸国の外遊(がいゆう)から帰国した大久保利通(おおくぼとしみち)らが反対したことで瓦解(がかい)し、敗れた西郷らは政府を下野(げや)しました(これを「明治六年の政変」といいます)が、大久保らの反対にも大きな理由がありました。
当時の政府には「一日も早く近代国家を達成して、欧米諸国に追いつかなければならない」という大きな目標がありました。そのためには富国強兵(ふこくきょうへい)や殖産興業(しょくさんこうぎょう)を目指さなければならず、朝鮮へ派兵する余裕は全くなかったのです。とはいえ、朝鮮との国交も急がなければなりません。そんな折、我が国と朝鮮との間で一つの事件が発生しました。
明治8(1875)年、朝鮮の首都である漢城(かんじょう、現在のソウル)の北西に位置する江華島(こうかとう)付近で我が国の軍艦(ぐんかん)の雲揚(うんよう)号が朝鮮から砲撃(ほうげき)を受けたのです。朝鮮からの軍事行動に対して我が国も報復として砲撃を行いましたが、これらの武力衝突(ぶりょくしょうとつ)は江華島事件と呼ばれています。
この事件をきっかけとして我が国が朝鮮に対して開国するように働きかけたことで、翌明治9(1876)年に日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)が結ばれました。




いつも有難うございます。
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サクラ 江華島事件って、朝鮮が攻撃してきたんですか。
私は日本側が勝手に測量とか挑発行為をして――しかしそれも必要悪なんだろうな、って思ってました。
あと、征韓論って名前が悪いですよね。
軍部の重鎮が乗り込むというのも、亜流の武力交渉みたいなもんですが。
いざとなればミンビ暗殺みたいなことも起こせますし(まあ、あれは朝鮮民衆が起こした物ですけど)。
ぴーち こんばんは!
そうですか。。
外遊して、世界を見て来た大久保利通は
それまでの経験上で得た持論があったのですね・
「富国強兵」
このワードは覚えています!
日本はこの当時、相当な焦りを抱えていたんですね。
その後の展開を楽しみにまた、お邪魔しますね^^
応援凸
サクラさんへ
黒田裕樹 > 江華島事件って、朝鮮が攻撃してきたんですか。
> 私は日本側が勝手に測量とか挑発行為をして――しかしそれも必要悪なんだろうな、って思ってました。
仰る説も根強いですね。ただ、当時の我が国と朝鮮との間では偶発的な事故として認識されていたという事実もあり、私も後者の説を採用しています。
もし仮に前者の説が正しかったとしても、仰るとおり国交樹立のための必要悪という見方も考えられると思います。
> あと、征韓論って名前が悪いですよね。
> 軍部の重鎮が乗り込むというのも、亜流の武力交渉みたいなもんですが。
> いざとなればミンビ暗殺みたいなことも起こせますし(まあ、あれは朝鮮民衆が起こした物ですけど)。
征韓論だと問答無用というイメージがありますからね。仰るとおり、事実上はそのとおりなのですが…。
閔妃暗殺については後日この講座で紹介しますので、その際にでもまた検討しましょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか。。
> 外遊して、世界を見て来た大久保利通は
> それまでの経験上で得た持論があったのですね・
「百聞は一見にしかず」とはよく言ったものです。
逆に海外を見ることができなかった西郷にとっての悲劇でもありました。
> 「富国強兵」
> このワードは覚えています!
> 日本はこの当時、相当な焦りを抱えていたんですね。
> その後の展開を楽しみにまた、お邪魔しますね^^
有難うございます。
当時の政府の焦りは、平和に慣れきった現代の私たちの理解の及ぶところではないでしょうね(´・ω・`)
黒田先生
風早 りら 我が国が朝鮮に対して開国するように働きかけたことで日朝修好条規が結ばれたのですね
江華島事件は日本が一方的に悪いように
言われています
不満です
歴史を世界で 見直して 欲しいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 我が国が朝鮮に対して開国するように働きかけたことで日朝修好条規が結ばれたのですね
> 江華島事件は日本が一方的に悪いように
> 言われています
> 不満です
> 歴史を世界で 見直して 欲しいです
他の方へのコメントでも書きましたが、事件当初は偶発的な事件として両国承認のうえで処理されています。だからこそ事件後に両国の間で国際条約が結ばれるのですが…。
日朝修好条規の内容が「不平等」であるとされているゆえに、関連付けるためにも我が国が悪者にされているのでしょうか。条約の内容については次回(7日)に紹介します。
確かに日朝修好条規には朝鮮に在留(ざいりゅう)する日本人に対する我が国側の領事裁判権(りょうじさいばんけん)が認められていましたが、これは江戸時代からの慣習をそのまま成文化(せいぶんか)したものですし、また関税自主権(かんぜいじしゅけん)については日朝両国がお互(たが)いに関税をかけないという取り決めをしているところが他の不平等条約とは異なっています。
それよりも重要なのは、日朝修好条規の第1条で「朝鮮は自主独立の国であり、日本と平等な権利を有する」と書かれていることです。これは我が国が朝鮮を独立国と認めたことを意味しており、当時の世界諸国が朝鮮を「清国の属国」としか見ていなかったことからすれば、非常に画期的(かっきてき)なことでした。
日朝修好条規は、裏を返せば朝鮮が初めて自国で結んだ国際条約であり、この条約が結ばれたことで、欧米諸国も次々と朝鮮と条約を結びました。その内容は我が国が欧米諸国と結んだのと同様に不平等でしたが、欧米諸国が朝鮮を一つの国として認めていることも意味していたのです。




いつも有難うございます。
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風早 りら 「日朝修好条規は、裏を返せば朝鮮が初めて自国で結んだ国際条約であり、この条約が結ばれたことで、欧米諸国も次々と朝鮮と条約を結びました。その内容は我が国が欧米諸国と結んだのと同様に不平等でしたが、欧米諸国が朝鮮を一つの国として認めていることも意味していたのです」
現在の中学の教科書には
このような事は記載されているのですか
知らない人が多いと思いますが
サクラ 私の中学校では、欧米諸国がやった不平等条約を、列強に仲間入りした気分で繰り返した――としか教えてませんでしたよ。
冊封体制とかも無視です。
しかし、そもそも日本が朝鮮を独立国として認めた――これが日本の目的だったんでしょうね。
ただ「責任が自分にある」ということは、当時の朝鮮として負荷でしかなかったのでしょうが。
次々と欧米列強が不平等条約を押し付けてきたのですから。
しかしそこで日本のように踏み出せるかが問題だったのだと思います。
独立する事の重要性――これに気づくのは後々ですが。
それにしても、安重根や金九は、(ただ日本の支配を嫌っただけで)早くのうちから独立する事の重要性に気づけた人なんでしょうか?
それとも、単なる反日(と、反清?)主義の持ち主だったんでしょうか?
もし前者だったら、こういう人たちを諭して自律国家にできていたらなあ――とか思うのですが。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 現在の中学の教科書には
> このような事は記載されているのですか
> 知らない人が多いと思いますが
残念ながら皆無に近いといっていいかもしれません。
いかに教科書の記載が一方的であるかという間接的な証拠になっていると思います。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 私の中学校では、欧米諸国がやった不平等条約を、列強に仲間入りした気分で繰り返した――としか教えてませんでしたよ。
> 冊封体制とかも無視です。
> しかし、そもそも日本が朝鮮を独立国として認めた――これが日本の目的だったんでしょうね。
そのとおりです。我が国の本当の目的を無視して、見た目の不平等条約ばかりを強調しているんですから話になりません。
> ただ「責任が自分にある」ということは、当時の朝鮮として負荷でしかなかったのでしょうが。
> 次々と欧米列強が不平等条約を押し付けてきたのですから。
> しかしそこで日本のように踏み出せるかが問題だったのだと思います。
> 独立する事の重要性――これに気づくのは後々ですが。
独立するというのは大変なことですからね。
そこまでの覚悟があったのかどうか、その後の歴史を見なければ何ともいえませんが…。
> それにしても、安重根や金九は、(ただ日本の支配を嫌っただけで)早くのうちから独立する事の重要性に気づけた人なんでしょうか?
> それとも、単なる反日(と、反清?)主義の持ち主だったんでしょうか?
> もし前者だったら、こういう人たちを諭して自律国家にできていたらなあ――とか思うのですが。
近日中に紹介しますが、朝鮮には金玉均という人物もいましたからね。彼らとうまく連携できていれば歴史は大きく変わっていたことでしょう。しかし現実にはそうはならなかった。ということは…。
ぴーち こんばんは!
日本が朝鮮に対して仕掛けた第1条の様な印象は、その当時世界各国から「属国」とレッテルを貼られていた朝鮮からすれば、とても新鮮な言葉であり、初めて対等な立場と認めてくれ、理解してくれたありがたい存在として、写った事でしょうね。
先日の「手練手管」のお話ではありませんが、腹黒いこと(笑)を言わせていただくと、そういう相手の心理を上手く付くことが出来た日本の作戦勝ちとも言えるのでしょうね。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本が朝鮮に対して仕掛けた第1条の様な印象は、その当時世界各国から「属国」とレッテルを貼られていた朝鮮からすれば、とても新鮮な言葉であり、初めて対等な立場と認めてくれ、理解してくれたありがたい存在として、写った事でしょうね。
「朝鮮は中国の属国ではなく独立国である」。格下と思っていたとはいえ、我が国から認められた際の朝鮮の気持ちはどのようなものだったのでしょうね。当初はぴーちさんの仰るとおりだったと思うのですが…。
> 先日の「手練手管」のお話ではありませんが、腹黒いこと(笑)を言わせていただくと、そういう相手の心理を上手く付くことが出来た日本の作戦勝ちとも言えるのでしょうね。
国同士の外交問題では「腹の探り合い」が常道ですからね。生かすも殺すのその国次第でもあります。
こんばんは
しきしま 日朝修好条規については、私は全く理解が足りませんでした。この講座で”目から鱗”です。
2006年版の「新しい歴史教科書」でさえ、日本が朝鮮に圧力をかけて、朝鮮にとって不平等な条約が結ばれた、的な記述でした(但し、コラム欄で日朝修好条規の第一条には触れています)。
これは、日朝修好条規に対して理解が深まっていないのか、或いは、いわゆる近隣諸国に配慮した”書かせる検定”なのかもしれませんね。
また次が楽しみになってきました。
しきしまさんへ
黒田裕樹 > 日朝修好条規については、私は全く理解が足りませんでした。この講座で”目から鱗”です。
> 2006年版の「新しい歴史教科書」でさえ、日本が朝鮮に圧力をかけて、朝鮮にとって不平等な条約が結ばれた、的な記述でした(但し、コラム欄で日朝修好条規の第一条には触れています)。
> これは、日朝修好条規に対して理解が深まっていないのか、或いは、いわゆる近隣諸国に配慮した”書かせる検定”なのかもしれませんね。
> また次が楽しみになってきました。
有難うございます。
確かにつくる会の教科書でもそんな記載になっていますね。仰るとおり「近隣諸国条項」が幅を利かせているのでしょうか…。
今後もご期待いただければ幸いです。