また、皇室や摂関家(せっかんけ)などの公家と大名家との通婚(つうこん)を禁じて倒幕勢力と皇室との結びつきを断つと同時に、徳川家自身は積極的に公家から正室である御台所(みだいどころ)を迎えることで、皇室と関係の深い徳川家に弓を引かせないようにしました。
さらに、御台所を通じて徳川家と親密になった摂関家が就任する関白(かんぱく)の地位を天皇の男子である親王(しんのう)より上位として、摂関家によって間接的に皇室をコントロールすることも試(こころ)みました。
こうして皇室に対して色々と細かく規定する一方で、家康は皇室や朝廷の権威はしっかりと利用し、また参考にしました。それは「征夷大将軍の地位」や「宮家(みやけ)の制度」です。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今でこそ、開かれた皇室などと言われていますが、この当時はもっと封建的であったでしょうから、家康のちょっとした助言は、そのまま妄信されていたのかも知れませんね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今でこそ、開かれた皇室などと言われていますが、この当時はもっと封建的であったでしょうから、家康のちょっとした助言は、そのまま妄信されていたのかも知れませんね。
そうですね。
妄信されていたと同時に、家康の権力や武力に嫌々ながら従わざるを得なかった悔しさがあったかもしれません。後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が江戸幕府の傲岸(ごうがん)ぶりに立腹なさったというエピソードも残っておりますし。
.
紗那 なるほどなるほど。。。
しかし、他の大名家は公家と通じてはならないのに、徳川家はしているというのは、ダブルスタンダードに見えなくもないですね……
僕なら、あまり幕府にいい気はしないかもです。。。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほどなるほど。。。
> しかし、他の大名家は公家と通じてはならないのに、徳川家はしているというのは、ダブルスタンダードに見えなくもないですね……
> 僕なら、あまり幕府にいい気はしないかもです。。。
「他人はダメで、自分ならOK」という姿勢は、実際にダブルスタンダードだと思いますよ。
権力者のエゴですが、それでも平和のためになるというのが何とも…。
黒田先生.
風早 りら 家康がした事は
ともかくとして
この人は相当
IQの高い人である事は
間違いありませんよね
先生のコメント頂き
とても励みです
ありがとうございます
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 家康がした事は
> ともかくとして
> この人は相当
> IQの高い人である事は
> 間違いありませんよね
私もそう思います。こういう柔軟かつ慎重な発想は、通常の人間にできませんからね。
なおかつ不断の努力あってこそだとは思いますが。
> 先生のコメント頂き
> とても励みです
> ありがとうございます
こちらもりらさんのお言葉に元気をいただいておりますよ♪
.全てを網羅
オバrev まさに、歴史に学びに学んで、考えて考えて考え抜いて、練りに練って練って、全てを矛盾なく網羅した、恐るべき家康の戦略であり、システムですね。
なあ~んも考えずに、思いつきで物事を進めようとして、次から次へと矛盾の山を作り上げて立ち往生している、今の日本の政治家や官僚に、是非参考にしてもらいたいですよ。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > まさに、歴史に学びに学んで、考えて考えて考え抜いて、練りに練って練って、全てを矛盾なく網羅した、恐るべき家康の戦略であり、システムですね。
> なあ~んも考えずに、思いつきで物事を進めようとして、次から次へと矛盾の山を作り上げて立ち往生している、今の日本の政治家や官僚に、是非参考にしてもらいたいですよ。
まさしくその通りだと思います。
現代の政治家や官僚はいったい何を学んできたんでしょうね…(´・ω・`)
御台所を迎える別の理由
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
これは、私の仮説ですが、
摂関家から、御台所を迎える別の理由としては
摂関家が
権威はあるのに、権力・経済力が全くないことがあるのではないでしょうか。
というのも、徳川家康は、歴史に学ぶ能力があるので
◆ 藤原氏、平家は、天皇家の外祖父として、絶大な勢力をふるった。
◆ 源頼朝の源氏が創った鎌倉幕府は、力のある
妻の北条政子の北条家に乗っ取られた。
◆ 室町幕府は、日野富子が介入して、大混乱になった。
これらの事実を徳川家康は、知っていたので
どこから、将軍の正室を迎えるかが、大きなリスクを抱えることを知っていた気がします。
事実、この後、10代将軍の御台所、13代将軍の御台所を島津家から、迎えて、幕府にとって
弱みになりました。
青田さんへ
黒田裕樹 家康と江戸幕府の正室の関係については第26回歴史講座「藤原家の栄枯盛衰」で、島津藩の血筋が将軍の正室に迎えられた事情は第20回歴史講座の「幕末百景」でそれぞれ詳しく紹介しておりますが、仰るとおりだと思います。
しかし、征夷大将軍になるといっても、かつての源頼朝や足利尊氏がそうであったように、源氏の血を引いていなければ将軍になれないという不文律(ふぶんりつ、文章で表現されていない規定のこと)があったのですが、家康はこの規定をあっさりとクリアしていました。そのカギを握ったのが「松平」から「徳川」への改姓です。
松平家はそもそも賀茂氏(かもし)の出身とされていましたが、源氏の血を引く新田氏(にったし)の末裔(まつえい、子孫のこと)である得川氏(とくがわし)が松平家に婿養子(むこようし)として入ったのがルーツであると朝廷に認められ、得川を「徳川」と名乗ることで改姓に成功しました。
手法自体は強引であったものの、朝廷によって「源氏の末裔」であることが公的に認められた家康は、関ヶ原の戦いの後に征夷大将軍に就任することに成功して、江戸幕府の開設に大きく前進することになりました。
ですが、せっかく創設された徳川家も子孫が絶えてしまっては元も子もありません。思案した家康が注目したのは、1000年をはるかに超える長い年月の間ずっと血統を保ち続けている皇室に隠(かく)された宮家という名のシステムでした。




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風早 りら 松平家はそもそも賀茂氏(かもし)の出身とされていましたが、源氏の血を引く新田氏(にったし)の末裔(まつえい、子孫のこと)である得川氏(とくがわし)が松平家に婿養子(むこようし)として入ったのがルーツであると朝廷に認められ、得川を「徳川」と名乗ることで改姓に成功しました。
あの手この手作戦で
家康はすさまじい人ですね
ここまで知恵がよく働くと思います
でも 現代何故か人気はあまりありません
.
ぴーち こんばんは!
「得川」から「徳川」ですか。
確かに漢字の意味合いからしても、
「得」は、利益などという露骨な意味合いがありますが、
「徳」のほうですと、品格、品性と言う良いイメージがありますので、
同じ呼び名でも、改名したくなりますよね。
まさに、家康の下心を隠そうとする改名ですかね^^;
応援凸
PS・鯉さん、凄い勢いですね!!
2連勝おめでとうございます☆
明日は頑張ります(^^A
風早りらさんへ
黒田裕樹 > あの手この手作戦で
> 家康はすさまじい人ですね
> ここまで知恵がよく働くと思います
> でも 現代何故か人気はあまりありません
確かに頭がよく働きますよね。
でも人気がない。それには理由があるのですが…。
いずれこの講座で紹介させていただきます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「得川」から「徳川」ですか。
> 確かに漢字の意味合いからしても、
> 「得」は、利益などという露骨な意味合いがありますが、
> 「徳」のほうですと、品格、品性と言う良いイメージがありますので、
> 同じ呼び名でも、改名したくなりますよね。
> まさに、家康の下心を隠そうとする改名ですかね^^;
確かにそういうイメージがありますよね。
日本人が重要視する「徳」にこだわったのかもしれません。
カープは残された試合を全部勝つつもりで頑張ってほしいものです。
.
そうめん 徳川氏は元は「得川」だったんですか・・
参考になりました(^^;)
・・良く頭が働きますね。。。
そうめんさんへ
黒田裕樹 > 徳川氏は元は「得川」だったんですか・・
> 参考になりました(^^;)
> ・・良く頭が働きますね。。。
確かに良く頭が回りますね…。
徳川家のためにあらゆる手段を尽くす。これも一つの生きざまですね。
旧宮家
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
天皇が、なぜ、1000年を越える血統を保ってきたのかは、不思議だったのですが
それは、宮家にあったのですね。
そこで、黒田先生にお尋ねしたいことがあります。
戦後、GHQによって、廃止された宮家があると
聞きましたが
もし、今後、未来において、直系の男系の皇位継承権者がいなくなった場合、旧宮家の復活は
必要だとお考えですか?
それと、1000年の間、宮家は、どのくらいまで
遡って、皇位継承者を選んできたのでしょうか。
というのも、
徳川幕府でも、
将軍家の直系が7代で途絶え、
徳川吉宗の直系が9代~14代で途絶え
最後の将軍の15代は、水戸家からでした。
1000年を越える血統を保とうと思うと
かなりの宮家の存在が必要になると思います。
青田さんへ
黒田裕樹 皇室の未来のことを思えば、確かに旧宮家の復活は考えるべきかもしれませんね。
かつて江戸時代に閑院宮家があったお蔭で皇統を維持できたということもありましたから。
幕府
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
この幕府について、いつも疑問に思うことがあります。
それは、徳川家康は、織田信長、豊臣秀吉のように天下取りのレースで、当初、西に向かわなかったのに結果的に幕府を開き、天下を取りました。
鎌倉時代の源頼朝、その後の北条氏も京に上らず、鎌倉幕府を開きました。
そう考えると、
京に上る= 天下を取る
とは、一概には、言えないようですね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 天下を取るといっても、武士の本拠地は伝統的に東国ですからね。
戦国大名も大部分は自己の領地拡大が最大の目的であり、上洛を目指したのはむしろ少数でした。
その目的も、当時の幕府が京都にあって、幕府に対して何らかの利益を得ようとするのが主な目的でした(もちろん朝廷とのパイプをつくることもありましたが)。
そう考えれば、天下を取ることは必ずしも上洛することとは言えないかもしれません。
ただし、上記のカッコ書きのように、朝廷とのつながりを保つために一度は上洛する必要はあったと思われますが。
このシステムに着目した家康は、第2代将軍の徳川秀忠(とくがわひでただ)の血統とは別に、晩年になってつくった3人の男子をそれぞれ大名として、将軍本家にもしものことがあった場合の「血のセーフティネット」としました。これが後に尾張、紀州(きしゅう)、水戸(みと)の御三家(ごさんけ)となり、家康が死んでから約100年後に将軍本家の血が絶えた際に、紀州家から徳川吉宗(とくがわよしむね)が第8代将軍に迎えられています。
また家康は、戦国時代に散々苦しめられた一向一揆(いっこういっき)などの宗教勢力が江戸幕府に逆らわないように本願寺(ほんがんじ)を東西に分けて統治したり、家康の死後には檀家制度(だんかせいど)の導入によって宗教が政治にかかわる理由をなくしてしまったりするなど、政教分離(せいきょうぶんり)を目指した宗教への対策もしっかりと行っています。
家康が行った対策の中には、朱子学(しゅしがく)の導入のように長い目で見れば幕府にとって悪影響を及ぼしたものもありましたが、江戸幕府が約260年もの長い間存続したことで、我が国に平和がもたらされ、その結果人口や耕地面積が飛躍的に増加したことは疑いようのない事実です。
私たちは家康が行った様々な努力をどう評価すべきなのでしょうか?




いつも有難うございます。
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風早 りら 家康が檀家制度導入
政教分離の最初だとは
知りませんでした
「 私たちは家康が行った様々な努力をどう評価すべきなのでしょうか? 」
難しいですね
これからの講座を楽しみにしています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 家康が檀家制度導入
> 政教分離の最初だとは
> 知りませんでした
檀家制度の導入によって、宗教勢力は「黙っていても収入を得る」システムになってしまいましたからね。
私の過去の講座(第12回)でも詳しく紹介しております。
> 「 私たちは家康が行った様々な努力をどう評価すべきなのでしょうか? 」
> 難しいですね
> これからの講座を楽しみにしています
明日(30日)からのまとめでいよいよ核心に触れていきますので、よろしくお願いします。
.
紗那 なるほど、御三家や御三卿という発想は、天皇家からとっているわけですか。
初めて知りました。
んー、一部は知ってても、思わぬ事実が分かったりして楽しい講座です、今回も♪
.
ぴーち こんばんは!
どんなに良い考えでも
一長一短がある様に、
ある面では、家康のとった政策は
平和を齎し、国を安定させる効果は
あったものの、やはり先日の記事にもありました様に、平和を勝ち得る為には、その犠牲も伴わなければならない点を考えると、複雑な思いが残りますね。
政教分離がしっかり成されていた点は賞賛されるべき所だと思います。
現代の政治・政党は、裏側でしっかりと宗教と癒着されている部分が多いですものね(^^Aだから、余計にまとまらないのかしら・・・?
応援凸
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、御三家や御三卿という発想は、天皇家からとっているわけですか。
> 初めて知りました。
> んー、一部は知ってても、思わぬ事実が分かったりして楽しい講座です、今回も♪
有難うございます。
暗記は言うなれば点だけの存在で、いずれは消えてしまうものです。
点と点を「歴史の流れ」という名の線でつなぐことで、初めて本当の知識が得られる、というわけです(^_^)v
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんなに良い考えでも
> 一長一短がある様に、
> ある面では、家康のとった政策は
> 平和を齎し、国を安定させる効果は
> あったものの、やはり先日の記事にもありました様に、平和を勝ち得る為には、その犠牲も伴わなければならない点を考えると、複雑な思いが残りますね。
仰るとおりですね。
私たちが抱く「複雑な思い」については、明日(30日)以降のまとめで明らかにしていきます。
> 政教分離がしっかり成されていた点は賞賛されるべき所だと思います。
> 現代の政治・政党は、裏側でしっかりと宗教と癒着されている部分が多いですものね(^^Aだから、余計にまとまらないのかしら・・・?
現代においては政教分離といえるのか?
他国に比べれば進んでいる方だとは思いますが、判断が難しいところではありますね…。
.
アースガイド 更新もしなかったのに毎日応援していただいて申し訳ないです。
お気づかいに感謝して
今日も全ポチして帰ります!!!
アースガイドさんへ
黒田裕樹 > 更新もしなかったのに毎日応援していただいて申し訳ないです。
> お気づかいに感謝して
> 今日も全ポチして帰ります!!!
いえいえ、お互いにブログを盛り上げていければと思っておりますので。
こちらこそ、応援ありがとうございます!
.
オバrev 100%完璧な政策はありませんから、家康のとった政策は日本人の出来うる最善と言っていいんじゃないでしょうか?
ただそれが270年という年月に渡って存続するとなると当然矛盾がでてきます。
その辺も含めて検討すると現在においても随分参考になる点が多いと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 100%完璧な政策はありませんから、家康のとった政策は日本人の出来うる最善と言っていいんじゃないでしょうか?
> ただそれが270年という年月に渡って存続するとなると当然矛盾がでてきます。
> その辺も含めて検討すると現在においても随分参考になる点が多いと思います。
そうですね。我々は結果だけを見ていますから気づかないことが多いのですが、270年も同じ組織が続くのは至難の業であり、その間には当然矛盾も出てきます。
長続きさせるには同じことの繰り返しでない、良い意味での変革が必要なのでしょうね。