そんな中で、後醍醐天皇が自己の子孫の繁栄(はんえい)と、政治の実権を朝廷に取り戻すために立ち上がりました。後醍醐天皇は倒幕に二度も失敗し、一時は隠岐(おき)に流されながらも最終的に鎌倉幕府を滅ぼすことができたのは、天皇と武士の思惑が「鎌倉幕府には政治を任せられない」ことで一致したからでした。
しかし、幕府が倒れた後に後醍醐天皇が建武の新政(けんむのしんせい)を行い、武士の願いを無視した天皇親政を行われたことが、両者の間に亀裂(きれつ)を生みました。武士たちは勢力が衰(おとろ)えて政治を任せられなくなった幕府の代わりに、他の武士による新しい組織のもとで、これまでどおりの「武士による、武士のための政治」を続けることを望んでいたからです。
そして、そんな空気を読んだ足利尊氏の「裏切り」によって、建武の新政はわずか数年で終焉(しゅうえん)を迎え、新たに武士による室町幕府(むろまちばくふ)が成立したのでした。




いつも有難うございます。
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風早 りら 歴史は繰り返す
その言葉 想い出しました
果てしない 権力闘争
同じような 過ち
何度 繰り返したら
人は理解出来るのでしょう
オフ会良いですね
関西に住んでいたら行きたいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 歴史は繰り返す
> その言葉 想い出しました
> 果てしない 権力闘争
> 同じような 過ち
> 何度 繰り返したら
> 人は理解出来るのでしょう
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがありますが、自身の繁栄が永遠のものと勘違いした人間は、必ずと言っていいほど歴史に学ばずに自滅していますね。
歴史の勉強は単なる点取りのみではなく、人生全体にとって重要なことのはずなのですが…。
> オフ会良いですね
> 関西に住んでいたら行きたいです
関西でもオフ会は行っておりますが、次回(第17回)の講座は東京ですので、オフ会ももちろん東京ですよ。
よろしければご参加下さいね。
.
ぴーち こんばんは!
北條氏から、室町幕府の成立までの
あらすじが理解出来ました
!
こんなにすんなり理解出来たなんて、
黒田さんのお陰です、ありがとうございます♪
武士による武士のための政治を目指して、叩かれても、潰されても
辿り着こうとする意欲は、
まるで再生を図ろうと懸命に
シナプスを伸ばそうとする人間の脳神経の様な逞しさを感じました^^
あ、いつもながら、例えが悪いですかね(笑)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 北條氏から、室町幕府の成立までの
> あらすじが理解出来ました
> !
> こんなにすんなり理解出来たなんて、
> 黒田さんのお陰です、ありがとうございます♪
光栄です(^^♪
通史ではなかなか理解が難しいですからね。
やはりこういった特別講座は必要だと実感します。
> 武士による武士のための政治を目指して、叩かれても、潰されても
> 辿り着こうとする意欲は、
> まるで再生を図ろうと懸命に
> シナプスを伸ばそうとする人間の脳神経の様な逞しさを感じました^^
> あ、いつもながら、例えが悪いですかね(笑)
いえいえ、しぶとさという意味ではよく分かりますよ(笑)。
武士の時代はまだまだ続きますからね。
そんな中、強大な武力を背景とした宗教勢力が特にその実力を示すようになりました。宗教勢力は自己の支配地に多額の税金をかけることで資金を集めて武力を拡大したり、また宗教勢力同士の争いで周辺が焼け野原になったりするなど、いつしか宗教勢力は人々の暮らしや商業の発達に大きな障害となっていきました。
当時の人々の多くは、大きな障害と化した宗教勢力を追放して、元の過ごしやすい世の中に戻してほしいと熱望していましたが、そんな中で現れたのが織田信長だったのです。
信長は自己の武力を担保(たんぽ)に宗教勢力に武装解除(ぶそうかいじょ)を迫(せま)りましたが、利権を手放したくない宗教勢力はこれに反対し、逆に信長を滅ぼそうとしました。生命の危機を感じた信長は激怒して比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼討(やきう)ちし、一向一揆(いっこういっき)の勢力を女子供に至(いた)るまで皆殺しにしました。




いつも有難うございます。
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そうめん 室町、戦国時代ですか~
ここはまだ習っていませんが予習という意味で参考になりました(^^;)
織田信長ですか~。
確か、後に本能寺の変で明智光秀に襲われて自害したんですよね。
.
紗那 宗教勢力は、今も昔も強かったんですね。
(今は宗教団体ですが汗)
そういう利権とかにこだわるところも一緒な気がします。
とはいえ、そんな宗教勢力に対してでも焼き討ちまでしてよかったんだろうか、とは僕は思っているのですが。
黒田先生
風早 りら いよいよ皆さんに人気がある信長登場ですね
私の友達はみんな信長が大好きです
これからの信長関係の話は友達に伝えたいと思っています
宜しくお願いします
.
ぴーち こんばんは!
女子供に至るまで皆殺しですか。。
人道的に考えると非常に冷酷で血も涙も無い人間だと思うのが当然だと思いますが、それが戦と言うものなんだと思います。例え、女子供でも生かしておいては、子供などは、いづれ成長した暁には復讐の為に自分を襲うかも知れないと自分の身を案じたのでは。。?
それでは、応援凸
そうめんさんへ
黒田裕樹 > 室町、戦国時代ですか~
> ここはまだ習っていませんが予習という意味で参考になりました(^^;)
お役に立てて何よりです。
歴史はつながっていますから、先に勉強しておくことは良いことですよ(^^♪
> 織田信長ですか~。
> 確か、後に本能寺の変で明智光秀に襲われて自害したんですよね。
そのとおりです。
本能寺の変については、以前に私がその経緯を推測して講座を行っています。
よろしければ、第4回歴史講座をご覧ください。
また、信長についても9月の第19回歴史講座で紹介する予定です。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 宗教勢力は、今も昔も強かったんですね。
> (今は宗教団体ですが汗)
> そういう利権とかにこだわるところも一緒な気がします。
確かに構造的な面では大きな変化はないかもしれません。
だとすれば、仮に現在の団体に武力を持たせればどうなるか…。
あくまで想像の世界ですけどね(^^ゞ
> とはいえ、そんな宗教勢力に対してでも焼き討ちまでしてよかったんだろうか、とは僕は思っているのですが。
そのお気持ち、よく分かります。
しかし、現代と違って当時は食うか食われるかの戦国時代。
ましてや平和的な解決を打ち出した信長に対して、先に手を出したのは宗教勢力の方ですからね。
比叡山の焼き討ちは、当然の報復として信長が考えていたとしても不思議ではありません。
現代の価値観で過去の歴史を見てばかりではいけないということなんですよね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > いよいよ皆さんに人気がある信長登場ですね
> 私の友達はみんな信長が大好きです
> これからの信長関係の話は友達に伝えたいと思っています
> 宜しくお願いします
有難うございます。
ただ、残念なことに今回の講座では信長の話は今日(29日)限りなんですよね。
9月の講座で信長に関して詳しく紹介する予定ですし、また第10回の歴史講座で間接的に信長を紹介しておりますので、よろしければご参考になさって下さい。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 女子供に至るまで皆殺しですか。。
> 人道的に考えると非常に冷酷で血も涙も無い人間だと思うのが当然だと思いますが、それが戦と言うものなんだと思います。例え、女子供でも生かしておいては、子供などは、いづれ成長した暁には復讐の為に自分を襲うかも知れないと自分の身を案じたのでは。。?
ぴーちさんのお考えは、信長の頭の中に当然あったと思います。
そして、それと同じくらい重要だったのは、当時の一向一揆が老人や女性、あるいは子供までが同じように武器を持って戦っていたということです。いわゆるゲリラ兵ですね。
信長といえども、武器を持たない非戦闘員まで血祭りにあげることはしなかったのですが、武器を持っていれば話は別です。
刃向う者は何人たりとも皆殺しにする―。峻烈(しゅんれつ)な戦国時代の論理では致し方なかったというべきなのでしょう。
.
おがのぶ こんにちは~
信長が出てきましたね これは 自分の考えですが
信長を 非道とか宗教弾圧のイメージでとらえる人が多いような
気がします
昔は 宗教を暴力の手段に使ったので 仕方無くの
焼き討ちだと思っております
本当に宗教弾圧をする人間が 本能寺に泊まるわけないと
思います
おがのぶさんへ
黒田裕樹 > 信長が出てきましたね これは 自分の考えですが
> 信長を 非道とか宗教弾圧のイメージでとらえる人が多いような
> 気がします
> 昔は 宗教を暴力の手段に使ったので 仕方無くの
> 焼き討ちだと思っております
> 本当に宗教弾圧をする人間が 本能寺に泊まるわけないと
> 思います
まさしく仰るとおりです。
自分に逆らい、刃向ってくる宗教勢力には容赦なく牙をむいた信長でしたが、後の秀吉や家康のように、宗教を「弾圧」する行為は一切行っておりません。
天台宗や浄土真宗が今日まで多くの人々に信仰され続けているのが何よりの証拠ですし、信長自身がやましいことをしていないと思っていたからこそ、京において本能寺を定宿としていたのです。
少し考えれば容易に理解できると思うのですが、記憶させるだけの歴史教育の現状における大きな落とし穴でもありますね。
秀吉の死後に江戸幕府(えどばくふ)を開いた家康も、宗教勢力の弱体化を目指しました。例えば、一向一揆を繰り返すなど屈指(くっし)の武闘派(ぶとうは)であった浄土真宗(じょうどしんしゅう)の本拠地(ほんきょち)である本願寺を東西に分け、お互いが争うことで幕府に対して逆らわないようにするという分割統治に成功しました。
また、家康の死後には檀家制度(だんかせいど)を採用して、国家権力が寺院に権益を与えることで逆に統制し、宗教が政治に関わる必要を一切なくしてしまいました。本願寺の分断や檀家制度は現代においても続いており、家康や江戸幕府による行政手腕がいかに高かったのかを間接的に証明していますね。
結果として暮らしへの大きな障害となっていた宗教勢力の武装解除を望んでいた国民の期待に応えたからこそ、信長から秀吉、そして家康に至る政治は国民の支持を受け、江戸幕府が長く存続したという一面が見受けられるのです。しかし、そんな江戸幕府の政治能力にも限界が見られるようになっていきました。




いつも有難うございます。
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ぴーち 信長の様に怒りの感情のまま、猪突猛進型では
上に立つ者は成功しないのでしょうね。やはり「一を知って十を知る」「先見の明」と言うものを持ち合わせて居て常に冷静沈着な者には、到底敵わないものですね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 信長の様に怒りの感情のまま、猪突猛進型では
> 上に立つ者は成功しないのでしょうね。やはり「一を知って十を知る」「先見の明」と言うものを持ち合わせて居て常に冷静沈着な者には、到底敵わないものですね^^
仰ることも一理ありますね。
猪突猛進型では長続きできないのですが、あえて強引に推し進めることで、後の人間が楽になることもあります。例えば信長による比叡山焼き討ちの洗礼がありますから、秀吉の脅迫に高野山が従ったというのもありますし。
後半は全くその通りです。政治家には長期的な視野に立って、我が国のための政策を粛々と実行してほしいものです。
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智里 知らなかったΣ(゚□゚(゚□゚*)!!
本願寺を東と西に分けたのって家康公だったんですね!
しかもお互いを争わせるとは考えましたね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そして、檀家制度を採用したのってすごいですよね。
宗教が政治に関わる必要を一切なくすことによって、同じ過ちを繰り返すことが無くなりましたよね。
宗教勢力って本当に恐ろしいっす!!
智里さんへ
黒田裕樹 > 知らなかったΣ(゚□゚(゚□゚*)!!
> 本願寺を東と西に分けたのって家康公だったんですね!
> しかもお互いを争わせるとは考えましたね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
「敵の勢力を削(そ)ぐには分割統治に限る」といいます。
勢力が二つに割れれば、自然と内部で争うようになり、為政者としてはやりやすくなる。厳しい現実ですが、これも一つの政治の手法ですからね。
> そして、檀家制度を採用したのってすごいですよね。
> 宗教が政治に関わる必要を一切なくすことによって、同じ過ちを繰り返すことが無くなりましたよね。
> 宗教勢力って本当に恐ろしいっす!!
家康も宗教勢力にはさんざん悩まされましたから、その政策を引き継いだ江戸幕府が考えに考え抜いた末での結果だったのでしょう。現代にもつながっているあたりが凄いと思います。