頼朝は清和源氏(せいわげんじ)の血を引いた、武士の中でも地位の高い若武者でしたが、1159年の平治の乱に敗れて平氏に捕まり、このままでは処刑(しょけい)されるところを危(あや)うく助けられましたが、伊豆(いず)へと追放されてしまいました。
流人(るにん)という身分での伊豆での暮(く)らしは決して楽ではありませんでしたが、頼朝はこの当時に様々な体験をすることによって、武士たちの日常の生活やその願いなどがよく分かるようになっていました。頼朝は、若い頃に言わば武士としての「実地訓練」を積んだのです。
頼朝はやがて平氏打倒に立ち上がると、当初は苦戦したものの、次第に武士たちの同意を得て大勢力となっていきました。平氏に一度裏切られた武士たちでしたが、自分たちと同じ経験をした頼朝であれば、今度こそ期待に応(こた)えてくれるに違いないと判断したのです。
逆に言えば、当時の国民の代表たる武士の期待を裏切ったために、平氏政権は長続きできなかったのでした。




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智里 ついに頼朝が登場しましたね!
武士にしてみれば、同じ考えを持った人のところにつくよね。
自分もそうすると思います。
そうしないと、いつまでも正当な権利を持つことが出来ないから。
波乱万丈な人生だったからこそ、たくさんの武士が打倒平氏に賛同したんでしょうね。
智里さんへ
黒田裕樹 > ついに頼朝が登場しましたね!
> 武士にしてみれば、同じ考えを持った人のところにつくよね。
> 自分もそうすると思います。
> そうしないと、いつまでも正当な権利を持つことが出来ないから。
> 波乱万丈な人生だったからこそ、たくさんの武士が打倒平氏に賛同したんでしょうね。
私もそうすると思います。
頼朝からすれな嫌々始めざるを得なかった流人暮らしですが、人間やはり若いうちに苦労をしなければいけないんでしょうね。
黒田裕樹さん.
風早 りら いよいよ 頼朝 登場
映画 ドラマ で 有名な
お話が 出てきますね
ワクワクしてきました
また 明日が益々
楽しみになります
期待していますね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > いよいよ 頼朝 登場
> 映画 ドラマ で 有名な
> お話が 出てきますね
> ワクワクしてきました
> また 明日が益々
> 楽しみになります
> 期待していますね
頼朝が登場して、政権交代がいよいよ現実化してきましたからね。
劇的な移り変わりとその効果をしっかりご覧いただければと思います。
.
ぴーち こんばんは!
どんなに机上で知識を詰め込んだとしても、実際の体験学習には敵わないものですね。
苦労した分、肌で武士の暮らしぶりを実体験した経験が後の出世に繋がる糧になる・・。
そういう話を是非、今の若い世代に語ってあげたいものですね^^
それでは、応援凸
.
天然中尉 黒田裕樹殿へ
こんばんは☆中尉にござりまする。
某、昨日の愛甲三郎祭りの甲冑を着たり、愛甲殿の下調べしているうちに鎌倉時代に興味が湧いまいりましたぞ!!
お祭りの効果とは計り知れませぬな(爆)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんなに机上で知識を詰め込んだとしても、実際の体験学習には敵わないものですね。
> 苦労した分、肌で武士の暮らしぶりを実体験した経験が後の出世に繋がる糧になる・・。
> そういう話を是非、今の若い世代に語ってあげたいものですね^^
「百聞は一見にしかず」とも言いますからね。
若いうちの苦労は、やはり買ってでもしなければならないのでしょうね。平氏が苦労知らずという印象は、清盛より下の世代がそう思えるだけに、重たい現実だと思います。
天然中尉殿へ
黒田裕樹 > こんばんは☆中尉にござりまする。
> 某、昨日の愛甲三郎祭りの甲冑を着たり、愛甲殿の下調べしているうちに鎌倉時代に興味が湧いまいりましたぞ!!
> お祭りの効果とは計り知れませぬな(爆)
それはそれは、貴重な体験をされましたね。
やはり形から入るというのは興味を持つには最適の方法だということが、中尉殿の実体験から推察つかまつってござる(笑)。
守護や地頭の任命権は幕府にあったため、幕府の保護を受けた地頭が勢力を拡大していくことによって、武士の悲願であった「自ら所有する土地の権利を正式に認めてもらう」道を開くことになりました。
頼朝による「武士のための政治」が実現したことで、鎌倉幕府の未来は順風満帆(じゅんぷうまんぱん)のはずだったのですが、ここで頼朝が大きな失敗をしてしまいます。1195年に、頼朝は自分の娘を天皇の妃(きさき)にしようと計画したのですが、これは絶対にやってはいけない「禁じ手」でした。
「自分の娘を天皇の妃とし、生まれた皇子が天皇に即位して自分は外戚となる」という手法は、平氏政権のやり方と全く同じだからです。つまり、源氏が貴族化する道を開くことになり、武士の権利が再び朝廷に奪われるかもしれないという危機感を与えてしまったのでした。
結果的に頼朝の思惑(おもわく)は失敗に終わりましたが、武士たちからすれば、頼朝の行為は重大な裏切りであり、許せないことだったのです。




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紗那 なるほど、武士からの厚い信頼を築いたために、逆に裏切られたと感じられて心が離れるのも一瞬。。。
難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、武士からの厚い信頼を築いたために、逆に裏切られたと感じられて心が離れるのも一瞬。。。
> 難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
人の心は移ろいやすいものですからね。ましてや一度痛い目にあっているだけに、許すことができなかったのでしょうね。
頼朝にしてみれば、源氏の血を永遠のものとするための策だったのでしょうが、歴史に学んでいないあたりが、やはり根が「坊ちゃん育ち」だったのかもしれません。
.
ぴーち こんばんは!
人間の欲望と言うのは、際限が無いものですね。。
一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
野望と言う麻薬に洗脳されて
しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
応援凸
.
風早 りら 頼朝は自分の娘を天皇の妃
またまた ですよね
これ以前もまたこの後も
この同じ事を繰り返して
いますよね
江戸時代になってもです
全く こりませんよね
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 人間の欲望と言うのは、際限が無いものですね。。
> 一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
> 次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
> 勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
> 野望と言う麻薬に洗脳されて
> しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
頼朝の場合は、「武家の棟梁」という絶大な地位にありながら、朝廷から政治の実権を完全に奪った初めての政権だっただけに、多分に後ろめたいところがあったのではないかと思われます。
だからこそ、皇室の外戚という後ろ盾が欲しかったのでしょうが、これこそまさに「いつか来た道」。仰るとおり正常な判断を失ったのでしょうね。
一度裏切った人間やその一族の末路は…。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 頼朝は自分の娘を天皇の妃
> またまた ですよね
> これ以前もまたこの後も
> この同じ事を繰り返して
> いますよね
> 江戸時代になってもです
> 全く こりませんよね
いつの世も人間のやることに変わりはないということでしょうか。
「歴史に学ばない」人間の末路は哀れですよね。
.
智里 今更ながら16回の講座の続きを見ております。
なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
欲たけるとダメなんですね。
智里さんへ
黒田裕樹 > 今更ながら16回の講座の続きを見ております。
有難うございますm(_ _)m
私自身も復習として勉強になります(^_^)v
> なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
> それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
> 欲たけるとダメなんですね。
まさにそのとおりです。
「武士のための政治」が「源氏のための政治」に変質した段階で、武士の心があっという間に離れてしまったのですから、政治というものは本当に恐ろしいですね。
武家政権の不思議さ
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
武家政権というのを当たり前のように考えていましたが、
海外を観ると
王様(または、皇帝)→貴族→騎士階級→市民
という階級社会が歴史的には、普通です。
(ヨーロッパ社会)
そう考えると、
鎌倉幕府以後から、始まる武士による政権の樹立というのは、世界的に観ても画期的だったですね。
そう考えると、源頼朝が、武家政権を創ったものの、朝廷に娘を嫁がせるのは、心の中で
『何という大胆なことをしてしまった。』という気持ちもあったんでしょうね。
それにしても、源頼朝は、本当の意味の社会の改革者ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、世界史的に見ても例のないことですね。
ちょうど現在(平成23年10月)、第26回歴史講座の更新を行っておりますが、藤原氏に関連して武家政権にも言及しております。
頼朝については私も同感ですね。
やがて北条氏は、将軍の頼家も追放したうえで暗殺し、弟の実朝(さねとも)を第3代将軍としましたが、頼朝が最終的に武士の信頼を失ったことで源氏を守ろうとする者は少なく、頼朝の妻の北条政子(ほうじょうまさこ)が「尼将軍」(あましょうぐん)として君臨(くんりん)するなどによって、北条氏による政権の「乗っ取り」が武力を背景に認められていったのです。
さて、政治の実権を奪われた将軍実朝は和歌をたしなむ人生を送りましたが、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が和歌つながりで実朝に巧(たく)みに接近し、幕府を事実上の朝廷の支配下にしようと計画されました。
このままでは幕府が朝廷に乗っ取られてしまう―。危機を感じた武士たちでしたが、そんな折(おり)の1219年、実朝が頼家の遺児(いじ)の公暁(くぎょう)に暗殺されたことで、頼朝以来の源氏の血がついに絶えてしまったと同時に、後鳥羽上皇の幕府乗っ取りの計画が破られてしまいました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
北条政子の尼将軍。
ここら辺は断片的に記憶が
あります(笑)
それにしても、黒田さんの記事は
サラッと書かれていますが、
暗殺、暗殺と、気も休まらない身の危険を常に感じながら、この頃の源氏の血を受け継ぐものは、過ごしていたんですね。
殺るか、殺られるか・・殺伐としていますね(><)
それでは、応援凸
黒田先生.
風早 りら 北条政子
いよいよ登場ですね
この辺りはよく ドラマに
なっていますが ドラマでは
真実は分かりません
詳しい真実 期待しています
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 北条政子の尼将軍。
> ここら辺は断片的に記憶が
> あります(笑)
> それにしても、黒田さんの記事は
> サラッと書かれていますが、
> 暗殺、暗殺と、気も休まらない身の危険を常に感じながら、この頃の源氏の血を受け継ぐものは、過ごしていたんですね。
> 殺るか、殺られるか・・殺伐としていますね(><)
尼将軍は通史の方でも紹介しましたからね(^^♪
確かにこの時期は暗殺の連続ですから、権力者も気の安らぐ時間がなかったのではないかと考えられますね。
平和の有難みをしみじみと感じるとともに、守って下さる人々に感謝したいですね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 北条政子
> いよいよ登場ですね
> この辺りはよく ドラマに
> なっていますが ドラマでは
> 真実は分かりません
> 詳しい真実 期待しています
ドラマはどうしても脚色されてしまいますからね。
面白みがないかもしれませんが、私の講座では出来るだけ事実を中心に仕上げていきたいと思います。
.
智里 ほうほう___φ(゚ー゚*)フムフム___φ(。_。*)カキカキ
これで北条政子が出てくるのか~。
教科書では、いつのこ間にか実権を持ったおばさんとしか書いてなかった記憶が・・・。
その裏では後鳥羽上皇の黒い計画があったのも知らなかったッス!!
智里さんへ
黒田裕樹 > ほうほう___φ(゚ー゚*)フムフム___φ(。_。*)カキカキ
> これで北条政子が出てくるのか~。
> 教科書では、いつの間にか実権を持ったおばさんとしか書いてなかった記憶が・・・。
> その裏では後鳥羽上皇の黒い計画があったのも知らなかったッス!!
尼将軍が政治の実権を握ったのも、一族の北条氏の庇護(ひご)があってこそですからね。逆に言えば、北条氏が政子を利用したともいえるわけです。
後鳥羽上皇の「黒い計画」は失敗したことで確かに一般には認知されていませんが、前後の背景から上皇の関与が見受けられる可能性はかなり高いです。このあたりは朝廷と武士との権力の綱引き合戦ですね。
武士たちの多くは自身が朝敵となってしまったことに動揺(どうよう)しましたが、一方で以前の惨(みじ)めな暮らしに戻りたくないという思いも根強く、結局上皇の計画は阻止(そし)されました。1221年のこの戦いを承久の乱(じょうきゅうのらん)といいますが、尼将軍の北条政子による一世一代(いっせいいちだい)の演説も有名ですね。
こうして1159年の平治の乱から1221年の承久の乱までのわずか60年余りの間に政治の実権が激しく移動したり、あるいは移動しそうになったりしましたが、これらの背景には当時の国民の代表たる武士の「意思を理解し、願いを実現しているか」の是非があります。
朝廷では武士の願いは叶えられそうになかったことで、全国の武士は平氏政権誕生を後押ししましたが、平氏が貴族化したことで「武士のための政治」を行わなかったことが裏切りとみなされ、多くの武士が源氏に味方したことで平氏は滅亡しました。
源氏は鎌倉幕府を開きましたが、頼朝が自分の娘を天皇の妃にしようとするという、平氏政権の「二の舞」を演じようとしたことで、多くの武士が源氏を見限り、後には朝敵となったにもかかわらず、北条氏を中心とする政権に移行していったのです。
こうした「武士の思いを実現できているか」に関しては、承久の乱の約100年後に再び問われるようになりました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今回の
「武士の思いを実現できているか」と言うフレーズをそのまま
現代風に
「国民の思いを実現できるいるか」
と言う言葉に置き換えて、現政府に訴えていきたいです^^;
国民の願いを実現してくれるもの・と期待して、支持した政党には裏切られてばかり・・。
昔もこんなもどかしい思いを強いられた時代があったのですね。。
応援凸
黒田裕樹さん.
風早 りら 鎌倉幕府が続いていたとしたら
時代はどう変わったいたのかと
考えを巡らしてみました
鎖国政策は無かっただろうかとか
想像が膨らみます
明日も楽しみにしていますね
.
紗那 なるほど、この当時は武士が時代の主役だった。
だから、武士の意見を政治に反映させられないと容赦なく切り捨てられたということですね?
武士は、直接的な行動ができるから、なおさら怖いですけどね^^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今回の
> 「武士の思いを実現できているか」と言うフレーズをそのまま
> 現代風に
> 「国民の思いを実現できるいるか」
> と言う言葉に置き換えて、現政府に訴えていきたいです^^;
> 国民の願いを実現してくれるもの・と期待して、支持した政党には裏切られてばかり・・。
> 昔もこんなもどかしい思いを強いられた時代があったのですね。。
私もそう思います。
いつの世も国民が裏切られてばかりではさびしすぎますからね(´・ω・`)
現代の話は講座の後半でまた紹介します。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 鎌倉幕府が続いていたとしたら
> 時代はどう変わったいたのかと
> 考えを巡らしてみました
> 鎖国政策は無かっただろうかとか
> 想像が膨らみます
> 明日も楽しみにしていますね
確かに武力で世の中を支配して、元寇も勇躍追い返した鎌倉幕府であれば、鎖国をする必要もなかったかもしれませんね。
歴史のifに思いをめぐらすのも楽しいものです。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、この当時は武士が時代の主役だった。
> だから、武士の意見を政治に反映させられないと容赦なく切り捨てられたということですね?
> 武士は、直接的な行動ができるから、なおさら怖いですけどね^^;
仰るとおりです。
武力で世の中を支配する武士の世界ですから、確かに怖いですね。
気が抜けない毎日ではありますが、その分生き甲斐もあったかもしれません。
.
みほ こんばんは^^
黒田さんの記事を
読ませていただき思ったんですが
、
こんなにも詳しく昔の歴史が
わかるということは本当に凄いことですよね
昔にあったことだと思うと
とても不思議です。
リンクありがとうございます^^
私もリンクさせてもらっても
よろしいでしょうか?
みほさんへ
黒田裕樹 > 黒田さんの記事を
> 読ませていただき思ったんですが
> 、
> こんなにも詳しく昔の歴史が
> わかるということは本当に凄いことですよね
> 昔にあったことだと思うと
> とても不思議です。
有難うございますm(_ _)m
歴史というのは不思議なもので、何百年も前の出来事であっても、昨日のことのように情景が浮かぶことがよくあります。
やはり同じ人間の営みだからでしょうね。
単なる暗記ではなく、様々な角度から皆様に歴史を理解していただけるように今後も頑張りますよ(^_^)v
> リンクありがとうございます^^
> 私もリンクさせてもらっても
> よろしいでしょうか?
もちろんOKですよ(^o^)/
これからもよろしくお願いします。
.
彩 こんにちは。^^
ここら辺の時代は短い間に
多くのことが起こったので
日本の歴史を久しく習っていない私は
どのような動きがあったか忘れていましたが
黒田さんのご説明で色々思い出しました。
この後の南北朝時代も好きだったわ。^^
.
そうめん 始めまして、そうめんと申します。
宜しくお願い致します。
実はここは終業式前まで勉強している所でした。
・・参考になります(^^;)