その原因として真っ先に挙げられるのが、朝廷によって我が国直属の軍隊が廃止されたことです。その後、朝廷周辺には現代の警察に相当する検非違使(けびいし)が設けられたことで辛(かろ)うじて治安が守られましたが、地方においてはそれこそ何の対策も行いませんでした。
その結果、地方では盗賊(とうぞく)を中心に力あるものが支配する世の中となったことで、数多くの生命や財産が奪(うば)われることになり、人々は自らを守るために自然と武装(ぶそう)するようになりました。これこそが武士(ぶし)が誕生するきっかけの一つです。
各地で武士が誕生し、その武装力を高めることによって、いつしか地方を中心に武士が世の中を支えるようになりましたが、その武士たちには大きな悩みごとがありました。いわゆる「土地問題」です。




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紗那 あ、あれ、なぜ軍隊が廃止されたのでしたっけ……
平安時代、73個もあるから大変だ><
しかし、朝廷は地方に対策を行わないというのは、やはり都のことしか考えていなかったでしょうか、それとも単に手が回らなかっただけ……?
いずれにしろ、その行いが自分に帰ってくるわけですね。。。
.
ぴーち こんばんは!
確かに現代の「平成」という元号についても、その前の「昭和」の時代が激動の時代であった為に
次世代は「平和が達成できますように」という願いが込められた元号だと聞いた事があります。しかし、実際的には・・。
平安時代も、そうありますようにと言う願いが元号の由来だったのでは無いでしょうか・・?(勝手な推測で申し訳ありませんが)
しかし、平の字が付いた元号の時代は、「平」からかけ離れると言うジンクスでもあるでしょうか??
応援凸
紗那さんへ
黒田裕樹 > あ、あれ、なぜ軍隊が廃止されたのでしたっけ……
> 平安時代、73個もあるから大変だ><
これまでに色々なところで書きましたけど、この記事が一番分かりやすいでしょうか(^^ゞ
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-251.html
> しかし、朝廷は地方に対策を行わないというのは、やはり都のことしか考えていなかったでしょうか、それとも単に手が回らなかっただけ……?
おそらく後者でしょう。
摂関政治の全盛によって、本来ならば朝廷に入るべき税のほとんどが摂関家に持っていかれましたからね。
ない袖は振れない、といったところでしょうか。
> いずれにしろ、その行いが自分に帰ってくるわけですね。。。
因果応報とはよく言ったものですね。
武士をないがしろにするとどうなるのか…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに現代の「平成」という元号についても、その前の「昭和」の時代が激動の時代であった為に
> 次世代は「平和が達成できますように」という願いが込められた元号だと聞いた事があります。しかし、実際的には・・。
> 平安時代も、そうありますようにと言う願いが元号の由来だったのでは無いでしょうか・・?(勝手な推測で申し訳ありませんが)
願いとは裏腹に、逆の結果になってしまうのはよくある話ですね。
ちなみに平安時代の名は、当時の都が平安京と言われていたことから、後世になって名付けられたものです。
> しかし、平の字が付いた元号の時代は、「平」からかけ離れると言うジンクスでもあるでしょうか??
その話は聞いたことがありますね。他に「平」のつく元号は「平治」がありますが、この元号の頃には…。
.
智里 この辺の話、ちゃんと覚えてますよ!!
桓武天皇が軍隊を廃止して、都を守るために警察と裁判所を一つにした検非違使を置いたんですよね。
そしたら都以外の場所では内乱が起きまくって、いつしか力の強いものが武士となっていったんですよね。
その武士に守られるように一般の人がついていき、小さな地方国家を作っていく。
だけど、その時の講座で土地問題を取り上げていましたっけ?
智里さんへ
黒田裕樹 > この辺の話、ちゃんと覚えてますよ!!
さすがは智里さんですね(^_^)v
> 桓武天皇が軍隊を廃止して、都を守るために警察と裁判所を一つにした検非違使を置いたんですよね。
> そしたら都以外の場所では内乱が起きまくって、いつしか力の強いものが武士となっていったんですよね。
> その武士に守られるように一般の人がついていき、小さな地方国家を作っていく。
強いものや守ってくれる人に人々がついてくるのは自然の摂理ですからね。地方から我が国の仕組みが徐々に変わっていきました。
> だけど、その時の講座で土地問題を取り上げていましたっけ?
直接的には取り上げていなかったかも(^^ゞ
その意味でも今回のような講座が必要になるとは思いますが…。
実際に田畑を耕(たがや)しているのは他ならぬ武士たちなのですが、朝廷は彼らの所有を認めようとしませんでした。困った武士たちは、仕方なく摂関家(せっかんけ)などの有力者に土地の名義を移し、自らは「管理人」の立場となりましたが、これほど不安定な制度はありません。
「自ら開墾(かいこん)した土地は、自らの手で堂々と所有したい」。武士たちはいつしかこうした切実な願いを持つようになりましたが、武士の心の内が理解できない公家たちによって政治が行われている以上は、その願いは叶(かな)えられそうもありません。
実際に時代を動かしてきた武士たちの思いによって、朝廷から武士への「政権交代」の雰囲気(ふんいき)が次第に高まっていきました。この中から、やがて「武士として初めて政治の実権を握(にぎ)った」ある勢力が誕生するのです。




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紗那 あぁ、なるほど。
そういえば、そういう経緯で軍隊が廃止されていたんだ……!
荘園制度には、そのような決まりがあったのですか!初耳でした。
なるほど、だから武士は不安定な立場にならざるを得なかったのですね。。。。
ひどい話です。
というより、武士が反乱したら、どう考えても負けてしまうという事実に朝廷は気づかなかったんですかね?
.
風早 りら 自ら開墾(かいこん)した土地は、自らの手で堂々と所有したい
当たり前の事ですよね
段々核心にふれてきましたよね
ワクワクします
明日が楽しみです
紗那さんへ
黒田裕樹 > あぁ、なるほど。
> そういえば、そういう経緯で軍隊が廃止されていたんだ……!
仰るとおりです。
平和なのは良いことですが、だからと言って攻めてこないと決めつけてしまうというのは…。
> 荘園制度には、そのような決まりがあったのですか!初耳でした。
> なるほど、だから武士は不安定な立場にならざるを得なかったのですね。。。。
> ひどい話です。
荘園は言わば免税の私有地。そんな「おいしい」制度を身分の低い武士たちに認めるはずがないんですよね。
> というより、武士が反乱したら、どう考えても負けてしまうという事実に朝廷は気づかなかったんですかね?
絶頂期にある政治家にはよくある話ですが、自分こそが絶対であることから「自分を攻めてくるものなど存在しない」と思いがちですからね。織田信長もそれで明智光秀に足元をすくわれましたから…。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 自ら開墾(かいこん)した土地は、自らの手で堂々と所有したい
> 当たり前の事ですよね
> 段々核心にふれてきましたよね
> ワクワクします
> 明日が楽しみです
有難うございます。
欲求が高まれば、実現するかもしれない可能性に賭けてみたくなるものですが、次の政権はそれを受け入れてくれるのでしょうか…。
.
ぴーち こんばんは!
あ~駄目ですねぇ。。
以前にも登場したお話のはずなのに、今日の記事を拝見させていただくと、一度も拝見した事の無い新鮮な話に思えてしまうんです(TT)
何と言う歴史音痴(苦笑)
それにしても、公家達が武士に所有権を認めない訳というのは、単なる話が判らなかっただけなのか、それとも武士に実権を握られては到底不味い大きな理由があったからなのでしょうか・・。
武士としては、当然の如く所有したいという欲求が起こりますものね。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > あ~駄目ですねぇ。。
> 以前にも登場したお話のはずなのに、今日の記事を拝見させていただくと、一度も拝見した事の無い新鮮な話に思えてしまうんです(TT)
> 何と言う歴史音痴(苦笑)
一度だけで覚えられるほど、人間の脳はうまいこと出来ていませんよ(^^ゞ
何度も何度もめぐりあうことで、自然と記憶に刻まれるものです。
私もそうですから(^^♪
> それにしても、公家達が武士に所有権を認めない訳というのは、単なる話が判らなかっただけなのか、それとも武士に実権を握られては到底不味い大きな理由があったからなのでしょうか・・。
> 武士としては、当然の如く所有したいという欲求が起こりますものね。
一度握った利権は、そう簡単に手放せるものではありませんからね。
でもそのために無理を繰り返せば、やがては大やけどを負うことになる…。
このパターンは最低あと一回は出てきます。今回はそこまでの傷は負いませんが、もう一つは…。
風と雲と虹と。
晴雨堂ミカエル そういえば、70年代半ばの大河ドラマ「風と雲と虹と」は、平将門が主人公でした。加藤剛が髭面の野獣のような顔で戰場(いくさば)を駆ける姿はカッコ良かった。
時代背景は公地公民制の崩壊が進んだ平安時代前期。当時の風俗資料は極端に少ないので、独自のデザインが評判でした。髪型は平安風で衣装は奈良朝と平安朝の中間。女性の場合、普段は小袖で晴れの日にスカート型の裳をつける。吉永小百合が将門の妾役で出演したのも話題になりました。
放送されていた子供の頃は解りませんでしたが、いま観ると台詞の端々に全共闘の残り香があります。
将門が神の神託を受けて「新皇」へ祭り上げられる時に「神は神、俺は俺」と呟いたり。
将門が討たれて滅んだとき、都への進撃を断念した藤原純友(緒形拳)に手下が反発して「俺は生きている内に都が燃えるのをこの目で見たいんや!」と怒鳴る場面。
けっこうNHKらしからぬ内容で面白いです。総集編がソフト化されています。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 「風と雲と虹と」は最近になって全作品が見つかって話題になりましたね。CSでも放送されました。
なるほど、大河ドラマも時代によって様々な側面があるものなんですね。
.
智里 荘園制度ありましたね!!
すっかり忘れてましたよ(〃 ̄ω ̄〃ゞ
確かにこの制度は不安定で馬鹿にしてますよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
自分たちで開墾した土地は、公家の持ち物。
お前の者はオレの物、オレの物はオレの物。
まるでドラえもんのジャイアン的発想ですね。
この後出てくる武士とは・・・
もしかしてあの方ですか!?
智里さんへ
黒田裕樹 > 荘園制度ありましたね!!
> すっかり忘れてましたよ(〃 ̄ω ̄〃ゞ
> 確かにこの制度は不安定で馬鹿にしてますよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 自分たちで開墾した土地は、公家の持ち物。
> お前の者はオレの物、オレの物はオレの物。
> まるでドラえもんのジャイアン的発想ですね。
例えが秀逸ですね(^^♪
実際には力がないですからスネ夫並みかもしれませんが(笑)。
だったらなおさら「お前が言うな!」ということになりますよねぇ(^^ゞ
> この後出てくる武士とは・・・
> もしかしてあの方ですか!?
「あの方」ですね(爆)。
平なのか源なのか…?
当時の武士の多くも、清盛の出世ぶりを注目していました。自分たちと同じ武士である清盛であれば、武士の悲願である「自ら開墾した土地を自らの手で所有する」ことをはじめとした「武士のための政治」を実現してくれるに違(ちが)いない、と期待していたのです。
武士たちの後押しを受けて、清盛は武士として初めて太政大臣(だじょうだいじん)に昇進したことなどによって、ついに政治の実権を握ることに成功しました。我が国初の武士による政権の誕生です。
しかし、皇室や公家と接することの多かった清盛には「武士のための政治」がどのようなものであるかが理解できませんでした。このため、平氏の政権は急速に支持を失っていくのです。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル よく平氏と源氏が武家の棟梁と見なされていて、武家の中では官位は高いが朝廷では昇殿を許される身分ではない、そんなイメージです。
時代劇でも両家の当主ですら侍烏帽子に直垂姿。政権をとってから立烏帽子に狩衣姿。
しかし、両家とも元は皇子が臣籍下ったわけで、当初は光源氏や源博雅らのように元皇子に恥ずかしくない三位辺りの位だったと思います。武家というより貴族。
それが武家化したのはいつ頃、誰の代あたりでしょうか?
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 清和源氏に関しては、清和天皇のひ孫にあたる源満仲あたりから武将として土着していると考えられますね。「ただのまんじゅうぶしのはじめ」というかるた言葉が残っておりますし。
桓武平氏については、最初に臣籍降下したとされる平高望がすでに土着した貴族となっているようですので、こちらの方が早いのかもしれませんね。
.
ぴーち こんばんは!
いよいよ「栄枯盛衰」の物語の始まりですね!
琵琶法師の音色が聞こえて来そうです(笑)
清盛のずば抜けた実力に依存し過ぎた平氏の末路は・・とでも言うのでしょうか・・。
ベンベン~♪(あ、違いますかね^^;)
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > いよいよ「栄枯盛衰」の物語の始まりですね!
> 琵琶法師の音色が聞こえて来そうです(笑)
> 清盛のずば抜けた実力に依存し過ぎた平氏の末路は・・とでも言うのでしょうか・・。
> ベンベン~♪(あ、違いますかね^^;)
実力者の清盛が存在する限りはまだ安泰だったかもしれませんが、その後は…(´・ω・`)
栄枯盛衰の真の理由については、今回の講座で明らかになるかもしれませんね。
黒田裕樹 先生.
風早 りら 我が国初の武士による政権の誕生
それが清盛だった
そんな 当たり前の事が
考えに及ばなかった 自分が
情けなかったです
黒田裕樹 先生には日々感謝の
毎日です
これからも 風早りらを
ご指導宜しくお願いします
りらさんへ
黒田裕樹 > 我が国初の武士による政権の誕生
> それが清盛だった
> そんな 当たり前の事が
> 考えに及ばなかった 自分が
> 情けなかったです
> 黒田裕樹 先生には日々感謝の
> 毎日です
> これからも 風早りらを
> ご指導宜しくお願いします
お言葉有難うございます。
武家政権といえば、この直後に誕生した頼朝政権における鎌倉幕府をイメージしがちですが、清盛による政権も、中身はどうあれ立派な武家政権なんですよね。教科書どおりの勉強ではなかなか気づかない落とし穴であると同時に、開拓者の悲劇でもあります。
.
彩 こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。^^
武士政権って清盛からだったのですね。
幕府ができた鎌倉時代からだと思っていました。
けれども、清盛自身が武士政権を理解していない
というのは、支持されていた人だけあって
何とも皮肉なことですね。(苦笑)
彩さんへ
黒田裕樹 > いつもコメントありがとうございます。^^
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
> 武士政権って清盛からだったのですね。
> 幕府ができた鎌倉時代からだと思っていました。
> けれども、清盛自身が武士政権を理解していない
> というのは、支持されていた人だけあって
> 何とも皮肉なことですね。(苦笑)
その後の歴史の流れからすると、貴族化した平氏は「武家政権とは何か」ということが分かっていないんですよね。だからこそ、武士たちは「裏切られた」と思ってしまった。まさに皮肉ですね。
.
智里 なかなか上手くいきませんね。
仲間だと思っていた平清盛は、どちらかと言ったら貴族派。
自分たちに正当な権利をくれると思っていたのにね。
このことによって、武士からの支持が無くなっても仕方ないことですよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
智里さんへ
黒田裕樹 > なかなか上手くいきませんね。
> 仲間だと思っていた平清盛は、どちらかと言ったら貴族派。
> 自分たちに正当な権利をくれると思っていたのにね。
> このことによって、武士からの支持が無くなっても仕方ないことですよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
仰るとおりですよね。
期待していた人に裏切られるほど憎しみが残ることはないですから。
参院選もそのような感情で投票した人が多かったかもしれません。
この結果、武士たちの待遇は平氏が政権を取った後もほとんど変化がなかったのです。同じ武士だからと大きな期待をかけていただけに、武士たちの多くは「平氏は俺たちを裏切ったんだ」「どうして俺たちの思いが分からないのか!」と不満を爆発させました。その一方で、貴族たちもそれまで見下(みくだ)していた武士が自分たちの真似をしたことに強く反発しました。
せっかく誕生した平氏政権は、武士からも貴族からも拒否されてしまったのです。初めてであるがゆえに確固(かっこ)たるビジョンを持てない「開拓者」としての悲劇でもありました。
それでも強固(きょうこ)な武力や経済力を持った平氏政権は、この後も当分の間続くと思われていたのですが、現実には清盛の死後わずか数年で滅亡(めつぼう)してしまっています。
なぜ平氏政権はあっけなく崩壊したでしょうのか?




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紗那 なるほど、武士が反発した理由は知っていましたが、確かに貴族も反発するわけだ……!
蔑んでた人に、真似をされるとなんとなく嫌な気分になりますね。。。。
え、想像もつかない……
次記事に期待します!
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、武士が反発した理由は知っていましたが、確かに貴族も反発するわけだ……!
> 蔑んでた人に、真似をされるとなんとなく嫌な気分になりますね。。。。
真似をされるだけでも不愉快なのに、それが蔑んでいた相手ともなればなおさらですよね。
現代では許されませんが、「高貴な血を汚された」と思われたのも、当時ではやむを得なかったでしょうし。
> え、想像もつかない……
> 次記事に期待します!
次の「英雄」の環境にかかわるんですよね。
本人の意思とは裏腹に…。
.
ぴーち こんばんは!
どんな人の生き方にも、学ぶべき事があるものですね。
明確な信念や、ビジョンが無い「根無し草」の様な政治では、ついていくものも不安になるばかりか、あちらにもこちらにも迎合している事で、信用も丸潰れですね。
一方では絶大なる信頼はあっても、それに対する反発勢力には、とことん対抗出来るような気骨さが欲しかったですね。
応援凸
黒田先生
風早 りら 平家が滅びたのは
せっかく 武士が政権を
取ったのに
貴族政治と同じになったからですか
明日を楽しみにしています
今日は パソコンのトラブルで
講座参加が遅くなり
御免なさいね
.
オバrev やはり、確固たる理念がないと共感を呼ばないんですね。
何か現在にも通じているような・・・(^^ゞ
過去の起こるべくして起こった現実は、無視できない貴重な教訓だということがよく分かります。
.
みほ 清盛!テストに出ました(・ω・)
平清盛さんってすごい人だったんですね^^
頼朝と義経を殺さなかった為に
その2人が仇打ちということで
平氏らを、滅ぼしたという事は
聞いたのですが、
どうしてすぐに滅ぼせたのかは
よく知りません;;
.おはようございます^^
waravino 改めて。暑中お見舞い申し上げます。
朝。セミがぎゃんぎゃん鳴いております。
夏の演出に欠かせぬ役者は。今年も健在です。
極暑の折り。ご自愛ください^^)/
.
智里 可愛そうな話ですよね。
せっかく自分を支持していた武士を無視して、憧れていた貴族には反発される。
それでも武力と経済力で政権を握っている。
その力だけについている人に囲まれて過ごす・・・
なんか寂しいよね。
もっと武士のことを考えていれば、こんな事にはならなかったかもしれないに。
.こんにちは
HINAMAMA この記事を読んで、
平清盛と市民活動家だった菅直人さんがかぶってしまい、思わずコメントしてしまいました(^_^;)
今後、菅さんは、どこを向いて働いてくれるのでしょうか???
歴史を今に役立てたい今日この頃。
毎日続きが楽しみです♪
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんな人の生き方にも、学ぶべき事があるものですね。
> 明確な信念や、ビジョンが無い「根無し草」の様な政治では、ついていくものも不安になるばかりか、あちらにもこちらにも迎合している事で、信用も丸潰れですね。
> 一方では絶大なる信頼はあっても、それに対する反発勢力には、とことん対抗出来るような気骨さが欲しかったですね。
仰るとおり、人に上に立つ、ましてやこの国を動かす立場にある人間は、我々に対して「確固たるビジョン」をはっきりと示したうえで行動すべきでしょう。
これは現代においては必須であり、また古代においても「なぜ政権をとれたのか」ということを考えれば、やはり平氏は方向を見誤ったとしか言えません。
そして、根無し草であるがゆえに、反発勢力にはなすすべもなく滅び去ってしまったのでしょうね。