水野の方針を耳にした景元は、直(ただ)ちに反対しました。若い頃から世情に通じていた景元にとって、庶民のささやかな娯楽(ごらく)である寄席や歌舞伎を廃止することは、絶対に認められなかったのです。
景元の意見に対して将軍家慶も同調したこともあって、寄席は数を減らされたうえに興行の内容が制限され、また歌舞伎は江戸の郊外(こうがい)に強制的に移転させられたものの、廃止を免(まぬが)れることができました。
江戸の庶民や、あるいは寄席や歌舞伎の関係者は、身体を張って自分たちのために力を尽(つ)くしてくれた景元に対して深く感謝しました。このことが、やがてひとつの大きな「効果」をもたらすことになります。




いつも有難うございます。
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りら 天保の改革の歌舞伎の話しは
有名ですよね
これに限らず 何かと言うと
庶民が苦しめられます
現代も政治は変わっていませんね
大きな「効果」期待してます
.
ぴーち こんばんは!
娯楽を廃止してしまうと言うようなお触れがこの当時にはあったんですね~。
水野忠邦に、独裁者的な匂いを感じるのですが、違いますでしょうか?
景元の体を張って守った行為は素晴らしいですね。人間、口先だけではどんな事でもいえますが、行動でその態度を示すと言う事は、なかなか出来ない事だけに、真剣で本気な気持ちが読み取れますね。
応援凸
りらさんへ
黒田裕樹 > 天保の改革の歌舞伎の話しは
> 有名ですよね
> これに限らず 何かと言うと
> 庶民が苦しめられます
> 現代も政治は変わっていませんね
> 大きな「効果」期待してます
庶民を苦しめることが政治の本質であるはずがありません。
現代においても、今回の選挙の結果を踏まえた大きな「効果」に期待したいですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 娯楽を廃止してしまうと言うようなお触れがこの当時にはあったんですね~。
> 水野忠邦に、独裁者的な匂いを感じるのですが、違いますでしょうか?
仰るとおり、水野は独裁者的な一面ががあったと思います。
独裁者がすべて悪とは限らないのですが、彼の政治を振り返れば、残念ながら「その他大勢」の一員であるといわざるを得ないようですね。
> 景元の体を張って守った行為は素晴らしいですね。人間、口先だけではどんな事でもいえますが、行動でその態度を示すと言う事は、なかなか出来ない事だけに、真剣で本気な気持ちが読み取れますね。
これも仰るとおり、景元の実際の行動が、彼の評価を高めるとともに、その後の思わず効果をもたらしたのだと思います。
水野は鳥居と相談した結果、景元に北町奉行を辞めさせるのに「降格」とは限らないということで、1843年に景元を町奉行より格上の大目付(おおめつけ)に「昇進」させることで、景元が改革に口出しできなくなるという目的を達成することが出来ました。
大目付は大名や朝廷などを監視(かんし)して、謀反(むほん)をさせないようにするという重要な役職でしたが、景元が就任した頃には閑職(かんしょく、重要でなくヒマな業務)と化しており、事実上の左遷(させん)でした。
邪魔者の景元を遠ざけることに成功してほくそえんだ水野と鳥居でしたが、二人の仲には間もなく亀裂(きれつ)が入ることになりました。同じ1843年、水野は江戸・大坂周辺の約50万石(まんごく)を幕府の直轄地(ちょっかつち)にして、幕府の権力強化を図(はか)るために上知令(じょうちれい、または「あげちれい」)を出しましたが、これが大失敗でした。




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風早 りら 水野は想像以上の
悪人でしたね
これほど 狡猾だとは思いません
でした ドラマをみている
ようで 毎日こちらに
伺うのが 楽しみです
明日も宜しくお願いします
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 水野は想像以上の
> 悪人でしたね
> これほど 狡猾だとは思いません
> でした ドラマをみている
> ようで 毎日こちらに
> 伺うのが 楽しみです
> 明日も宜しくお願いします
確かにドラマのような筋書ですね。
明日(13日)もドラマのような事実が続きますのでお楽しみに!
.
ぴーち こんばんは!
どういう訳か、悪巧みを考えるもの同士というのは、標的は一緒でも、自分の私利私欲の為の結託という不純な動機のせいか、すぐに仲間割れが起こりますね(^^A困ったものですw
相手の事を思いやる心が存在しない仲良さは、直ぐに離れてしまいますね。。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どういう訳か、悪巧みを考えるもの同士というのは、標的は一緒でも、自分の私利私欲の為の結託という不純な動機のせいか、すぐに仲間割れが起こりますね(^^A困ったものですw
> 相手の事を思いやる心が存在しない仲良さは、直ぐに離れてしまいますね。。
全くその通りだと思います。
利でくっつくものは、利がなくなれば離れていく…。次回(13日)の更新でそれがもっと皮肉な形で現れることになります。
これは同性ばかりではなく、異性にもいえることですね。
そういえば・・。
晴雨堂ミカエル 吉宗も同様の手段で忠相を「左遷」させていますね。
江戸市中の経済政策に頭を悩ませているとき、町奉行職を解かれて大名が就任するのが通例の寺社奉行へ「栄転」させ、時期は少し後になりますが旗本から大名に昇格させる。
当時は比較的若手の譜代大名が就任していたので、老年の旗本忠相は同僚からいじめられたとの話を聞いたことがあります。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > 吉宗も同様の手段で忠相を「左遷」させていますね。
> 江戸市中の経済政策に頭を悩ませているとき、町奉行職を解かれて大名が就任するのが通例の寺社奉行へ「栄転」させ、時期は少し後になりますが旗本から大名に昇格させる。
> 当時は比較的若手の譜代大名が就任していたので、老年の旗本忠相は同僚からいじめられたとの話を聞いたことがあります。
そういえばありましたね。
忠相の場合は、寺社奉行に付きものの奏者番になれなかったことで陰湿ないじめを受けたとか。
いつの世も同じようなものですね。
鳥居は上知令の計画を水野から聞いた際にその失敗を予測して、水野に協力するふりをしながら、機密資料をすべて反対派に横流ししていました。こうした努力(?)の結果、水野が失脚した後も鳥居は南町奉行として残ったのですが、世の中はそんなに甘くはありませんでした。
翌1844年に、将軍家慶のお声がかりによって水野は再び老中に返り咲(ざ)いたのです。鳥居の裏切りに腹を立てていた水野の報復(ほうふく)によって、鳥居は南町奉行を辞めさせられて全財産を没収され、四国の丸亀藩(まるがめはん、現在の香川県丸亀市)にお預けの身となってしまいました。
結局鳥居は明治維新(めいじいしん)を迎えるまで丸亀藩に閉じ込められていたのですが、後に江戸幕府が滅亡したことを聞くと、こう言ったそうです。
「ワシの言うことを聞かないから幕府が滅びたんだ」。




いつも有難うございます。
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風早 りら 将軍家慶はどうして
ここまで 水野に甘いのでしょう
以前より 不思議でした
いつか その分け知りたいです
.
ぴーち こんばんは!
現在の政治家もそうですが、日本を背負って立つ様な人材に何故か「憎まれっ子世に憚る」という様な強烈な癖があり、あくの強いタイプが多いですね^^;
鳥居氏の場合は、「人を呪わば穴二つ」の典型ですね(^^A
しかも、かなりの自己本位ですし(苦笑)
それでは、応援凸
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 将軍家慶はどうして
> ここまで 水野に甘いのでしょう
> 以前より 不思議でした
> いつか その分け知りたいです
家慶は決して水野に甘かっただけではありません。
水野が復帰したことの江戸幕府は人材不足で、外国との交渉に当たれるだけの政治家がいなかったので、「水野なら大丈夫だろう」と家慶が考えて復帰させたといわれています。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 現在の政治家もそうですが、日本を背負って立つ様な人材に何故か「憎まれっ子世に憚る」という様な強烈な癖があり、あくの強いタイプが多いですね^^;
> 鳥居氏の場合は、「人を呪わば穴二つ」の典型ですね(^^A
> しかも、かなりの自己本位ですし(苦笑)
確かに個性的ですね(^^ゞ
それくらいの度量がないとやっていけないのかもしれませんが、鳥居のような「負の連鎖」しかまき散らさないようなのはお断りしたいです(´・ω・`)
.
アクア 誰がどのような政治をしても
江戸幕府は潰れ
明治政府ができ、潰れ
戦争が起き、敗れ
という時代の流れは起きていたのでしょうね
1人が変えられる
世の中じゃないですよね。
アクアさんへ
黒田裕樹 > 誰がどのような政治をしても
> 江戸幕府は潰れ
> 明治政府ができ、潰れ
> 戦争が起き、敗れ
> という時代の流れは起きていたのでしょうね
> 1人が変えられる
> 世の中じゃないですよね。
そういう面は確かにあります。
歴史というのは一人の「英雄」の出現で簡単に変わることもありますが、彼を支えた多数の無名の人々がいることを忘れてはいけません。そのあたりについても紹介できればと思います。