天保の改革が始まった頃には、江戸をはじめとする大都市を中心に物価が値上がりしており、庶民の暮(く)らしに大きな影響を与えていました。水野は、物価の値上がりは当時の流通システムを仕切っていた商人による株仲間(かぶなかま)に原因があるとして、1841年に彼らの解散を命じましたが、これはとんでもない濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)でした。
なぜなら、物価上昇の本当の原因は、人口が増えて消費量が増えた都会に対する生産地からの物資の供給(きょうきゅう)不足にあったからです。需要(じゅよう)が増えているのに供給が不足すれば、物価が上がるのは当たり前です。従って、本当に物価を下げたいのであれば、大都市への供給量を増やす政策を採(と)るべきなのです。
それなのに、株仲間を解散して長年にわたる物資の流通システムを壊(こわ)してしまえば、流通網(りゅうつうもう)が混乱してかえって物価が値上がりするのは明らかでした。景元や南町奉行の矢部定謙は最後まで解散に反対しましたが、水野は商業を異常に蔑視(べっし)する自己の「腹心(ふくしん)の部下」の勧(すす)めもあって、株仲間を強引に解散させてしまい、その結果、景元や矢部が心配したとおりに物価はさらに上昇してしまいました。




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ぴーち こんばんは!
要するに水野忠邦という人物は
世の中を公平に見据える判断能力に欠けていたんですね。
その判断能力を歪ませていたのは、きっと自己中心的な性格が災いしていたのかも知れませんね^^;
政治に私情(偏見)を挟むとあらぬ方向へ物事が傾いて来てしまう。
考えてみると怖いですね。
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 要するに水野忠邦という人物は
> 世の中を公平に見据える判断能力に欠けていたんですね。
> その判断能力を歪ませていたのは、きっと自己中心的な性格が災いしていたのかも知れませんね^^;
> 政治に私情(偏見)を挟むとあらぬ方向へ物事が傾いて来てしまう。
> 考えてみると怖いですね。
そうですね。
政治家というものは一部の利益だけでなく、国民全体、あるいは国全体の利益のことを考えて行動すべきなはずです。
水野忠邦の場合はこの時点ですでに「政治家失格」ですが、この後もっとブラックな事実が次々と浮かび上がってきますから大変です(>_<)
ましてやその「腹心の部下」が…。
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智里 水野ってダメな奴ですよね~。
奉行の2人がダメだって言ってるのに、それを無視して改革を進めるとは・・・
いまの政治ににてますね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
水野的には、大塩に肩入れした矢部の言葉は聞きたくなかったんでしょうけどね。
だけど、それは国の道を定める人間としてはダメですよね。
こんな時こそ、ヒーローに現れて欲しいです!
智里さんへ
黒田裕樹 > 水野ってダメな奴ですよね~。
> 奉行の2人がダメだって言ってるのに、それを無視して改革を進めるとは・・・
> いまの政治ににてますね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 水野的には、大塩に肩入れした矢部の言葉は聞きたくなかったんでしょうけどね。
> だけど、それは国の道を定める人間としてはダメですよね。
確かに似ていますね(´・ω・`)
世情に通じていた二人の能吏(のうり)の言うことに耳を一切傾けようとしないところが何とも…(@_@;)
個人的な好き嫌いの感情だけで政治ができるはずがないというのに。
> こんな時こそ、ヒーローに現れて欲しいです!
本当にそうですよね。
21世紀の現代ではどうでしょうか…。
黒田先生.
りら 天保の改革で良い処は何も
無かったのでしょうね
それも結局
将軍が彼を信じ過ぎたからでしょう
彼と同罪だと思います
りらさんへ
黒田裕樹 > 天保の改革で良い処は何も
> 無かったのでしょうね
> それも結局
> 将軍が彼を信じ過ぎたからでしょう
> 彼と同罪だと思います
将軍家慶は必ずしも凡庸(ぼんよう)ではなかったようですが、確かにそのとおりと言わざるを得ないかもしれません。
水野のこの後の「人選」も、それを裏付けることになりそうです。
天保の改革に反対する有力者の一人である矢部に対する酷(むご)い仕打ちは、将軍の「お墨付き」をもらっているために処分できない景元など、他の反対派に対する「見せしめ」でもありました。この後、矢部は無実を訴える意味も込めて、お預けとなった家の屋敷で絶食(ぜっしょく)を続け、壮絶(そうぜつ)な最期を遂げました。
株仲間を強引に解散し、矢部の罪をでっち上げて憤死(ふんし、激しい怒りのうちに死ぬこと)させた水野の「部下」こそが、当時は目付(めつけ、旗本・御家人を監察する役職のこと)であった鳥居耀蔵(とりいようぞう)でした。この後、鳥居は矢部の後を受けて南町奉行となり、水野の改革を忠実に実行することになります。
ちなみに鳥居は養子で、本家は幕府お抱(かか)えの朱子学者である林大学頭(はやしだいがくのかみ)でした。要するに、鳥居はコチコチの「儒学者」(じゅがくしゃ)であり、商行為や洋学を徹底的に嫌うといった偏見(へんけん)の持ち主だったのです。世の中の改革が求められる重要な時期に、このような政治家が幅(はば)を利(き)かせていたことが、江戸幕府のみならず、我が国自体にも多大な影響を与えてしまったのでした。




いつも有難うございます。
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りら 水野はやはり
ドラマによく出て来る通りの
悪人だったのですね
でもここまで ひどいとは
思いませんでした
今日もありがとうございました
りらさんへ
黒田裕樹 > 水野はやはり
> ドラマによく出て来る通りの
> 悪人だったのですね
> でもここまで ひどいとは
> 思いませんでした
> 今日もありがとうございました
よく「本当はそんなことないのに無理やり悪役にされている」歴史上の人物がいますが、水野の場合は残念ながら文字どおりの悪人といえるのかもしれませんね。もっとも、これも現代の価値観でしか物事を見た結果ではありますが、この後の史実を見ると、国益の面でも「?」の場面が多くなりますから…。
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ぴーち こんばんは
今日の記事を読ませて
いただいているうちに
何故か判らないけれど
「オセロ」の場面が浮かんで
来ました。
黒い方が、水野側。
白い方が、景元側。
白いコマを取り囲んで、次第に
黒いコマに変色させていく水野忠邦の陰謀に白コマ組のどんでん返し、逆転勝利はあるのでしょうか・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今日の記事を読ませて
> いただいているうちに
> 何故か判らないけれど
> 「オセロ」の場面が浮かんで
> 来ました。
> 黒い方が、水野側。
> 白い方が、景元側。
> 白いコマを取り囲んで、次第に
> 黒いコマに変色させていく水野忠邦の陰謀に白コマ組のどんでん返し、逆転勝利はあるのでしょうか・・。
なるほど、上手い例えですね。
鳥居という強力な助っ人を得て、嵩(かさ)にかかって攻めていく水野の波状攻撃を、景元は耐えることが出来るのでしょうか―。
1837年、アメリカの商船(軍艦ではありません)であるモリソン号が、航海の途中で救助した我が国の漂流民(ひょうりゅうみん)の引渡しと、平和的な貿易の交渉(こうしょう)を求めて我が国にやって来ましたが、幕府は異国船打払令の規定どおりに問答無用で砲撃(ほうげき)を行い、あわや撃沈(げきちん)されそうになったモリソン号は辛(かろ)うじて脱出しました。この出来事をモリソン号事件といいます。
このような幕府による無茶苦茶(むちゃくちゃ)な対外政策に、渡辺崋山(わたなべかざん)や高野長英(たかのちょうえい)らがそれぞれ書物を出して批判しましたが、1839年に幕府によって弾圧(だんあつ、支配者が権力を行使して反対勢力の活動を抑圧すること)されました。この事件を蛮社の獄(ばんしゃのごく)といいますが、この際に弾圧を指揮(しき)した人物が鳥居耀蔵だったのです。
ちなみに、事件名になった「蛮社」とは「蘭学(らんがく)という名の野蛮(やばん)な結社(けっしゃ)」という意味であり、これだけを見ても鳥居の偏向(へんこう)ぶりがうかがえますね。このような人物が南町奉行となり、水野に認めてもらえるように改革を忠実に、いやそれ以上に厳しく実行すれば、江戸の庶民の暮らしはいったいどうなってしまうのでしょうか―。




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黒田先生
りら モリソン号事件の事は
学校で習った記憶も無く
知りませんでした
また 一つ 知識の宝物が増えました
ありがとう
りらさんへ
黒田裕樹 > モリソン号事件の事は
> 学校で習った記憶も無く
> 知りませんでした
> また 一つ 知識の宝物が増えました
> ありがとう
お役に立つことができて何よりです。
これからも頑張りますね(^O^)/
例えば、町に密偵(みってい)を放(はな)って幕府の政治に対する悪口を言わせて、それに乗ってきた庶民を「幕府を批判した」と言って捕まえたり、倹約令によって禁止されていた絹(きぬ)の着物を着ている疑いがあるとして、往来の真ん中で女性を無理やり裸(はだか)にしたりしました。
江戸の庶民は鳥居のことを当時の官職(かんしょく)の「甲斐守」(かいのかみ)と名前の「耀蔵」とをかけて「耀甲斐」(ようかい)、すなわち「妖怪」として恐れると同時に、鳥居のことを激しく恨(うら)むようになりました。
ところで、町奉行所は南北が同時に開いていたのではなく、一ヵ月毎(ごと)に交代で業務を行っていました。南の月番(つきばん)の際には鳥居が厳しく取り締まったのに対して、北の月番の際は、水野の改革の手法に異議を唱えていた景元が積極的に取り締まらなかったために、庶民の人気が自然と景元に集まるようになっていったのです。
やがて江戸の庶民は、鳥居を名前に引っ掛けて「キツネ」と読んだのに対し、景元のことを「キツネ」を上回るという意味を込めて「タヌキ」と呼ぶようになりました。




いつも有難うございます。
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オバrev 理想を完璧に求める原理主義的な手法はやはり無理がありますね。遊びがなくなって世の中が息苦しくなってしまう。
この状況での景元人気はそりゃ凄いことになったでしょう。しかし、鳥居はそれを指をくわえて見ていたんでしょうか?
いよいよ明日は決戦の時です。この一年各政党がやってきたこと、発言などを冷静に判断して投票してほしいです。
M+KM党で過半数割れを願っております(^+^)ナイショ
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 理想を完璧に求める原理主義的な手法はやはり無理がありますね。遊びがなくなって世の中が息苦しくなってしまう。
> この状況での景元人気はそりゃ凄いことになったでしょう。しかし、鳥居はそれを指をくわえて見ていたんでしょうか?
もちろん指をくわえて見ているはずがありません。この後も鳥居は水野と共謀して景元の追い落としをはかることになりますが…。
> いよいよ明日は決戦の時です。この一年各政党がやってきたこと、発言などを冷静に判断して投票してほしいです。
> M+KM党で過半数割れを願っております(^+^)ナイショ
私は今から不在者投票へ行きます。
オバrevさんと同じような意見かも…?
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ぴーち こんばんは!
まさに「キツネ」と「たぬき」の化かし合いですね^^;
敵も然る者。
なかなか一筋縄ではいかない様ですね~。
相手が蛇なら、いっその事
その首を掴んで、縄の様に
結び固めてしまいたいくらいですね(^^A
今後の展開が楽しみです!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > まさに「キツネ」と「たぬき」の化かし合いですね^^;
> 敵も然る者。
> なかなか一筋縄ではいかない様ですね~。
> 相手が蛇なら、いっその事
> その首を掴んで、縄の様に
> 結び固めてしまいたいくらいですね(^^A
> 今後の展開が楽しみです!
なるほど、絶妙な表現ですね(^^ゞ
遠山景元と水野&鳥居の戦いは今後も続きます…。