ところが、景晋が養子として迎えられた後に養父に男子(後の遠山景善=とおやまかげよし)が生まれたので、景晋は景善を自分の養子にしましたが、その手続きを済ませないうちに景元が生まれてしまったのです。このため、景晋は景元の出生届を一年以上遅らせることで、景善の養子届を先に済ませています。
こうした複雑な事情があったため、金四郎(きんしろう)という通称(つうしょう)を名乗った景元は、青年期を迎える頃までに家を飛び出し、放蕩無頼(ほうとうぶらい、勝手気ままに振る舞って品行の定まらないさまのこと)の生活を送っていたとされており、身体の刺青もこの時期に入れたと考えられています。ただ、景元が刺青を入れていたのは間違いないとされていますが、それが桜吹雪であったかどうかということについては確証がありません。
やがて景善が景晋の隠居前に亡くなったことで、景元は遠山家に戻って家督(かとく)を継ぐことになるのですが、青年期の町中での生活を通じて、世の中の様々な動き、つまり世情(せじょう)を知ったことによって、景元は江戸の庶民(しょみん)の考えが良く分かるようになっていました。この頃の経験が、後の景元にとって大いに役立つことになります。




いつも有難うございます。
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智里 そうなんだ~。
そんな複雑な家系の生まれとは知らなかったです(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
それもあって自由奔放な青年時代を過ごしたんですね。
後にその経験が役立つとは、人生には無駄がないですね。
刺青の噂では、腕に入った青の線は島流しの証だったと聞いた事があります。
実際には分からないですね~。
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ぴーち こんばんは!
時代や、身分、国が違いますが
今日の景元のお話は、映画「釈迦」で観たシッダ太子の悟りを開く以前の話と共通する部分を感じました。
やはり、色々な世界(この場合は、各国と言うより、自分以外の人たちの生き様や、暮らしぶり)を見て回ることは、その人の大きな財産になるものですね^^
やはり金さんは、刺青をしていたんですか。。
真実を知る事が出来、ありがたく存じます^^
今日はお疲れ様でした☆
応援です凸
智里さんへ
黒田裕樹 > そうなんだ~。
> そんな複雑な家系の生まれとは知らなかったです(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> それもあって自由奔放な青年時代を過ごしたんですね。
> 後にその経験が役立つとは、人生には無駄がないですね。
複雑な人間関係は、一時期に自由奔放さを生み出しますが、それを肥やしとして成長できる精神力を持っていればいい経験になる、ということなのでしょうね。
> 刺青の噂では、腕に入った青の線は島流しの証だったと聞いた事があります。
> 実際には分からないですね~。
刺青を入れた可能性は高いようですが、実際の柄は分かっていませんからね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 時代や、身分、国が違いますが
> 今日の景元のお話は、映画「釈迦」で観たシッダ太子の悟りを開く以前の話と共通する部分を感じました。
> やはり、色々な世界(この場合は、各国と言うより、自分以外の人たちの生き様や、暮らしぶり)を見て回ることは、その人の大きな財産になるものですね^^
> やはり金さんは、刺青をしていたんですか。。
> 真実を知る事が出来、ありがたく存じます^^
世情に通じていることは、仰るとおり後々に大きな財産になるということですね。
刺青を入れたとされる金さんにもその原則が当てはまる、ということなのでしょう。
> 今日はお疲れ様でした☆
有難うございます。近日中には別記事で報告します(^^♪
景元が北町奉行となった翌年の1841年、将軍退位後も大御所(おおごしょ)として政治の実権を握(にぎ)っていた第11代将軍の徳川家斉(とくがわいえなり)が亡くなり、第12代将軍の徳川家慶(とくがわいえよし)の老中であった水野忠邦による政治が始まりました。
水野はかつての享保(きょうほう)・寛政(かんせい)の両改革を手本とし、衰(おとろ)えつつあった江戸幕府の権力強化を目指して天保の改革を行ったのですが、厳しい倹約令(けんやくれい)を中心とする改革の内容に対して、世情に通じていた景元は疑問を感じていました。
財政の支出を抑えるために政府が倹約することは決して間違っていませんが、それを一般庶民にまで強要してしまえば、消費が冷え込んで景気が悪化するばかりでなく、精神面でも余裕がなくなることで文化は衰退(すいたい)し、世の中全体が殺伐(さつばつ)とした雰囲気(ふんいき)となってしまうのが目に見えていたからです。そしてそれは、改革の実施によって現実のものとなってしまいました。




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オバrev おぉ!これはまさに、消費税を10%に引き上げて、庶民の消費を一気に冷え込ませようとしている現在そのものじゃ、あ~りませんか。
さあ、その時金さんはどうしたんでしょうか。楽しみです♪
オバrevさんへ
黒田裕樹 > おぉ!これはまさに、消費税を10%に引き上げて、庶民の消費を一気に冷え込ませようとしている現在そのものじゃ、あ~りませんか。
>
> さあ、その時金さんはどうしたんでしょうか。楽しみです♪
仰るとおり、消費を冷え込ませては元も子もありません。内需拡大こそが景気回復の近道ですからね。
金さんの行動がその後の「人気」のきっかけになるのですが、いずれは講座の中で(^^ゞ
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ぴーち こんばんは!
政府も国民にも倹約を強要。
確かに、国民にまで強要するのは
景気が一気に冷え込んでしまいますよね(><)
政府が倹約する事を棚に上げて、
国民に全面的に痛みを押し付ける現代の政治体制よりかは、多少は救いようがあるように思うのは間違いかしら^^;
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 政府も国民にも倹約を強要。
> 確かに、国民にまで強要するのは
> 景気が一気に冷え込んでしまいますよね(><)
まさしくそのとおりだと思います。
当時の政治家が経済の本質について何も分かっていない証拠でもありますね。
> 政府が倹約する事を棚に上げて、
> 国民に全面的に痛みを押し付ける現代の政治体制よりかは、多少は救いようがあるように思うのは間違いかしら^^;
いえいえ、ぴーちさんのお気持ちはよく分かります。
現代に金さんのような政治家がいればいいのですが…(´・ω・`)
徳川家の歴代の将軍は、一代に一度は町奉行・勘定奉行・寺社奉行(じしゃぶぎょう)のいわゆる三奉行(さんぶぎょう)による実際の裁判の様子を上覧(じょうらん、身分の高い人がご覧になること)するしきたりがありました。これを「公事上聴」(くじじょうちょう)といいます。
1841年に行われた公事上聴において、景元は将軍家慶からその裁判ぶりを激賞(げきしょう、大いにほめること)され、奉行の模範(もはん)とまで讃(たた)えられました。要するに景元は将軍の「お墨付(すみつ)き」を与えられたのです。
これでは水野の力をもってしても、景元に対しておいそれと奉行職を罷免(ひめん、職務をやめさせること)できません。そこで水野は、景元にプレッシャーを与える意味も込めて、近いうちに「もう一人の奉行」に対して牙(きば)をむくことになります。




いつも有難うございます。
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りら ドラマでも度々 登場する
水野 ドラマテックになって
きましたね
この夜間勤務が多く講座に
伺えなくて残念でした
また今日から参加させて頂きますね
りらさんへ
黒田裕樹 > ドラマでも度々 登場する
> 水野 ドラマテックになって
> きましたね
> この夜間勤務が多く講座に
> 伺えなくて残念でした
> また今日から参加させて頂きますね
そうですね。ドラマの世界でも有名な水野忠邦ですから、
金さんとともに、史実における水野の「活躍」ぶりにもご期待下さい!
お忙しい中、ご訪問有難うございます。
くれぐれもご自愛下さいね。
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ぴーち こんばんは!
あたる光が強いほど、影も濃くなる・・
英雄と言われる人たちの影で
足を引っ張ろうとする「アンチ」組が出現するのは、世の習いとは言え、景元自身に直接降りかからずに、周りからじわじわと攻められるほど、卑怯な手口はありません。
こういう人物は、水面下で人の足を引っ張るくらいしか、能が無いのでしょう。
堂々と水面上で戦えるだけの根性があれば、こんな卑劣な行為には、走らないでしょけれど^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > あたる光が強いほど、影も濃くなる・・
> 英雄と言われる人たちの影で
> 足を引っ張ろうとする「アンチ」組が出現するのは、世の習いとは言え、景元自身に直接降りかからずに、周りからじわじわと攻められるほど、卑怯な手口はありません。
> こういう人物は、水面下で人の足を引っ張るくらいしか、能が無いのでしょう。
> 堂々と水面上で戦えるだけの根性があれば、こんな卑劣な行為には、走らないでしょけれど^^;
仰るとおり卑怯極まりない話です。
詳しくは近日中にお話しますが、景元の心中、察するに余りあります(´・ω・`)
明日(7日)以降はいよいよ天保の改革の本番に入りますので、水野の人物像もお分かりいただけると思います。
いよいよ、鳥居の妖怪登場ですかな。
晴雨堂ミカエル 遠山の金さんの実際の刺青は美女の生首だった、と聞いていますが、これも確認された訳では無かったのですね。
もう少しだけ、金さんが遅く生まれていたら写真に残っていたかもしれないのに。
遅く生まれなくても、写真撮影の可能性はゼロではありませんが。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > 遠山の金さんの実際の刺青は美女の生首だった、と聞いていますが、これも確認された訳では無かったのですね。
> もう少しだけ、金さんが遅く生まれていたら写真に残っていたかもしれないのに。
> 遅く生まれなくても、写真撮影の可能性はゼロではありませんが。
刺青については確証がないんですよね。
出世してからの金四郎にとってはますます他人に見せるものではなかったでしょうし、ある意味では仕方がないのかもしれません。
その分、私たちが想像力をふくらますことが出来るわけではありますが。
.
智里 南町奉行所って言うから、あの人かと思いましたよ!!
大岡越前(*≧艸≦)
矢部定謙ね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
大塩平八郎の乱の時に、大塩を擁護した発言をしたんですよね。
いやいや、大岡越前じゃなくて良かったわ~。
智里さんへ
黒田裕樹 > 南町奉行所って言うから、あの人かと思いましたよ!!
> 大岡越前(*≧艸≦)
確かに南町奉行ですからね(^^ゞ
金さんよりも約100年前の人ですよ。
> 矢部定謙ね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 大塩平八郎の乱の時に、大塩を擁護した発言をしたんですよね。
> いやいや、大岡越前じゃなくて良かったわ~。
お詳しいですね。大塩平八郎にとっては恩人とも言えるのですが、彼を擁護したばっかりに、この後に過酷な運命が待ち受けているのが…(´・ω・`)