ロシアはユーラシア大陸の広い範囲を支配下に置くとともに、領地の拡大を目指して東西に勢力を伸ばしていました。このため、当時のトルコを支配していたオスマン帝国は、ロシアの南下政策によって「百年戦争」とも呼ばれる長く激しい戦いを続けてきました。
一方、我が国も極東に不凍港(ふとうこう、冬においても海面が凍らない港のこと)を求めて南下するロシアに手を焼いていました。日清戦争(にっしんせんそう)の勝利によって我が国が領土として手に入れた遼東半島(りょうとうはんとう)を、ドイツやフランスと共謀(きょうぼう)したロシアの三国干渉(さんごくかんしょう)によって無理やり清国(しんこく)に返還させられたりするなどの被害を受けました。
我が国はロシアの南下を食い止めるとともに自国の独立を守るため、明治37(1904)年から日露戦争(にちろせんそう)を戦い、辛(かろ)うじて勝つことができましたが、同じくロシアに悩まされ続けたトルコは、日本の勝利を我が事のように喜び、その頃に生まれた男子には、当時の我が国の軍人である「ノギ」(=乃木大将)や「トーゴー」(=東郷大将)の名前がつけられたそうです。




いつも有難うございます。
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紗那 なるほど、両国間の外交的関係だけでなく、もっと広い意味での軍事・外交的な味方ができたんですね!
しかし、トルコ人の方たちは、心がやさしいんでしょうねー。名前に日本人のをつけるくらいですから。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、両国間の外交的関係だけでなく、もっと広い意味での軍事・外交的な味方ができたんですね!
そのとおりです。東西に広い領土を持ち、それぞれに触手を伸ばそうとするロシアだからこそ「敵の敵は味方」の格言どおりに両国は結ばれる運命にあったんでしょうね。
> しかし、トルコ人の方たちは、心がやさしいんでしょうねー。名前に日本人のをつけるくらいですから。
それだけ感謝の気持ちが高かったんでしょうね。トルコの国民性というのも大きいと思いますよ。
.
HANA子 ノンマルトル号事件のことは確か世界史の教科書にも掲載されていたと思うのですけど、エルトゥールル号事件は掲載されてなかったような(記憶が定かでありませんけど)
それにしても他国の成功を我が事のように喜んでくれるトルコのような国をもっと大切に出来ないものでしょうか
.
智里 大帝国ロシアに悩まされていたのは、日本だけじゃ無かったんですね!
ロシア的には不凍港の日本とトルコ(オスマン帝国)の地中海港が欲しかったんですね。
自分達も危うい状態なのに、日露戦争で勝った日本を喜んでくれるなんて・・・
なんて親日なんでしょう!!
そう言えば、トルコにはトーゴー通りが有るって中学の社会の先生が言ってました。
この時付けたものなんでしょうかね?
.
ぴーち こんばんは!
両国の絆の他に
これまた「共通の敵国」が存在することが更に関係をより強固なものにした訳ですね~。
ロシアは既にこの頃から、北方四島を狙っていたんですかね?
そういえば、以前にも書かせていただいたかしら?巨人のクロマティ選手が、当時尊敬していた桑田選手のクワタというのを自分の息子の名前にしたという事ですが、日本人の名前が尊敬されて現地でつけられると言うのは、同じ日本人として名誉な話ですね^^
乃木将軍に関しても、当地でも縁の深い人物だけに、何だか嬉しいですね~^^
応援凸
HANA子さんへ
黒田裕樹 > ノンマルトン号事件のことは確か世界史の教科書にも掲載されていたと思うのですけど、エルトゥールル号事件は掲載されてなかったような(記憶が定かでありませんけど)
私も記憶はないですねぇ。世界史どころか、高校の日本史の教科書にもほとんど紹介されたことがないような気が…(´・ω・`)
> それにしても他国の成功を我が事のように喜んでくれるトルコのような国をもっと大切に出来ないものでしょうか
やはり最大の問題は「教育の場面において紹介されていない」ことでしょう。無知であればどうしようもないですが、無知のまま放っておくのは問題があると思います。
智里さんへ
黒田裕樹 > 大帝国ロシアに悩まされていたのは、日本だけじゃ無かったんですね!
> ロシア的には不凍港の日本とトルコ(オスマン帝国)の地中海港が欲しかったんですね。
> 自分達も危うい状態なのに、日露戦争で勝った日本を喜んでくれるなんて・・・
> なんて親日なんでしょう!!
本当にそうですよね。
エルトゥールル号がきっかけとなって、似たような境遇から親しみを感じられたからこそ、日本の勝利を我が事のように喜んで下さったのでしょう。
> そう言えば、トルコにはトーゴー通りが有るって中学の社会の先生が言ってました。
> この時付けたものなんでしょうかね?
イスタンブルにあるトーゴー通りですね。詳しい経緯は存じませんが、状況から考えて間違いないと思われます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> 両国の絆の他に
> これまた「共通の敵国」が存在することが更に関係をより強固なものにした訳ですね~。
> ロシアは既にこの頃から、北方四島を狙っていたんですかね?
仰るとおり、両国の絆が深くなる事情が重なったということですね。
当時は千島樺太交換条約によって千島の全島が日本領でしたが、北海道を中心に我が国の領土を虎視眈々と狙っていたと十分に考えられますね。
> そういえば、以前にも書かせていただいたかしら?巨人のクロマティ選手が、当時尊敬していた桑田選手のクワタというのを自分の息子の名前にしたという事ですが、日本人の名前が尊敬されて現地でつけられると言うのは、同じ日本人として名誉な話ですね^^
> 乃木将軍に関しても、当地でも縁の深い人物だけに、何だか嬉しいですね~^^
仰るとおりですね。我が国の偉人の名前をつけて下さるのは非常に光栄なことです。
寅次郎は、我が国とトルコとの間に正式な国交がなかった時代の「民間大使」ともいえる活躍ぶりを見せ、大正14(1925)年には日土貿易協会(にっとぼうえききょうかい)を設立するなど、我が国とトルコとの友好関係の強化に尽力しました。
寅次郎が晩年の昭和6(1931)年に再びトルコへ訪問した際には、共和制となった新生トルコのムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領と会見しましたが、実はアタテュルク大統領は若い頃に寅次郎に日本語を教わっていたという縁があったそうです。
ちなみに山田寅次郎は茶道(さどう)の家元でもあり、家元継承後は山田宗有(やまだそうゆう)と名乗っています。また、寅次郎に日本語を教わったとされるアタテュルク大統領の執務室(しつむしつ)には明治天皇の写真が掲(かか)げられ、ことあるごとに明治維新の話をしていたそうです。そんな大統領が「トルコ建国の父」として現代に至るまでトルコ国民に尊敬の眼差(まなざ)しを浴びているのですから、トルコの親日度が深いのも、ある意味では当然といえるのかもしれません。




いつも有難うございます。
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智里 なるほど~(。・ω・)
そう言うこともあって、親日度が深まっていったんですね。
それにしても、民間の人間が貿易の基礎を作ったり、大統領と謁見したり・・・
すごいですね~。
そして、大統領が事あるごとに明治維新の話をしてるってのもスゴイですね。
.飛んでイスタンブゥールゥ~♪
ぴーち こんばんは!
山田寅次郎・・
なにやら、「山田洋二監督」と「車寅次郎」の関係を連想させるようなネーミングですね(笑)
日本人にも、外国にまで名前を轟かせている「寅さん」がいらっしゃったなんて、すばらしい事ですね!
義理人情に厚い映画の中の「寅」さんは、もしや、この方がモデルだったりして(^^A
まあ、私の勝手な想像ですが、
それにしても、トルコの方のお名前って、舌を噛みそうになるお名前ですね^^;
とても一度聞いただけでは、覚えられない様なお名前です。
今日は記事の本筋とはかけ離れたコメントで、失礼いたしましたm(__)m
それでは、応援凸
智里さんへ
黒田裕樹 > なるほど~(。・ω・)
> そう言うこともあって、親日度が深まっていったんですね。
遭難事故をきっかけとして、多くの人々の善意が様々な形で広がっていくんですよね。凄いことだと思います。
> それにしても、民間の人間が貿易の基礎を作ったり、大統領と謁見したり・・・
> すごいですね~。
> そして、大統領が事あるごとに明治維新の話をしてるってのもスゴイですね。
正式な国交がなくても、民間同士でここまでの外交に結びつくわけですから、当時の日本人やトルコ人の親愛の深さがうかがえますね。天皇陛下の役割も大きかったと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 山田寅次郎・・
> なにやら、「山田洋二監督」と「車寅次郎」の関係を連想させるようなネーミングですね(笑)
> 日本人にも、外国にまで名前を轟かせている「寅さん」がいらっしゃったなんて、すばらしい事ですね!
> 義理人情に厚い映画の中の「寅」さんは、もしや、この方がモデルだったりして(^^A
そういえば同じ「寅さん」ですね(笑)。
関連性までは分かりませんが、義理人情の厚さは確かに同じ匂いがします。
> まあ、私の勝手な想像ですが、
> それにしても、トルコの方のお名前って、舌を噛みそうになるお名前ですね^^;
> とても一度聞いただけでは、覚えられない様なお名前です。
大統領の名前ですが、ケマルは後につけられたニックネームで、アタテュルクは「父なるトルコ人」という意味で、大統領になってから呼ばれた姓だそうです。名前ひとつにも歴史がありますね(^^♪
> 今日は記事の本筋とはかけ離れたコメントで、失礼いたしましたm(__)m
> それでは、応援凸
いえいえ、いつもお言葉有難うございますm(_ _)m
:黒田裕樹さん.
りら 黒田裕樹さん
私は今までどうしてトルコと
日本が親日国家と言われるのか謎でした
またまた楽しく謎が解けました
黒田先生は私にとって、知恵のマジシャンです
出来の悪い生徒をこれからも
宜しくお願いします
りらさんへ
黒田裕樹 りらさんの謎の解明のお役に立てて光栄です(^_^)v
マジシャンですか(^^ゞ
確かに今まで聞いたことのない知識を学ぶというのは驚きを伴いますね。
毎日のように来て下さるご姿勢が、すでに優秀な生徒さんですよ(^^♪
こちらこそよろしくお願いしますm(_ _)m
.
オバrev トルコと言えば2002年ワールドカップサッカーで、日本が敗れた国ですよね。未だに記憶に残ってます(^^;)
でもこの話を読んで、すごくトルコに対して親近感が湧きました。
残念ながら、南アフリカ大会には出場できなかったようですが、現在の日土関係ってどうなんでしょうか?もっとトルコのことを知りたいですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > トルコと言えば2002年ワールドカップサッカーで、日本が敗れた国ですよね。未だに記憶に残ってます(^^;)
> でもこの話を読んで、すごくトルコに対して親近感が湧きました。
8年前の話でしたね。この戦いの際に、エルトゥールル号の話がインターネットで結構話題になったんですよ。
> 残念ながら、南アフリカ大会には出場できなかったようですが、現在の日土関係ってどうなんでしょうか?もっとトルコのことを知りたいですね。
今回の講座では省略しておりますが、新潟県柏崎市の市長を初めとする役所の怠慢で日土関係にひびが入ってしまったのが残念です。その後は少しずつ関係修復に向かっているようですが…。
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kenちゃんマイド 山田寅次郎はしりませんでした。日本・朝鮮・モンゴル・トルコ。これらの国々の言葉の文法が同じだときいていますが(ウラルアルタイ語圏)どうしてそうなったのか?先生ご存知でしたらお教えください。
kenちゃんマイドさんへ
黒田裕樹 確かに文法などが似ていますが、日本語自体の起源についても不明な点が多いですからね。
残念ながら私にも良く分からないのが実情です。