そして、不幸にもその心配が的中してしまったのです。9月16日の夜半(やはん)に、エルトゥールル号は折からの台風にあおられて、和歌山県の紀伊大島の樫野埼(かしのざき)に座礁(ざしょう、船が暗礁=あんしょうに乗り上げること)して爆発し、乗組員656人を乗せたまま沈没するという大惨事(だいさんじ)になってしまいました。
樫野埼には大きな灯台(とうだい)があり、その日も灯台守(とうだいもり)が勤務していました。16日の午後9時ごろ、真っ暗な海のほうから大きな爆発音が聞こえてきましたが、台風の際に波が崖(がけ)にぶつかって大きな音を発することがよくありましたので、まさかそんな大惨事が起きたと灯台守が夢にも思わなかったのは無理のないことでした。
その日の深夜、灯台に一人の訪問者がありました。灯台守が扉を開けると、全身傷だらけのうえに泥だらけで、かつ血まみれの外国人が息も絶え絶えに飛び込んできました。そのあまりの惨状(さんじょう)に、灯台守はこの人が海で遭難(そうなん)したことや、さっきの爆発音が船の沈没の音であったことを直感しました。




いつも有難うございます。
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明天会更美好 ついに始まりましたね。
トルコシリーズとても楽しみにしています。
黒田さんが日本とトルコのこの歴史的な関係をどう分析されるのかとても興味があります。
毎日訪問して勉強させてもらっています。
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ぴーち こんばんは!
黒田さんのお話は、まるでタイムスリップしたかの様に、目の前に
その情景が浮かんでくるんですよね^^
一人の心優しい燈台守の判断が、
その後の両国の関係に友好を齎すことに
なるような予感がしますね^^
それでは、応援させてくださいね!
また、お邪魔します☆
明天会更美好さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
歴史的事実とその背景から、私なりの見解を出すことができればと思っておりますので、これからもよろしくお願いします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 黒田さんのお話は、まるでタイムスリップしたかの様に、目の前に
> その情景が浮かんでくるんですよね^^
有難うございますm(_ _)m
歴史は物語でもありますから、できる限り皆さんにも同じ世界で物事をお考えいただけるようにと常々思っております。
> 一人の心優しい燈台守の判断が、
> その後の両国の関係に友好を齎すことに
> なるような予感がしますね^^
実際そのとおりになりますね。
灯台守の思いがやがて周囲の人々にも伝わって、大きな流れを形づくることになります。
明日(1日)以降の更新もご期待下さいね(^_^)v
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オバrev オスマントルコというのが頭の隅に残ってます。確か高校の世界史で習ったんでしょう・・・遠い昔(^^ゞ
結構大きな帝国だったと思いますが、日本へ来た目的はなんだったんでしょうか。
それに6月から9月までと、ちょっと長居してるように思いますが、当時ではこのくらいが普通なんですかね。
しかし、外交ってのは、こういう個人の信頼が元で、やがて国同士の信頼に繋がるんですね・・・うぅ~ん、となると今の外交は危ないんじゃないの(^^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > オスマントルコというのが頭の隅に残ってます。確か高校の世界史で習ったんでしょう・・・遠い昔(^^ゞ
私が学んだ頃もそうでしたが(笑)、最近では「オスマン帝国」というそうです。当時の帝国が自らを「オスマントルコ」とは呼ばなかったからだとか。
> 結構大きな帝国だったと思いますが、日本へ来た目的はなんだったんでしょうか。
エルトゥールル号の来日に先立って。我が国の皇族がオスマン帝国を訪問されており、それに応えるのが主な目的だったそうです。
> それに6月から9月までと、ちょっと長居してるように思いますが、当時ではこのくらいが普通なんですかね。
大歓迎を受けたということと、疫病が流行して乗組員がなかなか離日できなかったからとか。様々な事情が重なって、悲劇を生んでしまったんですね…(´・ω・`)
> しかし、外交ってのは、こういう個人の信頼が元で、やがて国同士の信頼に繋がるんですね・・・うぅ~ん、となると今の外交は危ないんじゃないの(^^;)
「個人の信頼なき外交」は、通常の人間関係を見ればいかに危ないかはまる分かりですからね。「トラスト・ミー」なんて簡単に口にはできないはずですが…。
トルコは私も好きです。
晴雨堂ミカエル 独身時代、大阪ミナミヘくりだしてトルコ料理店でベリーダンスを見ながら食事したものです。
イタリアやギリシアなどの地中海地方典型の料理ですが、中央アジアや中国の影響もかなりありますね。料理からトルコはもともと中国ウイグル地方の民族であることが覗われます。
さて、エルトゥールル号の話は私もよく知っています。
この事件後、1人の日本人が日土友好に奔走するのですが、講座で詳しく取り上げてくれたらと思います。
後にトルコ共和国初代大統領から日本語で「先生」と呼ばれ歓待される人です。
明治の日本人、河口慧海や南方熊楠、野口英世、白瀬中尉など、冒険心に富み強靭なバイタリティで海外に出て活躍され、相手国からも高い評価を受けている人物が多く輩出されています。
いま、世界情勢が厳しくなっているということもありますが、冒険心や一途な志を阻害する風潮が強まってきています。
トルコとの友好を考えると同時に、明治の人間の生命力を思い出すきっかけになってほしいと思います。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 詳しいお言葉有難うございます。
> 独身時代、大阪ミナミヘくりだしてトルコ料理店でベリーダンスを見ながら食事したものです。
> イタリアやギリシアなどの地中海地方典型の料理ですが、中央アジアや中国の影響もかなりありますね。料理からトルコはもともと中国ウイグル地方の民族であることが覗われます。
トルコ料理は有名ですよね。まだ機会はないですが、一度は食べてみたいものです。
> さて、エルトゥールル号の話は私もよく知っています。
> この事件後、1人の日本人が日土友好に奔走するのですが、講座で詳しく取り上げてくれたらと思います。
> 後にトルコ共和国初代大統領から日本語で「先生」と呼ばれ歓待される人です。
さすがに良くご存知ですね。晴雨堂ミカエルさんのご期待にお応えできると思いますよ(笑)。
> 明治の日本人、河口慧海や南方熊楠、野口英世、白瀬中尉など、冒険心に富み強靭なバイタリティで海外に出て活躍され、相手国からも高い評価を受けている人物が多く輩出されています。
> いま、世界情勢が厳しくなっているということもありますが、冒険心や一途な志を阻害する風潮が強まってきています。
> トルコとの友好を考えると同時に、明治の人間の生命力を思い出すきっかけになってほしいと思います。
仰るとおりですね。
明治の頃の古き良き時代を懐かしむと同時に、思い起こしたいものです。
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智里 おぉー!!
オスマン帝国(≧∇≦)
授業で習った記憶が有ります。
物凄い海軍をもってたんですよね。
その海軍の軍艦が日本なんて小さな国に来ていたとは!?
驚きッス(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そして、大きな海難事故を起こしていたのもビックリです。
智里さんへ
黒田裕樹 オスマン帝国は長い間君臨していましたが、残念なことに我が国を訪問した頃にはかなり勢力が衰えていたんですよね(´・ω・`)
先に我が国の皇族がトルコを訪問したので、返礼の意味も込めて来日したのですが、東洋の新興国である当時の我が国と誼(よしみ)を通じたいという思惑もあったのではないかと考えられます。
大きな事故が起きてしまったのは、やはり「台風銀座」の際に出国したのが大きな原因でしょう。我が国は止めたのですが…。
水兵は岩だらけの崖を40mも必死に登りました。そんなことをしなくても、ひょっとしたら灯台へ向かうための安全な道が別にあったのかもしれません。しかし周囲は真っ暗闇(まっくらやみ)のうえに地理不案内な外国です。「一刻も早く仲間を助けたい。そのためにも動ける自分が頑張らないと」。水兵の必死の思いが、一心不乱(いっしんふらん)に崖を登りきらせたのでした。
灯台守は水兵から詳(くわ)しい話を聞こうとしましたが、言葉が通じないためにできませんでした。手元にあった万国信号書(ばんこくしんごうしょ)に書かれた国旗を見せて、水兵がトルコ人であることがようやく分かり、また身振り手振りで、多数の乗組員が同じように遭難したことを知りました。
「何てことだ!」
灯台守は水兵を手厚く看護した後、灯台からいちばん近い樫野の人々に惨状を知らせに台風の中をずぶ濡(ぬ)れになりながら走り出しました。




いつも有難うございます。
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JJSG こんにちは。
今日は土曜日、ゆっくりしてます♪
このトルコ人のおはなし、以前にどこかで聞いたことがあります。
いい話ですよね♪
続きも楽しみにしてます。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > こんにちは。
> 今日は土曜日、ゆっくりしてます♪
我が国も今日からGWですからね。
ゆっくりし過ぎて(笑)、コメントが遅れてすみません。
> このトルコ人のおはなし、以前にどこかで聞いたことがあります。
> いい話ですよね♪
> 続きも楽しみにしてます。
有難うございます。この講座はまだまだ続きますので、よろしくお願いします。
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ぴーち こんばんは!
こうしてお話を伺っていると
言葉って何だろう・・って思いますね。正確に物事を相手に伝える手段としては、流暢に話せる外国語の勉強も大切ですが、言葉を知らないものが、判って貰う為に必死で身振り手振りを繰り返して、相手に理解して貰おうとする必死さ・・そう言う伝えようとする熱意と言うのが、今の外国との交流に欠けている部分ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
口先だけ、上辺だけの言葉の交流ではなく、心に訴えかける熱のある言葉を超えたもの。。
と・・すみません。。私の方が今日は熱が入ってしまい、まとまりのないコメントになり、失礼しました^^;それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いえいえ、仰る思いは良く分かるつもりです。
仲間を助けようと必死な水兵と、ただならぬ様子に懸命に意図を理解しようとする灯台守。二人のやり取りには、確かに言葉は不要でした。
相手に気持ちを伝えることと、相手の気持ちを理解しようとすること。これこそが人間にとって一番大事なことではないでしょうか。上っ面だけ理解しているつもりの人間が信用できないように、熱意のない人間ほど、当てにならないものはありません。
…私も熱くなってしまいましたね(^^ゞ
明日(2日)からの講座の内容も一段とヒートアップしますよ。
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クメゼミ塾長 ふうむ…。
記事の内容、臨場感がありますねえ
何気なく訪ねた地(現場)ですが、とても印象に残っていますよ。
どこで縁が生まれるのか、一日一日、出会いの一つ一つを大切にしなければ
と思います。
ありがとうございます。
次の記事を楽しみにしています。
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 > ふうむ…。
> 記事の内容、臨場感がありますねえ
> 何気なく訪ねた地(現場)ですが、とても印象に残っていますよ。
> どこで縁が生まれるのか、一日一日、出会いの一つ一つを大切にしなければ
> と思います。
仰るとおり、人間の縁というのはどこで生まれるか分かりませんから、日々を大切に過ごさなければいけませんね。
> ありがとうございます。
> 次の記事を楽しみにしています。
こちらこそお言葉有難うございます。
.
智里 スゴイね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
自分も怪我をしてるのに、仲間を助けたい気持ちで40mの崖を登るなんて。
自分には多分真似が出来ない行動です。
そして、この灯台守の人もスゴイです。
言葉が通じなくても、たくさんの人が大変な事になってるを他の人に伝えるなんて。
スゴイとしか言いようがないです。
智里さんへ
黒田裕樹 本当にそう思います。
通常でも登るのをためらう大きな崖を、ケガをして、しかも深夜で、なおかつ台風による横殴りの雨風が吹くという極めて悪条件の中を登りきったのですから、尋常な精神力ではとてもできなかったことでしょう。
灯台守の人の素早い行動もたいしたものですね。
台風ですから、駆けつけるだけでずぶ濡れになりますし、ましてや足元不如意ですから滑って怪我をしかねないというのに。
こういった「自己犠牲」の精神を多くの人が持っていたからこそ、次回(2日)以降の感動的な行動につながっていくんですよね。
明治19(1886)年、同じ紀州沖においてイギリスの貨物船ノルマントン号が沈没しましたが、この時にイギリス人の乗務員が全員脱出した一方で、乗っていた日本人の船客23人が見殺しにされるという悲劇が起きました。
明治政府は当然のように抗議しましたが、当時の我が国はイギリスと不平等条約を結ばされていた関係で、イギリス側に治外法権(ちがいほうけん)が認められており、我が国で起きた事件でありながら、我が国の法律で船長以下の乗組員を裁くことができなかったのです。
領事裁判権(りょうじさいばんけん)の不当さを見せ付けられた我が国と国民にとっては忘れられない事件となりましたが、同じ紀州沖で再び起きてしまった悲劇に対して、一人でも多くの生命を助けたいという悲壮(ひそう、悲しくも勇ましいこと)な思いが、海の男たちを動かしていたのでした。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
治外法権ですか。。
そんな事件がそれ以前にあったのですね・・。しかも日本人が全員見殺しにされてしまったなんて、居た堪れない事件でしたね。
治外法権と言えば、今ある米軍基地内で何かしら日本人が巻き込まれてしまった事件は、日本の法律では裁けないなんて事を伺った事がありますが、外国人が絡む事件は、今でもなかなか困難だなと思いますね。
日本で犯罪を犯しても、自国へ逃亡してしまえば、犯罪者では無くなってしまうなんて話も聞いた事があります。理不尽と言うか、そういう事がまかり通ってしまうのも、怖いものです。
応援凸
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吉田彦九郎 こんばんは!
ノルマントン号事件のことは詳しくは知りませんでしたが、”同じ悲劇を繰り返さない”との想いで、樫野の人々がエルトゥールル号の乗組員を懸命に救助したことはすばらしいことですね。台風の最中であり荒海に漕ぎ出すことを躊躇しそうなものですが樫野の漁師の勇気にも感服させられました。
私もトルコの人々を助けた樫野の人たちの人情と勇気を見習いたいと思いました。
勉強になりました。ありがとうございました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、外国人が事件に絡むと、現代においても国際関係上難しいものがあります。
ましてや不平等条約を無理やり結ばされたうえに、日本近海でありながら、自国人の生命のみを優先して日本人を見殺しにしたという事実は許しがたいものがあったでしょう。
そのうえで「同じ悲劇を繰り返してはならない」と外国人の救助に向かった樫野の漁民の皆さんの男意気には、本当に頭が下がる思いがします。
吉田彦九郎さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
樫野の人々の心意気には私も同じ思いです。
そして、彼らの勇気と友愛の精神は、この後にこそ大きく発揮されることになります。
明日(3日)以降の更新もぜひご覧下さい。
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智里 治外法権ってズルイよね!!
自分の国に有利で、日本にして見れはただ犠牲を払うだけだもの。
おかしな条約です(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
この海の男達は素晴らしいです!
同じ悲劇を繰り返さない。
それだけで嵐の海に出ることができるんだから。
真似したくても出来ませんよ!!
智里さんへ
黒田裕樹 > 治外法権ってズルイよね!!
> 自分の国に有利で、日本にして見れはただ犠牲を払うだけだもの。
> おかしな条約です(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そのとおりです。
江戸幕府の度重なる失政が生んだ不平等条約でもありますが、こういった不条理を見せ付けられることで、当時の日本人の「負けてたまるか!」という反骨精神が強まっていったのではないかと思います。なお、治外法権については明治27(1894)年にようやく撤廃されます。
> この海の男達は素晴らしいです!
> 同じ悲劇を繰り返さない。
> それだけで嵐の海に出ることができるんだから。
> 真似したくても出来ませんよ!!
当時の日本人の勇敢さと責任感の強さ、何よりもかけがえのない生命を大切にするために自己犠牲を問わない行動力には本当に頭が下がりますね。
「おい、しっかりしろ!」
「国へ帰るんだろ? 家族が待っているんだろうが!」
男たちは必死で呼びかけましたが、冷たくなった乗組員の遺体が自ら動くことはありませんでした。遠い国からやってきて、日本の海で死んでいく。百戦錬磨(ひゃくせんれんま、戦いを通じて経験豊富なさまのこと)の海の男たちの目からは、自然と無念の涙があふれ出していました。
そんな中、奇跡が起きました。
「おい、彼は息があるぞ!」
大怪我をしながらも、懸命に生命の灯を燃やし続けている人々がいました。しかし、長い間の遭難で体温が極端(きょくたん)に下がり、いつ燃え尽きてもおかしくない状態でした。男たちは自分も裸になって乗組員を抱き起こし、自らの体温で彼らを温めはじめました。
海の男たちのまさに身体を張った救助活動によって、69人の乗組員の生命が救い出されました。村人たちは助かった乗組員を救護所へと運びましたが、遭難者の生命を守るための戦いは、実はここからが本番だったのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
なるほど、感動極まって思わず
涙が出そうになりました(TT)
そういえば、雪国の人は寝る時に
あえて衣服をつけずに寝ると、とっても温かく寝られるんだよ・・なんて仰られている方がおりました
応援凸
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ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、感動極まって思わず
> 涙が出そうになりました(TT)
有難うございます。真実だからこそ実感できる感動がありますね。
> そういえば、雪国の人は寝る時に
> あえて衣服をつけずに寝ると、とっても温かく寝られるんだよ・・なんて仰られている方
寒いですからね。体温であったまるということなのでしょうか。
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智里 樫野の漁師には脱帽です。
きっと物凄い状況だったんでしょうね。
約1割の人しか残らなかったけど、樫野の漁師たちがいなかったら・・・・
きっと誰も生きていることが出来なかったでしょう。
生きて帰す・・・その想いってスゴイことです。
智里さんへ
黒田裕樹 周囲には軍艦の破片だらけのみならず、変わり果てた多くの人々の無残な姿…。
平和な環境に慣れた私たちには想像もつかない状況だったことでしょう。
そんな中から69人の生命を救い出した海の男たちには本当に脱帽ですね。
「必ず生きて帰す」という心意気が生んだ奇跡でもあったと思われます。
懸命の看護の中で、やはり食糧はすぐに尽きてしまい、残されたのは村人たちが非常食用に飼っているニワトリだけでした。これを食べさせたら自分たちの食糧が…。しかし、結果として村人たちは進んでニワトリを遭難者のために提供しました。
遠い異国の地からはるばる我が国にやってきて、帰ろうとしたら遭難して生命の危険にさらされている。これ以上の「非常時」が他にあるというのか―。そんな村人たちの心意気によって、69人の生命を取り留めることができたのでした。
エルトゥールル号の遭難は、紀伊大島の村長から和歌山県知事の手を経て、明治天皇に言上(ごんじょう、目上の人に申し上げること)されました。心を痛められた天皇陛下は直ちに医者や看護師を現地へ派遣されるとともに、体調が回復した生存者全員を、我が国の軍艦である「金剛」(こんごう)や「比叡」(ひえい)に乗せて、トルコまで送還されました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今回もなんと感動的なお話なんでしょうか(TT)
自分達の一番大切にしている鶏を
潰してまでも、尽くそうとするその
献身的な態度に心打たれます。。
まるで子を思う母親の深い愛情にも似た無償の愛。なかなか出来る事ではありません。
そういう経緯があったのですね。
自分の用事はさておき、すぐに駆けつけてくれる。自分の大切にしているものを投げ打ってまでも、相手に捧げてくれる。そんな思いを受け取った側は、一生、或いは末代までも
その恩義は語り次がれて行くのでしょうね。
良いお話をありがとうございます^^
それでは、応援凸
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紗那 同じ船人だったからこそ、伝わるものがあったんでしょうか? だとしたら、素敵なことですね。
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智里 非常用にとっておいた鶏を惜しげもなく食べさせる。
食料が無くなれば、自分達が生きるか死ぬかの世界なのに・・・・
人間、自分が1番可愛いのに、まずは異国の人にと思う気持ち、感動します。
そして明治天皇もスゴイ人ですよね。
自分の国の最高機密がぎっしりの軍艦に乗せて帰す。
どこで日本の秘密がばれるか分からないのにね。
樫野の人達、明治天皇、どちらもスゴイ人達です。
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オバrev 損得抜きで、自腹を切って、今最もやるべき事は何かを瞬時に判断し、実行された樫野の方達の心意気はあっぱれです。
それは誰しもの胸をうち、天皇陛下まで言上されたわけですが、天皇陛下の取られた行動も素晴らしいですね。
これだけで、日本とトルコの友好は大きく前進したことでしょうし、現在にも大きく影響しているんでしょう。
しかしこういう事実はほとんどの日本国民は知らないと思います・・・私は初耳でした。
近隣の外国から歴史認識を非難されたり、800兆円の借金やら不景気やら、37兆円しか税収がないのに、信じられないことに海外に住む外国人のために子供手当を配ることを決めたり、自虐的になってしまいそうな日本ですが、もっと日本人として誇りと自信を持てるような歴史教育をお願いしたいね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりと私も思います。
トルコにとっては不幸極まりない大惨事だったのですが、どん底の中で、自己犠牲も問わずに献身的な介護をしてくれた日本人に対する恩義の大きさが、やがて別の感動を生むことになります。
講座はまだまだ続きますので、最後までよろしくお願いします。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 同じ船人だったからこそ、伝わるものがあったんでしょうか? だとしたら、素敵なことですね。
そうですね。職業が似通っている分だけ、遭難の際の苦労が分かっているからこそ、より救助活動に力が入ったというのは十分考えられると思います。
智里さんへ
黒田裕樹 これぞ「自己犠牲」だと思います。
名もない村人から明治天皇まで、当時の日本人の気高い精神には、平和なご時世に慣れた私たちが見失った何かを見出せるのではないかと思います。
それだけに、こういった事実は多くの人々に知っていただきたいし、歴史教育では必ず取り上げるべきではないかと考えております。
オバrevさんへ
黒田裕樹 我が国の「影」の部分はことさら取り上げることが多い一方で、このような「真実の物語」が無視される傾向には大いに疑問を感じます。
> もっと日本人として誇りと自信を持てるような歴史教育をお願いしたいね
私が教師を目指すことになったきっかけのひとつでもあります。
早く何らかの形で復帰したいですね。
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天然中尉 なかなか、コメントを残せずに面目ないです。
エルトゥールル号の話は聞いたこともなかったです。村人達の覚悟には今の日本人にはない情熱を感じます。また、明治天皇という人物についてもほぼ見識がなかったのでとても勉強になる上に、お優しい御方と知れてよかったです。
天然中尉さんへ
黒田裕樹 > なかなか、コメントを残せずに面目ないです。
いえいえ、お忙しい中を有難うございます。
> エルトゥールル号の話は聞いたこともなかったです。村人達の覚悟には今の日本人にはない情熱を感じます。また、明治天皇という人物についてもほぼ見識がなかったのでとても勉強になる上に、お優しい御方と知れてよかったです。
本当にそうですよね。現代の私たちが忘れかけている情熱や優しさが、昔の日本人には備わっていました。そして、それらを我が国の象徴であられる明治天皇もお持ちであったという事実は、誇るべき歴史のひとつであると思います。