しかし、その一方で、我が国では国民の宗教に対する意識が低下して、いわゆる「無神論者」(むしんろんしゃ)が増えているのも現実です。日本人の宗教観のなさや、宗教に関する無関心さが、宗教を重んじる外国人との間でトラブルを引き起こしており、国内外で問題となっています。
また、政教分離を強調するあまり、我が国古来の風習である「神道との関わり」のすべてが否定される傾向があり、総理大臣や知事、市長などの公人(こうじん)が、役職名で神社に参拝したり、あるいは玉ぐし料を支出したりすることなどが憲法違反とみなされています。
政教分離に至る歴史の重みというものを、現代に生きる私たちがしっかりと受け止めるだけでなく、日本人として当然に持つべき宗教観の育成も、我が国にとっては重要な課題であると私は思います。そのためにも、宗教に対する知識や理解を深める一方で、杓子定規(しゃくしじょうぎ)な解釈(かいしゃく)で宗教との関わりを一切断ったりするようなことがないように私たちは心掛けるべきではないでしょうか。
(第12回歴史講座の記事はこれで終了です。)




いつも有難うございます。
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智里 歴史に大きな革命をもたらした政教分離。
だけども、いいことばかりじゃないんですね。
そうですね~、最近は若い人たちに「無神論者」が増えてきました。
かく言う自分もそうなのかもしれませんね。
ココ数年、総理や大臣がお参りすることが騒がれていますよね。
すべてを否定しないで、認め無いとダメな事はきちんと解釈して欲しいですね。
今回の講座はホント面白かったです!!
途中参加できませんでしたが、ちゃんと読む&見てましたよ。
次の講座も楽しみです♪
.
ぴーち こんばんは!
確かに宗教観と言うのは、かなり薄れていますよね。宗教観とまでは行かないかも知れませんが、昔は子供に親が、「悪いことをすれば、地獄へ落ちるよ」とか「閻魔様に舌を抜かれる」とか、「天知る、地知る、子知る、我知る」などと言われる様に、事ある毎に死後の世界や、天国、地獄の存在を教えていく事で、悪事を働けば、必ずその報いは身に降りかかると教えられたものでした。今、その様な宗教的な戒めが薄れている中、死んだらそれで終わり。あの世で報復などは無いなどと認識されているのが悲しいですね。
死ぬとその肉体は滅びても、魂は永遠に存在し、また、この世に生まれ変わるという「三世の生命』の教えなども、しっかりと子供達に教えてあげられたら、もっと治安も良くなり、自殺も無くなるのではないでしょうか。
応援凸
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オバrev なるほど、政教分離が無神論者を生む根本にあるというという考えは、確かにあるかもしれませんね。
しかし神道まで否定するのはどう考えてもやりすぎでしょう( -ω-)
仏教伝来よりはるか以前からの、日本人の考え方そのものじゃないんでしょうか?
が、何事も杓子定規にやり過ぎるというのも日本人ならではですかねエッ?
智里さんへ
黒田裕樹 > 歴史に大きな革命をもたらした政教分離。
> だけども、いいことばかりじゃないんですね。
> そうですね~、最近は若い人たちに「無神論者」が増えてきました。
> かく言う自分もそうなのかもしれませんね。
私も「浄土真宗本願寺派」の人間ですが、そこまで信心深いわけではないですからね。宗教への無知は、国際社会では不利に働くことが多そうです。
> ココ数年、総理や大臣がお参りすることが騒がれていますよね。
> すべてを否定しないで、認め無いとダメな事はきちんと解釈して欲しいですね。
「政教分離」と「文化としての宗教との関わり」は似て非なるものだと思います。神道や仏教、キリスト教などにかかわらず、私たちの暮らしに根付いている宗教的行為に対して寛容であるのも我が国の伝統だと思うのですが…。
> 今回の講座はホント面白かったです!!
> 途中参加できませんでしたが、ちゃんと読む&見てましたよ。
> 次の講座も楽しみです♪
有難うございます。明日(15日)からは鎌倉新仏教が始まりますので、こちらもお楽しみに!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに宗教観と言うのは、かなり薄れていますよね。宗教観とまでは行かないかも知れませんが、昔は子供に親が、「悪いことをすれば、地獄へ落ちるよ」とか「閻魔様に舌を抜かれる」とか、「天知る、地知る、子知る、我知る」などと言われる様に、事ある毎に死後の世界や、天国、地獄の存在を教えていく事で、悪事を働けば、必ずその報いは身に降りかかると教えられたものでした。今、その様な宗教的な戒めが薄れている中、死んだらそれで終わり。あの世で報復などは無いなどと認識されているのが悲しいですね。
我が国で古くからいわれ続けている「バチ当たり教」ほど、道徳面で役立ったものはないですよね。それに比べれば、今の世の中はあまりにも無機質で唯物論過ぎます。これも一種の思想統制なのでしょうか…。
> 死ぬとその肉体は滅びても、魂は永遠に存在し、また、この世に生まれ変わるという「三世の生命』の教えなども、しっかりと子供達に教えてあげられたら、もっと治安も良くなり、自殺も無くなるのではないでしょうか。
自分の命は自分ひとりのものではないですからね。魂の話などが、例えば総合学習の時間などでもっと取り上げられてもいいような気がします。
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スカイラインV35 確かに戦国の3英傑でさえ宗教そのものは弾圧していないというのに、現代のほうが退化してしまったような気さえしてしまいます。
というか、神道の中でも特に戦争を連想させるものは、目の敵にされているような印象があります。正月の首相の伊勢神宮、明治神宮の参拝は問題なく、その他にも年間を通して、地方の寺社仏閣にも立ち寄っていると思われますが、新聞も取り上げない。
この辺は占領時代の歪んだ洗脳が、いまだに効いているのかもしれません。
先生の仰るとおり、日本人としての宗教観の育成は非常に大事だと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど、政教分離が無神論者を生む根本にあるというという考えは、確かにあるかもしれませんね。
宗教への理解のなさが結局は無知につながり、宗教との関わりが薄くなることで宗教を信じなくても生きていけるという誤解を生むのだと思います。信心深いことは良いことなのですが…。
> しかし神道まで否定するのはどう考えてもやりすぎでしょう( -ω-)
> 仏教伝来よりはるか以前からの、日本人の考え方そのものじゃないんでしょうか?
> が、何事も杓子定規にやり過ぎるというのも日本人ならではですかねエッ?
仰るとおりで、仏教と神道とを見事に融合させる国民性があるのですから、何が何でも否定するという考え方は我が国の性に合わないと思います。それこそ外国的な匂いがしますね。
その一方で「回れ右」のごとく、一億総○○という気質もあるのが我が国のユニークなところですが(苦笑)。
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スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 確かに戦国の3英傑でさえ宗教そのものは弾圧していないというのに、現代のほうが退化してしまったような気さえしてしまいます。
封建社会では国家権力を維持するために逆らう勢力を弾圧する一方で、従順な勢力に対しては武力を背景に保護しましたからね。現代のように「気に入らないから弾圧」というのとは気質が全く異なりますし、仰るように我が国全体が幼稚になっているような気がします。
> というか、神道の中でも特に戦争を連想させるものは、目の敵にされているような印象があります。正月の首相の伊勢神宮、明治神宮の参拝は問題なく、その他にも年間を通して、地方の寺社仏閣にも立ち寄っていると思われますが、新聞も取り上げない。
> この辺は占領時代の歪んだ洗脳が、いまだに効いているのかもしれません。
仰るとおり、GHQの神道指令が我が国の足を引っ張り続けていますね。続けられているということは、そのことで利益になる勢力がいるということでもありますが、果たしてどんな存在なのでしょうか…。
> 先生の仰るとおり、日本人としての宗教観の育成は非常に大事だと思います。
有難うございます。宗教の専門家というにはあまりにもおこがましいですが、現代社会(=公民)の教師の端くれとして、我が国の国益にかなった宗教観の育成に賛助できればと常々考えております。
Masa 先生が述べていたように
宗教=平和のイメージがありましたが、
それはかの有名なお三方がもたらして下さったものだとは、
という、新たな発見(というか知識)を得ることができました。
毎回毎回、先生の講座はぼくの興味をくすぐる時代ばかりのチョイスありがとうございますw
次回以降並びに通常更新も楽しみにしています。