秀吉は、返す刀で同じ真言宗の高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)に対して、抵抗すれば焼討ちにするぞと脅(おど)しをかけて武装解除を迫りました。先に比叡山延暦寺が焼討ちされ、根来寺が滅ぼされたのを間近(まぢか)で見ていた金剛峯寺は、秀吉の脅しが本当であることを察(さっ)して、戦わずして武装解除に応じました。
秀吉は、降伏してきた金剛峯寺の私有地(しゆうち)である荘園を没収する代わりに、新たに寺領(じりょう)を与えました。これは、秀吉という国家権力によって、寺院が領地面においても支配されることになったことを意味しました。
また秀吉は、京都の方広寺(ほうこうじ)に木造の巨大な大仏を建立(こんりゅう)することを決断し、そのための釘(くぎ)などの材料のために利用することを口実(こうじつ)として、農民から刀狩(かたながり)を始めました。
一般には「天下統一のモニュメント」としての性格が強いとされる木造の大仏ですが、実は、もう一つの大きな目的があったのです。




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智里 比叡山延暦寺を見ても、根来寺は向かっていたんですね。
そして滅ぼされる・・・。
それを見ていた金剛峯寺は無益な争いをしなかったのは賢かったですね。
そしてそれを寺領にした秀吉は賢い(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
さらに大仏を造る名目で刀や武器を取り上げるやり方もいいですね。
武器がなかったら、無益な争いをさけれますからね!
刀狩りにはそう言った意味もあったんですね~。
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智里さんへ
黒田裕樹 > 比叡山延暦寺を見ても、根来寺は向かっていたんですね。
> そして滅ぼされる・・・。
> それを見ていた金剛峯寺は無益な争いをしなかったのは賢かったですね。
> そしてそれを寺領にした秀吉は賢い(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
おそらく根来寺は鉄砲を持っていたことで対抗できると思っていたのでしょう。それでも秀吉には勝てなかった。それを見た金剛峯寺が、無益な殺生や伝統の破壊を防ぐために降伏したのは、確かに賢明ですね。
また、武装解除をしたということは、秀吉の命令には無条件で従うということですから、寺領を唯々諾々(いいだくだく)と受け取るしかなく、今後も秀吉に逆らうことができなくなった。秀吉の作戦勝ちであると同時に、武装解除の末路を考えれば背筋が寒くなりますね(´・ω・`)
> さらに大仏を造る名目で刀や武器を取り上げるやり方もいいですね。
> 武器がなかったら、無益な争いをさけれますからね!
> 刀狩りにはそう言った意味もあったんですね~。
仰るとおりです。大仏は「刀狩の口実」「天下統一のモニュメント」という側面があるのですが、実はもう一つ、いちばん重要なのがあるんです。それが何かというと…次回(10日)をお楽しみに!(^_^)v
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ぴーち こんばんは!
そうですか。
刀狩りは辛うじて習った覚えがありますが、大仏建立を理由にしていたとは、驚きです!
しかしながら、もう一つの理由はと問われると・・。
自分の力を誇示する為でしょうか?
でも、それって「天下統一のモニュメント」と言う意味と重なってしまうんでしょうかね?
応援凸
.でた!
オバrev でた!秀吉と言えば検地と刀狩り。
刀狩りは、方広寺の大仏を建造するという名目で、農民から武器を取り上げたんですね(._.) φ メモメモ
物事を行うためには、納得させる大義名分が必用ですからね。それがないと反乱が起きるし、こういう人心把握が秀吉は秀でていたでしょうね。
ところで方広寺と言えば、後にその鐘の文面で家康からいちゃもんをつけられたお寺ですかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか。
> 刀狩りは辛うじて習った覚えがありますが、大仏建立を理由にしていたとは、驚きです!
口実はいくらでもつくれるものですからね。これも秀吉の作戦勝ちといったところでしょうか。
> しかしながら、もう一つの理由はと問われると・・。
> 自分の力を誇示する為でしょうか?
> でも、それって「天下統一のモニュメント」と言う意味と重なってしまうんでしょうかね?
ヒントは…今回の「政教分離」と関連があるかもしれませんね(^^♪
明日(10日)の更新をお楽しみに!
オバrevさんへ
黒田裕樹 > でた!秀吉と言えば検地と刀狩り。
> 刀狩りは、方広寺の大仏を建造するという名目で、農民から武器を取り上げたんですね(._.) φ メモメモ
> 物事を行うためには、納得させる大義名分が必用ですからね。それがないと反乱が起きるし、こういう人心把握が秀吉は秀でていたでしょうね。
「人たらし」の秀吉の面目躍如と言ったところでしょうか。
秀吉の政策にはこういったウイットな面が多いですね。
> ところで方広寺と言えば、後にその鐘の文面で家康からいちゃもんをつけられたお寺ですかね?
さすがに良くご存知ですね(^^♪
この講座でも紹介する機会があるかも!?
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結局、ほとんどの宗派が秀吉の招待に応じましたが、その中で出仕(しゅっし)を断固として拒(こば)んだ宗派がありました。日蓮宗の不受不施派(ふじゅふせは)です。
日蓮宗は自己の宗派以外は一切認めないという排他的(はいたてき)な性格を持っており、そのために自派以外の人間に対しては施(ほどこ)しをしない(=不施)という思想がありました。その一方で、他の宗派の人間からの施しは受けいれようとする考えが広まりましたが、それすらも認めずに、他派からの一切の施しを拒否する(=不受)という主義を貫(つらぬ)いたのが不受不施派でした。
これは、権力者側から見れば国家による統制を受けないどころか、国家権力そのものを認めないという危険な思想になります。方広寺の落成供養は、宗教勢力が秀吉に、すなわち国家権力に屈するかどうかを試される「踏(ふ)み絵」の性格を持っていました。そして、この踏み絵によってあぶり出された日蓮宗の不受不施派は、この後に国家権力による弾圧を受け、江戸時代にはキリスト教とともに禁止されてしまいました。




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智里 落成の記念に、すべての宗派を呼ぶなんてスゴイですね!!
自分の力の誇示をこう言った形で見せるなんて(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そして日蓮宗不受不施派もある意味、自分達を貫き通すとはこれもスゴイ!!
どんな権力にも屈しないのはちょっとヤバイですよね。
それで圧力を受けて禁止になったんですね。
お見事
オバrev 方広寺建立によって、刀狩りで農民から武器を取り上げ、全国の宗派を招待して、秀吉に従わない宗派をあぶり出すとは・・・
鮮やかというか、お見事ですね。
やられた方も、こりゃ、しかたないなと諦めざるを得ないでしょうね ^^;
智里さんへ
黒田裕樹 > 落成の記念に、すべての宗派を呼ぶなんてスゴイですね!!
> 自分の力の誇示をこう言った形で見せるなんて(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
全国の宗派が自分に従うかを見定めるには絶好の機会でしたからね。秀吉クラスの天下人でないととても実行できなかったであろう大きなスケールだと思います。
> そして日蓮宗不受不施派もある意味、自分達を貫き通すとはこれもスゴイ!!
> どんな権力にも屈しないのはちょっとヤバイですよね。
> それで圧力を受けて禁止になったんですね。
この当時は封建社会でしたから、国家権力に逆らう宗教を弾圧するのは仕方がなかったと思います。結果としてあぶりだされることになってしまった日蓮宗不受不施派が気の毒な気もしますが…。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 方広寺建立によって、刀狩りで農民から武器を取り上げ、全国の宗派を招待して、秀吉に従わない宗派をあぶり出すとは・・・
> 鮮やかというか、お見事ですね。
方広寺の大仏建立という一つのイベントだけで、ここまでの大きな成果を挙げるわけですから、確かに非常に効率的ではありますね。さすがに天下を統一できる人物だけのことはあります。
> やられた方も、こりゃ、しかたないなと諦めざるを得ないでしょうね ^^;
ここで主張を曲げては自分たちの信心に反することになりますから、どうすることも出来なかったでしょう。いつの世も、国家権力に対抗するにはそれなりの覚悟が必要ということですね。
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HANA子 秀吉にしろ家康にしろ、相手を退く事も進む事も出来ない状況に追い込んで大義名分を作り、敵を叩く戦略をよく用いてました
その事の是非はともかく、「勝ち易きにして勝つ」という兵法の大前提を実践しているという一事ですでに将帥としての非凡を表していると思います
そういえば、今回の件は小田原攻めでの大名達の恭順を測った一件と似てますね
こんばんは
スカイラインV35 やはり豊臣秀吉の戦略が目を引きますね。天下統一には体力、気力と共に頭脳も猛烈に使うんでしょうね。
そして、不受不施派のエネルギーも猛烈だったんでしょうね。
為政者も社会を安定させるのにも命懸けですね。
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 秀吉にしろ家康にしろ、相手を退く事も進む事も出来ない状況に追い込んで大義名分を作り、敵を叩く戦略をよく用いてました
> その事の是非はともかく、「勝ち易きにして勝つ」という兵法の大前提を実践しているという一事ですでに将帥としての非凡を表していると思います
そのとおりですね。勝ちを確実に得るためには、相手を追い込むことも重要ですから、優秀な武将であることの証左と言えます。
> そういえば、今回の件は小田原攻めでの大名達の恭順を測った一件と似てますね
確かに似ていますね。圧倒的な兵力差だからこそ出来る「王者の戦い」なのかもしれません。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > やはり豊臣秀吉の戦略が目を引きますね。天下統一には体力、気力と共に頭脳も猛烈に使うんでしょうね。
私もそう思います。すべてにおいて他人より抜きんでていないと、時代を動かす英雄には成り得ないということでしょうか。
> そして、不受不施派のエネルギーも猛烈だったんでしょうね。
> 為政者も社会を安定させるのにも命懸けですね。
他人の施しを受けないというのは、相当な覚悟がないと出来ませんからね。それだけエネルギーが強いからこそ、為政者も警戒して弾圧したと考えられます。
いつの世も政治は命がけでないと成し得ないものなのでしょう。
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ぴーち こんばんは!
確かに日蓮の教えの流れを受け継ぐある宗派は、他の宗派を邪宗と呼び、排他的な思想である為にその分、信者は他の宗派よりも少人数であり、あらゆる弾圧にも屈しない為に「針金宗」という俗称もあるほどですよね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに日蓮の教えの流れを受け継ぐある宗派は、他の宗派を邪宗と呼び、排他的な思想である為にその分、信者は他の宗派よりも少人数であり、あらゆる弾圧にも屈しない為に「針金宗」という俗称もあるほどですよね。
仰るとおり、日蓮宗の排他性は他の宗教よりも一層激しいうえに、宗派をかえることを断固として拒否しますから、権力にも屈しない強い信仰心がありますね。それだけに、不受不施派が当時は目の敵にされやすかったということなのかもしれません。
秀吉はこの他にも、前回(第11回)の講座で詳しく紹介したように、我が国の侵略への手段と化していたカトリックを禁止し、侵略に対抗する手段の一つとして、先制攻撃の意味を含めて朝鮮出兵(ちょうせんしゅっぺい)も行いました。カトリックに対する我が国の強硬(きょうこう)な態度は、秀吉の後に天下の覇者(はしゃ)となった徳川家康にも引き継がれ、江戸幕府によってキリスト教は徹底的に弾圧されました。
こうして国家権力に忠誠を誓わされることになった宗教勢力ですが、かつて信長に長年対抗した本願寺の勢力は未(いま)だに健在であり、1592年に顕如が亡くなったことで、石山退去の際に徹底抗戦(てっていこうせん)を主張した教如(きょうにょ)が本願寺を継承(けいしょう)するなど、不穏(ふおん)な気配が漂(ただよ)っていました。
しかし、思わぬトラブルが発生したことで、鉄の結束(けっそく)を誇った本願寺の土台が大きく揺(ゆ)らぐことになるのですから、世の中というのは本当に分かりません。




いつも有難うございます。
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JJSG こんにちは。
石山戦争において、和戦と抗戦の意見対立をきっかけとして本願寺が東西に二分されてしまうんですよねぇ。。。
所詮愚かな人間ですから、意見対立、ケンカは避けられませんが、悲しいことです。
そして、仏教、親鸞聖人の教えについまで分裂していってしまい、今日に至る。
親鸞聖人の教えは一つしかないので、そこで結束せねばならないと思いますが、それがまた難しい。。。
続きをまた楽しみにしてます♪
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 石山戦争において、和戦と抗戦の意見対立をきっかけとして本願寺が東西に二分されてしまうんですよねぇ。。。
> 所詮愚かな人間ですから、意見対立、ケンカは避けられませんが、悲しいことです。
さすがに良くご存知でいらっしゃいますね。
この講座でも次回(12日)から詳しく紹介させていただきます。
> そして、仏教、親鸞聖人の教えについまで分裂していってしまい、今日に至る。
> 親鸞聖人の教えは一つしかないので、そこで結束せねばならないと思いますが、それがまた難しい。。。
> 続きをまた楽しみにしてます♪
有難うございます。
分裂は確かに残念なことですね。
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HANA子 なるほど、東と西への・・・ってもう言われちゃってましたorz
歴史上どんなに強大な国家も跡目争いで揉めると脆いもんですもんね
本願寺も例外ではないってことですか~
HANA子さんへ
黒田裕樹 > なるほど、東と西への・・・ってもう言われちゃってましたorz
> 歴史上どんなに強大な国家も跡目争いで揉めると脆いもんですもんね
> 本願寺も例外ではないってことですか~
言われてしまいました(笑)。
基本的には仰るとおりだと思いますが、お家騒動が起こったとしても、自主的に解決できる道もあったはずなんですよね。それをわざとこじれさせたのが…というわけなんです(^^ゞ