宗教勢力は信長の申し出を拒否したのみならず、1570年に信長が妹婿(いもうとむこ)の浅井長政(あざいながまさ)の裏切りにあって窮地(きゅうち)に陥(おちい)った際に、天台宗は浅井・朝倉(あさくら)軍に比叡山を前線基地として提供し、また本願寺は当主の顕如(けんにょ)の決断によって信長に敵対したばかりでなく、動けない信長を尻目(しりめ)に各地で一向一揆を起こし、信長の弟を切腹に追い込みました。
つまり、信長は宗教勢力によって弟を殺されたばかりか、自身の生命すら奪われかねない危機に見舞われたのです。これらの仕打ちに激怒した信長は、1570年の危機を何とか脱出すると、自衛の意味も兼ねて、宗教勢力に対して当然ともいえる報復行動を開始しました。
1571年9月、信長軍は比叡山延暦寺の焼討ちを敢行(かんこう)しました。業火(ごうか)に焼かれて逃げ惑(まど)う僧兵や僧侶、あるいは避難(ひなん)してきた老若男女(ろうにゃくなんにょ)を問わず、延暦寺に味方した者は、信長軍によってことごとく首をはねられました。
かくして、最澄(さいちょう)による開山(かいざん)から700年以上の歴史を誇り、政界に対して巨大な影響力を持ち続けた延暦寺は、信長によって武装解除(ぶそうかいじょ)を余儀(よぎ)なくされたのです。




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ぴーち こんばんは!
文章を読ませていただいただけでも、
恐ろしい地獄絵図が浮かんでくるような
場面ですね
大汗)
弟を殺害されてしまった信長の怒りは相当なものだったのでしょうけれど、宗教勢力が信長の申し出を断っただけには収留まらず、信長の弟まで殺めてしまった経緯が気になる所ですが・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 文章を読ませていただいただけでも、
> 恐ろしい地獄絵図が浮かんでくるような
> 場面ですね
> 大汗)
そうですね。現実はもっとおどろおどろしかったことでしょう(>_<)
それが時代とはいえ、悲しい出来事です。
> 弟を殺害されてしまった信長の怒りは相当なものだったのでしょうけれど、宗教勢力が信長の申し出を断っただけには収留まらず、信長の弟まで殺めてしまった経緯が気になる所ですが・・。
一つはやはり権益を手放すことが惜しかったからでしょう。もう一つは信長の身分が(当時は)低かったことで「あいつごときに何ができる」と見下していたとも考えられます。そんな流れの中で、信長が窮地に陥り、滅ぼす絶好の機会と思ったのでしょう。
しかし結果として失敗に終わったことで、延暦寺や本願寺は途方もなく大きな「代償」を支払うことになります…(´・ω・`)
.
智里 なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
折角の保護を蹴って信長を追い込んだのに、逆にやっつけられちゃったんですね。
信長が、なんで比叡山延暦寺に火を放ったか?
無差別殺略をしたのか?
本当のことを何も知らなったので、すっごく勉強になりました!!
怒り任せにやったのではなく、今後の宗教団体の脅威をなくすためだったんですね。
それなら比叡山も焼き打ちに有ってもしかたがないです。
宗教が政治に介入して権力を持つと、ろくな事にならないんですね。
智里さんへ
黒田裕樹 > なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 折角の保護を蹴って信長を追い込んだのに、逆にやっつけられちゃったんですね。
寺院側は「信長ごときに何ができる!」と思ったのかもしれませんが、敵に回ってしまったのはやりすぎでしたね。
> 信長が、なんで比叡山延暦寺に火を放ったか?
> 無差別殺略をしたのか?
> 本当のことを何も知らなったので、すっごく勉強になりました!!
> 怒り任せにやったのではなく、今後の宗教団体の脅威をなくすためだったんですね。
> それなら比叡山も焼き打ちに有ってもしかたがないです。
本文にもありますが、申し出を断ったのみならず、先に手を出したのは寺院側ですからね。信長の一見残虐な行為にも筋が通っているわけです。
いつものことですが、私たちは一方的な立場でしか物事を見ない、あるいは見せてもらえないことが多すぎますね(´・ω・`)
> 宗教が政治に介入して権力を持つと、ろくな事にならないんですね。
残念ながらそのとおりと言わざるを得ませんね。
業(ごう)を煮(に)やした信長は、1574年の伊勢長島(いせながしま、現在の三重県桑名市付近)の一向一揆の勢力を陸地からだけでなく海からも取り囲み、一揆勢を徹底的に殺戮(さつりく、多くの人をむごたらしく殺すこと)したのみならず、降伏した人々を老若男女を問わずに焼き殺しました。
その後、信長は一向一揆の本拠地である石山本願寺を攻め立てましたが、山科での焼討ちの教訓から寺院を城並みに改築していた本願寺の防衛力は高く、また海から毛利家(もうりけ)の水軍によって物資が絶えず輸送され続けたこともあって、信長軍は苦戦しました。
信長は、船の周囲に薄(うす)い鉄の板を巻くことで防御力を高めた鉄甲船(てっこうせん)を建造して、1578年に毛利水軍を追い出すことに成功しました。物資が届かなくなったことで本願寺側は徐々(じょじょ)に追いつめられると、1580年に顕如が信長に降伏し、石山を退去しました。また、本願寺が降伏したことで、加賀の一向一揆の勢力も滅ぼされ、100年近くに及んだ支配にピリオドが打たれました。
こうして、信長は約10年の歳月と、数え切れないほどの多くの血を流した末に、巨大な圧力団体と化した本願寺の武装解除に成功したのです。




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まり姫 黒田さんこんばんは☆
つまらないことかもしれませんが、できれば拍手ボタンを設置していただけないでしょうか(*^.^*)エヘッ
そうしていただけると拍手コメもできますので御一考くださいませ(。^p〇q^。)プッ
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智里 信仰の為に死をも恐れぬ人達・・・
いまもどこかの国ではこんな人たちがいますね。
当時の日本にもそんな人たちが、内戦をおこしていたんですね。
信長にしてみれば1人でも残したら、またその人が先頭を切って一揆を起こしかねないから、皆殺しにしたんでしょうね。
本願寺も比叡山が落ちた時に、素直に武装を解除していれば、死ななくてもいい人がたくさん居たのにね。
仏の道を学んだ僧侶がそんな事に気付かないなんて・・・悲しいですね。
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ぴーち こんばんは!
今日は誕生日の温かいメッセージをいただき、ありがとうございましたm(__)m
今日のお話は、昨日にも増して
凄まじいシーンが想像されますね(><)
信長の恨みに満ちた形相が浮かんで参ります(^^A
しかし、一口に10年と言っても
その歳月は長いですね。
それだけ、信長の野望は強かったのでしょうね。(あれ?何処かで聞いたような
タイトル?)
それでは、応援凸
まり姫さんへ
黒田裕樹 拍手ボタンですか…。そういえば置いていませんね。
通常のコメ返しに専念するつもりで当初から設けなかったのですが、そのまま続いていますね。そろそろ考える時期かも…。
智里さんへ
黒田裕樹 > 信仰の為に死をも恐れぬ人達・・・
> いまもどこかの国ではこんな人たちがいますね。
> 当時の日本にもそんな人たちが、内戦をおこしていたんですね。
> 信長にしてみれば1人でも残したら、またその人が先頭を切って一揆を起こしかねないから、皆殺しにしたんでしょうね。
確かに存在しますね。百歩譲って信仰のために自裁するのは仕方がないとしても、何の罪もない人々の生命を奪うことは絶対に許されません。
そのためにも、根絶やしにするしか他に方法がなかったというのは的を射ているといえるでしょう。
> 本願寺も比叡山が落ちた時に、素直に武装を解除していれば、死ななくてもいい人がたくさん居たのにね。
> 仏の道を学んだ僧侶がそんな事に気付かないなんて・・・悲しいですね。
まさに仰るとおりです。顕如の決断一つで、敵や味方を含めて、どれだけ多くの人々の生命が助かったでしょうか。歴史の結果は時として残酷です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> 今日は誕生日の温かいメッセージをいただき、ありがとうございましたm(__)m
いえいえ、記念日を祝う習慣は大事なものですからね(^o^)丿
> 今日のお話は、昨日にも増して
> 凄まじいシーンが想像されますね(><)
> 信長の恨みに満ちた形相が浮かんで参ります(^^A
> しかし、一口に10年と言っても
> その歳月は長いですね。
確かに想像したくない場面ですね(´・ω・`)
10年はいかにも長すぎます。それだけ信長の恨みや目的達成のための執念が凄かったともいえるでしょう。同時に顕如の決断があまりにも遅すぎたことが残念でなりません。
> それだけ、信長の野望は強かったのでしょうね。(あれ?何処かで聞いたような
> タイトル?)
私も若い頃は良くやってましたっけ(^^♪
.
HANA子 宗教というものは基本的に排他的なものですよね
自分達の教えが正しい、信じないと救われないぞ。
まして他宗派を信じるなんて事は間違った神(仏)を信じることになるんだから最も重い罪になるぞ・・・
ですもんね
そういう存在が武力を持ち、政治力を持つことがいかに恐ろしいことかっていうことなわけで
先だっての講座でお話された、キリスト教が欧州列強の外征の手段であったことを合わせると、その恐ろしさに背筋が寒くなります
「虐殺者」と呼ばれようとも臆することなく、断固たる決意で宗教勢力の排除を行った織田信長の精神的タフネス・・・やはり常人ならざる凄さを持つからこそ”英雄”と呼ばれるんでしょうね
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 宗教というものは基本的に排他的なものですよね
> 自分達の教えが正しい、信じないと救われないぞ。
> まして他宗派を信じるなんて事は間違った神(仏)を信じることになるんだから最も重い罪になるぞ・・・
> ですもんね
> そういう存在が武力を持ち、政治力を持つことがいかに恐ろしいことかっていうことなわけで
> 先だっての講座でお話された、キリスト教が欧州列強の外征の手段であったことを合わせると、その恐ろしさに背筋が寒くなります
排他的+武力+政治力ですからまさしく最強といえるでしょう。今でも続いていたらと思うと、確かに背筋が寒くなりますね。
> 「虐殺者」と呼ばれようとも臆することなく、断固たる決意で宗教勢力の排除を行った織田信長の精神的タフネス・・・やはり常人ならざる凄さを持つからこそ”英雄”と呼ばれるんでしょうね
英雄の条件は「強靭(きょうじん)な精神力」もその一つで間違いないですね。
パイオニアはいつの世も周囲に理解されないものですし。信長はやはり世界史級の英雄です。
しかし、当時は「食うか食われるか」の戦国時代であるうえに、信長は宗教勢力によって先に生命を狙(ねら)われたのみならず、弟を殺されているのです。だとすれば、信長の行為には当然ともいえる報復という一面も存在しますし、また信長には「宗教勢力を解体して国民の希望する平和な世の中を実現する」という大義名分もありました。
従って、信長の行為は単純に虐殺(ぎゃくさつ)と決めつけられるものではなく、歴史の大きな流れの中では、やむを得ない決断という見方もできるのではないでしょうか。
また、信長は自分に逆らう宗教勢力には容赦(ようしゃ)なく牙(きば)をむきましたが、宗教そのものは決して弾圧(だんあつ)していません。例えば、延暦寺の焼討ち後も天台宗の禁教令(きんきょうれい)は出していませんし、一向宗が石山本願寺を明け渡した際にも、今後の布教は自由としているのです。




いつも有難うございます。
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智里 一般的に信長は残虐行為をした!って言われてますが、それにはそれなりの理由が有ったんですね。
一概に信長を一方的に悪く言うのは間違ってますね。
自分を追い込んだ宗教団体にも、その後の布教の自由を与えたのは、流石としか言いようが有りません。
智里さんへ
黒田裕樹 > 一般的に信長は残虐行為をした!って言われてますが、それにはそれなりの理由が有ったんですね。
> 一概に信長を一方的に悪く言うのは間違ってますね。
現代ならともかく「理由なき殺人」などは通常ならあり得ませんからね。ましてや「報復」という大義名分のある信長の考えには聞く耳を持つべきです。
> 自分を追い込んだ宗教団体にも、その後の布教の自由を与えたのは、流石としか言いようが有りません。
「信仰としての宗教」と「圧力団体と化した宗教」とを明確に区別していますからね。これが政教分離の原点になったことは間違いありません。
トップの器
オバrev 信長は、現状を正確に分析して、やり方は残虐ではありますが、最も最短で効果的な方法をとったのかもしれません。
そして、ビジョンもはっきりしていたので、宗教弾圧ということはしなかったのかな。
これは明治維新に匹敵するような大きなエネルギーを伴う改革かもしれませんね。
こういう大幅な改革には、トップの強いリーダーシップ=独裁が必要であるというのが歴史的事実なでしょうか。
となると、国家のためにというビジョンのしっかりしたトップならいいけど、私利私欲をあらわにするようなト器の小さいトップだったら悲劇ですね(>_<)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 信長は、現状を正確に分析して、やり方は残虐ではありますが、最も最短で効果的な方法をとったのかもしれません
> そして、ビジョンもはっきりしていたので、宗教弾圧ということはしなかったのかな。
> これは明治維新に匹敵するような大きなエネルギーを伴う改革かもしれませんね。
私もそう思います。
2月の講座でも紹介しましたが、信長には後の世で「英雄」と呼ばれるための要素がそろっていたといえるでしょう。それゆえに信長は世界史級の人物であり、我が国の歴史を大きく変えたと考えております。
> こういう大幅な改革には、トップの強いリーダーシップ=独裁が必要であるというのが歴史的事実なでしょうか。
> となると、国家のためにというビジョンのしっかりしたトップならいいけど、私利私欲をあらわにするようなト器の小さいトップだったら悲劇ですね(>_<)
悲劇よりもある意味「喜劇」かもしれませんよ(他の国にとっては)。
.
HANA子 信長の宗教勢力への対応は、とかく殲滅戦、虐殺の側面ばかりがクローズアップされていますけど、では他に手段があったかって話なんですよね
宗教的熱狂に支えられた集団、いわば今で言う「カルト」に対しては、相手の言うがままの「妥協」か、徹底的な「対決」の道しかありえない訳で、信長には屈服と同義の妥協の道はありえなかった
であるから、信長の対応は対決勢力は禍根を残すことなく徹底的に叩くという戦争の大原則を信長は守ったというだけのことなんですよね
結果として信長は宗教的軍事勢力の政治への介入の根を摘み取ることが出来たと
このエピソード、歴史上の事象を現代の目線で見てはならないという原則の例の一つではないかと思うわたしです
HANA子さんへ
黒田裕樹 現実として認められないという人もいるかもしれませんが、HANA子さんのお考えには私の同意しますね。妥協するか、さもなくば殺されるか。選択肢が限られていた以上、仰るとおり禍根を断つためにも抹殺するしか手段はなかったでしょう。
現代の目で過去の歴史を見てはならない、一つの典型的な例ですね。
.初めてコメントさせていただきます
へたおば 学生ではなくなって大分経ってから
歴史というものが、楽しく思えるようになりました。
みなさんのコメントを読ませて頂くと、私みたいなノー天気なものが、コメントしていいのかしら?とも思いますが・・・軽く流して下さい。
というのも、信長は歴史上の人物で一番好きです。(ばかっぽいですね)その時代に必要とされた逸材だったんですよね!時代が違えば、極悪犯罪者になっていたかも(笑)私はとても『機』というのを大事にします。カリスマ性と力と機が揃わなければ覇業は成しえないんじゃないかしら(って偉そうに)
これからも、楽しく訪問させていただきます。
へたおばさんへ
黒田裕樹 > 学生ではなくなって大分経ってから
> 歴史というものが、楽しく思えるようになりました。
> みなさんのコメントを読ませて頂くと、私みたいなノー天気なものが、コメントしていいのかしら?とも思いますが・・・軽く流して下さい。
はじめまして!
いえいえ、何を仰います。皆様からのお言葉は大歓迎ですよ。よろしければ、今後も是非コメントされて下さいね。
> というのも、信長は歴史上の人物で一番好きです。(ばかっぽいですね)その時代に必要とされた逸材だったんですよね!時代が違えば、極悪犯罪者になっていたかも(笑)私はとても『機』というのを大事にします。カリスマ性と力と機が揃わなければ覇業は成しえないんじゃないかしら(って偉そうに)
仰るとおりと私も考えております。信長は時代が生んだ覇者であり、英雄でもあります。無論綺麗事ばかりで片付けられませんが、彼がやらなければ、結果としてもっと大勢の人々の血が流されたかもしれませんし。
> これからも、楽しく訪問させていただきます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
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虫@貯蓄 いつも拝見させてもらってます(*´ω`*)
虫は信長の覇王としての徹底した所は物凄く好きでした(ノ´∀`*)
今と違って報復が容易に行われる世の中なのですから、
危険な者は処分しておくのが生きる為には必要なことだと思います(*ノ∀ノ)
虫@貯蓄さんへ
黒田裕樹 > いつも拝見させてもらってます(*´ω`*)
有難うございますm(_ _)m
> 虫は信長の覇王としての徹底した所は物凄く好きでした(ノ´∀`*)
> 今と違って報復が容易に行われる世の中なのですから、
> 危険な者は処分しておくのが生きる為には必要なことだと思います(*ノ∀ノ)
仰るとおりだと私も思います。
当時の物の見方であれば、信長の手法がいちばん後に尾を引くことがなかったことでしょう。
現代とは時代が違うということを、私たちは肝に銘じなければなりません。
「信長による大量虐殺」という結果のみをとらえて歴史を判断することは、歴史の流れや物事の本筋を見極めることなく、現代の感覚で一方的に断罪してしまうという間違いを犯(おか)すことになりますので、くれぐれも注意が必要です。
さて、信長によって解体された宗教勢力でしたが、信長が天下統一目前で暗殺されたことで、再び勢力を拡大することも予想されました。また、この当時に広まり始めたカトリックも、欧州(おうしゅう)の白人至上主義(はくじんしじょうしゅぎ)と結びつくことによって、我が国への侵略を虎視眈々(こしたんたん、じっと機会をうかがうこと)と狙っていました。
宗教勢力を政治と関わらせないための戦いは、信長から天下統一事業を引き継いだ秀吉によって、第二ラウンドを迎えようとしていました。




いつも有難うございます。
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智里 信長から秀吉へ、いよいよ第二幕の幕開けですね。
そして、宗教も仏教からキリスト教。
比叡山延暦寺の事件よりも大きな事件が起こるんですね!
日本を変える大きな事件・・・楽しみですね~♪
智里さんへ
黒田裕樹 > 信長から秀吉へ、いよいよ第二幕の幕開けですね。
> そして、宗教も仏教からキリスト教。
> 比叡山延暦寺の事件よりも大きな事件が起こるんですね!
> 日本を変える大きな事件・・・楽しみですね~♪
確かに我が国の行く末を決める大きな事件が続きますね。
朝鮮出兵については前回の講座で紹介しましたから、今回は国内の「事件」が主体となりますが、皆様がご存じないことも多いかもしれませんね。どうぞお楽しみに!(^o^)丿
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ぴーち こんばんは!
政教分離という意味では、現代よりも
この頃の時代の方がむしろ、厳格に分離させて考えるべきだと言う思いが強かったのでしょうか?
現代の政治と宗教は、特に日本は政教分離を謳ってはいるものの、(
正確にはどこにも書いてはいないかも知れませんが)内情は宗教がらみの政治団体はあるものですしね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 政教分離という意味では、現代よりも
> この頃の時代の方がむしろ、厳格に分離させて考えるべきだと言う思いが強かったのでしょうか?
> 現代の政治と宗教は、特に日本は政教分離を謳ってはいるものの、(
> 正確にはどこにも書いてはいないかも知れませんが)内情は宗教がらみの政治団体はあるものですしね。
少し前に他の方のコメ返に書かせていただきましたが、現代では宗教団体の関係者が政治活動をさせないことは法の下の平等に反する、という定説があります。とへいえ、仮にそんな政党が国の実権を完全に握ったら、政教分離とはいえなくなる、という仮説も成り立ちますね。難しいものです。
別の視点から
JJSG こんにちは。
毎日続けて読んでます♪
とっても勉強になっています。
ありがとうございます。
信長の視点からの歴史観、学ばせて頂きました。
逆に民衆の視点からの歴史観もあるので、それについて言いたい書きたい心を我慢して、読ませていただきました。
浄土真宗(一向宗)の立場にたてば、また違う歴史の見え方がしますよ♪
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 毎日続けて読んでます♪
> とっても勉強になっています。
> ありがとうございます。
いえいえ、こちらこそ連日ご訪問下さって有難うございます。
> 信長の視点からの歴史観、学ばせて頂きました。
> 逆に民衆の視点からの歴史観もあるので、それについて言いたい書きたい心を我慢して、読ませていただきました。
> 浄土真宗(一向宗)の立場にたてば、また違う歴史の見え方がしますよ♪
仰ることはごもっともと思います。
もうすぐ浄土真宗が誕生する経緯についてブログで紹介する機会があるかと思いますので、その際にはまたお言葉をいただくことになるかもしれません。