6世紀になって、朝鮮半島の百済(くだら)から仏教が伝えられると、当初は古来の神道(しんとう)との間で激しい争いが起きましたが、聖徳太子(しょうとくたいし)が憲法十七条(けんぽうじゅうしちじょう)で仏教を厚く信仰するように定めた頃からは、次第に国の宗教として定着していきました。
時は流れ、平安時代初期の弘仁・貞観文化(こうにん・じょうがんぶんか)の頃になると、仏教は神道と調和し融合(ゆうごう)することで、神社の境内(けいだい)に神宮寺(じんぐうじ)を建てたり、寺院の境内に守護神(しゅごしん)をまつり、神前で読経(どきょう)したりするという、いわゆる神仏習合(しんぶつしゅうごう)が見られるようになりました。
国風文化の頃にはさらに進化して、我が国の八百万(やおよろず、非常に多いという意味)の神々は、実は様々な仏が化身(けしん、仮の姿という意味)として現れたとする、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が唱(とな)えられるようになり、仏教は我が国の風土に完全に合致(がっち)するようになりました。
しかし、仏教が国の保護を受けて定着していった一方で、朝廷を悩ませる新たな問題も発生していたのでした。




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伝次郎 昔も今も、おそらくこれからも日本の神道は苦難の道になりそうですね。
欧米の宗教と一緒にしてはいけないし、外国から誤解されるのも注意が必要ですね。
伝次郎さんへ
黒田裕樹 > 昔も今も、おそらくこれからも日本の神道は苦難の道になりそうですね。
> 欧米の宗教と一緒にしてはいけないし、外国から誤解されるのも注意が必要ですね。
確かにそうですね。神道を宗教と誤解するところに、我が国の不幸があるのかもしれません。
敗戦の爪あとはまだまだ残っているということでしょうか。
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ぴーち こんばんは!
宗教の話は正直難しいですよね^^;
それぞれの宗派により、教えが異なりますし。多神教国でいられるというのは、「和」を持って尊しとなすと言う日本人ならではなのかも知れませんね。
特に仏教は厳しく、教えが深いので、国の宗教として長続きさせるというのは困難だったのでは無いでしょうか。
それともまた、違った理由があるのかしら・・・?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 宗教の話は正直難しいですよね^^;
> それぞれの宗派により、教えが異なりますし。多神教国でいられるというのは、「和」を持って尊しとなすと言う日本人ならではなのかも知れませんね。
我が国では、存在するすべてのものに神様がついているという教えがありますから、外来の仏教も「和」の中で自然と溶け込んでいったといえるでしょう。
> 特に仏教は厳しく、教えが深いので、国の宗教として長続きさせるというのは困難だったのでは無いでしょうか。
> それともまた、違った理由があるのかしら・・・?
前の文章とかぶりますが、国の宗教として定着させるには、古来の神道と融合するのが一番の近道だったと思われます。
もっとも、仏の道を究めるのは厳しい修行が必要だったのですが、それも時代とともに変化していきました。このあたりは今回の講座終了後に紹介できると思います。
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HANA子 宗教戦争っていうと日本には縁がない話のように言われてますけど、実際我が国も宗教が関わる争いは“普通に”多いんですよね
それこそ聖徳太子の時代の蘇我氏(仏教)と物部氏(神道)の抗争、
中臣鎌足(藤原鎌足)以降の藤原氏による仏教弾圧。
戦国時代でのお話に至るまでも色々あるわけで、その後にもまた色々と
考えてみると、日本人と宗教って関係が薄いわけではないんですよね
これもまた無関心・・・知ろうとされていないだけで
今回のセンセの講義も楽しみにさせていただきます!
HANA子さんへ
黒田裕樹 実際そのとおりでして、本文にもあるように仏教伝来時は蘇我氏と物部氏との勢力争いにからんだりなど、トラブルが結構あったんですよね。
仏教が時代とともに変化を遂げることで我が国に受け入れられ、完全に定着するまで長い年月がかかっていますし。
しかも、この後には政治に口出しすることで様々な問題が待ち受けていますから。
それなのに、仰るように「無関心」になるのにもまた理由がありまして…このあたりは講座を毎日お聞きくださればご理解いただけると思いますので、よろしくお願いします。
.
てっちゃん中尉 こんにちは☆
神仏習合…学力が乏しい中尉としては新出単語です(笑)
そんなことがあったとはいやはや、勉強になります。
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > 神仏習合…学力が乏しい中尉としては新出単語です(笑)
> そんなことがあったとはいやはや、勉強になります。
有難うございます。平安時代の中でも取り上げたことがあるのですが、やはり今回のような「流れ」の中で紹介したほうが良さそうですね。てっちゃん中尉さんのお役に立てて嬉しいです!(^ω^)
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智里 面白いですね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
神道と仏教が上手く共存出来たのは、そういった事があったからなんですね。
大抵の宗教は、新しいモノが古いモノを追い出そうとして、宗教抗争になったりしてますもんね。
そう考えると、日本は独自の宗教観が出来あがってるんですね。
前の講座の時に、聖徳太子が仏教を政治の手法の1つに使ってたのを覚えていたので、今回の講座に出てくると思ってました。
智里さんへ
黒田裕樹 > 面白いですね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 神道と仏教が上手く共存出来たのは、そういった事があったからなんですね。
> 大抵の宗教は、新しいモノが古いモノを追い出そうとして、宗教抗争になったりしてますもんね。
> そう考えると、日本は独自の宗教観が出来あがってるんですね。
有難うございますm(_ _)m
本来は相容れないはずの仏教と神道を見事に融合させる。「何事であっても我が国の風土に合わせる」という、我が国の大きな特長でもありますね(^^♪
> 前の講座の時に、聖徳太子が仏教を政治の手法の1つに使ってたのを覚えていたので、今回の講座に出てくると思ってました。
見抜かれてしまいました(笑)。
歴史のみならず、講座同士もつながることで、皆様のご理解につながればと思っております(^_^)v
その後、軍隊廃止の代わりに置かれた警察組織に相当する検非違使(けびいし)によって、朝廷周辺では曲がりなりにも治安が保(たも)たれるようになりましたが、それ以外の地方の警察力は全くといっていいほど存在せず、それゆえに治安が悪化して犯罪が増加するという結果を生みました。
治安が乱れたからといって、いつまでも泣き寝入りをしているわけにはいきません。全国各地の豪族や農民たちは、外部からの侵略(しんりゃく)に対抗して自分の身を守るために、それぞれが武装するようになりました。これが武士の起こりです。
寺院や神社とて例外ではなく、信仰の自由を守るために僧兵(そうへい)を組織するなどして、宗教勢力も武装するようになりました。しかし時が流れると、宗教勢力は武装していることを逆手(さかて)にとって、自らの要求を通すために神木(しんぼく、神社の境内に植えられた神聖な木のこと)や神輿(しんよ、神社の祭礼に使用する「みこし」のこと)を先頭に立てて京都へ乱入し、朝廷へ強訴(ごうそ)する機会が増えました。
長期間にわたって院政(いんせい)を行った白河法皇(しらかわほうおう)が「賀茂川(かもがわ)の水と、双六(すごろく)の賽(さい、サイコロのこと)の目、それに山法師(やまほうし、延暦寺の僧兵のこと)だけは自分の意にならない」という言葉を残されるなど、当時の為政者(いせいしゃ)は寺社の強訴に手を焼きましたが、それでも朝廷や幕府などの我が国を支配した政治組織がしっかりしていた時代は、宗教勢力を抑えることも可能でした。
しかし、15世紀後半に応仁の乱(おうにんのらん)が起こって当時の室町幕府(むろまちばくふ)の影響力が低下し、戦国の世(よ)と化して以降は、宗教勢力が飛躍的(ひやくてき)にその影響力を強めていったのです。




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ぴーち こんばんは!
武士は元々は豪族や農民から登場した存在だったのですね^^
そして、その武士の起こりがそのような理由だったという事を初めて知ることが出来、感謝致しますm(__)m
応援凸
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紗那 うぅ、しばらく苦手な感じです。コメしづらい内容なのです。。。
ROMってますが、ちゃんと読んでますよー……!
ふむふむ、確かに 情勢が不安定になると、宗教というのは人々の心に入り込んでいくイメージがありますが。
今晩は.
りら 私はいつもこれまで不可解だったの
は白河法皇のように院政を行なう
方が多いことです
院政をするくらいなら
なぜ天皇の位を降りるのですか?
月下美人見て下さりありがとう
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 武士は元々は豪族や農民から登場した存在だったのですね^^
> そして、その武士の起こりがそのような理由だったという事を初めて知ることが出来、感謝致しますm(__)m
世の中が平和であれば、武士が誕生する余地はなかったはずなのです。
軍隊を廃止すれば平和になるのではなく、かえって世の中が乱れるもととなり、ついには武士に政権を取られてしまう…。皮肉なものですね。
紗那さんへ
黒田裕樹 > うぅ、しばらく苦手な感じです。コメしづらい内容なのです。。。
> ROMってますが、ちゃんと読んでますよー……!
大丈夫ですよ(^^♪
足あとで承知しております。内容的にはこれから面白くなるかもしれませんよ(^^ゞ
> ふむふむ、確かに 情勢が不安定になると、宗教というのは人々の心に入り込んでいくイメージがありますが。
宗教を深く信仰される人の中には、そういう方もいらっしゃるようですね。
人それぞれとはいえ、考えさせられるものです。
りらさんへ
黒田裕樹 院政のねらいは「政治の実権を摂関家から取り戻す」ことにありました。それまで摂関家に政治の実権を奪われ、名ばかりの存在と化していた天皇が、上皇となられることで「天皇の父(または祖父)」という権威で政治の実権を取り戻すことに成功されたのです。
祭祀などのご公務でお忙しい天皇と違って、「ご隠居」である上皇には時間に余裕があるとともに、法や慣例にこだわらずにフリーハンドな立場で政治を行えるという利点がありました。それだけに平安末期の院政は、白河法皇→鳥羽法皇→後白河法皇と100年あまりも続いたのです。
なお、院政については以前にも当講座で紹介しております。下記のリンク先から順にお進みください。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-292.html
> 月下美人見て下さりありがとう
いえいえ、こちらこそ楽しいひと時を有難うございます。
こんばんは
スカイラインV35 成る程。鎌倉時代というと日本仏教の華、室町時代は一休禅師などのイメージですが、実際はこの時代の仏教を漢字一文字で表すと、”暴”とか”強(し)”いる、とかも一面なのかもしれないですね。
そして、現代の靖国神社(その他、忠魂碑や建国記念式典)などの問題ですが、私的にはGHQの神道指令の影響が残っているのではと思いだしました。
まだ考えを整理しつつありますので、現在進行形でお付き合い願えたらと思います。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 成る程。鎌倉時代というと日本仏教の華、室町時代は一休禅師などのイメージですが、実際はこの時代の仏教を漢字一文字で表すと、”暴”とか”強(し)”いる、とかも一面なのかもしれないですね。
一面的な歴史ばかり追っていては見失ってしまいかねない真実ですね。
現代のイメージに惑わされることなく見極めたいものです。
> そして、現代の靖国神社(その他、忠魂碑や建国記念式典)などの問題ですが、私的にはGHQの神道指令の影響が残っているのではと思いだしました。
> まだ考えを整理しつつありますので、現在進行形でお付き合い願えたらと思います。
近現代史はスカイラインV35さんから学ぶことが多く、感謝しております。
今後の更新にも期待しています。
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ウミタク 入試後日本史を若干離れていたので・・武士の起こりが、あった!あったけどなんか懐かしいなとい感じです。
また黒田先生の講義で思い出さないとですな(´ω`)
一応コメント返しに乗せておいたのですがYou Tubeのプラグイン方法ですね。
公式プラグインからフリーエリアを追加してのせたいYou Tubeの埋め込みコードを貼り付けたら完成です(注)自動再生はされません。
この話であってましたです?
ウミタクさんへ
黒田裕樹 > 入試後日本史を若干離れていたので・・武士の起こりが、あった!あったけどなんか懐かしいなという感じです。
> また黒田先生の講義で思い出さないとですな(´ω`)
武士の起こりは結構重要なのですが、なぜか詳しく紹介されませんからね。私の講座で思い出して下さったら光栄です(^^♪
> 一応コメント返しに乗せておいたのですがYou Tubeのプラグイン方法ですね。
> 公式プラグインからフリーエリアを追加してのせたいYou Tubeの埋め込みコードを貼り付けたら完成です(注)自動再生はされません。
> この話であってましたです?
早速試してみたらOKでした(^_^)v
ブログの装いがまた一つ増えて嬉しい限りです!(^o^)丿
有難うございましたm(_ _)m
信者たちは各地で一揆(いっき)を起こして戦国大名に対抗し、中でも加賀国(かがのくに、現在の石川県南部)の一揆衆は大名を追放して、一向宗を組織する本願寺(ほんがんじ)が約1世紀にわたって実効支配(じっこうしはい)をするようになりました。1488年に起きたこの一揆は、加賀の一向一揆(いっこういっき)と呼ばれています。
本願寺はこの頃、本拠地を京都の山科に置いていました。相次ぐ戦乱で傷(いた)めつけられてはいたものの、やはり我が国の首都であり、人も物資も集まる京都こそが布教活動の中心だったのですが、そう考えていたのはどの宗教勢力も同じでした。
京都で一向宗が幅を利かせていたのを苦々(にがにが)しく思っていた日蓮宗(にちれんしゅう)は、1532年に山科の本願寺を焼討(やきう)ちして、一向宗の勢力を京都から追放することに成功しました。これを法華一揆(ほっけいっき)といいます。




いつも有難うございます。
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HANA子 しかし、この宗派間の争いを文章で書いてみると、
「○○宗」と「○○の国」の宗と国を入れ替えてみても何にも違和感がありませんねー
スタンダールの小説「赤と黒」で、主人公は出世の手段として軍人(赤)と宗教家(黒)を用いようとしますが、
乱世でのしあがれる、あるいは羽振りのいい存在っていうのは、やはりその二者だっていう証明なんでしょうか
と、少々こじつけが過ぎますかね?^^;
HANA子さんへ
黒田裕樹 いえいえ、こじつけなんかではなく、仰るとおりだと私も思いますよ。
戦国時代に宗教が政治と深く関わっていた証拠でもありますね。おまけに「武力さえ持っていれば何でもあり」の時代でしたから、こうした戦乱が起きるのは避けられないという環境もありました。
少々話が先走りますが、こうした争いを止めさせようと思えば、どうしても「荒療治」が必要になりますね。
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智里 そう言う事でしたか~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
権力欲しさに宗教間での争いが有り、ついには本願寺を焼打ちしちゃったんだ。
法華の人はいいけど、何も知らない民衆は大変ですよね。
ただでさえ戦乱の世なのに、自分達が信じてる宗教でも戦乱が起きてるなんて。
なんて時代だったんでしょうね。
智里さんへ
黒田裕樹 > そう言う事でしたか~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 権力欲しさに宗教間での争いが有り、ついには本願寺を焼打ちしちゃったんだ。
> 法華の人はいいけど、何も知らない民衆は大変ですよね。
まさしくそのとおりです。無辜(むこ)の民が虐(しいた)げられるのがこの世の常とはいえ、それを宗教団体がやるというのは、我が国では珍しいですからね。
> ただでさえ戦乱の世なのに、自分達が信じてる宗教でも戦乱が起きてるなんて。
> なんて時代だったんでしょうね。
まさに「無常」とでもいいましょうか…。
こうなると「何のための信仰」であるのかが分からなくなってきますね(´・ω・`)
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1536年、延暦寺側は京都にあった日蓮宗の寺院をことごとく焼き払い、日蓮宗の勢力を京都から追い出すことに成功したのですが、寺院を焼いた火の延焼(えんしょう)によって、京都全体が焦土(しょうど)と化してしまいました。その被害は応仁の乱よりも上回っていたとされるこの争乱(そうらん)は、天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)と呼ばれています。
戦国時代にはこうした宗教勢力同士の争いが絶えなかったのですが、そんな勢力を維持する原資となっていたのが、布教地における関所の通行税や、商売を許可するための税金でした。僧兵を雇(やと)って軍事力を高めるために税金を集め、利益が上がれば他の勢力に奪(うば)われないように武力を強化し、武力を強化して資金が不足すれば税金を上げたりするという繰(く)り返しによって、宗教勢力は気がつけば政治力や資金力を持った巨大な圧力団体と化してしまっていたのです。
強大な武力を持つようになった宗教勢力には誰も逆らうことができず、また勢力同士の争いで焼け野原になるなど、いつしか宗教勢力は人々の暮らしや商業の発達に大きな障害となっていました。従って、当時の人々の多くは、大きな障害と化してしまった宗教勢力を追放して、元の過ごしやすい世の中に戻してほしいと熱望していました。
そんな中で現れたのが、戦国大名の一人であった織田信長だったのです。




いつも有難うございます。
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星月冬灯 宗教と信仰の違いが如実に表れて
いますよね、特にこの頃のお寺は。
宗教の違いdお互いを攻撃し合う
ことはまさに仏の教えに反してい
るのに、恐ろしい争いだと思います・・・。
信長は「あれは僧侶」ではないと
きっぱり言うのも解ります。
僧侶とはいえ、僧兵ですし。
平気で人を殺め、精進もしない。
武士よりもひどいと思います。
国の宝を焼いてしまったのはいただけないけれど、信長の荒療治も
必要だったと思います^^
星月冬灯さんへ
黒田裕樹 この頃になると、仏の教えを広めるよりも自己の勢力を拡大することに、文字どおり血道をあげることになりますから、完全に「本来の信仰」の道から外れていますね。
こうなってしまえば、もはや「僧侶」でないことは、信長でなくても実感したことでしょう。とはいえ、巨大な勢力と化した宗教勢力はそう簡単には倒せない。だとすると…というわけですね。
.
智里 比叡山延暦寺も、やってることは一緒なんですね。
しかも京都を焦土にしてしまうようなことをするとは・・・
なんか、どの宗教も権力欲しさで仏の道を外しまくってますね。
そして、ここから比叡山と信長との関係が始まるんですね!
何を思い、比叡山を焼き払ったのか!
う~ん、気になるわ(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
智里さんへ
黒田裕樹 > 比叡山延暦寺も、やってることは一緒なんですね。
> しかも京都を焦土にしてしまうようなことをするとは・・・
> なんか、どの宗教も権力欲しさで仏の道を外しまくってますね。
自分たちの欲望のためには、都を焦土と化そうが一向に構わないわけですからね。
仏の道はどこへいってしまったのか…。
> そして、ここから比叡山と信長との関係が始まるんですね!
> 何を思い、比叡山を焼き払ったのか!
> う~ん、気になるわ(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
ハイ、次回(5日)からいよいよ信長が登場です。
比叡山が焼かれたのにも「信長なりの理由」がちゃんと存在していますので、そのあたりもご理解いただければと思います(^^♪
.
オバrev 私は浄土真宗ですが、この頃の一向宗は結構過激ですね。
キリスト教やイスラム教などの一神教とは異なる仏教ですので、これだけ激しく戦っていたとは意外です。
全国統一のためには、信長でなくても誰かが手をつけなくてはいけなかったんでしょうね。
.
紗那 あ、あれ?信長さんの焼き打ちがそこまでひどいものとは思えなくなってきた……? 目から鱗ー(何
宗教勢力、おそるべしですね……
こんばんは
スカイラインV35 何か分かってきました。あまり僧兵が活発に戦いまくるイメージが湧かないのは、テレビ等でそのような場面を見た事がないからかもしれません。
武士はもう存在しませんが、宗教は現役ですものね(クレーム対応とか大変そうです)。
歴史講座はYouTubeで一気に見るのもいいのですが、少しずつブログで見るのも、毎日新たな発見になります。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 私は浄土真宗ですが、この頃の一向宗は結構過激ですね。
> キリスト教やイスラム教などの一神教とは異なる仏教ですので、これだけ激しく戦っていたとは意外です。
「死ねば極楽へ行ける」と教えられた人々が、命を捨てて戦いを挑んでくる。これほど恐ろしい敵はないといわれます。
このような厚い信仰心が、一神教にも負けない「激しさ」を生んだのかもしれません。
> 全国統一のためには、信長でなくても誰かが手をつけなくてはいけなかったんでしょうね。
仰るとおりと思います。ただ、信長のような発想の人間でなければ、あそこまで激しく、かつ見事に戦いを収めることはできなかったでしょう。明日(5日)以降に詳しく紹介します。
紗那さんへ
黒田裕樹 > あ、あれ?信長さんの焼き打ちがそこまでひどいものとは思えなくなってきた……? 目から鱗ー(何
> 宗教勢力、おそるべしですね……
後ほど紹介しますが、もし信長の行為を「言語道断」と非難するのなら、今回のような彼らの行為はどうやって評価するのでしょうか。
歴史教育にとって大事な基本の一つである「公平性」が問われるところだと思います。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 何か分かってきました。あまり僧兵が活発に戦いまくるイメージが湧かないのは、テレビ等でそのような場面を見た事がないからかもしれません。
> 武士はもう存在しませんが、宗教は現役ですものね(クレーム対応とか大変そうです)。
確かにその一面はありますね。でも、普段から「○○の真実の姿を見せよ!」という人々もいますから、何事もありのままを見せても差し障りがないとも思いますが(^^ゞ
> 歴史講座はYouTubeで一気に見るのもいいのですが、少しずつブログで見るのも、毎日新たな発見になります。
有難うございます。皆様思い思いの方法でお楽しみいただければ幸いです(もうすぐ「もう一つの楽しみ方」をご案内できるかもしれませんが)。