このプロジェクトに対して、皆さんはどう思われますか?
それまでやる事なす事が当たり続けた社長の言うことであり、またそれだけの信頼や実績もあります。だとすれば、勝ち馬に乗らんとするばかりに皆がこぞってプロジェクトに参加しようとしますよね。中にはプロジェクトの重要な役目を自ら志願する社員もいるでしょう。
しかし、結果としてそのプロジェクトは大失敗に終わって社長は急死し、社運も一気に傾(かたむ)くことになってしまいました。幸いにも別の企業の社長が再生に乗り出したことで会社そのものはなんとか存続しましたが、こうなると、それまでプロジェクトに賛成していた人々はどう考えるでしょうか。
もし自分がプロジェクトに積極的だったことが世間に知られては、とんだ赤っ恥(あかっぱじ)をかくことになりますし、また新たな社長ににらまれて会社を辞めさせられるかもしれません。だとすれば「俺はあの時は本当は反対だったんだ。でも社長が強引だったから嫌々(いやいや)従うしかなかったんだ」とか、あるいは「俺はあの時反対したんだ。だから(本当は実力不足で参加できなかったんだけど)プロジェクトにも参加しなかったんだ」などと自分を少しでも良く見せようは思いませんか?
実はこれと同じことが、秀吉が死んだ後にも行われていたのです。




いつも有難うございます。
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紗那 なんと・・・・・
みんな、保身に走るんですねー。
てか、あれですね。関が原が絡んでませんか?その話。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なんと・・・・・
> みんな、保身に走るんですねー。
大人の社会というのは時としてこういうものです(^^ゞ
> てか、あれですね。関が原が絡んでませんか?その話。
さすがに鋭いですね。このカラクリは次回(18日)以降に明らかにしますよ(^^♪
今晩は
りら 秀吉が死んだ後?
かなり後世まで秀吉の
愚弄を責められたはず
?????
明日が待ちきれません
りらさんへ
黒田裕樹 > 秀吉が死んだ後?
> かなり後世まで秀吉の
> 愚弄を責められたはず
> ?????
ヒントを挙げるとすれば、秀吉が死んだ後に、結果として失敗に終わった朝鮮への出兵の評価がどうなったか、ということですね。
> 明日が待ちきれません
有難うございます。今しばらくお待ちください。
こんばんは
スカイラインV35 今日の会社の話は、もろにいくらでもいますね。この手のタイプは。(^□^)
ところで、「唐入り」を前提にした朝鮮出兵にはいろいろな説があるようですね。
・中華秩序への挑戦、冊封体制への反発
・スペイン・ポルトガルの明・日本征服計画への示威行動、先制行動
当時の欧州は大航海時代で、日本もそれに触発されるかのように東南アジアなどに日本町が出来るほど進出して行く。
明は北方騎馬民族の侵入を防ぐため万里の長城を建設し、その為に南方の海側の軍事が手薄になり、倭寇が活発化する。その当時の明は海禁政策を取っていたが、ちょっと弱体化していたんですかね。
そして、日本側もモンゴル帝国のあたりから中国大陸に対して、文化レベル等で尊敬の度合いが減って来ていたのかもしれませんね。
このような背景があったとすれば、仮に織田信長が存命であっても同じ行動に出たであろう。といったところでしょうか。
私の勝手な憶測ですが、ちょっと調べてみました。この辺はひょっとすると、現代にも通じる目茶目茶大事な事柄なのでは、といった思いが出て来てしまいました。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 今日の会社の話は、もろにいくらでもいますね。この手のタイプは。(^□^)
そのとおりですね。今回の秀吉の場合も全く同じことが言えます。
詳しいご高察有難うございます。仰るような背景があったからこそ、秀吉による明への侵攻は決して無茶ではなかったと思いますし、信長だったら成功していたかもしれません。
また、この背景は1世紀も経っていない近現代も似たようなものですから、第二次大戦の研究に関しても非常に重要になってくると思います。
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ぴーち こんばんは!
人間の考える事とは、どんな時代に生きようと、どんなに歴史が変わろうと、そんなに大きな変化は無い様ですね^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 人間の考える事とは、どんな時代に生きようと、どんなに歴史が変わろうと、そんなに大きな変化は無い様ですね^^;
仰るとおりですね(´・ω・`)
今回の場合は、それがさらに露骨になっていったのが、秀吉にとっては更なる誤解を生むことになってしまいます。詳しくはこの後の展開をご覧下さい。
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HANA子 歴史は勝者が作るとよく言われますが、正確には勝者とそれを取り巻く状況が作るといったところなんでしょうね
王朝が変わると前王朝の完全否定から始まる大陸ほどあからさまではないにしろ、
我が国でもそのような“歴史の慣わし”と無縁ではなかったようです
一方では勝者の傲慢ですが、
前政権を否定、あるいは貶めることで自分の政権の正当性をうたい、安定統治の基盤とする・・・理解できる話です
倫理的善悪だけではなかなかはかれないことですね
とはいえ、家康のしたたかさによって後世「置いて地に落ちた愚かな君主」扱いされている秀吉が哀れなことにはかわりないのですけど
次回も楽しみにお待ちしております!
HANA子さんへ
黒田裕樹 確かに我が国も王朝の交代こそないですが、為政者の交代によって前政権が悪し様にののしられるということがありますね。
善悪論でひとくくりにできないとはいえ、大阪の人間としては秀吉が本当に哀れです。
次回もご期待下さい!(^^♪
特に豊臣家が滅ぼされた後は、秀吉のことを賞賛する内容を口にしたり、文章を残したりするだけで取り潰(つぶ)される可能性がありましたから、各国の大名は、かつては秀吉の朝鮮出兵に賛成していたという事実を徹底して隠(かく)すようになりした。
また、秀吉の出兵によって悪化していた李氏朝鮮との関係修復を目指して家康が交渉した際にも、自分が朝鮮半島に攻め込まなかったという事実や、豊臣家を倒して自身が新たな我が国の支配者となったことを強調することで、国交の回復に成功しました。
このうち、家康が朝鮮半島を攻めなかったのは事実ですが、これは逆に「攻めさせてもらえなかった」という説もあります。なぜなら、秀吉は明の征服に成功すると確信しており、宿敵である家康に領地の拡大を認めるような戦闘行為をさせたくなかったからだという見方があるからです。
いずれにせよ、家康が最終的に我が国の支配者となったことで、秀吉による朝鮮出兵はその意義をすべて否定されるだけでなく、「無益な戦い」「晩年の愚行」という歪(ゆが)んだレンズを通した見方しかされなくなっていきました。そして、その見方が現代にも続くきっかけとなった「ある事実」が20世紀に起きているのです。




いつも有難うございます。
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紗那 んー、民主党が政権をとった際に、経団連(あってますか?)が政治献金、特に自民向けを禁止したのと同じ感じですかね?
確かに、無益な戦いというイメージは、僕の中でも醸成されてますけど・・・・・・
紗那さんへ
黒田裕樹 > んー、民主党が政権をとった際に、経団連(あってますか?)が政治献金、特に自民向けを禁止したのと同じ感じですかね?
雰囲気は確かにそうですね。権力者が変わっただけで、実際には何も変わっていないわけでもありますが、前任者の名誉を傷つけて良いはずがありません。
> 確かに、無益な戦いというイメージは、僕の中でも醸成されてますけど・・・・・・
イメージは時として、徳川綱吉や田沼意次のような誤解を生みますからね。今回の場合は…。
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オバrev 確かに、歴史はのちの支配者に都合良いように書き換えられていますね。
無益な戦いと言われるものと言えば、やはり太平洋戦争でしょうか。
しかし、当時子供で戦時下を過ごした方に話を聞いたことがありますが、やはり日本が滅びるかどうかの瀬戸際で、皆が日本のために貧しさに耐え、日本のために戦いたいと思っていたそうです。
それを無益な戦争であったという人に対して(左翼等)は、強い憤りを感じると言っておられました。
ちょっと目が覚めてきました
スカイラインV35 成る程、秀吉と家康にそんな思惑があったんですね。
それにしても、話をスペインやポルトガルに戻しますが、今回の話は固有名詞を入れ替えれば、第二次大戦あたりといっても良いぐらいの話になりますね。
白人国家というのは、武力以外にもキリスト教であったり、関税自主権であったり、経済封鎖であったり、自虐史観や憲法9条であったり、手を変え品を変え、利益を求めようとするんですね。
欧州以外にも不凍港を求めるロシア、中華思想の中国など、日本は国益や国防など一寸のんびりし過ぎているのでは、と思ってきました。
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ぴーち こんばんは!
無益な戦い。とあるのだからやはり「戦争」関係の話でしょうか・・。
第二次世界大戦も、日本がアメリカに対して先に戦いを仕掛けたとありますが、日本がそうせざる負えない理由があった様で。。日本は無謀な戦いを仕掛けたとはいえ、そう仕掛けられた・・という説を聞いた事がありますが、真意はいかに・・?
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 確かに、歴史はのちの支配者に都合良いように書き換えられていますね。
徳川家が豊臣家を完全に滅ぼしたことで、豊臣家の名誉が甚(いた)く傷つけられましたからね。
> 無益な戦いと言われるものと言えば、やはり太平洋戦争でしょうか。
> しかし、当時子供で戦時下を過ごした方に話を聞いたことがありますが、やはり日本が滅びるかどうかの瀬戸際で、皆が日本のために貧しさに耐え、日本のために戦いたいと思っていたそうです。
> それを無益な戦争であったという人に対して(左翼等)は、強い憤りを感じると言っておられました。
私も戦争当時に現役の軍人さんだった人にお会いした際にお話をうかがいました。我が国が敗れれば、残してきた身内を含む一般人がどんな目に合わされるか分かったものではない。そのために、当時の軍人の大部分が命がけで戦い、そして多くの人が散っていったらしいです。
私が後に教師になることを決意したのも、そんな戦いを「無益である」と一方的に決めつける歴史教育に激しい違和感を感じたのがきっかけの一つですね。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、基本的な流れは時代を超えて共通なところが多いように感じられます。
手を変え品を変えて我が国に圧力をかける他国。防衛のために智慧をしぼり、多くの貴重な生命を失ってきた過去に比べて、現状では確かに「一寸のんびりし過ぎて」いるような気がします。
我が国の真の目覚めの日はやってくるのでしょうか…。
キクメモドキ 歴史の真実っていうものは 絡んだ紐を解くように いろんな方向から見ないと判らないものですね
昔、学校で教わった事柄が今は解釈が全く違う事も多いですし
講義を見に行きたいですが 休みが合わず毎回 指をくわえていますが 機会があれば 伺いたいものです
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 無益な戦い。とあるのだからやはり「戦争」関係の話でしょうか・・。
> 第二次世界大戦も、日本がアメリカに対して先に戦いを仕掛けたとありますが、日本がそうせざる負えない理由があった様で。。日本は無謀な戦いを仕掛けたとはいえ、そう仕掛けられた・・という説を聞いた事がありますが、真意はいかに・・?
秀吉に限らず、時が流れることで当時では見えなかったものが見えてきたり、隠されていたものが白日の下にさらされたりということが良くあります。それは第二次世界大戦においても例外ではなく、少しずつですが真実が明らかになってきていますね。
私が昭和史を担当できる日がいつになるのか全く検討も就きませんが(笑)、いつかは必ず正面から取り上げてみたいものです。
キクメモドキさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
> 歴史の真実っていうものは 絡んだ紐を解くように いろんな方向から見ないと判らないものですね
> 昔、学校で教わった事柄が今は解釈が全く違う事も多いですし
仰るとおりです。一つの物体も光と影の当て方によって見た目が全く異なるように、複眼的な観察で歴史をながめなければいけません。歴史の解釈も年々異なっていくうえに、教科書だけの知識では真の理解には程遠いですから、それこそ歴史の教師の力量が問われます。
> 講義を見に行きたいですが 休みが合わず毎回 指をくわえていますが 機会があれば 伺いたいものです
有難うございます。いつの日か講座でお会いできる日を楽しみに待っております。