その背景には、現代に生きる私たちが誤解している「戦国時代の宗教に関する事情」があります。
現代の宗教に対する印象といえば、特に仏教に関しては「お坊さんが有難いお経(きょう)を読む」という平和なイメージしかありませんが、これが定着したのは江戸時代(えどじだい)以降のことです。実はそれ以前、特に戦国時代には自分の身を守るために多くの宗教勢力それぞれが、僧兵(そうへい)などの武力を持っていました。
その中でも一向宗(いっこうしゅう、浄土真宗=じょうどしんしゅうのこと)の熱心な信者たちは、女性や子供、あるいは老人までもが武器を持って戦っていました。そして、京都などの有力な布教地(ふきょうち)では、宗教同士の勢力争いによって、血で血を洗う戦いが繰り広げられました。
例えば、1532年の法華一揆(ほっけいっき)では日蓮宗(にちれんしゅう)が一向宗を追放しましたが、4年後の1536年に起きた天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)では、天台宗(てんだいしゅう)の比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)によって日蓮宗が京都を追われています。いずれの戦いも約70年前に起きた応仁の乱(おうにんのらん)に負けず劣(おと)らずの激しさで、京都は焦土(しょうど)と化し、宗教勢力は地元の人々の恨みを買っていました。




いつも有難うございます。
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伝次郎 仏教やお坊さんはありがたいもの、というイメージのままでした。
僧兵などはてっきり、戦国大名などの支配者の圧政などから仏教徒達を守る為かと思いきや、宗派間で勢力争いなどをし、戦国大名化していたのですね。
一向一揆の鎮圧は有名な武将も命を落としたりしていますし、一向衆も信仰や結束だけで強いのではなく、戦慣れの側面もありそうですね。
あと、信長の野望は私、けっこうハマリましたね。本願寺顕如で全国統一もしました。
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ちゃてれ こんにちは。
いつもご訪問ありがとうございますー。
やっぱりこの指示棒を持った黒田さんは、素敵ですね(笑)
これからも頑張ってください~
伝次郎さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、戦国の世では仏教徒も立派な「戦力」です。それが証拠に、加賀では100年も農民の自治が続きましたからね。
「信長の野望」は私もはまった人間ですが、本願寺ですか!
「政教一致」の極みですね(笑)。現実には他の宗教との激しい争いで成立しそうもありませんが…。
ちゃてれさんへ
黒田裕樹 > こんにちは。
> いつもご訪問ありがとうございますー。
こちらこそ、お忙しいのにコメント有難うございます(^^♪
> やっぱりこの指示棒を持った黒田さんは、素敵ですね(笑)
> これからも頑張ってください~
…(^^ゞ
教師に指示棒は付き物ですからね(笑)。
もちろん頑張りますよ(^_^)v
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ぴーち こんばんは!
詳しくは存じませんが、
世界に目を向けても、宗教がらみの
争いというのは、実に多いように感じます。
宗教間の争いというのは、これから先の未来も、終息を迎えることが無いように感じますね^^;
特に日蓮宗の教えは、他宗は全てが
間違っているという教えの様ですから、
対立意識も激しいと思いますね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 詳しくは存じませんが、
> 世界に目を向けても、宗教がらみの
> 争いというのは、実に多いように感じます。
> 宗教間の争いというのは、これから先の未来も、終息を迎えることが無いように感じますね^^;
エルサレムという聖地の帰属をめぐる争いなどで、アラブとイスラエルの間は今の時代の解決が見出せませんからね。
> 特に日蓮宗の教えは、他宗は全てが
> 間違っているという教えの様ですから、
> 対立意識も激しいと思いますね。
日蓮宗のように他を認めない宗教というのは、仰るような過激な争いを生み出しやすいですからね。まして戦国時代であればなおさらということになります。
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オバrev 昨日は無名のコメントをしてしまいました(m_m)
ふ~ん、宗教というのは人々を救うというイメージでしたが、当時は違ってたんですね。
信長は一向宗や、比叡山征伐をしたと思うのですが、現在から見れば非情な仕打ちだと思いますが、このことに対する当時の一般大衆の考えはどうだったんでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 昨日は無名のコメントをしてしまいました(m_m)
やはりそうでしたか(^^ゞ
あまりお気になさらないで下さいね。
> ふ~ん、宗教というのは人々を救うというイメージでしたが、当時は違ってたんですね。
> 信長は一向宗や、比叡山征伐をしたと思うのですが、現在から見れば非情な仕打ちだと思いますが、このことに対する当時の一般大衆の考えはどうだったんでしょうか?
今日も鋭いですね(^^♪
ご質問の件は近日中には答えが出ると思いますので、今しばらくお待ちください。
.今晩は
りら 信玄は元々信仰深かったようですが
まだ武士として戦っていた時に
なぜ法名を名乗ったのか不可解です
またご説明楽しみにしています
私への拙いブログへのコメントいつ
も感謝です ありがとう
りらさんへ
黒田裕樹 > 信玄は元々信仰深かったようですが
> まだ武士として戦っていた時に
> なぜ法名を名乗ったのか不可解です
信玄が出家したのには、宗教勢力の一員となることで他の勢力への牽制(けんせい)の意味があったとされています。また、本願寺顕如の妻と信玄の正室とは実の姉妹であり、信玄と宗教勢力との関わりの深さがうかがえますね。それだけに3つめの違いが…となるわけです。
> またご説明楽しみにしています
> 私への拙いブログへのコメントいつ
> も感謝です ありがとう
いえいえ、とんでもないです。
またこちらもご訪問させていただきます。
このような連鎖(れんさ)が続けられた結果、16世紀の後半までには宗教勢力のそれぞれが、政治力や財力を持った巨大な圧力団体と化してしまっていました。そして、強大な武力を持つ宗教勢力には誰も逆らうことができず、人々の暮らしや商業の発達に大きな障害となっていたのです。
当時の人々の多くは、大きな障害と化してしまった宗教勢力を追放して、元の過ごしやすい世の中に戻してほしいと熱望していました。そんな中で、仏門に入ったことで宗教勢力の一員となった信玄が仮に天下を取ったとしても、果たして人々の望みどおりの改革を成し遂げることができるでしょうか。
信玄は、信長が比叡山を焼討(やきう)ちした際に天台座主(てんだいざす、延暦寺の最高位の僧職のこと)を自国で保護しており、また座主から権僧正(ごんのそうじょう、僧職の最高の地位のひとつ)の地位を贈られた際には、その法衣(ほうえ、僧の着用する衣服)をまとって悦(えつ)に入(い)っていた(=事がうまく運び、満足して喜ぶこと)というエピソードも残っています。
大変残念ながら、そんな信玄が宗教勢力に対して大ナタをふるえるとはとても考えられません。




いつも有難うございます。
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ボス。 いつも読み逃げしてるのに、、、
ありがとうございます。
ボス。さんへ
黒田裕樹 > いつも読み逃げしてるのに、、、
> ありがとうございます。
いえいえ、こちらも読み逃げが多いですから、お気になさらないで下さい。
お祝い事は、ご本人はもちろん、周囲の人々も幸福な思いになるもの。私も嬉しい限りです。
今晩は
りら 今回の講座で信長が残酷に思える
程 宗教関係を弾圧して
キリスト教を擁護した分けが
理解できました
ありがとう御座います
りらさんへ
黒田裕樹 > 今回の講座で信長が残酷に思える
> 程 宗教関係を弾圧して
> キリスト教を擁護した分けが
> 理解できました
> ありがとう御座います
いえいえ、ご理解下さって光栄です(^^♪
信長と宗教勢力との争いについては明日以降に少しだけ書いた後、今月(3月)の講座で詳しくご紹介できると思いますので、またよろしくお願いします。
.
HANA子 一説にはこの時の信長の宗教弾圧が
「政治と宗教の分離」
を決定付けたという話がありますね
そうでなければ日本は他の国同様「政治」と「宗教」の二重権力構造の弊害に苛まれることになったと
思考の飛躍かもしれませんが、日本人の宗教への無頓着ぶりのキッカケって案外この人の功績なのかも? とか思っちゃったりします
現代に例えるなら
オバrev このエピソードは、時代が変わっているのに気がつかず、政権を取ったとたんに、以前の自民党以上に金権まみれで、権力を傘に自分の言うことをきかせて悦にいっているO氏を思い浮かべます。
こういう人物に、時代に対応した改革ができるとは思えません。
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 一説にはこの時の信長の宗教弾圧が
> 「政治と宗教の分離」
> を決定付けたという話がありますね
> そうでなければ日本は他の国同様「政治」と「宗教」の二重権力構造の弊害に苛まれることになったと
さすがはHANA子さん、よくご存知ですね(^_^)v
仰る件は次回(5日)以降で少し触れるとともに、今月27日の講座で詳しく紹介する予定です。
> 思考の飛躍かもしれませんが、日本人の宗教への無頓着ぶりのキッカケって案外この人の功績なのかも? とか思っちゃったりします
信長が種をまいたことには間違いありません。しかし、信長だけで無頓着になったのではなく…おっと、これも今月の講座で明らかにしますね(^^ゞ
オバrevさんへ
黒田裕樹 > このエピソードは、時代が変わっているのに気がつかず、政権を取ったとたんに、以前の自民党以上に金権まみれで、権力を傘に自分の言うことをきかせて悦にいっているO氏を思い浮かべます。
> こういう人物に、時代に対応した改革ができるとは思えません。
オバrevさんのご意見のほとんどが、私が常々考えていることと同じなのは、広島ファン同士のご縁でしょうか(笑)。
「悦に入っている」点なんか、まさに信玄そのまんまですね(´・ω・`)
現代こそ大胆な改革が必要なはずですが…。
.
紗那 なるほど。当時の日本を変えるためには、宗教勢力に手を出す必要があった。
だが、信玄は、自ら仏門に入っていたので、改革は出来なかっただろう。そういうことですね。
信玄さん、歴史ゲームでは強いんですけどね。現実では、いろんなしがらみがあるんですね。 ……今の政治家さんたちにも、こういう人いませんか? 利権が絡むと、ダメな人。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど。当時の日本を変えるためには、宗教勢力に手を出す必要があった。
> だが、信玄は、自ら仏門に入っていたので、改革は出来なかっただろう。そういうことですね。
そのとおりです。自分の利権の対象を、自らの手で潰すなんてありえないですからね(´・ω・`)
> 信玄さん、歴史ゲームでは強いんですけどね。現実では、いろんなしがらみがあるんですね。 ……今の政治家さんたちにも、こういう人いませんか? 利権が絡むと、ダメな人。
ゲームと現実とはやはり違いますよね。
残念ながら、利権と関係ない政治家がいるかどうか…。ただ、利権を持っていても、特別扱いしない政治家であればいいのですが、現在の与党はどうでしょうか?
それでは、信長は宗教勢力に対していったいどのような態度をとったのでしょうか?
信長は入洛後、宗教勢力に対して「今後は自分がお前たちを守ってやるから、武器や権益(けんえき)を捨てるように」と命令しました。しかし、一度握ってしまった巨大な権益を手放すのがもったいないと思った宗教勢力はこれを拒否したのみならず、逆に信長を滅ぼそうとしました。
命を狙(ねら)われて激怒した信長は、自衛の意味も込めて比叡山延暦寺を焼討ちし、また一向一揆(いっこういっき)の勢力を、女子供に至(いた)るまで攻め殺しました。信長のこれらの行為は、現代の道徳観や倫理観(りんりかん)からすれば許されざるものではありますが、当時が食うか食われるかの戦国時代であったということを考えれば、ある意味では仕方がないという一面もあります。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
確かに平和な時代では、
人道的がどうの、倫理的にどうの
と問題になるような行為でも、
乱世の世の最中では、
そんな事を言っていては、自分達が
やられてしまいますものね。
世の中全体の流れとはいえ、
悲しい時代だったんですね。。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに平和な時代では、
> 人道的がどうの、倫理的にどうの
> と問題になるような行為でも、
> 乱世の世の最中では、
> そんな事を言っていては、自分達が
> やられてしまいますものね。
> 世の中全体の流れとはいえ、
> 悲しい時代だったんですね。。
そのとおりです。
現代の倫理観や道徳観だけで歴史を「知ってるつもり」になるのではなく、当時の状況や流れをしっかりとらえたうえで、活かすところや反省すべきところをしっかりと見極めるのも「歴史を学ぶ」ことなんですよね。
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明天会更美好 毎日目からうろこの講座ありがとうございます。
わたしは日本史についての知識はあまり持ち合わせていないので勉強する毎日ですが、武田信玄に対する印象は少し変わりました。
やはり、物事に対してはプラスとマイナスの両面から検証することがとても大事ですよね。
これからも勉強させてください!
明天会更美好さんへ
黒田裕樹 > 毎日目からうろこの講座ありがとうございます。
いえいえ、毎日のようにお越し下さいまして有難うございます。
> わたしは日本史についての知識はあまり持ち合わせていないので勉強する毎日ですが、武田信玄に対する印象は少し変わりました。
> やはり、物事に対してはプラスとマイナスの両面から検証することがとても大事ですよね。
仰るとおりです。一方的な解釈で満足するのではなく、両面からの検証によって、初めて本当の歴史を学ぶことができます。
> これからも勉強させてください!
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
歴史ドラマの??
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
大河ドラマなどの歴史ドラマを観ると
織田信長は、他の戦国大名との戦いがメインに
描かれますが、
信長を最も苦しめた最大の敵は、宗教勢力であることに間違いありませんね。
ドラマでは、宗教勢力との戦いは、ほんの少しだという描かれますが、
これは、大きな誤解ですね。
石山本願寺vs 織田信長の戦いは、10年間も掛っています。
さらに
伊勢長島の一向一揆では、一向衆は、10万人です。たとえ、女・子供も含んだとしても、
10万人の一向門徒が、『お経』を唱えがら、向かってくるシーンをメージするだけでも
ぞっとします。
それに比べて
ドラマで、描かれる武田信玄、上杉謙信との戦いは、1回、戦っただけで、それほど、信長を苦しめていません。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
戦国時代を映像化する際にどうしても現代のイメージを引きずっているからこそ起きる現象でしょうね。
かといって歴史に忠実にすれば視聴率が取れるかどうか…難しいところではあります。
信長によって、巨大な権益を持っていた宗教勢力は解体されましたが、天台宗や浄土真宗などの宗教そのものは現在も残っています。実は、これこそが本当の意味での「政教分離」(せいきょうぶんり)であって、江戸時代以降、現在に至るまでの私たち日本人に対して、宗教が政治に関わることによって生じる様々な問題とは無縁にしてくれているのです。なお、この問題については3月の大阪での講座(第12回)で改めて取り上げます。
いずれにせよ、当時の国民の切実な願いでもあった、巨大な圧力団体と化した宗教勢力の排除(はいじょ)に成功した信長が、多くの国民から歓迎されたからこそ、信長が志半(こころざしなか)ばで滅ぼされた後も、その後を継いだ秀吉や、あるいは家康によって戦国の世は終わりを告げ、江戸時代を迎えることになったのでした。
天下を統一して、戦国時代を終わらせるという大きな目標は、豊富な経済力で兵農分離を実現するなどといった、それまでの常識にこだわらない柔軟(じゅうなん)な姿勢のみならず、天下取りへ向けての明確なビジョンを持つとともに、どんな圧力にも屈(くっ)しないという強い信念に基づく実行力によって、初めて可能となったのです。
そして、それらの要素をすべて持っていた信長だったからこそ、時代は彼を「英雄」として選び、その一方で、信長との決定的な「3つの違い」を克服できなかった信玄やその子孫たちは、歴史の表舞台から姿を消していったのでした。
※第10回歴史講座の記事はこれで終了です。なお、明日(3月7日)からは第11回歴史講座の内容の更新を開始します。




いつも有難うございます。
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伝次郎 信長への固定観念が1つ消えました。
信長の極悪非道な一面としての、比叡山延暦寺焼き討ちと刷り込まれていましたが、今回の講座で消えました。
信玄、信長にこのような違いがあることは知りませんでしたので大変勉強になりました。
遅くなりましたが、いつもコメントへの返信ありがとうございます。
次回からもブログ楽しみにしています。
伝次郎さんへ
黒田裕樹 > 信長への固定観念が1つ消えました。
> 信長の極悪非道な一面としての、比叡山延暦寺焼き討ちと刷り込まれていましたが、今回の講座で消えました。
> 信玄、信長にこのような違いがあることは知りませんでしたので大変勉強になりました。
お言葉有難うございます。
「刷り込み」の歴史教育が横行する現実を嘆く者ですが、今回のようなかたちで、少しでも皆様のご理解につながればと思っております。
> 遅くなりましたが、いつもコメントへの返信ありがとうございます。
> 次回からもブログ楽しみにしています。
いえいえ、ご質問にお答えするのが、私のような歴史ブログの運営者としては当然の務めです。
次回の秀吉の朝鮮出兵でも、同じような「刷り込み」からの脱却を目指したいと考えております。
こんばんは。
スカイラインV35 織田信長は噂どおり無神論者で合理主義者だったんでしょうね。逆にそれ故に「宗教そのものは弾圧しない」という結論を導き出した。と、言った所でしょうか。
やはり、信長は政治、軍事、経済、宗教(に対する認識)と、他を圧倒していたんでしょうね。
そして武田信玄は、実はその当時の圧倒的大多数の平均的な日本人だったのかもしれない。という認識も持ちました。
この辺も何回やっても興味が尽きない所ですね。
訂正
スカイラインV35 ちょっとブログを読み直して考え直しました。
武田信玄は、当時の為政者(公家や武家や僧侶も含め)の平均的な日本人だったのかもしれない。と訂正しようと思います。
失礼しました。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 織田信長は噂どおり無神論者で合理主義者だったんでしょうね。逆にそれ故に「宗教そのものは弾圧しない」という結論を導き出した。と、言った所でしょうか。
> やはり、信長は政治、軍事、経済、宗教(に対する認識)と、他を圧倒していたんでしょうね。
そうですね。信長のような合理主義者でない限りは、それまでの「常識」でもあった政治と宗教の結びつきをあっさりクリアすることはできなかったでしょう。また、その合理性ゆえに政教分離など、斬新な政策を次々と打ち出すことができたのではないでしょうか。
秀吉や家康の場合は、信長という先駆者が敷いたレールのうえを走ったということになるもかもしれません。もっとも、走る行為そのものも勇気のいる話ですが。
> そして武田信玄は、実はその当時の為政者(公家や武家や僧侶も含め)の平均的な日本人だったのかもしれない。という認識も持ちました。
> この辺も何回やっても興味が尽きない所ですね。
同感です。日本人らしさであるがゆえに、戦国時代の混乱を脱出できなかったともいえるでしょう。この国では、様々な「日本人離れ」した存在でないと、本当の改革はできないのかもしれませんね。
.
Masa 記念すべき10回目の講座おめでとうございます。
毎回毎回、知らなかった歴史が先生の講座で明かされてゆくのでとても楽しんでいます。
信長、信玄ともにすごいとは思っていましたが、ここまで大きな違いがあるということに驚きました。
ぼくの好きな信長は、やっぱりすごい方だということが、この講座を通じてより深まりました。
ありがとうございました。
今晩は
りら 信長が最初の政教分離を
行なったのですね
目から うろこの気分です
いつも感心するばかり
ろくにコメント出来なくて
ごめんなさいね
Masaさんへ
黒田裕樹 > 記念すべき10回目の講座おめでとうございます。
有難うございます。ブログ開設から1年足らずでここまで来ることができて光栄です。
> 毎回毎回、知らなかった歴史が先生の講座で明かされてゆくのでとても楽しんでいます。
> 信長、信玄ともにすごいとは思っていましたが、ここまで大きな違いがあるということに驚きました。
> ぼくの好きな信長は、やっぱりすごい方だということが、この講座を通じてより深まりました。
時代に名を残す英雄というものは、当時や将来の人類に対して大きな功績を残している場合が多いです。信長も無論その一人というわけですね。もちろん、信玄も地元の甲府を中心に大きな業績を残していますよ。
> ありがとうございました。
こちらこそ。明日(7日)からの更新もお楽しみに!
りらさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、信長こそが我が国で本当の意味での政教分離を果たした人物といえるでしょう。
このあたりの経緯については、今月の講座で詳しく紹介する予定です。
いえいえ、私もりらさんの世界一周に癒やされている一人ですから、お気になさらないで下さいね(^o^)丿
まさに次世代と旧世代
オバrev 信長と信玄は、まさに次世代と旧世代の戦いのように感じました。
江戸幕末から明治維新もそうでしたが、時代の流れの中で、その流れにマッチした価値観を持った者がその戦いに勝利し、次の時代を担うように思います。
歴史は繰り返します。結局人間の考えは進歩してないのかもしれません。
それを考えると、現在の激動する時代には、自民党旧田中派のようにお金や利権にまみれた政治家には退場願いたいところです・・・誰とは言いませんが(^^;)