では、その「ある人物」とは誰のことでしょうか?
もちろん織田信長(おだのぶなが)のことです。秀吉と比べるとあまり目立たないですが、家督(かとく)を継いだ際には尾張国(おわりのくに、現在の愛知県西部)すら満足に支配できなかった信長が、一代であわや天下統一かと思わせるまで領土を拡大できたという実績は、とてつもなく素晴らしいことでした。
統一を目前にして、本能寺の変(ほんのうじのへん)で部下の明智光秀(あけちみつひで)に滅ぼされたのが惜(お)しまれる一方で、信長が天下統一を果たした後に、我が国がどのような運命を歩んだのかということなどについて、私たちは大いに興味を持つことができます。
しかし、信長の天下取りは決して順調に進んだわけではありません。多くの困難に打ち勝って自己の勢力を広げた信長でしたが、なかでも最大のピンチだったのが「ある人物」による上洛(じょうらく、京都へ向かうこと)を目指した挙兵(きょへい)であり、それが最終的には失敗に終わったとはいえ、一時は信長もこれまでか、と誰しもが思ったものでした。
では、その「ある人物」とは誰のことでしょうか?
もちろん武田信玄(たけだしんげん)のことです。




いつも有難うございます。
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伝次郎 秀吉の弟の秀長も優秀だったようです。
間違ったらご免なさい。
いまバンクーバー五輪にも出ている織田信成さんは信長の子、信時の子孫だったと思います。
伝次郎さんへ
黒田裕樹 > 秀吉の弟の秀長も優秀だったようです。
> 間違ったらご免なさい。
間違っていませんよ。豊臣秀長は秀吉を助けて天下統一に貢献した名将です。
> いまバンクーバー五輪にも出ている織田信成さんは信長の子、信時の子孫だったと思います。
織田信成選手の先祖は信長の七男、織田信高の子孫ですが、次男の信雄の血を引いていますね。私の出身大学の後輩でもありますので、頑張って欲しいものです。
.黒田裕樹さん
りら 高橋大輔 織田信成
二人の後輩がいよいよ明日ですね
プルシェンコの差は少し
フリーで 二人が金と銀が
取れるように 祈っていましょうね
りらさんへ
黒田裕樹 いよいよですね。
仰るとおり、上位との差はわずかですから、メダル独占も夢ではありません。
二人とも自分の実力を出し切ってもらいたいです。
それにしても、今回ほど自分が関大出身でよかったと思ったことはないですね(^^♪
.
ぴーち こんばんは!歴史上では超有名な方の名前ばかりがずらりと名を連ねていますね^^
今度は、武田信玄ですか^^
お名前は有名人でも、その人となりと問われると、まるで判らないですので、今後の黒田さんの見解、楽しみにしています♪
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!歴史上では超有名な方の名前ばかりがずらりと名を連ねていますね^^
秀吉、信長、光秀、信玄…。確かに錚々(そうそう)たるメンバーですね(^^ゞ
> 今度は、武田信玄ですか^^
> お名前は有名人でも、その人となりと問われると、まるで判らないですので、今後の黒田さんの見解、楽しみにしています♪
有難うございます(^_^)v
今回も17回かけてじっくりと紹介してみたいと思っております。
講座の映像upですね
h.hamauzu こんにちは!
13日はとても楽しませていただきました。
歴史オンチの方も、そうでない方も、
みんなが楽しめる、みんなが興味を持てる講義、
そんな感想を持ちました。
途中退席で失礼しましたが、
今度は是非、フルで楽しませていただきたいと思います。
ウチの嫁様も、持ち帰ったテキストを熱心に読んでましたよ♪
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
h.hamauzuさんとご縁が出来たこと、とても嬉しく思います。
当日はお約束があったところを、わざわざ駆けつけてくださったことに感謝しますし、テキストもお役に立てたようで嬉しい限りです(^^♪
1572年、室町幕府(むろまちばくふ)の第15代将軍であった足利義昭(あしかがよしあき)の求めに応じた信玄は上洛を決意し、三方ヶ原(みかたがはら)の戦いでは徳川家康(とくがわいえやす)を散々に打ち破りました。しかし、その直後に信玄は無情にも病(やまい)に倒れ、天下統一の夢は遂(つい)にかないませんでした。
もし信玄が病に倒れなければ、信長を滅ぼして上洛を果たしたのみならず、義昭に代わってやがては天下を統一し、武田氏による幕府が開かれていたかもしれない―。信玄の実力が惜しまれるがゆえに伝えられている話ですが、果たして本当にそう言い切れるのでしょうか。
天下統一を成(な)し遂(と)げるには、信玄のように軍事力や資金力を持っていることが重要な条件ではありますが、実はそれだけでは不可能なのです。同じく軍事力と資金力とを両有していた信長が天下取りに近づいているという現実がある一方で、なぜ信長にはできて、信玄にはできなかったのでしょうか?
それは、信長と信玄との「決定的な違い」が3つあったからなのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
どんなに出世欲があっても、どんなにお金を持ち合わせていても、病には勝てないものですね(><)
決定的な違い・・なんでしょか・・
明日の記事に期待します!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんなに出世欲があっても、どんなにお金を持ち合わせていても、病には勝てないものですね(><)
寿命には絶対に勝てないのが人間ですからね。
だからこそ我々は日常を精一杯生きているのですが。
> 決定的な違い・・なんでしょか・・
> 明日の記事に期待します!
有難うございます(^^♪
次回(20日)の記事にヒントが出ますよ(^_^)v
.今晩は
りら 大輔の記事にコメントありがとう
今日は休暇を取りました
涙 涙の一日でした
ホームページも頑張って
彼のアップしました
りらさんへ
黒田裕樹 高橋選手の銅メダルは感動的でしたね。
今日は普段は消えている職場のテレビもつけっぱなしでした(笑)。
HPも拝見しましたよ(^_^)v
愛情あふれる画像ですね。
再度 今晩は
りら HPも見て下さり
コメントも早速丁寧に頂き
ありがとうございました
感動の一日 今夜はなかなか
眠れません
りらさんへ その2
黒田裕樹 いえいえ、りらさんにとって素敵な休日になったことは、我がことのように嬉しいです(^^♪
日付は変わりましたが、感動の夜をお過ごしください。
.
けん爺ちゃん 先生、こんにちは(^ワ^)
やっと今週の夜勤が終わりました。
東京講座編ですね!
信長だけじゃ面白くない、そこで…という
話の展開を聞いてるだけで、自分がそこにいたら顔がニヤけてると思います(^^)
過去最高の人数だったようで…ホントにお疲れ様でした。
信玄との決定的な違い…
何なのか楽しみです☆
色々考えながら、続きを楽しみにしてますね(^△^)
けん爺ちゃんさんへ
黒田裕樹 > 先生、こんにちは(^ワ^)
> やっと今週の夜勤が終わりました。
お疲れ様です。私は経験ないですが、夜勤の大変さは伺っておりますm(_ _)m
> 東京講座編ですね!
> 信長だけじゃ面白くない、そこで…という
> 話の展開を聞いてるだけで、自分がそこにいたら顔がニヤけてると思います(^^)
> 過去最高の人数だったようで…ホントにお疲れ様でした。
有難うございます。
わたしもけん爺ちゃんさんの( ̄ー ̄)ニヤリとしたお顔を拝見したいものです(^^♪
> 信玄との決定的な違い…
> 何なのか楽しみです☆
> 色々考えながら、続きを楽しみにしてますね(^△^)
前フリが長くなりましたが、明日(21日)からいよいよ本題に入りますので、ご期待ください!(^_^)v
.
てっちゃん中尉 黒田裕樹さんへ、こんばんは☆
流石ですね。見事に編集なされています。これからも楽しい講座期待していますよ。
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > 流石ですね。見事に編集なされています。これからも楽しい講座期待していますよ。
有難うございます(^o^)丿
本物の講座では一気にしゃべったことも、ブログ上では時間をかけてじっくりと進めますから、編集作業が不可欠です。
てっちゃん中尉さんのように、一度お聞きになられた方でもお楽しみいただけるような内容であればと願っております。
ところで、この川中島の戦いですが、実は激戦となった4回目以外は目立った戦いはなく、両軍とも戦(いくさ)の途中で引き上げているという事実を皆さんはご存知でしょうか。また、4回目の戦いが行われた時期と、それ以外の戦いの引き上げの時期は、いずれも旧暦の9月から10月(現在の10月から11月)となっているのですが、これは何を意味するのでしょうか。
さらに、5度にわたって戦いを続けるということは、それだけ川中島での攻防に長い時間を費(つい)やさなければならないということでもありますが、実際に信玄と謙信は何年間戦い続けたのか、皆さんはご存知でしょうか。
実は、川中島の戦いには「信長と信玄との決定的な違い」の3つのうち、2つまでもが秘められているのです。では、その2つとはいったい何なのでしょうか。ここでは、まず川中島での「戦いの時期」から、1つめの「決定的な違い」を考察(こうさつ)してみることにします。




いつも有難うございます。
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伝次郎 この伝説的な話はよく描かれていますね。(たくさん見た覚えがあります。)
しかし、実際このような大将どうしの一騎打ちがあるとすれば、その戦場は大混乱か、一方が負け戦状態になっていたと予想します。
信濃、甲斐は塩が無く、困った話は有名かと思いますが、兵糧は足りていたのか知りたいところです。
.
ぴーち こんばんは!
文中に沢山のヒントが隠されて
いるのでしょうが、全く検討が付きません^^;
また、明日の記事を楽しみにしています^^
応援凸
伝次郎さんへ
黒田裕樹 > この伝説的な話はよく描かれていますね。(たくさん見た覚えがあります。)
> しかし、実際このような大将どうしの一騎打ちがあるとすれば、その戦場は大混乱か、一方が負け戦状態になっていたと予想します。
仰るとおり、謙信による一騎打ちが可能だったのは、信玄の本陣が大混乱だったからだといわれています。あともう少し援軍が来るのが遅かったら、信玄は首をとられていたかもしれませんね。ただ、この川中島の戦いは戦国屈指の名勝負といわれており、それ自体に問題はないと思うのですが…。
> 信濃、甲斐は塩が無く、困った話は有名かと思いますが、兵糧は足りていたのか知りたいところです。
兵糧に関しては、それほど大きな問題にはならなかったと思われます。それよりももっと大きな問題があったんですよね。これは信玄に限らず、ほとんどの戦国大名にも同様にいえるのですが…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 文中に沢山のヒントが隠されて
> いるのでしょうが、全く検討が付きません^^;
> また、明日の記事を楽しみにしています^^
恐れ入りますm(_ _)m
後でお知りになった際に「そうだったのか!」と仰っていただけるような内容であることを願っておりますね。
今晩は
りら 謙信と信玄
あまりにも偉大です
どちらにも見方したくなりなす
黒田さんの大輔へのコメント
素晴らしかったです
私も心をこめてお返事書かせて
頂きました
これからも宜しくお願いします
.なんでだろ~?
オバrev 川中島の戦いはいったいどういう意味があったんでしょうか。
なにか無駄に時間と労力を費やしただけのような(;^_^A?
りらさんへ
黒田裕樹 謙信も信玄も一時代を築く可能性があった武将といわれていますからね。
その強さは確かに素晴らしいものがありました。
しかし、それでも天下を取れないところに統一事業の難しさがあります。
高橋選手の快挙は時間が経っても色あせることはないですね。
ファンであるりらさんのお気持ちを考えまして、私も魂のこもったコメントを書かせていただいたつもりです。こういう交流も良いものですよね。有難うございます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 川中島の戦いはいったいどういう意味があったんでしょうか。
> なにか無駄に時間と労力を費やしただけのような(;^_^A?
繰り返しになりますが、オバrevさんは鋭いですね(^^ゞ
川中島の戦いの意味を見極めることも、「決定的な違い」を解く一つのカギになりそうです。