一方、田沼時代には天候不順による飢饉はあったものの、商業を発展させることで景気を上向かせて文化が栄えるきっかけとなったり、我が国の自主的な開国の道をつくったりするなど、開明的な政治を行いました。
こうした結果を見れば、果たしてどちらが「名君」で、どちらが「悪人」なのかいうまでもないと考えられますが、意次が失脚後にすぐ亡くなったのに対して、定信が老中を辞めた後も白河藩主として30年以上も生き続けて多くの著作を残し、その中で田沼時代を徹底的に批判したこともあって、定信によってつくられた意次の「悪人像」が後世にまで残ってしまうことになりました。
綱吉の時と同じような「歴史の捏造」(ねつぞう)に、私たちはまたしても目くらまされ続けてきたのです。私たちはこうした捏造に二度とだまされないようにするためにも、歴史を学ぶ際や、また現代を生きる際にも、時として巧妙(こうみょう)に隠された真実を明らかにして、正しい歴史や堂々とした思いを後世に伝えていきたいものですね。
最後に、一時は田沼時代を激しく憎んだものの、定信の政治によって「目を覚ました」庶民が、当時を懐かしんでつくった狂歌(きょうか、日常を題材に洒落=しゃれや風刺=ふうしを盛り込んだ短歌のこと)を紹介しましょう。
「白河の清きに魚(うお)のすみかねて
もとの濁(にご)りの田沼こひしき」
(第8回歴史講座の記事はこれで終了です。)




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ケンシロウ こんにちは。
毎度お馴染みのコメントで申し訳ないですが
講座まであと1週間ですね。
今年は東京でも講座を開かれるようですので
合わせて頑張って下さいな。
.
ぴーち こんばんは!
まさに定信は「憎まれっ子、世にはばかる」ですね。
最後の狂歌も風刺が効いてます。
川柳という呼び方とは、また、違うんですね。
川柳は、大好物のぴーちですw(性格、歪んでいるせいかしら(爆)
それでは、応援凸
また、お邪魔しますね!
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
今回の講座と意次と定信の印象がかなり変わりましたね。
「白河の清きに魚(うお)のすみかねてもとの濁(にご)りの田沼こひしき」
この狂歌が意次と定信を的確に評価していると思われ、やはり現在の歴史の授業の教え方は広く浅いものだと感じさせられますね。
.歴史的事実
オバrev >正しい歴史や堂々とした思いを後世に伝えていきたいものですね。
全く同感です。
恣意的なバイアスのかかった歴史ではなく、事実をしっかり伝えてもらいたいです。
良い悪いの判断はそれからのことであり、事実が伝えられないと、あるいは歴史に対する信頼がなくなるとその判断すらできません。
現代を生きている我々ですが、それは先祖が脈々と引き継いでくれた歴史の上に生きていると思います。
その感謝の思いや、今の我々を認識し誇りを持って生きていくためにも、歴史的事実を学ぶ意味は大きいと思います。
.
HANA子 >「白河の清きに魚(うお)のすみかねてもとの濁(にご)りの田沼こひしき」
これらのお話を踏まえた上で読んでみると、なんだか一層思うところが増える歌ですね
後の幕末の時代にもつながる一連の事件などなど、持論の「歴史は連続していて、必ずどこかにつながっている」をますます実感しました
やっぱり歴史は面白いなぁ
.
miwa >正しい歴史や堂々とした思いを後世に伝えていきたいものですね。
本当におっしゃる通りです。
人間は愚かで同じ間違いを何度も繰り返します。
現代に生きる人間も過去の歴史に学ばなければなりません。
>「白河の清きに魚(うお)のすみかねてもとの濁(にご)りの田沼こひしき」
それでもやはり、痛い思いをして初めて気づくのでしょうね。
今も昔も変りなし。。。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > 毎度お馴染みのコメントで申し訳ないですが
> 講座まであと1週間ですね。
> 今年は東京でも講座を開かれるようですので
> 合わせて頑張って下さいな。
いつものお言葉、有難うございますm(_ _)m
業務多忙で体調も崩しがちですが、講座の日までには回復させて頑張りたいと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > まさに定信は「憎まれっ子、世にはばかる」ですね。
だからこそ長生きするんですよねぇ…。
> 最後の狂歌も風刺が効いてます。
> 川柳という呼び方とは、また、違うんですね。
> 川柳は、大好物のぴーちですw(性格、歪んでいるせいかしら(爆)
最後のお言葉は違うと思いますが…(^^ゞ
川柳が「五・七・五」の俳句(当時は俳諧=はいかい)と同じ形式なのに対して、狂歌は「五・七・五・七・七」で、短歌と同じ形式という違いがあるんです。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > 今回の講座と意次と定信の印象がかなり変わりましたね。
そう仰っていただければ、講座を行った人間としては有難いです(^^♪
> 「白河の清きに魚(うお)のすみかねてもとの濁(にご)りの田沼こひしき」
> この狂歌が意次と定信を的確に評価していると思われ、やはり現在の歴史の授業の教え方は広く浅いものだと感じさせられますね。
「出来事」という名の結果しか教えていませんからね。意次と定信の関係についても、以前からの善悪方式が全く変わっていないですし。同じ言葉で恐縮ですが、そんな勉強で歴史が面白いはずがないんですよ。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 恣意的なバイアスのかかった歴史ではなく、事実をしっかり伝えてもらいたいです。
> 良い悪いの判断はそれからのことであり、事実が伝えられないと、あるいは歴史に対する信頼がなくなるとその判断すらできません。
同感です。善悪の判断を決めるのは個人個人であり、教え手の個人的な好き嫌いの感情や、特定の思想のみを押し付けるなどで歪んだ事実を教え込まれるのは勘弁願いたいものです。
「教育は中立」なんですから。どこかの組合の親玉は堂々と正反対のことを言っているようですが…。
> 現代を生きている我々ですが、それは先祖が脈々と引き継いでくれた歴史の上に生きていると思います。
> その感謝の思いや、今の我々を認識し誇りを持って生きていくためにも、歴史的事実を学ぶ意味は大きいと思います。
誇りを失った人間に未来はありません。我が国の長い歴史を自分たちの世代で失わないためにも、しっかりした歴史的事実を皆さんに学んでいただけるよう、私も頑張らないといけません。