定信にしてみれば、世が世なら自分が田安家の当主となったのみならず、次の将軍にもなれたかもしれない。そう思うと自分の運命が恨めしいし、自分をそういう立場に追い込んだのは、時の権力者である意次に違いないと、いつしか定信は意次を殺してやりたいと思うまで深く恨むようなりました。ただし、実際に意次がこれらの出来事に関わったとされる明確な証拠は何もなく、定信の邪推(じゃすい、悪いほうに推測すること)の可能性もあります。
そんな折、意次に悲劇が訪れます。息子で若年寄(わかどしより)の田沼意知(たぬまおきとも)が、1784年に江戸城内で襲(おそ)われて殺されてしまったのです。この事件に関しては、当時のオランダ商館長のティチングが興味ある書物を残しています。書物には「幕府の高官(こうかん)数名が意知暗殺に関与している」と記されていますが、当時の幕府高官の一人は松平定信です。
また、ティチングは息子の意知が殺された理由について「父親の意次は高齢であるから間もなく死ぬであろうが、息子の意知が父親の後を継いで改革を続行する時間は十分にある。ならば息子を殺せば父親にとっては大きなショックであり、改革も鈍(にぶ)るであろう。それゆえに息子のほうを殺すことに決定したと思われる」と書いています。ティチングの推測が仮に正しいとすれば、あまりの生々(なまなま)しさに言葉もありません。
ところで、意知が暗殺された後に加害者は切腹しましたが、世間は加害者を「世直し大明神」と呼んで称(たた)えました。実は田沼時代の政権末期には、意次は庶民から大きな反発を受けていたのです。なぜそんなことになったのでしょうか。賄賂の横行(おうこう)によって政治が腐敗(ふはい)したからだと思いがちですが、意次のせいにするにはあまりにも酷(こく)な「自然現象」が本当の理由でした。




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晴雨堂ミカエル あの時期の定信の施政方針は明らかに地域エゴそのもの、中学時代に社会科教諭がその行いを先見性のある善政と授業で述べたことに不快感と疑念を抱いたものです。
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shana あうあう……
定信さん、むごい事をする人です!まぁ、証拠がある訳でもないということで、一概にはいえそうにも無いですが。
しかし、結局自然現象が、時の権力者を失脚させてる気がします。現代でも変わらない傾向なきもしますが。
PS:第12回の3月27日なら、参加できるかもしれませんー。受験終わってますし。
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馬人 老中同士にそんないさかいがあったとは!
それも、恨んでいた意次本人を殺害するのではなく
あえて息子を殺害するなんてタチの悪いお方です…。
寛政の改革をした松平定信=良い人
という観念が一気に崩れ落ちましたw
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > あの時期の定信の施政方針は明らかに地域エゴそのもの、中学時代に社会科教諭がその行いを先見性のある善政と授業で述べたことに不快感と疑念を抱いたものです。
仰るとおりと思います。それだけに教師の力量が問われる分野でもありますね。
詳細については、この3連休で紹介することになります。
shanaさんへ
黒田裕樹 > 定信さん、むごい事をする人です!まぁ、証拠がある訳でもないということで、一概にはいえそうにも無いですが。
確かに証拠はありませんが、仮に暗殺事件に加担していなかったとしても、意知が斬殺された際に、定信が心から哀悼の気持ちを持つことが出来なければ、結局はむごいことに変わりはないですね。
> しかし、結局自然現象が、時の権力者を失脚させてる気がします。現代でも変わらない傾向なきもしますが。
いくら地政学的や科学的に証明できたとしても、人間が真っ先に考えることは、基本的には変わらないのかもしれませんね。悪政を行っているものならともかく、綱吉や意次の場合は不運だったとしか言いようがありません。
> PS:第12回の3月27日なら、参加できるかもしれませんー。受験終わってますし。
それは楽しみですね。まずは受験を頑張って下さいね(^_^)v
馬人さんへ
黒田裕樹 > 老中同士にそんないさかいがあったとは!
> それも、恨んでいた意次本人を殺害するのではなく
> あえて息子を殺害するなんてタチの悪いお方です…。
意知が殺害された当時、定信はまだ老中になっていませんでしたが、「吉宗の孫」という看板によってそれなりの影響力を持っていました。そんな中での、しかも息子を先に殺すという巧妙な事件ですから、後々に定信が老中になれたという事実も考えれば、疑いの眼差しが向けられるのも仕方がないと思われます。
> 寛政の改革をした松平定信=良い人
> という観念が一気に崩れ落ちましたw
馬人さんのお気持ちも良く分かります。
しかし、「定信=良い人」の概念については、これから紹介する事実によってさらに木っ端微塵(こっぱみじん)に崩壊する恐れがありますので(笑)、覚悟(?)しておいて下さい(^^ゞ
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スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
松平定信は田沼意次と逆の政治を取ったイメージがある人ですが
政治以前に人しても反発し合っていたんですね。
定信も意次ではその息子を殺して上手くやる当たりが
したたかで政治家らしさを醸し出してますね。
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HANA子 歴史はもちろん過去の記録であるわけですから、当然受け取るイメージによる先入観によって実際と異なる印象をもつことがあるわけですよね
学び始めの頃は清廉で開明的でまさに人類の光! 的なイメージを抱いていたフランス革命も、フタを開けてみれば革命側に限ってでさえ主導権争いに血道を開く、粛清に次ぐ粛清の泥仕合etcでとてもガックリきた・・・
賄賂政治の田沼と清廉な定信のイメージの崩れ行く様子に、そんなことを思い出していました
先入観をもたずに立ち向かうこと
歴史を学ぶ大原則ですね
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オバrev 松平定信って、吉宗の孫で、しかも兄が病弱という状況でありながら養子に出されたというのはどうも偶然とは思えません。
それと田沼意次の実績は素晴らしかったけど評価が低かったのは、自然災害だけでなく、そもそも庶民にはそれがあまり知られてなかったのではないかと思いますが、どうなんでしょうか。
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けん爺ちゃん おはようございます(^△^)
オランダ商館長の意見は
我が国の歴史を知る上で重要な資料ですよね。
ペリーが来ることを1年前から幕府に通告していたり、
逆に日本の情報を収集し、他国へ発信する役割を担ったり…
意知の暗殺に幕府高官が関与したという考察も、非常に真実味を帯びた見解のような気がします。
えげつないやり方ですね…(--;)
定信は、なぜ白河藩へ養子に出されちゃったんですかねぇ?(´`)
この飢饉は当時の年号から天明の大飢饉(てんめいのだいききん)と呼ばれ、1782年から88年まで長く続きました。なお、浅間山と同じ年の1783年にはアイスランドのラキ火山が同じように噴火しており、天明の大飢饉の理由の一つになったとともに、北半球全体が冷害(れいがい)になったことで、1789年に起きたフランス革命の遠因(えんいん)にまでなったと考えられています。
いずれにせよ、天明の大飢饉によって、東北地方を中心におびただしい数の餓死者(がししゃ)が出てしまいました。また、飢饉によって年貢(ねんぐ)が払えない農民による一揆(いっき)や、都市部での米の売り惜しみに対する打ちこわし(=天明の打ちこわし)が多発しました。当時は「天災が起きるのは政治を行っている人間のせいである」という考えが信じられていたので、これらの責任の一切を意次が背負わなければならなかったのです。
ただ、意次も飢饉に際して何もしなかったわけではありません。飢饉による被害をできるだけ小さくするために、凶作(きょうさく)の地域で米の買い占めや売り惜しみをしないように命令したのですが、よりによって大名の中でこの命令を簡単に破り、買い占めに走った人物が現れてしまいました。実は、その大名こそが松平定信なのです。




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スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
昔は天災の責任さえも政治家が取らなければならなかったのは本当に大変ですね。
しかし民衆が大変な中で
意次が民衆を守る為に取った政策さえ私利私欲の為に平気で邪魔する定信は人としては最低だと思いますね。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > 昔は天災の責任さえも政治家が取らなければならなかったのは本当に大変ですね。
私もそう思います。自然現象に対する解明が進んだ現代においても問題視されることもありますし、政治家は厳しい稼業ですよね。
> しかし民衆が大変な中で
> 意次が民衆を守る為に取った政策さえ私利私欲の為に平気で邪魔する定信は人としては最低だと思いますね。
これもその通りです。詳細については明日(11日)明らかにしますが、興奮のあまり絶叫してしまっております(^^ゞ
.
ぴーち 先ほど急に自分のブログから
締め出されてしまいまして(苦笑)
仕方が無いので、検索からお邪魔しました(笑)
6年も飢饉に見舞われてしまったんですね。自然の前では、いつの時代も人間は無力ですね。
よく新しい土地に家屋などを建てるときに「地鎮祭」などを行いますが、
これも、その土地の自然に人間が手を加える事の許しを請う慣わしでしょうが、宗派はいづれにせよ、人は自然に対して、敬意を払っていく気持ちをいつの日も大切にしたいものですね!
それにしても、何でもかんでも
政治の責任にされてしまうのも、酷でしたね(^^A
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 先ほど急に自分のブログから
> 締め出されてしまいまして(苦笑)
> 仕方が無いので、検索からお邪魔しました(笑)
私もぴーちさんのブログに入れません(´・ω・`)
どうやらblog61全体が入れなくなってしまっているようですよ。
FC2さんにはしっかりしてもらわないと…。
> 6年も飢饉に見舞われてしまったんですね。自然の前では、いつの時代も人間は無力ですね。
> よく新しい土地に家屋などを建てるときに「地鎮祭」などを行いますが、
> これも、その土地の自然に人間が手を加える事の許しを請う慣わしでしょうが、宗派はいづれにせよ、人は自然に対して、敬意を払っていく気持ちをいつの日も大切にしたいものですね!
自然は時として人間に牙をむいて襲い掛かりますからね。
敬意を払う気持ちは本当に大切だと実感します。
> それにしても、何でもかんでも
> 政治の責任にされてしまうのも、酷でしたね(^^A
全くその通りです。息子を殺されるのみならず、意次にとってはまさに「泣きっ面に蜂」ですよね。
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オバrev 冷害の原因はそんな遠くの国にもあったんですね~、驚きです。
悪いことが起こるのは、何かその原因があるはずだと考えたんでしょうか?
当然その原因が分かろうハズもないでしょうから、政治にぶつけたんでしょうね。
それにしても松平定信は何という姑息な人間なんでしょうね。こんな人間が改革やってもうまくいかんでしょうね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 冷害の原因はそんな遠くの国にもあったんですね~、驚きです。
そうなんです。世界的な異常気象だったんですね。フランスでは革命まで起きましたから、余程の冷害だったのでしょう。
> 悪いことが起こるのは、何かその原因があるはずだと考えたんでしょうか?
> 当然その原因が分かろうハズもないでしょうから、政治にぶつけたんでしょうね。
当時は「悪いことが起きるのは政治家の徳がないからだ」という考えがまかり通っていました。従って、原因を突き止めることなく、すべて政治家のせいと決め付けていたのです。
> それにしても松平定信は何という姑息な人間なんでしょうね。こんな人間が改革やってもうまくいかんでしょうね。
そのあたりについては、今後の講座で明らかにしていくことになりますので、お楽しみに(?)。
天明の大飢饉
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
天明の大飢饉について、高校の時、日本史の先生が授業で、話したことを思いだいました。
「天明の大飢饉は、
天災ではなく、人災だった。
なぜなら、死んだのは、全員、農民だけで
武士は、誰も死ななかった。」と語っていました。
これって、本当のことなんでしょうか。
天明の大飢饉で、死んだ武士、庶民は、いなかったか、もしくは、非常に少なかったのでしょうか。
ただ、この日本史の先生が言っていることが
正しくなくても
松平定信が米を買い占めたりせず、被害の少ない
西日本から、米の流通がもっと、促進できていれば、被害を最小限になった気がします。
今回の東北沖地震についても、地震そのものは
天災ですが、その後原発事故、その後の政府の対応、支援の遅さを考えると、人災の要素も大きい気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 人災の件は、松平定信の信じられない「飢饉対策」などがありますからね。
武士の餓死者がゼロとまでは行かなくても少なかったのは事実ですが、そもそも武士の人口が全体の1割もいないのですから、農民と比べればゼロに近いのはむしろ当然ですね。
言わば白河藩の成果が他藩の犠牲のうえに成り立っているという信じられない図式となっており、このような「自分だけ助かれば良い」という発想の人間は、名君どころか、人のうえに立つべき人物にふさわしいとはとても思えません。そんな人間が絶対的な権力を握ってしまったらどうなるのか、想像するだけでも恐ろしいのですが、実際にそうなってしまったのでした。
1786年に将軍家治が死去すると、定信はその間隙(かんげき)をぬって意次の老中罷免(ひめん、職務をやめさせること)に成功し、翌1787年には自身が老中になり、世にいう寛政の改革(かんせいのかいかく)を始めるのですが、その際に、意次に対して常識では考えられない「意趣返し」(いしゅがえし)を行いました。
1788年に意次が失意のうちに亡くなると、定信は田沼家を1万石に減らしたうえで陸奥国(むつのくに、現在の福島県)へ無理やり移し、無主となった相良城を、石垣ひとつに至るまで徹底的に破壊したのです。城というものは一度建てられたら公有財産になりますから、普通はそんな無駄なことはしませんし、そもそも取り壊す費用も馬鹿になりません。それなのに、敢(あ)えてこんな暴挙(ぼうきょ)をした理由があるとすれば、相良城が意次自身による建築だったからだとしか考えられません。
なぜ定信はそこまで「意次憎し」に凝(こ)り固まっていたのでしょうか。実は、定信は熱心な朱子学者(しゅしがくしゃ)、つまり儒教の信徒(しんと)でもありました。定信は祖父の吉宗同様、ネチネチとした陰湿(いんしつ)で粘着質(ねんちゃくしつ)な性格を持っていたのです。




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佐佐木あつし >祖父の吉宗同様、ネチネチとした陰湿(いんしつ)で粘着質(ねんちゃくしつ)な性格を持っていたのです。
まるで映像が浮かんでくるようでメッチャ笑ってしまいました(爆)
そのあたりも、やはり御家柄というか。祖法何でしょうか?
家康の方広寺の嫌がらせを思い出しました。
佐佐木あつしさんへ
黒田裕樹 > まるで映像が浮かんでくるようでメッチャ笑ってしまいました(爆)
そうですか(^^ゞ
漫画家の先生にそう仰っていただけるのは光栄です。
> そのあたりも、やはり御家柄というか。祖法何でしょうか?
> 家康の方広寺の嫌がらせを思い出しました。
ありましたねぇ(笑)。
確かに、儒教の呪縛以前に血筋かもしれませんね。
.
ぴーち こんばんは!
昨日は、ご不便をお掛けしまして
すみませんでしたm(__)m
でも、お返事をあの後、ご確認していただけた様で、安堵しております。
それにしても、定信のお話を伺っていると「蜘蛛の糸」を思い出してしまいました。
憎しみや、恨みに固執した人間は
怖いですね。視野が狭くなり、
正常な思考能力さへも失ってしまうものですね。
人を恨み続けるというのも、エネルギーの居ることですから、もう少し
視野を広げて大らかな性格だったらもっと人の為になるような方向へ
偉業を達せられた方だったのではないでしょうかね?
それでは、応援凸
出かけてまいりま~すw
.
馬人 あぁ…。
米を買い占められたから餓死したって、
松平さんは学校で一人はいる「自分のことしか考えない人」を拡大したような人ですね。
人のことを考えず米を買い占めるなんて酷いです!
こんな歴史を聞かされると、どうして人権というものがこの時代は創られていなかったのか疑問に思い、
松平さんの行いが残念でもあります…。
って、松平さんは私のイメージと違って悪者ですね^^;
.
彩音 こんばんは(^∀^)
ブログ訪問ありがとうございます!!
ずっと読んでて下さったなんて感激です(T∀T)
松平定信とか田沼意次らへんは
昔授業でやった覚えはあるんですが
具体的にどんな事をしたかとかが全然頭に入ってなかったんです(;ω;)
でも今回の記事でスムーズに頭に入りました!!
定信の性格がめちゃめちゃ分かりやすかったですww
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昨日は、ご不便をお掛けしまして
> すみませんでしたm(__)m
> でも、お返事をあの後、ご確認していただけた様で、安堵しております。
日付が変わった頃には回復していましたね。
一体あの不具合は何だったのでしょうか…(´・ω・`)
> それにしても、定信のお話を伺っていると「蜘蛛の糸」を思い出してしまいました。
> 憎しみや、恨みに固執した人間は
> 怖いですね。視野が狭くなり、
> 正常な思考能力さへも失ってしまうものですね。
> 人を恨み続けるというのも、エネルギーの居ることですから、もう少し
> 視野を広げて大らかな性格だったらもっと人の為になるような方向へ
> 偉業を達せられた方だったのではないでしょうかね?
いやしくも人の上に立とうとする人間は、最低でも視野を広く、また正常な思考能力を持ってもらいたいものです。
自分の判断が一国の運命すら左右するというのに、「自分さえよければ良い」という考えしかなければどうしようもありません。
そんなどうしようもない人間が天下を取ったときから、国の悲劇が始まってしまうのです。
馬人さんへ
黒田裕樹 > あぁ…。
> 米を買い占められたから餓死したって、
> 松平さんは学校で一人はいる「自分のことしか考えない人」を拡大したような人ですね。
確かにいますよね(苦笑)。
クラス全体でバランスが取れているというべきなのか…。
> 人のことを考えず米を買い占めるなんて酷いです!
> こんな歴史を聞かされると、どうして人権というものがこの時代は創られていなかったのか疑問に思い、
> 松平さんの行いが残念でもあります…。
人権という概念が希薄だった時代ですからね。
たとえあったとしても、定信のように「自分の人権が大切」という人間が政治を行えばどうしようもないですが。
> って、松平さんは私のイメージと違って悪者ですね^^;
明日(12日)以降の更新で、おそらくは「悪者」のイメージがさらに拡大する恐れがあります(^^ゞ
彩音さんへ
黒田裕樹 > こんばんは(^∀^)
> ブログ訪問ありがとうございます!!
> ずっと読んでて下さったなんて感激です(T∀T)
同じカープファンのよしみもありましたからね(笑)。
復活されて何よりです(^o^)丿
> 松平定信とか田沼意次らへんは
> 昔授業でやった覚えはあるんですが
> 具体的にどんな事をしたかとかが全然頭に入ってなかったんです(;ω;)
> でも今回の記事でスムーズに頭に入りました!!
> 定信の性格がめちゃめちゃ分かりやすかったですww
それは良かったです(^_^)v
定信ほど分かりやすい性格の人間は、ある意味珍しいですよね(^^ゞ
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
ここまで来ると定信の「意次憎し」も呆れてしまいますね。
そもそも私は「寛政の改革」が
それほど成功したイメージはもっていませんが
意次の色を消す為の改革の意味合いも強かったと思うので
うまくいかないのも納得だと思ってしまいましたね。
.
えめる わあー、定信ッたら陰険なやつニャー。
今まで思っていた公明正大な人物像と、まるっきり逆ニャねーッ!
逆恨み・勘違い・嫉妬深い……はうぅ。なんて奴ニャ。
歴史の主だった記録は、勝者によって書かれている、だから事実と違う、歪んだ話になっちゃうのニャね?
なんだか前にも、天災をその人のせいにされたって話がありましたけど。
誰だっけ?
あ??^*▽*^??ネコの記憶力なんて、この程度。済みませぬ。